メシヤ講座no.100日月地 (平成21年5月その2)

楳木先生への質疑応答3〜世界救世(きゅうせい)教三派について

 

質問者  世界救世(きゅうせい)教三派について話す時、まず念頭に置かなければならないのは、現在の様に、三派に分かれているという状況が「不自然」であり、本来の姿ではないという事です。私の知人、お世話になった方々は、三派何れかの組織に否応無しに所属せざるを得ない環境にあり、皆、今でも御浄霊を取り次いだり、奥津城に御参拝したり、メシヤ様としっかりと霊線がつながっていて、日々小さな奇蹟を沢山頂いています。なので、そういった方々の事を配慮しつつ、何故現在の様に三つの派閥に分かれてしまったのか、そして、それぞれの組織にどういう問題点が生じているのか、ここで明確にしておく事が、信者さん一人一人にとって大切な事であるという考えから、いろいろとご質問させて頂きます。まず、現在、世界救世教三派の中で最も人数が多いのは「いづのめ教団」でしょうか。

 

楳木先生 海外も入れればそうでしょう。国内ですと、「東方之光教団」が最も多いと思いますよ。

 

質問者  いづのめ教団が、海外に信者さんの数を増やした理由は何なのでしょうか。

 

楳木先生 これは、ブラジルはキリスト教国ですが、キリスト教の牧師さんが教会のお勤めを終えてから浄霊に取り組む方が多いのです。また、もともとキリスト教の土壌がありますので、奉仕への意欲が旺盛です。そのため、年金生活を迎えたら再就職を考えずに浄霊実践の生活に没頭する人が多いのです。自然と信者さんは増加いたします。また、タイは仏教国ですが、仏教徒の方々が「施徳」の最高位に浄霊を位置づけて信仰実践に取り組まれています。タイにピッタリ合った考え方で信者さんは急増しています。それぞれの国情にマッチした布教の在り方を考えた先駆者の功績です。先駆者の苦心で信者数が非常に増えたのですが、これは素晴らしい事です。この布教のやり方を「型」にして、全世界へ応用して布教に取り組めば良かったのです。そうすれば、名前のように「世界」を冠した教団になり、自然とそれを進めた人がトップになるのです。それを焦ってしまった。本人というよりは、薬毒に侵された肉親や取り巻きです。結果的に、権力欲の方に動いて行ってしまった訳です。

 

質問者 その根柢の部分にある権力欲のあらわれなのかも知れませんが、いづのめ教団には、非常に排他的な要素、つまり「いづのめこそ正義」という意識を感じる事が多いのです。それは、いづのめの方が意識していないであろうちょっとした会話の中に出て来る言葉に時々あらわれるのですが、その原点はどのような所にあるのでしょうか。

 

楳木先生 いづのめの元は「正常化委員会」だからでしょう。「正常化委員会」は六億円疑惑をでっちあげた人達です。でっちあげて、人の地位を奪って行く、というところに正義は存在しません。甚だしい勘違いです。しかし、一度嘘をつくと、嘘をつき通さねばなりません。「嘘の上塗り」を重ねなければなりません。そうなって来ると、狂信的にならざるを得ません。それが、排他的に映るのでしょう。哀れなことでもあります。

 

質問者 基本が、まずは人の批判から始まるという事ですね。そうなると、自己正当化をせざるを得なくなってくる。結果、狂信につながる。それを感じて、近寄り難いものがあるのです。

 

楳木先生 実は、あの問題をうやむやにした教団の体質というものが、疑惑を以って総長の地位を奪う様な人達を野放しにしている体質というものが一番問題な訳です。非常に世俗的な世界です。「聖」なる世界を求める取り組みとは違う所にあります。例えば、新生協議会が設置されて、人の地位を奪うために六億円疑惑をでっち上げた非道がうやむやにされそうになりました。そこで、「教団護持委員会」が組織され、心ある人々が支持するようになったのです。専従者が支持する態度を示した時に、「専従者が、教団運営に口をはさむ事は道に反する」と上層部は説得しようとしたのです。この言葉自体が矛盾します。口をはさんだのは六億円疑惑をでっち上げた人達です。それに対してはうやむやにしておいて、それに異議を示したことが「道に反する」とは本末転倒なのです。理屈が通らないことを権威で押し付けようとしました。それに対して心ある人々は首を横に振りました。この時「権威が崩壊」したのです。そうした認識が上層部にないために未だに解決を見ないのです。

