<今月の御教え>
「実談・虚談 神がかりな話(後半)」
【メシヤ講座 浜松支部】
メシヤ講座no.107 御対談を拝読して
楳木代表
御対談を拝読している時に、日置氏が「二、三歳でいろんな物語を話し、四つのころには大抵(たいてい)の字は書かせるようにし、五つでは漢文さえ読ませる、七つのころはもう日本外史などスラスラ読んだ。」と述べています。
凡人とこの差は何で出来ているのかというと、両親とか、おじいちゃん、おばあちゃんとの関係とか、そういうものの程度がこうやって出てくるものです。
親たるもの、本当に自覚を持って子供に接していかないといけない、というのはこういうところから学ぶべきもので、璽光尊がどうのこうの言ったというのはどうでもいい訳で、やはり親が一生懸命に勉強して、先月の時にも新聞の読み方について話をしたでしょ。そういうことからすると、親が懸命に読んで、そしてね、子供にわかるように解説をしてあげます。読んだとおりに子供に話をしてもわからないから、子供がわかるようにその内容を解説してあげます。これが親の役割です。そうすると子供は解れば解った分、興味を持つ訳だから、興味を示した方向に導いてあげることができます。これが親子のいわゆる教育なのです。という風に解釈しておくと、これは非常に参考になるのではないかと思います。
そうすると、そういう話す内容が無い場合はどうすれば良いかというと、「私、勉強不足で駄目だから、あんた頑張ってね。」と言うしかないのです。だから「宿題やらなきゃ駄目よ。」とかいうように叱りつけるのは最低な言い方です。
「お母さんが勉強不足だからね、あなたはそういう事にならないようにしっかりやりなさい。」と、こういうような説明をすると子供はね、押さえつけられて勉強するのではなくて、「ああ、そうなんだ。」と思って勉強していくようになっていきます。
『運命は自由に作られる』
楳木代表
それと今回ですね、2ページに宿命と運命というものについてメシヤ様がわかりやすいように解釈してくださっていますから、これを自分たちのところへ降ろして考えてみます。
この宿命というものはどうしても変えられないものです。例えばこの親からこの子どもができてきたというのはもう宿命ですから。『天皇から皇太子』とあります
ね、これはもう宿命ですから変えようがないのです。
「違ったお父さんだったらよかった。」だとか「あんな親父の為に俺はえらい苦労した。」とかは、こういうことはもう変えようがありません。「もうちょっと利口なお母さんだったら、私もう少し賢かったのに。」とか、こんなことを言っても変えようがないのです。
しかし、運命というのは幅をもたせていただいているのですから、その中での頂点にゆけるように自分で努力すれば良い訳です。だから『運命は自由に作られる』というのは、努力を積み重ねていけば、どんな親から生まれてきても優秀になれるということです。
これが鳩山家と亀井家の違いだと言ってさっき流れていたラジオで言っていたことと共通しているのですね。
その差を亀井さんは力説していたけれど。(笑い)
我々の運命は自由に作ることが出来るのだ、と。 自分自身の心がけ次第だから、と。こういう教えを受けて“私もこれから更に志を高く持って努力を積み重ねていこう”ということを取り組んでいったら良いのです。
自分の課題を明確にして取り組む
で、そういうような気持ちになった時の諸注意が次に出ています。 『大事なことは急所を発見することだ。』と。だから急所を発見して努力していかないといけません。
それから、その前には『人間で一番悪いのは、あせりだ』と書かれています。「私、どうしたら良いのだろう?」と言ってあせったって何にも役に立ちません。
あせりを持たずに方向性をカッチリ持ってコツコツと努力をさせていただこう、という心掛けですね。 「どうして私ばっかり」ということがよくあるよね。年をとってくると、もう諦めるから考えなくなってくるけれど、子供の頃や若い頃は“どうして私ばっかりこんなめに合うの!”とかよく思ってしまうね。寂しい境遇のときにも“何で私だけこんな寂しい思いをしなくちゃいけないの?”という気持ちになる。そういう無駄なことはせずに、あせらないで急所を発見して、やるべきことを明確にしてやっていくのだ、と考えてください。
そういう点ではね、〈急所を発見して〉、ということについては「メシヤ様御降臨祭」の体験報告が非常に参考になります。とりわけ松井友希ちゃんが報告してくれた最後のところです。5ページの下のところに「そして今後の課題は自分に染み付いた悪い癖を改善していくことです。十何年としてきた癖は改善はとても困難なことです。それは母親の嫌なところが、自分にそのまま染み付いていることや嫌なことからすぐに逃げてしまうところです。
