メシヤ講座・特選集no.54(平成17年7月分)

<御教え>
宗教は一つもない
(1936年5月文創のまま)

四、神力又は仏力の顕現

既存宗教の何れをみても、神力、仏力の顕現は、開教当時それぞれ若干あったのは事実であるが、大いなる力、それは無かったのである。故に人類は、真の神力なるものは未だ知らないのである。然るに、愈々(いよいよ)観世音菩薩が救世的大威力を発揮され給ふ時となったのであって、之は人類の想像を絶するのである。今後それが如実に具現し、世界万民に福祉を給与され給ふ実際を仰ぐより致方ないであらふ。今日唯その片鱗を観る事は出来るのである。それは今現に行はれつつある事で、それは如何なる人でも、病気治療の術を一週間の講習を受けた丈で、二三十年専門的に修練した医学博士の、何十倍もの治病能力を得られるといふ事だけをみても、其(その)偉力を想像なし得るであらふ。

そうして如何なる宗教と雖も、人類からの病苦を祓除し得る力がないならば、それは絶対神力あるものではない。絶対神力がないとすれば、勿論最高の神の宗教ではない。第二流以下のそれである事は勿論である。之に由って見ても、現在迄の宗教は、真の宗教としての価値はないので、或期間中に於る仮定的存在であった事が判るであらふ。

(以下次回掲載)

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<神界通信>

本年6月15日の「地上天国祭」を期して、『昼の時代』を司る神様に全て交代されることに相成る旨をご教授され、その意思をもって取り組むならば、必ず事成せるということになりました。

しかし、周辺に起きる事象が天国化に映ずるかと言えば、かえって終末度を増すということであります。私達は、何事も『建設』と『破壊』が同時進行で進んでいることを認識せねばなりません。

そして、メシヤ教内でも将来に備えて各種体制を整え始めるようにご教授いただきました。主に資格制度や下意上達制度などです。資格については、御教えの基準に沿って整えてまいりたい、と考えております。

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絶対的な自信と誇りをもって
メシヤ教代表 楳木和麿

時代苦は複雑化する

地上天国祭の折に、『今後誠を込めて取り組ませていただいたことには、明らかなるお導きと幾重にもあつい御守護を必ずいただける』ということを教えていただきました。

また、『昼の時代』を司る神様の意思をもって取り組むならば必ず事成せる、という有り難い時期を迎えたことも教えていただきました。

そこで、『誠を込める』ということと、『意思をもって』ということについて考えてまいりたいと思います。

私達の御神業は、約80年間、病・貧・争の解決ということに取り組みながら、健・富・和の世界を樹立する、ということで進められてまいりました。ところが時代が進み、時代苦というものは単純なものではなくなりました。

十数年前になりますが、自民党本部の役員と銀座で会食したことがあります。当時所属していた世界救世教の常任理事と3名でした。席上で話題に上った一つに、「国民健康保険」がありました。党幹部は「世界救世教のお蔭で健康保険制度が確立した」と述べ、お礼とも、感慨とも取れる話をしてくれました。

終戦後、浄霊による治病効果が顕著で、破竹の勢いで発展した時に、医師会が脅威を感じて政界に働きかけて健康保険制度を作り上げたのでした。そして、病気になっても「貧」で苦しむことのないように、日本の社会制度は充実を見ました。これはこれで大変好ましいことなのですが、同時に新たな問題を生み出してはいます。履き違えた健康ブ-ムをはじめとする日本の現状を見ればお解かりですね。

今回は、病気に対する判釈(はんじゃく)とは別次元で話をしています。

ともかく日本人は、病気になっても困らなくなりました。誰でも病院へ行けるようになりましたからね。しかも、健康保険を使える範囲内であれば、「貧」で苦しむことも少なくなってまいりました。表面的には、「病」で「貧」を生じて苦しむということは非常に少なくなった訳です。社会制度の充実が進んだお蔭ですね。

ですから、私達のように「真の健康」を知っている者からすると、「病気になってお困りであろう」と思うのですが、ご当人は余り困っていない場合が多いのです。時代苦は、病・貧・争ということで割り切れなくなり、複雑化しつつあるのです。

また、「地上天国祭」でお話した「視野狭窄状態」の荒波に押し流されて、人体を不用意に酷使するようになっています。一方社会制度の‘ぬるま湯’につかり、ある意味で怠惰になる場合もあります。当然と思えば、真実が見えなくなります。相互の助け合いで、稀有な制度と受け止めれば人間味が湧いてきます。勘違いや錯覚を起こすと、『狂っていない精神病患者』という御教えの指摘するところとも繋がって行きます。

