日田市 久民広喜
楳木先生との出会い
はじめまして。私は、今年で44歳になる者です。6年前に母をガンで亡くし、その後すぐに離婚して父と小学5年生になる息子と3人で暮らしています。楳木先生との最初の出会いは、母が病院で闘病生活を送り、苦しんでいる時でした。
母は平成11年3月突然吐血し、救急車で病院へ運ばれ検査を受けました。その時点での検査結果は胃ガンだが初期のもので、胃を摘出すれば大丈夫という内容でした。父をはじめ家族、兄弟は驚いてしまいました。
しかし、自分は後で知ったのですが、母のガンはスキルスという種類で、思った以上に悪く全身へ転移していました。胃をはじめ膵臓や胆嚢までも全摘し、余命の期限を切られてしまうという最悪の事態となってしまいました。
それから妹は、様々な霊能者のところへ行くようになり、「この供養をすれば80%救われる可能性がある」などと言われ、高額な宗教グッズを購入したりして藁をも掴む思いで奔走していました。
そして、医者の予告どおり再発して、いよいよ危ない状態になった時に、妹は教員仲間から楳木先生を紹介されたようです。12月30日に病室で初めて浄霊をいただきました。自分がその様子を見た時、‘ただ手をかざすだけで何の意味があるのか、もしそれで治るのであれば医者などは要らない’という疑いの目で見ていたことを覚えています。
妹によると年末年始に病院から外泊の許可を取り、最後の家族旅行を許されたいとお願いしたようです。その旅行の期間は、不思議にも健康を取り戻したように楽になり、無事に家族兄弟水入らずの一泊旅行ができました。本当に良い想い出づくりができました。
しかし、その後は徐々に症状は悪化しました。そんな時先生は、長年の経験から「命は残念ながら亡くなる。しかし、お母さんへの親孝行は亡くなった後もできるものである」と、妹へ懇切丁寧なお話をしてくれたそうです。妹の心の準備を唯一してくれた宗教家だったのです。(参考_御蔭話「宗教のもつ意味」)
私はそんなこととは露知らず、‘信じることはできない’という表現で片付けて、‘信じることはできない’という表現を使用すれば自分の方に正当性があるように感じておりました。その後時間が経過し、ある時妹から「お母さんは、お兄ちゃんが殺したも同然。お兄ちゃんのことで心配のし続けで、その心労で病気を誘発したんだよ」と、涙ながらに言われてしまいました。
父も弟も妹もさじを投げる
ところが、母の他界後、私の行ないが原因で離婚することになってしまい、当時の状況からすると二人の子供の親権は妻側に在してしまうことになったのです。自分の勝手な思いでは、‘妻側に比べると、自分の家の方が金銭的にも裕福だ。父がどうにかしてくれる’という甘い考えしかできませんでした。現実をしっかりと見つめることができなかったのです。
弁護士も「仕方ない状況だ」と判断しました。どうしようもなくなって、その時に再度楳木先生にお世話になることになったのです。
先生が両家の間に入ってくださり、相手方も跡取りがいないため子供を一人ずつ引き取るように話をまとめてくださいました。今振り返ると、二人の子供を別々にしてしまったことは、親として本当に申し訳ない気持ちでいっぱいですが、二人とも妻側に引き取られていたら今の自分はどうなっていただろう、とも思います。
恐らく、このような体験記を書くことを許されるような立場にはならなかっただろうと思い、感謝の気持ちでいっぱいです。
その後、更に問題(金銭トラブル)が重なり遂に親族会議が開かれ、楳木先生に面談を行なっていただくことに決まったのです。私は、問題を起こした当人なので、仕方なく受けることに従ったのです。自分の中に「どうしてこんなことをしなければいけないのか」という気持ちがあり、そうした気持ちで受ける面談は、自分にとって意味のないもののように感じていました。
早く終わらせたいという気持ちだけが先行していたような気がします。
しかし、逃げても逃げてもどうにもならない更なる問題を勃発させてしまったのです。そのことで、父や弟、妹からさじを投げられた状況になり、楳木先生に縋らざるを得なくなってしまったのです。
自分の心の底にある深い癖に気付く
