<今月の御教え>
「『文明の創造』科学篇 肝臓、胆嚢、膀胱の結石」(文創 昭和二十七年)
本文は『文明の創造』174ページに記載されています。
【メシヤ講座 三重支部】
肝臓の役割について
楳木代表
今日は肝臓とそれから胆嚢(たんのう)、膀胱の結石でありますので、肝臓については肝臓の役割といいますか、肝臓は何をしてくれているかということですがどうでしょうか。
まずは解毒ですね。他はどうでしょうか。
受講者
血をキレイにする。
楳木代表
血をキレイにするのは腎臓ですね。
薬理を習うときにそういうことは出ませんでしたか。
受講者
栄養の・・・
楳木代表
そう、良い所を言っている。小腸から栄養素を吸収してそれから肝臓で貯蔵しますね。それから貯蔵したものをまた必要に応じて抽出(体内で利用できる形に変換、合成して必要に応じて体内に送り出す)して、肝臓から各部に栄養素として送ります。それと解毒の役割を担っていますので、まあ、私と濵口さんを比べてみた時にアルコール分解能力でいうと大体20倍位私の方があって、濵口さんはビールコップ一杯程度で酔いますからね。(笑い)
私は若い頃ある程度ビールを飲んでも仕事が出来ていた程です。アルコールについての分解能力はそれだけあったのです。そういうことから、肝臓の持っている力というのは解毒力からしますと、大変個人差があるということなのです。
それからある会場で親子でも父親はシッカリ酒が飲めるのですけども息子は全然飲めないという人がいましたので、親子でもアルコール分解能力には随分差があるということです。
それから解毒ということについてですが、〝どうして我々は解毒ができるのか、肝臓がその能力を持っているのか″ということを考えますと、随分以前にお話したと思いますが、人間が、人間としてこの世に現れたのは大体600万年位前と今まで言われていましたが、昨日のテレビでは700万年位前だということを言っています。
【人類出現「もっと昔から」説―7百万~8百万年前と推定(朝日新聞デジタル 2012年8月17日8時20分):
人類がチンパンジーとの共通祖先から分かれたのは、700~800万年前だった可能性が高いとする研究成果を京都大など日米独英の共同研究チームがまとめ、13日付の米科学アカデミー紀要に発表した。これまでの分析より、人類の起源が早かったことになる。研究チームはヒトと野生のチンパンジーの世代交代の年数、DNAの変異の起きる確率から祖先が分かれた時期を特定した。従来のDNA分析は両者が別れたのは400~600万年前としていた。しかし、600~700万年前の人類化石がアフリカで見つかっており、時期にずれがあった。チンパンジーの世代交代の平均年数を正確に反映させ、精度の高い分析法で計算しなおした(波多野陽)】
【病の起源 プロローグ 人類進化700万年の宿命(NHKスペシャル2013年5月18日(土)
午後9時30分~10時19分総合)】
生命が進化過程で得た能力は人間にはすべて備わっている
楳木代表
主神様が地球をお造りになられたのはだいたい45億年前で、地球の中に生命を宿すことができる状態になったのが38億年前なので、38億年前にやっと生命が宿りました。
それから人類が現れたのは、なんと600~700万年前ですから、おおよそ38億年間は〝人類が生まれるための準備期間であった″ということなのです。
〝準備期間であった″ということはどういうことかと言いますと、人類というのは霊長類と言われています。それで、神様は万能力を持っておられます。我々人類はその神様に似せて造られた訳ですので、おおよそ万能力を持っています。しかし、その万能力の中で解毒ということで考えていきますと、38億年間ズーッと生命が進化してくる、〝その生命の能力をすべて持っている″のが人間だということなのです。
ですから蜂に刺された時の話を思い出していただきたいのですけども、蜜蜂ですとチクッとする位の痛さですが、雀蜂ですとショック症状を起こしたりすることがあります。
これは人間もこの雀蜂の毒を肝臓に持っていて、肝臓がそれを抽出して雀蜂と同じ毒素を出して消化をしたりすることができるのですが、雀蜂に刺されると自分が肝臓から抽出する毒の物凄い倍率の量が体内に入って来ますので、その処理に追われて人間はショック症状を起こしたりする訳です。
毒が入ってくると〝人間はその毒を持ってない″と勘違いをしていますが、人間はみんな持っているのです。生命が最後に人間として出てきた訳ですので、その道中の生命が持っていたものは全部我々の体の中に含まれているのです。
ということは仮に漢方薬を飲んだとしましても漢方薬は自然界から作ったものでそれを煎じて作っていますので、それを解毒する力のある人が希(まれ)にはいるのです。
〝よくあの人薬を飲んでいるのに何で浄化しないのだろう″という人が時々いますが、それはある種の薬だけに対しては〝解毒能力を持っている″ということなのです。そういう個人差がありますので、〝あの人はああいう生活をしていてもこうだ″とか、〝こうやって気を付けているのによく体を壊す″だとかいうのは全部〝個人差があるために起きている″ことなのです。
しかし、肝臓というのは〝解毒能力を持っている″ということを、こういう御教えを拝読する時にもう一度認識して私達の自然治癒力とかあるいは〝体力を維持する″ということは〝本来持っている能力が絶えず活性化しているということが大事なのだ″ということを再認識していただきたいと思います。
白い便が出た時には胆汁が出ていない
楳木代表
それから次に子供を育てる時に、白い便が出たことはありましたか?
