「新潟出張所発会式」挨拶

新潟出張所 庭山光太郎(元大明主様奉賛会所属)

 

この文章は「大明主様奉賛会」関係者に送付し、「新潟出張所発会式」責任者挨拶で読み上げたものです。(ここでは、運営サイトに書き込みされたものを紹介します。)

前略 お別れしてから御無沙汰致して居りますが、如何お過ごしでしょうか。

師走も押し詰まって御忙しいとは存じますが、一寸時間を割いて目を通して頂きますようお願い致します。

当「大明主様(メシヤ)奉賛会」は来年の一月十二日、かたかなのメシヤ教の御神体を御奉斎させて頂く事になりました。奉讃会であり、メシヤ教の一出張所という位置づけになるかと思います。

このメシヤ教はこのホームページをみて頂けば分るのですが、楳木和麿(うめきわすまろ)という方が代表をやられてまして私より五歳くらい歳下の方で、世界救世(メシヤ)教教祖様御昇天後にメシヤ様と御縁を頂いた方で、今は薬剤と浄霊と同時併用すると言う驚くべきでたらめをやっている世界救世(きゅうせい)教を御在世時の本当の世界救世(メシヤ)教に立て直そうと一念発起されて活動されたのですが、それが今から十数年前との事でした。

私達も浄霊会を辞めて十八年目ですから恰度一区切りと言う所でしょう。妙理神のつながりでこういうふうになったのですから、何か不思議な感じがします。(妙理神については私のホームページに掲載させて頂いてますので、御通知ない方は是非一度御覧頂き度いと存じます。ホームページは「浄霊医術の世界へようこそ」、あるいは「日の出観音様」又は「庭山光太郎」と入れただけで開けた方も居られますので、それでも開けない方は御連絡下さい。携帯090・7285・5807です)

当、大メシヤ奉讃会もメシヤ教とやる事は同じですから、オレが俺がと言ってもしょうがないですから、それなら協力させて頂こうというだけの話なのです。

そこで当会も御守り様無しで御互いに御浄霊をお取次ぎし、御霊紙も大変よく効き目があるわけですから神様のお力は充分戴いている訳で、何の不足もないのですが、ただメシヤ教の御神体様が丸にチョンで(○ゝ=ス=主之大御神)、メシヤ明主様の御直筆なのです。メシヤ明主様は御在世中に「大光明如来」と書いて「みろくおおみかみ」と唱えさせておられたわけですが、どこまでも如来というのは仏教名になりますから、昼の世界の御神体にはそぐわないと言う事もあると思います。遂に何々の神という御神体をお書きになられる前に御昇天になられたのです。それを楳木先生は手に入れられて御神体とされたわけです。私はメシヤ明主様がこんな○ゝの御書体があるなど露も知りませんでしたから、メシヤ教の鎌倉支部で始めてお目にかかった時に、昼の世界の御神体として用意されてたのだなあと思わずには居られませんでした。

この○ゝのゝこそ文明の創造書の257ページ「神様と私との関係」の中で

『ここで言いたい事は現在の私である。それは静岡事件の際(御法難時)留置所の中で、すこぶる神秘な神業が行われた事はいつか話した事があるが、その時私の体内に入られたのが最高最貴の○○○○○(ミクラタナ)の神様であって、出所早々散花結実の書を千枚書いて主なる信者に頒ち与えたのも、その時の経綸によったのである。処がその時から後の私は、以前のように神様に伺う事は必要がない事になったのである。というのは神霊は私の体内に在す以上、以前のように神と人との隔てが撤去され、神人合一の境地になったからである。つまり神即人である以上、私の行う事は神直接であるから、私の思うままを行ればいい事になったのである』

と御書きになられて居られますから、スの御魂が元からある光の玉(昭和元年に御腹に入られる)に降臨されて始めて主神(すしん)という御立場になられたわけであります。

このミクラタナの神様とは古事記では伊邪那岐命が天照大御神に、「お前は私の代わりに高天原を治めよ」と命じられ、その任せた印に玉飾を手渡された、その首にかける玉飾の名を表わされた神様となっています。要するにこの魂があってこそ統治者としての証であり、祭尊最貴の天照皇大御神様の御魂という事になります。この「勾玉」こそ太陽黒点の事で、

