メシヤ講座no.188本部(平成28年10月)

<今月の御教え>

『「仏滅と五六七の世」文明の創造』(昭和二十七年)

本文は『天国の福音書続篇(一)神観 主神様とメシヤ様』38 ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 本部】

 

「『仏滅と五六七の世』文明の創造」を拝読して

楳木代表

それでは先月お願いさせて頂きましたように、今月は玖珠出張所の責任者から「覚り」に付いての報告をお願いします。

 

玖珠出張所責任者

これは難しいことですが、やはり仏教の言われる仏滅の世界とか仏教が唱えて来たことは、例えば私共がお寺にお参りした時にそういう御話は聞いて来たので、人間としてそれは当り前の事だろうと思いながらやってきたのですが、こうした『仏滅が来る。』というメシヤ様の御教えを拝読してみますと“私共の生き方をもう少し変えて行かなくてはならないな”と思いながらこうして年を取って来たのですが、もう一つ知っていて貰いたいという事があり、今取り組みをさせて頂いているところなのですが、ある所で非常な難問題に行き当たりまして、そして、私共でも良く分からないけれども今までお取り次ぎをさせて頂いた中で感じて来た事がそのまま行きそうな気がしていたのが“今は、そのテンポが速い”という事に気が付き色々な事柄に出会った時に“うっかりしていられないな”と思う時があります。

それから、最近御浄霊に行かせて頂いた所は、その家の御先祖が色々な宗教をされて人助けをされていたらしいのですが、今その家の人は認知症のような状態になられていて、その人の友達が言われるには「その人は立派な方なので御取り次ぎに行って貰いたい。」という事で行かせて頂いた時の事なのですが、非常に立派なお家に住まわれていて家族構成も良いし立派な方なのですが、やはり苦しまれているのですね。その病気で苦しまれている様子を見た時に、“本当に私共は救われて行っている”という事を考えてみますと、相手が可哀そうなのです。メシヤ様の『医学革命』という教えの中にありますが、立派な方達なのですが薬漬けなのです。皆さん薬を飲まれているのです。そしてよく見せて頂いたら私達の想像が及ばないような認知症の薬を飲まれているので「これは飲まない方が良いですよ。少しずつ減らしていった方が良いですよ。」と伝えて帰って来ました。

それから“どうして、そのような状態になってしまったのか”と、理由が分からなかったので代表に質問させて頂きました。代表は「ズーッと以前から続けて信仰されて来た事もあられたようですし、又その家の御先祖が徳を積まれた御先祖であって、その徳を積まれて来られたことを子孫が忘れることがあって、そのような状態になっているのではないか。」と御指導下さり、私もそのように思いながら今取り組ませて頂いているところなのですが、その方が非常に明るくなったと思うのです。その方が突然「大変お世話になりました。」ということで御礼を持って来られました。だから思いますに“その事が落ち着いて来られたのか、それともメシヤ様の御光がそこに注がれて受け継がれて来ているのだろうか。”と考えています。このことは非常に長い取り組みの中に解決を頂くことだと思います。こうした教えの中で本当に五十六億七千万年という、昔から続いて来たものを感じるという事は中々難しく感じます。今現在、現当利益という事を私共が頂いてみますと、これは本当に続いて来た事だ、私共は明日の事を考えようとしても分からないし、これから一時間後のことを考えようとしても分からない中で、やはり五十六億七千万年という歳月を受けて来ているという事をつくづく感じているところです。これが今日の御教えで感じたことです。以上で終わります。

 

楳木代表

いまのは五十六億七千万年続いて来たのではなくて「五十六億七千万年後に仏滅が来る。」というのは「お釈迦様の例えだ。」とここには書いてありますので「五、六、七」が分かれば良いですので、それだけ確認しておきたいと思います。それでは熊本・光の森出張所お願いします。

 