受講者
ありました。
楳木代表
その時はどのように言われましたか。
受講者
あまり気にしませんでした。肝臓かなにかの関係で・・
楳木代表
今日の御教えで『胆嚢(たんのう)の中にある胆汁が滲出(しんしゅつ)し全身に廻る。それが黄疸である。』とありますが、これは胆汁の色なのですね。それで黄色い便になるわけです。
ですから白い便が出た時には胆汁が出ていないというわけです。
そういうことから、肝臓を浄霊して、肝臓の端に胆嚢がありますので、そこまで浄霊をすると子供は健全化するという訳です。
白い便が出た時には〝胆汁が出なかった″のだということですが、その時は入信していたのですか?
受講者
そうです。下の子がアトピー性皮膚炎がでていたころです。その時に出ました。
受講者
緑の便は見ましたが・・
楳木代表
緑の便は毒素を排泄している時で、白い便の時は胆汁が出なかったのですね。
アトピー性皮膚炎ということですから皮膚から毒素を出しているので〝肝臓が疲れきっていて胆嚢も働かなかった″ということが考えられます。
子供の体の具合というのは、母親が確認できる訳です。白い便なんか出たら普通は驚いてしまいますね。
受講者
〝何か悪いものがでているのだなあ″と思っていました。
楳木代表
白とか灰色の便というのは〝胆汁が出ていない″と解釈して、そこを浄霊していけば良いですね。これからお世話をしていく中で突然電話がかかってきたりするでしょうから、その時に御教えに基づいて「胆汁が出ていないのでここを浄霊しなさい」と言ってあげれば、みんな安心して乗り越えることができますからね。
受講者
喜多さんも大浄化された時に、白い便が出たのですよね。
お蔭話「厳しい薬毒排泄の浄化を乗り越えて」抜粋
そして、「体力がなくては浄化を乗り越えられないので、何か食べた方が良いですよ」とお話くださいました。何とかバナナ1本と牛乳1カップ食べることができました。夕方に真っ黒な便の塊と、粒々状の白いシリカゲルのようなものが大量に混じっている水状の便とが一緒に出ました。(全文はこちらよりご覧くださいhttps://kusu.meshiya-sama.net/testimonial/2008/06/other200806/)
楳木代表
ああ、あの時にね。同様に胆汁が出なかったのですね。疲れ切っていてね。
楳木代表
マヨネーズのような便も出ました。
楳木代表
やはりそういう便が出てくるとドキッとしてしまいますよね。だけどそれはまあ胆汁が出なかったのですね。非常に見た目にはわかりやすいということですね。
結石について
楳木代表
それから今回は結石のことを解説してくださっておりますが、我々のオシッコには尿石というものが出ていますね。便器が汚れるのはこの尿石で汚れる訳なのです。
ですから、男性が洋式のトイレで立ってしますと跳ねて汚すのは尿石が汚してしまうのです。それで尿石というのは問題ではないのですが、それに毒素が加わってきますと、結石化してくることがあるのです。やはり原因は、最後に書かれていますが、
『従而(したがって)、之を治すには根本である背面腎臓部の毒結を溶解し、腎臓を活潑(かっぱつ)にさせ、余剰尿を作らないやうにする事で、それより外(ほか)に方法はないのである。従って本浄霊法によれば、割合簡単に石は分解され、砂の如くなって、尿と共に排泄されるので、短期間に全治するのである。』
私の砂を見せたことがありましたね、あんな状態で大体出てくるのです。
支部長代理も出たのですね。
支部長代理
私はわからないうちに出ました。
楳木代表
大きいのが出ると便器に音がするそうですからね。私はお蔭様で砂になって出ました。
支部長代理
私は尿道の結石でした。
悪い箇所と痛む箇所は異なる事がある
楳木代表
結石の時には痛みは最初上の方から痛みませんでしたか。
支部長代理
そうです。背中の方から痛みました。
楳木代表
