メシヤ講座no.163岡山(平成26年8月)

<今月の御教え>

御教え『文明の創造』宗教篇 「霊的病気 結核と憑霊」〈本文は『文明の創造』280ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 岡山支部】

我々が自覚しておかなければならない内容とは

 

楳木代表:十分私たちが自覚しておかなければならない内容でありますので、しっかり・・・メシヤ様と信者さん方の質疑応答をまとめた『御垂示録』とか『御教え集』、そうしたものと併せて本日のところは拝読をしていただければ大変有り難い、というふうに思います。

 

最初に取り上げていただいたメシヤ様のご事例からするとですね、一番大事なことは2ページ目の7行目

『今之を詳しく書いてみるが、普通結核で死に、霊界に往って霊界の住人となるや、霊になっても引続いて結核患者なのであるから、病状も生前と些かの変わりはなく苦しむのである。』

というところですね。

 

これがですね・・・、現代人が全く勘違いさせられているのが、今からかなり前に映画がありましたね。「大霊界」という映画・・・丹波哲郎の。霊界の会場は○○○○教団の本部でした。あの情景はですね。あそこを使って映画を作ったんですけれど、映画を作った内容が非常にこれはデタラメでして・・・例えば自殺をして死んだ人とかが天国へ行っているという描写をしております。自殺をするとですね、一つは自分という人を殺しているので、殺人の罪とですね、それからそこで突然死んでしまうので事故死になっていきますね。この二つの罪が重なっていくために、大変辛い霊界生活を送らないといけません。そういう人も映画の中では天国に行ってるという描写をしてしまったために、あの映画を見た人は多大な勘違いをさせられてしまうんですね。

 

メシヤ様の信者であれば

 

楳木代表:それからですね、世界救世教に所属していた信者さんといえどもですね、いろんな病気で亡くなった時に病院にかかってしまってお亡くなりになった場合と、浄霊一筋で無薬で亡くなった場合とは大きな差が出てきます。岡山でもいろんな事例があったでしょ?

 

例えば、浄霊をいただきながら最後の時には病院にかかって薬を飲んで死んでしまったので、霊界に往ってメシヤ様にお遣いいただこうというふうに強い願望で霊界に逝ったけども、ご面会すらお許しいただけなかったと・・・それは、「わしの信者ではない」ということで、ご面会もお許しなかった、と。そういうような報告が相次いだと思います。

 

そういう報告があったにもかかわらず、○○Aの本部はですね、反省することもなく、或いは信者さん方の幸せを願うことなく、未だ方針を変えず進んでいます。それで先月拝読をした内容と非常に密接に繋がっていく大きな罪を犯していってるということであります。これは、どうしてもこういう話をするとですね、東○○○教団、○○Aの取り組みの批判になってしまうんですけど、そして、指導的立場にある人達を攻撃しているような発言になるんですけど、やはり霊界の実態を知らない限り、こういうような事を信者さん方に勧めていってると、皆霊界に往った時にそのままの病気で霊界に往ってしまうということです。

 

しかし、浄霊一筋でずーっといきますとほぼ薬毒というのは取れていって、そして曇りというのも取れていって、あとは肉体的な衰弱によって霊界に往くことが許されていきます。そうすると浄まりきって霊界に往きますので、霊界生活は非常に良い所に行けるわけなんですけれども、最後まで治療を受けながら死んでいくと、その状態で霊界に往くので非常に苦しい生活を余儀なくされるということであります。

 

そうしたために、ここでは信仰者の話ではないですけども、例えば夫婦の片方がそういうことで死んで、そして霊界へ往って寂しい想いをするので、またかかって同じような死に方をさせてしまう。これは交通事故の頻繁に起きる場所とかもそうですね。そこで交通事故で亡くなってしまった場合には、自縛霊になってしまうのですね、その土地から離れることが出来ないので、一人非常に寂しい生活をしないといけないので、そこで事故を起こして、そして、同じように自縛霊になる人を作って寂しさを紛らわせるという・・・この霊も非常に身勝手な霊ではあるんですけれども、やはり自縛霊というのはそれほど寂しいものであるということですね。そのためにそうした同じ場所でいくつもの死亡事故が起きるという、そういうことになってしまうわけなのです。この点はですね、メシヤ様から真理を教えられた私達としては十分心して進んでいかないといけないことであろうと思いますし、霊界生活の方が長いですので霊界で天国的な位置をそういう霊籍をいただくためには心して生活していただかなければいけないものと思います。