『社会の問題は、司等に誠がないところから発生する』

何事も二面性があります。主神様は様々な手法をお使いになって、地上天国建設をお進めになっておられるのですが、人間というものは、一つが解決するとまた新たな問題を生みます。解決できた時点でのレベルを下げないでステップアップを続けることができればよいのですが、中々そうは行かないところがあります。

現代の日本社会が遭遇している問題がまさにそうです。苦労して作り上げた健康保険制度にしても、権利と義務をきちんと行使する体制を築いていないために様々な問題を生んでおります。年金制度にしても同じことが言えます。

優秀だとされる人材が集まっている官庁で、この体たらくです。情けないですね。人間という存在は一体何なのか、と悩んでしまいます。こうした現状を見るにつけ、『社会の問題は、司等に誠がないところから発生する』という御教えが、強く胸に響いてまいります。

制度面に加え、御教えにある『擬健康』という問題です。サプリメントの常用率が東京都の場合4割を超えたという報道を目にしまして、その異常さに驚かされました。サプリメントの常用は人体機能の退化を招き、新たな病気を生み出しかねません。

関係官庁は、制度が永続的に充実するように創意工夫を重ねると共に、国民への教育に努めるようにしなくてはなりません。昨今、道路公団の天下りが取り沙汰されておりますが、すべての官庁の天下りを禁止しなければ、良き行政は行なわれません。それは天下り先を確保するために、手心を加えてしまい、真に国民のためになる行政から歪んで行くからです。

「朝令暮改になる」と言って努力を怠る官僚

これは、今盛んに論議を呼んでいる「皇室典範」についても、官僚の怠慢が表面化したものだと言えます。戦後60年で、やっと本格的な議論をし始めているのです。「何をやっているのか」ということですね。「開かれた皇室」ということが世間の耳目を集め、話題性ばかりが先行してきましたが、官僚はそれではいけません。

教育がなされてこなかった、ということもあるでしょうが、少なくとも関係官庁だけは戦後の皇室存亡の危機にどのようなことがあって乗り切ったのか、ということを教育して行かねばなりません。マッカ-サ-が能動的に遺してくれた訳ではなく、受動的に遺さざるを得なかったのです。しかし、宮家の削減ということはその時点では仕方なかったとしても、営々と培ってきた日本の知恵を鈍らせたのです。(中略)

そうしたことは、公にできない内容であることは当然です。しかし私は知っているのですから、少なくとも専任の職にある者には教育しておかねばなりません。そして、磐石な体制を築いて行く努力を積み上げねばなりません。

ところが、体制づくりの際に官僚は変革を嫌うところが多々あります。「朝令暮改になる」などと言って努力を怠るところが、よく指摘されています。まったくなっていません。国の根幹になることに対して「誠」が不足しています。

『誠がない』ということを含めて『狂ってない精神病患者』というところが、救いの手を差し伸べるべき点です。もちろん最大の精神病というものは、戦争です。また、人為的なミスによって起きる大事故も同様です。そうしたものが‘大難を小難へ’、‘小難を無難へ’、という形にさせていただくことを誰もが願っているのですが、それを実現させていくには『誠を込める』ということが最も重要なのです。

感情の未分化が異常な事件を招く

そして、昨今異常な犯罪が頻発しております。事件を起こした当人についての周辺の印象は、「普通の、大人しい人に見えましたが・・・」という声が多いようです。ある日突然、異常者になったように報道されがちです。

卑近な例から説明致しますと、子育てをする場合に親が家事に追われて手が離せない時に「うちの子は静かにテレビを見ていて大人しくしてくれて、育てやすいです」なんてことは、大変なことに繋がります。専門家は「感情の分化」と言っておりますが、我が侭を言ったり、叱られたり、笑ったり、泣いたり、と言うことで感情が細やかになります。

例えば、兄弟げんかをします。兄は弟をたたいて弟は泣き出す。兄は「少しやり過ぎたかなあ」と感じるし、弟は「くやしい」と感じる訳です。親から兄は叱られる。弟は、叱られる兄を見て「くやしさ」が薄れます。そうした連続で、親にとっては落ち着く暇がない訳ですが、子供には豊かな感情が育まれているのです。

また近所の子供達が集まると、仲良しの時もあれば、けんかをする時もあります。そうしたことを繰り返して、他の子供と上手に遊ぶということができるようになります。感情が豊かになるばかりではなく、将来人間関係を上手に築く基礎づくりをするのです。なるべく一人で遊ばせないで、他の子供と交流する場を提供してやりたいですね。

