<御教え>
『文明の創造』『天国の福音書』序文 救世(メシヤ)教とは何ぞや
(文創 昭和二十七年)
本文は『文明の創造』380ページに記載されています。(『文明の創造』購入方法は「出版案内」を参照ください。)なお、『序文 救世(メシヤ)教とは何ぞや』は平成28年1月に拝読し学び合う御論文です。 続きを読む
<御教え>
経と緯
(1952年文創のまま)
東洋は経であるから霊的、精神的であるに対して、西洋は緯で体的、物質的
凡(およ)そ天地の真理を知る上に於て、経と緯の意味を知る事が最も肝要である。此(この)事は今迄にも幾度となく説いて来たが、尚一層詳しく徹底的にかいてみよう。それに就ては先づ根本的認識である。それは私が常にいふ日は火で、火は経に燃ゆるものであり、月は其反対に水で緯に流動するものである。従って日の本質は高さであり、月の本質は広さである。此理によって今地球を説明してみると、地上の空界は水素が緯に流動してをり、火素は経に上下を貫いてゐる。つまり経緯の精が綾のやうになってをり、布地の如きものである。而(しか)もそれが想像を絶する程の密度であって、此事実として卑近な例ではあるが、人間が横臥iおうが)すれば寒いのは、水の精によるからであり、起きて経になれば暖かいのは、経に昇降してゐる火の精によるからである。又火は霊的、精神的、陽であり、水は体的、物質的、陰である。此理は世界の東西文化をみてもよく判る。東洋は経であるから霊的、精神的であるに対して、西洋は緯で体的、物質的であるから、今日の如き科学文化が発達したのである。宗教に於ても仏教は経であるから、経文といって経の字を用ひてをり、祖先を崇拝し、子孫を重視すると共に、孤立的であるに反し、キリスト教は祖先を祀らず、夫婦愛を基調とし、隣人愛を本業とし、どこ迄も国際的緯の拡がりである。
メシヤ降誕祭・挨拶(要旨)
12月23日から新年というのが本来の姿
メシヤ降誕祭おめでとうございます。
本日23日は、「一陽来復」と称しまして大変目出度い日であることはご承知の通りです。ものの本に、‘月日を数えることを暦と言い、月日を知る人を聖と言う’とあります。随分前の話でしょうが、現代のような暦が登場する前は日時計のようなものを使用していたと思われますので、やはり今日のこの日を「陰が極まって陽に転じた日」としてお祝いしていたことが想像できます。そして、この日を年が改まる日と規定することは自然なことだったでしょう。