メシヤ講座・特選集no.44(平成16年9月分)

<御教え>
彌勒三会
(1952年文創のまま)

三身の彌勒が、一度に会はれる

仏教に於ては、昔から彌勒(みろく)三会の言葉があるが、此(この)事は今日迄神秘の幕に閉ざされ、全然判らなかったのであるから、今度私は之を明かにしてみようと思ふ。抑々(そもそも)彌勒三会とは、読んで字の如く三身の彌勒が、一度に会はれる意味であって、三身の彌勒とは言う迄もなく釈迦、阿弥陀、観音である。そうして釈迦は報身の彌勒であり、阿弥陀は法身の彌勒であり、観音は応身の彌勒となってゐる。又釈迦は地の彌勒であり、阿弥陀は月の彌勒であり、観音は日の彌勒である。

日月地、火水土、五六七

度々言う通り、右(上記)の三聖者は本当の順序からいへば日月地、火水土のそれであり、五六七でもあるので、此数を合はせると十八になる。此十八の数に就て、大本教の御筆先に斯(こ)うかいてある『今迄は天が六、中界が六、地が六でありたものが、天から一厘の御魂が地に降られたので、天は五となり、地は七となりたのであるぞよ』と。然(しか)し此意味は最も深奥なる神の経綸であって、此一厘の御魂こそポチであり、麻邇(まに)の玉であり、如意宝珠であり、之によって五六七の御代が生れるのである。又三六九をミロクとも云はれるが、此事は最後の天国篇に詳説するつもりであるから略すが、兎に角(とにかく)十八の数こそ、最も重要なるものであって、之を文字によって解釈してみると、十は経緯の棒の結んだ形であり、又神の表徴でもあり、完全の形でもある。又八は開く形であり、無数の意味でもあって、昔から仏教に於ても、十八の数をよく用ひてゐる。浅草の観音堂も、善光寺も十八間四面であり、毎月の参詣日も十八日であり、十八を倍にすれば三十六でミロクである。除夜の鐘は百八つ打ち、数珠の数も百八個あり、百八煩悩などとも言はれるが、此場合の百は十が十で百となるので、之等をみても悉くミロクの意味が含まれてゐる。

伊都能売の意味

茲で伊都能売の意味を解説してみるが、伊都能売とは数でいえば五と三である。即ち五はイヅ、火で、三はミで水であるから、カミ、神であり、又火と水、イヅとミヅであり、イヅノメ、伊都能売である。そうして火と水の密合が光であるから、文字もそうなってゐる。即ち光の文字は、火の字の真中へ横棒を一本入れてある。横棒は水であるから、実によく出来てゐる。之によってみても、文字は神が造られた事が分るであらう。処が光だけでは火と水であるから、二つの力で、今一つの力である地が加はらなければならない。といふ訳で光が肉体を透るとすると、肉体は土であるから三位一体の力が出る。浄霊も此意味を考へればよく分る筈である。

話は戻るが、曩(さき)に述べた処の、釈迦、阿弥陀は印度人種と言ったが、之は只観音との対照の為であって、根本からいへば、ヤハリ日本の神で、只霊体だけ渡られたのである。其霊とは即ち釈迦は稚姫君命であり、阿弥陀は神素盞鳴尊である。従ってそれ迄の印度に於ける大自在天を主としてゐた民族こそ、真正の印度人種である事も知らねばならない。