前回の体験記の終わりに父や弟、妹からさじを投げられた状態になったことを記述いたしました。問題を起こした私は、数ヶ月間一般社会から隔離された時間を過ごすことになりました。
現実のことから逃げ出したいがために、後先考えずにやってしまい、今思い出すと「何とバカなことをしてしまったのだろう」と思うばかりです。しかし、父や妹は会いに来てくれました。そして、楳木先生も時間を割いて自分のこれからのことを心配してくださり、色々と手を打ってくださいました。
「自分は、今まで何をしていたのだろう。何か問題を起こすたびに親や妹に尻拭いをしてもらい、自分の力で何一つ解決できていない」と思い、涙が止まりませんでした。
時には父と妹夫婦に深い溝ができたこともあったそうで、それも全て自分の起こしたことが原因でした。
元の生活に戻ることができた時の、あの喜びは今でも昨日のように覚えています。学校から帰ってくる息子を外で待ち、顔を見た時は何も言葉が出ませんでした。ただ心の中で「ごめん。お父さんがバカやった」と謝りました。
「自分を変えて行くには、どうしても楳木先生の助けが必要だ」と、自分を振り返った時にそう思いました。自分の心の底にある根の深い癖に気付いたのです。また、少し順調に行き始めると「自分はもう大丈夫だ。面談など受けなくても良い」と思うこと、また、人様から見ると全くできていないのに「でき始めた」と勘違いすること、それらが過去何度も繰り返されました。
調子が良くなると安心してしまい、約束したことに対して手抜きをし、それを問いただされると言い訳ばかりしていたと思います。
観念せざるを得ない決定的な出来事
それがいよいよ崖っぷちに立たされたのです。いや、立たざるを得ないようなことを平成16年8月にやってしまったのです。
約束を破った重大なことが明るみに出たのです。この時ばかりは、それまでは色々あっても面談を続けてくださった楳木先生からも「自分で選んだ道だから自分の思うように進みなさい」と、冷たく突き放されました。この時初めて自分はどうして良いのか判らなくなりました。
面談の継続を保留にされたまま、自分の意思で面談を続けていただく条件を提示させていただきました。一度ではダメでした。条件と言っても、今までお約束したことと内容は変わらないのですから、心底悔い改め、心から誓いを立てるのかを問いただされたようでした。
それまで、全く、私は舐め切っていたのでした。それがこの結果だったのです。崖っぷちに立って、「自分は本当にダメな人間だ」、「このままダメな人生で終わってしまうのか」ということを初めて考えました。
了解していただくまでにはしばらく掛かりました。
了解していただく頃から自分の中に変化が起こりました。実は、「禁酒」「禁煙」ということも約束していたのですが、それも守りきれていませんでした。また、不思議なことに隠し事が悉(ことごと)く明るみに出てしまうのです。見えない「目」が光っていることを、つくずく判からせてもらいました。
「毒と神様は舐(な)めたらいかんよ!」と、何か約束を破るたびに先生から言われていましたが、そのことが身に沁み、観念せざるを得ませんでした。
やっと「面談」の意義が肚に落ちる
自分が生まれ変わるには、自分で設定した課題を守り抜き、周囲の信頼を得てゆかねばなりません。真剣に取り組む決意を固めた時に、嫌々やっていた掃除などの取り組み方にも変化が起こりました。
楳木先生から面談の中で、「人間として生きてゆく中で、掃除というものは最低限やらなければならないことである」と、何度も言われてきました。しかし、それまでは自分の中で「どうして自分だけがここまでしなければいけないのか」と不満ばかりでした。
また、面談を重ねて行くうちに、指摘された意味がようやく少しずつ解るようになりました。「自分を変革するためには、約束したことはどんなことがあっても守らねば、後悔する。今の自分は、過去を振り返りながら反省することを忘れずに前進して行かねばならない。二度と同じ過ちを繰り返してはならない。繰り返せば明日はないことを肝に銘じて過ごして行こう」と考えられるようになりました。
仕事のこともノ-トに書いて楳木先生からアドバイスをいただき、順調に行き始めました。目標というものに少しずつ近づき、自分の中にやり甲斐を感じるようになりました。
