メシヤ講座no.129浜松(平成23年10月)

<今月の御教え>

『文明の創造』科学篇 病気とは何ぞや(文創昭和二十七年)

 

【メシヤ講座 浜松支部】

メシヤ様は二つの願いをもって、病気のことを解説してくださる

楳木代表

それではですね、いよいよ今月から『文明の創造』の『科学篇』を拝読させていただくことになりましたが、先月科学篇を書き始めることの2つの願いをメシヤ様は最後にまとめてくださっていましたが、どなたか言ってくださいますか?

メシヤ様が何のために病気のことを解説するとおっしゃっていましたか?

一つは病気に対して無智であることで、人間が非常に苦しんでいるということをこれ以上神として放置する事ができないということです。神様が放置することができないのでというのが一つ。

それからもう一つは地上天国に住することのできる健康人をつくるということです。地上天国をつくるためではなく、つくったあと、そこに住む人を作るためです。みんなが滅んでしまったら、地上天国ができてもそこで生活する人がいなければ何にもなりませんからね。

そのためにね、この2つの願いをもって『病気とは何ぞや』ということを説き始めるのだということをわかっていないと、今回拝読したときに“あれっ”と思うようなところがあったでしょう。

 

御教えを、現在一番恐ろしい病気に当てはめて考える  

楳木代表

『感冒程簡単な体内清潔作用はないのであるから、風邪程有難いものはないのである。処が昔から風邪は万病の基などといってゐるが、之程間違った話はない。何よりも近来の如く結核患者が増えるのも風邪を引かないやうにし、偶々(たまたま)引いても固(かた)めて毒素を出さないやうにする。従って結核予防は風邪引きを大いに奨励する事である。』と。この結核は今それほど問題にはなっていないでしょう。だから拝読していて“あれっ”と思わないといけないのです。現代は、それほど結核は問題になっていません。それは、生活環境がよくなってきたのと、栄養が足りてきているので、結核患者は毎年20万人出ていますが、しかし国民全体としては怖い病気とは皆さん思えなくなってきています。では今一番恐ろしい病気は何ですか?

参加者

ガンですか。

楳木代表

ガンは今、死亡率が一番多い。しかしもっと怖い病気があるでしょう。

参加者

神経の病気ですか?

楳木代表

もっと言えば…。

参加者

精神病。

 

認知症について

楳木代表

もっと言えば…。認知症です。認知症ほど怖い病気はないでしょう。私も認知症だけには絶対なりたくないと思いますね。今、医療費がこれだけ国の財政を逼迫させている最大の理由は介護と認知症患者をどうするかということで、ものすごくわれわれの税金が投入されているのです。だいたい年金からでも介護保険が引かれているでしょう。通常の保険と介護保険も引かれているのですから。この介護とか認知症というのは、今、日本全体の財政を脅かすということになっているのです。認知症がもっと恐ろしいのは、自分の人格がなくなっていくので、恐ろしいのです。ガンは自分の痛みを耐えていれば良いのですが、認知症は分からなくなってしまうのですから、こんなに恐ろしいことはないのです。だから認知症を予防するために現在は風邪を引くということなのです。風邪を引き続けていれば認知症にはならないのです。毒素が頭から出るわけですから。しかしこの風邪を止めようとして薬を服むと、風邪薬の二大要素は何でしょうか?コマーシャルで言っているでしょう。

参加者

咳、鼻水。

楳木代表

その原因は、熱によって出てくるので、解熱。要素の一つとしては解熱剤です。熱が出てくると毒素が解け始めてくるので、そうすると痛みが伴います。ですから鎮痛剤。風邪薬というとこの二つが大きな要素ですが、最近では睡眠薬も入っているものもあります。だから眠くなるということもおきますが、大体は解熱剤と鎮痛剤です。鎮痛剤というものはどこに働きますか?

参加者

頭です。

楳木代表

頭のどこに働く?“鎮痛剤は何故効くか”ということを少し解説したことがありますが、痛みを認識するところと痛い所の神経の繋がりをブロックするのが鎮痛剤です。で、ブロックし続けるとどうなるかというと、神経と神経の繋がりを遮断することになるから、だから記憶と今の認識を遮断すると、いわゆる認知症になってくるのです。だから、現在の風邪薬の中に入っている解熱剤及び鎮痛剤というものは非常に弱いものであるから一回服用しても大した人体に影響はないということで認可されているのです。

