メシヤ講座no.125浜松(平成23年6月)

<今月の御教え>

『文明の創造』総篇 悪の発生と病(文創 昭和二十七年)

 

【メシヤ講座 浜松支部】

楳木代表

拝読をさせていただいて“ここは大事だな”と気づいたところがあったら・・・、まず拝読した人は?

参加者

薬は病気が治ると『錯覚した』ということです。そして、『之以上進むとしたら、逆に人類破滅の危険に迄晒(さら)されるので、最早之以上の進歩は不可とし、茲(ここ)に神は文明の大転換を行はんが為、私に対し真理を開示されたのである』 というところが一番大事だと感じました。

楳木代表

○○さんは?

参加者

私は、医学の根本は人間の悪を作り健康を弱らせるのが目的、というところです。

参加者

私は、血液の汚れということに私はズシンときました。今まで薬を服んだり、注射をしたり、電気をかけたり、諸々のことをたくさんしてきました。その血液の汚れによって病気が発生するということですから、血液を汚すということは非常にいけないことだ、と思いました。これから私たちも御教えを拝読させていただきながら勉強させていただきたいと思います。

楳木代表

今、電気のことが話しに出たのだけど、何故電気が人間にとってよくないのかというと、実は人間は電気の刺激で動いているのですね。そして、生命が地球上に初めてできた時のことを聞いたことがありますか?

地球ができたのは今から大体45億年前と言われていますね。そのとき地球は太陽に対して軸は垂直だったのです。地軸は。そこに天体がぶつかって今のように地軸が傾いたのです。傾いてバーンと出来たのが月です。で、その月が地球の周りをまわり始めました。月が地球の周りをまわることによって、海の満ち干が起きるようになったのです。だから地球に水ができる話をすると長くなりますので・・・、まずは地球上に水ができた状態になると、月の引力によって海の満ち干ができたわけです。そのときに満ち干が激しくなると、海の中に細かな泡がたくさん出来るのです。で、その細かい泡に対して、雷が始終落ちていたので、その電極を当てることによって、泡の中に生命の一番基になる塩基というものが生まれ、それから生命が宿ってきたわけなのです。ですから、生命を作るためには電気というものが不可欠であったということと、もう一つは我々の身体の中の信号は電気でやりとりしているのです。考えるときにも電気信号で考えているのです。ですから、そこに電気を当てるとそのバランスが崩れていってしまうということになります。バランスが崩れるということが次の病気を生み出してしまうのです。電気を当てることによって一時期痛みがとれたり、調子がよく感じたりすることがあるけれど、それが原因でまた次の病気を引き起こしてしまうために、薬以外の物的なものもあまり身体に当ててはいけないということがあるのです。だから大体は生命の生まれたときのことを考えていけば、人間がどのように生活をしていけば良いのかが大体わかるのですが、そういうことを無視して今の症状を抑えるということに集中してしまったために、例えば痛みが治まると治ったというように『錯覚』してしまうのです。この『錯覚』を約三千年間抱えてきたために、いまのような『地獄世界になったのだ』

とメシヤ様はご指摘されているのです。まず1ページ目に

『前項の如く悪の九分九厘に対して、善の一厘が現はれ、絶対神力を揮(ふる)って既成文化を是正すると共に、新文化を打ち樹(た)てる。早くいえば掌(てのひら)を反(か)えすのである。之が今後に於ける神の経綸の骨子であって、其(その)破天荒的企図は想像に絶するといってよかろう。』

とあります。ここ『神の経綸の骨子』とあります。ですから『神の経綸』といった場合はこれが『骨子』なんだということです。『神の経綸の骨子』という言葉は他のところではあまり出てきません。この『文明の創造』にこそ出てくるのであって、そして、とりわけ○○さんたちは前所属していた教団で「新しい経綸」とかいうような言い方で「薬を服みなさい」とか「手術を受けなさい」とか言われたと思いますが、「新しい経綸」というものはないということです。ここでメシヤ様は『神の経綸の骨子』とおっしゃっているので、この『神の経綸の骨子』はその後で変更するということをメシヤ様は発表されていませんので、後に人間の分際でその経綸を変更するということはありえないということですね。

そういうふうに解釈するために、この冒頭『神の経綸の骨子であって』というところを深く受け止めておいていただけると、今後いろいろな話がきても悩んだり迷ったりすることは一切起きないと思います。ここにメシヤ様が『神の経綸の骨子』 と述べられておりますので、この文言さえ押さえておけば、どんな説得の仕方をされても迷うようなことはないと・・・。

