岡山支部 原田多津子(元世界救世教東方之光教団所属)
皆様、御降臨祭おめでとうございます。岡山の原田です。現在に至るまでの私の体験報告をさせていただきます。
出生から青年時代
私は母親が妊娠中毒だったため、妊娠8ヶ月で1kgにも満たない超未熟児で、しかも双子として生まれました。その為、生まれたばかりの私は両手の中にすっぽりと入るほど小さく、数ヶ月間は保育器の中で何とか障害も無く育ちました。その後、体の弱い母親は、弱い私達の事もあり私達が小さい時、世界救世教に入信しました。しかし、入信しても風邪を引いた時は風邪薬を飲み、予防注射なども普通に行っていました。今思えばその当時から「薬毒」ということについての意識が教団はじめ信者自身、薄くなっていたのかもしれません。その後一家入信になりましたが、私が高校生の頃、兄の一人が精神浄化をして家に閉じこもりがちと成り入退院を繰り返すようになりました。また母は卵巣癌になり、手術しても駄目で、私が24才の時亡くなりました。
私は、20才頃から人に誘われて教団の青年会に出るようになり、その後「参拝、浄霊、奉仕」の教団方針と共に専従者の言われたことを一生懸命聞き、活動させていただいていましたが、それにも係わらず、精神浄化の兄も一進一退で入退院を繰り返しており、そうした折の母の帰幽でもありましたので、何故信仰をしていて家庭が不幸になるのか、悩んだ時期もありましたが、「天国の礎」の御教えを読んでは『家に曇りがあるから、徳を積まなければ・・・』と頑張っていこうと思い直し、教団の出される活動に取り組んでいました。
結婚後の信仰生活(こんなに活動しているのに・・・)
そんな頃、青年会で知り合った主人と結婚しました。結婚しても1割献金は続けておりました。主人は代表世話人や布教員になり、私は昼間主人が仕事でいない時に、子供を背中に背負いながら、その代わりを果たしていました。夫婦共々、他の代表世話人や布教員さんと較べ、年が若いにもかかわらず言われたことを素直にさせていただいておりました。
しかし、結婚3年目、私が28才の時、義母は57才という年でクモ膜化出血で急逝(きゅうせい)しました。この時も、こんなに活動しているのに、何故こういうことが起こるのだろうかとも思いましたが、教団方針や当時の信仰指導が、本来メシヤ様がおっしゃられている御教えと既にずれがあったとは、その頃は思いも寄らないことでした。
それでも、教団や専従者の言葉を信じて活動を続けておりましたが、今度は主人が体調を壊し、体の不調から自営業をはじめるようになりました。この時が、平成元年でした。ちょうどこの頃、世界救世教は3派に分裂し、内部紛争を繰り返している時でした。実情を知らない私達は分裂した意味も分からず、その時の専従者の言葉を信じて、川合さんを中心とした再建派(現東方の光教団(MOA))に入っておりました。
本山御面会を決意して
又その時から主人は毎月の本山御面会を決意し、御面会に行けば仕事が入ってくるという御守護もいただきました。この箱根参拝を通して、これは主人がメシヤ様との霊線を太くする営みに対してメシヤ様からいただいたご守護であり、教団方針に沿った活動とは関係ないことでも、メシヤ様に対する姿勢一つでご守護はいただけるものだという考え方を持つようになるきっかけでもありました。
東方の光教団の御経綸に沿って・・・
そうした中、光明会館建設を謳(うた)い、光明会館建設献金を呼びかけるようになったので、数年に亘(わた)り、私達に出来る限りの誠の献金をさせていただきましたが、結局光明会館を建設することはありませんでした。またその次には、祖霊殿建設の話が出て、献金させていただきましたがこれも出来ませんでした。この頃から教団に対する疑問が少しずつ芽生えてきていましたが、相変わらず、教団や専従者を信用して活動を続けておりました。
ブランチ活動時代
その頃はブランチという名前で、宗教として勧めるのではなく、自然食、美術芸術、日本医術として社会性のある活動として紹介して、理解してもらい入信に導こうとするもので、我が家でも家を開放して人を集めてサークル活動をしておりました。多少の入信者ができるにはできましたが、中々入信に至るケースはまれで少なかったです。
ブランチから小浄院活動へ・・・
そのうち、今度はブランチから小浄院へと、これが御経綸であり御神業の軸であると、教団が方針を打ち出したので、我が家もそれに習い言われるまま小浄院として活動しました。そしてその後、我が家は「お光拝受小浄院」となり、その地域の「モデル的」「中心的」な小浄院となりました。その頃から専従者は足しげく我が家に来るようになり、一層専従者の言うことを聞いて地域の中心的な役割を担いながら活動しておりました。まったく操り人形のようでしたが、これが御経綸だと思い、進めていました。