しかし10数年前にシンナーをやっている子たちが、シンナーが手に入らなくなったので、カンフルの風邪薬を、ポキッと折って服む風邪薬があるでしょう。それをまとめて一気に服むと幻覚が見えたりしたので、しかしそれを買うのは高いので恐喝したりとかいう事件が社会の問題として起きていたでしょう。これは風邪薬をいっぱい服むとそういうことが起きるということです。だからいっぱい服むということは、風邪を引くたびに服んでいると、ある許容量を超えていくと、記憶を繋いでいくところ、いわゆる海馬というところが萎縮してしまうのです。そうすると認知症が起きるのです。かいば、海の馬と書いてください。海馬というところが萎縮するために認知症が起こるので、現在でも非常に恐れられている病気は、風邪を引いたときに、風邪は非常に有難いものだから、風邪を引いたときに風邪薬は絶対に服まないということです。そのことによって毒素が出続ければ・・・良い訳です。

ですから○○さんが今、いただいている浄化も、この浄化をそのままずっといただいていくと、絶対に認知症にはならないということです。

しかし、「ずっと家に閉じこもって寝ていると認知症になるよ。」 ということを友達とかは言うでしょう。それは全く間違った話をしているのです。「薬を入れると認知症になるのです。」というアドバイスは良いけれど、「一人でいると認知症になるよ。」という全くトンチンカンなアドバイスをしてしまうのです。これがメシヤ様の御教えを知らない人間と知っている人間との差なのだということです。

だから、我々は大変有難いことなんだということを確認しておいていただきたいのですが、先ほどのこれ以上人類が苦しむことを神として見過ごすことができないという神様の愛と地上天国ができたときに住むことのできる人をつくるために、これから病気について細かく分析・解説してゆくというようにメシヤ様がおっしゃったことを先月読んだので、そのことを肚において読んでいかないと、昭和二十七年に書かれたものなので、現在に当てはまらないところがあるということです。その当てはまらないところをその御心をもって読むと、現代では認知症ということが真っ先にあがってくるな、と。

 

ガンについて

楳木代表

それから次には先ほど出たガンということが出てきます。

ガンというものは簡単なわけなのです。何故ガンになるか。それは、自分の細胞がある日突然変異を起こして、ガン細胞に変わるのです。何故突然変異が起きるのかということはみんな知っているのです。何故起きるのかは。これは薬を服みすぎると、必ず子供に異変が起きるということはみんな体験してきているのです。そのことを思っていけば、胎児までおかしくなるのだから、自分の細胞も突然変異を起こしてガン化していくということです。

今の産婦人科が一番驚いているという内容は聞いたことがあるでしょう。子供をとりあげたときに、一番驚くこと。看護婦さんたちがみんな言っていることですが、羊水のにおいが変わってきているということです。羊水がシャンプーくさいそうです。子供を産むとき、バサーッと出てくるでしょう。その音を聞いたことがありますか?苦しんでいるから、痛んでいるから覚えてないよね。すごい音がするのです。バシャー、と。だから幸いなことに袋のまま出てきた子供は、引っ張り出すとドボッと。全く真空の中からでてくるから、まさに動物そのものの音がします。しかし、その袋のままに出てきた子供はハッピーな子供と言われています。何の支障もなく産まれてくるのでね。先に破れて出てくると、手が引っかかったりいろいろ大変なことが起きたりするのだけれど。

まあ驚くのがね、羊水がシャンプーのにおいがするというのが非常に恐ろしいのです。あまりにも現代人が清潔すぎるのと、コマーシャルでとにかく香りの話ばかりしているでしょう。髪の毛をさらさらとやっただけで香りがファーと飛んでいって、男の子が「いい香り~」なんていう馬鹿なコマーシャルをやっているので、みんなが競っていい香りを出そうとしているけれど、実は香りが髪の毛からいつまで経っても取れないというのはどういうことですか?

髪の毛から抜けないのは?。髪の毛に香りが定着してしまっているということです。髪の毛に定着してしまっているということは、地肌にも定着しているということです。地肌に定着してしまっているということは、地肌には穴が開いているので、中にどんどん入り込んでいっているということです。しかも、シャンプーの中には界面活性剤というものが入っているものがあるから、泡立ちの良いものほど界面活性剤が入っているので、地肌の穴もどんどん開けていきます。どんどん浸透していくので、それが羊水に集中してにおいを形成してしまうのです。においというのは香りだね、ですからその香りの中で10ヶ月間過ごした子供はどうなるか。その香りをまた求め始めるのです。一番気持ちの良いところがお母さんのおなかの中ですからね、何かの時にはそれを求めるのです。

こんな恐ろしいことが連鎖で起きているのです。だから少々体臭のある生活をしたほうが良い、のとも言えるのです。今は体臭を消す生活をしているからね。動物の世界では動物がにおいをつけて回るでしょう。動物の排尿には、自分のテリトリーを守っていくために行っている面もあるのです。自分の生活圏を犯されないために、おしっこをしてにおいをつけて回るのです。このにおいが消えて、化学物質のにおいばかりになっていくということは、生命については非常に恐ろしいことになっているということです。そういうことを今回は非常に認識しておいてほしいと思います。

 

