<今月の御教え>
「明主様(メシヤ様)とダヴィット女史 ジャーナリスト会見記」
【メシヤ講座 浜松支部】
メシヤ講座no.102 ご対談記を拝読して
楳木代表
今月はダヴィット女史という博物館の副館長をやっている人とのご対談ですので、専門的な質疑がされています。美術の突っ込んだ内容になっています。
ここで心に留めておいてもらいたいのは、メシヤ様が何故美術館を造られたのかということです。それは美術品が財閥や華族の倉の中にしまってあり、いろいろな所に点在し、中々庶民が目にすることはできませんでした。ですからメシヤ様の下に集め、美術館で公開し、多くの人に素晴らしい美術品に触れてもらいたいという願いが根本にあるということ、しかもこのような方が我々の教祖にいただいているということが最も誇るべきことなんだ、いうことを心に留めていただきたいと思います。
それからいろいろな美術品の名前が出ていますが、仁清の壺として有名なものは〈藤壺〉があります。
それとこの〈藤壺〉に世界的には匹敵するといわれている青磁の壺に〈青磁大壺〉というものがあります。これはかなりのものですが、日本でできたものではないので、国宝にはなっていません。しかしクラスは国宝級です。なぜかというと昔の中国では戦の報奨金がわりに渡したものなので、非常に完璧なものしか残っていません。報奨金として渡すものですから、少しでも歪んでいるとかいう、いわゆる訳ありものは全部割ってしまっているのです。ですから、良いものしか残してありません。
そしてこの土中物と書いてあるように、戦で土の中に埋まったことのあるものもありますが、メシヤ様のところに集まっているものは土の中に入ったことのない非常に完璧なものが集まっていますのでとても素晴らしいのです。
ですからMOA美術館に行ったときには〈青磁大壺〉をそういうものであるというように観ていただきたいと思います。日本で出来たものでしたら国宝級なんだというように捉えていただきたいと思います。
それから最後の方に『因果経から大和絵になって浮世絵になるのです』と仰っていますが、これはいわば美術史の中の絵画史の流れを明確に答えていただいていますので、これを読んだだけで日本の絵画の歴史は大体分かります。
『日本人の中でもそこ迄解っているのは少いです。』と仰っていますように、これがわかった以上はみんな少ない優秀な人になったということです。(笑) 素晴らしいことですね。
ここにある〈牡丹蝶文吐魯瓶〉はMOA美術館で観たことがありますよね。
参加者
覚えがないです。(笑)
楳木代表
吐魯瓶という形、口の割に小さい壺で、白い地に黒っぽい図柄の牡丹と蝶がある、非常に素晴らしいものです。因果経は皆さんよく知っていると思いますが、お釈迦様の悟りの過程などの文章があって、それに絵が描かれているものです。あれが大和絵の元になっているということです。かなりの美術講座になります。ここにでているものをすべてインターネットで調べてみるとどういうものかすぐにわかります。
参加者
大和絵というのは?
