メシヤ講座no.105浜松(平成21年10月)

<今月の御教え>

「明主様(メシヤ様)と文学」

【メシヤ講座 浜松支部】

 

メシヤ講座no.104のご対談を拝読して

楳木代表

今月は拝読してどうでしたか?特にご対談の中で心に留まったところなどありますか。

参加者

やはり科学の部分ですが、現代においても宗教というものを科学的に科学者や医者にわかるように説ける方はいなくて、むしろ医学にやられてしまって、そちらの方が上に考えられてしまうことが多いのですが、これからの課題だと思います。

楳木代表

そうですね。『宗教は最高の文化だ』と、そういう表現をされています。それともう一つは『宗教は目に見えないものを対象とする科学である』と『今までの科学は目に見えるものを研究してきたのである』という解釈をメシヤ様はされています。そういうところが普通の教祖ではない、素晴らしい教祖であるとそういう部分をこの対談から学ぶことが出来ますので、しっかりとそういうところを腹に入れておいてもらいたいですね。

参加者

これから本当に科学者の方々や医学界の方々にご理解いただけるような説明が出来ると良いと思います。

楳木代表

そうですね。出来ていけば良いというか、我々の想念をそういうところに持っておかないといけません。どうしても何々大学を出ている何々医学博士だというと、ともするとその人の話のほうが上のような内容に聞こえてくることがあります。しかし、メシヤ様の教えこそ絶対的な真理であるという考え方をすると、その事に対する解釈の仕方が変わってきます。そういうようなところがあるのではないかと思います。○○君なんか、もう良いかもしれないけれど、もう少し大きくなったらこの《宮本武蔵》の小説を是非読んでもらいたいですね。メシヤ様がこれだけ褒めていらっしゃるのですから。

メシヤ様が褒めていらっしゃる小説を読んでみると非常に理解できると思います。この吉川英治という人はメシヤ教の信者さんだったわけです。

そして後半に出てくるユーゴーとかトルストイとかはやがて中学・高校位になったら関心を持っていくと良いですね。

 

日本人が思考が広がらない理由

参加者

トルストイの《戦争と平和》はとても長い本ですが、大変感銘を受けました。

楳木代表

なるほどね。まあ昔の学生はそういう本を持っているというだけで、気分が良かったよね。

参加者

確かに私が学生の頃も、学校で読書するときや、電車やバスの中で本を読むのも、そういう本を読むのが格好良いと言って読むようにしていました。今はそういうことがないんでしょうね。

参加者

今は携帯ばかり見ていますよね。昔は携帯が無いから電車の中では本を読むしかなかったので、かなりの本を読みましたね。

楳木代表

今は損をしています。携帯ばかり覘いていますから。しかも眼が悪くなっていますし。本当に損な生活をしていますね。この前、ある評論家が話をしていましたけれど、今、日本人が活字離れをしているので、思考が広がらない理由がそこにあるとのことです。だから必ず書店に行って本を選んだほうが良いと言っていました。今はインターネットで、「こういう本だ。」ということで取り寄せるのが主流になっていますが、それでは思考が広がらないと。やっぱり書店で本をずーっと見て回っていると、自分の読みたい本以外のいろいろな本が目に飛び込んできて、それを思わず手に取ってみて、開いて、興味が湧いて、そちらに入っていったり、あるいは本の沢山並んでいる書店にいるだけでも思考が広がっていくと。そんな良い話をしていました。

やはり現代においては非常に大事な事だなと思いました。

メールもとても便利ですが、しかしちょっとうるさいよね。 特に中学生、高校生では「メールの返事が遅い。」ということで腹を立てているのですから。昔は手紙を書いても返事が返ってくるのに一週間くらいかかっていましたが、メールだと一瞬で送信できるので、数分立っても返事がないと「何やってんだ、あいつ」とかなって、みんなで「あいつ、無視しよう」とかいうおかしな話になってしまうのです。ですから今、携帯電話には大変問題点があります。

参加者

橋下知事の問題もメールだから起きた問題だと思います。面と向かっては言うことは無かったでしょうし、文章を書くときにはもう少し考えたでしょうし。行間も無いですから。

楳木代表

そうですね。そういうことが得てして起きてくるのです。

だから私は携帯のメールは一切使わないという主義です。すべてパソコンを通してでしかメールはしません。そうすると相手もパソコンだと見る時間が無いのだなと諦めますから。瞬時の回答を得るのを。

もう一番恐ろしいのはトラックの運転をしながら、携帯のメールをしているのが一番恐ろしいですね。あれは見ただけでゾッとします。

参加者

凶器ですからね。

楳木代表

ラックにぶつけられたら、どんなに良い車に乗っていてもグシャグシャになってしまいます。みんなメール見ながら信号待ちしていますからね。

参加者

軽自動車に乗っていて、後ろから来たトラックの運転手がメールをしていた時には、生きた心地がしませんでした。ベンツでも怖いでしょうが、軽自動車だともっと怖いです。

楳木代表

まあ今ボルボからXC60という車が出たでしょ。あれは何十キロ以下で走っているときに、前の車にぶつかりそうになると自動的にブレーキがかかって絶対にぶつからないように出来ているそうです。あれだったらまだ少しはぶつかり難いと思いますが。

