<御教え>
宗教は一つもない
(1936年5月文創のまま)
七、天国的生活
世間あらゆる宗教は即心即仏とか娑婆即寂光浄土とか、地上天国とか、甘露台の世とか言ってゐる。之等は多く未来の理想世界であるとし、現在の苦悩はどうしやうもないと、只忍苦、諦めのみに努力してゐる。其(その)結果、終には苦悩を楽しむのが信仰に徹してゐる、といふやうにさへなって了ったのである。それは苦悩を排撃する事が出来ないので、苦悩に負けるのを満足するのであり、苦悩を肯定する事であり、終に苦悩を常態観とさへするに到ったので、謂(い)はば苦悩の奴隷になって了ったといふのが実際である。恰度、病気を駆逐する事が出来ないから、せめて養生丈で現状維持のまま一日でも長く生きよふとする現代医学の如なものである。
是等は大いなる宗教的錯覚であって、真の宗教が生れなかった為である。真の意味から言へば、苦悩を排撃する事である。不幸を否定する事で、否解消する事であらねばならぬ。之によってのみ、地上天国も理想世界も出現するのである。
此(この)意味に於て私が常に称える病貧争絶無の世界といふのは、之を指示したものである。然し人類は何千年もの間、苦悩の世界が続いたが為、光明世界などといふと、絶対実現し得ない痴人の夢の如くに想ふのも無理はないのである。
然乍ら、光明世界を建設せんとするには、天降り的に、又は劇の暗転式に突如と成立つのではない。一歩々々築き上げてゆくのである。それが万物化育の法則であるから、此(この)法則を外しては成立し得ないのである。そうして、一歩々々築き上げてゆくといふ事は、先づ我々自身が、否我々の家庭から一歩築き上げてゆかなければならない事である。然し、今日迄の宗教は如何に熱心にすると雖も、病貧争を絶無ならしむる事は絶対不可能で、それはその神仏の力の欠如の然らしめた処である。故に、それ等信者なるものは、常に苦悩に甘んじ乍ら、漫然と理想生活を夢みつつ次々死んでゆくのであって、その幻影の実現が余りに遅延するに由る幾度とない失望は、誰しも喫しつつあるのである。
(以下次回掲載)
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「入仏記念式典」祝辞
メシヤ教代表 楳木和麿
今朝夕張市を発って、支笏湖を経由してここ定山渓温泉まで移動してきましましたが、車窓には「全山紅葉に神様のお召し物の裾模様を見る」という言葉がピッタリの素晴らしい景観が続きました。
例年ですと散ってしまっている紅葉が、今年は緩やかな秋の訪れのお蔭で今が真っ盛りです。本日の式典に対して神様から祝福をいただいているようで、心満たされる思いがいたします。
さて、本日ご参拝させていただいたメシヤ様ご神筆の「伊都能売観音」様は、昭和十年(1935年)の今日(10月26日)、この観音堂(岩戸観音堂・定山渓温泉観光協会蔵)にお鎮まりになられております。
「伊都能売観音」様入仏の経緯
メシヤ教の前身であります「大日本観音会」が創立されて間もない昭和10年1月7日に、地崎宇三郎氏がメシヤ様の元へ詣でて観音様のご下付お願いをしました。当時この地で工事を進めていたのですが、厳しい自然の前に犠牲者が続出するので心を痛めた地崎氏は「自然を和めて下さる観音様をいただきたい」と申し出られたのです。メシヤ様は快諾されたのであります。
それからちょうど十月十日を経た同年10月17日にご下付され、「伊都能売観音」様は津軽海峡を渡られたのです。そして、同26日に「入仏式」としてご奉斎式が執り行われました。
それ以来犠牲者は減少し、また現在のように穏やかな気候になり、交通の便も良くなりました。昨日は、夕張市に9月3日オ-プンしたばかりの「北の零年 希望の杜」を、その役員で信徒の坪田園江さんのご案内で拝見いたしました。映画「北の零年」の撮影に使用された「殿の屋敷」などのロケセットを見て、スクリ-ンに映し出された北海道のかつての厳しい自然を彷彿とさせて、観音様のお働きに思わず感謝させていただきました。
この「自然が穏やかになる」ということについては、「なるほど」と頷(うなず)けるところがあります。最近、ホ-ムペ-ジ上の「浄霊の御手」から「強いパワーが出ている」「強い御光を感じる」というメ-ルをいただく機会が増えております。
霊能者の話
その中にある霊能者(埼玉県在住)がいらっしゃいまして、数回のメ-ル交換や電話のお話の末に川崎の月次祭へご参拝に来られることになりました。