熊本・光の森出張所責任者

この御論文を読んで一番強く感じた事は、“ああ、メシヤ様に繋がることが出来て本当に良かった”ということです。振り返ってみると、私は沢山の方々との不思議な御縁のお蔭で平成19年にメシヤ教に出会う事が出来、今があります。そしてメシヤ講座のお蔭でメシヤ様の御教えの内容を寄り深く理解出来るようになりました。何より、この度の「覚りの旅」のお蔭で取り込み方が足りなかったと思われる事柄を一つ一つ御教えに返し、この一月を過ごす事が出来ました。
物資文化が発展した現在でも、この御論文の内容のように苦しみから逃れられず「諦める事」しか出来ない方々が大勢いらっしゃる中、私は何か問題が起きても、先ずは御教えに返して考えてみたり諸先輩方にご相談したり、楳木代表に御指導を頂く事で、“「諦める事」をせず諸問題を乗り越える事が出来ているとなあ”と自覚しました。こんな素晴らしい御縁を頂けた事に、心より感謝しています。
それから、先月の『覚り』でご報告させて頂いた『他力』と『大乗愛』に付いては現在進行形で学んでいるところです。特に『他力』に関しては何処まで自力を出せば良いのか、などを事象と照らし合わせて考えさせられています。考えている中で『程とは』という御論文が浮かんで来ました。

【『「程とは」栄光116号』(昭和26(1951)年8月8日発行)】

『私は以前某所で、山岡鉄舟先生筆の額を観て感心した事がある、それは最初に程という字が大きくかいてあり、その次に小さく“人間万事この一字にあり”とあった、これは今もって忘れられない程私の心に滲(し)みついている、というのは、私は今日まで何十年の間、何かにつけてこの額の字を思い出し、非常に役に立っているのである。
昔からよい格言も随分あるが、これほど感銘に値いする文字はないようだ、たった一字の意味であるが、何と素晴しい力ではないかと思う、従ってこの程の字を標準にして、世の中の色々な事をみると、何にでも実によく当はまる、たとえて言えばやり方が足りないとか、やりすぎるとかいう事や、右に偏ったり、左に偏ったりする思想、金があると威張り、ないと萎びたりするというように、どうも片寄りたがる、多くの場合それが失敗の原因になるようだ、彼の論語に中庸を得よとの戒めもそれであろう、昔から程々にせよとか、程がいいとか、程を守れという言葉もそれであって、つまり分相応の意味でもある。
これについて、信仰的に解釈してみると、いつもいう通り、本教は経と緯、すなわち小乗と大乗を結べばその真ン中が伊都能売の働きとなるというので、これも詮じ詰めれば程の意味である、従って人間は第一に程を守る事で、程さえ守っていれば、すべてはスラスラとうまく行くに決っている、嗚呼程なるかな、程なるかなである。』

この御論文にやり過ぎて失敗した経験を返し反省し、今浄化で苦しまれている方を、どうサポートして差し上げ、何処から神様にお任せし伊都能売の働きになるようにすれば良いのか・・・、などを考えさせられています。日々「覚る、自覚する。」を心の中で反復する中『観音講座』が繋がって来ました。そして、その御論文を少しずつ読んで頭を整理し始めたら、今度は『天津祝詞』が大変気になり出し始め、再度祝詞に書かれている言葉の意味を勉強し、祝詞の優れた言霊を思い浮かべながら『天津祝詞』を奏上させて頂いています。このような感じで先月からの日々を過ごさせて頂きました。以上です。

 

楳木代表

はい、有難うございました。

今のような話を今度は自分に返して頂いて“自分としてはどういう事を受け止め、これから何を課題にして取り組もうか”ということを考えて頂ければ有難いと思います。

 

「覚り」の報告を自分の事として受け止める

楳木代表

メシヤ教としては地上天国祭から先月まで「覚りを啓く」取り組みを積み重ねて来て、先月は「継続して8月から9月、9月から10月というふうに繋がって行くような取りくみをして頂きたい。」ということを、こちらの説明不足をお詫びしながら全国で話をして来ました。それはどういうことかと言いますと、得てしてこの御論文の説明だけで終わってしまい、聞かれている人達は支部長又は支部長代理、責任者の報告を自分の事として受け止めず人ごとのように聞かれているところがあるので、そうしたことから「自分の方に落として考えていくことが出来るようにして頂きたい。」ということをお願いした訳です。

 

