メシヤ教は「メシヤ様という御神格を認識し、直に太く繋がることにより恩恵を賜ります」と宣べ伝え、メシヤ様が唱道する『宗教改革』『医学革命』の実現を通して「本来の人間生活を取り戻す」という現代における宗教の役割を担います。この取り組みを世界へ拡めるために「世界救世(メシヤ)教」の復興を推進しています。
『救世(メシヤ)教とは何ぞや』
この文をかくに当って、前以て断っておきたい事は、我救世(メシヤ)教は純然たる宗教ではないのである。といっても、一部には宗教も含まれてはいるが、全部でない事は勿論である。では何故救世(メシヤ)教の名を附けたかというと何しろ有史以来夢想だもしなかった処の劃期的救いの業である以上、止むを得ずそう附けたまでであって、特殊の名前を附けるよりも、この方が分かり易く親しみ易いからで、これを率直に言って宗教以上の宗教、即ち超宗教であり、空前の救いの業と思えばいいのである。 [メシヤ様御論文『天国の福音書』序文冒頭より 昭和29年8月25日] |
「宗教」と耳目にした際、「宗教団体」を連想し違和感を覚える方が多いのではないかと思いますが、近年日本の文化が世界的に見直され、日本を訪れる外国人が増加し、世界の宗教と民族の関わり合いについての理解が深まって参りました。宗教学者の岸本英夫氏は著書「宗教学」のなかで、「人間に究極的な理想を与え、人間の問題に対して究極的なかかわりをもつものを、宗教と見なす」という前提のもと、「人間の問題と、ほんとうに取り組んでゆくことができる力をもった宗教だけが、時代を超えて、存続し、その役割をはたしてゆくだろう。人間にとって、尊重に値いするのは、宗教団体の機構ではない、宗教のはたらきである」と述べています。
また、縄文遺跡を通して探れば“古代の人間生活は宗教そのものである”という理解も普遍化して参りました。古代宗教の役割と首長を中心にした集落の運営が一体となって生活の秩序が保たれ、安定した社会が三千年余の期間続いていることが判明したからです。そして、現代の文化形態は、古代の人間生活つまりは宗教の要素が遠心分離的に発展してきたもので、現代生活は至便にはなってきたものの本来の人間生活が宗教であるという概念を喪失したことに比例して諸問題が発生していると考えられます。
一方、科学の世界では、自然界の研究を進めるごとに、あるいは法則的な発見を重ねるごとに、「どうしても人間を超えた存在を想定しないわけにはいかない。そういう存在を私は『偉大なる何者か』という意味で十年くらい前からサムシング・グレートと呼んできました。」(村上和雄著「生命の暗号」)とする謙虚で真摯な研究姿勢を持つ科学者も現れ、創造主に対する潜在的な認識が顕在化したものと推測されます。偉大なる発見と雖も創造主の「創世した仕組」の一端を発見したに過ぎず、創造主に対する感謝の念を幾重にも沸かせてくれます。
メシヤ教は、創造主である主神様より直接御啓示を賜った岡田茂吉教祖をメシヤ様と尊称し、「メシヤ様という御神格を認識し、直に太く繋がることにより恩恵を賜ります」と宣べ伝え、「本来の人間生活を取り戻す」という現代における宗教の役割を担うことで、真善美の完き恒久平和の理想世界実現に専心しています。
メシヤ教代表 楳木和麿