 

質問者 この問題に関して、他教団、特に、疑惑をかけられた側の主之光教団は、争わない、裁かないという見方をすれば良いのでしょうけど、ある意味放任している様にしか見えないのです。

 

楳木先生 放任というよりも、野放しにしていると言った方が良いでしょうね。お釈迦様の言葉の中に、「人の不幸は無知だ」というものがあります。

 

質問者 「知らない」という事ですか。

 

楳木先生 そう、「知らない」という事が一番不幸だという事です。この教団浄化についても、真相を知らないとう事が、信者さん達にとって、一番不幸な事なのです。

 

質問者 「知らない」という事を知っていればまだ良いのですが、一番恐いのは「知らない」のに「知っているつもり」になっている事でしょう。

 

楳木先生 だからこそ、世界救世(きゅうせい)教の内紛、分裂の真相というものを知って頂かないと、皆不幸のままになっているという事です。

 

質問者 真相を知らせるという事は、裁いているという事ではなくて、公にしているという事ですからね。

 

楳木先生 信者さん達を不幸な状態に陥らさない為に、世界救世(きゅうせい)教の内紛、分裂の真相を書き始めたという風に解釈して頂ければ有り難く思います。只、皆さん、続きが出て来ないという様に感じられているかも知れませんが、この次の話というものが、今回のメシヤ講座(メシヤ講座特選集No.99 平成21年4月分)の内容に合流しているものですから、メシヤ講座を読んで頂ければ話がつながってくると思います。

 

質問者  教団浄化が起こった際に発表された総長の「所信表明」も、知らない人が多過ぎると思うのですが。「主之光教団」の中ですら、所信表明を知らない専従者、信者さん達がいらっしゃる現状です。あの内容を理解しておかなければ、教団護持委員会の在り方も、軸がぶれたものになってしまうと思うのですが。

 

楳木先生  「所信表明」の重要さを理解している人が少なかったのです。専従者に限って話をすれば、「所信表明」を基に、教団浄化の真相を伝え、教団改革に立ち上がる人の拡大のために全国を奔走した人は、動く中で「所信表明」の中身が理解できたのです。それは説明しようとすれば質問や反発もあります。それらに一つひとつ丁寧に答えてゆかねばなりません。答えてゆかねば拡大は出来ないからです。その積み重ねは事の本質に近付いてゆくのです。しかし、総長に近い、あるいはお世話になった専従者は「総長を守る」という事に偏り、総長を守る為に立ち上がりはしたものの、教団全体に起きている重要な問題という様には捉えず、悠然と構えてしまった。皮肉な事に、当時、総長に近い専従者程、実際の情報がなかったという現象が起きていました。そのため、ことの本質が見えないままに時を過ごしてしまったのです。そして、総長がご他界されてしまい、方向を見失ってしまったのです。そのために「無知」に陥ってしまったのです。それが不幸の始まりです。無知は楽観を呼び、無策になり、悠然となり、現在に至る迄解決が見られず、問題の本質が風化してしまいそうなのです。

 

質問者  私は、事の真実を伝える人がもはや教団内におらず、当時の総長に近い専従者の皆様が次々と教団中心から外側に追いやられてしまい、問題の本質の風化に拍車がかかっている事実を大変悲しく思います。真実の伝え方にしても、あちらを立て、こちらも立てという風に、あまりにも周囲に気をつかい過ぎると、結局本当の事が言えなくなってしまうという事があります。

 

楳木先生 勿論気をつかわなければならないのだけれども、ある程度、人と衝突するぐらいの覚悟が出来ていないと、真実というものは出て来ませんからね。

 

質問者  衝突を恐れるという意味では、世間に迎合しようとしているのか、国内で最も信者さんの数が多い「東方之光教団」では、他の教団に比べて、とにかく「宗教色」というものをなくす努力をしている様に見受けられます。MOAクリニックを作って、医者が健康診断を行なったり、「浄霊」と呼ばず「岡田式浄化療法」と呼び、資格者として「級」を授けたり、今回の新型インフルエンザ対策に関しても「医者に相談する」様に言われるなど、確かに神がかり、霊がかりは困ったものですけど、理解出来ない事、科学がまだまだそこに到達していない事を、一般常識を基準とするあまり、かなり唯物的な世界に陥っている様に見受けられる事も多いのですが。メシヤ様のお言葉に、「病気をなくするということは、病気がなくなれば悪人がなくなるんです。悪人というのはみんな病人なんです。悪人がなくなるから宗教の必要がなくなるんです」とありますが、この「宗教の必要がなくなる」という意味を取り違えてしまうと、「信仰」までなくしてしまう事になりかねません。