汚物を排泄するために病気になる

楳木代表

そして、その認識をしていただいた上で、一番最初に戻っていきますけれど、『愈々(いよいよ)之から病気に就(つい)ての一切を解説する順序となったが、抑々(そもそも)病気とは何かといふと、一言にしていえば体内にあってはならない汚物の排泄作用である。従って体内に汚物さへなければ血行は良く、無病息災で年中溌剌(はつらつ)たる元気を以(もっ)て活動が出来るのである』ということです。これが病気に対する概念としてしっかり持っておいていただきたい、と思います。また、『としたら汚物とは何であるかといふと、之こそ薬剤の古くなったもので、毒血又は膿化した不潔物である』ということですので、この汚物とは一体何かというと、薬剤の古くなったものだということです。だから過去服んだ薬は排泄できなくて、我々の体に残留していきます。この残留したものが一番恐いので、人間の活動を弱めてしてしまうので、排泄しようとして病気を起こすのです。そういうことをしっかり肚に入れておいていただきたいと思います。

 

先天性毒素と後天性毒素

楳木代表

それから次は、先天性と後天性というところが出てきますね。『此(この)原因は先天性と後天性と両方ある。先天性は勿論(もちろん)遺伝薬毒であり、後天性は生れた後入れた薬毒である。』ということです。さきほどのシャンプーくさいということは赤ちゃんにとっては先天性毒素になるということです。それからお母さんの薬が赤ちゃんに影響を与えるということも、先天性毒素ということになります。でその下が大事なことで、『処が其(その)両毒は人間が神経を使ふ局部へ集中固結する。人間が最も神経を使ふ処としては、上半身特に頭脳を中心とした眼、耳、鼻、口等であるから、毒素は其処(そこ)を目掛けて集中せんとし、一旦頸部(けいぶ)附近に固結するのである』と。だから一旦すべての薬は頸部(けいぶ)附近に集溜して、使うところへ固結していくということですね。だから毒素が溜まる場所とはこういうところだと解釈しておいていただきたいと思います。

 

【引用】

『東京日々新聞』 昭和二十八年二月二十四日  法話 Ⅰ

『すべてこの世は毒』

(略)

大体人間は生れながらにして例外なく先天性毒素と、後天性毒素を持っている。先天性毒素は親からの遺伝だが、後天性毒素は生まれてから体内に入れた薬毒といえる。薬毒というと不思議に思う人があるかも知れないが、つまり薬は病気を治すもの。健康を補うものとの観念が常識になっているからだ。ところが、もし薬で病気が治るとしたら、だんだん病気が減らなくてはならないのに、逆に益々(ますます)増えている現状だ。薬の作用は、薬毒によって、病気症状が減るから治るように見えるが、ほんとうは治るのではない。

何故(なぜ)薬を毒物かというと人間が口へ入れるものは、造物主が人間を造ると同時に、生を営(いとな)むために用意されたのが食物で、食物にも、人間が食べられるものと、食べられないものとが、ちゃんと分けられていて、人間の体の機能は、食物として定められた物の外の異物は、処理出来ないようになっている。

薬物は異物だから、ふくまれている栄養分だけは吸収されるが、他のものは体内に残る。この残ったものが薬毒で、これが各局部にたまって時が経つにしたがって固まってしまう。

 

『東京日々新聞』 昭和二十八年二月二十五日  法話 Ⅱ

『毒素は頭脳に集中』

薬毒の溜る場所は必ず神経を使うところに限られ、上半身、特に頭脳を中心として眼、耳、鼻、口などでここに毒素が集中して一たん頸(くび)の周りに固まる。これをコリといって、ある程度に達すると浄化作用(自然排泄作用)が発生する。この場合、発熱によって毒結は溶けて液体となり、咳、痰、鼻汁、汗、下痢、熱尿などになって排除される。この状態を普通感冒と名付けている。感冒は、毒素排除の一つの過程だから、少し苦しいかも知れないが、我慢して自然に委(まか)せておけば順調に排泄され、体内は清浄になって治る。これを知らないからこの浄化の苦痛を悪い意味に解釈して考え出したのが医療だ。この医療というものがどんなに間違っているものだか解るだろう。

ところがこの浄化作用は人体の活力が旺盛であればある程、起り易いもので、これを停めるには、人体の活力を弱らせるに限るというわけで、薬を用いたことになる。またよく効く薬とは、中毒を起さない程度に毒を強めたものだといえる。このように薬毒で溶解排除しようとしてかえって毒素を固めてきたから、今の人達が如何に有毒者であり、病気が起り易くなっているかはよく解ると思う。

