生理不順に御守護

札幌支部 S.J

 

私の家庭は父方の祖母と私の母が世界救世(きゅうせい)教に御縁があり、一緒に入信しておりました。私も物心ついた時には「おひかり」をいただいており、幼少の頃から母と一緒に教会に行くことは普通のことでした。それまで家庭内での浄化は沢山ありましたが、自分自身の浄化というものはありませんでした。

私が本当に信仰に目覚めたのは20歳の頃にいただいた浄化がきっかけでした。ちょうど「いづのめ教団」も新しい専従さんが札幌に来て、センターも活気づいていたこともあり、私も意欲的に楽しく御用をさせていただくようになりました。

しかし、平成14年に札幌から苫小牧に引っ越してきてからは遠のくようになり、月に一度、札幌センターでの月次祭に行く程度になっていました。そして、私は今まで走りまわっていた接客業から一転、オフィスワークに転職して、以来、座っていても急に血の気が引いて冷や汗が出てくるような感じと、腕時計をしていることでさえ腕が重たくなるような症状が度々おこるようになりました。

 

背中の痛みとともに生理が止まる

そんな日々から平成20年の夏頃、仕事中に急に胸のあたり(食道)が物を飲み込む度に激痛に襲われるということがおこりました。その翌日には良くなっていましたが、それ以来、胸とちょうどその裏側にあたる背中が痛く苦しくなるようになり、またそれと共に生理がピタリと止まってしまいました。

以前、カナダに行った時に3カ月間生理が止まったこともありましたし、もともと生理痛というものも全くないほど軽かったので、「いづのめ教団」の新宿教会の有名な先生からもご指導をいただき、一度だけ生理がきましたが、またすぐに止まってしまいました。

私はそのような状態であり、母は苫小牧に来て以来、「いづのめ教団」での世話人という御用からも解放された気持ちでおりましたが、心は満たされぬ毎日を送っていました。

そのような中、昨年2月末に母方の祖母、その3カ月後の5月末に父方の祖母が続けて亡くなり、私の母は慰霊祭をどうするか悩んでおりました。

それから間もなくした6月8日に、苫小牧の元「いづのめ教団」信者さんで、現在はメシヤ教の方にお電話をしたところ、「ちょうどメシヤ教札幌支部の責任者である北川さんが家に来ているので、話を聞いたら」と言われ、母は早速その方の家に伺い、色々と北川さんよりメシヤ教の話を聞き「これだ!!!」という思いにかられ、その場で即決メシヤ教に入会をいたしました。その日の夜に私も母からメシヤ教の話を聞いて、母と同様「いづのめ教団」になぜか未練がなく、何も迷わず「入会する」と返事をして、2人とも驚く程きっぱりと「いづのめ教団」を脱会いたしました。

そして、不思議と今までは「おひかり」をしていないと不安だったのが、いつの間にか外していても平気な毎日を送るようになっていました。メシヤ教に御縁をいただいて、1カ月後の7月に初めて楳木代表とお会いして、その時すでに2年近くも生理が止まっていた体のことと、色々な仕事のストレスから、楽しくなく笑顔も少ない暗い毎日をおくっていた心のうちを話していると、私は自然と涙がこぼれ落ちてきました。

それから代表よりご指導をいただき、今年の1月に思いがけなく生理がやってきました。その1週間後に札幌支部に楳木代表が来られ、時間をとっていただいて母と3人でお話した時に、「御神体を7月にいただいたらどうか?」という事を言われ、脱会して間もなく「いづのめ教団」での御神体は外していて、メシヤ様の御尊影に御参拝しておりましたが、母は何となく「寂しいな」という気持ちの反面、父も未信者の為メシヤ教での御神体をいただくのはまだ早く先のことだと考えていたようです。しかし、素直に「いただきたい」という気持ちが強くなり、すぐにお返事をいたしました。そして、私も地上天国祭へのご参拝の話をいただき、行きたいという思いになりました。

その決心をしてから3カ月後の今年の3月に、一日中寝込むような浄化をいただきました。この仕事について以来、風邪で寝込むという浄化も許されなかった私でしたが、約1週間寝込み、苦しい咳が夜中も続き、痰、ゴロゴロとした大量の「めやに」が左目から出てきました。それ以来今までの胸と背中の痛みも少しずつなくなっていきました。

また、その3カ月後の6月には「地上天国祭」のご参拝となり、出発時は他支部の色々なメシヤ教の方たちとお会い出来ることも楽しみにして向かいましたが、浜松を出る時には正直な気持ち「なぜ来たんだろう?行かなきゃ良かったんじゃないか?」とさえ思い、行きたいという気持ちだけで何も考えずに来て「地上天国祭への御参拝」という自分の心構えの足りなさといい、最終的に色々考えたら悩み落ち込みました。

そして、母に「メシヤ教をやめたい」とまで口にしてしまいました。今まで信仰をやめたいと思うことなどなかったのですが、その時はメシヤ教にいる資格がないと深く思ったのでした。それを聞いた母もまた御神体と大黒様をいただくことを“早まった”と感じ、迷い始め、「いづのめ教団」にいた時の「生ぬるい信仰」とは違い「メシヤ教の厳しさ」を痛感いたしました。

しかし、6月26日の定山渓観音堂でのご参拝はちょうど私の休日だったのと、「地上天国祭」で「文明の創造(二・下)」を私がお預かりしていて届けるという役目があったので、その日は“行かなくてはいけない”という思いと、“このご参拝が最後だ”という思いで行きました。

今思えば、自分でも分からないまま、いつの間にかその心がほぐれていて、“そんなこともあったかな”と知らずとなっていました。

 

自分の希望を越えたお蔭をいただく

そして、1カ月後の今年の7月に母と二人で楳木代表に札幌支部でお会いし、御神体と大黒様をいただいて自分の車で自宅までお供し、後日、北川さんによって無事に御奉斎を許されました。生理もまた代表が来られる数日前に突然きて、今年の1月から半年振りのことだったので自分の中では“6カ月、3カ月というように間隔が狭くなってきてくれるといいな”という思いでいましたが、自分の希望を越え、翌月また翌月と今現在、不規則ではありますが、お蔭様で毎月許されております。

ここ数カ月、よく身にしみて感じるのは、「想念の世界」だということです。仕事でも責める心がつい湧き起ると、すぐ自分にはね返ってきて、どん底に落とされ自己嫌悪になり、少しずつではありますが「精神のくせ」をやっととることができるようになったんじゃないかと思います。そして、私の願いであった「口だけの同情じゃなく、少しでも色んな人の苦しみや痛みを自分も同じように知る事の出来る人になりたい」という思いでいたのを思い出しました。

以前、バンクーバーにいた時に目にした御立教の御心でということで目にした言葉があります。

「悩み苦しむ人々を思えば可能な限り人類を救いたい なんとしても救いたいというやむにやまれぬ思いがわいてくる それはわが身の危険や生活上の困難に対する心配がどれほど大きいものであれ けっして押さえることのできない 魂の奥底からわきあがる 祈りにも似た願いであった」

ものすごく感動したことも思い出しました。

そして、今回このような体験報告をさせていただきまして、メシヤ教に入信して1年半の間、沢山の御守護をいただいていた自分をまた思い出し、振り返ることができましたことに改めて感謝いたします。

これからは、もっともっとメシヤ様にお使いいただける自分になっていくためにも、メシヤ教で勉強して、皆様とともに御神業に励ませていただきたい、と思います。

 

[御蔭話(婦人病)御降臨祭 2011(平成23)年12月23日]

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