MOA青年会議、岡山県委員長の頃・・・
平成7年、MOA青年会議が発足しましたが、主人は全国青年会議評議員となり、岡山県の青年会議委員長を務め、青年の人材育成と共に浄霊の研鑽に努めておりましたが、さらに岡山浄院設立実行委員長という役も担い、ドクターをはじめ多くの人と係わりながら活動をしておりましたが、段々と仕事より活動のほうが忙しくて、それに伴い仕事が段々減ってきました。家を空けることが多く、子供達にも浄化があったり、毎日のように人が来たり、何故御用させていただいているのに、生活が苦しくなるのか、私には分かりませんでした。しかし主人は、そのうち良くなると言っていました。夫婦共々、へとへとになりながら人救いだと思ってやっていました。そういう中にあっても、子供達と一緒に御教えの勉強会をしたり、浄霊をしたりして、一人一人に信仰を教えていこうとしていました。
岡山県の分院第一号として・・・
そうこうしている内、平成10年に岡山県ではじめて、2つの分院が同時に出来ましたが、その1つに選ばれました。当時42才とモデル小浄院の中でも年が一番若かったので、色んな意味で私は反対だったのですが、専従者の言われるまま納得するしかありませんでした。そして、岡山県の分院第一号として認定を受け、浄院設立を中心にした活動をしておりました。
当時、川合輝明理事長の指導を学び、「型と順序」という指導で進めていったのですが、無理やり専従者が「型」を造り、「順序」で進めていくものですから、その後が大変でした。川合理事長は「型と順序」で物事が進むと言いましたが、御教えには「順序と型です。それを見ていると分るし、それから又私はそういうようにやっているわけです。」とあるように進め方が逆だと思いました。ちょっとの違いのようですが、大変な違いです。メシヤ様が建設された箱根や熱海の雛形は、そのように「順序と型」で進められたわけですから。そういうことを皆に言うと、どっちでもいいような口ぶりであまり関心がないようでした。また長い間、MOA活動ばかりが主体となっていたため信仰者とは名ばかりで、「信仰をする」とはどういうことかという事が分かっていない人が多く、いわゆる道法礼節を欠いた人達が次々分院になり、分院が増えれば増えるほど、地域の信者の間がぎくしゃくしてきました。
教団体質を垣間見る・・・
一方浄院設立に向かっても、主人は主人で、専従者の進め方や考え方が余りに非常識で一般社会では考えられないようなことをたびたび言い出すので、専従者に異議を唱えることが多くなりました。専従者の言うことを聞いて活動をしている時には好意的な専従者も、異議を唱えると段々煙たい存在になったのでしょう、専従者が避けるようになりました。それでも正しいことは正しい、間違いは間違いと指摘しながら浄院設立実行委員長の役目を果たしていましたが、あまりに専従者の資質が低く、信者のことをあまり考えない官僚的な上位下達の体質を持ち、自分達の保身に走り、教団体質も垣間見たりしたので、これ以上ばかばかしくてやってられないということで、主人は浄院設立実行委員長を引きました。
そしてその後、若手の人材育成をすすめていた青年会議も解散となり、主人も活動の主体が分院だけとなりました。
メシヤ様の御教えのほとんどを入手して・・・
それで夫婦で分院としての活動をさらに積み上げているうち、不思議なことにメシヤ様の御教えのほとんどを入手する事が出来て、主人はむさぼるように読み耽りました。私も一緒に読んだりしましたが、読めば読むほど、御教えを中心にして活動すればするほど矛盾する事が多く、御教えを全文出さず、自分達の都合のいい部分だけを抜粋して信者に出す教団の方針や専従者の言っている事がおかしいと思うようになりました。
中でも一番おかしかったのが、社会性という言葉を隠れ蓑にした、『薬を飲んで、または飲ませながら浄霊する』ということを当たり前のように言うことでした。
メシヤ様の願いは・・・