ですから、尿道が悪いとは最初は思いませんが、痛みがそのように伝わってきますので、違うところが痛いと感じるのですが、浄霊をズーッとしていますとだんだん移動していったりしてくれるので〝ああこれは石だなあ″ということがわかるのです。
それで最近女性の人で腰痛持ちの人が多いですが、腰痛の原因についての解説をこの前テレビでやっていました。
心臓から大動脈がお臍(へそ)の裏側を通ってそれから足に分かれていきます。この大動脈の一番下のところに大動脈瘤とか大動脈乖離が起きると、それでも腰痛が起きるそうです。
実は血管に溜ができるとそれが背中を圧迫して腰痛になるのです。ですから単純に腰痛だからといって〝神経の問題だけではない″ということなのです。
そういうことが最近の研究でわかってきたということです。
※参考:「アカデミヨシズミ~命にかかわる危険な痛みも? “腰痛”を科学する」(モーニングバード! 5月6日(月)の放送内容 オンエア 08:00~)
楳木代表
ですから「腰痛、腰痛」と訴えている時には背中を浄霊するのと脳天から脊髄を浄霊するのと前もやはりよく浄霊してあげて痛みの原因がどこから出ているかを探らないといけません。
それで横になって足を出していただくと踵(かかと)がズレている人は神経の問題があります。これは腰痛持ちには多いのです。
それで足がピッタリ同じなのに腰痛だとか背中が痛いという場合には何か違う原因もありますので、そういう場合にはお腹の方も浄霊をしていかないといけません。
支部長代理の場合は石ができたのに最初背中が痛かったということですので、痛みの発生場所と痛みを感じる場所が石が出来た場合は違う訳なので、人間の場合には勘違いの痛みが結構あるのです。
支部長代理の回想録:
私が最初に結石になったのは20代前半でしたので30年ほど前のことです。
会社へ入って初めての転勤で岡崎に勤務しておりました。会社の独身寮で暮らしていました。もちろん『浄霊』は全く知りませんでした。休日はソフトテニスをやっていまして大会が終わってから妙に背中が痛むのです。この頃は鈍痛でした。
何日間か痛みが続きましたので、〝筋肉痛か骨に異常があるのでは″と思って、整形外科へ行ったのです。レントゲンを撮っても、整形外科では原因はわかりません。湿布薬を出されて「様子を見てください。」と言われました。
もちろん筋肉痛ではないので湿布薬が効くはずもないので、今度は知り合いの針灸治療院で初めて針を打ってもらいました。それでも良くはなりませんでした。
それから数日後の夜中のことだったと思います。
突然猛烈に背中が痛み出しました。激痛でそれまで体験したことのない痛みが何度も何度も繰り返し襲ってきました。夜中に管理人さんを起こす勇気もなく6畳一間の部屋で一人背中を抑えて転げまわっていました。(この頃は携帯電話もありませんでした)
朝になって先輩に頼んで大きな病院へ連れて行っていただきました。その頃には、痛みは段々下へ降りてきて腹部の方が痛み出していました。窓口で症状を話すと、「胃腸科で診察を受けるように」と言われました。
ここでも検査でレントゲンを撮りましたが何も写っていません。「胃と腸は問題ありませんね。痛みが移動しているので尿道結石の疑いがあるので泌尿器科で診てもらって下さい。この病院には残念ながら泌尿器科はありませんので紹介状を書きます。」との診断で、近くの泌尿器科の町医者を紹介されました。
座ることもままならず病院の長椅子で寝転がって診察待ちしていたのに、病院のたらい回しです。
今思えば、恐ろしいことに泌尿器科の病院でまたまたレントゲンを撮られました。
僅かな期間で3回もレントゲンを撮ったことになりますが、そんな管理は自分でしないと病院ではお構いなしです。
「石が小さいためか、はっきりとは映っていませんが、症状からして尿道結石で間違いないでしょう。大きくないので水分をしっかりと補充してオシッコを出すようにしていけば自然と排出されます。痛みに耐えられない時は痛み止めを出しておきますので、飲んで下さい」との診断でした。
