学生の皆さんへ 2003年5月

言葉の持つ本来の意味と言霊の持つ力

楳木代表

ところで、日本には中国より古い文字があったことはあまり知られていません。その一覧表が在ったからこそ平仮名は生まれたと理解するのが自然でしょう。皆さんが自由自在に使用している平仮名は、漢字から創られております。

「安⇒あ」「以⇒い」「宇⇒う」「衣⇒え」「於⇒お」となったことはご存じですね。私は小学5年生の時に知りました。驚きました。そして不思議な思いに浸りました。

平仮名自体美しい文字なので不満はないのですが、元々の文字を知っていないと「あいうえお」の持つ本来の意味や言霊の持つ力というものは理解できません。意味を知らないと言葉が乱れる一因にもなります。

古い文字とは古代文字と称されていますが、現在使用されております平仮名とだいたい同数です。代表的な古代文字の「ホツマ文字」などは、母音と子音に対応する要素をそれぞれ定め、二つの組み合わせによって文字を形成しています。それが実に論理的な意味を含んでいます。

また、古代人は記録を執らずともほとんど記憶していたので、文字の数を多くは必要としていなっかったようです。しかも、一文字一文字に多くの意味を持っており、高い霊性によって何を意味するかを判断できていたようです。信仰において「気配り」「心配り」「勘働き」を課題とするのは、そうした日本人本来の特性を甦らせるためなのです。

よく「メモを執りなさい」と言いますが、記憶力の弱さの現われですね。薬毒のために人々の記憶力が弱まったので、文字を増加させないといけなくなり漢字を導入したのです。日本人にとって不幸なことは、覇権主義と同時に導入せざるを得なかったことです。

これも経綸上のことなので仕方のない部分もあるのですが、本来の日本人の持つ『和』を尊ぶ心が薄れて、しかも変質してしまったことは残念でなりません。そこで、高い視座でこうしたことを考えるために、参考にしていただきたいことを話しておきます。

 

「困った時の神頼み」式の信仰を生みやすい土壌 

楳木代表

今、宗教というものは学問的には宗教哲学、宗教社会学等10を超える角度から研究されています。また関係省庁で掌握されている宗教法人は10万を遥かに超えています。しかも各法人が届け出ている信徒の総数は、日本の人口の2倍を超えています。

 

これは何を意味しているかと言いますと‘宗教はサッパリわからないもの’だということです。しかし、やればすぐにできます。何だかサッパリわからないけれども、やればすぐにできる―それが宗教だということです。それだけに日本の場合「困った時の神頼み」式の信仰が生まれやすい土壌があるわけです。

ところが、この「困った時の神頼み」式で信仰をいくらやっていても人間として完成されないのです。教えにあります「神格を得る」というところなどには、とうてい到達できません。

また、これから国際舞台に立って活躍したい、と考えている人は特に宗教というものを理解しておかねばうまく行きません。世界の多くの国家や民族は独自の宗教をもち、それを価値観の根っ子にしています。また、資本主義や民主主義といった考え方、あるいは科学思想にさえ根っ子のところに宗教が影響を与えています。

 

11世紀、イスラム世界の学問の膨大さは驚異的

楳木代表

アラビア数字や代数学に関する逸話を知っていると思います。これについては、科学史が専門の村上陽一郎さんの所見を拝借して説明します。スペインやポルトガルを擁するイベリア半島は8世紀にイスラム教徒の手に落ちました。以来キリスト教勢力は、「レコンキスタ(国土回復戦争)」をイスラム世界に挑み、長年月をかけてピレネ-山脈から南の地域をキリスト教側の支配下に収めて行きます。

11~12世紀の頃、イベリア半島のトレドという町がキリスト教側に戻って、教会組織が再建されました。赴任した一人の大司教がイスラム教徒の残していった文献の調査を始めます。そこで、ヨ-ロッパの人々は初めて自分達の知らない膨大な学問の世界があることに気づいたのです。

たとえば、きちんと「位取り」をして、桁をそろえ、空位の桁を示す「ゼロ」の表記などはイスラム世界の発明したことでした。代数学は、未知数を使ったり方程式を立てたりしますが、これらもイスラム世界の発明です。キリスト教側には「ゼロ」の概念がなかったのです。ですから「21世紀は2000年からではなく2001年から」ということを主張することになるのです。

 