メシヤ様の願いは、大きくは地上天国建設ですが、その具体的手段は、医学革命と宗教改革です。世界救世(メシヤ)教の設立と使命も、医学革命の主眼も「この世の中から薬をなくす」という1点であり、そしてこの事を万人に伝えるということです。何故なら「薬を飲むことで新たな病気が増える」から。「薬が毒だ」と、それを万人に知らせるために、メシヤ様が時間を割いて書かれた著書が「文明の創造」の本であったわけです。また、メシヤ様と某ジャーナリストとの対談の中に、「子供様方の御家庭では、病気の時等医者にかかると言うような事はありませんか。」との問いに対して『絶対に医者にはゆきません。若し、薬を服んだら親子の縁を切るでしょう。』と言われていますので、神の子である人間をこの御教えに当て嵌めれば、薬を飲むということは、神からの霊線を切られることになるのではないかと思いました。
信者としての信仰姿勢とは・・・
また、宗教改革ということについても、メシヤ様は、『人間らしい人間を造る』とか『宗教は人も心をよくするもので、それ以外宗教としての使命はない。』とか『神とは、言い換えれば完全なる人間という事である、故に人間は努力次第で神にもなり得るのである、そうして本当の宗教の行り方は一歩々々完全人間即ち世にいう人格完成に近づかんとする努力の生活であらねばならない、・・・』と御教えになっておられるように、今こそ信者一人一人の魂の転換が必要であり、ミロクの世に残される唯一の資格は『魂』にあるのではないかと、自らの魂の向上とは、霊界にある幽魂の向上であり、具体的には徳積みと共に人格の向上を図らなければならない時期が今であり、そういう人の集まりが地上天国であると思いました。しかし、東方の光・MOAは、活動ばかりに取り組み、一番大切な営みを閑却しています。みんな夜の時代にしみこんだ癖というものを持っています。自らが努力してその癖を取っていくのが信者としての信仰姿勢ではないかと思いました。
教団方針とは違う、御教え中心の活動へ・・・
いずれにしても肝心なことが隠されて、教団のいうことをそのまま聞いてきた無知な私ではありましたが、多くの御教えを読むことで、少しでもメシヤ様の願いを理解する事ができ、それからは一層御教えを中心に話し合いをするようにしたり、活動の中心に置いたりしましたが、多くの人からは御経綸と違うとか、教団方針とは違うなどと言われ、さらに堅苦しい、難しいと言われたりしました。そういう人達自身、分院のくせにとか、分院だからと責任を私達に転嫁するだけで、何の解決策や方向性もないのにただ批判するだけで、これが信仰者なのかと思う反面、この集団は本当は信仰をしてない人の集まりだということを、思い知らされました。
御教えを学べば学ぶほど、専従者の言われたことだけに一生懸命に動いている信者さん達は、御教えを実践しているつもりになって活動だけに流され、和合結束どころか他人の批判ばかりで段々と対立軸になっていき、地域が割れていきました。私はずいぶん悩み、体調も優れず、うつ状態になり、人間不信にもなりました。しかし、それでも一生懸命、御教えに求め続け、一人でも本当のメシヤ様の望まれた信者になれるように、また「大光明世界の建設」の御教えにあるような家庭が1軒でも増えるようにと願い、御教えを伝えつつ浄霊実践をしていきました。そういう活動の証しとして、本当に少ないですがいくらか解される方もいて、分院として毎年10人前後の入信が許されていました。また、主人の仕事も多くなってきて、収入もドン底になっていたのが好転してきました。
義父の介護とその頃の活動・・・
そうした中、平成17年頃、義父の介護に手をとられるようになりました。それまで、個人から家庭、家庭から地域へと広がるメシヤ様の救いのメカニズムの中で「個と家の救いと完成」ということを大切にして信者さんへ伝えてきた手前、病院に入れて、分院活動をすることは簡単なことですが、それでは信仰者として義父に対して申し訳ないと思い、自宅で介護しながら、与えられた浄化者の浄霊をさせていただきましたが、その方も浄霊でよくならず、他界され50日祭まで務めさせていただき、その後のことなど家の方に話させていただいた後、義父が全然歩けなくなりました。この事で今は、これ(介護)をしなさいとメシヤ様から言われていると思い、一生懸命夫婦で介護させていただきましたが、同年の12月に亡くなりました。
その後、町内の班の班長の役をいただき、町内の方に恩返しのつもりで一生懸命させていただくうち、同じ班長さんの中で仲良くなった若い方からご主人の病気のことを相談されました。私が、神様のこと、浄霊のことをお伝えしたら興味を持たれたので、さらにその場で浄霊をさせていただくと、すぐ体に変化が起こり、数日後熱を出されました。