到着後、「ここにご奉斎されている御神体からのパワ-は品川駅まで到達していました。」と言われるのです。私は、日頃具体的に意識していなかったので、‘ハッ’と致しました。「神様がこの霊能者を通して再認識させてくださったのだ」と受け止めました。
そしてその時、今日のこの日の祭典について思いを巡らせまして、ご神霊の及ぶ大きさというものを感じさせていただいたのです。このことから、観音様の御光が行き渡ることでこの地が穏やかな気候になって、犠牲者を減少することができたことを窺(うかが)い知ることができたのです。
霊能者への話
また、その霊能者は「もっと力を主神様からいただきたい」と、希望を示しました。様々な霊能者の研究会や勉強会へ出席されているようですが、途中で変質する指導者が多いと嘆いておられました。その時私は、以下のようなことをお話いたしました。
霊能力をさらに身に付けるためには、3つのことを心掛けねばなりません。
まず、何よりも人様をお救いすることを心掛け、体験を積み重ねることが大切です。ごく当たり前なことのようですが、現場での実践が不可欠なのです。これを怠りますと、結果は見えています。また油断すると、営利目的で人に利用されたりすることになります。天賦の使命と役割を果たし続けることが欠かせないのです。
次に、人格を磨くことが、同時に重要です。そうすれば、実践の怠りもなく、しかも人に利用されることもありません。
そして、学習を重ねることがさらに大切です。主神様の御経綸の進展により、人類に持たらされる各種の発見や新技術というものを学ぶということです。また、世の中の動きを通して主神様の御意図を求めてゆくということでもあります。
御経綸は刻々と進められておりますので、毎日が「学習の日々」というように捉えて過ごさねばなりません。そうした話をして、「浄霊」と「祈りの栞に寄せて」の本をお渡しいたしました。
皆様も浄霊力という「霊の行使」を許された、謂わば霊能者ですので、以上の内容を今日の慶き日に改めて課題として捉えていただきたい、と願っております。取り分け学習を積み重ねてゆくことは非常に大切です。何故なら、浄霊の急所は人間生活と人間そのものの研究によって更に明らかになってゆくからです。
現代社会から受けている精神的肉体的影響を明確に理解した上での実践となれば、浄霊が更に有効となります。
興味深い研究
例えば、高血圧にはレニンという酵素が関わっておりますが、レニンが直接血圧を上げるのではなく、アンギオテンシノ-ゲンというホルモンの前躯体(ぜんくたい)に作用して昇圧(しょうあつ)ホルモンのアンギオテンシンをつくり、それによって血圧を上げるそうです。
ですから高血圧の人には、レニンという言葉通り腎臓にも浄霊をよく取り次がなければなりません。また、レニンは顎下腺(がっかせん)でもつくられ、脳下垂体にも存在することが判り始めておりますので、そちらも浄霊を取り次がねばなりません。
そして、何故その人の肉体が血圧を上昇させなければならなかったのかを探求し、その人の生活習慣を改善してゆく方向性を見極めなければなりません。方向性が定まったら、実践してゆくようにお世話して差し上げます。これが救いです。
ところで、この純粋なレニンを腎臓から取り出すことに世界で初めて成功したのが「サムシング・グレ-ト」で知られている村上和雄博士です。村上博士が進めてきた研究の一つに「笑いの実験」があります。
この実験は、国際科学振興財団と吉本興業の共同作業として進められたそうです。また、筑波大学の医学系の先生と看護師の方々も参画し整合性を確保したそうです。そして糖尿病の指標となる血糖値が笑いによってどう変化するのかを調べたそうです。
糖尿病を患っている方々を実験台にし、難しい専門的な講義を聴いた時と、漫才を聞いて笑い転げた時とでは血糖値の上がり方がどのように違うのかを調べたそうです。その差は歴然としていて、笑いの効能がはっきりしたそうです。
「インシュリンの増産や、その利用効果の促進など、血糖値を抑制する方向にはたらくタンパク質が、いつもより多くつくられたのに違いないと考えられます。私たちは、楽しい気分が脳の一つの遺伝子をまずONにし、身体全体の生理状態を変えたと予想しているのです。(生命のバカ力・講談社)」と、博士は述べております。
メシヤ様が笑いを大変重要視されていることの裏付けのような話で、大変嬉しい気持ちになります。当然、私達も浄霊をいただきながらも苦虫を噛み潰したような顔をしていては何にもならない、ということです。まじめ一方でもダメだということですね。
