枚方支部 T.J(元世界救世教東方之光教団所属)
本日は地上天国祭おめでとうございます。
世界救世(メシヤ)教時代から教会時代の私達家族
私は熱心な世界救世(メシヤ)教の信仰家庭に生まれ、お腹の中にいる時より家族揃って様々な御守護を頂いていました。支部長クラスの父は昭和24年入信から毎月御面会に上がり、どんな時にも厳格に御浄霊のみで数々の奇蹟を頂いておりました。
私が生後6ヶ月で目と口以外腐ったようなアトピーが半年続いたり、母は妊娠中尿毒症で腫れ上がり一ヶ月起き上がれず、お腹の子供も三日間死して死線を彷徨ったり、兄弟が二階から落ちて尖った石に頭をぶつけ近所中大慌てする朦朧状態となったり、脚の骨折などいろいろ数え切れませんが、全てメシヤ様の御光により健全に完治し、私が親元を離れる十光教会時代までは献金しては益々商売も大変儲かり、皆幸せで何の心配も無く過ごさせて頂いていました。なお、小学2年の夏休み、脚に直径3cmの腫れ物がアチコチに出来、他人が心配して針一本刺そうとしましたが、父に怒られるからと慌てて断ったものです。普段の食事も無肥料の食材ばかり頂け、ガムひとつ厳しく怒られたものです。母いわく、私達は父の浄霊の実験台にされ、とにかく御浄霊ばかりで、地域でも名を知らぬ者はいないくらいだったそうです。
一元化紛争時代以降、家庭が不幸に
私が親元離れた頃、教団一元化紛争となり、父も熱心なりに悩んでいたようですが、その後、兄弟も教団に奉職し、遠縁の親戚も高弟の御子息と結婚し奉職されたりもしていましたが、私も含めほとんどが全員東方之光教団所属です。
一元化紛争以降、実家は二度倒産、精神の病や癌など次々起こり、兄弟親戚が施術を懸命にするも全然治らず医療にかかってしまい、親戚も脳溢血で急死、母も癌やネフローゼで同様、父も認知症なり事故死するなど、様々な事が起こってまいりました。私は幸いにも、昨年メシヤ教に出会うまで、特に何もなかったので、何十年と世界救世(きゅうせい)教に全幅の信頼を持っていました。
東方之光での活動
私は青年、学生会時代には、奉仕活動をしたり、20年位前には美術文化活動をさせて頂き、児童作品展の下地を勉強出来たところに、大阪に引っ越しすることとなり、すると丁度児童作品展の担当者が引越しされたという偶然で、代わりに私が中心になって進めさせて頂いたのでした。また、前市長Y 先生に実行委員長になっていただき作品展の規模は大変大きく発展しました。尚、芸術方面の活動では、お花の教室や学校での放課後授業、老人施設など、そうして浄霊方面では、自宅で毎週、浄化者対象にやっていましたが、特に芸術方面では初めからあまりにもトントン拍子に進むので、きっと神様、御先祖様がお働き下さっているのだと確信していました。家族の事を気にかける余裕も無い日々の中、さらに増して忙しくなって行きました。
平成19年、本部から声が掛かり、元市長のY先生のご尽力で全国で初めて、MOA美術文化財団支部を立ち上げ、外部の有識者の支援団体をも立ち上げ、一層忙しくなっていきました。Y先生は以前血圧が少し高くなり、浄院へご案内したことがありました。何とかお薬を減らしたいという思いでいかれたのですが、願いかなわず、何年か経って支部を立ち上げる頃には大分悪くなりました。そうして有志の会の方々をバス1台借り切ってMOA美術館にご案内されたりもしましたが、半年後に亡くなられました。そんな中でも、薬を減らせないかと、いろんなお医者さんを探しておられましたが、とうとう入院することになり、地区代表やスタッフがお見舞いを希望するも、Y先生は、「住む世界が違う」と言って受け付けられませんでした。
私がもしその頃メシヤ教に居てたら、もっと対処の方法があったのでは、と悔やまれます。
活動の最高潮の時に、家族が医療へ