しかし、すぐにめんどうくさがったり、気に入らないことを言われたら不機嫌になるなどの癖は将来の自分のためには改善しなければなりません。なので、楳木代表がおっしゃったように、これからも自分のためにも周りの人たちのためにも”掃除”や”家の手伝い”を徹底してやりたいと思っています。」とあります。
このように自分の課題を明確にして、それをずっと継続して取り組むことが大事なのだ、ということの見本にしていただきたいと思います。
まあ、そういうことを体験談とこの御教え(メシヤ様の御言葉)とを繋ぎながら、私達の自分自身の糧にしていって、そして自分も一生懸命やっていこうというように組み立てていただけると大変有難いことです。だから皆さん方もね、“あれさえなかったら私はもっと幸せなのに”と思うことも今まで多分あったと思います。「こんなことがあっただにー。」とか言って。例えばおじいちゃん、おばあちゃんのこととか、両親のこととか、これが私を不幸にしたという理由にしたいこととか、まあいろいろ感じることがあったと思いますが、これは宿命の範囲内で起きていることなので、これはもう仕方のない部分もあることなので、これからは、“変えていくのは自分なのだ”と、“自分が変えていくしかないのだ”と受け止めてください。
そして、自分で変えていく時には急所があるから、その急所を明確にして取り組んでいくのだ、と。そして、そういう時には、高校生の体験談だったけれども、“高校生もこのように急所を見つけて一生懸命やろうとしているのだから、私の年代になったらもっと素晴らしい急所を見つけないと駄目なのよねー“と思って、60歳の人は60歳の、80歳の人は80歳の急所を見つけて、毎日コツコツとやっていくようにしていただきたいと思います。
このように、今回の対談記とそれからメシヤ様御降臨祭の体験記を繋いで考えていくと私達の力になっていくと思いますので、ひとつ取り入れておいていただきたいと思います。
それから、4ページにですね、『共産主義はスターリンの死を契機として、だんだん没落して来る。それは割合に早い。』とあります。ソ連が崩壊したというのはそういうことだし、ベルリンの壁が崩れたというのもそういうことですから、メシヤ様が仰っている方向へ世界はずっと流れています。
しかし、『米国の資本主義は、あれはまたなくなる。共産主義にあらず、資本主義にあらずという、そういう新しい思想が生れる。』は実現していませんから、この新しい思想というのはまだ生れてないから、これが生れてくるということは我々の最大の願いである訳ですね。
参拝の仕方
今日、参拝の仕方が変わってきているというのは、そういう思想が生れるという事を凝縮した時に、「主神様に全宇宙の御経綸に対する感謝を捧げ、メシヤ様に地上天国建設の御力を賜るようにお願いする」というお祈りになります。ここに凝縮されている訳です。だからそのように受け止めていただいて、これからも朝拝、夕拝、それから祭典とか、祈願参拝の時にはこういう参拝の仕方をしてください。
それから「今日、私は、どうしてもこのような御力をいただきたい」という時や、「これだけは神様に御祈願したいことがある」という時には、事前にご挨拶をする時に御願いをするのです。「私はこういうことを抱えていて、こういう壁にぶつかっているので、何とか乗り越えたいので御力を月次祭でいただきたい」というように、最初の挨拶の時にお願いをしておく。そのためには、ぎりぎりに来たのでは間に合わないので、やはり余裕を以て来て、丁寧にお願いをしておかないといけないのです。そのときに祝詞をあげる必要はありません。
祝詞は祭典でみんなで高らかに奏上する訳ですから、拍手(かしわで)のみで「今日はこういう願いを持ってまいりました。」と事前に奉告してください。
だから滑り込みセーフでは駄目で、事前にみんなが並ぶ前にきちんとご挨拶できる時間には来て、そしてお祈りをする姿勢を持っていただくと、非常に月次祭に御力をいただいていくことが出来るのです。
もっと言えば、前日に御玉串料を包む際にお祈りを整理して、それに見合う内容にさせていただきます。
今までのようなお祈りの仕方では“もう少しお祈りしたかったのに、『惟神霊幸倍坐せ』が始まってしまった”という事態が起きてしまいました。
また先達によって長さが違うということが起きて、祈りが不満足になってしまうことがありました。それだったら本日のような祈りの方がもうスッキリしています。
参加者
祈願参拝をさせていただく時も、月次祭の時と同じように司会の人が言ってから天津祝詞と善言讃詞を奏上すれば良いのですか?
