メシヤ講座no.188岡山(平成28年10月)

<今月の学び>

「『仏滅と五六七の世』文明の創造」(昭和二十七年)

本文は『天国の福音書続篇(一)神観 主神様とメシヤ様』38ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 岡山支部】

 

御教えを拝読しての支部長の想い

楳木代表

皆さんと共にですね、何とか覚りを啓いていこうということで、私達は進めさせていただいておりますけれども、覚りの世界が頭の中に、先月先々月と想念の世界ではズーッと一塊が出来ているのですけれども、それを言葉に出して人に説明すると中々難しい訳ですね。そういう中で支部長始めですね、出張所の責任者が話をしますので、その話を聞きながら“自分はどうだったのか”ということを考えながら、先月先々月からの動きをですね、頭の中で思い描きながら報告をしていただく内容を聞いて下さい。そのような聞き方を是非していただきたいと思います。

それでは、一つ支部長よろしくお願いします。(笑)

 

支部長

言葉というのは非常に難しいですけれども、今回の『仏滅と五六七の世』という御教えは、これも一度メシヤ講座でいただいてはいるんですけれども、『夜の時代』と『昼の時代』の違いについて教えていただいているのではないかなぁ、ということを思わせていただきました。

それから、神様はこの地上に天国を造るために時間の掛かる物質文化を先に進められた、と・・・。そして、精神の方は一挙に引き上げられるために精神文化を次にされたんだ、ということを御教えいただいておりますけれども、その事が39ページの前から6行目にお釈迦様の教えとしてありますけれども、『物質的には已に彌勒の世となってゐるのである』というふうに、ここでメシヤ様はお説き下さっています。ということは、現代という時代を認識する必要性を御教えいただいているのではないかなぁ、というふうに思わせていただくと共にですね、この後の部分ですね、だから物質文明はそこまで行っているんだ、と。だから残る精神文化ですね、自分自身が精神を向上させていく、と・・・。そのことを自覚して進めていかなくてはいけないんだということを御教えいただいているんではないかなぁ、というふうに、ここでは思わせていただきました。

それから次のですね、40ページにいきますけれど、最初の3行ですね、

「彌勒の世」とは「五六七の世界」、「五六七世界」ということで、五と六と七の説明をいただいて、「順序正しい世界」だということで、その説明をさらに詳しくですね、御教えいただいていますけれども、この事については先月ですね、9月の三重支部の月次祭の時に、三重支部の支部長代理がですね、この五六七についてと日月土についてのですね、違いを代表の方からご指導いただいたということがありました。

そのことが実は、今日皆さんにお配りしている9月度メシヤ講座の中にですね、この中に三重支部の支部長代理の、その時のコメントを一緒に載せてありますので、これを読んでいただくと更に詳しく分るんではないかと思うのですけれども、五六七というのは経綸の働きがあるんだということと、日月土は力を授ける時の働きだということを教えていただいています。それを御教えの裏付けとしてですね、『五六七とは 火水土の順序よき 完きの世をいふにぞありける』というふうにメシヤ様には御歌で御詠みいただいてですね、御神業というものは『順序と型で進めるんだ。』というふうにおっしゃっておられます。そういった意味で経綸の働きがあるというふうに代表が指導して下さっているのではないかなぁ、ということとですね。

日月地についてはですね、日月地 三位一体の御力を 具備して出でます弥勒大神ということでですね、力を現す、また力を発揮する時の働きということで力を授ける時の働きがあるんだ、というふうに代表が指導して下さっているんではないかと思わせていただきました。

それから、我々が信仰をしている目的の一つにはですね、この『順序正しい世界』に住む資格を得ていくというためにも信仰をしているんですけれども、そういう時に以前のメシヤ講座でも学ばせていただいたですね、『道法礼節』ということがあります。そういうことを自分の身に付けて、日々人に接する時にしても神様に対する時にしてもですね、対応していかなくてはいけないのではないかなぁ、ということをここで思わせていただきました。

それからですね、41ページのところに入りますけれども、ここの3行目ですね、ここでも『昼の世界』ということと、『夜の世界』ということを、その違いについて御教えいただいているように思います。それで、我々がその、どう言いますかね、『昼の世界』に住めるような信仰をしているのかなぁ、というようなことをね、自分に問い掛けて考える必要が、こういう御教えを通してあるのではないかと思わせていただきました。

それで地上天国誌の中にですね、「夜昼の大転換を証明する仏界諸聖霊の告白」ということで、僧侶が、多賀先生に憑依して語った言葉が載っているんですけれども、その中にですね、「この度の仏滅に際しては・・・」ということで、僧侶たちが仏滅ということを意識して、声を出された中にですね、「御仏の教えと神様の教えとは大変な開きがある事を分からせていただきましたが、丁度物に例えますれば表と裏の感が致します・・・。」というふうにおっしゃっておられます。それで他の僧侶達もですね、自分達が『夜の時代』にしたことへのお詫びとメシヤ様にお使いいただきたいという思いをですね、声に出して訴えておられます。そういう事を通して『昼の世界』とはどういう世界かということをですね、もっと自分達が身に付けてですね、そして『昼の世界』に住むに当たっては、やはり身に付けなくてはいけないことを、メシヤ様はすべて御教えで我々に説いていただいていますから、そういったことを一つ一つ身に付けていけるように努めることが、信者としてメシヤ様にお応えする道ではないかなぁ、というふうに、ここで学ばせていただきました。

