メシヤ講座no.156浜松(平成26年1月)

<今月の御教え>

『文明の創造』科学篇 総論 手術(文創昭和二十七年)

 

【メシヤ講座 浜松支部】

医者の現状

楳木代表

今回も非常に長い御論文ですけれども、最初の225ページに『総論』として、先月まではずっと病気に対して詳細に直接的解説を与えていたけれども、

『病気なるものの真原因と、既成医学が如何(いか)に誤ってゐるかが判ったであらうが、まだ知らなければならない点が種々あるから、之から凡(あら)ゆる角度から医学の実体を検討し、解剖してみようと思ふのである。』

というところから、『手術』について触れているということであります。

昭和27年当時の手術の現状ですけれども、このときにメシヤ様が御指摘されているのは、『まだ医者が気づいていないことがある』ということと、『医学の説明において、日本人が錯覚に陥っていることがある』ということを、今回、御指摘されているのです。それが平成26年になった現在でも、まだ続いている状況があります。

例えば、肝臓がんと去年の秋に言われて、「手術をしても来年の(今年のこと)4月までしか生きることができません」と、余命宣告をされた70代後半の方がいます。この方は「手術をしても春までしかもたないのであれば、手術はしません。」と医者に告げて手術を断ったわけですが、医者からは「検査に定期的にきてください」と言われたので、「それには行きます」ということになりました。それから徹底して浄霊をしたのですが、暮れの検査のときに、〈がん症状が治まっている〉という結論がでたわけです。

それで「来年4月までしか生きることができないと言ったではないですか」とその人が言ったら「稀にそういうことがあります」と。医者はこんなにいい加減なことをしているというのが現状としてはあります。

それからもう一人は、年末いろいろなところから電話がかかってきたのですが、四国の方で、こちらは乳がんの人です。この人も70代前半の人ですが、乳がんの治療を重ねてきて、最終的に医者から「抗がん薬の新薬ができたのでこれを試してみましょう」と言われたので、子供たちは「これ以上もう治療をしないほうがいいのではないか」という結論を出したのですが、その人は、「親切に医者がここまで治療を続けてくれたので、この治療に賭けたい」と言うので、その新薬を入れたら体力が急激に落ちてしまいました。

それまでは車も運転し、いろいろ家のこともできていたのですが、その新薬を入れた途端、動けなくなってしまい、入院が長期化し、遂には腕がパンパンに腫れあがってしまい、動かすことができなくなり、腋下からリンパ液まで出てくるようになってしまいました。医者が慌てて「この新薬はあなたには合いませんでした。もうやめましょう。これ以上あなたにできる治療はないので、緩和ケアに移ってください。次の病院を紹介しますから」と手をひいてしまい、緩和ケアのほうに移してしまったのです。

このように無責任なことをしてしまうので、そのお子さんから電話があって、「こんな現状なのです」と。「あなた達は医者に言ったでしょう。もう治療をやめてくれと。しかし医者が治療をやってしまい、腕が動かなくなり、しかもリンパ液が腋から出てくるような状態にしてしまった、その医者に何故責任を取れと言わないのか。やるだけやって、こんな状態にしてしまってもう病院を転院させるような、そんないい加減な医者にどうして責任を問わないのか」と言ったのですが、お母さんが「もう仕方がないので、今までよくしてくれたので、次の病院に移って何とかこの状態が治まるようにしたい」と言ったのです。

今は腋に紙おむつのようなものをいつもはめて、ずっと体液が出るような状態で、今年になって「反対側にもがんが転移しているようなので、どうしましょうか」というようなことを次の医者が言い始めるようなことが起きているので、この機会にそこまで医療、薬を使ってきているので、今後どうなるかわからないけれど、浄霊をしっかりして手が少なくとも動いて、自分のことができるようにしていけると良いねということが今の状態です。医者の対応というのは非常にいい加減なものだな、と思います。

 

脳梗塞も浄霊で治る

楳木代表

その反面、私事ですが、私の兄が66歳なのですが、年末に脳梗塞で倒れてしまいました。

12月29日に会社の忘年会をやって、帰って仕事を・・・。小さい会社ですが代表者をやっていますので、仕事をして、少し飲み足りなかったので自分の家に帰って飲んで、そのまま眠ってしまったようです。しかし、次の朝、目が覚めたら体が半身、動かなくなってしまっていたので、里帰りする予定だったのですが、帰ってきませんでした。トイレにも行けないので、いわば汚い話ですが、垂れ流しの状態になってしまい、近くに弟がいたので、連絡をとりながら、こういう対応をしてくれということで、一応年を越すことができました。