楳木代表
そうですね。皆さんで執り行う祈願参拝の時にはそうしたら良いですね。しかし、朝・夕拝の時には自分でそう考えて、それから参拝し始めれば良いからね。祈願参拝とかみんなが集まってお参りするときは、当分の間、それを言ってというような参拝の仕方をすれば良いです。
参加者
朝拝の時にも今日こういうことがあるので御力をいただきたいというような御願いはどうすれば良いのですか?
楳木代表
朝拝をする前に自分で整理をしておけば良いです。そうすれば神様はあなたの頭の中くらいはお見通しですよ。そのことを一心に思って祝詞を上げれば、“今日の晩御飯のおかず何にしようか”なんて思わなくなるでしょうね。途中で“そういえばあそこ行っておかないといけないな”とか思いながら、祝詞を上げてしまうこともあるでしょ?「いやいや私はありません。」と言うかもしれないけれど、頭の中で何かを考えながら上げているのです。だけどお祈りを明確にしているとそのことのために力をいただこうというようになります。これが本来なのです。
もっとも昔はみんな祝詞を上げず、先達だけが上げていましたから、その間はみんな頭を下げていたから、その間にずっと考えていたのです。それが本来の参拝の仕方です。しかし今ここで、私だけが祝詞を上げて、みんな頭を下げなさいなんていうようなことをやると余りにも違和感があるので段階的にやっていきたいというふうに考えています。
楳木代表
それでは○○君(5歳)に覚えた『世界救世(メシヤ)教教義』を言ってもらおうか。
参加者
えー、言えないー。一人じゃ無理ー。
楳木代表
じゃあ私と一緒に言おうか。まだ出来ない?
参加者
出来るよね。
参加者
お兄ちゃんと一緒が良い。
楳木代表
じゃあ、お兄ちゃんと一緒に。前に出て。
お兄ちゃんは本を見て、○○君は見ないで言ってごらん。
ではしばらく聴くからね。
【二人で『世界救世(メシヤ)教 教義』を拝読させていただく】
楳木代表
上手に出来たね。まあ、ほぼ覚えているね。後は自信を持って言えるようになるといいね。
参加者
述語の部分に少し不安があるようで、間違ってはいないのですが、声が小さくなってしまいます。
楳木代表
そうすると○○君は何歳だったかね?
参加者
5歳です。
楳木代表
5歳か。そうすると日置さんと比べてみるとどうかね。日置さんは5つで漢文を読んだそうだから、5つで御教えを暗記したと言うのとちょっと共通点みたいのがあるね。
こうやって才能が芽生えてくるのです。そして、自分の子供の時よりも一歩でも進んでいると、向上していると、そういうことを親は励みにしてください。
自分よりレベルが下だと親は心配をしていかないといけないが、自分のやっていた時よりも少しでも上だなと思えれば、シメシメと思って。そういうことを自覚しながら、やっていくといいね。
私の毒素がこのわからなさを作っている
参加者
上の子はもうその年齢を過ぎてしまっていて、随分遅れてしまっているのですが、今更ですが、どうしたらよろしいでしょうか?
楳木代表
(笑)それは下の子の方が浄まっているからです。体が美しいからです。脳とかね。自分のおなかの中が、一人産んだ分だけ後の子の時の方が美しくなっています。
10ヶ月そのおなかの中にいる訳ですから、毒素の量が違うということは大変な問題です。
だから、後の子の方が頭の良い子になるというのは自然なことです。健康面も恵まれるのです。
だけどその間に薬を服んだりすると、後の子の方が悪くなってしまう場合もあります。薬をずっと服まないでいると、順番で後から産まれた子の方が良い訳です。
そうすると、もう一人となっちゃうのですが、次の子はもっと優秀な子が産まれてくるかもしれません。
しかし今度自分の体と同様に旦那の体がどうかという問題もありますから、旦那が薬を服んでいると優秀な子は出来ない、というような事になってきます。
そういうようなことで、子供の浄らかさというか、子供の毒素の保有量というのは違ってきます。だから夫婦とも全く薬を服まずにいるのなら、後から産まれてくる子の方がラッキーな訳です。
参加者
では、もう産まれてきている子には浄霊をさせていただけばいいのでしょうか?
