<御教え>
経と緯
(1952年文創のまま)
東洋は経であるから霊的、精神的であるに対して、西洋は緯で体的、物質的
凡(およ)そ天地の真理を知る上に於て、経と緯の意味を知る事が最も肝要である。此(この)事は今迄にも幾度となく説いて来たが、尚一層詳しく徹底的にかいてみよう。それに就ては先づ根本的認識である。それは私が常にいふ日は火で、火は経に燃ゆるものであり、月は其反対に水で緯に流動するものである。従って日の本質は高さであり、月の本質は広さである。此理によって今地球を説明してみると、地上の空界は水素が緯に流動してをり、火素は経に上下を貫いてゐる。つまり経緯の精が綾のやうになってをり、布地の如きものである。而(しか)もそれが想像を絶する程の密度であって、此事実として卑近な例ではあるが、人間が横臥iおうが)すれば寒いのは、水の精によるからであり、起きて経になれば暖かいのは、経に昇降してゐる火の精によるからである。又火は霊的、精神的、陽であり、水は体的、物質的、陰である。此理は世界の東西文化をみてもよく判る。東洋は経であるから霊的、精神的であるに対して、西洋は緯で体的、物質的であるから、今日の如き科学文化が発達したのである。宗教に於ても仏教は経であるから、経文といって経の字を用ひてをり、祖先を崇拝し、子孫を重視すると共に、孤立的であるに反し、キリスト教は祖先を祀らず、夫婦愛を基調とし、隣人愛を本業とし、どこ迄も国際的緯の拡がりである。