多重人格に悩む娘に光明

浜松支部  Y.K

 

メシヤ様御降臨祭、おめでとうございます。
私は浜松支部のY.Kと申します。宜しくお願いいたします。

家族の中で最初に御守護をいただいたのは私の祖母でした。

昭和52年に乳房にしこりが見つかり、何人かの先生に触診で見てもらったところ99%乳癌でしょうと言われ、それを聞いた祖母の妹が知り合いに頼んでくれたので、細胞の検査をする前に何回か浄霊を受けることができました。

そしていざ細胞を検査してみたところ癌ではなかったそうです。その後すぐに祖母は浄霊力を授かり30年以上家族や知り合いに浄霊を御取次してきました。その後、何か困ったことがあると私や親戚、身近な人などが祖母の妹に相談していました。

ですが急にその人は亡くなってしまいました。

私の娘が中一の夏休みに海外にホームステイに行きました。帰って来たその日、娘の顔を見て違和感を覚えました。そして二学期から学校に行かなくなりました。

初めのうちは明日になれば学校に行くだろう、前のように明るく元気な娘に戻るだろうと思っていました。

仲の良い友達が毎日会いに来てくれても、

「自分が情けない。学校に行けている友達に会うのは緊張するから会えない。」

と言う娘、親友なのに何で会ってくれないのかと泣きながら帰っていく友達。

またその様子を娘はカーテンのかげから泣きながら見つめていました。

あの時ホームステイに行かせなければこんな事にはならなかったのではないかと毎日自分を責めていました。

そんな辛い毎日を過ごしていくうちにどんどん娘の様子がおかしくなって行きました。

娘は朝起きた時と寝る前の記憶がなくなりました。

赤ちゃんがえりの状態になり幼稚園児くらいの精神年齢になりました。一人でいることをとても恐がり、家の中でも一人で移動できなくなりました。そして記憶のない別人格の時間がどんどん増えていきました。

「もう自分なんか生きていてもしょうがない、死にたい。」と言うようになりました。目を離すと窓や階段の吹き抜けから身を乗り出し、飛び降りようとするようになりました。

私も娘の側に24時間つきっきりでいるわけにもいかずとても困りましたが、当時低学年の息子が一生懸命とめてくれたりなだめたりしてくれたので本当に助かりました。

同居の家族や私の実家の家族みんなの助けがあった事が本当にありがたい事でした。

この頃、心配してくれた知り合いの紹介で精神科を受診すると医師から「統合失調症だと思われます。」と言われました。この時聞いたことない病名だなと思いましたが後で調べてみると、昔の精神分裂症だと分かりました。

この時医師に「治りますか?」と訊ねましたが「治してあげたいけれど発症してしまったんでね、でも一緒に頑張りましょう。」と薬を出されました。

薬を飲み始めても良くなっているようには思えませんでした。ただおとなしくさせているだけで人間らしさがどんどんなくなっていくような気がしました。

後で当時の事を娘に聞いてみたのですが、「心が落ち着く薬と言われ飲んでいたけれど飲んでも不安なきもちはなくならず、全然落ち着かなかった。」と言っていました。

早く良くなるようにと神社やお寺にお参りに行ったり、霊能者の方にみてもらったりもしましたが、どこもはっきりと治るとは言ってくれませんでした。

そんな時思い出したのが楳木先生の事でした。祖母の妹の所に1カ月に一度先生が訪ねて来ていた事。大分にある母の実家のすぐ側に、慰霊の塚を先生が建ててくれたこと。その時辺り一面真黒な雪雲におおわれボタボタと降っていた雪が、先生が祝詞を唱えだしたとたん一カ所だけ雲に切れ間ができ光が射し始め、その光が真っすぐに先生に届いたので先生の周りだけ雪が止んだのだと、そして祝詞が終わるとすっと切れ間がなくなったその光景は後光のようだったという話でした。

わらにもすがる思いで母から先生に連絡をとってもらうと平成23年2月の浜松支部月次祭に来てくださいとのことでした。

行くまではどんな所か不安でしたが、行ってみるとそこにいらした方々はみんな朗らかで優しそうなひとばかりでしかもあまり宗教っぽくない人達で安心しました。その時、先生から「支部へ毎週一回と月次祭に参加して、私や家族が娘に浄霊を御取次していけば必ず良くなる。」と言われ、信じて取り組んでみようと思いました。

浄霊を取り次ぎ始めた頃、娘の中には四人の人格がありました。ですが浄霊を始めてすぐに一人は自分の国に帰ったと娘以外の人格の人が私に伝え、もう一人もいつの間にかいな

くなり、もとの一人の人格に戻るのには二年近くかかりました。このとき岡山支部さんの神示の医学がとても参考になりました。岡山支部さんありがとうございます。

その後勉強会に参加していくうちに薬毒について知り、すでに半年の間、娘に精神科の薬を飲ませていましたが、その日からやめさせました。

朝から夜遅くまで一日中部屋にこもってパソコンをしていたり、夜中に大声で叫んだり、一人で自問自答を繰り返したり、着替えの仕方も分からないと座り込んで泣いていた娘が少しずつ良くなっていき中3の頃には保健室や別室に登校できるようになりました。

そして自分の夢について上手に作文が書けるまでになりました。中学の勉強にも少しずつ取り組むようになりました。

習っていない勉強を一から自分で学ぶことは本当に大変で、使っていた家庭学習の教材にそのストレスをぶつけていました。教材をビリビリ破いて部屋中にぶちまけるので、後で一つ一つテープで貼り付け元通りにして片付けるのは大変でしたが、だんだん怒っても破らず投げるだけになり、投げても自分で片付けるように変わっていきました。

そして高校生になった娘は毎日学校に行けるようになりました。勉強も一生懸命取り組んでいるようです。毎日学校であったことや友達の事を楽しく話す姿を見られるようになってメシヤ教に出会えて本当に良かったと思います。

そしてそこへ導いて下さった御先祖様方の存在があった事は、娘の言動から十分に分かりました。御神体御奉祭を許され、生まれてすぐに亡くなった主人の姉の位牌も整えることができ、家族全員に浄霊力を頂くという御守護も頂きました。また最近、骨折した息子の指も固定だけで済み医者が驚くほど治りが早かったのも浄霊のお蔭だと思います。

娘が不登校になって自分自身や家族も気付かされたり学んだことがたくさんありました。

この気付きをありがとうございます。

メシヤ様、御先祖様、楳木先生、浜松支部の皆さん本当にありがとうございました。

そしてメシヤ様と一人でも多くの人が御縁を頂き救われますように願い、自分でできることを少しずつしていきます。ありがとうございました。

 

[御蔭話(精神疾患)御降臨祭 2013(平成25)年12月23日]

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