楳木代表
平安時代からの絵巻物が代表例です。やがて狩野派などに繋がってきた日本画のことです。
湯女は観たことがありますか?威風堂々と湯女が歩いているのが描かれています。白鶴美術館という名前も出ていますので、そちらに何があるか調べてみましたか?良いものが沢山ありますので、関西に行ったときには寄ってみる価値があります。
金襴手というのは金襴みたいな絵付けがしている焼き物のことです。織物の金襴があるでしょ。そのように見えるように焼き付けているのです。
釧路について
参加者
釧路のことが書かれているところがよくわからないのですが‥。
楳木代表
釧路が最初に開けたから、この“くしろ”という言葉を認識するためではないでしょうかというのを濵口博幸さんが発見したことです。
「神風串呂」の「くしろ」と釧路は言葉の響きが同じで、「そのことを認識するために釧路があったのではないでしょうか?」ということです。
メシヤ教の中で当初、御神体御奉斎を許されたのが、浜松、川崎、東京、釧路という順でした。
だから「釧路も必ず何かつながりがあるはずだけど、見つかりませんか?」と言って探していたのだけど、線では見つかりませんでした。
線自体の意味が串呂だったのです。だから線上に三つ以上重なっているでしょう。それには大変な神意があるのだと言うことを“くしろ”という言葉で、偶然重なった訳ではなく、そこには絶対なる御神意があるということを、釧路という地名でわからせたのだ、ということではないでしょうかと気づいたので、「正にそうだね」ということになりました。
だからメシヤ教の進めている御神業は形は今は小さいけれど、絶大なる御神意が流れていると言うことを充分みんな自覚して、認識して今後も一層御神業を進めていただければ、大いなる見守りがあると言うことを濵口さんが見つけ出してくれたということです。
青い光が輝いている
参加者
北海道の「伊都能売観音様」の御前で浅草寺の異変を聞かれたということですよね。
楳木代表
リンクを貼ってあります。そこに音をたててはねて割れたと書いてあったでしょう。
参加者
夢で御神前にいて、青い光が輝いているのを見たのですが‥。
楳木代表
前後はどうでしたか?
参加者
沢山の方が御神前にいたということしか判りませんが‥。
楳木代表
そういう状態になりなさいと捉えたほうが良いですよ。「そういう気持ちになれば光をどんどん授けますよ」というメッセージと捉えたほうが良いですね。
ホームページによって役割を担っているということですから、これらの役割をこの近くでももっと果たしていけるようにメシヤ様が後押しをして下さっていると考えて、いろいろな人にお話をして貰いたいと思います。
「ミニ・メシヤ講座」
楳木代表
布教はしようと思ったらどこででも出来ます。
この前、夜遅くなって食べるところがなくて、たまたま入ったホルモン屋さんである本を読んでいたら、「それは洋書ですか?」と声を掛けられて、いろいろお話をしました。
そのうちに話に花が咲いて古代文字の話になりました。
そして最後にお酒の話になり、ビールは不純物の入っているものは健康によくないと、ウィスキーも丁寧に作られたものは良いけれど、添加物が沢山入っているものはよくないと、日本酒は醸造アルコールの入っているものは肝臓によくないと、人間の体の健康を維持するためにはそういうものが入っていないものを口にするべきで、せっかく良い肉を提供しているのだから飲み物にも気をつけたほうが良いですよと「ミニ・メシヤ講座」のようになりました。
すると一見さんで、循環器系の血管を切ったり貼ったりしている外科医が来て「自分達は手術をしているが血管は何箇所しか留めていない。ミシン縫いをしている訳ではない。血管は何箇所かしか留めず、あとは血管同士で繋がっていく。だから医者のやっていることは留めるだけの仕事である。あとは全て肉体が作り上げていく。」と話をしていたという話が出て、それから医学革命に関する話が盛り上がり、そこで話していることは実質的には御教えを話しているのです。
次回行って、またその話になって、御教えを話したときに、「それは誰の説ですか?」と聞かれたら、「それは実は岡田茂吉という御方がいて‥」というように2回目、3回目になって初めて《岡田茂吉》という御方の名前を挙げて伝えてあげると、相手の中にメシヤ様のご存在を認識することができます。
しかも、向こうもいろいろなお客さんからいろいろな情報を聞いていて、それを聞かせてもらえるわけですから。医者がどんなことを話しているのかという、貴重な言葉ですから。
〔血管は医者が治すわけではないのだ、結局自分が治すのである。自分で治していくときには浄めたほうが絶対的にいいのである。だから浄霊の効果がさらにあるのだ〕ということが、そういうことの話の中で自分の中に信念体系がどんどん出来てきます。
そのためにはどんどん話しをぶつけていかないともったいないのです。黙っていて、言おうか、言うのをやめようかと思っているだけでは全然進みません。
だから話をするとまた相手が知っていることを話してくれますから、それによって知識を増やしていきます。
私たちの一番中心にはメシヤ様というご存在があるのですから。そのメシヤ様のご存在の周りに御教えがあり、そして現在の知識というものがその周りについていくと、その人の思想体系というものがものすごく素晴らしいものになります。
そのためには布教していかないとそういうものは生まれてきません。
それが人生の学びともなってゆくのです。
だから是非いろいろなところで口を開いてください。
参加者
メシヤ様の御教えだと言って話すのではないのですか?