それから、41ページの最後のところに、『諦め』という言葉が出てきておりますけれども、このことについて次のページにですね、42ページの前から4行目になりますけれど、仏教の悟りとしてですね、『諦める事だ』というふうに、ここでメシヤ様に真髄を教えていただいていますけれども、次の行のところへ

『之が仏教の真髄であるとしたら全く夜の世界の姿をよく物語ってゐる。此意味に於て万事は昼の世界迄の運命でしかない事を、遺憾なく示されてゐる。』

というふうに書かれておられますけれども、私達が信仰を進めていく上での課題の一つとしてですね、代表からいつも「『夜の時代』に身についている癖を取っていくように。」と、ご指導いただいていますけれども、どうしても今までは『夜の時代』がズーッと続いたためにですね、我々にも実はこの『諦める』というね、そういう癖がついているんだなぁ、ということを改めて考えさせられております。そして、それを変えるということは中々難しいですけれども、つい挫折したり三日坊主で終わったりですね、中々意識しても変えていくことは出来ません。しかし、ここを乗り越えないとですね、魂を輝かせて魂を向上させるということは中々難しいというふうに思うんですね。『昼の世界』に住むのは中々難しい、と・・・。じゃあ、それをどうするのかということですけれども、そういう時に実は力を与えて下さるのが神様であり、御神体だと思うんですね、一家の、家の救いということになっていく、と・・・。そういうふうに思えば一軒でも多くの家庭に実は御神体をいただいていただければありがたいかなぁ、というふうに思うんですね。

そして、そういうことで自分の家を振り返った時には、「私の家は無理だわ。」というように、ついすぐにここにある『諦め』ということに繋がっていくんですけれども、メシヤ様はそういう時にですね、『一番肝心な事がたった一つあるんです。』ということで実は御光話録の中でですね、その姿勢について御教えいただいています。

少し読ませていただきますと、

『(前略)一番肝心な事がたった一つあるんです。それはね、どうしても発展しよう、大きくならうって強く思ふ事ですね。それが根本です。俺は駄目だ、なんて思ふ事が一番悪い。俺も人間だ、人がやれるなら俺にだって出来るっていふ気構へでね、失敗しても、笑はれても諦めないで、どうしてもやり遂げるっていふ、さういふ人が発展しますね。私自身がさうなんですよ。それを、一度転んだらもうしようとしないなんていふんぢゃ駄目です。「諦めが肝心」と言ひますがね、物によってはさうですが、物によっては「諦めないが肝心」ですよ。だから、悪い事は「諦めが肝心」、いゝ事は「諦めないが肝心」ですよ。(後略)(御光話録8号 昭和24年3月)』

というふうに短い文章ですけれども御教えいただいています。こういうふうにすることが大切なんだと思わせていただきました。そういう事を自覚してですね、時々代表も言われますけれども、「頭をガチャっと切り替えて下さい。」ということを言われますけれども、そういうように切り替えてですね、生活の中に生かしていくということと共にですね、9月のミニ講座の中でも学ばせていただきましたけれども、メシヤ様が御浄化中にも拘わらずですね、我々に対して、これからの世の中に住むためには、何事もですね、『善意に解釈しろ。』ということと共に『兎に角素直になれ。』ということを再度ですね、言われていますので、そういうことを生活の中に生かしてですね、この10月度もそういったことを課題にして生活が出来ていけば“少しは向上ということに繋がっていくのではないかなぁ“というふうに思わせていただきました。以上です。

 

支部長代理はじめ信者の感想

楳木代表

はい、ありがとうございました。それでは支部長代理の方から・・・。

 

支部長代理

支部長にここまで説明していただくと・・・「諦めが肝心、諦めないが肝心」を言おうとしていましたので無いんですけれど、結局『夜の時代』は仏教が入ってきて仏教を基に生活してきた末が、今毎日のように殺人とか事故とか、それから災害とか戦争とかというように、次々と人の命が奪われていく状況ですけど、それを毎日聞くにつけ、それだけ先月の御教えでいくと『曇りがある。』ということになるので、曇りが多い方が多いということですよね。それで土地も曇っているということになると、どうやってそれを解決していくのかと思った時に、ここにもありますけれども、これは『昼の世界』までの過程であって、今はもう『昼の時代』になった、と・・・。