楳木代表
そうです。浄霊をして、それから不満な事で子供を叱ったりする時には、腹を立てて叱ってはいけない訳です。
“ごめんね”と思って叱らないと。
“私の毒素がこのわからなさを作っているのね”と思う
と、自然と“ごめんなさい”という思いが浮かびます。そうした深みのある思いで叱らなくてはいけないのです。ここがキーポイントです。ここを頭ごなしにやってしまうと、もう反発だけになっちゃうのです。“私の毒素がそういうふうにしているからごめんね”と思いながら「駄目よ!」というふうに言わないと。この背後の想念の世界が大事なのです。
で、そういうことを学ぶために我々は信仰をして、しかもメシヤ講座に参加しているのはそういうことの奥深さ、奥行のある生活をしていくために勉強しているのだ、ということになります。
これがもうね、人生観が全く高度になって考えて叱っている人と、ただパッカパッカと叱っている人との差ですね。(笑)
しかしながら、そうやって育てられるとその子供はとても幸せだと思うね。そういう子供はね。非常に幸せだと思う。
参加者
今からでも遅くないですか?
楳木代表
遅くないよ。
参加者
その想念の違いは子供にも伝わるのですよね?
温かみのある言葉をつかおう
楳木代表
言葉が気持ち良いから。
同じ叱られるにしても、グーッと入って来るような叱られ方だから。しかし頭ごなしにガンガン叱ると、こっちもカンカンしてきて、子供も余計にイライラしてきます。しかし、そういう気持ちでやられるとズシリと自分の中に入ってきます。
夫婦喧嘩が一番わかりやすいね。男が何故手を上げるのかというと、言葉が斬り込んでくるから。その斬り込んでくる言葉に返せないので、手でバシッとやってしまう。「うるさい!!」とか言って。その斬り込む言葉が一番の原因です。だからこれを斬り込まないような、温かみのある言葉にしておかないといけない。
参加者
それにはどういう気持ちを持っていかないといけないのですか?
楳木代表
それには御教え拝読をして、智慧証覚を磨いておかないとそういうふうになっていかないね。
それから自分も健康になっていかないと、そういう温かみのある言葉は出てこないから。自分がイライラしていたり、疲れていたら、余計に腹を立ててしまう。
まあ、そういうようなことを考えながら生活してゆくことを願っています。
今、よくピリピリしている人が世の中には沢山いるでしょ。いつもプンプンしている人が。
そういうことがないようにしておかないといけないですね。
参加者
先程楳木代表が「私が勉強不足だからそうならないように頑張ってね。」と言うと仰っていましたが、10歳頃だと宿題をしっかりやっていれば、最低のところは保てますか?
楳木代表
それは保てるよ。宿題をやっていればね。
参加者
私がそれ以上のものを見つけて与えてあげることが出来ていないのですが‥。
楳木代表
男の子の場合は小学校の成績はあまり気にしなくて良いです。女の子は小学校の成績を気にしておかなくてはならないけれど、男の子は適当で良いわけです。中学になって自分でやりだすから。それから伸びていく。
参加者
小学校の間は宿題をしっかりやって、友達と仲良く遊ぶことが出来れば良いですか?
楳木代表
そうそう、最低限宿題だけはやっておけば、何とかついていっているから。
ついていきさえすれば、中学になって自分でやり始めるようになると、ググッと伸びていくようになります。 自覚するようになると。
だから自覚するように親がそういう姿を見せておかないと自覚しないよ。親がね。
参加者
どうして女の子は小学校のうちからコツコツと勉強をしておかないといけないのですか?