体験記を書きながら、「どうしてあのようなことをしてしまったのか」、「あの時に何故もっと真剣に自分を見つめ直すことができなかったのか」と、後悔するだけですが、その当時は、そこまで考えることができなかったのです。今、どうにか考え方が改善されたので、過去をそのように振り返ることができるのかもしれません。
面談を重ねることにより、「人生に目的を持ち、それに向かって生きることがこんなに素晴らしいことなのか」を教えていただいたような気がします。
自分のこれから先のことをジックリと考える時間
前回の体験記で隔離された環境で数ヶ月を過ごしたことに触れました。その原因は自分の考え方が幼稚であったからに外なりません。自分の置かれている状況から逃げ出したいがために、愚かなことをしてしまいました。
親や可愛い子供、そして弟や妹のことなど何も考えておりませんでした。自分の行動が周囲の人々にどのような影響を与えるかなど、全く考えずにとった行動でした。いえ、考えずにではなく、考えることができなかったのです。その時残った傷を見ると、自分のやってしまったことを昨日のように思い出します。
一般社会で生活ができるようになり、楳木先生に今こうして面談を続けていただいているお蔭で、その行動それ自体も全て神様、ご先祖が‘このままでは一生立ち直ることができない’ということで、立ち直るためには隔離された場所で自分のこれから先のことをジックリと考える時間を与えてくださったのではないか、と最近思うようになってきました。
過去の自分であれば、全てを人のせいにして「自分は被害者の立場にあるのだ」と自分を美化するだけで、自分を振り返り、反省することなどできませんでした。過去何か問題を起こすたびに「自分は悪くない。親や弟、妹がうるさく言うのが悪いのだ」と思っていました。それらが全く間違っていたことのも気付きました。
自分の考え方が全て幼稚だったのです。「どういう結果を生むかというところまで考えが及ばないで行動してしまうということは、幼稚であると共に依存心の裏返しである」ということを楳木先生に教えていただき、最近‘なるほど’と受け止めることができるようになりました。まったく面談を継続していただいているお蔭です。感謝しております。
また、言われても言われても同じ過ちを繰り返す癖、それは心の底に根深く染み付いたものです。周囲の人がいくら指導やアドバイスをしてくれても本人の精神が強くならなくては取り除くことができない、とつくずく感じます。
毎日、清掃に励み、どんなに疲れていようとも片づけをして、ノ-トに学びや反省を記入してから休むということが、実は「精神のバネ」を鍛えることだ、と楳木先生から解説していただいておりましたが、最近やっと解ってきたように思います。それは仕事の面で顕著に現れている、と思います。
マイナスからの出発という肚積もり
一般社会で生活するようになり、自分の中で‘本当に仕事に就けるのだろうか?’と不安な気持ちになるばかりでした。周囲の人は、口では「頑張りなさい」と励ましてくれるが、‘本当にそう思ってくれているのだろうか’と悪い方へ考えてしまうようになりました。
当然のことながら、現実は厳しいものでした。就職活動を始めて数社の面接を受け、自分の中では‘ここは大丈夫だ’と思っても不採用の通知が来ました。その時は‘どうして?’と思うだけで、何も考えることができませんでした。今振り返ると、考える力がなかった、と素直に感じます。そして自分がやってしまったことが如何に重大なことであったかを改めて感じました。
気持ちを絶えず切り替えることができたのは、何も知らずに明るく過ごす子供のお蔭でした。そして、楳木先生からは「落ちるところまで落ちたのだから、マイナスからの出発という肚積もりを持ちなさい。そして後は上を目指すだけだ」と、言い続けられました。
そんなこともあって、今の会社に採用された時は、自分でも本当に驚きました。社長は自分の過去、そして今置かれている立場を知った上で採用してくれたのです。そして逆に、これから先の自分に期待してくれました。
この時も、楳木先生は「自分一人の力でこうなったのではない。神様、ご先祖様のお導きのお蔭であることを忘れてはいけない」と諭してくださいました。自分もその通りだと思いました。