その頃、お光の他に、MOAロケットがありましたが、MOAロケットでは本当の救いは出来ないと思い、霊界のこと、霊主体従のことや薬毒などについて、説明できる東方の光のお光を薦めたところ、その1週間後には入信されました。
「MOAで行く」と宣言してから、・・・
このように表面的には東方の光、MOAの活動を何とかこなしていましたが、心では、「教団もいつかはメシヤ様の御教えの通りに実践するようになってくれるだろう」と思って活動をしておりました。しかし実際は、「MOAで行く」と宣言してから、薬毒論を表に出さず、逆に社会性という耳障りのいい言葉で信者に薬を飲むことを一層勧める様になり、統合医療や現代の栄養学を取り入れた食のあり方、またお茶や花といった芸術に力を入れていく方向になり、益々メシヤ様の御教えから離れていくのが目に見えるようになってきていました。
私達を救い導いて下さるのはメシヤ様であり、教団が救ってくれるのではありません。教団や専従者のいうことを聞いて救われるのであれば、信者の多くは幸福になっていなければならないに係わらず、現状はそれほどではありません。教団から出される方針は何でも御経綸といって聞いてきている信者ですが、信者自身、御教えをしっかり読み、資質を磨きもっと賢くならなければならないと思い、少なからず話をしましたが、今まで何十年という歳月を掛けて少しずつ洗脳されてきているため、周りを見渡しても皆MOA色が強く、相変わらず活動面ばかりに捉われ、療法士3級とか美術インストラクターの資格とかを取得させるようになり、段々と私達から遠のいていかれました。そうした現状を見るに付け、御教え通りにしないところに人をご案内できないと思い、これ以上私達のすることはこの教団ではないと夫婦で話し合い、平成19年の地上天国祭を機に、一身上の都合ということで分院を引きました。
分院を辞めて
それからは、さらに夫婦でメシヤ様との霊線を太くすべく御教えに求めるようになりました。また、パソコンで他のメシヤ様信仰をしている教団をピックアップして現状を調べたり、行けるところには足を運んで自分の目で確かめたりしました。
その中には、メシヤ様当時のままを実践されて頑張っておられる教団もあり、浄霊による結果も出ておられる教団もあり、世界救世教3派だけが救いを展開する教団ではなく、それぞれに多少の違いはありますが、メシヤ様の精神が多くの教団に受け継がれていることに感動しました。しかしその反面、メシヤ様の願いとはかけ離れた教団もあることが分かり、その中に「東方の光教団」も入っていました。思えば光明会館建設や祖霊殿建設を謳い、たくさんの献金を集めながら建設をせず、方向性を変え、今や多くの借金を抱えながら、信者に献金を呼びかけ、薬を飲ます療院の建設に信者の献金を使う教団になりました。御教えに「もし信仰して貧乏になるような宗教ならば、全部ユダヤのものと思って差し支えない。あるいは貧乏人が、もしたくさん出たとしたら、それは邪教だとみていい。」とありますが、多くの信者が辞めていっている現状を見るとき、この教団もそのように進んでいるのかもしれないと思いました。
メシヤ教との出会い
そんなことをその後2年余り続けているうちに、段々と御真筆の「御書」も数多く手に入るようになりました。また、教団の裏面史がわかるような資料も手に入るようになりました。何者かが、動いて集めているのではということを感じるようになりました。そうした中、主人がお光無しの浄霊や御教え中心で浄霊の奇蹟の顕著なメシヤ教のことを教えてくれ、その資料を見せてくれました。その時、浄霊の奇蹟が多いのには吃驚(びっくり)しましたが、色々なメシヤ様信仰の一つくらいに思っていました。
そうしているうち、昨年の春、以前から行きたかった宮崎の天岩戸神社への参拝ツアーがあり、行くことを決めた2日後、頭の浄化をいただき、頭が締め付けられるようになったり、頭の色々なところに痛みが出て、死んでしまうのかと恐ろしくなりましたが、主人よりすぐ御浄霊をいただき、段々と痛みはなくなりました。
その時は、天岩戸神社へ行く意味がはっきりとは分かりませんでしたが、その後自分は昔、神様を押し込めた罪があることがわかり、神様をお出し申し上げなければいけない使命があることを悟らせていただき、「生まれ変わるのではなく、新しく生まれるのだ」と知らされ、もう一度お使いいただきたいと思いました。最初に書きましたが、超未熟児で生まれ、それでも生かされていたのは、このためなのではないかと、・・・「生命の命は命令の命」という御教えが浮かんできました。浄化はその後も良くなったり悪くなったりしましたが、無事に行って帰ることが出来ました。