そのようにこの文章を受け止めていただきたいと思います。

そのあとに『破天荒的企図は想像に絶する』ということですので、この『破天荒的企図は想像に絶する』というのを、以下ずっと初めに報告してくれたようなことがずっと書かれているわけですね。その『破天荒的』な話の一番の冒頭が『禁断の木の実とは薬だった』のだということですね。

だから少し聖書を思い出していただくと、禁断の木の実というところがあって、それを悪魔が囁いて、「あれを食べたら良いぞ」「あれを食べたら良いよ」と言ったのは、実は今の状態とそっくりでしょ。「薬を服んだほうが良いよ」「手術を受けたほうが良いよ」と「血圧がちょっと高すぎるから、薬を服んで少し抑えたほうが良いよ」と。これが囁きである訳です。

しかし、血圧が高いのは高くなる理由があるのです。それは腎臓が疲れているから、腎臓がもう一回元気になってくれば血圧は正常に戻るわけです。ところが、これを血圧の数値だけを薬によって抑えてしまうと、肝心要の腎臓は疲れっぱなしになってしまうのです。さらにムチを打たれて疲れてくるということですので、数値は正常にみえても、結果的に自分の身体はどんどん悪くなっているということです。名医は200くらいまで大丈夫、とします。メシヤ様は300まで大丈夫と仰っていますが、今の医学的には140が高血圧と呼んでいます。この200から140の差は何かというと血圧降下剤を売るために下げているということです。売るためにということになると、製薬会社からそっちの方面に数値を下げてください、と頼んで、下げてきているということです。

私たちが少し整理して考えていくと、例えば今の政治も、東北ではなかなか復興が進まなくて、がれきの山だらけです。やっと車が通るところだけ空いているけれど、海岸沿いに行くと瓦礫が山積みされています。とりわけ平地の少ないところなので、とりあえず置いておくというところがなかなかないので、片付けが進みません。片付けが進まないために、その辺で異臭が漂ってくるので、消毒液をまくようなことをしています。

 

それでは菅総理はなぜ「退陣してくれ」と言われているのかというと、今は「やめろ」とか「いや、この法律が成立するまでやめない」とかいうことばかりテレビで取り上げているので、実はなぜ自民党が「やめろ」と言っているのかみんなに伝わっていません。なぜかというと、自民党はあの大震災が起きてすぐに、まず東北に震災の対応をする省庁を設置して大臣を常駐させて・・・、復興や救援を一番阻む理由は何かというと、縦割り行政のなのです。みなさんに何度も話していますが、民間機は救援物資を投下してはいけないという法律があります。自衛隊機しか救援物資を空中から下へ落下させてはいけないという法律があるために、民間機がいくらでもあるのに、救援物資を届けることができません。着陸する場所がないから。上から投下すると法律違反になってしまいますから。

これが、復興大臣がいて、超法規的に「措置を許可する」と言えば飛ぶことができるのです。そういうことを作って、大臣が常駐して、縦割りを全部撤廃するという案を、菅総理に届けているのだけど、菅総理はそれを無視して結局復興が遅れてきているということが、自民党の中にはあるので、「菅総理ではダメだ」と言っているのです。

しかし、そっちの方が全然報道されないので、茶番劇みたいなことばかりなので、程度が低いと海外から見られているのです。では菅総理はどうかというと、一回辞めると言った以上は、何月何日までにこの法案とこの法案を通して、今何万棟という仮設住宅を建てようとしているのでそれが全部出来上がってみんなそこに入ることができた状態になったら辞めますと。それを何月何日までにそれを仕上げて辞めますと言わないから。だからダメなのですね。ですから、いつも私が言う、菅総理は物がわかっていないというのは、問題解決をするときには期限を切らないと

問題解決という話は成立しないのですよね。何月何日まで取り組んでそれでもできなければ責任をとるとか、それまでやり抜いて辞職しますとかいう発表をしないと、みんなは納得しないのです。しかし、そういうところを曖昧にしているので、みんなブーブー言っているのです。

これは報道の仕方が最も悪いわけです。問題の原因や本質を報道しないために日本人全体がイライラさせられているし、今度は夏になると節電をしなくてはいけないとか、閉塞感に覆われるような報道しか流れてこないのです。しかし、このことを通して、日本人は本来どうあるべきかということをもう少し考えてそれを提言していくような報道をしてくれると、大震災が起きたのだけれど、日本人はこれをバネにしてもっと素晴らしい日本にしていこうという機運が盛り上がってきくるのだけれど、どうも悪いことばかり流れてきたり、あるいは茶番劇みたいなことばかり報道されてきたりしているので、日本人のレベルがどんどん下っていってしまっています。だから何とかしていきたいと。そのためにメシヤ様は『文明の創造』をお書きになっているのだと。そのように感じますね。しかし、その『文明の創造』を受け継いでいる人たちがその意味がわかっていないために、世界救世(きゅうせい)教自体が未だにダラダラとケジメもつけず収拾もつかないままなのですね。そういう状況であるということが『文明の創造』を拝読すればする程わかってくるのではないのかな、と思います。

