メシヤ講座no.100日月地(平成21年5月その3)

 

楳木先生への質疑応答4〜宗教というもの

 

質問者  オウム真理教事件の時に、いろいろなコメンテーターや宗教学者達が、テレビの場で事件のコメントをする時、宗教そのものを否定する様な発言をしていたのを思い出します。あの事件そのものから宗教を語ってしまう事自体、宗教についての理解があまりにもないと考えてしまうのですが。

 

楳木先生  宇宙の構成がわかっていないと、宗教学者としては理解度が深まっていかないのです。例えば、「古事記」の中に国造りの件(くだり)がありますね。最初に、妻神の伊弉册尊が天の御柱を先に回って、後で夫の伊弉諾尊が回ったら、うまく国造りが出来なかった。だから、「これは順番が間違ったからだ」ということで、伊弉諾尊が先に左回りをし、伊弉册尊が後で右回りをしたら、うまく出来た。これは何を意味しているかと言うと、御柱を二回回ったという事は、所謂、二重螺旋という事です。だから、神話の中に、生命の源は、二重螺旋構造の遺伝子によって構成されているという事が既に出ている訳です。神話の中にこうした事を見る事が出来なければ、宗教学者としては見方が浅いと言わざるを得ません。何故なら、現代の学問体系の進展はキリスト教がアラビア諸国の学問に劣っていたために、その巻き返しを図ろうとして懸命に取り組んだ結果なのです。有名な話が、十字軍が遠征したところアラビア数字に出会った。アラビアの世界には「0」の概念が存在したことに驚き、研究に没頭したのです。キリスト教の世界には、それまで「0」の概念がなかったためです。ですから“21世紀は2001年から”ということになるのです。キリスト教の牧師が驚愕して学問に取り組み始めたのです。当初は迫害を受けることもありましたが、“キリストを信ずるものが最も優秀でなければならない”という気概で取り組んだのです。何事においても宗教が根っ子にあるのです。

 

質問者  単に表面的な事だけを記録するのではなくて、宇宙の誕生にまつわる見えない部分をはじめとして解明して行く事が、宗教学者の役割でもありますし。

 

楳木先生  このかけがえのない地球の中に生命が宿ったという過程をじっくり見て行くと、何かによって導かれてこういう形が形成されていったという事がわかります。科学的に、150億年前に、宇宙がビッグバンによって出来たとか、45億年前に地球が生まれたとか、その、何億年もかけて起きている出来事の中で、どうしてこのような整った地球が出来て来たのかという事がわからなければ、宗教というものがわかったという事にはなりません。よく「宇宙意志」と言うでしょ。意志によって現界が形造くられた過程ですね。科学者が論理を突き詰めてゆくと一種のインスピレーションが湧いて、新発見を得ることがあります。突き詰めてゆくと、宇宙意志から伝わってくるのです。ですから、私達は「神」と言うけれど、科学者でそうした深いところまで到達した人は「宇宙意志」と言うのですね。先程の神話の様な事はそのように伝達されたものです。インスピレーションは、頭脳が勝手に湧かせるものでしょうか。勝手に発想するというのでしょうか。とてもそのようには思えませんね。頭脳はどこまでも意志を現界に現わす時に使うものです。

 

質問者  実際は、宗教学者と言われる人達は、○○教の教祖は誰で何年に出来て分派がいくつあるだの、非常に表面的な知識だけで宗教そのものを論じてしまう事が多い様に見受けられます。

 

楳木先生  それは単なる整理で、学者のやる事とは言えないでしょう。

 

質問者  そうですね。年表、資料の類いを諳んじているだけで、頭は良いのかも知れませんが、本質の、宗教心の追求が欠けていますね。

 

楳木先生  物を整えて行くには非常に時間がかかるのです。地球にしても、出来てからここまで来るのに45億年以上の歳月をかけて仕上がって行く訳です。生命が誕生してからだって38億年を経ていますし。地球というのは当初火の塊だった訳ですね。そこへ彗星がぶつかって来る。彗星は氷の塊ですから、当然水蒸気爆発を起こす。すると地表が冷やされ、大気も出来て来て雨を降らせ海が出来ます。そうして満ち引きが起きます。その時に生命がやっと宿ることが出来たのです。生命の誕生には海の満ち引きが欠かせなかったので、生命に関わる漢字には月が付いているのです。神様が漢民族に漢字を教える時に、そうした成り立ちの意味を踏まえて創らせたのです。また、月は1年に4センチずつ地球から離れている、と言われています。そのことが進化を誘導している、としか思えません。進化は38億年という気の遠くなるような時の流れで今日を迎えているのです。その流れの中で見て行くと、哺乳類が誕生してからの年月は、まだ非常に浅いのです。