宮崎から帰って1週間ほどして主人からメシヤ教の代表が我が家に来られると言われ、頭の浄化中だったので躊躇しましたが、その反面、「新しく生まれることが出来るかもしれない」と縋るような思いもありました。来られる前にメシヤ講座を少し読ませてもらいましたが、魂にびんびん響く言葉が並んでいました。
お会いした第一印象は、体も大きいですが、心の大きい方で優しさとそして凛とした厳しさをお持ちの方だなぁと思いました。じっくり話を聞いてくださり、口数の多い押し付けがましい今までの専従者とは全然違い、こちらの言葉に対して、冷静に物静かに話される口調に物足りなさを感じるくらいでした。その時は、1回だけお会いするくらいの気持ちでいましたので、もう少し色々とお聞きすればよかったと思いました。
浄霊力伝授いただいて・・・
その後メシヤ講座を読ませていただくうちに、今まで聞いてきたこと、してきたことの間違いが分かり、一からやり直さなくては信者として申し訳ないと思いました。そして、大切な先生の体を汚してはいけないと思い、来られた時の食事に気を使うようになりました。3回目にお会いした時に、まずは人を救える浄霊力をいただきたく、浄霊力伝授を申し込みました。
私の頭の浄化についてお聞きした時、先生は、教団に対しての疑問や不信感はあるが、しかし、どうしようもできないというその歪(ひずみ)で頭が浄化しているのですよ、と言われ吃驚しました。自分では分からないうちに、今まで教団方針に従って活動してきたことと御教えとのギャップがこのような形になって表れるとは思っても見ませんでした。
その後、風邪を引いていないのに熱が出る浄化や、トイレの回数も増えたりと排泄の機会も増え、ぎっくり腰になった時などは、1時間ほどの自己浄霊で治りましたので、今までの浄霊と違う事が認識でき、入会も考えましたが、周りの東方の光の方々との付き合いもあり、入会は無理かなぁと思っておりました。
本筋の御神業とは何か・・・
本筋の御神業とは何か、夫婦で何回も話し合いました。今の現状で出来ることをさせていただこうと話し合いましたが、人を導いていく先はどこがいいかということになると御教え中心にされて、薬毒論をはっきり打ち出され、そして浄霊の証しの顕著なメシヤ教しかないという結論になるのでした。私は後一歩、何か私の決断できるものが欲しいと思っていた時、以前東方の光教団に所属していた枚方支部の木原さんにお会いしたいと思い、お話を伺いに夫婦で行きました。
お話を聞いているうちに、先生はメシヤ様からの神言として御神命をいただかれたんだという事が直感的に分かり、これはぐずぐずしていてはいけない、これからが本筋の御神業だと思えて入会を決心しました。しかし、主人との意見が合わず、どうしたものかと話し合いを何回かしていくうちに、私が先に入会してもいいと言うことになりました。今までの私は、主人の後を私なりに一生懸命努力してついてきていましたが、今回は自分の中ではっきり確信が持てましたので、入会を決めました。そして主人は後からという事になりました。
自分の因縁使命を一層自覚する
しかし、中々主人の口から入会するという言葉が聞けません。どうしてなのか何回か話し合いをするうちに、私の決意が時間が経てば変るのではないかと見守っていてくれたということが分かり、主人の優しい気持ちに感謝しました。そして、私が支部も考えていると伝えると、それはどうしてなのかと聞かれました。それは、今までの事や今起きている色々なことを先生にお聞きした時、「「いよいよの時初めて諸々の御用を申し付ける。身魂の清まった者から各々の因縁によって、その人その人に、それぞれに因縁通りの御用を申し附ける。」 「その人その人により、神格をも頂ける」 「その人その人の長所、短所に依り、その人の御用は変る」というメシヤ様のお言葉通り動き始めている内容なのです。」というお返事がずっと頭から離れずにあること、そして、今まで苦しかったけどそんな経験や体験、浄化は一つも無駄なことは無く、先生が言われたように、これからの為にメシヤ様が導いて下さってメシヤ教と出会うことができたと思いました。それで、「これからが本当の救いだと思うので二人で頑張っていきたい」と伝えると、主人も納得してくれました。主人は、私より先に進む道を決めていたのかも知れません。そのようなことがあり、より一層自分の因縁使命を覚ることができ、支部発会を決意させていただくことができました。
岡山支部発会を許されて・・・
