メシヤ講座・特選集no.140(平成24年9月分)

<御教え>

『文明の創造』科学篇
霊主体従

(文創  昭和二十七年)
本文は『文明の創造』135ページに記載されています。(『文明の創造』購入方法は「出版案内」を参照ください。また、研鑚資料『文明の創造 二・上』では77ページです。)

≪解説≫
『文明の創造』拝読により御神慮の深さを改めて知る

メシヤ教代表 楳木和麿

『一新紀元を劃(かく)する』とは、現在ただ今の取り組み

9月度も幅広く深い学びを重ねさせていただきました。各支部や各会場の実情に沿った形で繰り広げられたのですが、拝読させていただいた『無機質界』で御記述されている次の内容は殊更感慨深いものがありました。

『以上の如く、此(この)大発見によって、人類に与へる恩恵は、到底言葉や文字で表はす事は出来得まい。従って此(この)事が世界人類に普(あまね)く知れ渡った暁、現代文明は一大転換を捲き起し、人類史上空前の一新紀元を劃(かく)する事とならう。』

この御記述について浜松支部で次のように述べました。

 

一新紀元を劃(かく)するということは、21世紀に「おひかり」なしで浄霊力を授かることができるということである

先生

それから最後のほう、後ろから5行目に『現代文明の一大転換を捲き起し、人類史上空前の一新紀元を劃(かく)する事となろう』と。

この『一新紀元』ということが21世紀であるということ。

そして、皆さん方に21世紀になったときに、「おひかり」がなくて、『宗教宗派を超えて浄霊力を授ける』ということを、浜松支部を出発点に始めましたね。これが一新紀元をかくしたということです。○○さんわかりましたか?

一新紀元をかくしたのは、「おひかり」がなくても『メシヤ様にお祈りすれば宗教宗派を超えて浄霊力を授けることができる』という、その新世紀を迎えたのだという意義付けをもって生活していただきたいということです。

で、最初にできたのが、この浜松支部なのだというふうに意義付けして進んでいただきたいと思います。

このように、『メシヤ様の御名を唱えれば、宗教宗派を超えて浄霊力を授かる』という御啓示の下に進めてきた現在ただ今の取り組みが『一新紀元を劃(かく)する』ということなのです。

『一新紀元を劃(かく)する』ということが大袈裟ではない証として、9月度も多くの問い合わせがあり、その中から『メシヤ様に直に太く繋がる』姿勢を持って新しく踏み出された方々も大勢いました。

そうした中には、沖縄で支部づくりを目指してくださる方もいました。その方に入会希望者のお世話をお願いすることとなったことから、次のような「入会のお世話について」を取りまとめ、送付しました。

 

入会のお世話について

1、入会に際してご理解いただきたい内容については次のメシヤ講座を参照ください。

① メシヤ講座・特選集no.72(平成19年1月分)
メシヤ講座・特選集no.73(平成19年2月分)
メシヤ講座・特選集no.74(平成19年3月分)
メシヤ講座・特選集no.76(平成19年5月分)

2、教修で理解いただきたい御教えは次の通りです。

①  霊主体従の法則
②  霊体一致の法則
③  浄化作用の原理
④  浄霊の原理
⑤  夜昼転換
⑥  地上天国建設(自然農法の実施、芸術による霊性の向上)

3、「浄霊力拝受お願い」と「入会申込」についての参照。

①  メシヤ講座・特選集no.94(平成20年11月分)
②  昨年の岡山・出雲両支部の発会式挨拶
メシヤ講座・特選集no.127(平成23年8月分)『岡山支部』発会式特集
メシヤ講座・特選集no.126(平成23年7月分)『出雲支部』発会式挨拶

早速、丁寧にお世話に当たっていただいて、まず4名の方々の「入会お願い書」が送られてきました。遠隔でのお世話に大変有り難く思っています。

ところで、初めに送付した資料は、「浄霊」と「『祈りの栞』に寄せて」の小冊子でした。そして、次は『文明の創造』でした。それらを沖縄に送付する度に台風が襲来し、受け取った方が「今回も、不思議に台風が来ましたね」と連絡して来るので、こちらが“さもありなむ”と驚いたものです。