大仏は阿弥陀

次に面白い事をかいてみるが、観音は仏教から生れたのであるから、仏教は生みの親であり、其仏教の開祖である釈迦は、親の親といふ事になる。すると其釈迦を生んだ伊都能売神は、つまり又親で先祖といふ訳になる。そうして其神が観世音となるのだから、此点からみても仏とは神の化身である事が分るであらう。そうして釈迦は地であるから、生みの働きをするし、阿弥陀は月であり女であるから、ヤハリ観音の母といってもいい。つまり地も月も日を生む意味になるといふ訳で、宇宙の実相もそうである。又古くからの伝説にある支那の聖王母であるが、聖王母は月の神様の化身であって、其庭にある桃の木から、三千年目に一度桃の実が生り、之を貴重な宝として、天の大神様に献上するといふ事や、印度の伝説にある三千年目に転輪菩薩が生れ、其菩薩が生れるや万人は救はれ、此世は天国楽土となるといふ意味も、今度の事の予言といってもよからう。そうして右の転輪菩薩とは観音の別の御名、転輪王の事であらうし、又天理教の親様である天理王の尊も、右に関聯(かんれん)がないとは言へないと思ふのである。又阿弥陀は月光菩薩とも言はれ、観音は大日如来でもあって、つまり両尊者は月と日で、夫婦といふ意味にもなる。此事は日本の各地の仏閣によく表はれてゐつ。即ち観音の祀ってある処必ず大仏があるが、大仏は阿弥陀であるからである。そうして観音は堂宇(どうう)の中に祀られて御姿は小さく、大仏は外に鎮座されて大きいのは、観音は日本内地の仏であり、阿弥陀は外地の仏といふ訳であらう。又観世音は黄金の一寸八分の本体が本当であり、阿弥陀は渡金仏、又は金箔の木像で、大きいのをよいとされてゐるにみても、凡ては分るであらう。

(次回は『仏教に於ける大乗小乗』を掲載)

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<質疑応答>

年代に「文創」と表記している訳

Q.  『伊都能売神』の年代表記には、「文創」というように書かれていましたが、何か意味があるのでしょうか?

A.  未定稿扱いされているご論文だということです。前の教団では未定稿扱いのご論文がかなりの数存在します。実はそのことが大変問題なのでして、内容を理解できないままに今日を迎えているということです。しかし、来年はご昇天50年を迎えます。大きな節目ですので、来年の2月からご論文を広く公開してゆこうと考えています。

また、未定稿扱いの理由としては、理解困難な内容であったことに加え、種々の団体からの圧力を懸念したことも挙げられます。時代性が違いますからね。そこで、今の時期に公開を前提として文創のまま発表し、有識者の意見に耳を傾けつつ現代版の教えを草稿してゆくのです。これは以前からの計画でして、皆さん方にも折りに触れて申し上げている通りです。

例えば、言霊学について触れている部分では『いずれ時期が来たら話す』という表現が随所にありますが、まとまったご論文が見当たりません。時期は訪れなかったかに受け取れます。しかし、そんなはずはない訳でして、立教時から断片的に述べられている内容を総括していけば明らかになるのです。

明らかにしたいこと

この春から夏にかけて大分県の国東半島を中心に史跡調査を重ねました。国東半島には、磨崖仏(まがいぶつ)や石仏が点在していますが、五輪塔の宝庫とも言える土地です。数年前から五輪塔のことについて調べたいことがあったので、不思議な因縁を感じながら巡りました。

言霊学の入り口としては、古代文字(神代文字)が重要な鍵となります。この古代文字にみる日本語の母音の表記と五輪塔の意味するところに共通性を見出せます。何故だろう、と疑問を抱くかもしれません。

しかし、仏教について詳述されている教えに照らし合わせてゆけば得心できると思います。いや、この教えを学ばずして、その繋がりは理解することはできないでしょう。この数ヶ月学んだ教えから、古代文字を使用していた御方がインドへ渡来し仏教を創唱させ日本へ逆輸入させたことを理解しました。ですから、森羅万象の真相が表現されていることも頷(うなず)ける訳です。

五輪塔は、空輪(くうりん)・風輪(ふうりん)・火輪(かりん)・水輪(すいりん)・地輪(ちりん)の各部からなり、宇宙の根源を象徴的に現わしていますが、古代文字で現わされている母音の意味と共通しています。教えに『ホツマのこともいずれ話す』とありますが、冒頭で述べたように見当たりません。

ですから、今後、閉ざされていた真理を明らかにしてゆきます。

第二の開教とは

とりわけ、私に課せられた使命は余りにも大きく、神様から『第二の開教のために組織から摘み出した』と言われても茫漠たる感をもつばかりでした。しかし、時の推移とともに神秘的な体験を重ね、学ぶ機会を得てまいりました。そして、メシヤの教えの現代版を表すことこそ、課せられた『第二の開教』であると確信したのです。