 

先祖の要求は色んな形で現れる

 

楳木代表:それから次のところはですね、次の事例は・・・メシヤ様がお示しくださっているのは、ここの三ページ目を開いていただきますと、二行目にですね、

『祀り方が悪いとか何か死後要求がある場合、それを頼むべく知らせようとして之はと思ふ人に憑依する。憑依された者は、勿論結核と同様になるので、普通人はそういふ事に気が付かず感染したと思ひ、医師も又そう言ふ訳で、散々医療を受け遂に死亡するので、此最もいい例として、斯ういふ事があった。』

ということでずっと繋がっていきますけども、この先祖の要求というのはいろんな形で起きてきます。それで今回のメシヤ講座・特選集・・・皆さん方、先ほど受け取られたと思うんですけども、鹿児島から参拝した方の例を書いているんですけど・・・今回は行事特集ではなかったので、全国で起きている事を報告しつつメシヤ講座を纏めさせていただきました。(詳細については割愛)

 

鎮魂帰神法とは

 

楳木代表:それから次にですね、メシヤ様が治療された最後のページを見ていただきますと、ここでもですね、浄霊の途中で・・・まだこの時には修行中ですので、浄霊というところまで確立されてない、大本教時代にですね、メシヤ様が修行した内容というのはですね、鎮魂帰神法です。鎮魂帰神法というのは、こういうふうに組んでですね、天の数歌を唱えて、そこに憑(かか)っている霊とかそういうものを浄めていく、そういう作法ですね。この修行時代という時、メシヤ様がやられた修行の話したことありますかね?鎮魂帰神法の修行方法・・・まだ支部になる前でしたかね?話したのは・・・。

 

参加者:そうですね。

 

楳木代表:例えばここに「あ」と書きました。「あ」はこれくらい大きいんですけど、これをまず点の「あ」にしなさいという課題を与えられるわけですね。そしたら皆さんこれをずーっと見つめて、ここまで大きい「あ」が点の「あ」になるまで見つめ続けないといけないということ。そんなこと出来ませんよね、中々。こう見つめて、ここまで「あ」を見ながら縮めていくわけです。自分の中で・・・「そんなこと出来ませんよ」って大体言いますよね。だけどそれを鎮魂帰神法が出来るためにはやらないといけない。だから大変な修行なんです。鎮魂帰神法が出来るということは・・・。

 

次は、一つは点がありますね。「この点を紙いっぱいに拡げなさい」というのが次の修行なんです。この点をこう見てこの紙を真っ黒にするわけです。ちょっと真剣にやってみてください。(笑)この修行をやると大概の人が気違いになる。それはそうでしょ、ずうっと見続けないといけないし、拡げられないのに拡げないといけないんですから、これが想念の世界なんです。

 

そうしてある瞬間に真っ黒になる、この紙がね・・・しかしその時に、霊を集中していくらやっても出来ないということで、人間が段々トランス状態になって時々動物霊が憑(かか)ってきたりするので、発狂する可能性があるわけですね。

 

10年掛かった浄霊法について

 

楳木代表:で、実はメシヤ様が何故浄霊法を編み出したかというと、こんな修行をして人を救うということでは狂人を作ってしまうので、それでは全人類を救うということは出来ないので、それで浄霊法ということを編み出していったんです。で、この編み出すのに10年掛かったんです。

 