太陽の 黒点こそは尊くも 主の中心のポチにぞありける

太陽の 黒点こそは主の神の 尊き御魂と知れよ世の人

無限絶対の 力のもとは主の神の 尊き御魂にありとこそ知れ

大宇宙の 魂こそは太陽の 黒点なるを世人に教ゆる

我が揮ふ 力は太陽の精にして 常世の闇を打ち晴らすなり

これらの御詠が端的に示されて居ります。

この御詠は当奉讃会の新年の御挨拶に毎年奉唱させて頂いて来た御詠です。

話が逸れましたがメシヤ教はこの○ゝの御神体を主之大御神(すのおおみかみ)と奉唱申し上げ、主之大御神様こそ

『表現し奉る言辞もなく、文字もなく、ただ無限絶対の力徳の中心であり、一切の根原であるとしか申すよりほかはないのである』

とのメシヤ様の御教えより、「全宇宙の御経綸に只々感謝申上げますと共に、真善美完き恒久平和の理想世界実現を謹んでお祈り申上げます」と祈らせて頂き、メシヤ様の御尊影に対しては「具体的な祈り、お願い、感謝」を申し上げると言う姿勢でやっているという事ですから、先ずは万全の体制という事でしょう。ただ貴君に差し上げた「大メシヤの大経綸」(差し上げてない方は私のホームページの中に掲載させて頂いてます。これは広島の○○○○教会の方が御厚意により私に送って下さったものです)の中に御昇天前(御神影に関して)『写真を御神体にしろ』と仰せられた。とありますから本来なら御尊影だけでいいのかも知れません。この事については先程(今年2011年12月17日)亡くなりました金正日の写真を掲げる独裁国家の悪しき慣例もありますから世界中の人々が常識的に受け容れられるまではお写真ばかりよりもこの○ゝ方がいいのかも知れません。然し「戦前明治天皇や昭和天皇を神格化した時に、天皇の写真を飾るのは将来私の写真を掲げる予行演習のようなもの」とのお言葉があったとも聞き及んでおりますし、十字架に掛かったイエス・キリストの想像上の偶像を2000年も拝んで来た白人を思えば、科学が進歩して写真があるなら御神影として御奉祭申し上げて当然と言う可きで、まして贖罪主にあらず罪の赦し主、大救世主としてならなおさらの事であります。

特にこの事につきましては楳木代表先生には私の忌憚のない意見をぶつけてみたのでした。つまり「メシヤ教の御奉斎の仕方は中央に○ゝの御神体、向かって右上に御尊影をお祀りされてますが、私は生れてこの方御尊影と共に過ごして来たのですから心情としては、中央に御尊影がない事はどうしても納得がいかない部分があるのです。中央御尊影の下に○ゝの御神体をお祀りしたいのですが如何なものでしょうか」として、その理由付けに

一、私が当会の婦人による霊界通信で得た情報は「今先生(私の父)と一緒に妙理神のもとに御用をさせて頂いている。メシヤ明主様を中心に30柱くらいの神々が直接指示を頂いていて、その一柱が妙理神で、救済の神様の組織はほぼ出来上がっている」というものですから、もし仮に私が今帰幽して霊界に帰ったとして、いきなり表現の仕様のない主の大神様に御挨拶できるものかどうか、どうしても因縁上妙理神を通してメシヤ明主様に申し上げるのが関の山で、それすら出来るかどうかも判らないのです。

二、御教えには

『天之御中主神・高御産霊神・神御産霊神は造化の三神で、表現し奉る術の無い即ち個性を持っておられないから拝むことができないので、天照皇大御神様を以て主神の表現神とされたのであり、その天照皇大御神様の救世の代現神が伊都能売神様であられる。』

『世界御統治の為に、天照皇大神は別な神になられるのは前述の通りな訳であります。それでは何の様な神様と御成り遊ばすかと言うと、前記系図の如く国常立尊及び伊都能売大神となられるのであります。其事を今一層分り易く申せば、如何に世を救はんとなし給うと雖も、天照皇大御神としては御神格上、直接人類を救わせ給う事は不可能で被在(あらせ)られるのである。畏れ多き例えながら、一天万乗の大君としては直接御手を下され、人民を労わらせ給う事の難く重臣を代わらせらるると同一の理である。

天照皇大御神は、主神の表現神で被在られ、最尊最貴の御神格を具し給い、一あって二無き大神で被在られ、・・・国津神たる国常立尊に審判の権を与え給い、・・・又一方、伊都能売之大神に対し救世の力を与え給いしにより、ここに同神は観世音菩薩と化現され、絶対の慈悲を以て、一切衆生を救わせ給う本願を立てられ、今日に至ったものである。』

