メシヤ教にふれて(上)

名古屋市 M.M(元他教団所属)

私は、前回までのメ-ル交換(メシヤ講座・特選集no.53-57参照)の主です。

メシヤ教にふれて、というより楳木先生に出会って、教祖本来の御教えにふれる機会を得た、というのが正直な想いです。今回から3回にわたって私の信仰経歴をご報告申し上げます。

 

これまでの経緯

私は現在32歳です。21歳の時に浄霊に出会いました。特に何らかの病気があったわけではありません。ある人を隣に乗せて不思議な体験をしたことがきっかけになりました。

当時の私は日頃の疲れが抜けにくいこと、中学生の頃から不快感を自覚している強い首肩の凝り、排尿の具合の悪さ、そして怒りやすいという自覚症状がありました。また、1~2時間も運転すると首肩の凝りが激しくなり、イライラと疲労感で運転を交代するのが常でした。

ところが、この人と出かけた日は、約7時間連続の運転をするも大した疲れを感じません。かえって身体に活力を感じ、休息も無く運転を交代することも無く午前4時頃自宅に帰り着きました。それからまだ友人達の集まりに出かける元気があり、帰宅して就寝したのは午前7時頃だったでしょうか。

この日は体調に不思議な変化を感じた一日になりました。「今日は強いエネルギ-を受けてきたから、その余波で近くにいるあなたも元気なのかもしれない」と言われたことが心に残り、後日詳しく話を聞く機会を持ち、関心を強く持ち、先生と言われる方にお会いすることになりました。

しかし、お願いをする当日まで神様の力とは聞いていなかったので、お願いに伺った際、神様が祭られていて、正直、大変に衝撃を受けました。かと言って、その場で帰るのはいかにも失礼なので、ともかくその先生から概要を伺いました。

何のためにその力(以後、浄霊と表記)が発生したのか、浄霊の影響する範囲、実際に病気から回復した例の数々、人間が病気になるまでの経緯と回復までの経過、薬剤の人体への影響の実際。聞いたことの無い話ではありましたが、内容に筋が通っていると感じられ、又、実際に結果を積み重ねている話に好感を覚え、神様という言葉に戸惑いを感じながらも、浄霊についてお聞きした内容が正しければ多くの人に裨益するものになる、しっかりと内容の実地確認をする価値があると思いました。

と同時に確認作業をしてお聞きした内容と違っていたらすぐ辞めようとも思っていたのです。そんな中で、自分でも浄霊できるようしていただきました。その夜、知人に早速浄霊を取り次ぎ、翌日は別の人に浄霊を取り次ぎ、この時点で何らかの変化があったことを二人から聞きました。

それから3日間は、自分の身体を自己浄霊することと浄霊についての解説が書かれた本との対比に明け暮れました。解説は浄霊の原理だけでなく、多くの実地に基づき、その結果を書かれていたので興味が尽きませんでした。

実際に自己浄霊してみると、身体のあちこちにある固まりは少しずつ小さくなっていく、硬いところは柔らかくなっていく。柔らかくなったり小さくなるスピードが場所によって違う。固まりの大きさや硬さによって変化に違いがあることも知りました。

延々と確認作業に明け暮れ、3日後には私の身体も他の人の身体も人間という括りではそう変わりはないはずだ、きっと他の人にしても同じような変化が起きるのだろう。そんな確信が得られました。

私は、所用を済ませた後実地検証に本腰を入れました。知人や家族に話すのは大変勇気のいることでしたが、薬害について、浄化(排毒)作用と病気についての正しい理解は多くの人が自分で身を守ることになる、実際に受ければ結果が出るのだからきっとわかるはずだ、ほとんど勢いで、拙い説明をしながら随分たくさんの人に浄霊を取り次ぎ、実地検証を重ねました。

大きな変化が起きても何の関心も寄せない人、小さな変化を感じとって自ら確認作業に取り組まれる人、やさしい人、冷たい人、世の中には色んな人がいることを痛感しました。

知るのと実感するのは大きな違いがあります。延べ何百人に浄霊を取り次いだか忘れてしまいましたが、この時期の行動、経験から与えられた覚り、実地検証を重ねたことによる確信によって今の私は育てられたと思います。

そうして、自らの中に少しずつ蓄積されていく悩みの原因に気がつくまでは、病に悩む人の力になり、多用な日々を送りながら、少しは社会に役立っているだろうかと自分の人生に何とはなくの有意義さを感じ、充実した日々を過ごすことができたのです。

 

[御蔭話(御神業の変遷)メシヤ講座・特選集no.58 2005(平成17)年11月]

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