美術文化活動が、最高に盛り上がってきた頃、主人が足に心臓の血栓が飛ぶ浄化を頂きました。昔から軽い不整脈でしたが、以前知らぬ間に水虫の薬をつけ、背中に瘤ができ切除していました。主人は、親戚が脳溢血で亡くなったのを見ている為もあり、浄霊で治るなど信じません。浄院のドクターに診てもらうと、カテーテル手術され、毎日薬を沢山飲まなければいけない事になり、2年後の、移動美術展開催の時に、今度は肺に水が溜まり呼吸が苦しくなり、浄院のドクターも驚かれ、急遽病院を紹介され検査すると、生まれつき心臓に傷があり変形していることが発見され、前にもまして沢山の薬を毎日に飲まなければいけなくなりました。
スタッフから、浄院ドクターの素早い対応や治療に、御守護報告を感謝祭でするように言われましたが、結果的に主人は薬を離せなくなってしまい、とても御守護とは思えず発表しませんでした。
そうして、未信者の主人は、日本で指折りのドクターの優しく適切な治療を信じてしまい、浄霊は以前よりも否定的になりました。
現実をみて兄弟で話し合い、明主様の経綸だと信じる
話は変わりますが、私は4人兄弟で弟が3人います。皆住んでいる所が離れているので会う事もありませんが、信仰は4人とも案外熱心でした。
ところが、代表先生が世界救世(メシヤ)教復興運動を企画された平成11年、9月11日に父が突然亡くなり、翌年、今度は母が父の後を追うように亡くなり、その次の年は法事と、不幸続きの中で私たち兄弟は何度も実家で顔を会わせることとなり、その都度、兄弟で夜を徹して、「どうしたら信者は幸せになれるのか」「信仰は、浄霊はどうあるべきなのだろうか」と、お互いの実践と結果を出し合ったり、教えてもらったり、貴重な情報交換の場となりました。
話を聞くにつけ、地域によって、信仰の捉え方、進め方にかなりバラツキがあり、教団本部も中心の東京も地方も模索中であり、教団のあり方に結論など出ることもありません。
「模索は続くだろう、しかし、いつかは神様の答えに行き着くだろう」という甘い期待から、教団のあり方に疑問も持たず、「私達は神様から守られているのだ」という思いは変わりませんでした。
しかし、信仰熱心だった両親が続けて亡くなり、尚且つ、実家は私が居た頃と違って、長い間ずっと浄化が続いており、本当はけっして幸福に向っている状態とはいえなかったのです
平成15年 出会い
そんな中、“神界への移行の年”である平成15年6月、急に我家は主人の会社の事情で、借り上げ社宅のマンションから、その年の12月に一戸建ての新居に引っ越すことになります。8月、偶然センターに来た信仰無所属の木原さんと知り合います。明けて16年、“メシヤ様復活の年”から、家が近くなった事もあり、木原さんが時々我家に来てくださるようになりました。木原さんは大変御教えを勉強していらしたので、我家で偶然節分の日に勉強会が開かれ、毎週浄霊の日を持たせて頂けるようになり、顕著な証に感動される方も多く、「浄霊」と「医学と薬併用」との違いなど、様々教えて頂いていました。
その内、木原さんは、難病の方とかに取り組まれるようになり、我家にはたまにしか来なくなりました。でも、お蔭様で、浄霊の日に来られた方々は段々健康になってきて、皆さん喜んで来て頂いていました。
しかし、私はお花、お茶、児童作品展と美術文化活動がますます忙しかったのですが、有難くも再三、木原さんに出来るだけ沢山の御教えを読むように言われていました。
メシヤ教に触れ始めた時期に、MOAの非も見え始める
メシヤ教の話を少し耳に挟みましたが、全くHPを見る余裕もなく、教団から流れて来る事は間違いないと思いこみ、毎日をやり過ごしていました
平成22年6月木原さんはメシヤ教入会と同時に支部を立ち上げることになり、木原さんが、「浄霊」と「祈りの栞」に寄せての小冊子を貸してくださり、読ませていただきました。