楳木代表
女の子はね、小学校の間にキチンと勉強をしておかないと、あとの伸びが少ない場合があります。
男の子は後でグーッと伸びていくから、小学校時代はまあついていっていれば良いと考えておけば良いのです。
参加者
私も中学校の時、それは思いました。
楳木代表
そう。とにかく加速度がついてくるからね。
参加者
宿題だけはしっかりとやるようにします。
楳木代表
そうそう。冬休みの宿題とか出ても早めに片付けさせるように。(笑)
何時までたっても出来ないのは一番困るのです。遊びたかったら「先に片付けてしまえ」と。そのようにしておくと生活上も好きな事を先にやって嫌な事を後に回すというようなことがなくなってくるから。そうしたほうが人生は幸せです。
参加者
嫌なことを“やらなきゃ”と思いながら、楽しむことは出来ないですからね。
楳木代表
そう、全然楽しくないから。そんなことじゃ。
急所を明確にする
参加者
急所を明確にするというのはどのようにすれば良いですか?
楳木代表
それは自分にとっては自分がお母さんと喧嘩する材料があるでしょ。それはお母さんの嫌なところが見えるからです。そして、それは必ず自分にも同じ生活の中で刷りこまれているのです。という意味から、その嫌なところが課題だということです。だからお母さんを映し鏡みたいにね、考えてゆきます。よく言うでしょ、反面教師と。だから反面教師な訳なのです。嫌なところは。
だからそれがそのまま自分にも移っているから“自分の課題はそこなのだ”と、“それを乗り越えないと豊かな人生はないのだ”というふうに思っていけば良いね。
参加者
では嫌なところが見つかったら、メモをしておいてそうならないようにしていくようにすれば良いですね。
楳木代表
そうそう。そうならないようにすれば素晴らしい人生になるよ。喧嘩や言い合いはどうしようもないのだけど、実は自分もそれが起っているから“自分はそれを改めていこう”と、“そういうことがないようにしていこう”というの が急所だと思っておけば良いです。で、そうやって染み付いたものは、今幾つだね?歳は?
参加者
三十ウン歳です。
楳木代表
○○年間染み付いていることだから、なかなか取り除けないと。○○年かけて染み付いたものは、○○年かからないと取り除けない。しかし、それを浄霊をいただいたり、御教えを拝読する事によって10年とか5年とかに縮めてくる。そのために我々は信仰をしているのだ、と考えてくださ い。信仰なしで神様の御光をいただかないで進むと、○○年かかったものは○○年かかるから、70歳を越えるまでね、続くのだということになるけれど、神様の御光をいただくとその期間はものすごく短縮される。
これが信仰の最大のメリットなのです。
我々はどうしても浄霊をいただいているので、浄霊をすると体が楽になるとか、そっちの方に心が奪われてしまうけれど、実はそういう悪い染み付いた癖を早くとって幸せになっていくというのが信仰の真髄だから。
そういう大きい視点で信仰というものをしていかないと、もったいない信仰をしている事になります。
ただ「疲れたから浄霊をいただいてないのね。」とかいう細かーい、ちっちゃーい世界ではないのだ、ということです。
人間というものはずーっと進歩向上している世界な訳だから、そういうことをするために信仰をしているのだ、と。
加速度をつけて時間を短縮して達成できるために信仰しているのだという姿勢を持っておかないと、変な信仰になってしまいます。
「あの人、浄霊ばかりして薬嫌がっている」ということだけに囚われた信仰になってしまうと、何のために信仰をしているかわからなくなってしまいます。
そのために私はいつも生命誌という話をして、まあ、先月は魚と人間の世界のね、そういう世界の本を紹介しながら、そのような長ーい見方をしながら、信仰というものをしていかないと狭い信仰観を持ってしまうよ、ということになってしまいます。 我々の人生を豊かにしていくために、一歩でも幸せになっていくためにこうやっているのだ、と。そして子孫がさらに繁栄していくために信仰をさせていただいているのだ、という気持ちに是非なってもらいたいと思います。
御教えを実践して人生を豊かに
参加者
私達はこんな素晴らしい事にご縁をいただいて生活をしているなんて、本当に感謝すべきですね。
楳木代表
だから、菅谷さんが報告してくれた、例えば7センチあった卵巣脳腫が15分の浄霊で2センチまでに縮まった、ということですが。こんな大奇蹟を聞くと、そればっかり追いかけていくのではないんだと。