 

質問者  哺乳類でも浅いのに、ましてや、人類の歴史は、せいぜい500万年あるかないかですよね。そうすると、長い歴史の中で、人類の歴史は九分九厘と一厘みたいなもので。

 

楳木先生  大きい恐竜が滅びる時期と、哺乳類の誕生の時期は、重なっています。哺乳類と爬虫類の決定的な違いがあって、遺伝子のXYの、Yが生まれた事によって、哺乳類が誕生しているのです。

 

質問者  爬虫類にはYがなくて、XXな訳ですか。

 

楳木先生  そうです。何故なら、爬虫類には胎盤がないから。

 

質問者  爬虫類までは卵から生まれますからね。

 

楳木先生  胎盤を持ったという事が哺乳類だから、その胎盤を持つ事は、XY遺伝子が生まれた事によって出来た訳です。このように、現在の世界が生まれる迄の過程をずっと見ながら、神様の、所謂「御経綸」というものを見つめて行くと、メシヤ様が大本教のお筆先を紹介した中に、「神の奥には奥がある、そのまた奥の奥の仕組であるから、人民には分りようはずがないぞよ、神界の事は分らんと思う人民は、判ったのであるぞよ」というものがありますが、この表現は、こういった長い過程の仕組みをさしているのだというのだという事が見えてくるのです。

 

質問者  人間に判る様なチョロイ仕組みではないという事ですね。

 

楳木先生  そうです。XY遺伝子の、Yによって、男になったり、女になったりするのと、胎盤が出来る事とは、遺伝子が非常に関係しているという事を考えた時に、そのように仕組んで頂いたお陰で、現在、人間というものが存在する訳だから、この人間を生む為に、本当に、緻密で、長い長い御経綸がずっと続いて来たという事を考えた時に、最後に出て来た人間が、人間生活を送るという事は、本当に貴重なものだから、その貴重な人生を有意義に生きる為に、我々は「信仰」というものを持つのだという事、こういう気持にならないと、今回の教団改革もまた浅い所で終ってしまいます。

 

質問者  教団改革で使われる「御経綸」という言葉は、まるで違う意味で使われていますから。三派分裂だけの、小さな問題を「御経綸」で片付けてしまう事自体、気の遠くなる様な長い時間をかけて我々の生命を今の時代につなげて下さった主神様に対して、大変に失礼な事と感じます。

 

楳木先生  この長い長い御経綸があって自分達が存在している、それ故に、私達は、主神様という御存在に絶えず感謝のお祈りを捧げないと、本当の意味で、有意義な人生にはなって行きません。

 

質問者  目先の事だけにとらわれると、自分さえ良ければいいという人生になってしまいます。その自分が、どのようにして生まれたのか。それも、父母、祖父母、曾祖父母、ご先祖様という数えられるぐらいの代だけではなく、地球の歴史、宇宙の歴史といった長い視点から見つめようとすると、主神様には、無限に大きい存在で、理解を超えており、ひたすら感謝と畏敬の念を持って、心より崇め奉り祈るしかなくなって来ます。

 

楳木先生  例えば、私達が、蛇やトカゲを見て、気持悪いと思ったり、恐いと感じたりするのは、ずっと遡って行くと、恐竜時代に、哺乳類として生きていた頃の、踏みつぶされたりした記憶が遺伝子の中に残っているからだと言われています。という事は、メシヤ様の御教えは、霊主体従の法則というものは、ものすごく歴史の長いスパンの中で、出て来ている御教えだという事なのです。

 

質問者  その無限大の規模から伝える御教えを、どうやったらわかりやすく表現出来るのか、試行錯誤された中で、あのようなわかりやすい御教えを私達は頂く事が出来ているという事ですね。物凄く深く、壮大な内容を、その氷山の一角であるちょっとした言葉で書かれたのが現在頂いている御教えであるという風に解釈しています。

 

楳木先生  その、深い内容の御教えの真意を説明するのが、布教師の役割なのです。

 

[メシヤ教本部にて 2009(平成21)年5月3日]