自分に内在する悪、そして閃き

丹原集会所  T.N

 

兄の帰郷

本日は、竣成記念大祭、誠におめでとうございます。丹原集会所のT.Nです。

これは3月25日に代表が亡くなって、4月に入ってから僕に起きた事を体験記という形で発表させて頂きます。

僕は実家で父親の会社を手伝っていますが、4月に実家の家業を継ぐために、県外の他のメーカーの所で5年間修行していた兄が帰って来ました。

帰って来たことは嬉しかったのですが、昔から生活面がだらしない兄だったので家の中がとても汚い状態が続いていました。しかも自分は、元々父親に対して腹が立っていたので、父と兄に対して怒りが溜まりすぎて、頭の血管が切れるんじゃないかと思う日々が一週間以上続きました。

そしてストレスからか、車を運転していようがお風呂に入っていようが、四六時中父と兄の悪口を心の中で言ってはシュミレーションして、想像で喧嘩ばかりするようになっていました。

自分でも引くぐらいの酷い悪口を言っているので、向こうは別に何も言って来てないのに自分の被害妄想が止まらなくなっていました。

 

魂の奥の奥にあった汚い物

そうして、一週間ちょっと経って4月11日、いつものように仕事が終わり西条から松山に向けて軽トラックを走らせていました。すると、桜三里の山道を通っている時に、ふとこう思いました。

「何でこんなにイライラするんやろ?自分の悪の心が強すぎるんやろか?母親が言っていたように自分の前世はやっぱり悪人やったんやろか?自分に内在する悪がこんなにも強いなんて思わんかった。父さんの事も兄ちゃんの事も、誰のことも悪いように思いたくないのにポンポンポンポン悪口が浮かんでくる、本当に性根が腐っとる、苦しい・・・本当に苦しい・・・もうやめてくれ・・・」と。

そう思いながら車を走らせて桜三里を抜けた時、急に胸が苦しくなり、そして足のつま先から痺れがきて、それが段々と全身にまで及び、全身が痺れて過呼吸になり、これ以上運転したら本当に死ぬのではないかと思ったので路肩に車を止めました。

顔も痺れていたので、バックミラーで自分の顔を見てみると、口がおちょぼ口になり酸っぱい梅干しを食べた時のような顔になっていました。

そして、あまりにも苦しかったので必死に携帯で祖母に電話をかけたら、その日に限って祖母は岡山支部にいて原田さん夫婦と話し合いをしていたようで、状況を説明すると「直ぐに御祈願させてもらうから。」と支部長さんが言われているからと言ってくれたので電話を切って、それから自分自身も痺れた口で祝詞を頑張って上げていました。

そうしていると、しばらくして、お腹のみぞおちのあたりからグググッと上にあがってきて、口からポンッと何かが出たのが分かりました。それからは、呼吸も安定してきて、自分の魂の奥の奥にあった汚い物が出たんだなと思い、安心感と共に、死の恐怖から解放されたからか、勝手に目から涙が出てきました。

そのうち気持ちも落ち着いてきたので、ふたたび車を家に向かって走らせていると、頭の真上からスーッと「すべてを受け入れろ。」という厳しい口調のお言葉を代表から頂き、想念で「わかりました。」と返事しました。

 

バラバラになったジグゾーパズルのはめ方が一瞬でわかる閃めき

そして4月12日、僕はいつものように朝家を出て西条の仕事場に向かい、亡くなった父方の祖父が持っていた○○の土地で、木で出来たパレットを一人で燃やしていた時に空を見上げて、「メシア様!代表!上で僕らの事を見ているんですか?」と笑いながら言っていると頭の横からパーンと閃めきが来ました。

代表はメシア様が御昇天されてから5日後にお生まれになられた。

そうであれば、代表は日出ずるで「五」の型をされた、なら後は「六」と「七」で六は水であり恐らく「女」が六の型をするだろう。そして「七」は、代表が僕と月次祭でお会いすると必ず僕の顔を真剣な目で見て「成は七であり土なんだ」と言っていた意味がわかりました。

僕は土である自然農法の型を自分の生涯をかけて完成させる。そして自分と同じ志しを持った人達と力を合わせ「七」であり土である自然農法の型を必ず完成させるんだと・・・。

そして2年前、初めて参加させて頂いた岡山支部での月次祭から、ずっと頭の左斜めから降りてくる「釈迦」という言葉は、五六七を神様で例えれば、「五」は天照大神、「六」は月読命、そして「七」は「釈迦」だという御教えを瞬間的に思い出しました。なので僕は七の型をしないといけないと思いました。

そして「六」はおそらく女だと思い、誰なのだろうか?とふと考えた時に初めパッと浮かんだ言葉が「○○」という名前でした。これは僕の祖母の名前です。これが僕の代表からの閃めきです。

この閃めきは、僕が今まで見たもの聞いたこと、そして自分の中での数々の疑問が、まるでバラバラになったジグゾーパズルのはめ方が一瞬でわかるような感覚でした。

 

第三の目とも言うべき霊的観察眼を養う

それから今回、魂にこびり付いていた汚い物が口から出たおかげで、今年の一月の月次祭から、代表が祝詞と善言賛詞を上げている時に身体全体が苦しく、自分の霊体が御神体の方に引っ張られるようになっていたのが、4月17日に西条集会所の月次祭で岡山支部責任者の原田さんが祝詞と善言賛詞を上げた時は、全く苦しくなく霊体が引っ張られる事もなく、とても清々しい気持ちで聞かせて貰えるようになりました。

このような一連の事もあり最近思ったことは、“自分の主観で物事を見るのでは駄目だ”と気付かされました。すべての物事を霊的な観点からまず見て、冷静に対処していく事が大事だと思いました。じゃないとこれから来る自分自身の浄化、そして世界的大浄化に、絶対に太刀打ちできないと思いました。これからは、人間の主観的な考察では到底納得できないような、理不尽な物事が必ず起きてきます。その時に、第三の目とも言うべき霊的観察眼を養わなければ、邪神に打ち勝つ事ができないと思いました。

 

[御蔭話(その他) 竣成記念大祭 2017(平成29)年5月5日]

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