先月の御教えの中に、『喜ぶべし、茲に最高神は顕現され給ふたのである。』と言われておられますので、自分達が『精神革命こそ喫緊事』ということを肝に銘じてメシヤ様の御教えを、まずは自分が分かり実行して行く、実践していく、という日々を送りながら、メシヤ様が仰って下さっている、その『一人一人の型が一国の型となる。』という御教えでいきますと、“私達一人一人に『精神革命』が出来ていけば、一国の一人一人が救われていく”というふうに解釈して、自分の使命の自覚をしていくということが大事なのではないかなぁ、と。この1ヶ月・・・この2ヶ月にいただいた御教えをトータルして考えた時には、そういうことかなぁと、1ヶ月を通して理解させていただきました。そのようにこれからも努力させていただきます。

 

楳木代表

一つよろしくお願い致します。(笑)それでは倉敷出張所の方、よろしくお願い致します。

 

倉敷出張所責任者

私の中では、本当に『昼の世界』が迫ったのではなくて、もう赫々とある、というか・・・、その中にもう私達は入らせていただいていると思うんです。それだけに火の洗礼、病気でバタバタ斃れていく・・・。霊体一致して、やっぱり霊が浄まって血を汚さない、霊が浄まらなかったら生き残れない時を迎えている訳で、それだけに理屈ではない、本当に一人一人がどうするか、今こそ本当に御教えの『最後の審判』の時を迎えている事を一人ずつが心から思った時に否が応でも、諦めたり苦の娑婆とか、そういうものではなくて、諦めは逃げるのであって、どんなことでもメシヤ様と自分との中で対話の出来る自分・・・。人じゃない・・・。死に物狂いでというと言葉がきついんですけれど、覚らせていただくしか乗り越えていけないし、世界の型として一人一人の存在が『重かつ大である。』と言われたように、何歳になろうともそれこそが今の時にメシヤ様から要望されている、『そのようになれよ・・・。』と、そうしなかったら次の時に、今の時に使えない、だから一人一人がお世話をしたりされたり、そういう時代じゃなくて、一人一人が本当に自立して出張所の責任者であり代表であり・・・、そこまでいかないともう型としてお使いいただけないと思うんです。

ですから、それこそ『夜の癖』、やっぱり諦めて、どういうかな、暗いとこというか、憂鬱な気分でそこに閉じこもることが“気持ちがいい”というようなものが身についていることがいっぱいあって、中々明るくなれない。それには曇りが多いからでしょう、やっぱりね。だからこの前、○谷さんがね、友達に会っていつものようにちょっと世間話をして、それでグルリと廻って帰ってきたら、またその人と会って、その時言った言葉がね、今迄の○谷さんではない言葉を言われたんで、ちょっと聞いて下さい。

 

受講者

私も、どちらかというと神様のことは縁の人に伝えにくいというかね、要らん事はしゃべるけど、神様のことはちょっとなー、こう言ったらどう思われるか、ということがあったんですけれど、先日パート時代の知人に会って、最初の段階では『夜の世界』なので通り一遍の話をして別れたんです。それで買い物をし、忘れたものがあったのでその場所へ行くとその人と会ったのですが、特に何も言う気はなかったのですけど、ちょっとこれを伝えようと言ったのがね、「毎日楽しいなぁ。」、「毎日わくわくする。」と、その人にそう言ったんです。その人は真○の人なんですけど、最初に会った時に頬が落ちて痩せててかわいそうに第一印象思ったんです。私がメシヤ教に入っているのも知っていますし、相手は教えを完璧に知っていますので相手に対して激励するというか、そういう意味で言わせてもらいました。

 

倉敷出張所責任者

そういうことを言わない人ですから・・・。世間話で終わるんですけど、そういうことが言えたという事が本人は相当吃驚したようで、何回も言われました。それからもう一つ、この度三重支部のすばらしい御神前で、支部長代理のお話もこの度しっかりと読ませていただきましたけど、本当にどんどんメシヤ教がミクラタナの神様からの御垂示の通り、凄い・・・、人間では考えられないような拡大を許されていく中で、あの時「元伊勢に行きます。」と言ったら、代表は「外宮に先に行きなさい。」とおっしゃったでしょう、言われた通り行ったら神主さんのお母さんが受付しておられて・・・。それでは、○さんどうぞ。(笑)

 

受講者B

丁度行った時に、社務所から老人車を押して腰を屈めて出て来られてたんで、声を掛けさせていただいて話をすると、「これがなければ全然動けない。」と言われたんで、「それは大変ですね。」と身体を抱いてさしあげて、「ここに熱があるねぇ。」、「ここが悪いね。」と言うと、「そうなんだ・・・。」ということで、それならすぐ治るんですよ、と・・・「自分で『メシヤ様』と言って自分でこう浄霊といって・・・、手を翳させて痛い時に手を当てたりするでしょう、それと同じだからそうすると治るんですよ。」というふうなことをお話したんです。

