信仰の根幹は因縁使命の自覚

釧路市 小玉ハツ子(元世界救世教主之光教団所属)

 

私は、メシヤ教にご縁をいただいて、深遠なる因縁使命を実感させていただいております。

楳木先生とはメシヤ教発足の前年に、前の教団の信者さんからの紹介でご指導いただくことになりました。そして、メシヤ教として独自の活動をされることを知り、東京で執り行われた御神体御奉斎式に参列させていただきました。

そのときの感動は忘れることはありません。燦然と輝く御光を目の当たりにすることが許されたと同時に、数々の不思議な体験をすることができたからです。中でも、神様から知らされた内容です。前の教団の上層部の腐敗ぶりと教えの実行力の弱さには神様と言えども失望し、だからこそ、次の御神業を楳木先生に託す、という内容です。私は、身の引き締まる思いが致しました。

しかも、前の教団で一緒だった菅原富江さんに話す機会があり、上京する旨を伝えました。すると、私の上京中に菅原さんは夢を見たそうです。

私が帰宅し、御神体御奉斎式について「素晴らしいの一言に尽きます」と伝えると、菅原さんは「夢の中と同じだ」と言うのです。ビックリ致しました。菅原さんは前の教団でのお世話役の言動に失望し教団を離れていたのでしたが、実は前以上に神様を求めていたのでした。

私は、すぐさま御神体を申し込み、メシヤ教で進むことを決めました。

 

力強い仲間に支えられて

我が家で御神体御奉斎が許されてから、菅原さんの御奉斎が許され、菅原さんの知り合いの鎌田リヨさんが許されました。

鎌田さんは、菅原さんと同じ理由で前の教団に距離を置いていましたが、楳木先生の「信仰読本」に触れる中で、これが本当の道だと感じたそうです。そして、その活動を支えていこう、と決心されました。

鎌田さんは90歳を越えられていますが、矍鑠(かくしゃく)として御神業に臨まれています。私邸で釧路地区の祭典を執り行う場合は真冬でも和服姿で参拝されます。いい姿だなあ、と感じます。

こうした信仰心の篤い人たちに囲まれて信仰させていただき不思議に思うことがあります。それは、私を楳木先生へ紹介してくれた人は、長年楳木先生に一方ならぬお世話になっていたにもかかわらず、メシヤ教につながっていません。しかし、その方がメシヤ教につながった場合は、おそらく菅原さんも鎌田さんもつながってこなかったでしょう。

そのことを楳木先生に質問したことがあります。その時のお答えは、「信仰読本」45ペ-ジに引用されている御教えでした。『いよいよの時、初めて諸々(もろもろ)、浄まった者それぞれに因縁通りに諸々の御用を申しつける』という神様のお言葉です。

その深い意味を説明してくださり、「神様から許された者が、まず集められたのです」と教えてくださいました。

また、「たとえ許されても、心得違いをしてしまえば継続して許されることがなくなるので、許されたことに感謝し弛(たゆ)まぬ向上を心掛けていくことが大切です」とも教えてくださいました。

 

清浄さを保つ役割

そして、「日本人にとって大切な『鬼門』の根元地は芦別岳であり、その芦別岳の更に鬼門の方角が釧路である。それだけに釧路の地は大変重要な意味を持っている。そのため、土地の清浄さを保つ取り組みのできる人が選ばれたのです。だから、許される人と許されない人があるのです」という、節分祭に関連する有り難いお話を付け加えてくださいました。

私はこの有り難い話を伺って、因縁使命を強く自覚して御神業に臨ませていただこうと考えました。そして、その心を揺るがすことなく地道な取り組みを積み重ねてまいりたいと心得ました。また、節分祭ごとに身の引き締まる思いで祭典に臨ませていただいております。

それまで先生と非常に親しくしていた人が離れて、新参の者が太いつながりをみるとは、不思議の一語に尽きると思います。御経綸の不思議さ、素晴らしさであり、魅力でもあります。

その後私の身内の者をはじめ、友人知人へと少しずつですが新しい仲間が増えております。有り難いことだと感謝致しております。更に浄霊力を身につける人が増え、御光に包まれた生活が共にできることを願っています。

また、驚かされるのは、信仰に無関心な主人が楳木先生を受け入れていることです。先生が飛行機やJRでみえる時など率先して送迎してくれるのです。私は、主人が先生と社会情勢や生活一般について色々と話し合っている姿を見て、本当に有り難いことだなあと感謝致します。

ありがとうございました。

 

[御蔭話(御神業の変遷)メシヤ講座・特選集no.36 2004(平成16)年1 月]

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