年を越してから、私も片付けて、行って浄霊をしてみると、だいたい脳梗塞のあとは片付いたようなので、そこをよく浄霊しながら運動をすれば、何とかなるだろうと思いました。仕事始めに連れて行って・・・。請求書とか資料とかを作らないといけないので、私がパソコンで代わりに処理をして、仕事始めができるようにしておいて、それからまた浄霊をして、部下の営業部長とかといろいろ話をしました。営業部長からは、これを機会に精密検査をしてもらいたいとかいうような要望があったので、私が一旦実家の方へ連れていって、家と付き合いのある医者に精密検査をしてもらうので、3日間ほど会社を留守にするのでその間のやっておかないといけないことを打ち合わせをして、それに対して私が対応する書類を作っておくからということで、朝の8時から12時まで、そういう経理上のこととか、様々な資料をつくりました。

そして、あとは部長に頼んで、連れて帰りました。連れて帰って、そしてそれから私が出張に出ないといけないので、私の母に3日間浄霊する場所と酒とタバコを飲んだり吸ったりしているので、これを機会に酒とタバコを全部断つように約束をして、浄霊とご飯をしっかり食べることを約束しました。会社でも 「酒とタバコに手を出したら、私は即刻捨てて帰るから」と話しましたが、手が動かないので書類を書くことができず、私が代わりに書いていると、ついついタバコに手を出して吸おうとするので、「それを吸った瞬間、ここで仕事をやめてもう帰るから」と脅すというか、その位言わないとやめることができないので、「たばこを吸った瞬間、帰るから」ということで、何とか「これ以上吸ったらいけないな」と思ったようで、帰るときに部屋にあったたばこと酒を捨ててしまって、着替えだけを持って実家に帰りました。

母が朝昼晩とよく浄霊をしてくれて、運動を。そういう場合には運動を、右手右足が動かなくなっているので、それを動かす方法というのは、とにかく持ってでも足を上げたり下げたりしないといけないので、階段のそばに行って、まず動く足から上げて、逆の足を引っ張り上げ、それから動く足を下げて、もう一方の足を下げるというような運動をするのと、手を動かすということを、毎日ゆっくりでもいいから動かしていけば、3日あれば必ずよくなるからということで浄霊を続けていたら、3日目に何とか2階の御神前まで上がることができるようになりました。

そうこうしている間に、「会社からどうしても、戻ってきてもらわないと仕事がどうしても進まないので来てくれ、と言われている」と母親から電話がありました。

状態を聞いたらほぼ脳梗塞が立ち直れるところまできていたので、あとは自己浄霊でなんとかなるだろう、ということで、また会社に行くようになったのですが、会社へ行って一通りのことが終わったら、車の運転ができるまでに右手右足が動くようになりました。このままいけば、あと酒とたばこをやめれば、治っていくとおもうのですが、これが部下の部長のように精密検査を受け、医療にかかってしまうと薬漬けになるので、1ヶ月とか2ヶ月とか入院して、いくらリハビリしても、薬が入ってしまうとなかなか完全に復帰できないというようになりますが、何とか私の出張前に処置ができたのでよかったな、と思います。医療にかからなければ、こうやって完全に復活できますので。

 

血圧も浄霊で治る

楳木代表

それから三重支部まで移動してきたら、三重支部で自然農法をやっていて、今日も野菜をここに届けている方が、血圧が140~50あったのですね。しかし薬とか一切やめて、畑と自分の仕事をしながら自己浄霊しているうちに血圧が130台まで下ったそうです。そして今回の月次祭で初めて、「血圧が正常に戻りました。ありがとうございました。」という報告を受けました。

やはりメシヤ様の教えに沿って、そのように取り組めば、自分の健康は維持できるということがよくわかるので、大変ありがたいな、と、そういう年明けを迎えました。

 

