メシヤ様の御用に携わり仏壇に観音様が現れる

三重支部 坂下ひとみ(元世界救世教東方之光教団所属)

 

私は、東方の光教団に所属しておりましたが、昨年メシヤ教とのご縁を頂き4月に初めて三重支部の月次祭にご参拝させていただきました。9月には入信も許され、メシヤ講座を通して東方の光教団の間違いや、私自身抱いている疑問に対しての明確な御答えを代表先生より頂くことが出来ました。私がメシヤ教とご縁を許された経緯と、その後、我が家で起きてきた出来事をご奉告させていただきます。

私は信仰三世ですが、幼少の頃より身体が弱く、貧血でよく倒れていました。体力もなく、精神的にもとても弱かったと思います。

祖母からの信仰を母(東方の光)が続けておりましたので、私も母と共に箱根聖地への御参拝やご奉仕、そして母や信者の方から御浄霊をいただきながら育ちました。祖母が亡くなった後、祖母の家の御神前にあった古い御教え集を発見し、あまり目にしたことのない御教えが沢山あった為、一部持ち帰りました。その中に「文明の創造」発刊に関する御教えがあり、未完成でまだ発刊されていないことを知りました。その頃の自分の信仰心は、さほど強くなく毎月の参拝はわざと遅れて行ったり、興味のあるご奉仕だけは参加し、御教えより聖書(旧約、新約)を夢中で読んだりと気まま勝手な信仰をしておりました。十代の頃から将来の夢のことで頭が一杯になり、掛け持ちでアルバイトを始め専門学校で学ぶための学費を貯めました。そして、学費も貯まり入学手続きを始めた時から突然、顔がカブれ始め身体全体が浮腫みだし、特に顔とふくらはぎがひどく浮腫んでいきました。どんどん赤く汚い顔に変貌していく自分の姿がとても恐ろしくなりました。しかし、痛み痒みは全くなく、ただ見た目だけが悪化していきました。その後も一向に改善されることもなく、仕方なく希望の学校への入学(メイクアップ専門学校)は諦めました。それからの私は人前に出ることへの恐怖心から、工場のライン作業やパンの製造など、あまり人の目につかない仕事に就きました。21歳の時、母は私の姿を心配して布教所長に相談し、有り難いことに本部の嘱託職員として熱海でお使いいただけることになりました。

配属はMOA美術館でした。人前に出ることへの恐怖心がありましたが、段々と人前に慣れるようになり自信もつき始めました。全ての浄化作用は良くなるための曇りの解消作用であり、一時的に苦しくても浄化が終われば必ず良くなるとの思いで日々業務に励み、ご面会と祖霊祭祀、MOA活動に一生懸命に取り組みました。