そのことによってメシヤ様という方を認識して、メシヤ様が説かれている御教えを実践していけば必ず人生は豊かになっていくのだと、素晴らしいものになっていくのだと、いうふうに組み立てをいつもしていかないと“私の浄霊はあんまり効かないわ”とか、そんなところでウロウロしていると、もうとんでもない勘違いの信仰になっていってしまうのです。
そういう御力を私達に授けて下さったメシヤ様が説いてくださっていることを少しでも自分は実践していく、と。
だからメシヤ様が仰っている『私の言った通りにする人は英雄なのだ。』というようなお言葉はそういうことを意味していということだから、そういう信仰を是非若いうちに、もう少しすると若いとはもう言えなくなるから(大笑)。
でも、まあ30代でそういうことを自覚したり気づくことが出来たら、こんな幸せな事はないね。
【御教え13号 昭和二十七年八月六日】
〈前略〉
ところで、私の話を間違える人が非常にある。私はずいぶんはっきり言うのですが、昨日も一週間に一回と言ったら、今日は二回という人がある。一週間に一回と二回では倍違います。頭について、信者さんの頭が‥‥信者さんの頭ばかりでなく、世間の人は信者さん以下ですが、信者さんでも非常に頭が悪いのです。というのは、 私の言う通りに考えないのです。明主様(メシヤ様)はこうおっしゃったが、あれはこういう意味なんだ。こういう意味というのを自分で作ってしまうのです。それで間違うことがよくある。それでまた私の言った通りをやるということは、自分が値打ちがなかったり頭が悪かったりするように思うのです。ですから私の言った通りにやる人が少ないのです。私はいつも言うのですが、私が思う通り言った通りにする人は英雄と言うのです。偉いです。ところが一般は必ず違います。これは信仰ばかりでなく、庭のほうでもそうです。私の言う通りにやる職人というのは一人もないです。これをここにやれと言うと、必ずここにやる人はないです。こっちにやるとか、あっちにやる。私がこっちにやれと言うとあっちにや る。だから職人には手を焼いているのです。ところが私の言う通りやるのが一番易(やさ)しいのです。その易しいことを嫌うのですから不思議です。植木屋で一人こういうのがあったのです。この石を一尺こっちにやれと言うと、一尺やれない。二、三寸しかいかない。それで私が、どうして一尺やらない。こっちにやれと言うと、今度は五、六寸やった。それから、駄目だもう一度やれと言った。すると今度は斜めにやった。斜めにしては駄目なのです。これで三度駄目なのだから、四度目に違ったらその職人は断るからと言った。言う通りにやれそうだが、その通りにやらない。なぜかと言うと、自分は手を引いて親方に頼むと言うのです。親方にこうやってくれと言ってやったら二、三時間でできました。ところが先にやった人は三、四日かかりました。そういうことがあるのです。特に日本人はどうも言う通りにやらない、言う通りに考えない、という一種のくせみたいな、病気みたいなものだと思う。だから私がいつも話しすることがよく違ってしまうのです。だから明主様(メシヤ様)がこうおっしゃったのでこうやったが、どうもうまくいかない。そういうはずはないと、良く聞いてみると違う。いまの病気のこともその通りです。私は決して駆け引きや嘘はないのです。それは、よく昔からの偉い人でも、いろいろ‥‥なんと言いますか、ありのままでなく、いくらか形容したり、いろいろそういうきらいがありますが、私はそれが嫌いで、なんでもありのまま率直に言いますから、その通りにやれば必ずうまくいきます。いまの結核の話も、それを間違えないようにそのまま聞いて、その通りやってもらいたいと思います。そうすればきっとうまくいきます。
〈後略〉
脳の新しい回路を作る
参加者
最近物忘れがひどいのですが‥。
楳木代表
「物忘れがひどくて困るなー」と、そればかり言っているとひどくなっていきます。
忘れたことを思い出すことが肝腎です。
何だったか思い出すというためには、手帳を持っておかないと。手帳を上着などポケットに入れて引っ張りだして書いておく。
そういうことをやっていけば戻っていきます。
頭の回路は、年齢的なことや、海馬に影響を与える薬を服んだりすると、分断されることがあるのです。すると分断された時に忘れっぽくなるから「最近忘れっぽくなって困るやー。」とか言っていると分断が回復しないから、思い出すように心掛けます。
とにかく書いておき、そしてそれを見る。何を忘れたのとかなども書いて、それを読んでいくと別回路ができていきます。