これから信仰的価値を裏付けるような研究成果が次々と発表されると予測されますので、これからの時代は益々楽しみがあります。
賢者が増えねば、世の中は良くならない
また、世の中というのは構造改革を進める自民党の後押しをしようと、先の総選挙で選択いたしました。その選択が花開きより良い実をつけるように願いますが、この構造改革はいつもお話しするように一筋縄ではいかないところがあります。
「ミミズ博士」で知られる中村方子博士の「ミミズに魅せられて半世紀(新日本出版社)」から引用して、少し考えていただきたいと思います。
「その出来事は、アメリカのベトナム戦争の枯葉剤作戦とのかかわりであった。『枯れ葉剤は人畜無害であって、これを用いるのは戦いの相手の隠れ場所をなくして、友軍の安全をはかるだけの作戦であり、非常に人道的な作戦である』とマスコミ等を通じても報道しながら、アメリカ軍は連日多量の枯れ葉剤をベトナムで散布し、その結果がもたらした人命や自然にたいする計り知れない破壊行為はいまでは弁解の余地はない。
こうしたなかで、日本でも多量の枯れ葉剤が森林の下草管理を目的として散布され、東北に住んでいる分布北限のニホンザルに多くの奇形児が生れ問題になった。この散布が実施される前に、この散布を是とするための『研究』が求められたのである。それは、かつて水俣において有機水銀中毒患者が発生したとき、工場排水に原因があることの真相追求をはぐらかすために複数の御用学者がかかわったこととも類似していた。東北のブナ林の下草管理を人手に代って、枯れ草剤散布にきりかえようとした営林署が、事前に枯れ草剤散布は環境に悪影響を及ぼさないというデ-タをK先生にたのんできたのである。そのデ-タを学会誌等に発表しないことも含めてK先生は引きうけられたのである。私は当然協力を拒否して批判した。・・・」
博士はこのことがあってから、K氏によって15年間も研究上の不利益を被ったそうです。腹立たしくて悲しい話ですが、こうした内容のことは日本の高度経済成長過程でたくさんあったと思われます。大変なことを誤魔化し続け、利権を貪り続けた歴史が存在します。
構造改革の中身はそれらによって築き上げられたものを改める、ということなのです。近代化の「負の遺産」として、人類の叡智で改めてゆかねばならない問題は山積みされております。また、放置されております。そして、悪化の度合いを増しております。
それ故に一つひとつを明らかにして、対策を立て、確実に改善してゆかねばなりません。一人一人が「賢者」となり、真実を見抜き、改革の行方や歩みを監視する位の気概がなくてはなりません。そうしなければ、世の中は良くなりません。今いっそう改革実現のための祈りを捧げ、行動を結集する必要があります。
社会は相互教育の場
先日、十代の方々との会で座布団が出されていたので、「座布団の前はどこかご存知ですか」と尋ねましたところ、親御さんもいたのですが答えられる人はいませんでした。人をもてなす時にそうしたことを知っていると、心を込めやすいので尋ねてみたのです。例えば、行儀作法を習うと「心を添えて襖を開けなさい」と教えてくれます。そうすると、ドアの開け閉めなども違ってきます。
「道」が付いたものを習うと、そうした行儀作法の精神を合わせて教えてくれます。これが人生に味わいをもたらしますし、深みを与えてくれます。昨今は躾においてこうした習い事を取り入れることが少なくなっているようで、非常に残念です。
子育てで容認が多過ぎると思われます。認めること自体は尊いことですが、認めた上で躾を身につける意義を教え実践するように仕向ける工夫が親側に欠如しています。また、人材育成センタ-などで、若手に順序だてて作法のあり方や精神を教えると、納得し進んで身に着けようとするそうです。これは、親が作法を知らないか、教え方がまずいかのどちらかを意味しています。
最先端の研究では、人間は生涯のうちで脳の数パ-セントしか使用せずにいることが判明しています。ですから、脳梗塞などで脳にダメ-ジを負っても、リハビリをすることにより他の部位が補い始めるそうです。そして回復へと繋がるようです。しかもその時に大事なのが、本人の「やる気」と「すぐにやり始める」ということだそうです。
現代は脳に各種の障害を先天的にお持ちになる方が増えている、という報告があります。これに対してまず「認める」ということが大切ですが、認めた後をどうするのか、ということがもっと大切なのです。ここでも「やる気」と「すぐにやり始める」ということが重要なのです。