「文化の根底にあった宗教を思い出す」「時代苦を救い、人間の問題を解決する」とあり、 なるほど、私が長い間、ずっと探していたものはこれではないかと思いました。
そうは思っても一層メシヤ教について調べる余裕も無く、MOA活動に忙しくしておりました。
木原さんはいよいよ8月枚方支部を仮発会することになり、本来ならメシヤ教の事を理解した上で支援させて頂きたかったのですが、時間もなく、もし浄化したら御浄霊一本で取り次いでくれるのは木原さんしかいないと思い、ごく個人的な考えで仮発会に臨ませて頂きました。
丁度その頃、我家の浄霊の日に近所の信者さんがお友達をつれてきて下さり、相次いで2名の方がMOA会員になられました。MOA会員は宗教ではなく施術が出来ます。
御浄霊をさせて頂くと、二人とも証が顕著でしたが、医療にかかり薬も出ていて、今のMOAでは、薬を止めて浄霊を頂くようにとハッキリ言い切ることもできず、せっかく浄霊の成果も出ているのに、このまま薬を飲みながらでは、まさに「ザルに水」でキリが無いと実感し、新しい入会者に本当の幸せを掴んでもらうことは難しいのではないかとより鮮明に気付かせて頂くようになりました。
しかし、それはメシヤ教に触れて行かせてもらおうと思っていた矢先であり、さらに丁度良く、主人は会社を辞めて暫く家に居る事になるので、その理由をもって我が家での浄霊の日を無くしていきました。
メシヤ講座に初参加し、嬉しい浄化
いよいよ、8月12日枚方支部の仮発会式が取り行われ、初めて代表先生にお会いしました。50数年生きて来ましたが、学校の先生も含め初めて先生という方にお会いしたように思います。
大変温厚そうな方で集団浄霊を頂きました。仮発会式は何か昔懐かしいような思いに駆られました。その夜お風呂に入いるとき肋骨の下がぐっと凹み、腎臓が大変柔らかくなっているのにびっくりし、又、数年前、膝に水が溜まった時、よく、足裏から排泄される毒素でしょっちゅう靴下に穴が空いたことがありましたが、今回も排泄されたのか、靴下に大きな穴が空いていました。
魂がメシヤ教を求め出し、東方之光を辞める決意
発会してからというもの私は「メシヤ様に太く繋がるようにならせて頂きたい」と願い、スケジュールを調整して、週に1度は支部に行かせて貰い御浄霊を頂くようにしていました。ただ、私はこの頃、不遜にもMOAの美術文化活動等続けながらメシヤ教で勉強させて貰うつもりでいました。(私は児童作品展等で中心的立場を担っていたので、実は、周りに迷惑をかける事を考えると本当に抜ける事ができるか不安だったのです。)
しかし、支部の方々がどんどん御浄化を頂き向上を許されていくのを目の当たりにし、木原さんから真摯な御取次ぎを頂くうちに、できるものなら自分も天国建設にお使い頂きたいと思い、ようやく意を決して、MOA活動から引かせてもらう旨、皆に話す事にしました。
東方之光へ申し出した日、証を見せられる
早速、皆に伝えないと段取りとか迷惑をかけるので、12月目処に、9月下旬何人か作業で集まっていた時に、丁度スタッフもいたので、今回の作品展が済んだら、退かせていただきたいと話しました。皆スタッフ共々ビックリして言葉も無いようでした。
その日の夜、夕拝を終え何気なく御直筆のお額に、目をやると今まで細々としか見えなかったお文字のお光がブワーと太く躍動したので驚き、メシヤ様に“これで良し”と言って頂けたと思いました。木原さんに強く言って頂いていなかったら、とても活動は止められなかったと思います。御直筆にはあまり光を感じていなかったのですが、1月に木原さんが来た時から少しづつ光が感じられるようになっていました。
メシヤ講座に参加し、先祖祭祀を切り替える試み