最近人聞の平均寿命が六十何歳になったといって喜んでいるが、これはおかしい。人間は病気さえなければ、百歳以上は楽に生きられる。百歳以下で死ぬのは病気による不自然死のためで、無病となれば自然死だから当然長生きする。要するに医療は病気をなおすのでなくて、一時的苦痛の緩和手段に外ならない。医療の中で一寸違うのは灸点(きゅうてん)と温熱方法だが、これも一時的な熱の剌激によって、その場所へ毒素を誘導させるので楽にはなるがまた元にもどってしまうから、結局なんにもならない。

ラジウム放射で癌を破壊する方法もあるが、これも癌だけの破壊なら結構だが、実は組織そのものまで破壊してしまうから差引きマイナスだ。つまり現在までの療法は徹頭徹尾固める方法で毒素を溶かして、排除させはしないわけだ。このことは病人が医者の所に行っても、医者は決して「治す」とはいわず、「固める」というのを見ても解る。余談だが、治そうとして高い薬などを使っている人ほど病気がなおらず、その反対に「どうでもいい」と思う病人程、治りがいいという話を、医者からよく聞くが、これはよく解る話だ。昔の諺に「ウヌボレとカサッ気のない者はいない」というのがあるがこのカサッ気は、俗に胎毒といっており、近代医学では遺伝黴毒ということだ。これは薬毒の古くなったもので、一度は排除作用が発生しなくてはならないのだが、この現象を天然痘といっている。昔ジェンナーが種痘というものを発見して、天然痘をまぬがれたが、種痘によって天然痘の毒素が完全に消滅したわけではない。これは単に排除の力を弱まらせただけで毒は依然として体の中に残っている。この残っている毒素がいろいろな病源にもなっている。その順序をいうと、毒は時が経つと、身体のうちのどこかの場所に集まって固まる。

この浄化作用が感冒でありまたいろいろの皮膚病、擬似小児麻燥、脳膜炎でもあるがイギリスや、フランスの国民の健康が衰えたのは、種痘が発見されてからという事実から見ても、人類から天然痘を失くすためには、薬を全部海にでも捨てなくちゃいけないが、こんなことをしても急には効果が現われない。何故(なぜ)かというと、何世紀もの間、薬詰めになってきた人間だから全部治すには、二、三代はかかると見なくてはいけないだろう。

 

浄化が起こる三つの主な原因

楳木代表

そして、その次のところを読んでいきますと『処が毒結が或(ある)程度を越ゆると自然浄化は発生するし、其(その)他運動によって体力が活潑(かっぱつ)となったり、気候の激変によって自然順応作用が起ったりする等の諸原因によって風邪を引くやうになる』ということです。

ですから、浄化作用の起こるというのは、量が一定量に達したときに浄化しますよ、ということがまず1点です。そして、2点目は運動をし始めると浄化が起こりますよ、と。3点目が気候の激変によって浄化が起こりますよ、ということをメシヤ様が解説してくださっていますので、浄化が起こるのはこの三つが主たる原因なのです。

私はお米を発送するために、腕立て伏せと腹筋を夏から始めたら、何と浄化を・・・、ものすごく溶け始めています。来年のためにずっとこの運動を続けようとして、続けていますので、筋肉が隆々としてきて胸がこんなに筋肉だらけになっていますが、それと同時に浄化が続いています。

首、肩附近が始終溶けています。ですから夜寝るときに、今まで以上に長めに浄霊をしないと、起きたときにしんどいのです。ですからこの御教えどおりです。そういうふうにメシヤ様は非常にわかりやすく、今回解説してくださっていますので、大変ありがたいわけですね。

 

『浄化作用の原理』がわかった私たちは幸福

楳木代表

で、最後の行に『此(この)事を知っただけでも、其(その)幸福の大なる事は言ふ迄もない』と。だから、私たちが幸福だということは、この『浄化作用の原理』がわかったからこそ幸福なわけです。この『浄化作用の原理』がわからないといつも不安におそわれて、“どうかなってしまうのでないかしら”という不安がいつもつきまとうのです。しかし、何が起きても“これはすべて『浄化作用』だ”と考えることができるから安心して生活をおくることができるのですね。

今回の項目ではこうしたことを解説しておきまして、いつものように質疑応答に入りたいと思います。それでは、この御教えの中でも良いですし、私の解説のところでも良いですし、普段の生活の中のことでも良いので、何でも聞いてください。

 

シャンプーとせっけん

参加者

妊娠中にシャンプーとかせっけんのにおいが気になったのですが。

楳木代表

それで使わなかったのですか?

