学生の皆さんへ 2003年4月

ご両親の願い

楳木代表

今私達が生きている時代は、様々なものが崩壊しつつあります。日本では、権威が崩壊して久しく、近年安全神話が崩壊したと言われています。前代未聞の‘異常な時代’です。そうした中にあっても、私達は空しさを感ずることなく、心に充実感を持ち、生甲斐を持って生きていきたいと願っています。

そして学生の皆さんには、悩み事が多い世の中であっても、明るく希望を持って、困難に打ち克って、世のため人のために役立つ立派な人間に成長していただきたいと願っています。皆さんのご両親も、そのように願っているに違いありません。

「見当識」を知っていますか?

楳木代表

 

皆さん「見当識」という言葉を聞いたことがありますか。

自分の置かれている状況を客観的に正しく把握する能力を言います。医学用語ですね。脳機能の異常で意識レベルの低下を疑われる患者に対して、医者はまず見当識がどの程度かを検査するそうです。

たとえば、「ここはどこ?」、「あなたはだれ?」、「いまはいつ?」の3つの質問です。

この3つの質問に正しく答えられれば、その人の意識は正常とみなされるわけで、運動機能を除く脳のほとんどの機能が働いていることを意味します。逆に3つの質問の答えのいずれかがおかしい場合は、その機能を担っている脳の部位が障害を受けていると推測されます。

 

本質的にどこにいるか知らない

楳木代表

ところが、この3つの質問は簡単なようで、真剣に考えていくと中々難しいものです。「ここはどこですか?」と尋ねられたら、どう答えますか。だいたい住所を言うでしょうね。

しかし、それは本質的に正しいのでしょうか。住所は県から始まりますが、その前に日本です。日本はアジアの中にあります。アジアは地球にあり、地球は太陽系の中にあります。太陽系は銀河系の中にあります。銀河系は宇宙の中にあります。

ところが宇宙はどこにありますか?と問われたら何と答えたらよいでしょう。住所や国というものは、大きな座標軸の中の一定の位置として指定すればよいです。地球も何とか指定できるでしょう。しかし、宇宙はどこにあるのか、ということに対して指定できる座標軸はありません。

ということは、私達は本質的にどこにいるかを知らない、ということになります。

「いまはいつ?」という問いに対して、平成で答えるか、西暦で答えるかは別として指定することはできます。しかし、平成は15年、西暦という時間軸でも高だか2003年です。それより長い時間の流れがあるわけで、孔子歴では2554年ですし、仏歴では2564年で、皇暦では2663年です。ユダヤ歴では5764年。日本の古い方の暦の稽歴では6063年です。

それよりもっと古い歴史が当然あるわけで、地球は約46億年、宇宙は約150億年。その宇宙の誕生を辿っていくと、最初にビッグバンがあったと考えられています。それ以前は、もしかすると虚無であったかもしれないし、もう一つ別の宇宙があったかもしれません。本質的な‘いつ?’ということを知らない、ということになります。

 

「あなたはだれ?」

楳木代表

「あなたはだれ?」と質問されると、たいがいは名前を答えとします。これも名前がわかっただけで、本質的にはわかったことにはなりませんね。

皆さん方にはご両親がいます。ある日二人のDNAが出会い、遺伝子組み替えが起き皆さんのDNAが生まれました。では二人のDNAはどこから来たのかと言いますと、当然皆さんの祖父母に辿り着きます。次々と辿っていきますと、皆さんの家系のル-ツは日本人の歴史につながり、その先は人類の歴史につながります。

人類の進化を遡っていきますと、生命誌へとつながります。地球上での生命の誕生は約38億年前と言われていますが、それ以前は地球の化学反応ともいうべき歴史です。そして宇宙の歴史へとつながります。現在の皆さんという存在を生むために全宇宙が歴史的に関与していたことになります。

宇宙の一部と言うことができますが、結局本質的には私達は自分がどういう存在なのか、よくわかっていないのです。また自分がどこにいるのかも本質的にはわかっていないし、今がいつなのかもわかっていません。

この無限の空間の中において、悠久の時の流れの中で、本質的には失‘見当識’状態なのです。

 

なぜ、生命が誕生したのか

楳木代表

先ほど、地球に生命が誕生したのは約38億年前だとお話しましたが、その時代の地球と同様の環境を実験室のガラス容器の中に作って、その時代と同じように強力な雷放電を起こすと、生命の元であるアミノ酸ができるそうです。

そこで様々な仮説が立てられます。地球の表面が固まりかけた頃、多数の隕石が衝突してその中に水分が含まれていたので、水蒸気爆発が繰り返され大気圏がやがて生まれたと考えられます。雨が降り、海もでき、その時代月はもっと地球に近くて潮の干満が強烈でした。それらの要因が重なり合って生命の源が生まれた、ということになっています。

これらは科学の発達でわかってきたことですね。しかし、‘なぜ、生命が誕生したのか’ということには答えはありません。

私達生物個体を細分化していきますと、→臓器→細胞→高分子→分子→原子→原子核→素粒子ということになります。原子を見ますと、原子核と電子があって電子が原子核の周りを回っています。ボ-アの模式図を想い出してみてください。原子構造は1913年に解明されたそうですね。