「覚り」を啓いていく為の浄化 

楳木代表

それから神界の方からは

『覚りを啓いて行く為の一つは、魂を清らかに保たなければいけないので、浄化が当然起きて来る。』

と。この浄化は体に起きる浄化と日常生活で起きる浄化作用というものが有ります。体の方は汚いものを出さなくてはならないのですが、日常生活の中で起きて来る浄化というのは三千年間の『夜の時代』の積み重ねの中で起きて来るものなので、『夜の時代』に重ねて来た精神の癖というものがあり、この精神の癖をなんとかして『昼の世界』に変えて行くように取り組むということが実は問題に向かって取り組むということなのです。だから問題が起こった時に「この問題を何とか解決しなければならない。」ということだけを考えて行くと『夜の癖』で解決して行こうとするので『昼の世界』の魂にはなれないところがあります。これが起きて来る原因は何かというと「『夜の時代』の癖で起きて来るので、その起きて来た事を見つめてどう改善して行くか、ということを考えなければならない。」ということで先月は「本守護霊と正守護霊と副守護霊」の関係を説いて頂いた訳です。

 

「神性を蘇らせ、魂を輝かせる」ことが出来るような日々の生活

楳木代表

 「本守護霊」は本来神様の分け御霊なので『良心そのもの』であるし、『神性そのもの』であると仰っています。『神性』を輝き続けていないと肉体に入っている「副守護霊」が跋扈して来ますので、それが良からぬ事、例えば和を乱したり難問を起こしたりするような言動をしてしまう。それが先月の御教えの中の「注意して行かなければならないことなのだ。」ということで、丁度9月は33ページの7行目に『第一に宿った魂こそ本守護霊と言ひ、神性そのものであり、之こそ良心でもある。』ということですので、私達の日々の生活はこの神性を蘇らせないと魂は輝いていかないということになります。

それから35ページの8行目に『本来魂なるものは一種の発光体であって、』ということですので、魂というものは本来発光体なので、この発光体の輝きをさらに増すということが私達にとって大事なことです。そして、その為に浄化を頂くわけなので、「浄化を頂いたことに対しては真正面から取り組んで、『夜の時代』の魂の癖がどこにあるのか。」ということを見つめながら取り組んで行きたいと思います。そういうきっかけとして、○○家はいつお店をオープンされるのですか。

 

受講者

正式なオープンは7日金曜日で、プレオープンが5日、6日です。

 

楳木代表

あ~、『五六七』としていくわけですね。

 

受講者

あっ、そうですね(笑い)。ぜんぜん気が付きませんでした。

 

楳木代表

『五六七』としてオープンしていくのであれば、本日拝読した御教えがピッタリ合うので、このピッタリ合うような店にしていかないといけないので、『夜の時代』の癖を取り除いて『昼の世界』に変えていくためはメシヤ様を見習うしかない訳です。メシヤ様が光琳堂という小間物屋をされていた時に心掛けられたことを憶えていますか。

 

受講者

あっ、三分の一で始めるということですか。

 

楳木代表

それはお金の問題です(笑い)。店主として心がけたことは・・・。

 

受講者

掃除ですか。

 

楳木代表

はい、掃除です。メシヤ様は『私はだれよりも早く店に出て掃除をすることに徹底したのである。』と仰っていて、お店の掃除と表の道路の掃除をすることを心掛けられたということですので、『昼の時代』をリードされる教祖様が実業家時代にスタートされたお店で心掛けられたことがそれなのだ、と。ですから、折角五日から始められるということなので、そういうことを目指して生活して下さることによって、より良いお店を開くということに繋がって行くのではないでしょうか。そういうことを心掛けていかれ“自分の生活に落として考えていく”と・・・。“今回の御教えはそういうことなのだ”と受け止めて頂けると大変有難いと思いますので、よろしくお願いします。

 

北海道での農業事情 

楳木代表

それから、先月本部ではお話ししなかったのですが、私が全国を移動している時に「魂を汚さない為には食べ物に充分気を付けなくてはならない。」のですが、食べ物に気を付けないといけない時に・・・、今年は太陽の黒点が消えている影響をうけて、前半は太平洋高気圧が張り出していなかった為に台風が太平洋側をドンドン北上し北海道に3つ上陸し、それから東北に1つ上陸しました。