病名がわかってほっとしましたが、結局はレントゲンには映らなかったので、〝何のためのレントゲン撮影だったのだろう″〝あちこちの病院や治療院を回った意味はあったのか″と少々疑問に思いました。
ビールと麦茶ばかり飲んで知らないうちに排出されたようで1、2週間ほどで痛みは無くなりました。痛み止めは飲みませんでした。
二度目に尿道結石になった時は平成2、3年頃だったと思います。この時は、以前に尿道結石ということを経験しておりましたし、結婚して入信していましたので、猛烈な痛みだったのですが、〝浄霊で石は排出される″との安心感がありました。病院へは行きたくなかったのですが、会社を休む都合上近所の小さな町医者へ行ってエコーで見てもらい「尿道結石」との診断をしていただきました。
町医者ですと「お薬出しますか?」と聞かれますので「いりません」と簡単に答えられます。それで薬を飲まずに家内に浄霊をいただいて1、2日程で治ったと思います。〝こんなに早く治るなら仕事に支障もないし病院に行く必要性は全くなかったな″と後から思いました。
その時以来結石にはなっておりませんが、石ができてもその都度砂になってオシッコで排出しているのかもしれません。
しかし、もし今同様な結石になったとしても、『メシヤ様と直に太く繋がる浄霊』を授かっておりますので〝会社を休む必要もない″と思っています。
振り返って見て〝浄霊力を知っていることは物凄い安心感がある″ということです。
逆に浄霊を知らないと、医者に検査を何度もされても〝病名をはっきり言ってもらえない″時、患者は不安で堪らないということです。
また今回のメシヤ講座で学びましたが、〝尿道に石が出来ているのに背中が痛む″ということを知っていることの如何に有難いことかということです。
結石ではありませんでしたが、メシヤ教に入会してから地上天国祭前々日に猛烈な腹痛に襲われたことがあります。おそらく盲腸だったと思われます。早朝日枝神社に参拝して浜松支部で執り行われる地上天国祭に参拝する予定で困りましたが、妻が「私が運転して行くから」ということで取り敢えず出発しました。そして、自己浄霊を車内でしておりました。日枝神社に到着する頃には治っていました。
立つことすらできない(這ってトイレに行く)ほどの腰痛(ヘルニア)に仕事を休まざるを得ないこともありましたが、1週間寝込んで浄霊をいただき、たまたま取得していた有給休暇の間に回復できました。
メシヤ教に入会してからは、時々御浄化をいただくが、御神業、仕事に差支えないように御守護をいただくことができていると実感できます。
この安心感は何事にも代え難いものであります。
楳木代表
『浄霊』を知らなかった時と『浄霊力』を授かってからの違いがよくわかると思います。
『浄霊』をすると短時間でよくなりますね。『浄霊』というのは大変ありがたいものですね。
受講者
石は動くときに痛みを感ずる訳ですね。
楳木代表
そうですね。今回の御教えは腎臓の中のことを言っています。腎臓の中で血管が濾過(ろか)をするために活発に動きますのでそれで擦れて尿が滲(し)みるようになるのですね。
『御教え
処が石の小さい場合、通過下降し、腎臓にまで流入するので、腎臓内の尿素が附着し、段々大きくなってゆき、茲(ここ)に腎臓結石となるのである。そうして困る事には、結石は腎臓活動の為、腎臓壁に触れて疵が出来る。そこへ尿が泌みるから痛みと共に出血するので、之を医診は腎臓結核といふのである。』
受講者
尿道を下りてくるときに痛いのはどういうことでしょうか。
楳木代表
それはね、広がるからです。尿道というのは水が滲(し)みるようにズーッと行くでしょう。そこへ私の場合で言いますとゴマ粒程もないくらいの石でしたのに痛かった訳です。それがある程度の塊だったら相当痛いと思います。
産道と一緒だから。あれは広がるから痛いのでね、尿道だって膀胱に溜まるほどチョロチョロ通る穴なのですから。そこをあんな塊(かたまり)が通ったら痛いに決まっていますね。ですから浄霊をしておくと一週間もかからないで排出されます。