その頃の私は、教団から打ち出されることは全て正しいことであり、メシヤ様の進められるご神業と思っていたため浄化中は一層活動に励みました。

しかし、励んでも励んでも自分の望む身体からはほど遠く感じ、また業務が行き詰まるようにり、母の喘息の看病を理由に平成11年3月に退職しました。その後は一般で働きながらMOA活動を続けていましたが家族の間で色々な問題が起き始め、また私も幾つかの人間関係のトラブルが重なり、精神的ショックから体調もどんどん悪くなっていきました。特に仕事中、急激に具合が悪くなることが多くなってきました。その後も身体の状態は変わることなく、長時間の勤務に耐えられなくなった私は仕事を辞めることにしました。当時は、心身共に辛くなれば箱根聖地での長期奉仕研修に参加したり、毎月のように名古屋の療院で定期的に受診し、年に一度は療院で血液検査を行い、二万円近いお金を払って医師の許可のもと二日~三日の滞在型の健康法を受けていましたが体は改善されませんでした。この滞在型の内容は医師からの診察と朝から夕方近くまでベッドに横になり何時間もひたすら御浄霊を頂きます。昼食は栄養士による献立の食事を頂き、お花を一輪活けて、お抹茶を頂きます。確かに楽になったような気持ちになりますが、帰り道は体がだるく頭がぼっーとしていました。寝込むほどの体でないのに、二日間も寝たきりではそのような状態になるのは当たり前でした。そして、鉄欠乏性貧血の症状のある私はその後も改善されず、療院の医師から食事療法より薬の治療を勧められました。薬毒のことを考えると出来るなら服用したくありませんでした。躊躇している私に受付の専従者は「増血剤だから大丈夫。同じ症状の患者さんは皆んな飲んでいるから。」と言われ一ヶ月ほど服用してしまいました。確かに数値では改善されましたが、心の中には何か納得出来ない思いがしこりとして残りました。ある時は、仕事中に急激な震えと悪寒で足腰が立たなくなり、すぐに母が療院の専従者に伝えたら「直ぐ、病院に行って下さい」と言われ、尿路感染症でそのまま緊急入院となり抗生物質による治療が数日間続きました。またある時は、療院より呼び出され、紹介状を書くので至急近くの血液内科に受診するように言われました。結果は「今のところは異常なし」と診断され、検査費用二万円近くと血液7~8本も無駄に採られました。療院で言われるまま行動していましたが、まだそれがメシヤ様の御心でもあると信じていました。仕事を辞めたことで、時間と心にゆとりが持てるようになり、その頃からインターネットを通じて、外の教団や団体から出ているたくさんの御教えを知り夢中で読み始めました。そして、段々と東方の光教団に対して不信感が高まっていき、しばらくはMOA活動を続けていましたが、徐々に献金や活動を減らしてきました。そして、「文明の創造」の御教えを思い出し、もしかしたら何処かの団体から発刊されているのではないかとふと思い、ネットで検索したところメシヤ教に辿り着くことが許されました。

 

今思えば、幼少からの浄化もメシヤ様に一歩一歩引き寄せていただくための、とても有り難い御浄化であり道のりだと気付かせていただきました。早速、三重支部にメールをさせていただき、初めて月次祭への参拝が許されました。御参拝中はとても厳粛な雰囲気で緊張しましたが、代表先生を中心に三重支部の皆さんが明るく、また温かい雰囲気なのでとても安心しました。私が今まで一生懸命行ってきた活動は信仰ではなく社会事業であったことに改めて気付き、また、社会性ということで薬の併用を認め、薬や手術などによって一時的に浄化症状を止めて施術を行い改善が許されたと間違った解釈をしてしまっている東方の光メンバーの方々に、出来る限りお伝えしていきたいと思っております。

 

現在、毎月の御参拝とメシヤ講座を学ばせていただいていますが、有り難いことに昨年末に三重支部での校正の御奉仕に携わらせていただきました。初めての校正作業で、戸惑いながらもメシヤ様から頂いた初めてのご奉仕との思いで、微力ではありますが御奉仕をさせていただきました。校正チェックを終えた日の夕方、急いで三重支部にお届けしようと速達便でお送りしました。そして翌朝、仏壇にお参りをしていた母が中央の阿弥陀様のお顔が観音様に変わった!と言ってきました。疑う私に「確かに観音様だわ。髪がチリチリでなく漆黒の長い髪に変わっていたから。阿弥陀様じゃない、観音様だ!」と言ってきました。母は御神前でも、大光明の御神体の大の字から光りが出ているのをよく見たりするのですが、お仏壇は初めてだと言っていました。しかし、私は母の言葉を信じることが出来ませんでした。なぜなら我が家の仏壇は御屏風観音様は御迎えしておりません。また、浄土真宗の為、御位牌も整えていなかったからです。この事を月次祭で代表先生にご報告させていただいたところ、「それは、私に教えるためにお母さんに見えたのです。仏壇とかそうゆうものが変わったのではなくて、この御用をするという事自体が阿弥陀様が観音様に変わる位の、これが根底から変わるということです。メシヤ様がご在世当時、いろんな所に行かれた時に、阿弥陀様が「これからインドに帰りますので…」と言って帰られたという御事蹟があるでしょ?それと同じ事が我が家で行われたという事。その御用に携わるということはそうゆう事なのだという風に受け止めて頂きたいと思います。とのお言葉を頂きました。メシヤ様に御使い頂けることはどんなに凄い事なのか、御用に携わることがメシヤ様に直接繋がっているという事実を母を通して見せて頂きました。現在は、母と姉も朝は天津祝詞、夕方は姉のみメシヤ教の善言讃詞を奏上させていただいております。まだ、御位牌を整えるための理解は家族から得られていませんが、近い将来はきっと整える事が許されると思っております。メシヤ様の御用に御使い頂けることに心より感謝申し上げます。メシヤ様、誠に有難うございます。