そして、1ページ目に『人間薬剤さへ用ひなくなれば悪は発生しないのである。斯(こ)う判ってくると禁断の木の実、即ち薬剤こそ悪発生の根本である事が分るであろう。』とあります。ここでは『悪発生の根本であるとわかるであろう』と書かれています。

で、その次の段落の最後のところに『といふのは浄化作用停止には身体を弱らせる事であって、弱れば浄化作用も弱るから、それだけ苦痛は緩和される。それを病気が治る作用と錯覚したのである。』とありますね。

だから先ほどから話に出ている薬剤というのは人間を『錯覚』状態に陥れているのだということですね。現代人ほとんど『錯覚』状態で生活をしているということです。そういうことに目覚めた人たちは『錯覚』から脱出できた訳です。

という訳で『此(この)誤りこそ、今日の如き苦悩に満ちた地獄世界を作った根本原因である』と記述されています。だから今の地獄世界を作った根本原因がこのことであるということで、ここで『根本』という言葉が2回出てきます。メシヤ様は『根本』という言葉を2回おつかいになっていますので、ここの箇所に印をつけておいてください。『根本』『根本』って。

メシヤ様の論立てはここにあるのだというようにしてチェックしておいていただけると大変ありがたいと思います。

それで後ろのほうにいきますと、最後から2つ目の段落の下のほうに少し長く読みますが、

『而(しか)も一面原始人的健康であった人間は、前記の如く動物を征服し、生活の安全を得るに従ひ体力も弱ったと共に、智識は進んだので茲(ここ)に平坦な道を作り、馬や牛に車を牽(ひ)かせて歩行せずとも移動出来るやくになったのである。右は日本であるが、外国に於ては石炭を焚(た)き、レールの上を走る汽車を考え出し、一層進んで現在の如き自動車、飛行機の如き素晴らしい便利な交通機関を作り出すと共に、多面電気ラヂオ等の機械を作る事になったのである。尚(なお)又人間の不幸をとり減らすべく社会の組織機構は固より、政治、経済、教育、道徳、芸術等、凡(あら)ゆる文化面に亘(わた)って学問を進歩させ巧妙な機関施設等を作り、それが進歩発達して、現在の如き文明社会を作ったのであるから、帰する処来るべき地上天国の準備に外ならなかったのである。』

ということです。この『地上天国樹立の準備に外ならなかった』ことを、これを基にチェックしてゆくと、電気ラヂオは発展して現代は何になりましたか?○○君。

参加者

テレビです。

 

楳木代表

そして、テレビが更に発展して何になっている?テレビの世界では更に発展しているでしょう。何になっていますか?今の新しいテレビは何?3Dのテレビが出ているでしょ。3Dのテレビが更に進んでくると、こういうところにいくつかのカメラから映し出すと、立体画面が映し出されて電子記号とかを押しながら、結び付けていくと新しい物質に変わるような装置が見えてくるから、科学の進歩がより進んでくるわけです。化学記号と化学記号をくっつけるとその記号に沿ってコンピュータが計算をして、「こういう物質になります」とここの画像で作り出してくるようになります。アメリカの一番先端の学校に行くとそういうことが少しできるようになってきています。そういうテレビを観たことがあるでしょ。進んでくるとそういうことができるようになってきます。iPadの場合は1年で30パーセント軽くしたり、薄くしたりしているから、これから1年といわずにどんどん薄くなっていくと、大体下敷きくらいの薄さのパソコンがもうすぐでてくるようになってきます。そうすると我々の荷物も、私もあんなに大きなかばんを持たなくても良いようにもう何年かでなってくると思います。ポケットから薄い手帳を出して、拡げて、大きな画面になり、「みなさん、こういうものですよ。ここのところを読んでください。」というようにすぐになっていきます。これから加速度的にそういうものが発展していきます。これを良い方向に使っていくということが地上天国建設ということです。○○君のおとうさんの仕事は何をしているか知っていますか?

参加者

うーん。わかりません。

楳木代表

会社名は?

参加者

○○です。

楳木代表

その会社は何をやっているの?

参加者

知りません。

楳木代表

電子部品を作っているのでしょう。そういうものをやっているということが、その研究や従事している仕事が将来にわたって、何パーセントかが地上天国の建設に役立っていくということです。

○○ちゃんのおとうさんは何をやっていますか?

参加者

自動車やオートバイの部品を作っている会社です。

楳木代表

どこの部品かわかりますか?