だからメシヤ様の御事績をずーっと訪ねていくと、昭和元年のある日、非常な爽快感に包まれて、そして口を突いて出る言葉を止めることが出来ない状態になったので、思うに任せて口を開いたところ『紙と筆を用意せよ』という言葉が出たという、そういうところは皆さんご存知ですよね。それで昭和元年にそういう状態になって、全てを主神様から教えられたわけですけれども、立教してないんですね、その時は立教してない・・・立教は昭和十年です。

 

この十年間は、浄霊力をどうして皆に授けようかということをずうっと探究した年月なわけですね。で、神様、主神様から教えられた御教えの検証は、5年ちょっと掛かっているわけですね。その検証が終わって、昭和6年6月15日に救世主になるという決心が固まったから『鋸山に登れ』というふうに主神様から命じられて、そして鋸山で『夜昼転換』の神事をメシヤ様は執り行ったわけで、あの時啓示を受けたわけではないんですね。

 

ですから、世界救世教の役員達が非常に間違っているのは、あそこに「天啓聖蹟」碑を作ったでしょ。あれは、天啓を受けた場所ではないのに、あの碑を作ってしまったことが、メシヤ様の御教えを当時の役員達が勘違いしていた可能性があるということです。あそこは、『夜昼転換』の神事を執り行った場所なんで、天啓を受けたのは昭和元年なわけです。鋸山で天啓を受けたわけではないんです。

 

浄霊は集中力

 

楳木代表:まぁ、そうしたことが取り違えて皆さん方に教えているために、この浄霊力、浄霊を如何にして奇蹟の出る浄霊にしていくかという方法を教えてないわけです。それは、「このことが源にはあるんですよ」ということを分かった上で、しかし、それは、気がふれる場合があるので、掌に集中するという方法だけにメシヤ様は留めて、そして想念的には『相手の体を貫くような想念を持ちなさい』と、そして『光を掌に集中させて取り次ぐ為には、手の力を抜かないといけない』と、そして『絶えず神様の御光を取り次ぐことなので、上座から取次ぎなさい』と・・・ですから、どんな部屋に行っても、上座はどこかということを一瞬のうちに見抜いて、そこに座って浄霊をするということは、浄霊を取り次ぐ者のですね、絶えず心掛けていかないといけないことであるわけですね。

 

そういう基本的なことを入信した人達に教えずに、想念を掌に集中して相手を貫くような、そういう修行を徹底的にさせてないためにですね、ぺちゃくちゃしゃべりながら浄霊する人が増えているわけですね。東○○○教団はまだ探査しているから私語は少ないけど、い○○○教団に行ってごらんなさい、「あんた元気だった・・・」、「久しぶりだねー」、「どうしていたの」と言いながら浄霊している所が多い(笑い)・・・これではね、集中力なんてないですよ。光はこっちへ行っている(笑い)想念通りだから光は、想念通りだからこっちへ行ってしまっている。

 

やはり皆ですね、この集中力ということを教えられてないために、ぺちゃくちゃしゃべりながら浄霊とか、テレビを見ながらの浄霊とか、ラジオを聞きながらの浄霊とか、サロンのように音楽を流しながらの浄霊とか・・・これね、音楽を聞きながら浄霊するといいんじゃないかと言っているけど、音楽の質で違うわけです。

 

例えばジャズとか聴きながらしたら、ジャズの根っこは何かというと厭世です。世を厭(いと)うのがジャズの根っこにあるわけだから、そういうのを聴きながら人を救うということは中々難しいですね。それからバロック音楽を聴いているとリラックスできるので、割とリラックスした上で浄霊は出来るんですけれども、リラックスしすぎて寝てしまうというようなことが起きてきます。(笑い)

 

これではメシヤ様の本筋の浄霊と違う方向へ行ってしまいます。ですから、それは、メシヤ様が修行時代からずーっと積み重ねたことを、まず役員達がしっかり理解した上で信者さん方にお取り次ぎしていかないために起きてきたことですので、これからメシヤ教の信者さん方に取り組んでいただくことは、メシヤ様がずーっと人類救済のためにですね、修行時代から積み上げてきて、そしていよいよ全人類を救うために浄霊法を作り上げてきた、その過程をしっかり受け止めて、浄霊というのは鎮魂帰神法のような集中力がなければいけないんだということを分かった上で取り組むと、もうそれだけでもですね、御守護のいただき方が異なっていきますので・・・。

