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メシヤ講座・特選集no.65(平成18年6月分)

<御教えより>
医学試稿

(1939年文創のまま)

第一篇  森羅万象の構成

現界と霊界

人間の死とは、肉体から霊が脱出分離するといふ事は、前項の通りであるが、然(しか)らば、脱出の霊魂は何処へゆくかといふと、それは霊界なる別の世界の住人になるのである。であるから、仏語でいふ往生とは“生れ往く”とかくのである。それは、現界から観るから死であるが、霊界から観れば生である。元々仏界は、霊界中の存在である為、生れ往くといふのが当然である。死の前の事を生前といふのも同一の理である。此(この)霊界の実体に就(つい)ては面白いのがあって、私は、永い間凡有る方法を以て研究実験したのであるが、何れ、別に記くつもりであるから、茲(ここ)では省く事にする。

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メシヤ講座・特選集no.54(平成17年7月分)

<御教え>
宗教は一つもない
(1936年5月文創のまま)

四、神力又は仏力の顕現

既存宗教の何れをみても、神力、仏力の顕現は、開教当時それぞれ若干あったのは事実であるが、大いなる力、それは無かったのである。故に人類は、真の神力なるものは未だ知らないのである。然るに、愈々(いよいよ)観世音菩薩が救世的大威力を発揮され給ふ時となったのであって、之は人類の想像を絶するのである。今後それが如実に具現し、世界万民に福祉を給与され給ふ実際を仰ぐより致方ないであらふ。今日唯その片鱗を観る事は出来るのである。それは今現に行はれつつある事で、それは如何なる人でも、病気治療の術を一週間の講習を受けた丈で、二三十年専門的に修練した医学博士の、何十倍もの治病能力を得られるといふ事だけをみても、其(その)偉力を想像なし得るであらふ。

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メシヤ講座・特選集no.52(平成17年5月分)

<御教え>
宗教は一つもない
(1936年5月文創のまま)

二、偉大なる目標とは

世界万民が之に向って仰ぎ拝み、崇敬するに於て、真の智慧と力と幸ひを得させ、絶対安心の境地にならねばならない事である。そうして、血の出るやうな難行や苦行的の自力は必要がないばかりか、真の神霊としては喜ばれ給ふ筈がないのである。そうして、その目標である神仏に大いなる力があれば、如何なる願事でも、正しければ容易に肯かれ給ひ、許され給ふからである。又、力ある神仏とは、万能力を有せられ給ふからである。万能力を有せらるるは、最高の御神格を具有せられるからである。此故に、難行苦行をしなければ利益を恵まれないと云ふ事は、それは人間自身の力を必要とするからで、要するに、其(その)目標神の力の不足を、人間に補はせられるを意味するので、それは其(その)目標神が第二流以下の神である訳である。

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メシヤ講座・特選集no.51(平成17年4月分)

<御教え>
宗教は一つもない
(1936年5月文創のまま)

一、真理の具現とは

天地自然の運行、万象の流転と一切の生成化育の実相行姿其(その)ままであって、例へて言へば、人は人としての道を行じ、又、人は生れながら其(その)各々の天職使命があり、階級も儼(げん)として定ってゐるのであって、それを知り、それを実行する事が人としての真理の具現であり、それによって永遠の歓喜と栄を得、安心立命を得らるるのである。然るに今日はそれを教へ、夫を行ぜしむる力ある宗教がないから、人々は迷蒙に陥り、知らずしらず他の範囲を犯し、軌に外れ道を失ひ、其(その)極争や混乱を生むのである。之等は独り個人に限らず、社会も階級も国も世界も悉(ことごとく)それに漏れないといふ実状である。此(この)時に当って、宗教者なる者が天地の真理を弁へないから、人を教ゆる力もなく、感化する徳も無いのである。又之に就て、仏典もバイブルも、其(その)他の聖典も、実は真を説き、実を誨(おし)へて居ないのであるから、人として知る事が出来ないのも致方ないのである。何となれば、もし何れかの聖典に真実を説いてあったなら、今日の如き苦悩と混乱の時代は実現しなかった筈であるからである。又、真理が全具現されたならば、多数人が今日の如く病に罹り易く、天寿を全ふするものが暁の星の如く寥々(りょうりょう)たる筈がないのである。是等によって見ても、此(この)一箇条さへ現在の宗教中に有して居るものはないのである。

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