私と友達の乳癌が治る

岡山支部 山地玲子(元世界救世教東方之光教団所属)

 

私が経験した御浄霊の奇蹟と岡山支部へ身を置いてからの心の変化、魂の目覚めについての体験を報告させていただきます。

 

私の乳癌に御守護をいただく

昭和41年5月頃ですから、私が37、8歳の頃だったと思います。

ある日、何気なく触った胸にシコリがあることに気付き、翌日勤務先の近くの外科医院で診断を受けたところ、先生はすぐにでも大きい病院へ行くようにと、岡山大学病院の当時有名な砂田教授へ紹介状を書いて下さり、早速受診しました。色々検査の結果、乳癌と診断され、手術の日も決まりました。当時勤めていた会社のお客さんに、しばらく休むと挨拶に行ったところ、救世教支部を紹介され、何もわからないまま、暗い夜、仕事の帰りに尋ね尋ねて支部へ行って、支部長より生まれて初めて浄霊をいただきました。

少々奇異には感じましたが、興味もあり、翌日も浄霊を受けに行き、何日目だったか、入信を勧められ、何はともあれ、これに賭けてみようと思い、病院へは断りの電話を入れ、入信しました。不思議にさわやかな気分でした。胸のシコリは、1年位は大きくなったり小さくなったりして消えてはいませんでした。

その間、ずっと毎日浄霊をいただいていましたら、痔になって、歩けないくらいの痔の浄化をいただきました。その時支部長が「痔は地獄の苦しみ、我慢していれば大丈夫です」と言ってくれました。その後、バンと大出血してびっくりでしたが、でも不思議と達観した気分でした。それ以来すっきりして1年位して気が付くと、胸のシコリは、なくなっていました。

 

友達の乳癌も消えた

その後、教団一元化以後、私と同じように友達にも乳癌が見つかり、倉敷中央病院で手術の日が決まっていたのですが、病室が一杯で空き部屋がないという理由から手術日が延期になりましたので、それから毎日、朝晩浄霊に行っていました。

そうしていた7月の暑い時、丁度彼女が2日間の夏休みが取れたので、箱根に案内し御参りして1泊し、宿でゆっくり浄霊をさせていただきました。そして帰ってからも、浄霊に通っていましたが、そうしたら癌が消えたんです。

帰って何日目だったか覚えていませんが、胸のシコリが無くなったと「これがなくなったー」と言って踊るように私の所へ電話があり、共に喜び合いました。彼女は私と違って用心深いから、岡山の大元外科へもう一回診療に行ったんです。そうしたら、「大丈夫です。何にもありません。」という診断をもらって初めて安心したんです。確かその2日後に、中央病院から病室が空いたと電話がありました。その後、彼女は入信し、今でも元気で過ごしています。

もしも1~2日遅れたら手術してますから、すごいメシヤ様の業の良さ・・・今でも何かもう、思い出すと「はー、すごいなー」と感動が甦ります。

 

娘の盲腸も治る

また、娘が結婚をしてその後、昭和54年頃、盲腸になったので、私は泊りがけで浄霊に行きました。その時、「朝までにこの痛みが取れなかったら仕方がないので入院します。」と言って、メシヤ様に御玉串をして、お祈りして行って夜を徹して浄霊していたら、朝、夜明け前にすうっと寝出して、それで御守護いただいて、そのまま今日まで元気でおります。そして、今度は孫が指を包丁で切った時も、アトピーの時にも、御浄霊で御守護をいただきました。

 

浄霊は光のシャワー

さらに、平成20年頃、義兄が誤嚥性の肺炎で、2回も3回も入院したことがあるんですが、その度毎に浄霊で御守護いただいて良くなっていました。そして最後に肺炎で入院した時には、普通の食事はしたらいけないとまで言われ、さらに悪化して医師より死の宣告を受けた時、少しでも浄まって霊界へ行って欲しいと思い、浄霊したところ、生き返り、意識が戻ってから「今、光のシャワーを浴びた」と言ったのにはびっくりしました。

この時、「そうか、浄霊は光のシャワーなんだ」と改めて思いました。又食事についても普通の食事が出来るようになり、その後、義兄は時々病気もしましたが、亡くなるまで普通食が食べられる御守護の中で、96歳の天寿を全うしました。

このように振り帰りますと、数々の御守護をいただきながら、今日に至っている喜びに感謝しております。入信して当時は明主様と言ってましたが、メシヤ様の世界を知ってからは、信ずるものが一つ出来たことで何の不安もなかったです。今思えば、メシヤ様がこの世界にさえいれば、私は生かされる。どんな悪者にも連れ去られないという変な自信がありました。入信以来、今の年になっても薬を飲んだこともなければ、病気もしないで、元気で過ごさせていただいています。

だからこちらがメシヤ様を全面的に信頼すれば、メシヤ様は必ずこういう、私達がこんだけであってもこれだけの救いを下さるという、そういう自信が付きました。だから誰にでも言えるわけです。又、自分が正しければ、変なことをしなければ、必ず最後はいいところへ導かれると今では自信を持って言えます。

 

岡山支部に身を置いて

私は80歳を過ぎたらお役目が終わったみたいな隠居気分で生活しようと思いそうしていたところ、ある人にたしなめられ、3月にその方と一緒に私は初めてメシヤ教の岡山支部を尋ねました。

その時、本当にすごいなぁと思いました。

支部は、どこを見てもメシヤ様の世界じゃないですか。どの部屋へ行っても御書があって、メシヤ様の存在が感じられて、光に満ち溢れていて・・・特に2階の御神前では、毎日20分座ってメシヤ様と心を通わせたら十分だと思いました。浄霊いただけますようにと、こちらが受身であれば・・・こちらが拒絶したら駄目ですけど。自分の心次第で受け入れてもらえると思いました。

また、自らの魂に響く、染み渡るような善言讃詞を久しぶりに聞いて、代表の集団浄霊をいただいて「この浄霊、すごいなぁ」と感じました。さらに代表から話を伺って、これは本物だなと、常々岡田茂吉師の本物が出て来ないといけないと思っておりました。このまま今のような教団の現状で、潰れていってはメシヤ様に申し訳ないと思っておりました。

メシヤ様へは一生のうちに、御恩を返しきることは出来ません。両手に余るくらいの御守護をいただいてますから。

何で、御守護いただいて浄化を乗り越えられてきたか、そして、子供達も何ら言うこともなく全て御守護の元で暮らしているのか。又、病気もないし薬を一度も飲んだこともないしそれでも健康でいられる、そうしたら残りの人生はメシヤ様しかないですよね。

何とかしてメシヤ様に御恩返しをしたいと、・・・この岡山支部の雰囲気に触れて、メシヤ様の、死ぬまでメシヤ様の手足として御用を担わしていただきたいという思いにならせていただいた一日でした。

その月次祭の日からしばらくして、入会させていただきました。その時、支部責任者から御浄霊をいただきました。その時、背中が熱くなり、温かい御浄霊をいただきました。久しぶりにこのような御浄霊をいただきました。この事でさらに自らの思いを強くしました。

今後、命ある限り初心を忘れず、御奉仕させていただこうと思っております。

ありがとうございました。

 

[御蔭話(御神業の変遷)地上天国祭 2012(平成24)年6 月15日]

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