 

どうか今日は結核を中心に、憑霊ということで起きる病気のことを解説して下さっておりますので、それを現代の私達に当て嵌めて考えていくと、こうしたことが考えられるんだということをですね、一つ受け止めていただいて、病気で亡くなった場合は浄霊一筋でいかないと、その病気の苦しみが霊界に行っても続くんだということ、それから祀り方が悪いと先祖が要求するために我々に病気症状を起こして気づかせるようにしてくるんだと、それから、メシヤ様が修行中にどうして浄霊を編み出すまで10年以上掛かったかということを訪ねて、心で何時も訪ねながら浄霊というものを取り組んでいただきたいという、こういった3つの事を思い出しながら、短い御教えですけれども思い出しながら拝読して下さい。”月次祭の時、こういう話しだったなぁ”と思いながら毎日毎日拝読していただきたいと思います。そうすると皆さん方の浄霊というのは変わってきますので・・・貫くという想念がもの凄く大きなもの、強いものになっていきますので、どうかそういうことを最初にお願いさせていただいて、いつものように質疑応答に入らせていただきたいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。

 

融けたアキレス腱がよくなる

 

楳木代表:それから、アキレス腱がプヨプヨになって融けたという話を載せていますが、私も症状としてアキレス腱が無くなった人を初めて見ました。私の足は爪先を庇(かば)うために踵(かかと)だけで歩いたんで、アキレス腱を固めてしまってカチカチにしてしまったんですけど、この方は41か42のご婦人ですけど、11日に御神体御奉斎を許されて3日目にアキレス腱が融けてしまったんです。

 

要するに、過去飲んだ薬が全部足の腱のところまで下って行って、そして腱を融かしてしまったんですね。皆さん方、スカートをはいてない人だったら膝を立てれるでしょうから、自分のアキレス腱を触って見て下さい、カチカチでしょ、ある程度、筋がありますよね。

 

これが、プヨプヨになっているんです。だから足がぶらぶらになって歩けない状態になっているんですよ。だから、薬毒が溜る場所という、場所によってはアキレス腱まで融けてしまうんだなぁというふうに、初めて私もその症状を見ましたけれども、触ってもですね、ブニュプニュなんで腱というのが全く無いんです。

 

だけど少し復元してきたので、この前はですね、スキー用のスティックがありますね、あれを突いて歩いてきてましたけども、1ヶ月ちょっとでその腱が復元してきたそうなんですね。夫婦で話し合いをして、メシヤ様は『アキレス腱は良くなる』と書かれているので縋ってみようということで、それで医者に掛からずに浄霊したらアキレス腱が復元してきたと・・・。

 

私もこの事例は初めてでした。ですから特に改めて書かせていただいたんですけども、この夫婦はですね、自然農法に取り組んで色々と悩みなんかもあったのですけど、この浄化を通して初心に帰って見つめ直すことが出来たというようなことを言ってくれたので、御神業としてしっかりやっていただきたいということを話し合ってきました。で、アキレス腱が良くなったということは非常にすばらしいことだと思いましたね。

 

お亡くなりになった人が夢枕に

 

楳木代表:それからですね、「臨床宗教師への育成に関して」というところも触れてありますけど、東日本大震災の被害を受けてお亡くなりになられた人達の幽霊が出てくるという話を聞いていますか?

