メシヤ教にふれて(下)

名古屋市 M.M(元他教団所属)

 

私のメシヤ教への転向にあたり、私は以前の教団でお世話させていただいている一人ひとりの方にお別れと事情をありのまま伝えました。そして「私は誰もお誘いしません。私の決断に左右されないで、皆さんはご自分の判断に責任を持って歩く道を決めてください」と伝えました。その結果、共に歩くことになった方々が多少おられます。メシヤ教にふれて、お世話させていただいている皆さんから感じる変化をお伝えしたいと思います。

最初に感じたのは笑顔が多くなったことでしょうか。そういえば、以前の皆さんは叱られて暗い顔をしている時が多かったですね。もちろん、ご自身が不幸の源である霊の曇りを発生させる悪い習慣と向き合う時は、どなたも苦しいものですが、それ以外の点で、小乗的、戒律的な取り組みは本当ではなく、天国的な取り組みの大切さをメシヤ様は示されています。以前の教団では、良し悪しは別にして戒律的な面が少なくない信仰生活ではありました。

心からの笑顔を取り戻した皆さんを見て、さぞ、自立に向けた取り組みが進むことだろう、と思うところですが、これが不思議なものでそうではありません。以前の教団では習慣になっていたはずの日常での取り組みなどは、かえっておろそかになったという感想も持ちました。以前に比べて精神的な負担が大きく軽減されて気持ちよく自主的な取り組みのできる環境になったのに、なぜ、逆の結果になるのか、人間というものは中々不思議です。意味もわからず嫌々に取り組んでいるものは中々定着しない、ということが言えるのでしょう。

これは私自身にも同じことが言えますが、自由になってしまうと、自分の中に心から覚り身に付いているもの、それだけが目の前に突きつけられる感じです。身に付いているものだけしか行動に表わせないのです。言わば裸の自分と向き合うことになるので、基本ができていないと自由というのは活かしきれない、こんな感想を持ちました。

それだけに、自由と戒律的な取り組みとでは、取り組む人の段階によって向き不向きがあると思います。メシヤ教に転向してから、数名のお導きをさせていただいておりますが、基礎のない方というのは神様を自分本位に解釈する危険な一面も見え隠れしています。基礎形成の期間はただ自由というのではなく、相手の状況に応じて必要があれば積極的に関わり、伴走するように進んでいくことも大切でしょう。ある段階を超えた方については、自立した信仰生活を確立できるようなお世話に変えていく、もちろん一概には言えませんが、もう一つこんな感想も持つことができました。

そうして、皆さんに対しては問題点がわかればアドバイスの仕方はあります。全ては自分自身のための取り組みが、いつの間にか言われて嫌々やる取り組みになってしまっていることがあります。教団のためでもなく、誰かのためでもなく、結果的に自分自身の人生を豊かにするための取り組みであることを、もう一度認識していただくことから始めました。

幸せというものは霊籍の向上にによって許される、と教えられています。その霊籍は日常の心言行で常に上昇したり下降したりしているそうですから、全ての基本である御教えの拝読を通して、御教えを日常生活で時所位に応じてどのように役立てていくのか、つまり心言行で曇りを発生させない「対自分」への取り組みと、積徳という「対社会」への取り組みを、勉強会という形式で共に検討するようにしました。取り組みの根拠として御教え「岡田茂吉全集」を手にできたことは大きいかと思います。浄霊の原典と申しても良いでしょうから、それを元に、一人ひとりの環境において今は何が最適な取り組みなのかを検討し、それぞれが日常生活の中で実行していく、こんな取り組みを始めました。

もちろん色々な段階の方がおられますし、抱えた悩みや苦しみも人それぞれですから、一度に皆さんが幸せいっぱいの充実した暮らし、というわけにはいきません。どなたも大変多用な中に暮らしていますが、そんな中でも確実に自分自身の成長を感じながら、取り組みの意義を感じながら、精神の充実した暮らしを始めることができる方が増えてきました。

取り組みを始めて約4ヶ月、この間、3名の方が御神体ご奉斎を許されました。これまで以上に、神中心、自然中心の調和のとれた生活がこの方達の人生に備わっていくことを思い、喜びも一入です。ご奉斎を許されてからの毎朝の寝起きでは、「疲れの抜けやすさが違う」というお話を3名全員から伺っております。私も御神前で休ませていただくことがありますが、皆さんと同様のことを感じます。御神体からの光は目には見えませんが、大変良い体験をさせていただきました。

以前の教団では、相手の段階、状況に合った適切なお世話を受けることが難しく、トップの方針と違う取り組みをする場合、精神的に苦しい立場に立たされてしまうことがママありましたので、メシヤ様の御教えに沿った運営にふれることができたお蔭で、皆さんは自立した信仰の確立に大きく前進することができ、私は大きな気付きをいくつも得ることができました。実にありがたいことと感謝しております。今ある環境の中で後悔しない取り組みを心がけ、これからも過ごしていきたいと思います。

 

[御蔭話(御神業の変遷)メシヤ講座・特選集no.60 2006(平成18)年1月]

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