楳木代表
自分が勉強して知っているのだというように話していかないと。いきなり「メシヤ様がこのように説いていますよ」なんて言い出すと、みんな引いてしまうでしょう。
参加者
そのようにお話をしていると必ず最後にそれはどうやって知ったのですか?と聞かれますから。
楳木代表
そうです。そうやってきかれた時に初めて答えればいいです。
参加者
相手が興味を持ったときにということですか?
楳木代表
そうです。それまでは自分の考えのように話せばいいのです。(笑)
参加者
それが結局メシヤ様を世に出すことになりますからね。
楳木代表
その通りです。一番根っ子にはそれがありますから。メシヤ様の名前を言いたいのだけれど、最初から言ってしまうと相手が引いてしまいますから、最後まで仕舞っておいて、聞かれたら言えば良いです。でも一回目では言いません。「まだ早いから、次回にするわ。」というくらいにして、すぐには言わない。そういう風にして上手に話をしていくと、メシヤ様にバチッと繋がるようになります。
【御教え 地上天国第九号 昭和24年10月25日 妙智之光】
(お答えの一部より)
『すべて物事は漸次進んでゆくことがよくそれが順序である。突然変わるのは本当ではない。例えば新しく教導所を開く場合、最初はできるだけ小さくする。人間が赤ん坊から育ち一人前になるごとく、また草木の種子がだんだん二葉から大きく育つ。それなら根が張り枯れたりなどしない。これが大自然の実相だ。私などこの仕事は六畳一間から始めた。信仰も最初は種蒔きであるから話すだけにしておく。それが育つに従い先方が耳を傾ける程度になったら雑誌新聞を見せる。そのうちに教修を受けたくなり教修を受けさす。そのうち病気が治ったりなどして光明如来様をお祭りする。このようなやり方で入ったのは信仰に動揺がない。急いで入信したのはいわゆる根が固まっていないから動きやすい。これはいかなることでもそうである。おもしろいもので最近新興宗教というと本教が一番目指されるが、決して一番になろうと思ったわけではない。これも最初が目立たぬようできるだけ大きく見せないようにした。この点世間とアベコベでその結果一番拡がったようだ。』
参加者
自信がなくて言い出せないのですが。
楳木代表
自分の体験が一番力になります。自分の体験というのは、歯の治療をしたときに浄霊というと難しいから「このあたりをすぐにもんでおいた方が良いよ」と自分の体験したことからスッと相手に話せば良いのですから。それが相手の救いに必ず通じます。
私も先月8千キロ車で走りました。雨の中が多かったので、ぐっと歯を食いしばることが多くて、乾き物を噛んだ時に奥の虫歯が割れてしまいました。そしてグラグラしだしたので、走りながら抜きました。半分は抜けたのだけど、もう半分は根っ子がしっかりしていて抜けなかったので、舌で押したりしていたら100キロ位走って抜けるようになったので抜きました。すると逆の虫歯が痛み出しましたので首筋を押してみると、凝りがありました。そこを運転しながら浄霊しました。ここは今も時折痛み出します。痛くなればまた首筋を浄霊します。
そのように歯で苦労している体験があるのですから、そのような体験から話をしていけば良いのです。そして人と触れ合うことによって体験が増えてきます。人を浄霊することによって。それで自分の体験がどんどん増えて自信を持って言えるようになります。自分の見たことや体験したことは自信を持って言えます。それがないと自信を持って言うことが出来ませんから。
これからそういうものを増やしていってください。子供が二人もいれば、子供を通して充分体験が出来ますから。「うちの子この前こうだったけれど、ここを押したらよくなったよ」とか話せば、他のお母さんたちはそう言うことをまったく知りませんから、教えてあげればみんな幸せになって行きますよ。みんなもったいないことばかりしているのです。親がちょっと気をつければ、子どもを元気にしてあげることができるのに、医者まかせにしているのですから。こんなにもったいないことはありません。
月次祭が一番大事
参加者