 

参加者:聞いてないです。

 

楳木代表:余りテレビとかでは報道しませんけど、ほとんどの人が幽霊出てくるわけです。終戦直後と一緒です。戦争でお亡くなりになった人が夢枕にみんな立ったですよね。だからその当時の宗教は戦死者を祀るということで大きくなったわけです。これが戦後の宗教の発展したですね・・・宗教史の中では発展した時期として捉えられているのは、戦死者が夢枕に立ったから先祖供養に取り組んだということでお寺も大きくなったし、その当時の先祖供養をする教団はどんどん大きくなっていったんですね。

 

で、それと同じように、東日本大震災の時に津波でお亡くなりになられた人達は、海の彼方に引っ張り込まれて亡くなっておられますので、海の彼方に立つ人が一番多いらしいんですよね。それから瓦礫とかに潰されて亡くなった人は、その家のところにいるわけですよね。で、その人達が夜になると、ぼーと立って見つめているというのをみんな見るわけですね。

 

で、その人達は安定剤を飲んでも見えるわけなんで、医者もどうしようもないわけなんですね、それからカウンリングも話を聞いて整理してあげるだけなんで、その幽霊の本体は何かということまで解説できないので、やはりここは、宗教者が担当しないといけないという事で東北大学の方で、「臨床宗教師」を育成するという講座を宗教界からの寄付と、それからその大学の予算でですね、講座を持つことが出来て・・・私も実はこの文芸春秋を読むまで知らなかったので、すばらしいことをやっている人達がいらっしゃるなぁと思って、感動しながらこの記事を読んだんですけどね。

 

その中でやはり病気を、精神病というふうに捉えた場合にですね、幽霊を見るということは、医学界からするとですね、脳の中に残像が残っていたりするのが見えたりとか、或いは精神障害のために見えるというような、そういう分析しか出来ないですので、その人を治してあげるということが中々難しいわけですね。しかし、宗教界でいくと・・・やはりメシヤ様の御教えをもってすれば事故死ですから、自縛霊としてそこにいらっしゃるので、そこで供養することによって、それを短縮させていただくというような話をして本人に取り組んでもらうと、段々とそういうものは見えなくなってくるわけなので、これは宗教が担当しないといけない部分がありますので・・・。

 

しかし、すぐ慰霊祭を申し込ませるとかいうふうになりますと、これまた被害を受けた人達は、お金も住む場所も何もない時に、お金を出させるという事になるとこれは筋違いになってくるので、如何にその人に寄り添ってあげるかということをメインにして、講座を積み上げていっているらしいです。そしてお互いの宗教はですね、キリスト教の人も仏教の人も、仏教は宗派によってお経が全部違いますよね。それから神道の場合は祝詞が違いますよね。そういう人達が、同じ会場で合同で全てのお経と祝詞を順番にあげていくというようなことも取り組んでいるらしいです。そういうことによって、幽霊が段々見えなくなっているということであるわけなので、こうした時ほど宗教の果たすべき役割というのがあるんだという事を、東北大学の大学院の教授がですね、色々話をしておりましたのでよかったら文芸春秋の8月号を読んでいただきたいと思います。

 

午後の直会より―御浄霊の証 オネショが止まる

 

参加者:この前、浄霊力伝授した人の長男さんが障害者の方なんですけど、車の中でオネショばっかりするので、それが堪らないから明日から学園に来ないようにと言われて、困ったことになったといっていたんですよ。その人が(浄霊)すればいいのに、仕事が忙しくて出来ないので、それで私が後から寝た時に心を込めて20分ほど(浄霊)したら、あれほど車の中が臭くていけなかったのが、そういうことがなくなったと。あれはビックリしたと。

 

○○さんが伝授してから車の中で(長男さんが)おしっこするようになって、学園に行ってもするから、明日から来るなと先生から言われたんですよ。しかし、仕事をずーっとしているから誰もその子を見てくれる人がいないから困ったなぁと言ってたので、それで浄霊力伝授を息子さんに勧めたらということで、私とその次の日に会ったら、「これが止まったのよ」と言って話してくれました。

 

それから○○さんがそんなに腰が悪いとは知らなかったんですけど、力を抜いてメシヤ様に御願いして、それから(浄霊)したら、通じたんですね。本人が言えばいいのに、その後浄霊力伝授した△△さんから聞きました。あんなに痛かったのが疼きが止まったと・・・。それで、メシヤ教のことをもっと知りたいと言っているんです。昔は○光に入っていたこともあるらしいですけど、こんなことはなかったと言ってました。