参加者

ホンダも今、一生懸命作っているようですね。

参加者

布教には向いている車かもしれませんね。

楳木代表

ただ修理工場が少ないので全国に行くのにはちょっと不便ですね。

―鳥がとても大きな声で鳴きだして―

楳木代表

私の家のほうでも最近白鷺の大きいのがとても増えてきました。十年前くらいは殆んど見かけなかったのに、最近は至るところに飛んできます。

参加者

この辺では最近見なくなってきましたね。

楳木代表

(子供に)どんな鳥か見てきてくれないかな。松にとまってしゃべっているから。木にとまっているから気になるね。(大笑)

 

御教えをどのように解釈していくかということが大事

参加者

これを読んでいるとH氏が最初より最後の方に変化が見られて、メシヤ様に尊敬の念が湧いているように思えるのですが。

楳木代表

そうですね。最初は“貴方”と言っていますが、最後には“楳木代表”と言っていますからね。

参加者

すごい変化ですね。一時間でこんなにも人の心を変えてしまうのですね。

楳木代表

素晴らしいことですね。ただメシヤ様がせっかく『随分修行しました。』と仰っているのですから、「どんな修行をしたのですか?」と聞いてくれればもう少し深いものが引き出せたかもしれませんが。しかし尊敬してしまったのでもう突っ込めなくなってしまったのですかね。(笑)

参加者

びっくりしたでしょうね。宗教家に会いに行ったら科学や映画の話がこれだけ沢山出て来て、映画は一晩置きに見ていると仰るのですから、想像とは全然違ったでしょうね。

楳木代表

そうですね。だから我々も月に一回位は映画を見に行くといいですね。御在世当時はテレビのロードショーも無い時代でしたから。しかし、今は家で殆んど毎日のようにテレビで映画をやっていますから、一日置きとか週に一回くらい割合で映画を見て、メシヤ様に近づこうというアプローチもいいかもしれませんね。

参加者

これを読んでいると、意外と文学とか映画とか文化的なものと科学的な部分というのは、信仰生活を目指している人の中で、もしかしたら抜けがちな面かもしれません。

楳木代表

それは大いにそういう点はあります。どうしても信仰というイメージからいくと、修行しなくてはいけないとか、ストイックになってしまったりしてしまいます。ここはやはり、《メシヤ様は主神様の御経綸の下に御神業を進められているということ》と、それから《主神様の御啓示を以って御神業を進めているというところ》の違いだと思います。ですから科学というものを非常に高い位置から見つめているので、対極的にはなっていないのです。さあ、これから科学もどんどん進んでいくので非常に楽しみです。

参加者

我々も勉強しつつ、知識を高めていかないといけないですね。

楳木代表

そうですね。だから先程の話にも出ていた通り、ハイブリッドからさらに進んで電気自動車になっていくわけだから。その時にはコンビニを電気スタンドにして買い物の間に充電できるような計画があるようですが、相当な電気を使う事になりますから、そういう整備がキチンと出来ないと電気自動車は普及していけないところがあります。 今年ベンツもハイブリッド車をいよいよ売り出しましたが、ちょっと高すぎるので手が届きませんね。

参加者

トヨタの車は200万円代で買うことが出来ますから、経済的ですね。ところでベンツはいくらするのですか?

楳木代表

ベンツは1400万円位です。(笑)Sクラスですから。ベンツは一番大きいのから出すからいかんのでね。小さいBクラスやAクラスから出せば300万ちょっとで売り出せるけど、いきなり1400万円じゃあちょっとね。

参加者

家が建ってしまいますね。

楳木代表

本当に建ってしまいますね。

参加者

昨日、テレビの《ふしぎ発見》で鉄人28号のことをやっていました。10万馬力だと言っていましたが、今でいうジャンボ機のエンジンと同じくらいの出力だそうです。あの時代昭和30年代はアトムも10万馬力でしたよね。

楳木代表

今、ホンダが自動一輪車を遂に開発して、あれも市販になれば。一輪車になってて、腰掛けて体重を移動するだけで倒れることもなくどこでもいけるというものです。安定もしています。足の不自由な方々に使ってもらえば便利ですよね。セグウェイという自動二輪車は警護に一番使いやすいということです。非常に科学というものは進歩していて、これからも進歩していきます。だから宗教面がもっともっと進歩していかないと、どうしても科学のほうが追い越したような状態に今はなってしまっています。

これではメシヤ様の本来の理想世界にはならないから、我々が頑張っていかないといけません。

参加者

多分メシヤ講座を読んですごく反応される方は、そういったことが書いてあるからだと思います。他ではあまりそういうものは見ないですから。

楳木代表

御教えをアップしているホームページはいっぱいあるけれど、それをどのように解釈していくかということが大事ですね。

参加者

今、仰ったように科学や医学を高い位置で見ているわけですけれども、否定的に見る人が多いですよね。

楳木代表

そうね。これはやっぱり主神様のお立場でないと解けない部分があるので、だから信仰の対象も主神様にしておかないと、そういう非常に高い見識を身につけることは出来ません。

○○君、この前HTVがドッキングしたところをテレビで見ましたか?