これについては、「メシヤ講座・三重(平成24年9月分)での話と関連付けて考えると深い意味を感じます。

 

〇『夜叉龍神も解脱為し』

(質問者)
『時局と霊界』にある◯◯◯之尊とは国武彦之尊、◯◯龍神とは夜叉龍神と受け止めて良いのでしょうか。

(先生)
そうですね。特選集の6ページに出てきますね。これは昭和26年の御論文です。この時点では、メシヤ様は『まだ時期が来ていない』ということで伏せてお書きになられています。しかし、『文明の創造』を御執筆になられた昭和27年には〝時期が来たのであろう″と推察されます。『文明の創造』366ページの『基督教と善悪』というところには、3行目に『凶党界の親玉夜叉龍神が立てた計画の下』とあります。◯◯龍神が夜叉龍神と明確にお書きになられております。『私の兄であった国武彦之尊に憑依した時から』ということですので、それをここで明らかにされたというわけです。前年は伏せて置いた方が良いということで、◯◯とされたのですが、愈々(いよいよ)『文明の創造』を御執筆される時には、明らかにして世に知らしめようとなされたのではないでしょうか。

ですが、先達の中には非常にキリスト教に詳しい方や、政治家と繋がっているそういう先達の人たちが、“これを明らかにしたら、とんでもいないことになる”ということで、伏せて来たのだろうと思います。そして、『文明の創造』も出版されずに来たということですね。

そうすると『善言讃詞』の中に『夜叉龍神』とありますがこの『夜叉龍神』の唱え方もまた変わって来ます。

『善言讃詞の手ほどき』という冊子が世界救世(きゅうせい)教から出ていますが、「夜叉は羅刹と併称される暴虐な鬼のことをいう。明主様(メシヤ様)は『女の執着によって悪くなった鬼』という意味で書かれたと仰せられている。龍神はこの場合悪魔を指している。いずれも執着のため悪魔になったものを指す仏語である。」

しかし、こういう解説が果たして正しいかどうかとなって来ますので、我々が『善言讃詞』を奏上させていただく時には、『夜叉 龍神も解脱為し』ではなくて、『夜叉龍神も解脱為し』といわゆる『凶党界の一番の頭目が解脱したのだ。』ということを言霊界に響かせないといけないということです。

「頭目が解脱したのですから、後の眷属たちはみなわかりなさい。」ということを響かせるためにも、善言讃詞を高らかと言霊界に響くように奏上させていただくことが、大切なのです。

特選集にはそこまでは書いていません。

「『善言讃詞』にメシヤ様が詠み込まれた『夜叉龍神も解脱為し』の意味も深みを増すのではないでしょうか。」という書き方にとどめてあります。メシヤ講座に参加した人に真実を伝えたいという思いがあるからです。

そういうことですので、『善言讃詞』を奏上する時の気持ちもより高まっていただけるのではないかな、と思います。

取り分け支部でお参りする時にはですね、メシヤ様から御光をいただきつつ、こうした言霊をしっかりと唱えさせていただきたいと思います。

(質問者)
『茲(ここ)迄かいただけでも、今日の事態の根本は大体判断がつくであろう。』と書かれていますが、『今日の事態の根本』というのはどういうことでしょうか。

(先生)
夜叉龍神はトップになります。

それでトップが改心したとしても下の眷属たちがまだそのことがわかっていないということがあります。わかっていないが為に悪の世の中にしようと動き回っているので、現代はその眷属たちとの正邪の闘いが続いているということです。

ですので、メシヤ様によって〝夜叉龍神は解脱している″のです。それでそのことを知らしめるということが善言讃詞を奏上するということなのです。

それを知らしめていくことによって下の眷属たちが〝そうだったのか″というふうにわかれば、段々悪の行為は無くなっていくのです。

〇メシヤ様がおつくりになられた祝詞を御神前で響かせる意義

(先生)
当り前なことですが『善言讃詞』というのは非常に素晴らしい祝詞なのです。

そういう意味からも未だに『善言讃詞』を改ざんしたまま唱えている教団があるということは問題が大きいと思いますし、残念でもあります。

〇之光教団も『仁愛(みろく)の御手に帰一され』が抜けたままになっていることは残念ですね。完璧な祝詞にはなっていないということです。

メシヤ様がおつくりになられた祝詞を我々が〝御神前で響かせていく″ということが如何に大きい意義があるということが、このような御論文を拝読させていただかないとなかなか分かっていきません。それで今勉強会を続けているのです。