今回のメシヤ講座を孫と読み合わせをしました。その中に「最も重要なものが各支部・各拠点の月次祭です。神様が人間に合わせて最も御力を下さる日だからです。」とありましたので、孫にそのことを話しました。どこまでわかっているかはわかりませんが、読ませていただいて学ぶことができました。
楳木代表
なるほどね。「そういうところがわかったかもしれない」とか「どこまでわかっているかわからない」という考え方を捨てていかないといけませんね。参拝の姿勢については、しょっちゅう言っていかないといけません。特に月次祭の前日は、〔必ず言う〕とそのようにして育てていかないといけません。そうしないと大人が“一回言ったからもうわかったでしょう”というような気持ちを持つと腹が立ってしまいます。だから子供が「あ」という言葉を身に付けつけるまでに、親は何万回も言うわけですから。ですから、何回も何回も教えていかないとわからないことなのだという構えでいかないと「いつまでもわからないね」ということになってしまいます。
なぜ月次祭の時に「おめでとうございます」というか知っているでしょ?何がおめでたいのでしょう。
参加者
今まで無事に何事もなく生活できて今日を迎えられておめでとうございますということではないかと思います。
楳木代表
それも一つあります。で?
あのね、お祭りの語源と言うことを話したことがあると思います。
その一つに祭りというのは、真に釣り合うと書きます。=真釣り
これはなにが釣り合うのかというと、神様と人間が真に真釣り合うのだけれども、どういう風に真釣り合うのかというと先程の事になるのですが人間側の都合というのが一つはあるのだけれども、私の出張の関係で第二日曜日に浜松支部の月次祭をさせていただこうというように、これは私の都合に合わせていただいて皆さんが日程的に決めてもらって、毎月第二日曜日に月次祭をさせていただくという事を決めて、神様に御奉告させていただきます。すると、『それでは浜松の場合、第二日曜日に一番光を授けよう』という風に神様の方で準備をしてくださるのです。
そうすると、今度は、これは人間の都合で決めた月次祭だけれども、一旦そのように奉告すると、神様の側からすると、第二日曜日の月次祭に光を一番注いでくださって、みんなに力を下さる訳です。
そういう風に決った以上、人間の一ヶ月の生活は第二日曜日に合わせて毎月動いていくような生活をしていって、そして旅行の計画や法事、結婚式など様々なことがあるのだけれども、「第二日曜日だけは必ずここへ来よう」という風にみんな準備を重ねて、諸事情を乗り越えてくることが出来て、初めて神様と人間が真に釣り合うことが出来る、神意と人間のそういう思いが釣り合うことが出来るのです。釣り合うことが出来たので「月次祭、おめでとうございます」と言うのですよと、十何年前にお話しています。(笑)
参加者
メシヤ教が出来る前の話ですね。
楳木代表
そうですね。ですから聞いていない人もいますね。だからそういう風に〈万難を排してこの浜松支部に集まることができて、おめでたいことですね〉ということです。ですから“真釣り合い”ということを覚えておいてください。
では何故神様はそのように御力を下さるのかということを考えていくと、私達は日常生活の中で、結構毎日生活に追われています。
例えば子供がいると、今は夏休みですからそうでもないかもしれませんが、何時に起こして、朝ごはんを食べさせて、着替えをさせて学校に送りださないといけないと、そして次は幼稚園に、というようになってくるともう追われることが多くなります。
しかし人間というのはやっぱり正しいことをいつも心に思って、正しいことを貫いていかないといけないという、そういう存在だということが自分自身もわかっているので、少しでも課題を乗り越えていこうというように心掛けるのだけれど、やはり壁にぶつかってしまうことがあります。そして「私って弱い人間だな~」「駄目な人間だな~」「育てられ方が悪かったのかな~。やっぱり親が悪いんだ(笑)」なんて様々な言い訳を考えてしまいます。そして「だからこんな自分なのよ~」とか考えてしまいます。でも、こうして月次祭に来て話を聞くと「いやいや、親ではなかった。私が原因だったのよ~。私という魂がしっかりしないといけない。」というように思い直してまた進んでいく。すると、また一ヶ月が過ぎていくと、いろいろな思いがもやもや起きてくるので、それを月次祭ごとに一つは話を聞いて修正していくということと、それから壁をどうしても乗り越えられないときに神様というのは人間の正しい願いだけは必ず聞かないといけないという人間的に言うと掟があるのです。破ってはいけないのです。よこしまな願いは聞かなくてもいいけれど、正しい願いだけは叶えないといけません。