宇宙ステーションにグーッとくっついていったでしょ。

あれなんで難しいかという説明を聞いたかい?

秒速何キロだったかね?一秒間に何キロも移動している訳だね。特に宇宙ステーションは地球の周りを90分で一周している訳だから、そばにいたらものすごいスピードだよね。あっという間に動いているんだよね。

参加者

品川から浜松までひかりで90分ですらね。その時間で地球を一周しているのですね。

楳木代表

結局そのスピードでないと。それよりスピードが上ると地球から離れてしまいますし、それより遅いと地球に落ちてきてしまいます。だから落ちない一定の距離で保つためにはそのスピードでなくてはならないのです。

そうすると、宇宙は一回加速させておくと、それであとは全く狂わないからね。あとは燃料がいらないのです。一回グーッとスピードを出して、エンジンを止めると一定のスピードでずーっと行くのです。便利といえば便利です。

で、それに追いつきながら徐々に近づいていかないといけないのですから、秒速何キロというスピードにくっついていかないといけないのですから、それが難しいのです。

しかも、スペースシャトルの場合は見ながら近づいていけますが、HTVは遠隔操作です。種子島で打ち上げたものを筑波で遠隔操作しているわけだからね。ゆっくりと動いてくれれば良いですが、そんなものではありません。

参加者

絹みたいな薄い生地で1200度まで耐えられるという実験を昨日テレビでやっていました。

楳木代表

そういうものを宇宙服に使っていくのです。結局宇宙というところは不思議なところで、太陽光線が当っているところは150~160度位まで上っていきますが、当らない方は-100度位まで下ってしまうのです。ちょっと回転しただけで、差が250度位変わってしまうのだから、宇宙服というのは、今のような生地を何枚も重ねて作らないと対応できないですよね。

参加者

そういう宇宙服の開発ができたから、宇宙に行けたというのが事実なんですね。メシヤ様が『宇宙に住めない』と仰ったのもそういうことなんですね。

楳木代表

そうです。普通では宇宙には住めないんだからね。そんなことは当り前のことです。宇宙服もあんなにごわごわしたのではなくなってくるかもしれません。

いつも着ている洋服のようなもので行けるようになるかもしれません。だから○○君が「宇宙に行こうか。」という頃にはだいぶスマートな宇宙服になっているかもしれませんね。

 

【御教え『栄光』百五十九号 昭和二十七年六月四日】

『宇宙以外に生物はなし』

外国の天文学者は、余程前から火星に生物が居るとか、運河があるとかいう説を唱えていたが、私は以前火星には生物はなしと記(か)いた事がある。処が近頃になって火星無生物説を唱える学者もボツボツ出て来たので、私は愉快に堪えないのである。という訳でまだまだ現在の天文学は幼稚極まるものと私は思っている。処が近頃は月の世界への旅行可能として、準備している物好きな学者が英国辺りにあるそうだが、之なども実に気の毒な低位級な学者達である。

茲(ここ)でそれらに就て少しかいてみるが、此大宇宙には、地球以外に生物は決して生存してない事を断言する。そうして月の世界はいつもいう通り氷の塊りであって、其(その)冷さは到底零下何度などと人間が想像出来るような生易しいものではない。全く絶対無極の大氷塊である。だから若し人間が行けたとしても、一瞬にして石の如く氷結して了うと共に空気など一耗もない処の無と同様な世界であるから、先ず諦めた方がよかろう。という訳で望遠鏡に映る種々な凹凸は氷塊の不規則な一面である。序(ついで)だから太陽も説明してみるが、之も想像もつかない程の巨大な火の塊りであって、謂わば火の霊であり、火の体は地球の中心になっている火の塊りである。つまり此天と地とにある火熱が、氷塊である月球を溶解し、水素を造って地球活動の役目をしているので、海も、川も、雲も、霧も其(その)変化したものである。そうして星は地球を牽引しつつ、星自体の霊気を宇宙線を通じて地球に供給し、地球の活動を助けているのである。

以上の理によって現在学者が誇りとしている天文学なども、先ず原始時代に毛の生えたものと思えばいいので、全く唯物科学では此(この)謎を解くなどは痴人の夢である。処がいつもいう通り、現代科学は独り天文学ばかりではない。医学も農業も凡ゆる文化も右(上記)と同様の程度であるから、其(その) 盲点を明かにして科学のレベルを引上げるべく、私は現在骨を折っているのである。

参加者

アポロ11号が月へ行ったというのはすごい話ですよね。

楳木代表

そうだね。はるか昔に思えるよね。

参加者

日本の科学はすごいですね。

楳木代表

要するに、今までのスペースシャトルは外にアメリカの国旗が貼ってあるけれども、中身はほとんどが日本製だということです。部品部品をめくると日本の技術が入っているのです。ですからここでメシヤ様が『本当の日本人は一番偉い、素質は生来立派なものだと思っています。』と仰っています。それが科学によって一つ一つ証明されてくるわけです。日本人は劣等感なんか持たなくて良いのです。そしてその素晴らしいものが廃れないようにしていかなければならないのだか ら、そういう気持ちで子育てをしてもらいたいと思います。

参加者

どういうように育てたらよいのでしょうか?