勉強していくことにより『善言讃詞』を奏上する時の姿勢が明確になって行くのです。

(質問者)
この御教え自体を存じ上げていても国武彦之尊様と繋(つな)がりませんでした。

(先生)
大体、素戔嗚之尊を解釈してしまいますね。

私はメシヤ様からの厳しい夢を見ましたので、この御教えと繋(つな)がったのです。

(後略)

こうして求めてゆくならば、参拝の先達者の信仰が如何に問われるかが判ると思います。

また、沖縄と言えば、現在尖閣諸島国有化をめぐり一部中国人の暴力をはじめとする動きは、“地上天国建設の実現遠し”の観すら覚えます。日本の報道も中国側の顔色を窺うような姿勢で伝えるところがあり、時間軸に沿って本質を解説する姿勢が不足しているように思われます。

取り分け中国政府の領土要求は1970年代になって始まったことで、50年代、60年代には日本の領土と認めていた(中国側の資料に沿ってそう考えられる)のですから、そのことを明らかにしなければ日本国民自身の考え方が定まりません。そして何より、政府は今年の予算中、42億5千万円の対中ODAについて詳細を国民へ伝えるべきです。

こうした内容については産経新聞の領域とも言えるところですが、読売新聞(9月30日付)に掲載された「中国・中東デモ 歪んだ自由 暴力正当化」(山内昌之明治大特任教授)の解説が興味深かったことを余談ながら付け加えておきます。

『誠』の不足を直視せよ

話は戻り、多くの問い合わせのうち、メシヤ様を教祖と仰ぐ教団所属者から「組織の違いによって何故浄霊力に差が出るのですか」という疑問が多く寄せられます。これは、三重支部中の『善言讃詞』に詠み込まれた内容に繋げて考えると頷けるのではないかと思います。また、日常的に慣れ親しんだように錯覚している御教えや祝詞の文言の意味に対して思考停止状態に陥っていることに関連します。

様々な施策を展開しようとしているようですが、神の座にある御方が御詠みになり、御書きになった内容を求め続けなければ形骸化してしまい、意味を成さないのです。先程の信仰姿勢を問う内容と相まって充分考慮を要することです。

そして、『無機質界』を拝読して判るように、メシヤ様は最新の科学に注視されながら時代の最先端を歩まれていたのです。その御姿に照らして考えてゆけば、自ずから答えも見えてくるものですが、見えてこないという人は、これはこれで仕方がないところでもあります。何にもまして『身魂相応でしか御教えは理解できない』と言われてきましたので。

それにしましても、『文明の創造』が如何に現代の私達の信仰姿勢に対してお導きをいただけているかが身に染みてまいります。大変に有り難いことです。

一方、組織の問題に言及すると、「全ては明主様(メシヤ様)がやっておられる」ということで“事無かれ主義”を通そうとする方も見受けられます。しかし、その方々が見落としているのは、その後の『御教え通り』ということなのです。

そこでよく考えていただきたいことは、慣れ親しんでいる御教えとも言える短い御論文『誠』の内容です。

 

 (昭和二十四年一月二十五日)

世界も、国家も、個人も、凡ゆる問題を解決する鍵は『誠』の一字である。

政治の貧困は誠が貧困だからである。物資の不足は誠が不足してゐるからである。

道義の頽廃も誠のない為である。秩序の紊乱も、誠のない所に発生する。

凡ゆる忌わしき問題は誠の不足が原因である。

宗教も学問も芸術も、中心に誠がなければそれは形骸でしかない。

嗚呼、誠なるかな誠なる哉、人類よ、問題解決の鍵は、ただ誠あるのみである。

教団裏面史をつぶさに検証すると、メシヤ様の御寿命を縮めてしまった『御法難』の原因も『誠』の不足からでした。その『誠』の無さの後人に果たしてどれ程の影響が出るのかは、現代生じていることの多くを見れば一目瞭然ではないでしょうか。