参加者

シャンプーができませんでした。

楳木代表

なるほど。それは良かったですね。

参加者

でも、そのあと使ってしまっているのですが。

楳木代表

これからは、できれば無添加のものとか、そういうものを使って・・・。一番進んでいる人たちは自分でリンスを作っているね。成分を吟味して使ってください。

参加者

シャンプーとかにバラベンを使っているものがたくさんありますが。

楳木代表

それは悪いね。防腐剤を使っているから。防腐剤ということは体の菌まで制御してしまうから。

参加者

今はオリーブせっけんを使っています。人間の皮脂に近いそうなので、さらっと脂分が落ちるそうです。

楳木代表

髪の毛が短いとせっけんでも良いのですが、ぱりぱりになってしまうからね。

参加者

近くに住むアトピーの子がオリーブが良いと言ってやっていますが、それはどうですか?

楳木代表

それも割りと良いですね。ただオリーブの作り方がどうかということに気をつけておけば、まあ大丈夫でしょう。それでアトピーがひどくならなければ、安全なオリーブオイルということになります。東京で有名なエスティシャンに言わせるとお湯だけでいいのだと。お湯だけで、掌でなぜておけばそれでいいのだと。せっけんを使う必要はないのだ、と。しかし、頭だけはお湯だけでは落ちないから。有名な人で髪の毛洗わなかった人がいたでしょう。

参加者

五木寛之です。この前、テレビで話していました。三ヶ月も洗っていないそうです。体もせっけんで洗わずに、お風呂にゆっくり浸かっていると汚れが毛穴から出るから、何ともないということです。

楳木代表

それだけ長いこと浸かっていればね。

参加者

そのとき話していましたが、医者にも行っていないそうです。

楳木代表

素晴らしい話ですね。五木寛之は私と同じような生活をしています。旅がらすなのです。講演会活動ばかりだからね。

参加者

一週間くらいはかゆいけれど、あとはだんだんよくなるそうです。養生という本を書いたそうですね。

楳木代表

だからせっけんを使わないので一番有名なのはタモリですが、そのときみんな馬鹿にしていたけれど、今福山雅治もそうだということで、みんな結構おばさんたちがせっけんを使わなくなっているそうですね。

松田聖子も50回、冷たい水でビシッビシッと洗っているそうです。冬ほど冷たい水で洗うと肌が引き締まるということらしいです。だからできるだけせっけんを使わない生活をしてください。

 

体操をしましょう

参加者

昨日、日野原楳木代表の番組をしていましたが、日野原楳木代表はもう100歳になったそうですね。

楳木代表

さあ、日野原氏は元気でどんなことをやっていると言っていましたか?

参加者

朝起きて体操をして、患者さんに元気を与えるようにと向き合っているよ

うです。

楳木代表

五木寛之の健康法は?

参加者

運動します。夜、原稿を書くので、朝6時に寝て午後1時に起きるそうです。そしてお風呂に入って。お風呂は1日に2~3回入るそうです。

楳木代表

体操のことは言っていませんでしたか?

参加者

言っていました。

楳木代表

五木寛之は未だにペンで原稿を書いているので、ものすごく指が疲れるから、指の体操をしていたでしょう。指と指の間をチョップするように、1,2,3・・・20と順番に叩くと話していました。それから爪の両側を押すということです。医療的にはそこに鍼をさすというのは、新潟の方でね。ここに副交感神経のつぼがあるそうです。だから副交感神経を刺激すると緊張感がとれるそうです。自律神経は交感神経と副交感神経とで成り立っているので、緊張感があると副交感神経を活発にするためにはちょうど爪の両側をちょっと痛めにつまんでいく、と・・・。順番に。そうするとリラックスできるのです。それが彼の“養生法”の中には書かれています。あまりペンを握らない人がこんなことをする必要はないから。講演活動や執筆活動をする人がやれば良いのです。(笑い)ここに書かれている96歳のご婦人の場合には、朝5時30分に起きて体操をして、ラジオ体操をしてということですから、体操はこれから大事になってくるのです。私なんかも執筆活動をして、このように講演活動もしているので、五木寛之のようにやっていかないといけないね。日野原氏の体操は首、肩を中心にした体操ですね。日野原氏は頭を使うから、首、肩を凝らせないということで、首、肩を中心にした体操ですね。日野原氏は10年くらい先まで予定が入っているそうです。そういう良いところは大いに真似をしないといけませんね。どんどん真似をして。特に体操は大事ですよ。50代になってやり始めると、もうガタがきてしまうから、40代から。もっといえば30代後半くらいから、体操をいっぱいしておかないといけないですよ。△△さんはこの爪の両側を押す体操をよくやったほうが良いですよ。緊張感ばかりだから、もうちょっとリラックスしないといけないから。ちょっと“痛、気持ち良い”くらいに押してください。いつも緊張感のある人ですよ。緊張感のない生活をしている人は必要ないですよ。いつもリラックスしている人は。いつもリラックスしている人は少し緊張感を高めないといけないから。これはあまりやらないようにね。もっとゆるみすぎてしまうといけないから(笑い)。△△さんの場合は緊張感がありすぎるから、ここをずっと両手をやってください。緩んでくるから。そうすると“病院、病院”という頭が少しとれてくるから。“今日も行かないといけない”という気持ちが取れてくるので、リラックスできるようになります。

 

毒結排除のためのポンプ作用とは

参加者

御教えの中で、『咳嗽(せき)は液体化した毒結排除の為(ため)のポンプ作用であるが、之は首の附近とは限らない。各部の毒結もそうである。』とありますが、咳がひどいときの浄霊の急所は、首、肩ばかりではないということですか?