そうしたら「あなたの言う通り、悪いところがピッタリ当たっている。」というんで、「お参りして降りてくるまでに住所やお名前を書いていて下さいね。」と言っていたらそうしてくれたので、「本を送りますから・・・。」と別れたんですけれども、車で帰っている途中に「ありがとうございます。」というお礼の電話が出張所責任者にあって、その時いろいろとお話が進んだので、“それなら、もう一回行かせていただこう”ということで行ったんですけど、その時は身体がシャキッとしていて若返って明るいんです、顔元が・・・。

私は誰にでもお話させていただくんですけれども、「あんたはさっきの方を知っているんか?」というんですけど、「さっき会ったばかりの方よ。」と言うと、「初めて会った人でも何年来の友達のように話をする。」と言うんですけど・・・。構えないんです。すぐそこに入って行ってそこに何の考えも無いんですから・・・。『偶然は一つもない。』と言われているので、メシヤ様はこういうご縁を紡がせて下さったのかなぁと、思いました。

 

楳木代表

はい、ありがとうございました。

 

倉敷出張所責任者

それからもう一ついいですか、大変な転機が来ていると思うんです。神様のお許しがあって先祖が連れてくる、あれ、ズーッと入信の時からあるんですけれどね。やっとお許しいただいたかなぁ、と・・・。人とのこの・・・。私は多分、人との絆を絶ったな、ということを人生の中で、だから肉親に縁が薄いんですけど・・・。だから、人との絆を紡いでいく時をやっと私なりにお許しいただいて、“メシヤ様との御縁をいただかなかったら、こんな喜びは無いだろうな”と思うようなことを、この度は元伊勢でも、これは神様との出会いだな、ということを、今の人以外に・・・、なぜ元伊勢の外宮に先に行かせて頂いたのか、ということを行った人は感動を持って帰らせていただきました。

 

現在の社会の様を通して学ぶ主神様の御意図

楳木代表

はい、ありがとうございました。どうしても報告したいという人があれば言っていただきたいと思いますけれども・・・。

それではですね、私の方からお取り次ぎさせていただきます。先月岡山支部の月次祭を終えて、そしてズーッと東に向かって月次祭をさせていただきながらメシヤ講座をさせていただいていたのですけれども、ちょうど御用を担わしていただく時にはですね、私達の魂自体が更に浄まっていかなければいけないので、ご浄化をいただいている人が非常に増えております。

やはり浄まるためには、体の中に汚いものがあれば、肉体的には浄化を許されていかないとですね、美しくなっていかないので・・・。それと同時に自分の体を汚すものは出来るだけ自分の体に入れていかないようにという、そういうお願いをしている時に、川崎出張所で・・・、北海道の方へ今年は3つ台風が上陸して大きな被害をもたらしたので、これはやはり主神様が日本人に対して、そろそろ食事のあり方とか、農産物のあり方ということを考え直さないといけない、という、「強い御意図の下にこういうことが起きているのではないか・・・。」ということをお話しましたら、ちょうどさいたま市から川崎出張所へ参拝に来ている人が、いつも北海道の北見からですね、自然農法のトウモロコシを取り寄せているのだけれども、今年はこれだけ水害でやられたので“ひょっとすると駄目かもしれない”と思ったそうですが、一応注文を入れたら、立派なすばらしいトウモロコシが届いたらしいのです。そして、その中に手紙が入っていてですね・・・。(メールを添付します。)

 

メール内容「北海道店主のコメントについて」

「9月のメシヤ講座にて、北海道に上陸した台風によって作物に大きな被害を受けたということから、代表先生より『これ以上農薬、化学肥料を使った野菜を食べて行くと、日本人が絶滅してしまうから神様がされたことである。食について見直す時が来ている』とのお話がありました。

北海道のトウモロコシを取り寄せしているのですが、北見にある店主のコメントです。『化学肥料は強制的に生育させるので根が浅い。秀さんのトウモロコシは倒れることなく成長しております、この50年の化学技術の大いなる進歩は便利、快適、効率的、機械的等有利さを生み出しましたが、その業が一気に吹き出し、天の嘆き、地の怒りとなり自然現象として現れているのでしょう。食料品の価値が大きく変わろうとしている時期が来ていると思います。』との店主のコメントが心に残りました。

日頃食については気をつけていますが、このように深く感じ取れなかったと思います。このコメントで改めて気づかされた気がしました。

信仰させて頂いている価値のある生活をさせて頂けるように努力していきたいと思います。」

今の、豊洲市場の移転問題も同じですね・・・。私はもうどうしても、舛添さんという人は、東大の助教授をやっている時にですね、東大改革に立ち上がった一人ですので、非常に素晴らしい人間だと思っていたのですね。東大はその時西部邁(すすむ)という人を中心にしてですね、教授と助教授が東大改革に立ち上がって、そして東大が何とか世界のトップレベルを維持できるような大学に改革していこうとやったんですけれども、古い体質の人がみんな追い出しにかかって、その時退官した人なんです。だから今ランクが二十何位くらいに落ちているでしょう。その時の未改革と関連していると思われます。