“どうして、このような動きを台風がするのか”ということを見て行くと、北海道は日本全体からすると「食糧基地」と言われています。じゃがいもは日本全体の8割が北海道で作られているし、玉葱なども多くを作られています。しかし、その作り方はどうかというと、終戦直後の食糧難を打開する為に、農業は大学の農学部を中心として農薬と化学肥料を使い量産をしようということに取り組んだ訳なのです。それで、どうにか日本人の飢えをしのげるような食糧事情にしていこうとして取り組んだのですが、その後70年経った今も同じ量産体制を続けている事が要因の一つとなり、日本人の二人に一人が癌を患う時代を迎えています。

このような食物を食べ続けて行くと三人に二人、五人に四人という感じで益々癌患者が増えていくのと同時に、癌を抑える為に薬を処方するのでその薬の影響により精神障害が非常に増えて来るということですので、心身ともに健全な人はあと数年で1割位しかいない状態になってしまうような危機的状態を日本は迎えています。しかし、農業はそのようなことに今も気付かずに経済市場主義で進んでいるので、「このことを考え直さないといけないということで起きていることだろう。」という話をしていたら、川崎出張所にさいたま市から来られている方からお聞きした話なのですが、いつもこの時期に北海道から自然農法のトウモロコシを取り寄せているのですが、“今年はあれだけの台風が来たので駄目かもしれないな”と思ったけれども一応注文を入れてみたら、そのトウモロコシ畑の周辺の畑は水浸しで根こそぎ倒れていたけれども、その農家のトウモロコシだけは倒れずに立ち続け他の畑は全滅だったらしいです。そういうことで無事に収穫出来て美味しいトウモロコシが届けられた、ということです。そのトウモロコシが届いた時に一緒に手紙が添えられていたそうです。

 

メール内容「北海道店主のコメントについて」

「9月のメシヤ講座にて、北海道に上陸した台風によって作物に大きな被害を受けたということから、代表先生より『これ以上農薬、化学肥料を使った野菜を食べて行くと、日本人が絶滅してしまうから神様がされたことである。食について見直す時が来ている』とのお話がありました。

北海道のトウモロコシを取り寄せしているのですが、北見にある店主のコメントです。『化学肥料は強制的に生育させるので根が浅い。秀さんのトウモロコシは倒れることなく成長しております、この50年の化学技術の大いなる進歩は便利、快適、効率的、機械的等有利さを生み出しましたが、その業が一気に吹き出し、天の嘆き、地の怒りとなり自然現象として現れているのでしょう。食料品の価値が大きく変わろうとしている時期が来ていると思います。』との店主のコメントが心に残りました。

日頃食については気をつけていますが、このように深く感じ取れなかったと思います。このコメントで改めて気づかされた気がしました。

信仰させて頂いている価値のある生活をさせて頂けるように努力していきたいと思います。」

自分達の生活の見直しと改善

楳木代表

それから、東京都知事の猪瀬さんが直ぐ辞められてしまい、その後舛添さんも直ぐ辞めてしまわれました。しかも舛添さんの時には口汚く批判している都議会の議場での話とか、周りが批判する内容に耳障りがして「なんか変な事ばかりが続いているな・・・。」と思い、どうしても納得が出来なかったのですが・・・。ところが、舛添さんが辞められて小池知事になられてから、都庁、都議会に纏わる腐食した都政が一挙に浮上して来ました。その象徴的なものが豊洲新市場の土壌汚染問題としてあのような事が起きているので、『主神様が悪をも使う。』と仰っておられるように色々な人に・・・、舛添さんという優秀な人間なのだけども口汚く批判させて辞めざるを得ない状態に持って行くのは、石原都知事から猪瀬、舛添と色々と表現は変わって来ているけれども、都議会のボスが企画した事を踏襲して都政を運営しているので、あのような問題が起きています。そして、今は大きな問題として病院の移転問題が浮かび上がって来ています。そうしたものを全部表面化して・・・、小池都知事という自民党のバックアップも無く都政のドンのバックアップも無い人間で、それから都民の方々の応援で当選された訳なのですが、そのような人でしか都政の改革は出来ない為に“主神様がこのような大鉈を振るわれたのではないか”と非常に感じさせて頂きました。