イスラム世界の学問とキリスト教信仰の融合

楳木代表

そして、トレドの町で、ヨ-ロッパ人が初めて本格的に接したイスラムの学問は、ギリシャ・ロ-マ本来の学問とアラビア独自の学問の双方を含んでいました。それらの質の高さ、量の多さに圧倒された大司教達は、何とか自分達の世界にこれらを伝えなければならないと考えたのです。

しかし、夢中になってアラビア語やギリシャ語の書物に書かれていることを翻訳してマスタ-したものの、それらはキリスト教と何の関係もないものです。そこで、イスラム世界から多量の学問を学ぶと同時に、それらをキリスト教的に変質させ、あるいはそれらの学問とキリスト教信仰とを一体化させる仕事をさせなければならなかったのです。その作業から生まれた学問体系が‘スコラ学’と呼ばれるものです。

そしてそれに関連して、学問をするための場所として初めて大学も生まれました。「自由七科」が学ばれ、現在日本の大学で「一般教養」などの名称で知られている概念の出発点をなしたものでもあります。‘自由七科’についての話は別の機会に譲るとして、スコラ学では「神は二つの書物を書いた」という考え方が支配的でありました。書物の1つは、言うまでもなく聖書ですが、もう1つは自然です。

 

神の書かれた二つの書物

楳木代表

聖書を読むのと同じくらい熱心に自然を探求したのですね。「神は聖書を人間の言葉で書いたけれども、自然は数学の言葉で書いた」ということになるのですね。そして、話は前後しますがコペルニクスがカトリックの司祭であったことはあまり知られていませんし、ケプラ-やガリレオ、ニュ-トンも熱心に神学の分野で発言し、キリスト教信仰の正当性の擁護のために全力を傾注したことは見落とされています。

それが‘科学革命’へとつながり、17世紀末ヨ-ロッパは初めて、自分達独自の自然解釈を打ち出し、ギリシャ・ロ-マ・イスラムの理論を1つずつ置き換えていったのです。置き換えの積み重ねによって、ヨ-ロッパは借り物でない自身の生み出した「近代科学」によって武装し、世界の歴史の中で主導権を握る立場を獲得したのです。

その主導権は、現在アメリカに移ったかに見えます。移ることによって、その考え方はどのように進化したのか、ということが最大の関心事です。しかしブッシュ政権を支えていると言われるネオコンの考え方などを見ていると、大きく進化したようには受け取れません。それは、真の意味での‘神の書かれた書物’を読み解いてはいないからでしょう。

皆さんにはそうした課題の延長線上にいることを自覚して、日々勉学にお励みいただきたいと思います。

 

本来、人間生活は宗教そのもの 

楳木代表

そこでもう一度宗教というものについて考えていきます。宗教の起源とされているのは、ネアンデルタ-ル人の時代ということになっています。約6万年前です。発掘されたネアンデルタ-ル人の遺骨の上から花粉が検出されたということでそのようになっています。

つまり、死者に花を手向けたわけですね。人類史の最初から、死者に花を手向けて死を悼んだり、人に親切にしたり、人に優しくしたり、あるいは感謝したり、ということがあったのですね。お葬式も、6万年の歴史があるのですね。

そして、近年次々と発掘されている縄文遺跡等を見ると、祭事場を中心に集落が形成されており、墓地なども他界した年齢に応じて設けられています。また出土品は生活用具と祭祀用具です。

因みに、漢字の‘左右’は掲げた手の下に「工」と「口」の表記が加えられてできています。「左」には「工」が記されていますが、「工」は神を呼び、神に祈るための呪具でありました。工を縦横に重ね合わせたかたちが「巫」の文字になったとされていますが、「左」の文字は巫術の呪器「工」を左手に持つ状態を表しています。

「右」の「口」はサイに由来し、おわん形の器を指します。古代の巫術では、このサイという器の中に神への祈りを記す紙片を入れ、神意を問うたそうです。「右」文字は、巫術の呪器サイを右手に持つ状態を表しています。

 

宗教が遠心分離的に発展した現代の文化形態

楳木代表

こうした点からもわかるように古代の人間生活は宗教そのものでした。そして現代の文化形態というものは、その宗教を中心点として遠心分離的に発展してきたものだと捉えられています。岸本英夫氏の説です。

宗教の中の要素、例えば神話の世界が哲学に、村祭りの世界がスポ-ツや芸能に、おまじないの世界が医学や科学に、というように段々と細分化され発展してきたわけです。それが文化の発展です。ところが、中心の宗教というものが忘れられたり、宗教そのものが外郭の文化要素の影響を受けてしまったり、発展しなかったために、現代社会の抱える諸問題が発生しているのです。