そうして8月には、支部発会をお許しいただくことができましたが、この支部発会は、御先祖様はじめ家族全員にいただいた御用だと思っています。そして、メシヤ様の精神を現代に求める活動の一環として、メシヤ様が生涯課題として実践されたことを、支部においても、日々努力して実践させていただけるように務めております。今までの指導型が身についている自分を客観的に見つめ、ルナ三訓(威張るな、怒るな、早まるな)を自分の課題として日々努力精進しております。その中で、支部の月次祭に参拝に来られた方々が次々に変って来られ、段々と本来の人間らしい人間としての生活を取り戻しながら、自分の使命に気付いていかれています。それは代表先生の祈りに込められる想念の高さ、広さ、深さによって、魂に力をいただかれておられるからだと思います。
子供達も小さい時から予防注射や薬を一切飲ましたこともなく、自然農法産のお米を食べて育っているせいか本当に素直に育ってくれていて、最近は月次祭の時など休みを取って参拝するようになったり、自発的に朝晩御神前でご挨拶をするようになってきたり、段々と子供の意識も変ってきています。また、浄霊についても以前の浄霊とは違い、浄霊力が強いことを感じており、このようなことを通して今までとは霊界が大きく変ってきていることを実感しています。
具体的には、次男は、夏バテからか、9月に入り胃が痛み何日も我慢していたようで、会社で嘔吐したといって帰ってきた日がありました。すぐ御神前で浄霊をさせていただいたところ、1時間位の浄霊でスースー眠ってしまい、起きた時には痛みも無く少し重い感じがするくらいでしたが、翌日にはすっかりよくなっていました。
それから娘は、9月の月次祭の時、代表先生に今付き合っている人の事を相談して、ちゃんと見ていく視点を教えていただいたことで、私が10月の伊都能売観音様の入仏記念式典に参拝のため出発した日に、相手に分かれることを伝えたようで、私が北海道から帰ってくると娘から報告があり吃驚しました。娘の話を聞いて、まだまだ甘えん坊の子供だと思っていましたが、ちゃんと代表先生の言われたことを理解していました。これからも一層、メシヤ様に太く繋がっていけるように、自覚を持って日々過ごして欲しいと思っています。
はじめて入仏記念式典に参拝して・・・
ところで、この度の入仏記念式典に、はじめて私が参拝させていただいたのは、北川さんの神界通信にある「箱根、熱海、京都、聖地はあるが、ここを聖地として神が許されたものであるならば、ここはほんの一握りしか認識されていないが、神を信じていったならば大丈夫。太陽の黒点から来る太陽神、根本神であるから間違いない。」という言葉をメシヤ講座で見た時、どうしても、ここに御参拝に行かなくてはいけないと強く思わされたからでした。
その参拝日前夜、私は興奮していたのか眠れず、一晩中起きていた時、ふっと伊都能売観音様のお姿が頭の中に浮かんだ途端、懐かしいような、有り難いような、親の元に帰ってきたような気持ちになり、やっと会えるという思いからか、涙が溢れ、それが段々と嗚咽に変っていきました。自分でも不思議で自分ではないようでした。そんな感動した北海道から帰ってきて、娘のことを聞き、ああー、メシヤ様は本当に私達を子供のように見守って下さっていたんだと思えて、またまた感謝で涙が溢れました。
最後に・・・
支部専従者として、『信者は常に魂を磨き、言霊を練り、上魂の人間たることを心掛けねばならぬ。』の御教えに常に返し、日々の御教え拝読を怠ることなく、自分の夜の時代の癖を取るべく御浄霊もいただきつつ、支部に繋がって来られる方々に対しては「メシヤ様との共同作業ということ、寝食を忘れて人を助けること、恩は着るべし着せるべからず」という布教3訓を心掛けながら、本来の人間らしい生活のあり方に気付いてもらい、自分の因縁使命を自覚され、生きがいある人生を送っていただけるように誠心誠意、導かせていただきます。
また、多くの人が寄り集い、喜びの中で救いの輪を広げ、水晶世界の如く光明輝く明るい支部を目指し、『人を幸福にしなければ、自分は幸福になり得ない。』『私の最大目標である地上天国とは、此私の心が共通し拡大される事である』というメシヤ様の御心を、岡山から世界へとの思いを持って本筋の御神業に邁進させていただきます。
これで私の報告を終わらせていただきます、本日は誠にありがとうございました。
[御蔭話(御神業の変遷)御降臨祭 2011(平成23)年12 月23日]
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