これから食べ物ということに付いては、土の浄化が不十分なガス工場の跡地の上に水産物や青果等を取引する場所を建てるということ事態が、この事を決定された人達の頭が狂っているとしか言いようのない状態なので、こうした事を変えて行く時期を迎えているのではないか、と思います。

私達個人でもそうですし、日本全体でもこれから浄化を頂きつつ心身共に、健康な日本人になる為の取り組みとしての現象が起きて来るというふうに受け止め、ご自分の生活をもう一度見直し改善すべき事は充分に改善して頂ければ大変有難いと思います。

今このような事を全国でも同時に話し合いをしながら進んでいるのですが、このような話をしていけばしていく程、メシヤ様が御昇天されて61年経っておりますので、そのメシヤ様と一緒に御神業を担われていた先達の方々は、後に続く者は高弟というふうな表現をして来ているのですが、しかし、その高弟の先生方が「どうして信者さん方の生活指導をきちんとされて下さらなかったのか。」ということが私の最大の疑問でした。

私の子供の頃からの○○○○教の信者さん方の信仰姿勢や生活レベルを見て行くと、取り分け今○○○の場合は「活動」、「活動」というふうに動いているのですが、実はこの『文明の創造』をアマゾンで買う時にこの本のレビューが載っているのですが、その中に数日前に新しいレビューが書き込まれていました。そのレビューは若いご婦人からのようで“○○○の活動に自分の両親は駆り立てられ家を空けるので、家の中の掃除が全く出来ていない。だから自分はそういう中で生活してきたから信仰というものは一体何かと非常に疑問を持って成長して来た・・・”という内容の事が書かれていました。そして、そういう中から、この『文明の創造』もいくつかの資料としてご自分の家の本棚には並んでいたけれども、ご両親がその資料を読んでいる様子もなく、“どうして、これが信仰なのだろうか?”と思っていたところ、メシヤ教の『文明の創造』の事をネットで知り、取り寄せられてみるとそういう事の理由が良く分かる内容が書かれていたので「特に○○○の方々には是非読んで頂きたい。」というような事が書かれていたので、私もイイネをクリックしておきました(笑い)。ですから帰られてからアマゾンを見て頂けると良いと思います。

 

人間に与えられた最大の自由

楳木代表

そういうことを読んだりしたので、実は神様に「このように自らに返し生活に落として考えて行くという取り組みを、どうして先達は信者さん方に丁寧に御世話されてこなかったのか。」というふうに畏れながらも神界に対して「もう少しきちんと御指導をして下さっていれば良かったのではないでしょうか。」と言ったところ、即座に帰ってきた御言葉がありました。

それは『それをしてしまうと強制する事になる。自然ではなくなる。』という御垂示でした。

先月拝読した34ページの4行目に『向上すれば神の如く、堕落すれば獣の如くになる。』と書かれている一文があります。それに照らしてこのことを考えて行くと、「人間に与えられている最大の自由は、向上すれば神になるけれども堕落すれば獣になる。」ということです。ですから家の掃除や片付けをしないと獣の霊界になって行くということになりますので、いらない物が溜って来るような霊界は獣の霊界なのだということです。

我が実家でも中々物を捨てたり出来なかったのですが、例えば「新しい服を一着買うと古い服を一着捨てる。」というようなことをしていかない限り、家の中は要らない物が溜るばかりで霊界的には獣の霊界になって行きますので、そういうことを改善して行く事が人間としての務めですが、人間にとってそれを選ぶのはどちらでも良いのだ・・・、と。神様に近づこうと思えば掃除や片付けをして行けば良いし、獣に近づこうと思えばそういうことを怠って行けば良いことなので・・・。

この事に付いて広島支部責任者が先月の「覚り」として報告して下さったことがあります。それは、「本守護霊の光が弱くなって来ると動物霊に支配されるから怠惰になってしまい、掃除や片付けが疎かになってしまうのでそうならないように心掛けていきたい。」ということでした。今、広島支部責任者は体的な浄化を頂きながら取り組まれているので、余計にそういうことを感じられたようです。

 