また、「祖霊祭祀」についてですが、紫微宮は最奥霊界ゆえ高すぎて御先祖様が入いっていない、お位牌は儒教由来で、御教え通りの木製黒色で、立派な金字に喜んでかかられるという話などを聞き、仏壇の必要性は理解できますが、今までずっと毎日、お祈りお供えしてきた紫微宮ですから、中々受け入れることが出来ませんでした。
11月のメシヤ講座で、いろいろ御相談させて頂くなか、「仏壇を祀って、ご先祖様に霊界から天国建設にご協力下さいとお祈りするのが大事だから、主人に三つ指ついて、自分が間違っていた事を詫び仏壇を祀らせて欲しいとお願いしてみて下さい」と代表先生に御指導頂きました。私は何故三つ指なのか、その時はよく理解できていませんでしたが、手を搗いて主人に仏壇を祀りたいとお願いしました。
しかし、心から詫びていない私に、「今のはどうするのか」と、新婚当初、お位牌を祀る時はあんなに協力的だったのに、今まで教団の方針に沿って何回も祀り方等変えてきた事を知っている主人には、また変更することに了解してもらうことは出来ませんでした。
引継ぎしながら、メシヤ講座を片っ端から読んで、感涙
11月いっぱいで作品展の後片付けも大体終わり、だんだん活動の主体になって動くことは止めるようにしていき、12月からは殆ど活動からは抜けさせてもらい、感謝祭もだんだん出ないようになりました。
12月は自分の仕事が増え大変忙しかったのですが、それでも活動から開放された私は少し時間が出来るようになり、メシヤ教の事を勉強すべく、メシヤ講座を遡って、最初から読ませていただきました。
読み進む程に内容は素晴らしく、もっと早く子育ての頃から代表先生のお話を聞かせていただけたらどんなに良かったかと思いました。体験事例も素晴らしく講座の内容は多岐にわたっていて、世界救世(きゅうせい)教で何十年も学んで来たのに、初めて知ることが多く、初めて信仰をさせていただくような新鮮な気持ちになり、深く広がりがあり、感動する事ばかりでした。
又、三千年の『夜の時代』に何度か生まれ変わっているうちに精神の悪い癖がついているので、メシヤ様に倣いそれを取ることで、本来の姿、美しいあるべき心があらわれると教えて頂き、私も一つからでも変えさせて頂きたいと思い、普段家族から注意されていることを書き出して見ると、あたり前のことができていない事が良く解り、大変恥ずかしく思い、木原さんから再三自分を変える様に具体的な点をいわれてましたが、今日は素直にこの点を気をつけようと思って朝から心がけていると、思いがけず子ども達と先祖供養や信仰について心から話し合う事ができたりして素晴らしいなと思いました。
でも何時もその様に気をつけようと思っているのですが、すぐ我が顔を出し、癖を取るのは本当に難しいと実感しています。
古代文字についても初めて知ることとなり、メシヤ様の教えにある想念、言霊の大切さの、どこまでも深く意味のあることを学させて頂きました。
先ずは「メシヤ様観の転換」、そして、「参拝の仕方」、「想念のあり方」等々、基本的なことから一つ一つ変えさせて頂く様にしています。
東方之光の経綸を再確認させられる
12月、メシヤ教の御降誕祭から帰ってきてすぐに、「MOAの浄霊観」についてより明確にわからせて頂く事がありました。
その方は、入信以来、ご自分やご家族の浄化を浄霊一本で乗り越えてきていらっしゃいました。
ところが娘さんが初期癌となり、療院で見てもらい、早いほうが良いからと手術した、という事です。
MOAでは、今は癌と聞けば手術しない人はいない状況です。御教えの概念で病や癌の説明が出来ず、医者にいわれるままこの娘さんも決意し手術され、「いいネン、いいネン」「ご近所の信者さんがこれからも浄霊に行ってくれることになっているし、イロイロと好かったネン」と、ご自分に言い聞かせるように言われたのには、大変ビックリし胸が痛くなるほど悲しくなりました。その時、「これって代表先生が仰っていた“からくり”ではないだろうか、“マジック”ではないだろうか」と“ハッ!”と気づかされました。