参加者

主に〇〇〇の部品です。

楳木代表

そうすると、ここに出てくる『現在の如き自動車、飛行機の如き素晴らしい便利な交通機関を作り出す』というところの、車のその部品の部分はとても大事なところだね。その部品がよくなればよくなるほど、車というものはスムーズに動くようになってくるから、その地上天国建設というのは、地上天国というのは非常に人間が便利で豊かな生活が出来るという時代ですから、その豊かになるというところのその部分を担っているわけだから、その仕事は地上天国建設の一部分なのだ、というふうに解釈をして、うちの夫が一生懸命働けば働くほど地上天国建設に繋がっていくのだというように思って、夜仕事から帰ってきたら、「地上天国建設お疲れ様でした」と迎え入れなければいけません。このように組み立てていかないと家庭は明るくなっていきません。そうしないと、帰ってきたら「あーまた帰ってきた」というように見ていると家庭の中がどうにもならないようになってくるから、「あー地上天国建設から帰ってきたのだ」と思うと、心から感謝が・・・。

また、○○さんの仕事も掃除がメインですが、しかし会社自体は製造業ですから、それを作る会社の下のところをいつも綺麗にしているという役割は、この掃除をすることによって、掃除をするということは家庭でも何でも、何の為に掃除をするかというと、その空間で病気が発生しないということと、気持ちよくみんなが生活するということです。だから職場でいくとなぜ掃除をするかというと、気持ちよく仕事がすすむということです。

そして、気持ちよく仕事が進むとミスが起きない、と。だからどこの会社も掃除がちゃんと出来ている会社はわりと巧くいくわけです。それの真髄を掴んでいる会社がイエローハットでしょ。イエローハットの従業員はお店の周りの道とかも掃き掃除をして回るでしょ。イエローハットの社長が掃除に対する信念をもって社員にやらせているわけですね。

もとよりメシヤ様もそうで、メシヤ様も光琳堂という小間物屋をやられたときに一番にお店に出て掃除をしていました。岡田商店になって、あとでいわゆる特許をとるようなそういう装飾品を作ったのですが、その前はやはり一番基本は掃除から始めています。だから家でもみんなが気持ちよく生活するためには掃除が一番根本だということです。そういうところから地上天国建設のためにはどうしたら良いかということを考えていくと、今の10行くらいのところを自分に受け止めていけば、今の自分は何をやるべきかということが段々見えてきますので、そういう積み重ねを、御教えを拝読しながらやらせていただくということが大事だと思います。
地上天国樹立のための準備に自分もかかわっていくということになります。

□□さんの仕事は、トラックの運転手がクタクタになってトラックを止めてきます。そのときに一口何か食べていこうかとお店に入ってきた時に「いらっしゃいませ、お疲れ様でした」と言うと疲れが吹っ飛ぶのです。そのことが地上天国建設に繋がっていくのです。例えば、納入するトラックが時間指定をされているので、待っていかないといけない。運転手にしてみれば「時間の指定も厳しいし、コストも下げるために本当にうるさいなー」と思いながらぶつくさと言って運転してきたとしても、□□さんの顔を見た途端に「あー疲れがとれたなー」と思ってもらえると、その部品自体が組み立てられる時にミスを起こさないということになります。例えば何十キロなり何百キロなり不平たらたらで運んできた部品は、組み立てられる時にミスを誘ってきます。その不平たらたらが。だからそのお店で疲れが取れたとすると、そのミスを出さないような部品として納入されるから更に良いものが出来上がってくる・・・と。

このように世の中をすべて良い方向へ良い方向へと変えていくことが霊主体従の法則を知った人たちの生き方だということに繋がっていきますので、こういうことを拝読しながらそういうふうに、いつもいつも組み立てていっていただきたいと思います。そうなってくるとビールなり焼酎が生きてくるのです。(笑い)クタクタになって帰ってきたときにクーッと飲んで「あー美味しかった」と言って一晩寝るとストレスが全部消えて朝起きるとやる気満々で仕事に行けると。こういうようになってくるのですね。

それで最後に書かれているように『逆に人類破滅の危険に迄晒されている』というのは、このままずっと医療で進んでいくと人類破滅に繋がっていくので、ここら辺でストップをかけるということで『ここに神は文明の大転換を行はんが為、私に対し真理を開示されたのであるから、之によって悪を或(あ)る程度制約し、善主悪従の文明世界樹立の時となったのである』と、メシヤ様は主神様とメシヤ様の関係をこのように簡潔にまとめられておりますので・・・・・。

ここで神観というものが確立されていくということになりますので、メシヤ様に真向かうとき、主神様に真向かう時に、この文章をもとに真向かうということになれば、一層信仰というものが育っていきますので、このところも肚に入るように、繰返し繰返し拝読していただけると大変有難いと思います。

それでは、この御教えを拝読して心に留めておいていただきたいことを今ご説明しましたので、あとは聞きたいこと等がありましたら、聞いていただきたいと思います。
こんなこと聞けないなと思うことでも何でも良いんだよ。聞きたいことはない?