楳木代表

ポンプ作用ということだから、どこの場所でもポンプ作用として溶けていくということですね。ご婦人の場合はポンプ作用として、月に1回必ず生理があるから男性よりも幸せな部分もあります。生理がくるとうるさく感じることもあるでしょうが、それだけ出血しているということは血が入れ替わっているわけだから、男より断然『浄化作用』という点では幸せだということです。だから・・・なかなか感謝できないだろうけど、そのことによって感謝するということが大事です。

 

虐待について

参加者

最近テレビで虐待のことをやっていますが、私も子育てをしてきた過程で、一人で育てたので、心に余裕がなく子供に強くあたっていたことがあったのではないかと思います。それが今、子供が孫を育てているなかでそのことが孫に影響があるのではないかと。今、どのようにしたらよろしいでしょうか。

楳木代表

それは虐待でも何でもありません。体罰はさっき○○さんが話していたようなことが体罰だから。毎日子供が叫ぶことが聞こえてくるようなことが体罰だから。ちょっと親がイライラしたからと子供にうるさく言って、そのとき言ったことで子供が泣いたりする。そのこと自体は体罰でも何でもありません。

参加者

受ける子供のほうからしたら、それが体罰と感じているのかもしれませんが。

楳木代表

今、「カーネーション」を見ていたらどうですか?カーネーションは見ていますか?

糸子がけんかをして帰ってきたとき、どうなりましたか?吹っ飛んでいったでしょう。あれを体罰としたら、子供の育て方はできなくなります。ビンタくらいは、よっぽどひどい時には、昔ははたいていたのです。それを体罰と言ったらもう何もできませんから。だから時々怒ったりすることは体罰でも何でもないのです。で、逆にそれをされたからといって、今自分がいじめられているでしょう(笑い)だから、怒るということは子供をよくするために怒るという心があればいいのです。体罰というのはそういうことではやっていないから・・・。他人からとがめられると「躾だ」と言い訳しますが。自分の発散のはけ口として子供をガンガンやったり、「馬鹿だ、チョンだ」とやっていたりするのだから。

だから、お詫びすれば良いのです。子供に。一旦お詫びをしたら、それで忘れなければいけません。今度、お詫びを受けた子供は、自分で自己教育をしていかないといけない。大人になって、親を責めたり、親のせいにしていたりしいてはいけません。自分で自己教育をしていかないといけません。それで、わからなくなったら私に電話してくれば良いから。「その考え方はこうだよ」と解説してあげるから。そういうふうにして段々成長していかないといけません。それでないと、親を越えていくことはできません。親より立派になっていかないといけないのです。いろいろなことに。それが人間の進化なのです。親より立派になることを目指して、勉強とか日常の、いわゆる単純に掃除、洗濯、掃除というものに取り組んでいって、親を越えていかないといけないのです。よく煮物で、「お母さんの味が出せない」というのが、娘にとって一番の課題でしょう。「あの味は出せんなー」と いうのが。50や60にならないと、なかなかお母さんの味は出せないのです。

 

【御教え】

『御光話録』一九号(昭和二五年六月一三日)

(略)