御論文を体得するには 

楳木代表

そして、実は、「本来の人間に与えられた自由はそうしたことなのだ。ということが無かった時代が『夜の時代』のこと。」なのです。『夜の時代』は主神様の御意図が少し引っ込んでいた為に悪が進んで来たので・・・。取り分け先月拝読した『悪と守護霊』というのは『文明の創造』からですが、『文明の創造』の25ページ「天国建設の順序と悪の追放」をセットで読まれた方が大変分かりやすいので『主神様とメシヤ様』を読みながら『文明の創造』のページも開きつつ照らし合わせながら読まれると学びが一層深まって来ると思います。そういうことを心掛けて頂きたいと思います。

そうしたことが本日拝読した40ページの13行目に『真如といふ文字は、真の如しとかくのであるから、真ではない訳で、此の点もよく考えなくてはならない。』ということに繋がっていく訳ですので、御論文はそのように先月から今月に繋がっていくように拝読しながら御自分で体得して頂ければ大変有難いと思います。

 

『昼の時代』の魂に変えていく為に

楳木代表

そのように積み上げていけないのが『夜の時代』の癖ですから、『夜の時代』の癖があるから先達もよく見えなかったということです。メシヤ様が『文明の創造』を御書き下さっていても、それを生活まで落として自分の生活をどう改善するか、というところまでいかないように『夜の時代』の癖がどっぷり付いていたので、先達は見えてこなかったということが正直なところらしいです。我々は今見える時代を迎えているので、見えるような生活を心掛けて行かなければならないと思います。

昔から入会する時に「霊層界」というのを学びますが、この世の中が上手く行かない理由は・・・、自分達の魂を「現魂」と言い、霊層界に所属している魂を「幽魂」と言い、この「幽魂」と「現魂」が霊線で繋がり「幽魂」が浮上すると色々な物に恵まれ、やることも総て上手く行くのですが、「幽魂」が下って来ると中々上手く行かなくなり争いも増えて来る、といったことを聞かれたかと思います。この「幽魂」が上がるか下るかは『夜の時代』の癖が極まって曇りが多いとその重さで下って来ます。しかし、曇りが少なくなると軽くなり上がって来ますので、こういう事と繋がっているということを、そういう話を神様からはっきりと『強制してはいけない。自然にそうならなければいけない。』と御垂示頂いた時に“既に御教えの中ではそう説かれているな”と感じているところです。それと同時に『自然にそうなって来るのが良いのだ。』ということですから、この御教えを拝読しながら自然に高まって行くようにさせて頂きたいと思います。

 

もう一つの御垂示

楳木代表

それからもう一つは、一日の朝大至急伝えるようにと送られて来た内容が『一人一人だけではでは無く、メシヤ教という団体自体が寄り一層清らかなものになって行かなければ渦が起きてこないし、渦が起きなければ神様から選ばれた人達が集まって来る事が出来ないから、そういう方向に導くように。』ということを強く御垂示頂いたので、これから寄り一層高まりながら皆さんのお世話に取り組ませて頂きたいと思います。

このような事を受け、“自分の生活にどのように下ろして考えていくか”という事をこの場で皆様方、ご自分に問いかけて頂きたいと思います。その点に於いて、先ず○○○コーヒーは「先程の事を課題にして行こう。」となると思います。そうすると近所でも良い評判がたち、悪い噂にならないようにする為にはその店の主の心掛けにより良い方向にも悪い方向にもなるので、そういうことを心掛けて下さると有難いと思います。

 

心身を清らかに保ち、霊性を高めて行く為には

楳木代表

それから、先月の御教えからいくと、私達の魂自体がどうしても光っていないと、同時に憑いている動物霊が跋扈し、これが問題を起こすということなので、その点気を付けて行く為には自分自身の心身を清らかにして行かなければならないのです。食べ物などは非常に分かりやすいし、薬なども又分かりやすいけれども、要は生活上使用する洗剤や身に着ける衣服の問題なども一つ一つ見つめ直して行かないと、何時も心身共に清らかなものを目指して行くという事に繋がっていかないのではないかと思います。そうすると昨日も子供がジュースを飲んでいましたが、このジュースは果して清らかかどうか、とこういうようなことを絶えずチエックしていないといけないと、そうしなければ子供の将来に掛かって来ると・・・。