今日まで教えの解説的なことは多少前の教団でなされてはきましたが、学毒に侵されてのものでした。真の意味での『教・論・律』には成り得ず、今日を迎えていました。

今後、私はその志を同じくする人々と手を携えて取り組みを進めてまいりたいと思います。

ド-ピングはオリンピックだけでなく日常生活にも・・・

Q.  アテネ・オリンピックでは、メダルラッシュに日本中が沸きました。これは日本にとって非常に明るい話題でした。しかし、ハンマ-投げでの金メダル剥奪騒動など考えさせられる内容もありました。

A.  本当に、日本の若者の素晴らしさが印象的でしたね。また、今季ほど鍛えぬかれた肉体の躍動美を感じたことはなかったように思います。やはり、ド-ピングに対する厳格な処置が目に付くとともに、専門家が「ド-ピング対策はある程度成功した」というコメントを発表したからかもしれません。

オリンピックを通して3つくらい留意しておかないといけないことがあると思います。まずはド-ピングですね。かつて、旧東側諸国ではド-ピングの巣窟のような環境下で強化トレ-ニングがなされました。数々のメダル奪取という華やかな面の裏側で、選手達は重い副作用に苦しめられたと言われます。

例えば、成人となっても子宮が子供のままだった選手や40歳を過ぎても成長し続ける選手がいるなど、どれも深刻な事例だそうです。精神的な健康被害もあるそうです。そうした報告に端を発してド-ピング対策の強化がなされたようです。

そして、その恐ろしい現実はスポ-ツ選手だけではなく、我々一般市民にも影響を与えつつあります。特にアメリカの青少年に暗い影を落としていると言われています。「彼のように逞しくなりたい」とか「彼女のように素敵な肉体美を・・」という欲望が、薬物へと向かわせているようです。

最近の日本でも、スポ-ツやダイエットという耳障りのよい言葉とともにさまざまなものが入り込んできています。筋肉増強剤などは体作りによさそうな響きを持っていますが、常用すると肉体に異変が起きたり、精神のバランスを欠いたりするなど、健康被害を引き起こすそうです。また、ダイエット商品が体の機能を破壊する事例は多いですね。

最も恐ろしいものは「健康」の名を冠するものです。サプリメントなどもそうです。これらは、いつも申しますが、緊急処置的な使用は仕方ないとしても、常用してしまうと身体の機能低下を招く恐れがあります。

考えただけでも分ると思います。私達は食べ物を食して、それを消化して身体に必要な栄養を吸収します。ところが、サプリメント、あるいは栄養剤というものを口にすると、「消化して、身体に必要な栄養を吸収する」という部分が省かれてしまいます。これは、機能の退化を招きます。

恐ろしいことです。話はド-ピングに戻りますが、今、半永久的に肉体を作り変えてしまう遺伝子ド-ピングが現実のものとなりつつあると言われています。新たな脅威です。

基本の反復の尊さ

それから、今回の日本人選手のメダルラッシュから学ぶべき点は「基本」ということです。

例えば、男子体操団体で金メダルという長年の夢を達成いたしました。低迷が続いた末の快挙で本当に喜びに沸きました。選手達のご努力に敬意を表したいと思います。ここまでたどり着くまでには、日本の体操界トップの苦悩は大変だったことでしょう。

こんな話を聞いております。「体操日本」の名を返上せざるを得なくなって、列強の国々を視察したそうです。そして判ったことは、「かつての日本がやっていたことをやっている」ということだったそうです。難易度の高いものの練習よりも、基本の反復を徹底することに重点を置くということです。そうした点に気付いた後に育てられた選手達が、この度メダルを手にしたということですね。

また、水泳の北島康介選手にも興味深いエピソ-ドがあります。ガングリオンで体調が思わしくない時期に、ハ-ドな練習ができなくて、基本的なことの繰り返しを行ったそうです。そうしましたら、復調後伸び悩んでいたタイムがグッと伸びたというのです。

私達の日常生活に、とても参考になることですね。何を申し上げたいかお判りですね。

理想世界では、闘争心は?

そして、今理想世界に向かって時代は動いていますが、理想世界とは『真善美完き恒久平和』です。人間の闘争心はどうなるか、というと、教えでは『スポ-ツに昇華される』ということです。

イラクでは、ブッシュの愚かさを露呈する形で混乱が続いておりますが、サッカ-でイラクの選手が奮闘する姿に多大な声援が寄せられていました。次代を象徴するような場面でした。

長年闘争心は戦争に傾いていました。もっとも、教えによると『戦争は、為政者の精神病によって起こる』ということですので、精神病の解決にいっそう取り組まねばなりません。