<御教え>
仏教に於ける大乗小乗
(1952年文創のまま)
小乗は自力本位で、大乗は他力本位
元来仏教は、小乗が本来である事は、以前私はかいた事があるが、小乗である仏教の中にも、大乗と小乗のある事を知っておかねばならないのである。之を判り易く言へば、小乗は自力本位であり、大乗は他力本位であると思へばいい。そうして仏教中禅宗と日蓮宗は小乗であって、其(その)他は悉(ことごと)く大乗である事で、茲(ここ)では、先づ小乗から解説してみるが、之は自力であるから、どこ迄も難行苦行を修行の第一義としてゐる。といふのは此(この)考へ方は、其根本が婆羅門(バラモン)宗から出てゐる為である。殊に彼の禅宗に至っては、最も此行り方が濃厚に表はれてゐる。
婆羅門(バラモン)宗の流れが混在する苦行
曩(さき)にも詳しく説いた如く、釈尊によって主唱された仏教精神は、婆羅門式難行苦行は誤りであるとし、それに代るに経文を唱へる事によって、悟りを得るといふ言はば経文宗教ともいふべきもので、或期間印度(インド)全体を風靡した事は人の知る処であるが、其勢ひに対してもそれに従ふ事なく、依然として婆羅門宗を奉ずる一団があった。勿論信念は頗(すこぶ)る固く、相変らず禁欲的難行苦行の道を歩み続けて来たのは勿論で、其信仰の的としては彼の達磨(だるま)であった。そうして達磨思想の真髄としては、苦行の外に学問があって、此両道によって悟道に入るべく、練磨研鑽したのである。
学高き者の書の脱俗的匂ひは人の心に迫る
処が釈尊入滅後数十年を経てから、婆羅門宗の行者の中に、傑出した一人物が現はれた。之が彼の有名な維摩(ゆいま)居士である。此維摩こそ禅宗の開祖であって、此本流が彼の臨済禅である。処が彼は業成るや、印度を捨てて支那内地に移り、布教の為各地を順跡し、最後に至って有名な五台山に登って道場を開き、道教の祖となったのである。其様な訳であるから本当からいえば、禅宗は仏教から出たものではなく、日本に入ってから仏教化したものであらうし、そうしなければ布教上にも困難があったからでもあらう。此意味に於て禅宗の寺院も修行法も、僧侶の日常生活等も他宗とは大いに異ってゐるにみても分るのである。彼の禅宗のみに行はれる座禅の行も、開祖の達磨の修行に則(のっと)ったものであるのは言う迄もない。又問答を修行の第一義としてゐるが、之も他の仏教とは異ったもので、学問から生れたからに違ひない。それらに就ても肯かれる事は、支那日本に於ける古来からの禅僧である。彼等の中、学高き者は漢詩の如きものを作るが、之には禅の悟りを含めたやうな、言はば漢詩禅ともいふべき詩文を作り、旺んに書いたらしい。今日之等の書や大字など相当残ってゐるが、好事家から非常に珍重され、価格も高いが、静かに観ると実に脱俗的匂ひは人の心に迫り、よく筆者の人格を表はしてゐて、実に頭の下る思ひがする。其中でも有名な彼の碧巌録の作者圜悟(えんご)禅師の如きは支那随一とされてゐる。
宗教学者といった方がいい禅宗の高僧
日本に於ける禅宗の開祖は、京都大徳寺の開山大燈国師(だいとうこくし)であるが、此人も当時から傑出した僧で、其文といひ書体といひ、先づ日本一と言ってよからう。次は鎌倉円覚寺の開祖無学禅師であるが、私は此人の書は殊に好きである。此様に見て来ると、禅宗の高僧は僧侶よりも寧ろ宗教学者といった方がいい位である。そうして今日日本の禅宗は曹洞宗、臨済宗、黄檗(おうばく)宗の三派となってゐるが、黄檗宗は微々たるもので、之は支那の方が旺んだといふ事である。禅宗の方は此位にしておいて、次は日蓮宗をかいてみよう。
『吾は法華経の行者なり』と言はれた日蓮上人