『観世音菩薩の御本体は、如何なる御方かと申すに、実は畏れ多くも、天照皇大御神の慈悲に依る救世の代現神で被在らるるのである。それが為、仏菩薩という下位に墜ちられ、如何なる卑下階級と雖も無差別的に救いを施させ給うのである。之を憶えば、天祖大神の大慈大悲なる、洵に感激の極みである。』(全集著述篇1・P71、同じく1・P149より)とすれば、メシヤ明主様は主神の表現神である天照皇大神様の代現神、伊都能売大神・国常立尊様のその御肉体を持たれた代行機関として現われた霊界現界の主神であらせられる訳であるから、表現し奉る言辞も文字もない主神様より『之を拝め』と言われているように思うのです。吾々人類はイザナミ系の御魂であり、現界と霊界を行きつ戻りつする永遠の生命体であるから到底表現し奉る言辞も文字もない神様には到達し得ないと思うのです。つまり次元が違いすぎるということでしょうか。

三、○ゝは書かれたもので、書いた御本人が主の御魂であればこそ書いたものに力が出るのであり、一般の者が書いたのなら到底拝む気はしません。即ち御写真の御肉体にあらせられる現物の○ゝが上で御神体は現物のイメージに到る過程のものとしての位置づけとさせて頂いたなら、主神様を一直線に拝む事が出来るのではないでしょうか。神人合一が解かれて神人分離されたというなら人間は下位になるのは当然ですからそういう訳には行きません。それは『霊界からもっと強い光を出す』というお言葉や霊界通信・妙理神での『メシヤ様が中心で30柱の神々に指示を出されている』ということからも合一が解かれたということはないでしょう」

として○ゝは何かあるとは思いながらも仲々御神体を頂く踏ん切りがつかなかったのです。

勿論メシヤ明主様は『神が私を自由自在に使っている』、との人間のお立場からすれば、使う方が上で、当然○ゝの御神体は動かす事が出来ない中心であらせられるのは誰が考えても納得のいく所です。問題は茫漠たる普遍の真性たる主神の表現神の代現神の代行者というのですから、言うなれば結局主神の現界的変化身がメシヤ様という事になる訳で、御尊影への執着は強かったのです。勿論昭和29年6月15日救世降誕仮祝典での御神名奉唱が「天照皇大神」様で、メシヤ様の御身に向かって奉唱した訳ですから、主神様の表現神そのものであるとの宣言とも言える訳だと思います。また先にも書きましたが講話篇9・P244に

「それから私の写真と御神体との扱い方は違います。どう違うかと言うと写真のほうが上だから、写真は少しも融通ということはできません。それでこの間のことはやかましく言ったのです。それはそうでしょう、御神体は私が書くのですから、書くほうが上です」(御垂示録25号 昭和28年10月15日)から御尊影というものは融通が利かないという御教えから、それは御神体より上で真正面の祀り方ということが出来るからだと思っていたからです。

然しながらネット検索の結果、妙理神は菊理媛の尊であり、その本体は十一面観音様であるという事が分り、『十一面観音様は御経綸の進展によって千手観音様になられ、千手観音様は桃太郎の事で、桃太郎は私である』との御教えから行けばほとんどメシヤ様直接的救済の御用にお使い頂いている事になる訳で(然し乍ら此事は妙理神においてメシヤ様は中心にあって指示を出されるという事からすれば桃太郎の更に奥の主神の表現神たる天照皇大神様ということが判る)、其事を掲示板に出したら大阪のある御婦人とのご縁が出来て、その縁でメシヤ教との縁が繋がったわけで、どうみても霊界通信・妙理神のお引き合わせとしか言いようがなく、その御婦人曰く「メシヤ教のお力は凄いものですよ」という事になったのでした。

そこでそういうものなら何時までもはっきりさせないわけには行かなくなり、私としてもそれが御神意ならそれに従うしか他にないと肚をくくる事にしたのです。

つまり自分は御尊影と○ゝの御神体を直線的に拝みたいのは信仰的には山々だけど、あるいは御経綸上楳木代表先生をしてそういうお祀りの仕方を指示遊ばされたのであるならば、私がかれこれいう筋合いのものではないし、ここは一つ動き出した船に乗ってみよう、然し乍ら私が頂いた霊界通信はメシヤ様が中心なのだから、想念的には今まで通り直線的に拝む事には何等変らないのです。むしろ少し横にお出でになられるなら今までの倍にも増して強く思う気持ちでいるつもりです。(此事につきましてはもう少し詳細を第二段として考察してみたいと思ってます)