参加者

美容師になりたいのですが・・・。

楳木代表

美容学校に行ったら良いよ。美容師になりたいんだね。そうか。ではそっち向かってしっかり勉強してください。

 

臓器移植

参加者

死んだあとにドナーになって、角膜とか臓器提供とかあるのですが、どうなんですか?

楳木代表

あれは絶対にしない。

参加者

△△さんに聞いたら「神は見守っている。人間を見つめている。」と言っていたのですが。

楳木代表

そういう人たちの過去の体験をいろいろ聞いてきましたが、ご不幸になります。体の部位を提供するのもありますが、解剖に提供するということもあります。献体をした遺族の家に一回私住んだことがあるのです。地主が提供してしまって。その家はものすごく異様な音がいつもするのです。そして、快適ではないのです。それでよくよく聞いたら解剖に提供して、だからまだ葬式ができていないわけだね。遺体を切って解剖して研修につかって、全部終わって遺体が返ってくるのに3年位かかりますから、それから葬式をしますので、その間霊は、良かれと思って提供しても、霊は自分の遺体が腐らないように入れられて浮かんでくるからアルバイトの人が棒で沈めてまた浮かんでくるというのをずっと見ていなくてはならないのです。例えば自分の身体がそのようになっていたら、後悔の念でいっぱいでしょう。だから気づいてもらいたいために、一生懸命遺族に信号を送るのだけど、遺族も気がつかないので、結局遺体が切り刻まれる間ずっと我慢していなくてはならないのです。後悔の連続です。

それと最近移植がまたどんどん行われるようになったけれど、最初に札幌医大で心臓移植をした時には、移植を提供した人ももらった人もすぐに死んでしまったでしょ。死んだあと、いつも遺族の枕元に立って、提供した人は「私は死んでしまったけれど、ここにぽっかり穴が開いてしまっているので、霊界で不自由で仕方がない」としきりに訴えたのです。遺族は、心臓移植は絶対にしてはならないと伝えたので、札幌じゅうの人が心臓移植手術はいけないということが知れ渡ったのです。また提供を受けた人も「人のものがあるので、とてもでないけど霊界でしんどい」と遺族の枕元に立って訴えたので、その2つが札幌じゅうに広がって、それからパタッとみんなが恐ろしくなって移植手術ができなくなったのです。

しかし、それから年月を経て、医学界で準備をして、そんなのは迷信だとみんなに教え込んで言って、また今やり始めたのです。移植は人のために役立つのだというように話をして。これは、霊界のことを知らないからそういうことが言えるわけで、霊界のことを知った人はそういうことをとても言うことはできないね。

参加者

アメリカは神を信じている国ですが、移植は普通にしているけれど、アメリカの霊界はすごいことになっているのですか。

楳木代表

霊界というよりも、アメリカは死んだらその先はないと思っているから。霊界生活を認めていないから。霊は認めているけれど、霊界生活を信じてないから。だからアメリカには位牌がないでしょう。亡くなったら家に何もないでしょう。お墓しかありませんね。だから絶えずお祈りする対象がないでしょう。霊界生活というものを認めてないからお供え物もしないのです。しかし今、心臓移植を受けた人に「2回目をやりますか」と聞くと、「やりたくない」と言う人が多いそうです。それはなぜかというと、人の心臓が入ってきているので、例えば初めてみんなの前で話をするときには普通緊張してドキドキするでしょう。そうした興奮と心臓の連動がないのです。だから生きている実感がないのです。ただ血液を送り込んで、生活をしていますが、例えば好きな人ができ、その人のそばにいてもドキドキしない、興奮もしない。そうすると生きている実感が全くないので心臓移植はダメだと言って2回目を希望しなくなるのです。そういうことを大事にしない人は何回も心臓移植を受けていますが、人間としての貴い生き方をしたいという人は2回目を希望しないでこのまま死んだほうが人間らしく死ぬことができる、というように思っているのでね。そういう報告をみんなつぶさに聞いていくと、提供を受けたり提供したりするというのはやめたほうがいいと。それからその前に脳死判定というものがあります。人間の死は脳死が死であると。

