岡山支部 佐藤和江(元世界救世教東方之光教団所属)
私は19年前、○○○○教団の信者となりました。腰痛を一度の浄霊で治していただき、「自分もそのような力が欲しい」と思ったのが動機でしたが、入信出来たのは(主人の)父の死を経てからでした。
その頃は「超宗教」という言葉が飛び交い、信者はサロン的な○○○○発会が流れのようでした。今なら在来の宗教の出来ない事をするという風に捉えますが、その頃は宗教を否定的に捉えていたと思います。浄霊は御願いさえすれば、無限に与えて下さるもののように受け止めていました。奇蹟こそが神の存在を気付かせると思い、出来る限りの友人知人に浄霊してきました。大小の奇蹟をいただきましたが、中々神に気付く人はいませんでした。一年位前、人を救う為の宗教なのに、それが出来ない事に悶々としておりましたが、自分の霊界が低いからかと思い、浄霊の○○講座を受け始めました。
そんな折、メシヤ教の事を友人から聞き、メシヤ講座のコピーも見せて下さいました。
代表にお会いしてからが不思議の連続でした。私の抱える不安や問題に力のある答えを与えていただきました。つまり、解決されていくのです。そして家に帰ると浄霊をいただきたい人が待っているという状態でした。本部の御神体御奉斎記念日より帰った時には驚きました。メシヤ様が「聖地に足を踏み入れるだけで救われる」と遺された言葉そのままを実感しました。箱根で経験しなかったことをです。
私の家庭にも変化が起こって来ました。6月に主人が浄霊力を伝授していただき、薬を止めて緑内障の浄化に取り組み始めました。7月、支部発会に向かっている最中、私の行動がその邪魔をしてしまいました。神様のお邪魔をしたのだから信仰を続ける資格はないと思いつめ、止めようとしました。
その翌日、主人の運転をする車が人身事故を起こしてしまいました。暢気な事を言っておられない自分に気付かされました。お陰様で、車だけのことで済みました事は大きな感謝でした。私はその後も心が沈んでいくように気がしていました。そのような時、信仰に目を向けるよう示唆をいただきました。
思い返せば、代表も二度まで、私に「信仰とは何か」と聞かれました。話しても下さったのに、私の心には残っていませんでした。
私は支部発会に向けて、掃除に取り組みました。段々上滑りしていた自分に気付かされつつあります。これからは一歩一歩確実に信仰を育んでいきたいと思います。ここまで導かれて来ましたことを感謝いたします。
[御蔭話(御神業の変遷)メシヤ講座no.127 2011(平成23)年8月]
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