日蓮宗は勿論小乗仏教であって、難行苦行による自力本位であるから、他宗の如く釈迦や阿弥陀には余り重きを措かないやうで、只一途に開祖日蓮上人を中心に拝み、苦行によって自力を強めようと修行するのは人のよく知る処である。即ち之等によってみると此宗は釈尊の仏教を通り越して、婆羅門の流れを汲んだものといってもいい位である。上人が『吾は法華経の行者なり』と言はれたが、此行者の言葉も婆羅門から出てゐるのである。といって上人は釈尊の経文にも大いに重きを置いてゐる。法華経二十八品を同宗の基礎とした事によってみても分るが、言はば上人は精神は婆羅門に従ひ、形体は釈尊に学んだといってもよからう。そうして此宗は最も霊憑りを奨励し、修行の第一義としてゐるが、之も仏教的ではなく婆羅門的である。
(次回は『キリスト教』及び『善悪発生とキリスト教』を掲載)
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<質疑応答>
仏教の教導のあり方
Q. 仏教の研修会に参加致しまして、神棚を取り除くように指示されました。仏壇内を美しくするように、という指導はいいのですが、「位牌はなくてよい」、「阿弥陀様だけでよい」とも言われました。このような教え方はいかがでしょうか?
A. その宗派の特徴が出ているのでしょう。
日本の精神史を辿ってみると、仏教は日本へ入って来る時に大陸から儒教を伴って入って来た訳です。儒教の位牌と神道の霊璽に共通するところがあり、仏壇へ位牌を設(しつら)えるようになったようです。そして、仏教が日本へ定着して行き、やがて権力者とくっついてゆきます。そして武士道へと盛り込まれ「死ぬ事に見つけたり」という精神が生れたとされています。
武士道の前提として「死」というものを見つめたということです。これはいい意味で「武士道」が再評価されている原点にもなっております。それが映画「ラスト・サムライ」を作り出したのですね。「如何にして死を迎えるか」ということを考えれば、「いい生き方をせねばならない」という精神が生れ、倫理観が厳格になります。
逆に「死」というものを前提にしない考え方では、目的のためならば何をやっても良いということになります。どこかの国のように、賄賂などが横行しても平気ということになるのです。
現在日本では、仏教は「葬式宗教」のように見られがちですが、死に対する考え方は本来高次元なんですよ。前回の「五輪塔」の話を思い出してください。玄侑宗久氏は「四大(しだい=地、水、火、風)が分離して『空』に還るというのが仏教的死です」と述べていますが、仏教界はそうした死生観をもっている訳ですから、もっとそのことを伝えていかねばいけません。
五輪塔の思想は、神代文字の形成論理とも繋がっていす。森羅万象の生々化育、集合離散のメカニズムが形に盛り込まれているからです。元々、日本の神様が教えたものですから繋がりをみるのは当たり前ですが。そうしたことから生と死を理解してもらう、ということを積み重ねていってほしいですね。
葬式という儀式だけではなく、論理的な死生観をもっと勉強して檀家へ取り次いで行くと良いと思います。それが、本来の教導というものです。そして『信仰は 真の智慧(ちえ)なり 証覚(さとり)なり 証覚なくして 感謝うまれず』と詠じられている通り、感謝の生活へ導いて差し上げねばなりません。
御神体の意義へも繋がる
仏教思想を極めた人ならば、本教の御神体の御前に進めば「やっと巡り会えた」という感懐に浸るはずです。これは神道では「時代の転換を導く」力そのものと捕らえられています。また、ユダヤ教でも同じように繋がってゆくと思います。
ユダヤ教に関する論議のうちで、「初めに、神は天と地を創造された」で知られる『創世記』に関する問いがあります。永井晋氏は次のように述べています。非常に興味深いことなので紹介しておきます。
「ユダヤ教にとって最も重要な句が、アルファベットの第一文字『アレフ』ではなく第二文字『ベイト』から始まっているのはなぜか、という問いである。カバラ-の伝統では、『アレフ』は神を象徴する文字であり、それが隠れ、退却することによって、『ト-ラ-』のテクストという神の『痕跡』が刻み込まれる余地が生じたのだと考える。起源は初めから不在なのであり、痕跡としてテクストによって根源的に代補されているのである。」