受講者
浄霊すると溶解した形で排出するので自然尿のように出るということなのですね。
それがどんなに大きな石だったとしても〝御光″をいただくと溶解するということなのですね。浄霊はすごいですね。
浄霊はレーザーより高い形而上の光
楳木代表
砂状にして出していただけるのです。
最近の医療ではレーザーを当てて破壊して砂状にして排出させます。レーザー光線と言うのは光の中で一番低い方の光ですから。可視光線みたいなものだから。
しかし、メシヤ様の時代よりは技術的には進んできております。
我々の浄霊はそのレーザーより高い形而上(けいじじょう)の光なのでもっと効果があるのです。
※参考:形而上(けいじじょう)とは
「易経」繋辞上から(goo辞書 より)
1 形をもっていないもの。
2 哲学で、時間・空間の形式を制約とする感性を介した経験によっては認識できないもの。超自然的、理念的なもの。⇔形而下。
受講者
浄霊すると〝もっと痛みがきつくならないだろうか″と心配してしまいますが、そんな必要はない訳ですね。
楳木代表
そのまま石が動くにしても通るところを柔らかくしていただけるので、わりとスムーズにズーッと動いていきます。
今日の御教え拝読からそういったところを確認させていただきました。
取り分け今日は、濵口さんの2回の結石を通して〝浄霊力のある時とない時″の大きな比較ができますので、そうしたことを思い出してどんな人にもそういう話をしてあげるように自分の中で体験をまとめておいて話をしてあげてください。
そういう機会にしていただければこの勉強会が大変意義あるものに繋(つな)がっていくことになります。
受講者
ある教団で、「こんな大きな石の塊(かたまり)が除(と)れたのですよ。」との感謝報告を聞いたことがあります。
楳木代表
それは浄霊で除(と)れたのですか。
受講者
手術です。
一同
笑い
受講者
石が出来た時に胆嚢まで一緒に除(と)ってしまう人がいますね。
楳木代表
そうなると今度は胆嚢の働きがなくなりますから。消化が非常に悪くなってきます。
受講者
消化が悪くなるということは胃や腸が悪くなるのでしょうか。
楳木代表
腸の動きがしんどくなるでしょう。(胆汁は脂肪の分解や脂溶性ビタミンの消化、吸収を助ける働きがありますので、重要な働きをします。また、肝臓が分泌した胆汁は胆嚢に蓄積され濃縮され消化、吸収のために十二指腸に放出されるからです。)
受講者
〝浄霊力で治す″ということは『背面腎臓部の毒血を溶解させ腎臓を活発にさせさらに余剰尿をつくらないようにする』ことなのですね。
糖尿病・腎臓病は、〝歩く″ことと〝浄霊″をこころがける。
楳木代表
そう。浄霊とそれともう一つはメシヤ様を神習って散歩をしないといけません。
現代人が間違っているのは出産の時も寝てしまうでしょう。昔の産婆さんは最後まで歩かせていました。重力で下りてくる訳ですからね。今は早く横に寝かせてしまので産む力が弱って行きます。
それと腎臓はほぐして行かないといけませんので、浄霊とともに散歩を絶えずしていかないといけません。
5月5日に84歳で糖尿病が良くなった人の報告では毎日2万歩歩いたそうです。散歩を絶えずしていかないといけないね。
しかし2万歩だけでは治らなかったのです。そこへ浄霊をいただいたので、良くなったのです。1年様子を見て医者としても「ほぼ治った」と言ってくれているのです。
ですから歩くだけでもだめです。糖尿病とか腎臓病の病というのは浄霊だけでも治っていかないので歩くということと浄霊を心がけて下さい。
腎臓を捻るため、ゴルフは腎臓に悪い
受講者
ゴルフはどうでしょうか。
楳木代表
メシヤ様は『ゴルフは腎臓に悪い』と仰っておられますからね。振り方ですね、胴を捻(ねじ)るでしょう。だから腎臓を圧迫するので練習のし過ぎが良くないですね。
『御教え「尿毒」 医学試稿 (昭和十四年)