耳を疑うような役職を任ぜられる
就職が決まったことに自分自身驚いたのに、1年後さらに信じられないことがありました。現場のサブリ-ダ-を任ぜられたのです。作業の段取りや指示も任せられるようになりました。立場が変わることにより経験のない問題や悩み事が増えてきました。
部下の育て方、作業効率の上げ方、自分では判っているつもりでも、現実問題になると全く解決することはできませんでした。楳木先生からアドバイスをいただき、それを会社で実行することにしました。自分が入社した時よりは少しずつではありますが、社内が変わっていることを感じるようになりました。
他の宗教では決して教えていただけないことをメシヤ教、そして楳木先生との面談を通して教えていただいたと思っています。自分の中で、‘素晴らしい’と正直に思えるようになったのは約9ヶ月前のことです。
昨年の8月に管理という立場を任ぜられました。社長から「新しい風を吹き込んで、会社を変えて欲しい」と言われた時は、耳を疑いました。そして、自分にできるか不安でした。しかし‘楳木先生に相談すれば大丈夫だ’‘これも自分が進む道だ’と思えて、不安な気持ちもなくなりました。
一つひとつ丁寧に取り組むことにより、過去の仕事よりも遣り甲斐というものを感じるようになりました。また、目標を持ち取り組むことの大切さも痛感しております。目標が高ければ時間は掛かるが、努力すれば必ず何時か実現する。そう思いながら毎日を過ごしております。
今年になってから、さらに忙しい日が続いていますが、このように仕事が順調に行き残業ができるのも、父や妹夫婦の助けがあるからだと思います。かつて‘口うるさい’と思ってしまった時もありましたが、決して自分一人の力では今の立場を与えてもらうことにはならなかったでしょう。本当に感謝しています。
これから取り組むべきこと
これから自分のやらなければならないことは、今まで継続してきた課題はもちろんですが、さらには御神業です。過去妹を通して楳木先生にご縁をいただいた人の中で、私の行動で遠ざかった人がいます。その人達に今日までの私がいただいた御守護を報告して、再びご縁を繋いでいただくということです。
その方々は私の親戚筋に当たり、私の家の内情や私の行動をつぶさに見てきています。それ故に、再びご縁をいただくことは至難なことだと考えられます。そのために今自分がやらなければならないことは、口先だけで奇麗事を並べても通用しない、自分が面談を通して本当に生まれ変わった姿を見ていただく以外にはありません。
実現するかどうか、実現するにしても時間が掛かるか否かは、自分の努力次第だと思います。面談に対して真剣に取り組むようになって少しずつ変わってきていると感じるようになった今、その成長のスピ-ドを加速させ、早めに年相応の考え方ができる人間になり、離れた人達を呼び戻したいと願っております。
宗教に対して信じる気持ちなど全くなかった自分の気持ちを変えたのは、メシヤ教の教えと力の凄さではないかと思えるようになりました。また、面談を通して生活面、仕事の面においてここまで細かく指導をしていただける宗教はないと思います。自分を成長させるには、変える強い意志を持ち、継続させていくことが大切だと学びました。
楳木先生から「体験記を書いてみよう」と言われた時は、‘今の自分はまだ成長できていない。無理だ’と思いましたが、書かせていただいて判ったことは‘成長したからではなくて、学びを整理するため’ということです。
過去を振り返り反省することの大切さがあります。そして反省するだけでなく、同じ事を繰り返さないためには何をしていけばよいのか考えなければなりません。考えるということは、具体的に事例を上げて実行に移さなければなりません。
自分はまだまだ観念的な抽象的な学びの域を出ていない面が多々ある、ということです。「具体性がなければ、本当に考えたことにはならない」と常日頃から指摘されていましたが、そのことを体験記を通してさらに理解でき、肚に落ちた感があります。
ありがとうございました。
[御蔭話(生活苦)メシヤ講座・特選集no.61-63 2006(平成18)年2~4 月]
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