それから昨日○○さんとあの御額に付いて色々と話をしましたが・・・。通称言われている「紅白梅図屏風」と言うのと、「二曲一双の尾形光琳作、紅白梅図屏風」と言うのではその物の見方が全く違って来ます。今日本語の表現は出来るだけ縮めて言う方向に変わって来ていますが、本来のものは何かという事も絶えず見つめて行くような生活をして行かないと物の見方を見誤ってしまいます。そういう事ですので、来月迄「二曲一双の尾形光琳作、紅白梅図屏風」と言えるように一カ月間口ずさんでみようと、イギリスとギリシャで育ったので日本の「二曲一双とは何か。」とお母さんに尋ね、分からない場合は色々と調べてみると日本の文化に対しより深まって来ます。そうした事を重ねて行くという事が言葉だけを憶えるのではなく、自分を高めて行く事なのだ、と、そのように繋げて下さると有難いと思います。

 

『全御論文、全御講話、全詩歌』拝読で生活を改善していく

楳木代表

それから、○○さんは帰られてからUSBメモリーを送って下さいますよね。それが届いたらデーターを入れて来月の月次祭の時にお渡し致します。(この後、書籍リーダーの求め方に付いて代表よりアドバイスがありましたが内容は割愛致します。)

玖珠出張所の責任者も書籍リーダーをお持ちでないと思いますが、用意されると『全御論文、全御講話、全詩歌』を拝読する事が出来ます。今までいくら御用をされていてもメシヤ様の御教えというのはこれ位の本の厚さ(約2万ページ)がありますが、今までの布教師はその御教えを全部手にする事が出来ませんでした。ですから、メシヤ様が真に仰りたい事を理解出来なかったが為に生活を改善する事が出来ませんでした。その生活を改善する為には御教えを全部拝読する必要がありますので、ご自分が霊界に行かれるまでに“2万ページある御教えを全部拝読して行こう”という位の気持ちで進むと、実はメシヤ様の御心と今までの布教は全く違っていた、という事が少しずつ見えて来ます。そういう事が見える為の一つの手掛かりとして、今こうして学びを進めていますので、今回学ばれた事を又11月の月次祭迄に積み上げて行き、そして、又11月にはご自分の学びが更に深まり力を頂けるような機会にして頂ければ良いのではと思います。ですから○○さん、楽しみにしていて下さい。

 

受講者

はい。

 

楳木代表

本当に素晴らしいですから。それでは、そういうことで新しい取り組みに付いては宜しいでしょうか。

それから○○さん、コーヒーの焙煎機は見ましたが、落とすときはどうされるの?

 

受講者

ハンドドリップです。

 

楳木代表

ハンドドリップですね。としたら右回りと左回りのことはご存知ですか。

 

受講者

時計回りです。

 

楳木代表

時計回りで落とす時も、左回りで落とす時も心の込め方というものがあります。時計回りで落とすと拡散するから、コーヒー豆の中に(生産者の想念)曇りが入っていたりするので右回りする時はその曇りが抜けて行くように回し、今度は飲まれる方にホットして頂けるように、あるいは悩まれているのならば悩みが快方に向かわれるように、元気になって頂くようにと左回りに思いを込めて、右回りで悪い物は出てしまうように落とし、左回りにする時にこのコーヒーを飲まれた方が元気になられるように、という思いを持って落とすと、コーヒー自体が全く変わって来ます。これは米を研ぐ時と同じですから、そういう気持ちで米を研ぐとその米が寄り美味しい米になっていきます。そういう事も御教えに沿って日々の生活の中で活かしていくと良いかたちになって行くのではと思います。

(この後○○さんに自然農法の野菜に付いてお尋ねになられましたが、内容は割愛致します。)

それでは、終わらせて頂きます。

 

受講者一同

有難うございました。

 

<来月の御教え>

『最後の審判』文明の創造」(昭和二十七年)

本文は『天国の福音書続篇(一)神観 主神様とメシヤ様』42ページに記載されています。

『最後の審判』文明の創造は平成28年11月に拝読し学び合う御論文です。

 

[メシヤ講座no.188 本部 2016(平成28)年10月2日]

この投稿へのお問合せ