そういう改革をするような人間なので、都知事になったらきっといい仕事をしてくれると思ったのですけれども、あれだけ汚い(笑)、嫌な形で辞めざるを得なかったのも、“どうしてこんなことが起きるのかなぁ”と思っていたのですけれども、やはり主神様の御意図はですね、『日本人の食生活を見直せ。』と・・・。その、農産物にしろ、魚介類にしろ、ですね、そういうものを取り扱う所の下の土壌汚染をですね、曖昧な形にして、その上に市場を作るとは、その都政たるや何たる事だということであります。そんな人達が行政を預かり、またそれを監視し、新たな取り組みをする議会が庶民の事を考えずにですね、利権に追われてそういうことをやっているということに目覚めて、本当に心身共に健康な日本人になるように、“考えを改めさせるようになさったのだなぁ”というのをつくづく感じさせていただきました。

 

強制しては『昼の世界』は建設されない

楳木代表

それと同時にですね、メシヤ様がこれだけ素晴らしい御教えを説いて下さっているのに、何で先達というのは、もっとそれを信者さん方に取り次いで、そして信者さん方の生活の中に教えというのを実践できるようにお取り次ぎをして、そして皆が幸せになっていくように“細かい世話をしてくれなかったのかなぁ”という、そういう思いが込み上げてくる訳ですね。今でも皆さん方に「覚りを共に啓きましょう。」と言っても、もの凄く難しく感じますよね。

それから、「信仰というものを生活の中で生かしていきましょう。」という話をしても、今になって“何故こういうことをしないといけないか”というと、60年前に、まだメシヤ様が御在世中の先達の方々が、もっと噛み砕いて信者さん方にその御教えを手渡して、そして「日常生活の中でこういうことに心がけていきましょう。」というお世話をしてくれていたら、“もっと出来たはずなのになぁ”と私はもうツイツイ神様に不満をぶつけたのですよね、実は・・・。皆さん方に「覚りを啓け。」と言いながら、私は神様にちょっと文句を言った訳です。60年間、これだけメシヤ様の御教えがあるに拘わらず、“もうちょっと神界から先達にメッセージを送ってくれていれば良かったのに・・・”と思ったらですね、即座に答えが来ました。

こういうことは、神界から先達に言うと、神界からの『強制になってしまう。』と・・・。この強制しては絶対に上手くいかない、と・・・。しかし、先達は強制しましたよね。MOAも特に強制しているでしょう。献金、献金とか、療院のためとかということでね。しかし、○さんの今のですね、探査をすることによってその人との会話が成り立ったわけなので、その点はMOAの素晴らしいところは素晴らしいところとしてある訳なのですけれども、しかし組織の運営上ですね、多少強制的なものがある、これが神様の進められることと人間が進めることの不一致点ではある訳ですね。

で、『昼の世界』を造る時に強制をしては、昼の世界は建設されないのだ、と。だから先達には言わなかったのだ、と。そういう指示はしなかったのだ、と。

そして、自然の流れで皆が御教えを自分の生活の中に取り入れて、生活がより良いものになっていくようになるのが、『これが神の御意図なのだ。』と御垂示をいただきました。それで私も“仕舞ったなぁ”と、“そういうことを言わなきゃ良かった”と思ったのですけれども、しょうがない。これは、私のまだ未熟なところなので、神様に対して時々反発したくなるところがあるものですから・・・。

 

我々には選択する自由を与えられている

楳木代表

そうするとですね、皆さん方が入信する時にですね、教修の中で「霊層界」の話を受けたことがあると思います。霊層界の中にはですね、魂というのが在籍し・・・。我々の体の中には「現魂」という魂があって、霊界には「幽魂」という魂があって、それが霊線で繋がっていて、この「幽魂」の霊籍が向上すれば、その人の生活は非常に幸せに恵まれていくけれども、この「幽魂」が下降すると悲喜こもごもの生活になる・・・、という教修を受けたと思います。

この「幽魂」というのはどうすれば上るかというと・・・、霊の曇りが重さとなって下降して、霊の曇りが取れると「幽魂」は上昇するのだ、という話を聞かれていると思うのですけど、その場合ですね、魂が天国に行きたいと思えば自分で神様の方向へ目指していけばいい訳なので、そして曇ってくればさっき支部長代理の方から話があったように、動物霊にやられてですね、変なことに、獣のようなことになってくる訳なのです。しかし、それも神様が人間に与えた『最大の自由だ。』と言われている訳なので、これが本来の自由な訳なので、『向上すれば神となり、堕落すれば獣となる・・・。』これが人間に与えられた最大の自由なので、ズーッと我々はその自由の中で生きてきたということです。