楳木代表

ゲームもやらせても良いのです。指先が器用になっていくという意味でね。その代わり、時間をびしっと区切る、そういうことをやっていかないといけません。のめりこんでいくとまた頭がやられてしまいます。だから時間を区切ってやっていかないとね。

それとやっぱり手先の感覚はやっぱりね、とりわけ東大阪市の工場で鉄板を磨いたりして作り上げる人たちは指先で厚さを測っているのです。機械で測っても誤差が出てしまいます。しかし手で満遍なく触りながら削っていかないと。そういう感性は日本人が一番優れています。

参加者

そういう感性を磨くにはどうしたら良いでしょうか?

楳木代表

そういう感性が元々ある子とない子とがありますから。その感性があるかどうかを見極めるのが母親なのです。みんなある訳ではないですからね。まして自分にあるかどうかと言うのもあるし。そのDNAを受け継いでいるのですから。だからいろいろな体験をさせてあげるといいです。

そうすると感性がだんだんわかってきます。これが《「祈りの栞」に寄せて》の後ろから三番目の御教えからいただくものです。

 

【「祈りの栞」に寄せて】

人間とは

本来、人間というものは、神様の御目的たる理想世界を造る役目で生まれたものである以上、その御目的に叶うようにすれば、いつも無病息災愉快に働ける。これが不滅の真理である。

そうして神は一人一人それぞれの使命を与え、特徴を持たせ、生き変わり、死に変わり、理想目的に向かって前進せしめつつあるのである。

楳木代表

親というものは、あの御教えを毎日読んで。神様が特徴を持たせて下さっているのだから、その持たされている特徴を見出しながら、育てていかないとね。

そして、もうひとつ『生まれ変わり、死に変わり、理想目的に向かって前進せしめつつあるのである。』と仰っている訳だから、この子の生まれ変わりはどんなものかを母親はずっーと見つめておかないといけません。この子が50歳、60歳になっても。

60歳くらいになって本当の特性が頂点に達してきて、それから世の中に一挙に役立ってゆくようになるのです。60歳から役立ってゆくというのではなく、普通の凡人は60歳になった時、すべてが見えるようになるのです。その人のレベルで。最高のレベルの人と底辺のレベルの人と見える範囲は違うけれど、しかし60年間過ぎると、すべて干支を経験してしまうのです。人生の悲喜こもごもを。

そうした上において“このような事はこういうもんだ”というようなことが見えるようになってくるから、「自分の持っている特性とはこういうものだ。」と60歳にの時に判ってきます。しかしその頃になってくると、体があちこち痛くなってくるので無理が出来なくなってきますから、「自分はこれが大事だからこれを大事に。」という生き方になってきます。そして「自分にはこれは無

理だ。」ということが明確にわかってきますから、出来るところをさらに打ち込んでいくというようにしていけば良いのです。

私も子供達と一緒に徒競走をしようかと言ってもね、もう足がもつれて仕舞います。○○君と一緒に走っても、運動靴を履いて走れば負けないかもしれないけれど、普通の靴で一緒に並んで走るともう負けてしまうかもしれません。 (笑)

でもしかし、メシヤ様の御教えからいくと120年生きれる訳ですから、そこから60年間、世の中のために役立っていけるようにならないとね。60歳はまだまだ出発点だから。

参加者

子供を見るときに固定観念が邪魔をしてしまいますが、その時にはどうしたら良いですか?

楳木代表

多少親ばかでいかないとね。余り冷静に見すぎていくと、がっかりしてしまいます。「やっぱりうちの子は素晴らしいところがある。」と思っていかないと。ある程度親ばかでいいと思います。だから比較するのを余り高いところでもいけないし、あまり低すぎてもいけないし、そういう点では、叡智を持って。

メシヤ様は『叡智を持って子供を育てなさい。』と仰っているのだから、叡智を磨く方向に自分で進んでいってください。だから何かを取っていくというのではなくて、《自分の叡智を磨いていこう》という気持ちで御教え拝読を重ねていってください。

御教え拝読もしすぎる人にはメシヤ様が『御教えばかり読まないで小説を読みなさい。』と仰っているのだから、やっぱり御教え拝読は一日30分にして、あとは様々な書籍に目を通してください。

 

【御教え 『光』二十三号 昭和二十四年八月二十日】

五智を説く

単に智慧といっても種々ある、今それを分類してみよう、先ず最高は神智、次は妙智、叡智、才智、奸智の順序で大別して五段階になる、私は名づけて五智という、之を一つずつ説いてみよう。神智とは最高の智慧で、之は普通人には得られない、特別の人間が神授の智慧で、それはその人が重大使命を神から委任されたからである、昔から「学んで知るを人智と言い、学ばずして知るを神智」と言うが、一言にしてよく表わしている。