更にそもそもメシヤ様を拝めない、メシヤ様の御遺志を実行できないが故の離脱であったのですから、それを元に戻される働きがメシヤ教であるなら分離独立の意味もなくなるわけで、集合に向かうべきというのが本筋、御神意であろうという事もあったのです。

尤もメシヤ教のメシヤ様に対する考えも行動も私より遥かに真摯なものがあるようにも思いました。

メシヤ教では浄霊力伝授と言う方法を行ってメシヤ様と霊線をつなげて頂き、御守様無しで御浄霊が出来る仕組みを採用しているのです。これもやはり「大メシヤの大経綸」の

『(御浄化後の御守りに関して)明主様は御浄化の為、お文字をお書き頂けなくなり、役員会にて理事長は、お文字を印刷し、御神前でお願いし、御守りとして下付しようと発言し了承され、暫くして明主様から『御守りはどうしているか』とのお言葉があり、阿部執事が「木原さん(理事長)がこのようにさせて頂いております」と申し上げたところ、『ああ、それで良かった。それでいいんだ。本当は御守りはなくてもいいんだけどな。入会者の氏名、年齢、職業を私に報告するだけでよい』

『想念さえキチンとしておればよろしい。私に名前を書いて来い。私は名前を見たらそれでいいから』

を引用させて頂いて、浄霊を求める人に名前・住所・生年月日・職業を書いた紙を御神前に御上げして、天津祝詞を奏上させて頂きお許しを願うようにされているようなのです。

私も浄霊力伝授と言うはっきりしたものではなかったのですが、それらしき事もメシヤ教とご縁を頂く前に経験があったのです。然し何と言っても先人は楳木先生であり、○ゝの御神体を頂かれた方ですから、御使命が下されたのでしょう。私の場合は御昇天後の救世(きゅうせい)教には縁がなく、近年になって漸く大メシヤの大経綸を送って頂いてこういう事が判ったのですから、浄霊会のお陰で肝心の御教えにはある程度理解はありましたが相当の出遅れな訳です。

という訳で、前置きが長くなりましたが、今回お手紙差し上げた用件と言うのは、この浄霊力伝授の用紙を御送りさせて頂きまして御希望する方は何人でもいいですから自筆で書いてこちらに送って頂き度いと思っているのです。勿論費用は一切掛かりませんから誰でも試されるといいと思います。何らかの形で教祖様と出会われた方は百もご承知の事ですが、兎に角早く医薬と縁を切れて本当の健康体になると同時に、審判期に赦される御魂に成らせて頂き、更に天国建設の使徒と成らせて頂くよう心がけてこそ本当の幸せを掴む道というべきではないかと思うのです。その志が何らかの理由で挫けてしまわれた方も、今一度御再考を願いたいのです。メシヤ様が御法難後に執事の井上茂登吉先生に『この困難な時に、歯を食いしばってでも頑張れ!これでこれからの使命が決まるのだ』と御激励給わったことを思えば、妙理神と言う霊界通信を頂けたことにより、確実に御経綸は進捗している事が判らせて頂けたからでもあるのですが、あらゆる事象に行き詰まりを感じ、何が起きるか判らない今この時を無為に過ごす事等出来るわけもないのです。

浄霊会と同じくどんな信仰を持っていようといないとに拘わらず可能と言う事ですから紆余曲折を歩まれた方々もお考え頂いてもいいのではないかと存じました。

まあこれらの事を直接会って最初からお話できればと思っておりましたが、仲々時間も費用もかかりますので取り合えず書面にさせて頂いたというわけです。

そういうわけで宜敷く御推察の程お願いしたいと思って居ります。

また平成24年1月12日は当会の御奉斎日ですので関心のあられた方は是非お出で頂き度いと存じます。

大変長々と縷々申し上げ貴重なお時間を頂きました事に感謝しつつ、皆様の御健勝をお祈り申し上げております。

上記文面は「奉讃会」会員への経過報告として書き記したものでありましたが、だんだんと前に所属していた会の知人、更にメシヤ様とご縁のあられた方々への呼びかけとしましても通じるのではないかとの思いに到り、奉讃会は奉讃会として、更にメシヤ教の一出張所として活動の場を広げる決意文として一月十二日発会式に発表させて頂いたものです。

時期的にもやはり大きな結びつきになってこそ、大きな御用も進展させて頂けるものと思っている次第です。

 

[御蔭話(御神業の変遷)メシヤ講座・特選集no.132 2012年(平成24年)1月]

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