そして、メシヤ様が御教えを垂れていただいているので、それを採用するかしないかも、これもまた自由なのだ・・・、と。これが先達の方々がまだ神性がはっきり目覚めてなかったために、御教えを取り入れてそれを信者さんの生活の中で実践していただくような、そういう細かい指導が出来なかった最大の理由だったのだ、ということが、今回私の腹に落ちたところであります。

 

霊界の動きと今後の対応

楳木代表

それにしても、先達は高弟といわれていたので、高弟にしてはやり方が・・・、というふうに、私も不満を持ってしまったら、今度は先達が霊界に行って、メシヤ様の御教えを折角いただいているのに自分達が十分・・・、大きくすることは出来たけれども、信者さん方を真に幸せにしていく、という道が、病気だけは救ってきたけれども、その他の生活という点に於いては救いきれなかったところがあったので、今非常に反省している先達もいらして、その先達が実は今もの凄く動き始めているということです。

その動いている一つがさっき○山さんと○さんの報告してくれた内容の一つですね。それから朝、○岡さんがアメリカへ行ってですね、そして向こうで浄霊を何人も許されたという、これは全て先達がですね、霊界にお戻りになって、そして、もう一度御教えに立ち返ってですね、今凄く働こうとされているということですので、その働きの中で様々な事がこれから起きてくるようです。

その起きた時に私達が心掛けておきたいことは、言葉では「一神にして多神」という、西洋の方は一神教で進めているけれども、日本は多神教だという話に対してメシヤ様は『日本は一神にして多神だ。』と、この意味がですね、生活のところまで私達が下ろして考えていく事が出来ないとですね、そうした新しい方々のお世話は出来ないと。

で、キリスト教はですね、「文明の創造」の未定稿御論文『基督教と善悪』の中でお説きになっていることがありますけれども、これは本来、イエス・キリストは天の父の啓示を受けてキリスト教を創めた訳なのですけれども、十字架を祈らせるようにしました。当初はですね、主神様の信仰をしようとしたのですけれども、物質文明を発展させるために、残念ながら主神様の信仰が出来ない形にしてしまったところがあるので、そのために十字架を祈らせるとか様々なことがそこで起きてしまったのだ、ということです。

これがですね、今この時期にですね、もう一度キリスト教の世界も洗練されてくるらしいのです。洗練されて、元の天の父のことを認識できるような人達がキリスト教の世界の中に生まれてくるので、その人達と一緒に天国を造っていくのだということです。そういうふうに今凄いことが起きているらしくて、先達を始め、キリスト教の世界でもそういうことを今、改善策を今一生懸命練ってくれているらしいのです。

そして、日本の場合はですね、もう一つ、『一神にして多神』の意味というのはですね、世界で起きているすばらしいことを一度日本に取り入れて、そして、文化として醸成して来たという、そういう経過がありますね。ということはどういうことかと言うと、世界の悪をも物質的なもので言えば、悪を全部日本は取り入れて、今日本は世界一悪の極みに達しているという、そういう状況なのだということです。

『だから、日本から浄化が始まらないといけない。』というのは、悪の極みまで行っている、もう悪の極みというのを分りやすく言えば薬にまみれているということです。ですから、薬にまみれているために今二人に一人が癌になっている世の中で、このままの生活を続けていけばですね、三人に二人は癌になって、更に癌に罹患する人達が増えて、このまま行けばもっともっと増えていきます。で、その仕組みをですね、今回東京工業大学の栄誉教授の大隅良典氏が、タンパク質を分解して、そしてまた再生する、その遺伝子を発見して、それで経済至上主義に流れますので、創薬に使って社会貢献が出来ている、ということからノーベル賞を今回受賞されました。我々から見ればですね、細胞の中で不要になったタンパク質を分解して、その分解したタンパク質を食事で十分補給されない時には、そのタンパク質をまた再利用してその細胞の中で動かしていくというようなことをですね、発見したことは、これは浄化作用の裏付け的な発見の一つでありますので、まあそういうことが、ノーベル賞を受賞されたということは世界的に認められたことなのです。

これでメシヤ様の浄化作用の原理はさらに科学的に立証できる、そういうところまで来ているということから考えていけば、この日本が今、悪の極みにいっているので、この極みからさらに反転する、全て善に反転する時期を今迎えているわけなのです。そこをメシヤ教がリードしていかないといけないので、そのリードする時には“間違っているのだ、間違っているのだ”ということだけでは相手に受け入れてもらえないので、今日本のですね、そういう極みまでいったところを善の世界にずうっと変えていく為にはですね、私達が今取り組んでいるメシヤ様の御教えに基づいてですね、どのようなことに取り組んでいったらいいかということを覚り、自覚していくことを通して霊線を通して大勢の方々に感化を与えていけるような、そういう取り組みをさせていただければ、“大変ありがたいなぁ”というふうに思っております。今日発表していただいた五人の方々の、その話を又自分はこの1ヶ月間どうだったかなぁということを考えていただければ大変ありがたいと思います。

 