『手術が進歩したということは医学が進歩していないということ』

楳木代表

ここに226ページにメシヤ様が

『近来、医学が大いに進歩したといひ、取り分け手術の進歩を誇称してゐるが、わたしから見れば之程の間違ひはあるまい。考へる迄もなく、手術が進歩したといふ事は実は医学が進歩しないといふ事になる。といふと不思議に思ふであらうが、手術とは言う迄もなく、病に冒された機能を除去する手段であって、病其(その)ものを除去する手段ではない。』と、いうことです。

ですから、仮に先ほどのように肝臓がんになっても、肝臓がんのがんの部分のみを取り除いて肝臓を維持する医療ができれば、これは言うことはないのですが、肝臓がんにかかったところを全部切り取ってしまうので、肝臓自体は何分の1かになってしまうので、本来の働きができなくなってきます。

また、胃がんの場合には、全摘してしまうと胃がなくなってしまうので、食道と腸をつないでいきますので、1日3回でいい食事を8回とか、そういうふうにわけて食べていかないといけなくなりますので、非常に不自由な生活になっていきます。

それから大腸がんの場合にも、大腸を全摘して直腸までかかってしまうと、人工肛門をつけて、いつもぶら下げていないといけないということが起きてきますので、やはりメシヤ様が御指摘しているように不具者を作ってしまうということになります。

これを治療と言っているから、メシヤ様はこれを治療とは呼べないと今回御指摘されているのです。

肝臓の悪いところだけを取って、肝臓そのものを傷つけなければいいのですが、やはり肝臓の何分の1かを取ってしまうということをやっていくので、これをメシヤ様は御指摘しているのです。

 

日常生活の《気づき》が大変大切である

楳木代表

ですから、もう少し進んできますと、

『判り易く言えば、病気と其(その)機能とは密接な関係はあるが本質は異ってゐる。従って真の医術とは病だけを除(と)って、きのうは元の侭(まま)でなくてはならない筈(はず)である。処が医学が如何(いか)に進歩したといっても、病のみを除(と)り去る事が不可能であるから、止むを得ず二義的手段として、機能をも併せて除去して了(しま)うのであるから、此(この)事を考へただけでも、手術の進歩とは、医学の無力を表白する以外の何物でもない事が分るであらう。斯(こ)んな分り切った理屈でさへ気がつかないとしたら、今日迄の医学者は驚くべき迷蒙に陥ってゐたのである。』 と御指摘しています。

この『斯(こ)んな分り切った理屈でさへ気がつかない』ということが今回、非常に大事なことです。

これは病気だけではなくて、あるいは手術だけではなくて、日常生活でも気づかないことが大変多くあります。

例えば、子供のちょっとした変化に気づかないでいくと、先々いろいろな問題が起きてきます。ですから日常生活のなかで、やはり『気づく』ということが一番大事だということを、この御論文は『手術』について書かれていますけれども、私たちの日常生活でも『気づく』ということが大変大切であるということを読み取りながら、拝読していただけるとありがたいと思います。

 

メシヤ様は『人類から病気を解放する』ことを最大限に願われた。

楳木代表

更に、

『大いに覚醒して、初めから行(や)り直すより外(ほか)あるまい。即ち医学の再出発である。処が今日迄其意味を発見した者がなかったが為、盲目的に邪道を驀進(ばくしん)して来たのであるから、何年経っても人類は、病気の苦悩から解放されないにみて明かである。』

昭和27年から平成26年を迎えた今日、まだ病気は増えております。しかも、現代の病気は精神面の病気が非常に増えてきておりますので、これをメシヤ様は『人類から病気を解放する』ということを最大限に願って、このような御論文を書いているわけですので、そのこともメシヤ様は私たちに訴えてくださっているということを、これを機会に改めて確認させていただきたいと思います。

 

現代人が錯覚していること

楳木代表

それから229ページをあけると、ここには

『つまり唯物科学は、生物である人間も他の動物も、無生物である鉱物や食物と混同してゐる錯覚である』と書かれています。

これは、約400年前から、デカルトという人が二原論を打ち出して、人間の体を肉体と精神をわけて、肉体だけを物として捉えるようになってきた考え方が、現在の医学に繋がっておりますので、この錯覚を指摘されているのであります。