参加者

でも死んでないのですよね。

楳木代表

死んでないのです。そういうのは漫画で黄昏流星群というのがあるでしょう。島課長の作者の弘兼憲史さんが書いたもので、管だらけになって意識がないと医者から言われていても、しゃべれなくても「おれは意識があるんだー!!」というのを叫んで、死ぬまでみんなが自分の悪口を言ったり叩いたりしたのを全部聞いてから死を迎えるという漫画があります。そういう世界を認めれば脳死というのはおかしいということになります。

で御教えからいくと、夜静かにして自分の心臓の音をドッドッと響かせると、心臓の音だけを暗い中で静かに聴くとなんとなく恐いような音に聞こえてきます。それはなぜかというと霊界と現界とを結ぶ音だからです。

血液は霊が物質化したものですので、霊界から心臓を通して霊を送り出す時に、血液として送り出しているわけだから、浄霊をすると輸血になるというのは、浄霊をすればする程霊が充実してくるから輸血になって血液が増えてくるということです。そういう関係をいくつもつなげていくと、臓器提供とかは人間としてはやめたほうがいいということになります。

参加者

骨髄提供とかもそうですか?

楳木代表

厳密に言うとそうなります。輸血をすると人格が変わってしまうでしょ。これは人の霊が入ってきてしまうから。輸血を受けるとどうしてもそういうことが起きてしまいます。それと輸血を受けると28年後に肝硬変を起こしてしまうということが大体わかっています。だから輸血が二重に恐いというのは、そういうことで、霊的にも恐いし、肉体的にもそういう問題を抱えているのだと。そういうものがあるので、今の輸血の血液はものすごく細分化して成分毎に輸血するということに変化しています。それは、一応問題があるというのがわかっているからそのように変えてきているのです。

 

霊界で救われていきますように

参加者

私の祖母が心臓にペースメーカーを入れていたのですが、入ったまま亡くなってしまったのですが大丈夫ですか?火葬した時は取ったのですが・・・。

楳木代表

うーん。苦しんでないといえないことはないと思いますが、知らないでやったことなのでね。メシヤ様は知っていてやると大きな罪になるけれど、知らないでやった場合はそれほどの罪にはならないとおっしゃっていますので、その言葉を信じて、とにかく霊界で救われていきますように、と日々こういうところへお参りに来たときにご祈願をしてあげてほしいと思います。そういう人にはね。

昔、人工弁を入れていた人がいて、人工弁を入れると10年に一回取り替えなければならないのです。その人は、40代で入れていたのですが、障害者なのでまだまだ働ける年齢だったけれど働くことができませんでした。そして手当てをもらって生活していたので、「その若さで動けるのだからやはり働いて手当てをもらわないような生活をしたほうが良いよ」と話すと理解してくれて、働き出して、週に一回浄霊をいただきに通っていたのだけど、10年経って人工弁を変えた時に、なんと人工弁を変える必要がないくらいきれいだったそうです。しかし、その人はもう自分の弁がないので、入れ続けるしかないのですが、そういう生き方を変えていくだけで人工弁を変えないでいいくらいきれいなまま維持することができるのです。これは血液がきれいになっているということです。浄霊をいただいて、自分のやるべき仕事をやるようになったためにね。そういう御守護をいただいている。そういう例もあるから、してしまった人は仕方がないので、その中で最善を尽くして生きていくようにすれば御守護はあるということをその人を通して学ぶことができました。

 

「あー今日も生きていた」「メシヤ様ありがとうございます」

楳木代表

○○さんはどうですか?最近体調はどうですか?

参加者

あまりよくないです。

楳木代表

よくないですか。顔色は良いですけどね。

参加者

最近もうだめになってしまうのではないかと思うことがあります。

楳木代表

なんで?どんな状態ですか?

参加者

朝方とても調子が悪いのです。

楳木代表

朝ごはんは食べることができましたか?

参加者

はい。食べることができました。起きてしまえばいいのですが、起きるまでがとても辛いです。

楳木代表

○○さん、それは私と一緒です。私も一緒です。私も朝、目が醒めた時にね、こうやってここまで1000キロくらい車を運転して、道中行事をしてくるでしょ。朝、目が醒めた時ベッドの中で疲れきっています。私も疲れきっています。しかし時間が来たら起きて、朝メールを見るとたくさんきているから、振り分けて返事をしなくてはいけない人に返事を返していく仕事をしなくてはいけないなと思って起きると元気がみなぎってくるのです。これは疲れてきて、○○さんも病気をやってきたわけだから、起きた時はそうなんだと。しかし、そのときに生き方、起き方を変えていく。