三月三日

お伺い 人を尤(とが)めることと注意することとの相違(限界)はいかような心得をもって当たれば、御神意を汚さないでしょうか。

メシヤ様 これは限界もなにもありませんよ。人を尤(とが)めるってことはぜんぜんいけませんよ。それも警察官や裁判官ならいいですがね(笑声)。まず自分を尤(とが)めることですよ。どんなことでも人を尤(とが)めてはいけないんです。どんなことでもね。だから私は人を尤(とが)めませんよ。たとえその人が間違ってることをやっててもうっちゃらかしておくんです。勿論アッサリと教えることはありますよ。「そんなことをすると、こうこうこういう結果になる」って言ってやることはあります。けど、私の言ったことを用いるか否かはその人の自由であって、たとえ聞き入れなくたって、それ以上もうどうにもしかたがありませんよ。何某だってそうですよ、私は以前注意したことがあるんです。けど、あの人は私の言葉を守らなかったんですよ。やはり、その人が腹からそう思うんじゃなくちゃいけない。そうでなけりゃ駄目ですよ。よく言うんですが、石の落っこちるのを坂の途中で抑えるのは駄目なんです。下へ落っこちてから目が覚めて気がつく、それが本当なんです。こう言うと、愛がないように聞こえるかもしれませんけどね、しかしこっちのほうが本当の愛なんですよ。日本では子供が転ぶと、親がすぐ走って行って起してやるけど、西洋では子供が自分で起き上がるように言うってことですが、この西洋のやり方のほうが愛が大きいんです。かわいがって親切にするってのは愛が小さいんです。だから、その人の将来を本当によくしてやるのが本当の愛なんですよ。例えば、金のない人に金をやったってそんなのは一時的で駄目なんです。自分で苦しんで、たとえ破産したっていいから、そうやったあげく自分で覚るのが一番いいんです。そしてそうするのが大乗なんですよ。そこで、人を尤(とが)めるのは一番いけない。人間が人間を尤(とが)めるのは神様の地位を犯すことになるんです。人間なんてみんなポチポチなんだから(笑声)。人を尤(とが)めるなんて慢心ですよ。だから中には尤(とが)める人より尤(とが)められる人のほうが霊的に上位のことだってよくあるんですよ。(笑声)お伺い なにか間違ったことをした人に「なぜそんなことをしたのか」と言うことは尤(とが)めることになりましょうか。

 

メシヤ様 「なぜしたか」って言うのは尤めるんじゃありませんね、聞くんだから。(笑声)

 

お伺い 「それは悪いことだからこうしなさい」と注意することはよろしいでしょうか。

 

メシヤ様 アッサリ話をして注意するんならいいですよ。それからね、「こうしてはいけない」つて言うのよりも、「こうしたほうがよい」とか「こうすべきと思う」って言ったほうがいいですよ。「相成らぬ」つて言うのはよくないですね。そして尤(とが)めると人が怖がるようになるんです。怖がらしておいて人を屈服せしめる……なんてのは最も愚かなことなんですよ。

 

お伺い とかく他人に迷惑をかけ、なかなか言いつけを守らぬ人を、つい感情に走り「きゃつは馬鹿だ」とか「悪魔だ」とか言うことは人を裁くことになり罪を構成しましょうか。

 

メシヤ様 構成しますね(笑声)。こんなことを言うのは神の権限を冒すんですから。こんな場合、本当に馬鹿なのは御自分様なんですよ。つまり主観ですね。

 

天津祝詞について

参加者

天津祝詞を奏上すると祓戸大神様や支部でしたら、支部にご縁のある神様たちがいらしてくださり、訪問したお宅の場合はその訪問したお宅にご縁のある神様がいらしてくださるという捉え方で良いでしょうか?

楳木代表

その都度、その家を祓い浄めていただけるような気持ちでお参りすれば良いです。

参加者

はい。わかりました。

参加者

天津祝詞の『高天原』というのは、現在あるのでしょうか?それから『天の斑駒の耳振り立てて』というのはどういうことでしょうか?

楳木代表

『耳振り立てて聞こし食せと』ですから、神様がたにお願いしているのです。「耳を振り立てて聞いていただきたい」と。そういう願いの言葉を総称して『耳振り立てて聞こし食せと恐み恐みも白す』ということです。「どんなちいさなことでも聞いてください」ということを『みみふりたててきこしめせと』ということですから。

『高天原に神留り坐す』ということは、『高天原』は御神床も『高天原』 です。だから支部の神床も『高天原』 ですし、家庭の御神前も『高天原』です。それは、それぞれ位があります。支部、本部へいくほど高い『高天原』 だというように解釈していただければと思います。『高天原』は御神前と思ったほうがいいですね。

参加者

御神体が金襴というのはなぜですか?

楳木代表

昔、歌があったでしょう。「金襴緞子の~」という。織物でね、金襴が一番よくて、その次に緞子を良しとしてやっています。昔は御神体の表装も3段階上・中・下とあって、若い頃は“最尊最貴と言いながら、表装を上・中・下とするなんて、何事かな”と思ったけれど・・・。

 

子供の成長と走るタイム

参加者

子供が成長したのに、走るタイムがどんどん遅くなると言って、最近やっと楳木代表から教えていただいた体操をたまーにやるようになったのですが。

楳木代表

あれをやらないとダメだね。体重が重くなるからね。大きくなるということは体重も重くなるから。鍛えないと走るのは早くなりません。腕の振りをきちんとするのと、膝を上げる練習をしないと。要するに車の渋滞と一緒だね。高速道路の渋滞と。高速道路の渋滞はどうしておきますか?

参加者

坂道。

楳木代表

そう。よくわかっているやん。のぼり坂でみんなアクセルの踏み方が一緒だから遅くなるのです。それと一緒で、今までと同じ感覚で走るから遅くなるのは当り前です。体重が重くなるのに、今までと一緒だから。重くなった分、さらに手を動かす練習をしておかないといけないね。手を早く動かせば、同時に足も速く動くようになるでしょう。福島選手は手をこうやって早く動かすでしょう。しかし外国の選手は違うでしょう。それは足が長いから足を広げて走ります。

参加者

子供の筋トレはよくないのですか?