独逸の医界の泰斗○○氏の説によれば、「万病は尿酸が原因である」といふ。此尿酸といふのはここにいふ“尿毒”の事であらふ。陰性天然痘毒素が神経集注個所へ溜結し易いといふ事は、度々述べた通りであるが、人間の作業上腰部に力を入れる関係上、腎臓部に溜結するのである。之はゴルフ愛好者に特に多いのにみても瞭かである。此溜結が腎臓を圧迫する為に、腎臓が萎縮するのである。(後略)』
受講者
それではテニスも同じですね。
楳木代表
テニスも捻ってしまいますからね、どうしても腎臓を固めて負担をかけてしまいます。ですから終わった後で良く柔軟体操をしておかないと、やりっぱなしだと腎臓を痛めてしまいます。
受講者
野球ですと体を満遍なく使いますか。
楳木代表
野球は打った後走るからね。
テニスは走るといっても絶えず腹に力を入れておかないといけないでしょう。
受講者
卓球も腰や肩を使います。
楳木代表
それでは腎臓に良くないので後で、歩くとか柔軟体操をして、良くほぐしておかないといけませんね。
受講者
犬の散歩をすれば良いかな。
楳木代表
犬の散歩の場合は手でリールを持たないことです。腕が凝ってしまうから、力が入るからね。だからね腰にリールを巻きつけると良いです。
あるいは犬と並んで走るとか、紐を弛ませるぐらいのスピードで歩けば良いですね。偏ってしまうと腎臓に負担をかけることになります。
受講者
腎臓の大きさは右と左で異なりますか。
楳木代表
それは千差万別です。それから高さ、位置もね。人によって異なりますので一つのところだと決めつけないでくださいね。
それから、片方が盛り上がっていたりしたら、盛り上がっている方を良く浄霊してあげてください。
光の強さに強烈な〝痛み″ 〝痛み″はメシヤ様の恩恵
受講者
甲状腺が腫れています。浄霊していただくと光が強くて痛くて堪りません。
楳木代表
浄霊をいただくと痛みが出るということは素晴らしいことですから。それが無いと心配なのです。
受講者
体調に波があるので体力的にきているのかなあと思います。
受講者
〝浄霊の光が通っているのになあ″と感じていて、「痛いからやめて」と言われたらどうしましょう。
楳木代表
その時は少し止めたら良いです。
受講者
「もう少し我慢して」と続けてしまいます。(笑い)
楳木代表
だから、我慢できる間は我慢させたら良いです。痛みが耐えられなくなったら今度は下の方をして交互に浄霊をしたら良いですね。
また、痛んでいるうちは大丈夫です。浄化力があるのです。痛みが出なくなると危ないのです。まだまだ浄化する力があるので、光をいただくことによって痛むのです。痛みに対して大いなる希望を持っていただきたいと思います。
痛むたびに〝ああこれでまた寿命が延びたわ″と思うことです。
痛むので〝もうだめだわ″思ってしまうと、もうこれはメシヤ様の恩恵をお断りしているようなものです。〝これでまた長生きができるわ″というふうに考えてください。
口ではどうしても「もうだめだわ」と言う言葉が出てしまうでしょうが、実際には痛みが出るということは〝良くなってきている″ということです。毒素が溶けると痛い訳ですからね。
この〝痛い″というのは〝薬毒が溶解している″から痛い訳です。それがない限り痛くない訳です。
受講者
体験談でお聞きした、癌の治る時の〝剥がされるような痛み″というのは・・
楳木代表
それも毒素がとれるから痛いのです。そして溶解するから神経を刺激してそれで痛いのです。
受講者
まさに神経を刺激されるような痛みなのです。
楳木代表
そう、それが〝毒素が溶けている″ということなのです。
これが神経を刺激しないということは、もう〝命が危ない″ということなのです。神経を刺激するように自分の体が毒素を溶かしているのです。
〝凄いことが私の体で起きているな″と思わないとね。
〝ああダメ″と思っちゃうと考えがバックしてしまいますので、前向きに行かないといけませんね。
受講者
浄霊すると痛いのでしょう?
