メシヤ講座no.102日月地 (平成21年7月その2)

楳木先生への質疑応答6〜御神名について

 

楳木先生 真理というものは、あまりにも、わかりやすいので、かえって、有り難みを感じ辛いのかも知れません。わからないものの方が有り難いという様に思わせられている傾向が現代人にはどうしてもあるのです。

 

質問者  天津祝詞も大変わかりやすいものですし、善言讃詞の内容も、長くて難解な観音経を短く、現代人に理解しやすいようにまとめたものであると教えられています。

 

楳木先生 信仰歴が長く、善言讃詞をずっと唱えて来た人が、意外と善言讃詞の中身を吟味していない場合が多いのです。これを吟味して考えてゆきますと、「敬(うやうや)しく惟(おもんみ)るに 世尊観世音菩薩(せそんかんぜおんぼさつ)此土(このど)に天降(あも)らせ給(たま)ひ 光明如來(こうみょうにょらい)と現(げん)じ 應身彌勒(おうしんみろく)と化(か)し 救世主(メシヤ)とならせ 大千三千世界(だいせんさんぜんせかい)の三毒(さんどく)を滅(めつ)し・・・」とありますね。みろく大御神は、この「應身彌勒(おうしんみろく)と化(か)し」の部分があるからみろく大御神なのだけれども、その「みろく」は、善言讃詞の「彌勒」と、それぞれの教団が使っている「みろく」とでは漢字が違います。

 

質問者   「大光明真神」「五六七大神」「大光明」という御文字で「みろくおおみかみ」と読ませていますね。「おおみかみ」なのに「大御神」ではなく「真神」「大神」である事には疑問を感じます。また、「大光明如来」のままで同じ御神名の教団もあります。

「彌勒」は、「五六七」であり、「日月地」であり、「火水土」であるという様にも教えられています。

 

楳木先生  そこに疑問を持って信仰している人が、いたりいなかったりです。

 

質問者  確かに、改めて言われないと、「これは、そういうものだから」という安易な解釈で通り過ぎてしまいがちな部分です。

 

楳木先生 それで、最終的に、メシヤ様は「救世主(メシヤ)とならせ」と付け加えられているのだから、御神名としては、「メシヤ大御神」という御神名がふさわしいのではないかという所に到達すべきですけれど、そこへ到達した人はほとんどいません。

 

質問者  私自身、もう完全に生活習慣の中で、かなり長い年月「みろく大御神」と唱えていました。そういった中で、「メシヤ大御神」様と「主之大御神」様はどの様な認識の元に区別すればよろしいのでしょうか。現に、昭和二十五年六月十五日に「メシヤ降誕仮祝典」が行なわれている訳なのですが・・・。

 

楳木先生 「メシヤ大御神」様となった時に、これは、御在世中の場合は、メシヤ様の腹中にお祈りを捧げるという事になる訳で、「メシヤ降誕仮祝典」の時に、メシヤ様ご自身に向って皆で祝詞を奏上したという事は、これは、現身(うつそみ)を持っておられる御方という事で、参拝するという事においては最高の形であったのですが、そこで考えるべきなのは、何故その時に「仮祝典」としたのかという事なのです。

 

質問者  翌昭和三十年の三月三日に本祝典が予定されていたのですからね。

 

楳木先生  この本祝典をどう捉えるかという事について、「救いの御光をお出しになる『光の玉』からすると、お邪魔である肉体を離れられて神界に帰られるから、更なる救いの展開がなされる。その本格的な救済の開始を本祝典と言うのではないでしょうか」と、今月の三重支部でのメシヤ講座で話題に上りました。

 

質問者  それは、メシヤ様が御昇天される前からそのような解釈があったという事ですか。

 

楳木先生 いや違います。今諸々の御教えを拝読した結果、考えてみると、そういう事なのではないかという解釈です。メシヤ様御自身も、120歳迄は生きられるおつもりで、そこで御昇天される事を考えられていなかった訳ですから、誰も、本祝典の意味がわからないまま、今日まで来たのではないかという事も考えられます。

 

質問者  だから、メシヤ降誕仮祝典の事も、本祝典の事も、いつの間にか話題に上らなくなってしまったのですね。

 

楳木先生  メシヤ様が神界にお帰りになったことを考えてみた時に、その、お帰りになった御本体、最高最貴の神様にお祈りする時に、「メシヤ大御神」と唱える事が本当にふさわしいのかどうかを、次の段階では、もう一度問わなければならないのです。

 

質問者  メシヤとならせこの世で救世の活動をなさったメシヤ様が、神界にお帰りになって、まだ救世主である「メシヤ大御神」で良いのかという事ですか。

 

楳木先生 そういう事ですね。救いの御力をいただく時には「メシヤ様」とお祈りしたくなりますね。また、万物の生成化育、地球の存在や太陽系の運行、宇宙そのものに対する感謝を捧げる場合には「主神様」という思いに至りますね。そうした時に、もう一度メシヤ様が説かれたのは一体何かという事を考えてゆかねばなりません。メシヤ様は、「主神様」の御経綸を説かれて、そして、「主神様」からの御力だからこそ、絶対力を発揮するという事を、御教えの中で幾度も説かれている訳です。そこで、私達が最も大きい御祈りからすると、その御本体である「主神様」にお祈りを捧げることが不可欠であります。「主之大御神」様という御神名が最もふさわしいという境地に至った次第です。基より、それを簡潔明瞭にまとめられているのが『世界救世(メシヤ)教教義』です。

 

[メシヤ教浜松支部にて 2009(平成21)年7月12日]