このことにはもっと深い意味が隠されているのですが、教えが出揃った時点で解説します。ただここでは、本教が、神代文字の「あ」という文字を御神体とするように啓示され、「教義」にある御神名をお唱えするようにさせていただいたていることへ繋がって行くことを認識しておいていただきたいと思います。その意義を裏付けているところです。
「浄霊の御手」のご下付―無限大の御光の供給を
仏教についての教えは「仏教に於ける大乗小乗」でひとまず区切りと致しますが、随分と学びが深まったのではないかと思います。
そして仏像の「施無畏(せむい)」印と浄霊の形が酷似していることにお気付きの方もいらっしゃると思います。これは、「施無畏」が観世音菩薩の異名でもありますので、伊都能売神皇のお姿に由来していることにもなります。ですから参賀の折に天皇も御手をかざしながら挨拶をされるのです。浄霊は、形からも「万人の願いを叶えてゆく」行為なのです。
ところで、教祖の次に浄霊を取り次ぐことができた人は、『許す』というお言葉で御力を授かりました。その後、浄霊力伝授は「お守り」の下付によって「許し」の形をとってまいりました。そして現在「メシヤ様の存在を信じる」ことにより、浄霊力を伝授されるようになりました。大変有難いことで、感謝にたえません。
私達は、この有難い浄霊を、より日常生活に定着させていただきたく思います。この度、各般のご要望により信者未信者を問わず、『浄霊の御手』のお写真を下付させていただくことになりました。このお写真は、浄霊を取り次がれる教祖ご自身の掌です。メシヤ様との繋がりをより太くしていただくためのイメ-ジ作りにお役立てください。そして、無限大の御光の供給を受けていただきたい、と願っております。
防災の枠組みの充実を望む
Q. 今年は台風の上陸が相次ぎ、大きな被害をもたらしました。また、新潟県中越地震も大変なものでした。
A. 私の地元でも、今年は台風が度々襲来しました。天気図に示される台風の進路によって風向きがまったく異なり、台風の目が上空を通過した時よりも西側を通過した時の方が強烈でした。風速50メ-トルを記録しました。
ちょうどその時、二階の御神前から外に目をやった時道路を隔てた向かい側の資材倉庫の屋根が剥(は)がされました。メラメラとトタンが捲(めく)れ初め、10数枚が真っ直ぐに飛んできたのです。‘窓ガラスに当たる!’と、逃げながら咄嗟に浄霊をしました。もう一瞬でした。不思議なことに、ビュ-と両側へ避けてくれたのです。1枚だけは窓のすぐ脇の壁に当たりましたが、大事には至りませんでした。
私は「神様の神威によって守られた」と思い、心から感謝申し上げました。しかし、近隣では被害があり大変でした。稲刈り前の農家の方などは、「米が壊滅的」と嘆いていました。それにしましても、1度の台風で90人を超す犠牲者が出るなど予想だもしませんでした。長年治水に取り組んできたはずなのですが・・・。
長野県の田中知事は「都市計画法に問題がある」と指摘していました。地滑りを起こしやすい所には住居を建設してはいけないように定められていますが、社会福祉施設や医療福祉施設は建てても良いようになっているそうです。例外を作り、しかも生活弱者が入るところを許可するなどは、犠牲者が出てもおかしくない状況を作っているようなものです。
それから、今年の台風は発生後は小~中規模なのですが、西に進み沖縄付近の日本近海で大型台風に発達するケ-スが多かったですね。どうも、日本付近の海水温が例年に比べて高く、温かい海水からエネルギ-の補給を受けたらしいですね。