受講者
今も痛いです。先ほどいただいた浄霊の余韻でしょうか。
楳木代表
それは余韻ではなくて、〝まだ光をいただき続けている″ということです。(一同笑い)
こうやってメシヤ様のお話をすると〝光が出る″訳です。だから〝光をいただき続けている″のです。余韻ではありません。
御教えの話をすると光になりますから、その光が〝毒素を溶かしている″訳です。溶かすと〝神経に滲みる″のです。
すごく〝自分は弱っている″と思ってしまいますが、すごく〝自分が活性化している″のです。ですから、これからは食べることとか体を動かすことを、忘れずにいつも心がけて行きましょう。
どんな時にも練習を怠らない
受講者
足首が随分悪くなったようで歩くのも大変なのです。
楳木代表
体操の内村選手に挑戦しようとしている若者がいるのですが、その若者が「世界チャンピオンがあれだけ練習しているのだから自分が練習を怠っては駄目だ」と朝のニュースで言っていました。いい話だと思いました。
我々も世界チャンピオンまでいかなくても、どんな状況でも練習をしていかないといけないと思いますね。ですから足首をやられていても他の方法で練習をしていかないといけませんね。
〝彼らが見本を見せてくれているんだ″と思って、私達も見習っていかなければいけないのではないか、と今日は若者の言葉に勉強をさせていただきました。
朝起きたら〝よっしゃあ″と言おう
受講者
コツコツとですか。
楳木代表
そう、積み重ねしかない訳だからね。
『霊主体従の法則』の御教えのように、自分の気持ちが弱ったら体は弱っていきますから。毎朝起きたとき体が痛くてもね、〝よっしゃあ″と思わないといけません。
信仰を持ってない人でもね、毎日何があっても「ありがとう」という言葉を出したほうが人生良いとかいう人がいるでしょう。
痛い時にね「痛みをありがとう」というのはなかなか言いづらいことですが、心がけていくと感謝に繋がっていくのです。
痛みというのは〝溶解した毒素が神経に滲みて痛い″のだと。だから〝溶けているのだ″と思ってください。
受講者
わかっているつもりなのですが行動が伴っていません。
楳木代表
ただ痛みが出ていても顔は良い顔をしていますからね。
以前の階段をスムーズに上がってきていた時の方が良くなかったですね。今の方がズーッと良い顔をしています。
受講者
久しぶりに会った息子にも「元気そうになっているね。」と言われました。
楳木代表
〝元気そうな顔″というのは〝毒素が排泄できている″ということなのですね。
こう言っている私も痛みはあるのです。支部の勉強会の移動でズーッと運転しています。ラッシュの中の移動もありますからね。夜になったら肩が痛いのです。寝るときズーッと浄霊して寝ないと次の朝はやはり痛いのです。言わないだけでね。
それを浄霊で乗り越えています。痛みは私の場合〝尿酸が溜まる″訳ですので、尿酸を溶かして外へ排泄すればまた元気になります。
自慢じゃないですがこの13年間『メシヤ講座』を一回も休んでいません。
交通事故で死にかけた時も『メシヤ講座』は次の月に新幹線を使ってでしたが、浜松と東京方面には休まずに執り行いました。
このようにできるのは、浄霊があるから〝体力を保持することができる″訳です。最近では各支部で安全な食事をいただけますので、余計に体を維持することができて大変ありがたいことです。
春は芽吹いているものを食べよう
受講者
今の時期非常に浄化が厳しいと思います。回りの人がたくさん浄化しています。
楳木代表
季節的にも芽吹きの時期というのは精神的なものもありますし、活力が自然界でものすごく出ています。当然我々の体も活力が旺盛になっていますので浄化が許されるのです。
それだけに芽吹いているものをいっぱい食べないといけません。筍(たけのこ)などアクの強いものを春は食べないと活力に繋(つな)がって行きません。
体自体があまり健康でない人は少量で良いので食べてください。少量でもこの時期は食べ続けることが大切です。それでもアクの強いものを食べ過ぎてはいけませんよ。
受講者
『自然界の全てのものは人間のためにある。』と教えていただきましたが、PM2.5や黄砂に含まれる化学物質なども体に入っても大丈夫なのでしょうか。
楳木代表
それは心配しないといけません。そしてそういった〝化学物質を排出しない″ように働きかけをしていかないといけません。
環境大臣などを中国に派遣して働きかけをしていくべきなのです。そのために中国に残ったにもかかわらず、解任させるというのは民主党もどうかと思いますね。
ですからああいうものは体に入ってきては良くありませんので、〝改善してもらう取り組み″を続けていかないといけません。
御神名について
受講者
「世界救世(メシヤ)教教義で御神名を明らかにされたにも関わらず、その御神名を唱えるという事が、これまでの教団の中ではなかった」と本部御神体御奉斎記念祭代表挨拶で御教示いただきました。日本観音教団および日本五六七教の教義にも『主の大神』の御神名が出ています。