正しい願いをかなえてあげる時に、その願いを叶えてあげるのではなくて、本人が自分の願いを叶えるための力を神様は下さるのです。壁を乗り越えるときにはお尻を上げてはくれません。壁を乗り越えるためには、肉体的に言えば筋力や跳躍力がないと越えられませんから、その跳躍力を鍛えるための力を下さるのです。神様がヒョイと乗り越えさせては下さいません。そういうことが可能になるための最善の力を下さるのです。これが信仰の一番ありがたいことです。
【御教え地上天国四号 昭和24年5月25日 神に愛される】
『信仰の妙諦を一口に言えば「神様から愛される」事である。「神様の御気に入られる」事である。然らば神様はどういう人を愛されるかという事であるが、それは後にしてその前に先ず知っておかなければならない事がある。それは本教団の使命である。此使命たるやキリストの曰った世の終り、又は最後の審判、釈迦の言われた仏滅の世という時節が愈々迫り来った事である。之に対し神様や仏様は大慈悲心を発露させ給い、此世の大峠を一人でも多く無事に乗越させようとなさる事で、其方法として神様はどういう方法を御採りになるかというと、勿論人間を通して行わせられるのであって、その重大な任務の担当者として選ばれたのが私であると思っている。
何しろ未だ聞いた事も、見た事もないようなドエライ使命であるから、一介の凡人たる私として、些か荷が重過ぎるように思わざるを得ないのであるが、ただ委任の当事者が大変な御方で、世にも素晴らしい神様と来ているのでどうしようもない。まさか断わる訳にもゆかないという訳で、最初は随分疑っても見、反抗もしてみたがテンデ歯が立たない。神様は私を自由自在に操り、踊らせるのである。或時は有頂天に喜ばされ、或時は奈落の底へ落とされるような目に遭わされた事は一度や二度ではない。然しながら其度毎神様のなされ方が実に幽玄微妙にして、何ともいえない妙味があり、嬉しいような有難いような全く人生の醍醐味とでもいうのであろう。言葉では一寸言表わせない。恐らく此感じは世界中私一人だろうと思わずには居られない。
偖(さ)て、之から本文に取掛るが、最初に述べた通りの神様に御気に入られるという事は一体どうすればよいか。之が一番肝腎である。先ず神様の御気に入られるには神様の御嫌いな事はやらない事で、その反対に神様の御気に入る事を一生懸命やるようにする事である。之は誰でも常識で考えても判るように神様のお嫌いな事といえば道に外れる事で、即ち嘘を吐く事、他人を苦しめる事、社会に迷惑をかける事などである。処が今日の人は他人がどうなっても自分さえよければよいと思い、それを行動に表わすのがあまりにも多い事である。之が一番いけない。これでは神様のお気に入る筈がない。之に就て自分は今神様のお気に入られているか、或は嫌われているかという事を知らなければならない。それならどうして判断するかという事であるが、これを知る方法は実に簡単で、何等の手間ひまも要らない。すぐ判る。それを書いてみよう。
自分はどうも思うようにゆかない。物質に困る、仕事が発展しない、人の信用が薄い、人があまり寄って来ない、健康も面白くない、之ほど一生懸命にやっているのにどういう訳だか判らないという人がよくあるが、之こそ神様の御気に入らないからである。神様の御気にさえ入れば仕事は面白いように運び、うるさい程人が寄って来る。物質は使い切れない程入って来るという訳で、世の中がとても面白くなるという訳である。
