韓国支部 盧鎬成(ノ ソンホ)
韓国で『文明の創造』出版
メシヤ降誕本祝典記念大祭、誠におめでとうございます。
韓国から参りました、盧鎬成と申します。まだ日本語が上手ではありませんので、簡単にまとめてご報告をさせていただきます。
いよいよ韓国でも『文明の創造』の本が今月末頃に、出版される事となりました。この『文明の創造』の出版をお許しいただきました事をメシヤ様に感謝申し上げます。また、一緒に応援してくださいました楳木代表ならびに皆様にも、御礼申し上げます。
もちろん韓国にも、「岡田茂吉全集」を翻訳したものはありましたが、まだ一般に向けられたものはない状況です。従って、今回の『文明の創造』の出版は、主神様エホバ様直接の御啓示を韓国にも本を通して、伝えることができる。という意味で自分もとても嬉しいです。またメシヤ様も非常にお祝いしてくださると思います。以前の所属教団で、「岡田茂吉全集」にある『文明の創造』を初めて見た時、すぐに“一般の人に伝える為に本を作りたい”と思いました。その頃、『文明の創造』の科学篇を地下鉄の中で無性に読んだ記憶が未だにあります。ところが専従を辞めた時から、出版することを忘れていたのです。そして、7年前に私の母が亡くなった後、改めて“御浄霊とメシヤ様の教えを人に伝えたい”という気持ちが湧き上がりました。それは私の両親と家族が神様からいただいたご守護と、恩恵に対する責任と義務が私にあったからこそだと思います。その後、メシヤ教から出版された『文明の創造』を発見して、すぐその本を買って読みながら、“この本を出版しなければいけない”という決心をしました。そして、2015年から翻訳を始めて、今月出版することになりました。結局自分としては、『文明の創造』の翻訳の完成まで20年もかかったことになります。
翻訳後の御守護
昨年10月やっと翻訳が終わったという満足感で喜んでいた時に、今まで一度も経験をしなかった下血と言う御守護をいただきました。下血と言う浄化で、全然痛みもなしに御守護をいただいたことで感謝するばかりです。
このような浄化は、確かに『文明の創造』を翻訳した御守護だと思います。重ねて、メシヤ様に御礼申し上げます。ありがとうございます。そして、今年4月主神様の御神体御奉斎を韓国でお許しいただくことになりました。実は、私は10年前に『お守りは必要でない』と言うメシヤ様の御講話と御教えから、“御神体も必ずしも必要ではない”と思っておりました。もう大光明と言う御神体は家に祀ってありますが、一方、主神様の御神体を初めて見たとき、その意味がとても気に入りました。個人の御守護と幸福のために、新しい御神体を祀るというのは正しくないという思いもしました。ところが、『文明の創造』出版の為、テープを何回も聞くうち、どうしても韓国にも浄霊とメシヤ様の教えを伝えたいと思いまして、そのためには組織が必要だと思いました。そして、楳木代表にご相談し、「主神様に対する感謝の心を捧げる場所と窓口は必要だ。」と、また「主神様の御神体は、現在のメシヤ教の活動のために予定されていた。」というお話を聞きました。私も、主神様の宗教という観点と、絶対力の発揮という意味から主神様の御神体を御奉斎すると言う事が次第に正しいと考えるようになりました。経験不足な私が、韓国でどれくらい御神業に使って頂けるのかわかりませんけども、創造の主は、全ての人間にはそれぞれの才能を与えていらっしゃると。だから、今自分が出来る事を精一杯やるということが御神業だと思います。メシヤ様の御論文の翻訳と浄霊の布教と、そして、韓国内の世界救世(メシヤ)教の復興などやりたいことは沢山ありますけど、個人的にできることには限界があります。メシヤ様の教えのように楽しく幸せにやっていきたいと思います。
人生の転換期
また自分の人生を振り返って見た時、大きい転換期が何回かありました。一番は、30年前浄霊に出会って信仰の道に入りました。しかし、以前の所属教団の布教と教団の限界を見せさせられました。その経験は確かに自分に必要な修行だったのだ。ということが、今わかるようになりました。2番目は、以前の所属教団を辞めて、信仰と浄霊を第三者の観点で見ることができました。そして、お守りより信仰の心、素直に霊線がもっと重要だということを感じるようになりました。それから、お守りなしで浄霊をするようになりました。
3番目は、2015年10月、偶然に、「日の出観音様」のHPを見て、メシヤ教鎌倉支部を訪ねました。私は、専従を辞めてから、浄霊は教団の浄霊ではなくて、メシヤ様の神心に叶う浄霊でなければいけないという考えを持っておりました。また、宗教の限界を超えて、超宗教の活動をしなければいけないと思いました。鎌倉支部長さんからメシヤ教の『浄霊力拝受』と、メシヤ教復興の活動を聞いて、メシヤ様が願っていらっしゃる活動だと思いました。そして、支部の御神前の光の感じがとても良かったです。支部長さんといろいろ話をする中で、“自分は家族を愛する心が不足だ”ということを感じました。自分自身は、人のために努力しているという考えを持っていましたけど、家族に対して、それくらいの愛情をかけてなかったということに気づいたのです。それは利他愛でなくて、自分の慢心ということなのだと反省させられました。家庭が基本なのに、基本が出来ていなかったのです。人も、家族も、自分も、全く同じように愛することが本当だということに気づいたのです。そして、日本のメシヤ教の活動のように、韓国でもそういうような取り組みをしないといけないと思います。皆様と一緒にメシヤ様の神心に叶う弟子として一緒に取り組んで参りたいと思います。
以上終わらせていただきます。
[御蔭話(御神業の本筋)メシヤ降誕本祝典記念大祭 2017(平成29)年3月3日]