 

 

三重支部では校正の御用に取り組んで数々の御守護をいただいておりますが、Mさんもその一人です。本日は参拝がかないませんでしたので、Mさんの原稿を私が代読させていただきます。

 

月次祭、メシヤ講座に参加する前に、一昨年前に父が亡くなっていますので、いつも自宅で仏壇に、父に「一緒にご参拝しようね」と言って出てくるのを習慣にしていましたが、1月の時はご先祖様全員に向かって「一緒に行きましょう!」みたいな感じでお祈りさせて頂いて家を出ました。

 

それからですね、滅茶苦茶嬉しい気持ち、なんというか、自分自身の感覚というよりか、なにか受けている、なにかに影響されて感じているような不思議な感覚だったのですが、一人で笑みがこぼれるというか、変なのですけどね、 傍からご覧になったら変な人がいるぞと思われるような状態で、なにか嬉しいのですね。そんな状態で、不思議な感覚だなってずっと思って来たので、メシヤ講座でこの不思議体験をご報告しようと思っていたのですが、本日こちらに寄せて頂いた際にちょっと、「爽やかだ」というか、「なんか違うような感じを受ける」と言って頂いたので、“今日は喜んで沢山のご先祖が付いて来たのだろう”なって。そんな感じを体験させて頂きまして、先生の方からお言葉を頂いたので、式典前に先にご報告させて頂いた次第です。

 

先生から教えて頂きましたが、霊界は厳しい「お父さん一緒に行きましょう」と言ったら、父しか行けないと。子孫が参拝させて頂くところに先祖が付いて行きたいと思うけれども、何も言わなければ、先祖はみんな付いて来れますが、 父と限定した以上は、他の先祖はダメなのだ、と。それが「皆さん」と言ったら、その瞬間からその先祖の喜びたるや大変なものだと言うこと。それだけ月次祭の御光というのは月々ずっと高まっている、強くなっているので、先祖は “浴したい”という気持ちがあるけど、「俺たちは誘ってくれないからな」っ て、「ぶう」「ぶう」言っていたと思う。と教えて頂きました。大変反省致しました。これからは、お仏壇に、「皆さん一緒にご参拝しましょう」と念じて月次祭・メシヤ講座に参拝する様に心掛けます。ありがとうございました。

 

以上でございます。

 

 

三重支部では、メシヤ様御降臨祭の時に、三重支部として取りまとめた御祈願書をひとりひとりに配布され、皆の願いとして共有しておりますが、その中に次の項目がございます。

 

  • 地上天国建設に不可欠な『聖書の校正』という尊い御用を、担わせていただいているという認識を持って、より想念を高めて御用に臨ませていただきます。
  • メシヤ講座で学んだことを、より多くの人に伝え、錯覚を起こしている方々の目を冷ましていただけますよう力を尽くします。

 

私も、御祈願の約束を守れるよう、いつも心がけて参りたいと思っております。

最後になりましたが、尊き御用に僅かばかりでもお使いいただきますようメシヤ様にお願い申し上げ発表とさせていただきます。

 

本日は有難うございました。

 

[御蔭話(御神業の変遷)メシヤ降誕本祝典記念大祭 2016 (平成28) 年3月3日]

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