「あー今日も生きていた」と。そして「メシヤ様ありがとうございます」という気持ちで、まず感謝の気持ちからスタートすると、身体の中に元気がみなぎってきますので。そして、気合を入れて起きると、それだけでも・・・。で、幸いな事に朝ごはんを食べることができていますから。食事ができるということは非常に健康だということです。体調が悪い時には食欲がまずまったくおきません。○○さんは今までの経過によって、どうしても自分は病気だと、体調がどんどん悪くなるという思い込みが随分させられています。おとうさんとの関係も自分自身にとっても不幸な面もあったので、その思いを楽天的に変えていくということがちょっとできてないこともあるので、それをちょっと訓練してもらいたいと思います。医者というのは患者さんが訴えれば訴えたことに対応しようとするから、「今度検査しましょう」とか「手術しましょう」とかいう話になります。だから、もとの気持ちを整理していったほうが良いと思います。その気持ちをここで浄霊をいただいいた後に、みんなで、ここで話し合いをしたほうがいいです。「今朝こんな症状がでたのですが・・・」とか話をして、「私たちもそうですよ」とか「そんなこともあるよ」とか聞いたら「そうなんだ」というようにして、少し自分の気持ちを楽天的に切り替えていかないと、自分の気持ちで身体をどんどん悪くしてしまっているところがあるので・・・。

医者は症状を訴えられえると、対策を練らないといけないと思い込んでいるので。これが対症療法の一番の弊害なのです。現代医療の。対症療法だから。患者がなにか言った場合にはそれに対処しなくてはいけないと思い込んでいます。

本来は「人間はこうあるべきですよ。だからこっちの方向に行きましょう」と教えてくれるのが医者なのです。江戸時代まではそのような医者ばかりでした。蘭学が入ってくるまではそのような医者ばかりでした。「あなたにはこのような問題があるから、このように生きていったほうが良いですよ」と。具合の悪い所のカバーの仕方を説明しながら、患者さんの気持ちを落ち着かせて、うまく生きるようにしてあげていたのです。これが名医でしたが、蘭学が入ってきてから対症療法に一気になってしまったので、患者が何か言うとそれに対処しなくてはいけなくなってしまったので、その点が今までずっと続いているのです。

ですから少し切り替えてください。もう一回自分の人生を振り返ったときに、ダンスというのを教えているでしょ。ダンスというのは、文化的な生活の中では、社交界を充実させる一つ手段として大きな役割を持っているわけです。そこに自分が今でも従事しているということは、地上天国建設の一部分を担うことができているのだということなので、喜びを自分のなかに膨らませていかないと・・・。せっかくやっていても、もったいないのです。あこがれて入ってくる人たちもいるのですから。その人たちの気持ちもより一層高まっていくように、自分がリードしていくように。そういうようにして少し自分の生活自体の組み立てをしていったほうがいいと思います。浄霊をいただきつつね。そうしないとどうも自分の“悪いところ探し”をしているようになってしまいます。実際起きたときに布団の中でつらいこともあると思いますが、気持ちを切り替えて、元気を出していく、というようにしていくとよいです。そして、ここに浄霊をいただきにきて、御力をいただきながらやっていこうと考えてください。

参加者

皆さんとおなじような普通の生活がないので。

楳木代表

しかし、違うものがあるでしょう。○○さんには。みんなすべてを満たされているわけではないので。親から受け継いでいるものもあるし、自分の仕事が一部分華やかなところに携わっているというところもあります。他の人はなかなかそういうことは出来ないのです。隣の芝生は良く見えるという世界がお互いにあるわけです。だから何とかここに通いながら浄霊をいただきつつ、その点をチェックしてみてください。今まで自分がこうだ、と思い込んできたものも、他の人の目から見れば違う点があるかもしれない、と。そのようにみんなと話をしてもらいたいと思います。

そして、急激にすぐ医療にかかっていかないように。すぐ手術を受けてみようとか。そういうようにパッパと決めていかないように。これだけみんなが△△さんのことを心配しているのです。そして、ここで一緒にお祈りしたり、浄霊をしたりしてくれる仲間がいるのだと。家庭的にはちょっと欠けているところがあると感じているかもしれないけれど、このように祈ってくれる人たちがこれだけの人数いるという、これほど嬉しい状況はないですので、そっちのほうを大事にしてこれからいってください。こういう話は初めてしますが、ここに通い始めて、浄霊力伝授だけで入信はまだしていませんが、しかし、これだけ通ってきてみんな仲間だという意識をもって、日々具合はどうかなと思ってお祈りしてくれているわけですので、少しそういうところに踏み込んでいってもいいのではないのかなと思いましたので、参考にしていただきたいと思います。

 

【御教え 『医学の盲点と白然良能力』地上天国 二十六号(昭和二十六年七月二十五日)】

現代医学の誤っている事は、常に私の唱えている通りであるが、その中で最も誤っている点は何かというと、人間が先天的に保有している自然良能力を全然無視している事であって、それは斯(こ)うである。