 

楳木先生 見えない、絶対的な存在を認識するから、悪い事が出来なくなる訳で、そういう意味では、本当の、高い「信仰」を持つ事によって、結果的に、「宗教」、これは「なになに宗」という宗派の事ですけれども、そういうものが不必要になる事につながって行くのです。また、「岡田式浄化療法」というものを復活させるという事は、信教の自由が許されていない時代にメシヤ様が便宜上取った方策を復活させるという事であり、いかにも時代遅れです。

 

質問者  「霊」という言葉が宗教臭いから「浄霊」と呼ばず「岡田式浄化療法」と呼ぶという様に聞いた事があります。それも時代遅れであり、「霊」が宗教臭いのではなく、それに関する研究が遅れているから、科学がまだ「霊」という分野に至っていないから、そう感じるだけなのではないでしょうか。科学的に証明されていなくても「霊」はある訳ですから、そこを否定する事は根本を否定する事につながって行きます。

 

楳木先生 布教に熱心に取り組むと、一度は宗教色をなくしたい誘惑に襲われます。その根っ子には「楽をして成果を得たい」という思いが存在します。「霊」の研究は実際はもっと進んでいるので、「浄霊」に対して私達の概念そのものをそこへ持っていかなければいけないのです。これは、「宗教」とは何かという学びの欠如から起きていることでもあります。本来の宗教がわかっていないと、進むべき方向がぶれるのです。変に、「宗教色」を消す様な動きを取ってしまうのです。これは、認識不足から来ているという事が多いにあると

思われます。「宗教」とは、本来、人間生活そのものが「宗教」であるという見方が一番大切なのだけれども、「宗教団体」という所に固執していると、「宗教色」を消すという方向に動いて行ってしまう。

 

質問者  しかし、ほとんどの人は、「宗教」というと「宗教団体」という捉え方をしますよね。

 

楳木先生 それは、そう受け取る人の学習不足です。日本人全体の学習不足が、そういう事を形成してしまっています。

 

質問者  宗教と言うと、オウム真理教も何もかも一緒にしてしまうとでも言いますか。

 

楳木先生 オウム真理教に対する考え方も、全く研究不足なのです。麻原彰晃という人が、チベット密教を修めて、悟りを開いた所までは良かった。しかし、オウム真理教を形成する信者さん方が、教祖と同じ境地に立つ為に行なった修行の段階で大きな過ちを犯してしまったのです。教祖と同じ様に、チベット密教の在り方を取り入れて悟りを開けば良かったものを、薬物やヘッドギアなどの「物」を使って悟りを開こうとしてしまった。「宗教」の世界に「物」を使ってしまった所に過ちが起きている訳なので、これこそ、「宗教」の本質を理解していない人達が「宗教団体」を形成してしまったために生じた問題なのです。それから、「宗教とは何ぞや」という事がわからない人達が、その現象を批判してしまった為に、人々の間に、オウム真理教を通して、見当違いの「宗教批判」が生まれてしまいました。そのために、未だに霊感商法なるものが横行する土壌を温存させているのです。結果的に多くの犠牲者を出しています。宗教界が本来の宗教とは何かを示し、そうしたものを正してゆかねばならないのです。しかも、『宗教改革』を提唱したメシヤ様を教祖に仰いでいる教団こそが、その先導役を担わねばならないのです。

 

質問者  本当にそう思います。しかし、実際は、伝えるべき真実を伝えず、「宗教色」を消す事によって信仰の本質を見失い、一方では、権力欲の為に内紛ばかりが繰り返されている。外部からのこういったアプローチは勿論待った無しの状況なのですが、内部で、本当に心ある方が、目先の問題としてではなく永久的な見方で教団浄化の本質を捉える事の出来る人が、本気で、腹を括って立ち上がらないと、世界救世(きゅうせい)教そのものが雲散霧消してしまう様な気がしてなりません。そして、それだけは絶対に避けなければならないと思い、今回の質問をさせて頂きました。(続く)

 

[メシヤ教本部にて 2009(平成21)年5月3日]