先ほどの「育てやすい」ような子供の感情はどうかと言いますと、余り分化されているとは言えません。親の都合の良いように育っているように思ったら、とんでもない勘違いです。仮に感情が未分化のままででしたら、すぐに「切れやすい」し、「切れると怖い」人間になってしまいます。人格形成に歪みが生じ大変なことになってしまいます。韓国や中国でも近年「ひきこもり」が問題になっていますが、その原因は共通しているところがあります。

養老孟司氏(解剖学者)は「昔の子供たちが普通に経験していた作業を奪ってしまい、脳科学的には前頭葉機能の低下を招いて、子供たちの‘キレる’原因を作っている。このことは、科学的にもすでに分かっている」と指摘しています。(文芸春秋8月号)

救いの手の差し伸べ方

昨今うつ病に関するCMが増えている、ということにお気付きの方もいらっしゃると思います。いよいよ「最後の審判」の型が顕在化した、という印象です。

医者にかかると、やたらに精神安定剤が出されます。患者の精神を安定させたいということでしょうが、これでは新たな病人を創り出しているようなものです。入眠剤や安定剤を常用している人が国民の4割を超えたという報告があったのは随分前のことです。精神のバランスが取れない人は国民の4割以上いて、病院に入院すると新たな予備軍のようにされるのですから、とんでもない時代に突入しているのですね。

また、保険の適用のために、やたらと病名を確立しようとします。新たな病名が生まれますと、その名称を耳にするたびに「自分もそうではないか」と不安になり、不安ならよいのですが、安心してしまう場合もあります。いわゆる「刷り込み」が連鎖的に起っています。

「刷り込み」という心理学の言葉は、「夜の時代」の神々の行なった「すり替え」と言葉も似ていますが、共通しているところがあります。

「不機嫌」という言葉が多様されるようになった原因もこうしたことと無関係ではないでしょう。「不機嫌」がやがて「不和」ということになり、「争」を生じます。このような時代を見つめると、理想世界樹立が更に遠のいている感を深めますね。

そこで、やはり、ここに救いの手を差し伸べなくてはなりません。差し伸べ方というのは、浄霊によって魂を太くしていただく、ということが第一にあります。そして、それに合わせて自己教育の手法を教えて差し上げる、ということがあります。自己教育の手法は、相手の方の育った経緯と関連して、飲み込みが早い場合と時間のかかる場合がありますので、「メシヤ講座」の中で質疑応答を重ねると良いでしょう。また、他の方の体験を学ぶということを重ねることも有意義なことです。

「争」の解決を図り、健・富・和の世界を実現

そうして自己変革に努められると良いですね。実は、『神界通信』にあります「資格制度」や「下意上達制度」は、そうしたことのために大変重要になって行くのです。精神の安定を得て、「争」の解決を図り、健・富・和の世界を実現してまいりたいと願っております。

『悲劇を滅する』というメシヤ様のご悲願は冒頭の話のように、その一端は成就しました。しかし、大半は成就してはおりません。問題は複雑化しております。難しい局面を迎えてはおりますが、私達は知恵と力を授かっておりますので、絶対的な自信と誇りをもって御神業に臨ませていただきましょう。

最後に、神様について知っておいていただきたいことがあります。神格が高く、揮われる神威が強いほど、『静か』な存在です。「夜の時代」の神々を諭す折も、『穏やかに柔らかく教え諭す』あり方が特徴的です。

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<メール交換・パ-ト2>
※参考になる点が多いので、ご本人の了解を得て掲載します。4回目

質問メール・4  「心より感謝申し上げます」

Q.  前略

長いご出張できっとお疲れのところ、早々にお返事頂きまして誠にありがとうございます。

いくつかの救世教系団体を調べ、お話を伺いに行く中で、質問内容に対する楳木様のご回答を読ませて頂きまして、お会いしたい気持ちを強く持ちました。その前にまず、浄霊に関する本を、届き次第早速拝読させて頂きます。

その上で面談等のお願いをさせて頂ければとても嬉しく思います。

(中略)自分で動き回って無理に起こした流れではなく、生まれる前まるで昔からの縁があるために無理なく動き出した、そんな感じです。私の仕事の流れも何故かこちらの地域へシフトしつつあります。足場が固まるようなら、この地域への移住も視野に入れています。

このような事情もあって、お返事を心待ちにしておりました。大変嬉しいことです。ありがとうございます。

先日のメ-ルでお伝えした悩みを持つ人の中に、私も入っており、恩師に後ろ足で砂を掛けるようなことをしたくなく、また、自分が勝手なものさしで、師を推し量っているのだけなのではないか、自問自答の末、自分をごまかす日々。はや何年たったでしょうか。