 

楳木代表:それはすばらしいですね。そんなすばらしいのは出し惜しみしないで、なんでさっき報告してくれなかったの。言えばいいのに・・・。(笑い)

 

参加者:相手のことを思って、ほんとに心を込めてメシヤ様に御願いして浄霊したら、本当に奇蹟は起こるんだなぁと思って・・・。

 

楳木代表:やっぱりね、メシヤ講座でね、そういう報告をするというのが、メシヤ様に御礼申し上げるという事になるんで、そういうことはメシヤ講座の中で、「報告したいんですけど」って言って、それで皆さん方に知っていただくというのが、またそれが自分の徳になるからね。これからそういう事を心掛けてください。

 

感謝が無ければさらなる御守護に繋がらない

 

楳木代表:(地上天国祭で「脳溢血の麻痺に御守護をいただく」の体験報告した人が隣の人と話している様子を見て・・・)そうやって相手が分かるようによく説明出来るようになったね。今まで自分勝手な説明だったけど、相手が理解できるような説明というところに考えてしゃべれるようになったから、もの凄く回復している、頭が・・・。

 

参加者:はい。

 

楳木代表:左足の膝もよく上るようになったね。

 

参加者:この前の痛い痛いといってメールしてきた件を代表に報告したら。

 

参加者:実は足が痛くて痛くて・・・足の先から臭い膿汁がずーっと出ていたんですが、それが止まって、足が凄く痛くて歩けなくなってしまって、我慢したら2㎞位までならなんとか歩ける状態だったので、(支部責任者の)○○さんにメールしたんです。そしたら○○さんから、

「汁が出なくなったから、腫れているんでしょうね。しかし、左足の親指が痛いという事は、麻痺して感覚がなかったのに感覚が戻っているという事ではないですか。麻痺していたら、親指に痛みは感じないはずです。痛みがあるという事に感謝していますか?まずその事に感謝しなくては・・・。そうしないと次の御守護に繋がりません。そして、しっかり感謝の誠を表して、しっかりメシヤ様に祈り、御願いして足の浄霊をしてみて下さい。状況が変わると思います。それで何日か浄霊して、しばらく様子を見て下さい。」

というメールをもらったので、そのようにしてみるとまた足から汁が出るようになって。

 

足に痛みがあるということが、麻痺がとれて来てるというふうに考えられなくて、あぁ!毎日痛い痛いで、感謝が出来てませんでした。

 

楳木代表:これは何?(肘のところの腫れ物)

 

参加者:高校生の頃から出来始めたんです。それがこのようになって・・・。

 

楳木代表:浄霊しているの?

 

参加者:いいえ。

 

楳木代表:そこを毎日浄霊して見て、どうなるか。手が麻痺していても出来るから。昔、手が無い人が足で浄霊したの。で、御守護いただいたから。足の平で、こうやって浄霊してよくなっていったから。だから、浄霊する手に麻痺があってもそこへ届けば出来るから、浄霊したらいいから。

 

浄霊は神霊科学》

 

参加者:私が入信した時は、浄霊は科学ですという小冊子が出たくらい、浄霊というものを宗教と切り離した、そういうのだったんですよ。そんなもんだから、この前先生がおっしゃったみたいに、「眉間のところのその奥の魂に光を届けるというような、そういう想いでさせてもらって下さいね」と言われた時に、私は今まで180度違う浄霊をしていたなぁってつくづく思わされて、光を届けるとか光を突き抜けるようにするとか、そういうことは聞いていたからしていたんですけど、その人の魂に光を届けるという、その部分は欠けていたんですよね。

 

それで最近から、そういう想いでさせていただいていて、結局私って人間を物質と思ってしていたなぁと(笑い)、何か浄霊観が180度以上変わってしまいましたね。だからそれくらい、教えてもらってないというか、そういう話は全然なかったんですよね。

 