今仮に、病気に罹るとする、早速お医者に診て貰うと、お医者は「早く来てよかったですね、若し手遅れになると飛んでもない事になる処でした」というのはよく聞く話であって、全く医学では発病するや放っておくと、益々悪くなるように思うからである。そこで極力それを喰い止めるべく薬剤をはじめ、種々の療法を行うのであるが、之にみても医学は手遅れになるのを大いに嫌い、何でも早い内に喰い止めなければいけないと思う点に、大変な誤りがある事を教えなければならないのである。何となれば病気とはいつもいう通り毒素の排除作用であるから、其儘(その

まま)放っておけば順調に排除されて了(しま)い、病気は治るに決っている。即ち熱、咳、痰、鼻汁、汗、下痢、痛み、痒(かゆ)み等凡(あら)ゆる苦痛が其(その)為であるから、少し我慢さえすれば、汚物は出るだけ出て体内は綺麗になるからである。としたら手遅れなどという意味はない訳である。処(ところ)が此(この)理を知らない医学は、反対の解釈であるから、放っておく事を非常に恐れ戒める、ツマリ出ようとする汚物を出さないようにして、固めるのをいいとしている。之では病気根治など出来ないのは当り前である。それから今一つの医学の盲点は、よく怪我をしたり、火傷(やけど)などすると、大抵は膿(う)む事になるが、之を又非常に恐れ膿を出さないよう種々の方法を行うが、之も大変な間違いである。というのはそういう刺戟によって其(その)部へ毒素が集まるもので、どんな人間でも必ず相当量の毒素を保有しているから、何かの機会があれば体外へ排泄されようとして、忽(たちま)ち傷口目掛(めが)けて集中し、排泄されようとするのであるから、化膿の部分が大きい程毒素も多く出る訳で甚(はなは)だ結構なのである。処が医学は化膿するのは徽菌が侵入して繁殖する為と、悪い意味に解釈するから、極力化膿を止めようとし殺菌剤などを使い、冷やしたり、注射をしたり、安静にしたりして、色々な手当を行う、という訳で吾々から見れば、馬鹿馬鹿しい程の逆を行(や)っている訳である。処(ところ)が此(この)殺菌剤が問題である。というのは之が先ず筋肉から滲透し、時日が経つと恐るべき中毒作用を起す事になる。何しろ如何に微細な徽菌と雖(いえど)も、生物である以上、それを殺す程の薬剤としたら、人体に与える影響も又甚だしいのである。それで消毒剤が古くなると猛毒に変化し、早晩此(この)浄化が起る、即ち発熱、痛み、不快感等非常に悪性の悩みで、其(その)際医師に診せると原因不明の病気と言われるが、何ぞ知らん此(この)原因こそ医療が作ったのであるが、マサカ医師としては消毒薬が原因であるなどとは夢にも思えないから、治療の施しようもないというのはよく聞く事である。

此(この)様に人体は、常に汚物排除の清掃作用が起るので、之を称して自然良能力というのである。此(この)様に人間は生れ乍(なが)らに病気を治す自然良能力を有(も)っているとしたら、此(この)良能力を尊重し、発揮させる方法こそ、真の医学であるべきに拘(かか)わらず、反って其(その)良能力を阻止するのを可として、それを進歩させるのであるから、如何に誤っているかが分るであろう。之は理屈ではない、何よりも事実がよく示している。仮に寒冒に罹るとする、之を最初から何もせず放っておけば、前述の如く速かに治ってゆき、普通一週間位で済むものを、医療を受けると三週間も四週間もかかる事になる。而(しか)も自然療法なら、支障なく順調に治ってゆくが、医療を行うと仲々治らない。余病が併発したり悪化したりする。中には結核になる人さえある。然(しか)し偶々(たまたま)医療で治る事もないではないが、それは医療の妨害に勝つという旺盛な治病力の持主だが、こういう人は寔(まこと)に少なく、大部分は溶解毒素が一時的にもせよ固まって全快したようになるのである。

以上によって大体分ったであろうが、事実現代医学は大いに進歩したように見え、有難がっている処に其(その)迷蒙さがあるのである。

以上によってみても、人間は自然良能力という医療も及ばない程の、素晴しい治病力を天から与えられている以上、之を知っただけでも如何に大きな幸福を摑み得たかである。処(ところ)が本教浄霊は、其(その)自然良能力をより強化し、より促進させる方法であるから、最も進歩した合理的治病法である事を知るであろう。 (自観)

 

楳木代表

では、これで一旦終わらせていただきます。ありがとうございました。

 

[メシヤ講座no.125 浜松支部 2011(平成23年)6月]