楳木代表

筋トレはよくないね。筋肉が強くなった分、骨のところを引っ張ってしまうからね。それでなくても子供は成長痛がおきるから。相当痛いらしいですね。

参加者

筋トレはいつ頃からですか?

楳木代表

中高生になるとクラブ活動でそういうものをやり始めるから、それくらいなら。

月は年3.5センチ地球から遠ざかっているということは・・・。

参加者

楳木代表の解説の中に月が地球から離れているというお話がありましたが、それはどういうことですか?

楳木代表

それは前に話しているでしょう。

例えば雨降りは神経痛の人は足が痛くなるでしょう。それは何故ですか?

参加者

気圧の関係ですか?

楳木代表

低気圧だから。圧力が低いから影響が出てくるわけです。そうなると月が近いのと遠いのとどうなる。要するに引力が強いと、生命に与える影響も強いよね。引力が低いと、生命に与える影響も低くなります。そうすると引力が強いときには突然変異が生き物の中にバツバツおきて新品種ができてきたのです。だから水中動物から陸上動物になるというときにも、引力の差によってそうなったであろうということが推測できるわけです。離れていくということは、もうこれから劇的な変化は必要ないということになります。これからは脳の進化がさらに進むということです。脳の進化は、38億年の進化と比べると、約2000年間で相当進化しているよね。38億年と比べたら、非常に短い期間に、脳の進化は飛躍的に進んでいるわけだから。だからこれから更に脳の進化のスピードが上がるということです。

そのなかの一人が、この前亡くなったスティーブ・ジョブズ氏です。要するに、今までの概念を越える勇気を持った人が進化した人だから。今まで通りの考え方をする人は進化しにくいのです。だからビル・ゲイツ氏とか、そういう人たちが進化を遂げた人なのです。だから新しいものを作ることができるのです。日本でいっても、今ノーベル賞を受賞した人たちは、そのなかの人たちということになるのです。

参加者

一般人もそのようにでてくるようになるのですか?

楳木代表

出てくるのはさきがけの人たちだから。我々もそのように目指していかないといけないということです。その目指す一番のよりどころは御教え拝読なのです。御教え拝読をして「あっそうか!」と思った瞬間、進化したわけだから。読んでも「あー今日も読みました。さあ寝ましょう。」、これでは何一つ進化しないということになります。「そういうことだったんだ!」と思って、「あーよかった」と爽快感をもって寝ている人は確実に進化している人です。寝ている間に記憶を整理するわけだから、脳がキチンとなって、次の日また読むと「あーそうか!」と思うと、またそれで進化していきます。

参加者

夜寝る前に読むのが、一番効果があるのでしょうか?

楳木代表

いいえ。『一日30分読めば良い』とメシヤ様はおっしゃっているのだから、どんな時間でも良いから、30分間読んで、「あっそうか!」と思えば良いのです。わからないで「そうか」 と言っていてはいけませんが。

参加者

そこでわからなかったら、何かに書いておいて、何回読んでもわからなければ楳木代表に伺えば良いですか?

楳木代表

そういう形の「メシヤ講座」にしていかなければ、この「メシヤ講座」も進化しないから・・・。10年経っても同じ「メシヤ講座」をやっているのです・・・。(そして、“ああ、そうか”と思えるには実践し、体験を積むことが重要です。つまり、メシヤ様の手足となって人を救う御神業に臨ましていただくことが大切です。)

参加者

御教えを拝読すると、病気でこわいものはないなと思います。

楳木代表

 

ちょっとでも薬を使った瞬間から怖くなるけれど、それをしなければずっと怖くありません。痛みも怖くなくなります。最近私もこの前も胡麻みたいな石が出たけれど、今回は痛まなかった。ほとんど。疲れやすいという点では苦しかったけれど。先月の出張の枚方に行く前の日に出ました。ちょっとしんどいな、という程度で。痛みも段々超越するようになっていきます。(笑い)

 

時間がきましたので・・・。10月は神無月といって、神が無いと書きますけれど、出雲地方に行くと、神有月といいます。ですから出雲地方に神様が集合して、ふるさとの朝鮮半島に帰る月が10月です。これは素盞鳴尊の系統が帰る月なので、10月がもっとも御神業が進展する月ですので、「あの人にこの素晴らしい御教えを教えてあげたいな」とか「あの人に声をかけてあげたいな」ということは、この10月に精一杯やらせていただきますとうまくいきますので、そういう月だということをお願いいたしまして、10月がより一層有意義な月になりますようにお願いをして終わらせていただきます。

ありがとうございました。

 

[メシヤ講座no.129 浜松支部 2011(平成23年)10月]