妙智というのは、観音妙智力などといい、前述の神智に対し仏智ともいうべきもので、神智は男性的とすれば妙智は女性的ともいえるので、妙の字が女偏であるのも面白いと思う。

叡智とは、賢明な人間が表わす智慧で、仏教で智慧証覚とか、単に智慧というのは之を指すのである、然(しか)し今の世の中は此(この)叡智さえも働かない人が、洵(まこと)に多いのである、それはいう迄もなく邪念の為に心が曇り、物の正しい判断がつき難いからである、此(この)例を一つかいてみよう、今日政治家は勿論の事、凡ゆる有識者と雖も或(ある)問題に対し会議をする場合、小さい問題でも、多数の人間が何時間も掛って頭をひねらなければ結論が見出せない、少し大きな問題になると十数人或(あるい)は数十人が額を鳩(あつ)め、侃侃諤々(かんかんがくがく)の議論を闘わし、何回も何日も会合しても仲々結論を得られないというのであるから、如何に頭脳の働きが悪いかという事である。

考えても見るがいい、如何なる問題と雖も結論はたった一つである、決して幾つもありよう筈(はず)がない事は誰しも知っていながら、それが多勢の頭脳と幾日もの日時がかかるというのであるから、実に情けないの一言に尽きると吾等は常に思っている、之というのも全く叡智が足りないからで、叡智の足りないという事は頭脳が曇っているからで、頭脳が曇っているという事は邪念があるからで、邪念があるという事は唯物主義を信奉するからで、唯物主義を信奉するという事は神の実在を信じないからで、神の実在を信じないという事は神を信じさせ得る宗教がないからであるとすれば神の実在を如実に信ぜしむる宗教こそ、本当に役立つ生きている宗教といってよかろう、斯様(かよう)に諄々(くどくど)しく言わなければならない事程左様に現代人は叡智が欠けているという訳である。

此(この)意味に於て叡智ある人は、如何なる問題に打つかっても、数分間乃至数十分間に結論を発見し得るのである、之に就て私は部下に対し、如何なる問題に当っても結論を見出すまでの論議は先ず三十分位を限度とし、長くとも一時間以上になる場合は、その会合を一時中止すべきであって、他日を期して再会議するか、又は直接私に相談せよというのである。

私の事を言うのは心苦しいが、私はどんな難問題に対しても数分間で結論を見出すのである、偶(たま)には急速に結論を見出し得ない場合もあるが、そういう時は強いて見出そうとしないで一時それを延ばすのである、そうすると日ならずしてインスピレーション的に必ず結論が頭に閃めくのである。

次に才智であるが、之は誰も知っている通り表面だけの浅智慧であるから一時的良くても時が経つと必ず失敗したり信用を落したりする、言い換えれば愚智又は鈍智とも言えるのである。

奸智は、之も読んで字の如く邪悪の智慧でいわば悪人の用いる智慧で悪智慧ともいう、之も世間にはなかなか多く、而(しか)も智識階級、指導者階級にも相当多いのだから社会が良くなりよう訳がない、故に斯ういう悪智慧が抹殺される日本になってこそ、明朗な社会が出現するのである、然らば此(この)奸智を抹殺する方法はありやというに、それは訳ない、悪智慧の発生地を全滅させる事である、その方法こそ神の実在を信じさせる力ある宗教の活動による外はない。

 

【御教え 光二十九号 昭和二十四年十月一日】

幸福の秘訣

幸福の秘訣などどいうと、何か特別の魔法でも使うように想うかも知れないが、決してそうではない、至極当り前の話である、ただその当りまえの事を世人はあまりに気がつかないのである。

今社会全般を見渡した時、真の幸福者は一体幾人あるであろうか、恐らく一人もないといってよかろう、事程、左様に苦悩の世界である、実に如何なる人と雖も失敗、失業、病苦、貧困、不和、懐疑、悲観等、実に首枷、足枷を箝(は)められ、牢獄に呻吟しているというのが有りのままの姿であろう。

先ず、誰しも平静になって考える時、こういう疑問が起るであろう、全体造物主である神様は、人間を造っておきながら、之程苦しませるという事はどういう訳であろうか、何故もっと不幸よりも幸福の多い世界にして呉(く)れないのであろうかと思わない訳にはゆくまい、と考えると何かそこに割り切れないものがあるに違いない、従而(したがって)その割り切れない点を誰しも知りたいであろうから、それを説明してみよう。