ですから私たちは、『手術』に対する御論文だけで理解するのではなくて、現代人が陥っている錯覚というところにも気づいていかないといけないということであります。

例えば、手術でお腹を切ったあと、お腹を縫っていきますね。縫うのですが、切ったところを縫い合わせるのですが、治るのは自分の肉体が治していくのです。医者がくっつけたわけではないのです。医者はパチッパチッと止めただけで、皮膚がきちんとくっついていくのは自分の肉体がくっついていくわけです。しかし、これを上手に医者が縫ったということを評価する、これが錯覚なのです。

自分の肉体を元通りにするのは自分自身の肉体なのです。しかし医者が治したように錯覚しているということが大きな問題点なのです。

仮に悪いところを取り除いたとしても、それは取っただけで治しているわけではないのです。

だから治すという言葉が、どうも錯覚で考えていきますので、治療ということに対して正確にものを考えていくということができなくなっている部分があります。私たちも日常生活で錯覚に陥っていることはないかということをいつも考えてもらいたいと思いますね。

それでメシヤ様が例をひいて、牛に「お前、胃がんだぞ」と言っても、牛はショックに陥らないですよね。まあ、世界中に1頭くらいはショックを味わう牛がいるかもしれませんが、人間の場合、「あなたがんですよ」と言われたら、もう“どうしよう”“どうしよう”というふうに思い込んでしまいますね。そういう差があります。

 

劇画より

楳木代表

それでそういうことに基づいて、この中で、突然ですが、ゴルゴ13を読む人はありませんか?

参加者

読みません。

参加者

漫画自体読みません。

楳木代表

私は「ゴルゴ13」だけは必ず読むようにしています。それから昔の「島課長」。これ等はチームで作っているのでね。世界の情勢を分析して、“今回はこのテーマで脚本を書こう”と、それを劇画にしているので。ゴルゴ13はだいたい世界の情勢を、読んでいるとわかるということがあります。

新年のゴルゴ13は読みきりでした。ビッグコミックに載っているのですが、だいたいいつもは前編、中編、後編か、前編、後編かで、2回続けて読まないとストーリーが終わらないような組み立てでいつも発表しているのですが、新年だけは読みきりでした。

新年のタイトルはどういうものであったかというと〈奇蹟を呼んだ少年〉というものでありました。

それの内容を簡単に話しますと、ある財閥の少年は莫大な遺産を受け継いでいるので、どんな最先端の治療をも受けられる財産をもっているけれども、脳の脳幹の近くに腫瘍ができたので治療の施しようがなく、医者から「現代医療ではもう対応することができないので、良いイメージを持ちなさい」と。「世の中には良いイメージを持つと病気が治るという症例がいくつか報告されている。これは医学的には理解できないけれども、治療しなくても良いイメージを描くとよくなるという症例が報告されているので、君にはもうそれしか方法がない」と言われました。しかし良いイメージと言われてもまだ○○君(9歳)位の少年なので、良いイメージといってもなかなかわからないので、バードウォッチングが好きだから、これにもうちょっと時間を費やそうということで、時々体調の良いときに、病院の裏山とかに登って双眼鏡をのぞいてバードウォッチングをしていました。そんな日々のあるとき、ゴルゴ13を見つけたわけです。

ゴルゴ13の面白さというのは、山があって、向こう側に狙撃をする相手がいるときに、山と山の間は谷を吹きぬける風がありますので、この風が秒速どのくらいで吹きぬけているかを風速計とかで計算して、撃った弾が、この風の場合は何センチ風に流されて向こうの標的に当たるかということを計算しながら狙撃する、そういう風力とか力学もそのときに計算式とかでるので、大変読む側としては面白いのです。

コインを向こう側の山に置いて、練習してそれを撃ったときにどれだけ流れるか計算して撃っているのを少年が見ていると、それがすべて当たっているのです。これは並大抵な狙撃手ではなくて、ひょっとすると超一流の暗殺者かもしれないと思いながらみていると、ゴルゴ13がこちらを見るのです。見つかったと思い、急いで病院に逃げ隠れるのですが、ひょっとしたら自分が見られたかもしれないという不安に陥ってしまい、病院でしばらくじっとしていました。するとその病院にいわくありげの政治家が入院してくることになったのです。高級車で病院に来て、降り立ったところをゴルゴ13に撃たれて死んでしまうのです。その話を聞いた少年は、自分は目撃しているので今度は自分が狙われるかもしれないということで、毎晩うなされるわけです。