※参照:メシヤ講座・三重「教義比較」
昭和24年当時より御神名を明らかになされていますので、〝認識はあった″と思います。認識はあったが御神名としなかったということでしょうか。
楳木代表
認識はあったのですが〝主宰神にさせていただこう″という高まりが、皆には、なかったのです。理屈の世界ではあったのだと思います。教義に入れているのですから、しかし
それは入れているだけで信仰にまで高まっていないのです。
ですから、メシヤ様が世界救世(メシヤ)教を開教して『いろいろ整えて行く』ということを、「一緒に整えさせてください」と申し出て整えて行くべきだったと思います。
メシヤ様ご自身を祈る体制を作っていくことですので、あまりご自分から〝こういうふうに祈りなさい″とか言えなかったのではないでしょうか。
神の下僕の下僕について
受講者
特選集に出ていました「神の下僕(しもべ)の下僕(しもべ)」の箇所ですが、『次期法王を決める「コンクラーベ」という言霊も不思議な響きがあります。世界の言語の響きの中には、日本語としても同義語として聞き取ることができるような、それこそ唸(うな)るような内容が数多くあります。』とはどう言う意味でしょうか。
楳木代表
まず「コンクラーベ」もそうでしょう。「根比べ」をしているでしょう。
決まるまでやる訳ですから。白い煙が上がるまで投票している訳ですのでね。
受講者
ああ、そういうことですか。
楳木代表
言葉の響きが「コンクラーベ」と「根比べ」が同じだということです。
受講者
言霊(ことたま)が同じですね。
楳木代表
言霊(ことたま)が同じだから動作も同じようなことをやっているのです。
回りの人たちも煙が上がるのを待ち続けています。みんな「根比べ」をしているのです。
楳木代表
法王ですので一番偉いのですが署名は法王とせずに「神の僕(しもべ)の僕(しもべ)」としているのです。そういう姿勢で〝物事にたずさわっていかなければいけない″と自分に戒(いま)しめているのです。法王というみんなから崇(あが)められる立場に立っても〝私が下僕(しもべ)なんだ″と自分を戒めていることで〝素晴らしい署名だなあ″と思ったのです。
「神の僕(しもべ)の僕(しもべ)」というのは「稔るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」という諺(ことわざ)と同じような意味であって非常に含蓄(がんちく)のある内容だと思います。
糖尿病改善の体験記について
受講者
『本部御神体御奉斎記念祭』の時の糖尿病改善の体験発表の人は『早まるな』を実践されたのですか。
楳木代表
糖尿病が浄霊をいただいて随分改善されたのですが、私たちにはズーッと黙っていました。
「調子良いです。」と数値のことは全然言わなかったのです。一年経ってこの3月になって初めて「数値が大丈夫だと言われました」と最近聞いたのですよ。まあ〝慎重な人もいるなあ″と思いました。この人は入会しておりません。
受講者
入会、未入会に拘(かか)らず奇蹟はいただるのですね。
楳木代表
奇蹟をいただけないと信仰心は普通できないでしょう。
よく世間の人で「私のような罪深い者が浄霊ができるでしょうか」という発言をする人がわりと多いのですが、『メシヤ様にお願い』さえすれば、罪深い人間であろうが、そうでない人であろうが、『浄霊力を授かる』訳ですから。
受講者
まず『浄霊力』をいただいて試していただきたいですね。
楳木代表
そうですね
受講者
メシヤ教の奇蹟の体験談があまりにも多いので驚かれる人がいます。
楳木代表
〝他はそんなに奇蹟がないのか″と言うことですよ。
受講者
公表していないのでしょうか。
楳木代表
なぜか素直に発表をしていないですね。もっと〝素直に喜んでいけばよいだろうな″と思います。
『地上天国祭』の時には乳癌の治った人の息子さんに発表をしていただきますが、他の教団からは取り上げてもらっていないのです。勿体無いことをやっていますね。
楳木代表
『本部御神体御奉斎記念祭』に本部参拝された人には見ていただきましたが、本部の庭の整備も松を植えて終わりました。この前五葉松の良いのを見つけて〝これを庭に植えると良いなあ″と思ったのですが、あまりにも高いのでね、枝ぶりの良い雄松を植木屋さんに植えていただきました。その時に植木屋さんが「ここにあの五葉松を植えると良いですよ」としきりに勧めるのです。「高いから買えない」と言っても勧めるので交渉しましたら半額になりましたので直ぐに植えていただきました。
素敵な庭になりましたので、ぜひまた来年お庭を見ていただきたいと思います。それでは、〝松の話″で終わらせていただきます。
一同
ありがとうございました。
<来月の御教え>
「『文明の創造』科学篇 神経痛とリョウマチス」(文創 昭和二十七年)