 

科学では答えられない質問

楳木代表

数年前の資料で面白いことを知りました。例えば水素原子は1つの原子核の周りを1つの電子が回っています。ず-っと回っています。すると、そのエネルギ-はどうなっているのでしょか。「なぜ動くのか?」という質問に、科学は答えられません。

ただ、電子が回っていると言いましたが、厳密に言うと電子が正確にどこにいるかはわからな

いそうです。それは電子のような素粒子の世界では、時間と場所を同時に確定することができないという法則が働いているそうです。仮に何時何分何秒と時間を決め、その時点で電子がどこにいるかを探そうとしても、その場所はわからない。また場所を決めて、その位置に来るのはいつかを知ろうとしても、わからないそうです。

エネルギ-は連続する量ではなく不連続な値しか取らない、という考えである量子論的考え方につながっているのでしょう。この考え方から、ミクロなものはあるときは波の如く、またあるときは粒子(量子)の如くに振舞うことが推測され、これを波動と粒子の「二重性」と呼んでいるそうです。

この理論的、実験的な推測が、様々なところに応用されています。卑近な例としては水があります。身体に良い水とそうでない水ではHとOのくっつく角度に微妙な差があることがわかり、角度を調整すれば良い水になるという考え方です。

 

本質的な解答

楳木代表

このように科学の発展によって、色々な現象の説明が理論的にも実験的にも裏付けられています。また、宇宙の起源についてもわかりつつあります。しかし先ほどからくどいようにお話していますように、本質的なところになりますと答えが出ないのです。ビッグバンについても‘いかにして’ビッグバンが起こったかは解明されましたが、‘なぜ’起こったかは十分わかっていません。科学では‘なぜか’という本質的なところではわからないのです。

 

宗教は解答をもっている

楳木代表

結論を先に言ってしまいましたが、宗教は本質的な問いに対して解答を与えてくれますし、また究極的な価値を提示してくれます。本教の場合、メシヤの教えがそれですね。教えを拝読していかねば物事の本質を見失っていく、と常日頃から言われているのはそうしたわけです。

例えば『文字は神様が作られ、人間に与えた』という教えがあります。

先ほどの話と関連付けて考えてみますと、人間の身体の部分部位の名称には「月」が付いています。脳、胸、腕、肺、腹、腸等々です。それは生命の誕生に月が深く関わってきたことを意味しますし、人が生まれるときも死んでいく時も、潮の満ち引きが関わっています。近年ではそれを無視した医療が横行していますが・・・。とにかく文字通り、月というものが現代でも私達の生命に深く関わっていることを教えています。

文字が出てきたので、もう一つ。皆さん手の平に「木」という漢字を書いてみてください。植物の木です。

グラフィック・デザイナ-の杉浦康平さんは木について次のように述べています。

“私たちがなにげなく書き記す「木」。まずのびやかな十文字を書き、その交点から八の字をしっかりと張り出してゆく。

この「木」は古代、どのように記されたのか。甲骨文と金文、それぞれ3300年ほど前に中国で生みだされた古い字形を見ると、中心をつらぬく一本の柱のような棒があり、その上と下に円弧、あるいは八文字形が記されていることに気づきます。いうまでもなく、上は枝、下は根を表すものと思われる。つまり木の文字の古形には、枝と根が対をなして張りだしていた。

 

木にとって根源的なことを文字に表現 

楳木代表

ところで、木の本当の姿を調べると、空中に張りだす枝の広がりと同じように、大地深く伸びてゆく根の力強さに驚かされます。根は、微細な毛根の先まで測ってゆくと、とほうもない長さになり、その力の集合によって太い幹をしっかりと支えている。眼には見えぬ根、地中の根。それは木にとって根源的なものなのです。このような根を象徴化し、それを「木」という文字に積極的に印している。これは中国の人たちの独得の自然観、文字観によるものだと思います。

このような古代文字を参照してみると、意外にも現代の私たちは木という文字をしっかりと安定させるために、根のかたちに力を入れて書いていることに気づかされる。張りだした八の字は、根のかたちを整えたもの。それにより文字のかたちがいきいきと見えてきます。大地の養分をとりこみ、地下に潜む豊穣力、生産力、さらに眼に見えぬ地母神の力に結びつく根。その力をしっかりと見すえようとする。『木』の字はまさに、漢字独自の文化観を背景にして生みだされた文字であった。”

これは解りやすい話ですね。木の根は土に埋もれて見えないが、見えない根をしっかり張らないとちょっとした風で倒れてしまいますし、日照りが続くと枯れてしまいます。『だから見えないところが大切ですよ』と教えているのです。人間も見かけではなく、見えないところが大切なんだと、私達に教訓として与えているのです。

(要旨 メシヤ講座  特選集no.27より抜粋)

 

[メシヤ講座 代表講話 学生の皆さんへ2003(平成15)年4月]