ゴルゴ13に自分の頭を打ち抜かれる夢を毎晩見るわけです。そのうちに脳腫瘍のことをその少年は忘れてしまったのです。そうしたら、後々の検査で脳腫瘍がよくなっているという、これが〈奇蹟を呼んだ少年〉の話です。

ですから、今、医学界の中でも治療しなくてもよくなる症例、さっきの肝臓がんがよくなっていくというようないくつか症例が報告されているので、ゴルゴ13の脚本を作るチームが、世界の様々な治癒例をとりあげて、今回、こういう構成をしたというのは、大変今の時代に即応した、殺すというこということ自体はもちろんよくないことでありますが、こういうイメージによって病気がよくなっていくということをあのように日本で有名な劇画の中に取り入れていくという、そういう時代を迎えていると、そういう印象を受けたのですが・・・。

私もそこに解説をつけたかったのですよね。《岡田茂吉教祖が説いているこれは『霊主体従の法則』によってよくなったのだ》というような解説をつけたいなと思ったのですがね。まあ繋がりがないので、そういう解説はつけられなかったのですが、メシヤ講座の中で、これは全国で話して、人間の心を良い方向に向いていくと、体も良い方向へ向いていくということを、あのようなものを見ながら、知っていっていただけたらありがたいなと思いますね。

今回、拝読した中ではそうしたことを一つ思い浮かべながら、繰り返し繰り返し拝読していただきたいと思います。

 

科学技術の進歩

楳木代表

しかし、メシヤ様は229ページに

『唯物科学を非難する立場ではない』とおっしゃっています。

今週、アメリカでテレビを始めとした家電見本市のようなものがありましたね。

日本では4Kテレビを打ち出しているのですが、サムスン電子はカーブしたテレビを出していました。どの角度から見ても見ることができるというカーブしたテレビです。アメリカの企業とかは、テレビから浮き出て見えるようなテレビを売り出そうという計画を立て、現実にそういう映像が映るというようなものを発表していました。

これが現実にいくと、我々がSF映画で見ている、空間に映像が浮かびあがって、みんなでそれを囲んで議論していくという世界がもうすぐくるということになります。

これは日本だけでなく、科学技術が非常に進んできているというわけで、メシヤ様はそういう技術に対しては非常に評価をしているわけです。

それから、今年はやぶさ2号が打ち上げられますね。そして4年かけて小さい惑星にたどりついて、そこでまた惑星の中に含まれている物質を採取して、そしてまた帰ってくるという計画で打ち上げます。もうすぐ。東京オリンピックの年に帰ってくる予定ですので、オリンピックとそういう科学技術の結晶を一緒に盛り上げて、日本の素晴らしさを世界に知らせようということで、無事に帰ってきてもらいたいと思います。

これをやると、なぜ地球に生命が宿ったかという、生命の起源というのが科学的に説明できるということになるということになりますので、日本の技術は非常に素晴らしいのだということが6年後にはまたわかるので、東京オリンピックを盛り上げる一つの材料になっていくのではないかと思いますね。

「はやぶさ2:太陽系の起源・進化と生命の原材料物質の解明を目指して

小惑星探査機「はやぶさ2」(Hayabusa2)は、数々の新しい技術に挑戦し2010年6月に地球への帰還を果たした小惑星探査機「はやぶさ」(MUSES-C)の後継機です。

「はやぶさ」では、イオンエンジンによる新しい航行方法を確立しながら、太陽系の起源の解明に繋がる手がかりを得ることを目的に、小惑星イトカワのサンプルを持ち帰りました。今回「はやぶさ2」では「はやぶさ」で培った経験を活かしながら、太陽系の起源・進化と生命の原材料物質を解明するため、C型小惑星「1999 JU3」を目指します。(中略)

「はやぶさ2」の打ち上げは2014年度を予定しています。C型小惑星に到着するのは2018年半ばで、1年半ほど小惑星に滞在して2019年末頃に小惑星から出発、そして2020年末頃に地球に帰還する予定です。(JAXA のホームページより)」

楳木代表

こういう点においては、メシヤ様は非常に評価されているということでありますので、最初に今回の御教えの中ではそういったことを説明させていただいて、いつものように質疑応答に入りたいと思います。

 

質疑応答と言ってもあと10分しかないけれどね。

 