躾の基本がどこまでも大きな意味を持つのです。親自身の愛に基づいた「即時性」「集中力」「継続力」が問われるところです。
人として生きてゆく上での基本は「ウソをつかない」「人に迷惑を掛けない」「自分のことができたら、人のためになることをする」ということです。このことを身に付けさせるためには、手伝いなどを必ずさせる必要があります。そして、よくできたら、褒めて、感謝するのです。この反復をしない限り、子育てをしたことにはなりません。
ところが、高度経済成長をする中で、先ほど引用したような不正を国の上層部にいる者たちが重ね、それに引きずられ国民全体に蔓延していったのです。肝腎要の「人を育てる」ということを、怠ってきたのです。教育改革や少子化対策とは、この点から変えてゆく覚悟でなければなりません。
そのためには、国民全体が「自己教育」に努めねばなりません。青少年の教育はもちろんなことですが、まず大人から自らを教育するのです。大人の中では、上に立つ人間から、また年長者から取り組み、範を示さねば、改革は進みません。それが、社会は相互教育の場だということです。
人々を教え導いてゆく決意を
もちろん、このようになってしまうには様々な原因があります。現代人を「視野狭窄状態」に陥らせている「履き違えた民主主義」「経済至上主義」「マスメディア」に対して、「ちょっと待てよ」という心を取り戻す。そのためには、「薬禍・薬害」に目覚めて、正常な心身を取り戻す。更にそのためには、もっと浄霊を取り次いでゆく、ということが実践課題なってまいります。
そうした意味で、今日の慶き日に心新たな気持ちで、人々を教え導いてゆく決意を固めていただければ幸甚です。それが、救いの展開です。本日はおめでとうございました。(要旨)
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<メール交換・パ-ト2>
※参考になる点が多いので、ご本人の了解を得て掲載します。7通目
質問メール・7 「Re.お答え」
Q. 前略
先生の貴重なお時間を何度も私の質問に充てて下さり、誠にありがとうございました。
私は明主様の御神格、ご人格、お世話の根本を把握させて頂いていくことをもっともっと探求させてもらうことで、ようやく信者のスタ-トラインに立てるような気がします。
今、私は本当のことをよく知らないで、半独学でメシヤ様を推し量って危ない橋をわたっております。
楳木先生のご都合の良いときに、ご面談をお願いできますでしょうか?どうさせて頂くとご都合がよいかお教え下さい。
追伸:
以下、いくつか御質問をさせて下さい。ご面談時でも、いつでもご都合の良い時にお返事頂ければありがたいです。
遠隔地に入信希望者ができた場合、例えば2人以上でなければならないなど、メシヤ教様ではどんな注意点があるのでしょうか?その地域はひと月の3分の1~半分くらい仕事で滞在している地域です。しかし、私の居住地からは車で約2時間弱かかります。
それから私の場合、月次祭はどちらにお伺いすることになるのでしょうか?また関西在住の場合はどちらにお伺いするのでしょうか?それぞれの支部でもお祭りがあるようですが、日程は毎月決まった日なのでしょうか?
<2005.2.24・2:57>
返信メ-ル 「面談について」
A. 前略。
すぐにお返事できなくて、申し訳なく思います。
面談についてですが、私は3月11日(金)午後7時~8時頃そちらを通過致します。12日の午前9時には次のところへ移動しなくてはなりません。話が後になりましたが、乗用車で移動していますので、予定は弾力的に変更可能です。
また、同17日(木)午後8時から18日午後5時までの間でしたらそちらに身を置く時間はつくれます。ご都合が合うか、ご検討ください。私は、現在メシヤ様についてのお話をはじめ、浄霊のことや御経綸のことなどをお話できる方には夜を徹してでも可能な限りお会いしてまいりたい、と願っております。面談が実現する日を楽しみにしております。
遠隔地の入信希望者や月次祭のことについては、その折にお話致しましょう。入信とは何かということが前提としてありますので、やはりお会いした時のほうが宜しいと思います。
(後略)
メシヤ教
楳木和麿<2005.2.24・17:52>
<終わりに>
この後数回のメ-ル交換を行なった結果、本部への参拝を行ない面談を執り行うことになりました。3月8日に実施され、以後今日まで共に御神業を進めております。