浄霊に初めて会った時が、そういうふうに「科学だ」、「宗教じゃないんだ」と。その面を凄く言っていたから、天地のそういう力を、自然にある力なんだから科学だわ、宗教じゃないというふうに私も思ってしまっていたから、それに則って延々と今までやってきていました。それでやっと分かってきたんですよね。だから御教えなんかでも・・・。

 

楳木代表:だから、「宗教じゃない」、「科学なんだ」というんだけれども、科学の前に必ずメシヤ様はつけていたわけだから。何科学というのを・・・。

 

参加者:神霊科学ですよね。そこが無いんですよね。

 

楳木代表:これが無いと、人を救っていくことは出来ない。

 

参加者:そうですよね、本当にそう思いました。だから結局御教え

も同じ様なものですよね。

 

楳木代表:その部分だけを、科学だけを引っ張り抜いてその部分だけみんなに説明すると、そのように聞こえてくるわけだから。すると、○○さんの場合は、そのように植えつけられちゃったわけだから。これではメシヤ様の御教えとは違った形で伝えられている、これが癖なわけだから。組織の癖なんでね。

 

参加者:そうですよね。だからそれをメシヤ教に入って諸々そう思ってしていても、まだそういう部分が分かってなかったということですよね。だから結局、御教えでも、今分かっていると思ってても、まだやっぱりそういう「唯物的な理解の仕方」をしている部分が凄く多いんだなぁとつくづく思いましたね。だから、恐ろしいと言えば恐ろしいですよね。だって理解しようと思っても出来ない部分があるんですから。私なんか、夜のミニメシヤ講座を受けている時、○○さんが懇切丁寧にされていても、”うん、知ってる、知ってる”というくらいの、そういう失礼なことだけど、そういう思いが常に何かあったんですけど、最近になってやっと、”今日はありがたい御教えをいただいたなぁ”と(笑い)・・・やっと思えるようになったんだから、本当になんか東○○○の癖というか、『夜の時代』の癖というか、引きずっているものがあるので、根深いものがあるんだなぁと思います。

 

楳木代表:それと今度は、教団だけじゃなくて日本人も、戦後の日本人は道徳観念を違った形で植えつけられているので・・・それは、戦前の道徳教育を全て無視する形で民主主義を入れてきたので、このために日本人自体が考え方を狂わされたところがあるので・・・だから遡っていけば、日本人の教育も兼ねて布教していかないといけないわけだから。

 

参加者:そうですよね。

 

御教えは読み方が大切

 

楳木代表:皆さん方が百姓という言葉を聞いたら、余り豊かな人には聞こえないでしょう。

 

参加者:今までの通念ではね。

 

楳木代表:そういうふうに思い込まされてきたわけですね。百姓というのはもの凄い財力を持った人が百姓だったわけなんでね。

 

参加者:財力も出し、知識人でないと出来ないですからね。

 

楳木代表:だから本当は、百姓というといい言葉だったんだけど、戦後教育で水飲み百姓みたいな感じで言われてしまったんで、変なイメージを植えつけられてしまっているので、そうしたものが歴史の中でも勘違いとして我々の中に一杯詰め込まれているわけです。これを変えてくれるのがメシヤ様の御教えなんで、その変えていく御教えの読み方をしていかないといけないというところがあるわけです。

 

参加者:読む人が気がつかなければいけないんですね。

 

楳木代表:それにイエス・キリストが奇蹟を出せる前は、日本にいたということすら、知らないわけなんです。「空白の17年間」をインドと解する人もいますが日本に来ていたということすら・・・。こういう日本の役割を知らないで皆育っているわけなんで。日本で何故奇蹟を出せるようになったかというと、言霊(ことたま)の勉強とか、そういうものを学んだから出せるようになったわけなんでね。

 

だから、行方不明の期間はどうしていたかというようなことを研究していかないといけないわけなんです。

 

参加者:一般の人にそれを信じろと言っても無理だけど、私達はそのことを重く受け止めないといけないですね。

 