男性でもゴルゴ13を読んでいる人は、あまりいませんでした。来る途中でも。とりわけ冬は、雪が今年はよく降っていて塩カリ(融雪剤 塩化カルシウム)をまいているので、塩カリを巻き上げて車を走らせていると車の下がさびるので、雪道を走ったあとは下部を洗っておかないといけません。そこを洗わないと、そこから腐食してくるので、ガソリンスタンドでガソリンを入れたあとは下部を洗ってもらいます。その洗ってもらうところに必ずビックコミックが置いてあるので(大笑い)。何週分かまとめて置いてある。1ヶ月に二度しか出ないのですが、それが過去3冊くらいあるので、1号もかかさないように、ゴルゴ13だけは読んでいます。

参加者

私、昔読んでいました。

楳木代表

女性がゴルゴ13を読むというのは珍しいね。

参加者

少年まんがを読むのが好きなのです。

 

手術をした方への浄霊

参加者

手術の件ですが、私くらいの年齢になると、周りに結構手術を受けた人がいるのですが、その方に御取次させていただきたいときにはどのようにさせていただけば良いですか?

楳木代表

切ったところは、あとで消毒液とか、切る前は麻酔液とか使っているので、そういうところに集溜している部分があるのでそれを浄霊するのと、薬を前後使っているので肝臓と腎臓を痛めていてその周辺に薬毒が溜まっているのでそこを浄霊してあげるといいですね。

そして手術をして何かを取り除いている場合には、その取り除いた部分の霊も欠損しているので、霊界にいったときその切ったところがなくなって、ぽっかりと穴があいてしまっているらしいのです。ですから霊界にいったとき霊界生活で非常に不自由な思いをするという報告がずいぶんあるので、死んだあとのことを思って浄霊をしてあげるということが大事になります。

その切り取った霊が元通りになるように、そういう気持ちで浄霊をしてあげれば、その人の霊界生活が何不自由のない霊界生活を送ることができるのです。そういうことも含めて浄霊というのは、非常にありがたいわけです。

そういうふうに話をしてあげてください。

参加者

おかげさまで私は全部まだあります。

楳木代表

だから「ありがたい」「ありがたい」とみんなに言っておかないと。「信仰のお蔭でありがたい、ありがたい」と。

私が子供の頃、脱疽になった人がいて、足の付け根から切り落としていました。切り落としてはいるけれど霊は病んだままなので、足の先が痛むのです。「痛いので浄霊もらいたい」というので、浄霊をしてあげると、切ったところを浄霊しても、「いやこの先が痛いのです」と言うのです。ですからもうないのですが、この辺りが足の先だなと思ってそこを浄霊してあげると「楽になりました」というような、こんな話を私は何度も経験しているので、やはり手術で取ってしまうと、それで病気はよくなったようにみんな思っていますが、実は霊の部分がまだ病んでいるから、そこをきちっと浄霊してあげないといけないということがあります。

参加者

手術で取ったところも、浄霊によって、霊界にいったときにはそこが欠損していない状態になるのですか?

楳木代表

そう、浄霊を長いことしてあげればね。まあ1回の浄霊でもよくなる場合も、場合によってはあるけれど。できるだけ何回も何回も浄霊をしてあげたほうが良いわけです。

参加者

そうしたら霊界にいっても不自由な生活をしなくてもよくなるということですか?

楳木代表

うん。だから〇〇哲郎の一番の罪は、死んだらみんな元気になっているという〈大霊界〉という映画を作ってしまったことです。自殺しても、あの世で天国生活を送れると思っているけれども、自殺した場合は、「殺人」と「事故死」の2つの罪穢を以って霊界に往くので、地獄にいくのです。自分の命だから、人を殺したのと同じ殺人の罪と、それから途中で死んだ事故死の罪を負って霊界にいくのだから、とても天国生活はできません。

だから、そういうみんなを勘違いさせるような映画を作ってしまったというのが、最期がよくなかったという最大の理由なわけです。

 

日本人に必要な姿勢

楳木代表

今日も報道2001見ましたか?