今年は東京の真夏日記録を70日に伸ばしたそうですね。また、東京大手町の降水量は3倍だそうです。温暖化が叫ばれていますが、京都議定書の発効を確実にせねばなりませんね(現在は、ロシヤが批准を決定したことにより来年2月に発効する見通し)。小泉さんも、ブッシュへもっと強く働きかけなければなりません。
仮に、ブッシュが再選されれば世界協調がなくなっていくのでは、と危惧する声が多く懸念されます(現在は再選され、早速大規模な攻撃を開始しています)。
政府では防災の枠組みの充実、個人では普段の備えが大切
直下型地震は恐ろしいですね。私は、今月中旬淡路島を通過する時に、ふと伊弉諾尊様へ参拝しようと考え神社を目指しました。その道中に「北淡町震災記念公園」が目に留まりました。その中に140メ-トルに及ぶ断層保存ゾ-ン(野島断層)がありました。「神様はこれを観ろと仰るのだな」と思いました。
阪神・淡路大震災から歳月が流れ、少しずつ震災の気憶が薄れていただけに、その姿は閃光のような衝撃でした。日本列島は、断層だらけだし、活火山も世界の活火山の数の1割位を有しています。普段の備えを皆に呼びかけないといけないと痛切に思いました。
地震が起きた時は、素早く人命を救うことが何よりも大切です。そのためには、素晴らしい機動力と充実した装備を持つ自衛隊に活躍が期待されます。この度(私は釧路市でメシヤ講座を終えた時点で知り、最小限度の被災に留まるように祈願しました)のように市町村全体が機能しなくなった際には、「県知事の要請を受けて」などという悠長な事をせず、総理自らが出動指示を出すべきです。
レス救隊をはじめ救助犬の派遣も迅速が不可欠ですが、動きに鈍さを感じるのは私だけではないと思います。行政の一本化が何時も問われます。防災の枠組みの充実が急務です。それから、救助ロボットをはじめとする人命救助用の機材を開発する予算をもっと組む必要を感じます。
また個人としては、冬場は自家用車で暖を取ることになりかねませんので、鍵などは違う場所へ保管しておくことがいざという時に役立つようです。就寝時のメガネの置き場所なども、救われた後の快適性に欠かせません。また、援助の手が届くまでの最低3日間の食料、水を非常用に備蓄しておかねばなりません。自らの生活様式に合わせて普段の備えを怠らないようにお願い致します。
天災は人災なり
話は台風に戻りますが、『暴風雨は天地間の浄化作用である』と教えに説かれています。人間の想念と言霊によって霊界に曇りが堆積すると、ある程度を越える時一種の毒素が発生し、人間生活に支障を来たすことになるので、その自然浄化が発生します。
とりわけ、先程述べたように、法律そのものに問題があったり、治水工事をはじめ公共事業等で不正などがあると、それは本来の働きをしなくなるので、為政者などは恐ろしいほどに災害の有無の鍵を握っていると言わざるを得ません。「天災は人災なり」と言われる所以です。行政の司(つかさ)等に誠が問われます。
私は「華氏911」を9月に観ましたが、ハマコウさんと同じで少し眠ってしまいました(笑い)。それが、斜め後ろの老夫婦の行為によって目を覚ましました。そして、映画の内容と相俟って次第に情けなくなってきました。
老夫婦が煎餅か何かをバリバリやり始めたのです。そして、永遠と続くのです。思い余って注意したのですが、耳がご不自由らしく聞こえないのです(笑い)。見れば、立派な身なりをお二人ともしています。弁(わきま)えがあってもよさそうなのですが、立ち居振る舞いがいただけません。周囲の人も呆れ顔をしているのですが、いっこうにお構いなしでした。
私は、アメリカと日本の縮図を垣間見ているようでした。確かに、今日の日本の豊かさを築いてきた人の一人でしょうが、最も大事なものを疎かにしてしまっている、そんな気がしてなりませんでした。それが、現代日本の諸問題を発生させていることの一つです。若い世代の批判ばかりはできません。