楳木代表:だからみんな青森県へ行ってもらえれば信じられるから・・・青森県の十和田湖のちょっと南の所に、戸来(へらい)村というところがあるから・・・戸来村と書いてへらいむらと読むんです。そこには、イエス・キリストの墓があるから。

 

参加者:そうなんですか。

 

楳木代表:だから十字架に掛かったのは弟が掛かって、本人は脱出して日本へもう一回帰ってきているという、そういうその墓があるわけだから・・・だから歴史というのはみな改竄しているわけなんで、その改竄した中身をメシヤ様は表に出して、イエス・キリストも日本の神様が、素盞嗚尊として向こうへ行って力を授けたとかいうことを教えて下さっているわけだから・・・そうするとその昔からの言い伝えと真実とが、御教えによって繋がってくるわけなんで、そういうのを一つ一つ繋いで考えていくようになっていかないと、歴史というものが分かっていかないということです。

 

これをメシヤ様が教えて下さっているにも拘わらず、世界救世教はそれを全部包み隠してしまって、みんなを使いやすいような御教えばっかりを繋いできたから、行動宗教という言葉だけに縋って動かして動かしてきたわけなんです。真実を知らない限りは、胸の底から湧き上がるようなヤル気というのは出てこないから。

 

参加者:なんかそこが出て来ないんです。

 

楳木代表:そこに蓋をしているんですよ、まだ。そこに蓋をしている。それは過去の唯物教育が蓋をしているわけなんで・・・。

 

参加者:そうなんですか・・・。

 

楳木代表:大学に行った時の教え方のパターンがあるんで・・・。これをメシヤ様は学毒と言ったわけなんでね。

 

参加者:それが、入信した頃は凄くあれしていたんですけど、メシヤ教に来て勉強しだしたら段々段々・・・奥の深いことが分かってきて・・・。しかし、その湧き上がるようなそれがまだ出て来ないんです。(笑い)

 

楳木代表:そういう時には青森(三内丸山遺跡)に行って見る・・・ご主人と一緒に。あそこに行って墓を見たら変わるから、ご主人の考え方も変わるから・・・そこに神道の呼び名の変化の、毘古(びこ)の御霊とか、比古(ひこ)の御霊とか、そういうものの立て分けた埋め方をしているから。そういうものの違いとかがどこから来ているかということが分かっているから、埋葬方法が違うということです。

 

参加者:すばらしい人達だったんですね。私達、何か、メクラにされているんですね。

 

楳木代表:そうそう、戦後教育が特にそうなんで、日本の精神性を潰すために戦後教育を組み立てているわけなんで・・・その中にみんなまんまと嵌められてしまっている、それを取らんといかんわけなんでね。

 

参加者:どこまで謙虚になったらそれが取れるんでしょうか?

 

楳木代表:だから、取るためにメシヤ様御自身も山に登ったりされているでしょ。山に登って神霊と交流して、そこにお鎮まりの神様と・・・まぁ、メシヤ様が行くことによって、その神様が『夜の時代』に龍神とかにさせられているのが、御光で元の神格に戻っているわけだから・・・そういう交流をしていかない限り・・・だから「御蹟偲びて」はそういう意味で大事なわけで。

 

メシヤ様の行かれたところに必ず行っておくというのは、メシヤ様の光によって『夜の時代』に龍神にさせられた神様が元の神格を取り戻したり、化仏された仏が元の神格に戻ったというところに触れることによって、メシヤ様の執り行った御神業が分かって、その御神業が分かってからもう一回御教えを読まないと、次の段階に進むことが出来ないわけなんでね。

 

参加者:わかりました。私何度か、「元伊勢に行ったのよ」と○○さんから言われてても、「ああ、そう」の世界だったんですけど、なるほどなぁと・・・。

 

参加者:あそこは行った方がいいよ、重要なところだから・・・。

 

参加者:それが今まで私の心には響かなかったんです・・・わかりました、じゃなく、そのようにさせていただきます。

 

楳木代表:そういう時にご主人とね、一緒に歩いて、愛を確かめ合ってね。(笑い)

 

参加者:ありがとうございました。

(以下省略)