人間の発生した原始時代から今日只今まで厳然として存在を続けているものとしては先(ま)ず善と悪とであろう、之は真理である、そうして此(この)善悪という相反する性質のものは、常に摩擦し争闘しつつ、今以て勝負がつかないでいる、処が、よく考えると、此(この)善悪の摩擦によって今日の如き文化の発展を見たのであるという事も亦(また)真理である、此(この)事に就て私はよく質(たず)ねられた事がある、それは神様は愛であり、慈悲であるとしたら、最後の審判などどいって人間に悪い行をさせ、罪を作らせておき乍(なが)ら、それを罰するというのはどうも訳が分らない、最初から悪人を作らなければ罰も、審判の必要もないではないかと言うのであるが、之は尤(もっと)も千万な話で、実をいうと私もそう思っている、然(しか)し乍(なが)ら私が人間を造ったとすればその説明は容易だが、私と雖も造られた存在である以上徹底した説明は出来よう筈(はず)がない、強いて説明をすれば神の御心は斯(こ)うであろうと想像する以外、説明のしようはないであろう、とすれば、そんな穿鑿(せんさく)は有閑人に委せて、吾々としては現実を主とし、生ある間幸福者たり得ればそれでいいのである。故に何よりも右(上記)の根源を発見し実行する事である、ではその方法はといえば常に吾々のいう、他人を幸福にする事で、ただ此(この)一事だけである、処がそれに は最もいい方法がある、その方法を私は長い間実行していて、素晴しい好結果を挙げているので、それを教えたい為に此(この)文をかいたのである。

右(上記)を先(ま)ず簡単にいえば、出来るだけ善事を行うのである、始終間さえあれば何か善い事をしようと心掛けるのである、例えば人を喜ばせよう、世の中の為になら妻は夫を気持ちよく働かせるようにし、夫は妻を親切にし安心させ喜ばせるようにする、親は子を愛するのは当然だが、叡智を働かせて子供の将来を思い、封建的でなく、子供は親に快く心服し、愉快に勉強させるようにする、其(その)他日常凡ての場合相手に希望をもたせるようにし、上役に対しても下役に対しても愛と親切とを旨とし出来る限り誠を尽すのである、政治家は自分の事を棚上げにして国民の幸福を第一として凡て模範を示すようにする、勿論、一般人も一生懸命善事を行う事につとめ智慧を揮い、努力するのである、斯様(かよう)に善事を多くした人程幸福者になる事は受合である。

以上のようにみんなが気を揃えて善事を行ったとしたら、国家も社会もどうなるであろうかを想像してみるがいい、先(ま)ず世界一の理想国家となり、世界中から尊敬を受けるのは勿論である、その結果あらゆる忌わしい問題は解消し吾等が唱える病貧争絶無の地上天国は出現し人民の幸福は計り知れないものがあろう事は大地を打つ槌は外れてもこれは決して外れっこない。

処がだ、現在としての現実はどうであろうか、凡そ右(上記)と反対で、悪事を一生懸命しようとする人間が滔々(とうとう)たる有様で、嘘をつき人を誤魔化し、己のみうまい事をしようとして日も之足らずの有様である、実に悪人の社会といっても過言ではない、これでは幸福などは千里の先へ行きっきりで帰る筈(はず)はない。其(その)上困った事には、斯(こ)ういう地獄世界を当然な社会状態と決めてしまって、改革などは夢にも思わないのである、而 (しか)も吾々が斯(こ)ういう地獄世界を天国化すべく活動するのを妨害する奴さえある、之こそ自分から好んで不幸者となり、最低地獄へ落ちるようなものである、斯(こ)ういう人間を吾等からみる時、最も憐むべき愚人以外の何物でもないと共に吾等は之等の人間の救われん事を常に神に祈願しているのである。

あまり長くなるから茲(ここ)で筆を擱(お)くが、以上の意味をよく玩味すれば、幸福者たる事は、敢て難事ではない事を知るであろう。

 

御教え拝読について

参加者

御教え拝読をしていて、次へ次へと思うときにも30分でやめてしまったほうがよいですか?

楳木代表

いや、そういう気持ちになったときには徹夜でいいから読んでいけばいいです。しかし時間の無い時には30分御教えを読めば良いです。

参加者

自分の生活をよく見て拝読していけば良いのですね。

楳木代表

そうそう。そういえば86歳くらいで村会議員をずーっとしていた人がいるんだけれども、その人は寝室の枕元に一冊、居間に一冊、トイレにも一冊、本を置いてそれを毎日並行して読んでいます。そして御神前には御教えを置いてありますから、御教えも読んで、寝る前には小説の一項目だけは読んで寝る。だから、一冊読むのに一ヶ月かかってしまったりしますが、しかし同時にそういう風に読んでいますから、頭はとてもスッキリしています。

参加者

話は混ざらないのですか?