ですから、現代社会の抱える諸問題というものは、根本の宗教を思い出し、しかも問い直すことによって解決に向かうのです。これが社会問題を解決するポイントです。

先ほど例に引いたネオコンは、はたして進歩した宗教の基盤を持っているでしょうか。こだわりは感ずるものの、新しい世界秩序づくりを主張したとしても、最高神の御意図を求めて理念の構築をなしていることは窺い知れません。それでは、フセインはと考えますと、これは話にならないわけです。たとえ神の御名を口にしても、そこには進歩した宗教の片鱗すら見えません。

 

最高神の御意図を求める取り組み

楳木代表

また、日本を震撼させたオウムによるサリン事件にせよ、最近何かと騒ぎとなっています「白装束集団」にしても、私達は高い視座から理解しておかねばならないことがあります。それは、霊能力をもつ人が、欠かしてはならないことがあるのです。少し触れておきます。

霊能力を体験によって磨く、ということがまず第一にあります。もちろんこれは「人類救済」に取り組むということです。

次は、学習を重ねる、ということです。メシヤ在世中(昭和20年代)は、すべての全国紙に目を通し、ラジオは浴室にまで設置し寸暇を惜しんでニュ-スに耳を傾けています。最高神の代行者として救済活動に取り組む立場にあってもなお、世界情勢や国内情勢を通して最高神の御意図を求めていたということです。

そして3つ目は、「人格の向上」ということになります。特別な立場にあろうとも、‘更なる向上’という課題はあります。最高位に向かって一歩一歩近づこうとする努力の生活者でなくてはならないわけです。しかもその努力が、苦痛ではなく‘遊行’でなくては本物ではありません。

 

時代は主神様の御意図のままに進む

楳木代表

この3点を欠かしてしまうと、その霊能者を中心とする集団は「カルト集団」化してしまう恐れがあるのです。カルトはある意味、時間が止まってしまっている面があります。時代は主神様の御意図のままに進んでいるにもかかわらず、1つの事柄にとらわれてしまうのですね。ですから、社会病理という表現は当たっている面もあるのです。

 

ただ政府側も「カルトは何を人類に伝えようとしているのか」という認識や柔軟性がないために、お互いに役割を果たせないまま不幸な現実に見舞われます。残念なことですね。

私達の学びとしておきたいことは、私達の姿勢のあり方です。私達も浄霊力を授かり、霊能力を身につけていますので、更なる救済活動、学習、人格の向上に努めていかねばならないということです。

そして人として努力していく時に、‘自分だけやっても・・・’という思いがむくむくと湧いてきたり、面倒くさくなったり、消極的になったりすることがあったりしますと、薬毒に負けている状態です。また霊の曇りが発生している精神状態です。そのときこそ浄霊をいただいてください。

浄霊とは、今の時代に活き活きとして、嬉々として生きるために取り次ぎ、いただくものなのです。

 

視野狭窄状態に陥れる高波に打ち克つ自己形成を

楳木代表

特に皆さんが生きるこれからの時代は、欲望の追及を余儀無くされる経済至上主義、高速で多様な価値観の氾濫を生むマスメディア、人々の精神に勘違いを生む理念を履き違えた民主主義など、視野狭窄状態に陥れる高波が次々と押し寄せ続けます。よっぽどしっかりとした自己を形成していかねばなりません。

以上のことを心において、今一度メシヤの教えに流れる精神を現代に求めつつ、考え、生活してください。その精神とは

1、即時性・・・すぐやる。

2、利他愛・・・まず人のために。

3、合理性・・・理屈に合い、常識的。

ということです。何事もこの3点をチェック項目にしてやってみてください。きっと実り多いものがあると思います。

<参考文献>
「宗教学」岸本英夫・大明堂
「新説『ホツマツタヱ』」宮地正典・徳間書店
「かたち誕生」杉浦康平・日本放送出版協会
「新しい科学史の見方」村上陽一郎・日本放送出版協会
「真理への旅人たち」米沢富美子・日本放送出版協会
「講話集」長村信博・教団資料

(要旨 ※このお話の内容は中学2年生を対象にしたものです。 メシヤ講座  特選集no.28より抜粋)

 

[代表講話 学生の皆さんへ2003(平成15)年5月 ]