之でほぼ判ったと思うが、斯ういうような幸福者となる事こそ初めて信仰というものの価値があるのである。故にせっかく信仰をしながら幸福がもし摑めないとしたら、必ず自分の心に原因が潜んでいる事を覚るべきである。』
楳木代表
やはり自分がまっすぐ歩んでいって正しい方向に進んでいこうという、そういうものに対して神様は力を下さるのです。その力を最大限に下さるのが月次祭なのです。ですから月次祭にくるというのは、信仰をしていく意義と同時に、信仰していく上において一番力を下さる月次祭を大事にしていけばその人は必ずいい方向に進んでいきます。それを今日また新たな気持ちになっていただいて、月次祭を大事にしていただきたいと思います。
だから先程外科医が言った話のように、血管が詰まったり、動脈瘤が出来たりしてどうしてもふさがった時には、医者は血管を切って繋ぎます。しかし繋ぐと言っても数か所パチッパチッと留めるだけなのです。しかもあとは自分の体が修復するのです。自分の体が修復する時にまた薬物を使ってしまうとまた新たな動脈瘤を作ってしまう可能性もあるのだから、そのときにしっかりと浄霊をしながら浄めていくと、血管が本来の形に繋がっていくのです。そういうものなのだという見方を持っておかないといけません。その浄めていく力を神様が自分に一番大きく下さるのが月次祭です。
そして、日常は御神体にお参りして力をいただきます。そういう意味でここに短い文章ですが体験記を載せたというのはこれからもいろいろな取り組みをしていきますが、やはり月次祭が一番大事であると言うことを受け止めていただきたいために、今回は最後に載せてあります。
今回はガンとか病気の仕組みについて少し触れているように、すべて自分の細胞なのです。元は。それが薬物などによって突然変異を起してがん細胞に変わり、増殖していくのです。ですから薬物の入らない生活をすると共に、元々は自分の健全な細胞だったのですから、バランスがとれれば健全な細胞になりますので、そのバランスをとるために浄霊が不可欠です。ですから浄霊だけで、変なものばかり食べていると浄霊でよくしている一方でがん細胞を作っていってしまうのです。浄霊がなくて良いものは食べていればがん細胞は出来ないけれど、もう既に出来てしまったがん細胞があるときには治りようがありません。そのときには浄霊をしてバランスをとって元の細胞に戻っていけば良いのです。ですからトータルで人間生活が変わっていかないと健康体を許されないので、是非浄霊を心掛けていただきたいと思います。そういう方々のためにガンの仕組みについて何行かに書いておきました。
参加者
孫に【メシヤ様のご精神を現代に求める】の中のメシヤ様が生活の中で生涯一貫して実践されたこととして書かれている、
・挨拶をする
・嘘をつかない
・時間を守る
・約束を守る
・整理整頓をする
・物を大切にする
・無駄をしない
・人の話を根気よく聴く
・言葉を大切にする
を話して聞かせたところ、何度も言っているうちに字が読めないのに本を広げて覚えて楽しんで言えるようになりました。
今度は「世界救世(メシヤ)教 教義」が言えるようになるといいねといっているのですが‥。
楳木代表
おととい五歳の男の子に「抑々(そもそも)」と言ったら「抑々(そもそも)」と言って、「世界の」と言ったら「世界の」と言って全部言うことが出来ました。
五歳だったらあの言葉はおもしろいですから、「抑々(そもそも)世界の」などと、ずーっとつなげて言ってしまうと大人は大丈夫でも子供には難しくなってしまいますから、こまかく言葉を切って言わないと最初は口が巧くまわりませんので子供には無理です。
また、15歳までは神経と神経の繋がっている網目が完成していません。
しかし15歳を過ぎると完成して、その後は壊れていくようになります。
しかしいくら壊れても大丈夫なくらい作り上げられています。
ずーっと壊れていても120歳まで生きたとして、ふつうに生きている人はその脳細胞の十分の一も使っていませんから、いくら壊れても心配しなくて良いです。ただ使わないと退化していきますからだめなので、年取ればとるほど使い続けなくてはいけません。
参加者
15歳まではその後の神経に関係があるということですか?