この他、面談した人の中では様々な分野で研究を深めている方もいました。想念の持ち方で病気症状を誘発することは学究の明かすところまで来ています。そのため、日々の生活姿勢(心・言・行)によって病気症状を改善することができる広報をしている人もいました。これに対して、例えば〇L教団などは“天に対して不平を言うと頭痛持ちになる”ということで心の営みの大切さなどを説いてきました。

浄霊を取り次ぐ教団は、そうした想念面、行動面の営みを疎かにしてきたきらいがあります。御教えに具体例が満載されているにもかかわらずにです。

今月拝読する『霊主体従』は、改めて深い示唆をいただけるものです。拝読を重ねると“『文明の創造』の出版に踏み切ることができて本当に良かった”と更に思えてまいります。そして発刊後の御神業の進展ぶりを拝すると、御神慮の深さにただただ感謝の念を深くするものです。

深き御神慮に心から感謝

深き御神慮については、本部改装の話を付け加えねばなりません。最後になりましたが「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」に本部改装着手の報告を書き込みました。

本部施設は純和風建築として申し分のないものであることは参拝された誰もが認めるところです。しかしながら、大勢の方が参拝された際にはトイレが不足気味でした。そこで、増設の運びとなり次のように書き込んだ次第です。

本部です。

信徒の皆さんの誠により本部前の駐車スペースを入手できたことから、御処置斎場が新設されたことは「メシヤ講座・特選集」で既報の通りです。

その斎場中央に今月22日「みろく塔」を建立することが昨日決まりました。これで一段と安心して祭事を執り行なうことができるようになります。

また、併せてガレージ上に太陽光パネルを乗せるためのエコローンが認可され、改装資金も組み込む形でトイレ増設工事着工の運びとなりました。

一日祭の午後、施工業者代表と大工棟梁が参列して御神前で奉告参拝を執り行ないました。業者が平伏する中、天津祝詞並びに善言讃詞を奏上し、続いて井戸部及びトイレ部に於いて地鎮祭を執り行ないました。

その夜に報告の書き込みをしようと考えていたのですが、表題のように奥深い御神慮を賜ることが続き今夜の書き込みとなりました。

というのは、各地「メシヤ講座」で報告したように門の施工者がこの度の工事で繋がった訳ですが、中々エコローンが認可されず施工時期が延びたために大工棟梁が二転三転としたのです。棟梁はグループを組んでいますので、当然棟梁が変われば建具や電気などの専門業者も変わります。

ところが、時期がずれたために門施工者が繋がり、電気工事会社も本部建設時の業者だったのです。これまで関係者を探しても判らなかったことが次々と判明したのです。本部内の配線及び構造を掌握してくれているので、このことにより何が起きても対応できることになりました。

それから、井戸ポンプと除鉄・除マンガン槽用の小屋を建てなければ冬に水道管が破裂する恐れ(今年初頭マイナス14度を記録したことから)があるために、種々調査をしたところ抜本的に配管の修理が必要であることも浮上しました。

しかも、立てる場所を確保するために植木を移動することになりましたが、それが何と霧島だったのです。これまで大きな岩に隠れていたために普通の躑躅だと思っていたのですが、これを玄関横に植え替え、枝を拡げる設えを施したところ何とも素晴らしい風情となり、これから参拝者を迎えてくれることを思うと喜びが込み上げてきました。

また、純日本家屋特有の、剥き出しになっている木部のケアーが数年毎に必要であることと、瓦に続く銅板に対する維持管理の在り方も掌握できました。

今回工事を思い立ったにも拘らずエコローンの審査が遅れ気味になり気をもみましたが、結果的に遅れたことにより万全の備えができるようになりました。

神様はこうしたことを全て備えるために時期をずらしたのであることが判り、その深き御神慮に心から感謝申し上げました。