辞めて、さらに整理でき、気付かされた事
また、私が活動から身を引いてからというもの、スタッフは大変神経質になり、私と繋がりの合った人はリストアップされ、その方々は教団から私と接触しないように徹底的に監視されていて、身動き取れないで、大変やりにくそうでした。破壊と建設の「破壊」側、「邪神」と言われていたり、戻ってくるように祈願されたりしています。
最近は、療院にかかったら、殆ど、薬を飲みながら、施術に取り組むという流れになっているようです。しかし、メシヤ教に来て、薬理学、病理学について学ばせてもらったり、支部や友達から借りてお医者さんの本を読んで見たりすると、まだほんのかじっただけでも医学は大変進んでいて、メシヤ様の浄化論を裏付けるところまで来ていると思えます。それなのに、肝心のメシヤ様の信徒がそういう事も勉強しないで、ただ、経綸だからと、療院のお医者さんの言う通りに薬等飲んだり飲ませたりするのは、あまりにも馬鹿げているのでは、と思います。
そして、一番肝心な事は、メシヤ様は救世主であるという認識が薄く、申し訳なくもメシヤ様を小さい存在にして仕舞っていたという事です。その為に浄霊も急所や病気治しに捉われ、その結果、浄化が解決せず薬を使うことになっていったのだと思いました。
離れてみて初めて、救世教以外でも素晴らしい生き方をされている方や、その結果、鮮やかな死に際のお話を聞かせていただく機会があったり、私は家族一人一人もキチンと見ていなかったことにも気づかされました。恥ずかしい事ですが、活動から開放され、時間が出来ることで、ようやく周りの人の話を受け入れることができるようになり、勉強する時間も出来てきたように思います。今まで活動で忙しすぎたことは、人として大変なマイナスだったのではないかと思え、人様に良かれと思って、MOAの考えを押し付けてきたことが、恥ずかしくなりました。
私は段々教費だけ収め、今年に入ってからは何十年も続けてきた献金、慰霊祭等も止め、その内教費も納めていません。
ところが、ふと長男が、何か嬉しそうにしているなと思ったら、4月から広島の大学にいくことに決まり、お給料も独立して生計出来きるだけ頂けるとの事でした。引越しに当たっても大変いろんな御守護があり、とても喜んでおります。
また、主人も4月で例の会社を辞めるというので、生活が心配でしたが、何か機嫌がいいなと思ったら、キャリアを活かせる様な仕事の誘いがあり、そちらに勤務することになり、前より張り切って出かけて行くような感じがします。有機栽培の昼食付とのことで、有り難く思っています。
教団から流れて来る事は正しいことであり、ご経綸であると思い込み、私は家族や周りを巻き込んで何十年も走り続けて来ました。
結果をみるにつけ、「自分や信者さんの健康」「家族の幸せ」から、願いとは逆に遠ざかって行っている、ということを気付いた時に、「トントン拍子に進むのは邪神界の頭領がついていると有頂天なって・・」という「文明の創造」の御教えを拝読させて頂き青ざめてしまいました。
美術文化活動は、中心の御神業ではないとわかっていましたが、最初からあまりにも調子良く進むので、きっと神様がお働き下さっていらっしゃると思い、慈善活動にあけくれていました。
しかし、「神は悪を利用するが、邪も善を利用する」「せっかく、善を利用して悪を進めれていたのに、その大きな大きな善を崩されんとしたら、邪も怒るのは当然」と木原さんは言われ、御教え通りだと思ってはいても、なかなか理解ができず、何故だか腹も立ち、納得も行きませんでしたが、自分なりにMOAに起こって来る状態について、また、過去からのことを考えてみると、そうなのかもしれないと思うようになりました。