楳木代表

しかしずっとやっていると全然混ざらないのです。小説や哲学書等を。そういうのを同時に読んでいる人なので、話をしていても、とても頭がさえているのです。

参加者

切り替えが上手なのでしょうね。話は違うかもしれませんが、精神的な本ばかり読んでいると、例えばレストランで髪の毛が入ってしまうことが増えてしまった時に「どうしたらそれを防ぐことが出来るか?」という話で、「僕の心が‥」なんてそこまで心が出てきてしまうと、問題解決にはなりません。そこはもっと現実的に見なくてはいけなければいけないし、片寄ってしまうとそうでない時にもそれを持ち出してしまうことになってしまいます。

楳木代表

そうですね。

参加者

私も実践してみます。三冊くらい同時にね。

楳木代表

いやいや、今そんなことをしていたら、寝る時間がますます減ってしまいます。今のあなたの課題は睡眠時間をとることです。本を読むことよりも。通勤時間に本を読めるようでしたら、行きと帰りと別の本を読むとかそういうことをしないと。睡眠をとる時間をもっと確保しないと体が壊れてしまいます。

私くらいの体だと2、3日徹夜をしても大丈夫だけれども、その体で無理をしてしまうと神経にきてしまいます。するに神経を支えている繊維が弱くなっていきます。そのために私は無理をして食べて蓄えているのですよ。(笑)そうしないと無理が出来ません。

参加者

とてもやせてしまいました。

楳木代表

これは良くないね。もう一回体重を増やしていかないと。今は少し異常になっていますから、これを越えると体を壊してしまいます。だから睡眠時間をとることと、体重が増えるようにしていかないと。倒れてから改善しても駄目だから、倒れる前に改善しないと。

参加者

私は随分蓄えが出来たので、無理ができますね。

 

感謝だよ。

楳木代表

そうそう。無理できる体形になったという事に感謝しないと。

参加者

今まで蓄えがあったから無理が出来たということですね。

楳木代表

そうです。でももう限界ですから。私もこれくらい脂肪をためておかないと長距離は運転できないからね。

参加者

最近仕事で部署が移動になったら、体中からものすごい汗が出てくるのですが‥。来年の夏くらいまでにやせるといいなと思います。

楳木代表

最近やせたでしょ。腹回りがちょっとやせたと思いますよ。

参加者

汗がぽたぽた落ちてきます。

楳木代表

水蒸気の多い職場だから汗を余計に吸い出してくれるから、職場としてはいいでしょ。

参加者

体が大変ですがね。(笑)その汗は良い汗ですか?

楳木代表

動かして出す汗はいい汗です。その代り塩分をしっかり摂らないといけません。ビールばかりではいけませんよ。(大笑)

参加者

顔から汗が出ない人がいるのですが、そういう人もいるのですね。

楳木代表

その人はやせてない?

参加者

特別やせてはいません。

楳木代表

その人の体質かな。太っているとこの辺から(頭の後ろ)も汗が出てくるよね。

参加者

出てきます。

楳木代表

運動しているとバーっと出てきます。それは体形にもよります。今、自転車も20分こぐと汗が出てきます。10分くらいでは出てきませんが。一生懸命こぐとね。

参加者

先日、子供が運動会の途中、お昼ご飯を食べる時に気分が悪くなって動けなくなってしまい、帰りたいと言い出しました。午後のリレーをとても楽しみにしていたのですが、それでも「誰に代わってもらおう。」と言い出してしまうほど調子が悪くなってしまいました。よく聞くと、朝の開会式の途中から様子がおかしかったようですが、お昼になってますます悪くなってしまったようでした。昼休みでしたので、私の母に浄霊を取り次いでもらったところ、少しずつ良くなり、リレーの頃は気分が悪くなったことを忘れてしまうほど元気になりました。

楳木代表

それは良かったですね。

参加者

また別の日には、子供が茹でこぼしたお湯を入れた中に手を入れてしまい、「お母さん、熱い!手がジューっていった」と言って泣き出したこともありました。その時も「痛い。痛い。」としばらく言っていたのですが、浄霊をさせていただいたので、何事も無く過ごすことが出来ました。

楳木代表

それは日々奇蹟ですね。

参加者

当り前になってきてしまっているような気がしていけないなと思います。

楳木代表

だから感謝の気持ちを、その都度、新たにしていくということが大事な事です。奇蹟は日常的に起きたほうが良い訳だから。日常的に起きて、その都度感謝の気持ちを絶えず広げていく様にしていかないとね。あまり自虐的になってはいけません。「当り前じゃいかんよね~。」ではなく当り前で良いのです。

ただこれを《メシヤ様と繋がっているから毎日奇蹟をいただけるんだ》と。そういう感謝の気持ちを絶えず膨らませていかないと。そうすると御教えにある『感謝が感謝を生み、不平が不平をよぶとは、正に真理だ。何となれば感謝の心は神に通じ、不平の心は悪魔に通ずるからだ。

此(この)理によって、常に感謝をしている人は自然幸福者となり、常に不平や愚痴を言う人は不幸者になるのは事実だ。』という御教えに繋がっていきますから。

だから絶えず、子供達がうるさいことを言っても、必ず、「そんなんでは駄目だよ。感謝をしていかないといけないよ。」と言って終らせるように。そうなると今度は自分がなんか言ったときに、子供から「お母さん、感謝だよ。」と言われるようになるから。そうなった家庭は素晴らしい家庭になって行きます。みんなで感謝を育てていかないとね。