それまでに沢山完成させた方がいいということですか?
寝る子は脳が育つ
楳木代表
それは関係があります。
ですから15歳までは眠ることが大切なのです。眠ることです。15歳までは睡眠を十分取るようにしておかねばいけないのです。夜遅くまで勉強させてはいけません。
夜遅くまで勉強していたら15歳までは心配しなくてはいけません。いい加減寝なさいという風にして15歳までは過ごさねばなりません。
眠って一時間後から脳細胞が分裂し始めます。一時間たたないと分裂しませんから。
だから〈寝る子は育つ〉と昔から言っていましたが、あれは《脳が育つ》ことをいうのです。
参加者
体が大きくなる訳ではないのですね。
楳木代表
体は勝手に大きくなるから(笑)。
〈寝る子は育つ〉の〈育つ〉は〈脳が育つ〉のです。
参加者
高校に入るまでは受験勉強で遅く寝るのではなく、早く寝ないといけないのですね。
楳木代表
高校入学だけは勉強して入るのではなく、勉強しなくても入れる高校に入れば良いのです。
そのかわり大学へいく時はある程度勉強しないと入れませんから、高校生になったら勉強しなくてはいけませんが、中学の時はスポーツに集中して貰って、帰ったらご飯を食べながら眠るくらいにクタクタになって帰ってくるほうが良いです。
大分県の高校で、そこはラグビーが強いのですが、そこから毎年東大に二桁の人が行きますが、ラグビー部の人でも行く人がいます。
しかし全く勉強しないそうです。授業を聞いているだけで、東大に行くのです。一生懸命勉強して入っても、落ちこぼれになってしまいます。
だからどんなスポーツでクタクタになっても授業だけ集中していればいいところへ行けるのです。
参加者
最近遅くなると勉強をしたくなるようですが‥。
楳木代表
寝る時間になったら片付けさせれば良いのです。だから早く寝かした方が良いです。
浄霊の急所
参加者
口内炎が出来ていて痛いのですが‥。
楳木代表
胃が悪いので胃を浄霊して下さい。夕ご飯を食べて一時間以内に寝ると胃に負担がかかりすぎてしまいます。寝る前にどうしてもお腹がすいている時には果物を食べるようにすると良いですよ。
参加者
最近、首の辺りが息苦しいのですが。
楳木代表
顔と首の境に凝りがありませんか?
参加者
あります。
楳木代表
そこを重点的に浄霊してください。
参加者
さらに何もしたくないのですが。
楳木代表
腎臓が疲れているからです。腎臓を浄霊してください。
参加者
喉が渇いて仕方がないのですが。
楳木代表
胃の後ろを浄霊してください。夏なのでどうしても喉が渇きやすいので水分をしっかりと取ってください。
参加者
夜、子供が寝ぼけて走り回る時があります。浄霊をしようとすると嫌だと言って逃げるのですが。
楳木代表
追いかけて浄霊を続ければ良いです。
[メシヤ講座no.103浜松支部 2009(平成21)年8月]