脳の中は非常に上手にできていて、一つの回路が分断されても、それをやっているとよその回路を使って思い出すという回路がうまれてくるのです。
そのためには手帳を持っておかないと。少し手触りの良いのを文具屋に行って買って、ポケットに入れておくのです。ペン付のものを買ってポケットに入れておく。
そういうことをやっていくと乗り越えていけますから。
誰でもそういうことはあるから、それを克服するには脳の新しい回路を作る、そういう作業をしていけば大丈夫ですから、やってみてください。
参加者
メシヤ様の御教えを読ませていただくと、昭和20年代に書かれていることなのに、“今のこと?”と思うようなことが多いのですが‥。
楳木代表
それがまとめられているのが今日の4ページのところです。ここが大事というよりも、全部だね。
『いままで右か左に片寄った。片寄るということは左が縦、右は横。そこで、之を組合せなければならない。その組合せる時期にまだ来てないが、組合せて、はじめて本当の大思想が生れるわけだ。』と書かれています。
ということは、メシヤ様ご在世中にはまだその時期はきていなかった。だけど組み合わせるためにメシヤ様を通して主神様の御意図が全部教えられているということです。だからその方向にむかって御教えというのは書かれているのだから、“現代に当てはまる”という事は今、時期をむかえているということです。ここに『時期にまだ来てないが』とありますが、もう当てはまって考えることができるということは、時期が来ているということです。だから当てはまっているということは時期が来たのだと思っておけば良いです。
ここにある『時期にまだ来てないが、組合せて、はじめて本当の大思想が生れるわけだ。』という時期が今なのだと。
だからその時期が来たという認識の上に、これから『文明の創造』を仕上げていくという作業を進めていこうと私が今打ち出しているのです。
打ち出していることをみんなで支えていく、一つの手立てが「御教え座談会(仮称)」です。そういうことを通してみんなで触発をしていかないと。触発していったことをまた支部の皆さんに、「こういう意見が出ていましたけれど、何かご意見ありますか?」ということで収集しながら、また「こういう意見が浜松にはありました。」というのをあの中に書いていく。そういう作業をしていく中で、段々と形作られてくるのです。今、私がダーンと打ち出しているけれど、みんな「へー」という感じでしか見ていないけれど、しかし、こう意見のやりとりをしていくと、具体像が段々出来てくる。
そういうことをやっていくためのひとつの手段として、あれをやっていくのです。
私がダーンと言ったことを「ちょっと理解できませんでしたね。」とか「こういうことではないですか。」というような話をする事によって、よりみんなが理解できる。そのためにあれをこれから少しずつ今やっていこうとしているのです。まだ名前が出来てないから、今名前を思いついたことを提案していかないと。それを提案す ることが、そういうことの御神業に臨み始めた、参加し
始めたということだね。そういうことだね。
参加者
では浜松では皆さんの意見を祈願参拝の時に見ていただいて、いろいろな意見を出してもらえばいいのでしょうか?
楳木代表
沢山意見を言ってもらう。それをまとめて「こんなんでした。」と言えば、そうすると内容が濃くなるし、浜松支部全体にも浸透していくということになるからね。あれをやるというのは私も大変忙しくなるんだね。ブログ、ホームページもあるからね。だけどそういうことをやっていかないと『文明の創造』は仕上がってゆきません。だからそのために自分もね、ご奉仕させていただこうと、いう気持ちでいればいいね。そうしていると今度はもっとやりやすい良いパソコンが入ってくるから。そこに出ている意見を全部印刷するのは大変だから、まとめてみんなに見てもらえばいいね。支部のみんなの意見を集約できることが一番大事です。
みんなにお伝えして、そして意見があったら吸収していく、そういうことを積み重ねてください。だから名前をつけるだけでも一ヶ月くらいはかけようと思っているから。そして十周年記念祭の時に名前を決定しようというように思っていますのでね、そういう方向で進めています。
それでは今年もしっかり勉強し合いながら向上を目指していきたいと思いますので、どうぞ一年よろしく御願いします。
[メシヤ講座no.108浜松支部 2010(平成22)年1月]