お導きさせて頂いた方々の正確な数字を失念してしまいましたが、50人は超えていると思います。(中略)

もちろん一番に私自身の未熟が大きな原因であり、その私がお導きさせて頂いた方々ですから致し方ありません。ただ、御神書で戒められている小乗的窮屈感が強いために、大切な芯をつかむに至っていない方々にとっては、踏みとどまりにくい環境だったと思います。お世話も未熟、環境も窮屈。御神書にある天国的とはほどとおい。

その方々は、浄霊の奇蹟を体験することで、神様がおられることは体験することはできたけれど、組織独特の宗教臭さで苦しみ、二度と近寄ることはない状態で離れていきました。

すべては主神様が運営されておられることなのでしょうが、今でも私は割り切ることのできない罪悪感を感じています。(中略)

その時期の下積みがあってこそ今の自分があります。その感謝はなにがあってもこの先変わりありません。そんな素晴らしい方なのですが、組織としてはそんな一面があるのです。

古参の信者さんも、自分を保つのに必死です。ある意味で人格に歪みが生じています。ご本人は気付いておらないのですが、その処理できない歪みが、新しい信者さんに向かってしまうのです。これも新しい人を世話する身としては本当につらかった。

味噌の味噌臭きが駄目なように、宗教の宗教臭いのを明主様は嫌われ、ご指導をされていたはずなのですが、なぜこんなことになってしまったのか。下から上へもの申すことは、神様にもの申すごとく神律に反することだそうで、思うことを言うこともできず、本当に悩んだ日々でした。(中略)

長くなってしまいました。

本来、これほど素晴らしい信仰であり、救いの御業なのですから、もっともっと心晴れ晴れとさせていただけるはずと私は思います。

こんな悩みぬいた末、メシヤ教様にも先だってのメ-ルをさせて頂くことになりました。お返事を頂け、心より感謝申し上げます。

追伸:

著作権のお話、大変な慶事ですね。御教えから外れたことをよかれと思っている方にも、また、これからの方々にもくまなく御教えが届くことを祈ってやみません。

また「岡田茂吉全集」のCD-Rがおありとのこと。信者さんはお借りすることができるのでしょうか?それとも購入させて頂くことができるのでしょうか?

いずれにせよ、とても嬉しいことです。ぜひ拝読させていただきたく思います。<2005.2.20・23:28>

返信メ-ル  「発送のお知らせ」

A.  前略。

本日、本を送らせていただきました。手紙を添えていませんので、メ-ルでご連絡致します。

随分と体験を重ねられているご様子なので、未体験者の「浄霊」に加え、発足時に於ける信者向けの「信仰読本」を同封致しました。この本を刊行後御経綸は進展し、明主様の尊称も「メシヤ様」とさせていただいています。科学や医療の分野での進展も目覚しいものがあり、現在使用している表現は多少異なるところがありますが、精神は一貫しております。どうぞ、その点ご賢察の程、お願い致します。

また、昨夜のメ-ルで並々ならぬ心中縷々(るる)受け止めさせていただきました。昭和59年に世界救世教内で紛争を契機に「教団護持委員会」が発足し、教団改革の取り組みが進められました。ご指摘されたような事態も含め、明主様の精神を現代に求めつつ時代に相応した教団づくり、という取り組みです。

その中には、昭和29年6月15日の「メシヤ降誕仮祝典」に於ける、お唱え申し上げた「御神名」や「御神体」について、祭式のあり方もありました。また、ご昇天後始められた「祖霊祭祀」の廃止などもありました。

そして何よりも、「上意下達」ばかりではなく「下意上達」の体制を作り上げるように、種々模索致しました。

しかし、時間の推移と共に、初志貫徹ができず、それまでの教団と変わらない姿に戻りました。表面的には、様々な軋轢(あつれき)、環境の変化によってそうならざるを得なかったようです。

ところが、私はそうした取り組みの中でありとあらゆるものを目にし、触れることが許され、多大な学びを重ねました。そして、明主様御自らによって、教団から摘み出され、「メシヤ教」第二の開教に携わることになったのです。開教に当っては各先達から聞き及びし「天国的信仰」を目指し、加えて、御教えを現代に求めて行く宗団を目指しました。現在継続中です。

お会いする機会が生まれましたら、具体的に話し合いましょう。楽しみに致しております。(後略)

メシヤ教
楳木和麿<2005.2.21・17:52>