自らの魂を輝かすために

楳木代表

それで先程のですね、北海道のことや豊洲市場のこととかは・・・、全て私達が本来、本守護霊という魂は発光体なのだというふうに先月の御教えの中にありました。その発光体が輝きを持ってさえいれば、動物霊はその光によって萎縮する訳でありますので、変なことを起こしたりすることもない訳です。この発光体、魂の発光体としてのその状態を一層輝かせていくために体を汚してはいけないのだ、と。或いは変な言葉を発したりですね、変な行いをしたりしてはいけないのだ、と。魂を曇らせる事をしてはいけないのだ、というふうに繋いでですね、日々、生活を送らせて頂きたいというふうに思う訳ですね。

ですから、掃除はですね、この御神前というのは、今日は多くの人が入っていますから相当汚れるのですけれども、○田さんの日常生活では、この御神前に入ってくるというのは朝夕拝の時と、それから御浄霊をいただきたい人が来る時にここで御浄霊するとかという程度だと思いますので、そう毎日汚れる訳ではないのですね。しかし、汚れる訳ではないのだけれども、毎日御神前の掃除を心掛けるというのはどういうことかというのは、掃除をしようとするとですね、そして掃除をすると埃が取れただけではなくて、その部屋が・・・。昔からよく箒で“掃き清める”という言葉があるように、掃除をするとその場が清まってくるので清らかさを維持していくことが出来る訳ですね。

私達の体も同じ様に、そういう想念で自分の体を取り扱っていけば、絶えず清らかさを保つことができるし、それが結果的に『霊体一致の法則』によって、魂の、発光体としての魂が、さらに発光体として輝き続けるということが出来ますので、そうした想念を絶えず持ってですね、掃除をしていただきたいというふうに思います。

それから前の本部の建物に私の姪子夫婦が帰ってきてくれて、喫茶店を開くことになって今日がプレオープンなのですけれど・・・プレオープンの時に焙煎器とかの使用方法を東京から二泊三日で来てくれて、細かく指導してもらいながら夫婦で一生懸命練習したらしいのですが、そうして焙煎した豆を挽いてですね、コーヒーを落すのですけれども、コーヒーを落す時に「メシヤ様の御教えに基づいて最高の落し方とは一体何か?」というふうに聞いた時に、やっぱりお金のことが中心なので、「自分の持っている予算の三分の一をまず使って、それで駄目だったらまたその三分の一を使ってというくらい、余裕を持ってやらないといけない。」というふうに答えるので、「いやそうじゃない、コーヒーの入れ方について話しているのだ。」と・・・。コーヒーの挽き方、蒸らし方・・・色々言っていたのですけれど、要は、コーヒーはですね、メシヤ様の左進右退と右進左退の、その教えに基づいて入れれば、最初蒸らす時、右回りで蒸らしていく時にコーヒーを・・・ブラジルとか色んなところでコーヒーを採取する時に、“ここは賃金が安くて本当にイヤだよね”とか思いながら、ベラベラしゃべりながらコーヒー豆を穫っていたりしたら、このコーヒー豆には曇りが籠っている訳です。いくら自然栽培のコーヒーといえども、そういう事を言いながら作業すると曇りが、言霊の曇りが入って採取される訳ですね。そして道中、輸送して日本へ送られてくる時に、船の中とかで、何か良からぬことをやりながら輸送してきたりすると、そこには曇りがいっぱいくっ付いて豆というのは日本に入ってきて、そうして姪子夫婦の店に届くわけですね。

それをですね、お客様に出す時には右回りにしながら、このコーヒー豆にくっついてきた曇りが発散するように入れないといけないわけです。そして次は、この喫茶店に400円とか350円とか、或いは高いのは今600円くらいなのもありますけれども、それだけのお金を払ってコーヒーを飲むということは気分転換をしたいか、或いはゆっくり考えたいか、何かの思いで喫茶店には来る訳ですので、その人達の思いが一杯のコーヒーで実現するように願いを込めて左回しで落としてあげないといけない訳ですね。まぁ、そうしたことが御教えを一つの商品に込めていく時には、そういうものに基づいてやっていかないといけないのが、実は店を開く時とメシヤ様の御教えが一体となってやることなのだ、と。

 

主婦の“内助の功”とは・・・

楳木代表

だから主婦の場合は、お米を研ぎ始める時には、いらないものがみんな発散して出るように右回りで研いで、家族がこのお米を食べることによって健康を維持することが出来るように、或いは悪い物が出て行く浄化作用が一層促進するようにという思いで米を研いで、そして美しい水で炊き上げたらすばらしくおいしいご飯が出来上がる訳ですね。

玄関に今日もいっぱい靴が並んでおりますけれども、それをちょっと乱れているから直そうとする時には、“この靴を履いた人が無事に家まで帰りつくように”、或いはさっきの、○谷さんのように“いい出会いがありますように”とかという思いで靴を一足一足揃えていけば、その靴を履いた人の動きは、もうその祈りで変わってくる訳なのです。