暫くして、こんな事がありました。私は同美術文化支部の副支部長の席にありましたが、分院さんがやってきて言うには、後継はスタッフが自分で出来ると言っていたのですが、上手く出来ないそうで、それを分院会議で、スタッフが「破壊」と言われたそうです。
有志の会の総会で、MOA美術館から常務が来て講演してもらうこととなったそうで、市長等巻き込んで健康生活都市を発信するらしく、それが「建設」が進むことになるんだ、と得意げに話して下さいました。分院ネットの皆もその事を誇りに思っている感じでした。
しかし、2年前の総会ではチーフスタッフが、持病がきつくなり歩くのも痛くて大変で、会場に傘を杖代わりにして顔をしかめて現れ、それを見たY先生の後任者が、「療院で治してもらったら?」とチーフスタッフに言いました。その場にいた私は青ざめ、“あ~、MOAは健康をうたい文句にしているのに」と、正直わざわざ来られなくても、と思いました。それに比べ後継者の方は、大変健康そうです。
なお、現在のスタッフは、腰が悪く通常勤務が出来ない状態ですが、“健康生活都市”を提案し進めているそうですし、難病浄化中の分院さんが、MOAの窓口という重責を引受けて下さっている状態です。
こうしたMOAの主要メンバーが次々病人という状態で、どうやって健康生活都市を提案していくつもりなのでしょう。とても「自分達を見て下さい」とはいえないと思えます。
私の知っている信者さんいわく、“私が離れてからでも、大変熱心な方々が次々とご不幸になっていかれていますが、あんなに熱心な人がどうしてアーなっちゃうんだろう”、といぶかしげに話していらしゃいました。
メシヤ様は薬毒の怖さを徹底して説かれてこられました。「文明の創造」では、あのアダムとイブの寓話の“禁断の木の実”は“薬”とハッキリ御教え頂いています。
また幼少の話になりますが、私は生後6ヶ月でひどいアトピーになり、両親は全く薬(禁断の木の実)を使わず、浄霊で神様に治して頂きました。結婚して3人の子どもを授かりましたが、アトピーは免れないだろうと覚悟していました。しかし3人ともアトピーにはなりませんでした。又、母はお産の度にひどい尿毒症になったので、私も覚悟していましたが、お腹の中から御浄霊を頂き、薬を使った事のない私は、その心配もなく出産いたしました。ただ、この2点だけを考えても薬剤を、“禁断の木の実”を、人間は使わなければ世の中に病が少なくなっていくという事がよく解ります。
にも関わらず、東方之光の療院は以前よりも、信者未信者関係なく、また治る病も発症当初から、こられた方に薬を薦めて、治らないようになっています。私の信じて来た道は、人を幸せに導く道では無く、 東方の光の皆が疲れきっているのに、さらに美術文化活動をどんどん広げていった私は間違っていたようです。
まだ、教団にいる皆は、矛盾を感じたりしながらも、打ち出されたことは御経綸と信じ、疲れた体に、鞭打って、頑張っていらっしゃいます。その先に幸せは来るのでしょうか?この“からくり”を理解して貰う事ができるでしょうか。
しかし、私も忙しい時は、そうした疑問すら考える余裕も無かったのです。木原さんに引っ張ってもらってなかったら、ずっと気付かなかったと思います。
メシヤ様!、本当に申し訳ありませんでした。ようやく、メシヤ様の本当のお気持ちが、何処にあるのか気付かせて頂いたように思います。
メシヤ様の信徒として足らない所ばかりでお恥ずかしい限りですが、どうぞ、お詫びの御神業をさせて下さい。地上天国建設の御力と智恵をお授け下さいますようお願い申し上げます。
メシヤ様を信仰する者が皆、間違いなくメシヤ様の御意志を継がして頂けますよう心から願います。
ありがとうございました。
[御蔭話(御神業の変遷)地上天国祭 2011(平成23)年6 月15日]
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