そうすると

『神に通じるんだ。不平、不満を言っていると悪魔に通じるんだ。』

という理を覚えておけば、自分が幸せになって行きます。健康になっていく基は《感謝なんだ》というように、絶えず塗り替え、塗り替え、上塗りしていって下さい。

それにしても、リレーに出ることが出来てよかったね。それは日射病だったね。日射病の時には、後ろ頭と、耳の上を浄霊すれば治ります。耳の上のところが日射病の時にはやられていますから、そこを浄霊すれば、たちどころに良くなりますよ。おばあちゃんの浄霊が効いてよかったね(笑)

私も長距離を運転していると、夜疲れが取れなくなってきています。いつまでこういう車で移動を続けられるかね。

参加者

車の運転は神経を使いますからね。

楳木代表

そうそう。ここ(後ろ頭)がね、朝起きても疲れがまだこの奥に残っている時があります。やはりずーっと目を動かして運転しているから。運転免許の講習どおりの運転を着実に守っていますからね。渋滞した時に見る場所とか教えてもらったでしょ。渋滞をしているところを通りぬける時にどこを見て走れば良いかと。対向車が渋滞している時にはどことどこを見ていけばいいか、教えて貰った通りの運転をしていると、非常に疲れます。いつ何が飛び出してくるか、わからないしね。それに最近は動物がね、とにかく鈍くなってきていますから、いっぱい轢かれています。鈍すぎるんだね。人間が甘やかせているので、 感性が鈍ってしまい、すぐにぶつかってしまうのです。だって自分でえさをとらないでしょ。猫は時々ねずみを捕まえないといけないのに、そういうことをしないので、猫が一番轢かれています。それをよけるのが大変です。鈍い動物達が増えて困ってしまいますね。

 

人間にとって《笑う》ということが一番貴重な事

参加者

さっき特性の話をしていましたが、私の特性は「いつも笑顔でみんなと接することかな?」と、この頃思ってきたのですけど。仕事場でもそれを認めて移動になったようです。

楳木代表

人間にとって《笑う》ということが一番貴重な事ですよね。ただ特性というのは、仕事に就いたときに、手先がどうだとかいうのも特性の一つですから。で、《いつも笑顔を絶やさない》というのは良いものです。人間としてね。やっぱり、浄まっていったり、健康になっていかないと良い笑顔は出来ないから。上司がそういうところを認めて、そういう配置をしてくれたというのは非 常にありがたいことですね。

参加者

自分もいつもそういう気持ちを持っていかないといけないなと思います。

楳木代表

そういう気持ちでもっとここへ大勢の人が訪ねてくるようにしないとね。職場でいろいろな人とお話をして、次にメシヤ様のことを教えてあげれるようになるとありがたいと思います。

 

わかりやすい排泄作用

参加者

8月にご指導をいただいたとおりに浄霊を続けましたら、お蔭様で、心臓も全然痛くないし、食べても違和感がなくなりました。それから、腰の痛みもだいぶなくなりました。友達からも「顔色が大変よくなった。」と言われるようになりました。ありがとうございました。

楳木代表

よかったね。

参加者

恥ずかしい話ですけれども、白い下着のゴムのところに色が付くようになりました。最初に緑色、で、その後最近では茶色になってきました。

楳木代表

それは汗と薬毒が出ているのです。昔飲んだ薬が出ているのですよ。だからそれがずっと出て行けば、安心した生活ができるようになります。でも、そういう話は始めて聞きましたが、非常にわかりやすい排泄作用です。

参加者

洗ってもとれない汚れです。

楳木代表

洗っても取れないのはよっぽど強烈な毒素です。例えばお亡くなりになった方の遺骨を見る時に、病気した人によって、病気した場所に薬の色が付いているのです。

遺骨に詳しい人は「この人は何々の病気でしたね。」と当てることが出来ます。

骨の場所に色が付いているんです。緑になったり、青くなったり、 黒くなったり。

参加者

私の母親がそうでした。白内障の手術をしたけれど、目がよく見えなかったようですが、お骨になった時に目の横か後ろが黒くなっていたので、「これで白内障が治らなくて、よく見えなかったんだね。」という話をしたことがありました。

楳木代表

それは白内障ではなかったのです。神経の方が悪かったのです。

薬がそこに集中してしまっていたのです。

参加者

血圧の薬を何十年も飲んでいました。

楳木代表

それですね。それのせいで、そこの神経を毒素が圧迫してしまっていたから、 見えなくなってしまったのです。白内障は表面の問題です。横や後ろが黒かったというのは神経の問題です。薬が溜って、神経を圧迫しているから、ボーっとしか見えないのです。

参加者

腰が痛かったので、腎臓をよく浄霊をしていたからから、余計下着についたのですかね。

楳木代表

浄霊をするときには腎臓が大事ですが、腎臓が痛くなり始めたら、もう終わりですからね。腰が痛いのは腎臓ではないです。

参加者

では腰が痛かったというのは‥。

楳木代表

それは神経です。頭から脊髄を通って、脊髄から骨盤を刺戟して痛いのです。

そういうものを外に出してもらえるというのは大変ありがたいことです。

 

[メシヤ講座no.105浜松支部 2009(平成21)年10月]