ですから、私達の生活というのは、その祈り一つ一つによって変わってくる訳ですね。こういうYシャツにアイロン当てる時も、“毎日私、何でこんなことしないといけないの、辛いわね!”と思ってアイロンを掛けていると、これは“辛いわね!”というYシャツになってしまう。(笑)

しかし、“これを着ていい仕事が出来るように丁寧に掛けていこう”と思えば、いい仕事の出来るYシャツになる訳なのです。これに対して“うるさいわね、毎日毎日”と思うと、“毎日毎日うるさい”ということばかりが、このシャツの中に籠っていきますので・・・。メシヤ様の御教えをいただいて家事をするということは、この『霊主体従の法則』によって家事をすることによって、家庭が天国になっていくことなのです。そして、いただいた役割をより一層果たすことが出来るような家族になって行くのだ、ということを分かった上で、主婦というのは事に当たっていかないといけないので・・・、実は主婦のそういうことの取り組みで、夫は出世したり出世しなかったりするのです。(笑)・・・そうなのですよ。夫婦でよく話し合いをしてみて下さい。(笑)

ですから、“内助の功”というのは、そういうものを言うのだ、ということを結婚する時に母親から教えてもらった人は、夫は出世しているのだけれども、教えてもらわないで文句ばかり・・・、「何だ、この給料は・・・。」とか言っていたら中々出世出来なかった訳ですね。しかし、それに反発して、家庭を顧みず懸命に働いた人は、そういう意味では出世したかもしれないですけれど・・・。そういうことで一回家庭を見つめていく、日々自分の体を動かす時の心はどうだったのか、ということを見つめていくことが実は大事だということです。

 

神幽現一体で御神業を・・・

楳木代表

それから、さっきも申し上げたように、これからですね、先達の方々が霊界からもの凄く動いてくれるので、私達の身の回りにはですね、大勢の方々が“メシヤ様に繋がって、そして御神業を担わしていただきたい”と、どんどん寄ってきます。それで今年の末にも新たなところで支部が出来ますけれども、この支部が出来る中心者はですね、中国から私のところに繋がってきた人です。信者の繋がりで縁が出来た人ではない訳です。自分からメシヤ様の御教えを求めて、そして“メシヤ様の御神業の一翼を担いたい”という思いから繋がってきた人なのです。これからはそういう人達がどんどん繋がってきますので、そういう人達にですね、「あんた達、やっと分かったのか・・・。」とかいうようなことを言うとすぐ離れていきます。「いいご苦労なさいましたね、共々にこれから一緒に取り組ませていただきましょう。」というふうにですね、懇切丁寧にお世話をさせていただきながら、「メシヤ様の御手足として一緒にならせていただきましょう。」という、そういう気持ちでですね、これからもお世話をさせていただきたいと思います。

そして、日本人がですね、二人に一人癌になっている状況を、三人に一人、四人に一人というように率を段々下げていってですね、健康な人にしていくような取り組みを我々が中心になってですね、させていただかなければ、ノーベル賞を受賞した、その論立ての意味が全く創薬という方向だけで流れていってしまいます。メシヤ様の御教えを裏付ける、そういう形でああいうものが世に出てきているので、そういうことに基づいてみんなに健康な体になっていただくような、そういう御神業を共々に担わしていただきたいということを確信しながら、取り組ませていただきたいというふうに思います。

そして、最後になりましたけれども、先達がどうしてもですね、事細かい指導が出来なかったのは、今日の40ページのですね、最後の行に、

『そうして真如といふ文字は、真の如しとかくのであるから、真でない訳で、此点もよく考へなくてはならない。』

とありますように、当時はまだどうしてもですね、真実というのに目覚めるというところまで、御教えをもってしてもそこまで行ける人達が中々少なかったので、細かいお世話が出来なかった部分があるのだ、ということを、重々分かっておいて貰いたい、と。で、今はもうこういうことが分る時代を迎えているので、それに霊界からしっかり働くので、共々に信者さんと一緒に御神業を進めていただきたい、という、そういう願いが届きましたので、此の場を借りてですね、本日の御教えで力をいただきながら、より一層御神業に臨ませていただきたい、ということをお願いさせていただきたいと思います。

10月は神無月ですので、三千年前にですね、日本に押し寄せてきた出雲系の神様方が全て里帰りをしている月であります。この間、御神業というのは飛躍的に10月は進む面もありますので、より一層、御縁のある方々に働きかけをしていただきたいと思います。そうした事をお願いさせていただいてメシヤ講座を終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。

 

受講者一同

ありがとうございました。

 

<来月の御教え>

「『最後の審判』文明の創造」(昭和二十七年)

本文は『天国の福音書続篇(一)主神様とメシヤ様』42ページに記載されています。

「『最後の審判』文明の創造」は平成28年11月に拝読し学び合う御論文です。

 

[メシヤ講座no.188 岡山支部 2016(平成28)年10月5日]