やはり安倍総理が靖国神社に行って、中国・韓国がいろいろ文句を言ってきているでしょう。外交上の問題というのと。それからアメリカがそれを非難するようなことが出たので、それに対する様々なことをしゃべっていましたが、結局第二次世界大戦と第一次世界大戦、それから日露戦争、日清戦争の違いというのをよくわかっておかないと。日清戦争や日露戦争の問題は、向こうで日本人自体がまだ充分なことがなかったのでいろいろ殺戮をしているので、その罪の影響が明治天皇とそれからとりわけ大正天皇は、天皇陛下としての役目を果せない状態だったでしょう。それはそういう罪がきて、天皇がそういう状態になっているのだとメシヤ様は御指摘されているのです。

しかし、第二次世界大戦は、これは帝国主義に対して、異を申し付けたという部分があるので、結構正義が日本にはあったのです。ただ日本が真珠湾を攻撃するときにアメリカには暗号はすべて読まれていたので、アメリカはわかっていてわざと戦争をさせたということがあります。させといて一挙にやっつけるという手法をアメリカがとったために、日本はまんまとそれに入れられてしまったという部分があります。その中の経過の中には、ヨーロッパが東南アジアを全部制覇して、植民地にしていたので、その植民地化を解放するという大義が日本にはあったので、それで特にインドとかそれから中国以外の東南アジア諸国はみんな日本に感謝しているのです。それは植民地から解放されたということがあるので、そういうことがあります。

ただしかし、国内で見ると、憲兵隊が日本の思想統制に使われて、多くの人々を牢獄に入れて不幸なことをしてしまっています。そういう国内の現状もありますので、そういうことをもう一度、日本人は整理しなくてはいけません。

よいものと、絶対ダメなものを整理しておかないと、中国や韓国から言われたことに対して、正当な対応ができないというところに、実は日本人は陥っていますので、そういうところをしっかり整理してしっかりとした日本人としての考え方を持っておかないといけないのが、現代であろうかと思います。

靖国神社には戦犯が合祀されているためによくないとされているのですが、中曽根総理が参拝したときまでは、中国も韓国も一切文句を言ってきていないのです。しかし、○日新聞とか○日新聞と、社会党系、共産党系の政治家とが組んで中国へ行って、「これ以上、靖国神社に参拝しないように圧力をかけてくれ」と日本人が頼みに行ったために、「これは利用できる」ということで圧力をかけ始めたという歴史があるわけです。

これを日本人がわかっておかないと、今、そういう政治家が「安倍総理がこの時期にやってしまうからよくないのだ」と。これだけ日本が気をつかいながら靖国神社に行っているにもかかわらず、それになおかつ外国から文句を言われるという筋合いではないので。安倍総理も就任して1年後に行っているわけだから。これだけ気をつかって行っても、なおかつそういうことが起きてくるということで、今回はアメリカが批判したので、アメリカの駐日大使のサイトとかそういうところへ日本人が相当文句のメールを入れたので、アメリカ政府は反省したということになっておりますが。同盟国に対してそれだけ批判をしてしまったので。

ですから、日本人がもう少しそういう歴史をきちんと学びなおして、一方的な情報だけではなくて、良い情報も悪い情報も全部を手にした上で総合的に理解、整理して、そして習得して、そしてものを考えていく姿勢を持っておかないと、外圧に右往左往せざるを得ないような国民になってしまいます。

これを機会に私たちはしっかりとした考え方を持てるように勉強をしなおしていくという、そういう時代を迎えているのではないかなと思います。

幸い今回、伊勢神宮が西側に遷宮されましたので、西側に遷宮されると日本は非常に豊かになるようなので、今まで、経済的に非常に苦しかったものが、これからの20年間は非常に豊かさがもう一回、日本に帰ってくるのではないかのなと思います。豊かになったときに変な方向へ踏み外さないように、日々お祈りしながら、日本が健全に豊かになっていくような、そういうふうになっていただけるとありがたいなと思いますので、年の初めにそういうことを願いながら新年祭を終わらせていただきたいと思います。

なお、2月は節分祭、立春祭が3日、4日にありますので、2月は一週間先の16日に浜松の月次祭をさせていただきたいと思いますので、宜しくお願いします。それから節分祭、立春祭は本部まで来られない方は支部の方で、節分祭は夕方5時から、立春祭は11時から執り行わせていただきますので、宜しくお願いしたいと思います。

それではこれで終わらせていただきます。ありがとうございました。

 

[メシヤ講座no.156浜松支部 2014(平成26年)1月]