<研鑽資料>
執行部
1.はじめに
メシヤ講座も、回を重ねて参り、昭和と平成を繋ぎ、3000年の夜昼転換の節目である平成30年が、いよいよ始まりました。昨年より積み重ねてきた学びも、ますます佳境に入って参ります。
今月は、来月に迫っております節分祭・立春祭に向け、祭典の意味合いを再認識頂き、世界救世(メシヤ)教復興に深く関連する最重要な御教えとして、神界より再度の学びを命じられた『日と月』を、『開教の辞』と共に学んで参ります。
大変短い御論文ですが、日と月が、我々人間の世にどのように作用していたのかを、『三千年前の御経綸』と『現在の御経綸』を振り返る形で資料を作成しましたので、原典の御教え拝読と共に、本資料を通じ、認識を新たにして頂き、祭典に臨む想念を高めて頂きたいと思います。
なお、「日と月」及び「開教の辞」の関連、これを踏まえた解説は、庭山教学顧問の1月度骨子に詳細が記述されておりますので、併せて拝読をお願い致します。
2.昼の世界から夜の世界へ(三千年前の御経綸)
(1)国常立尊様の御隠退
国常立尊様は、主神様の命により、妻神様の豊雲野尊様と共に、大国常立尊様として天地創造に携わり、9000年前から地上の経綸を行われた古い神様ですが、厳正至直にして間違ったことは絶対に御許しにならないやり方をなされた為、3000年前、前の昼の時代の末期に、そのあまりの厳しさに耐えかねた神々により、艮(東北)の方向、北海道芦別岳に押し込められてしまった神様です。
極寒零下30度を超える最果ての山に、正しい神様を押し込めた暴挙もさることながら、その後、その御命まで奪うという、残虐な無礼を働いたのです。
尊様も、神界において最も強かった神様ですから、この動きに抗することもできたはずなのですが、昼の世界から夜の世界へと転換する時のことでしたから、火(日)の系統である尊様は、御隠退の時期が来たことを覚られ、自ら縛につかれて、辱めを甘んじて受けられたのでした。
その後、御命を失ってからは、霊界において閻魔大王となり、長く審判の御働きをなされ、大本教の出現と、再び夜から昼への転換がなされる現代に、現界における審判を司るため、既に御出ましになっておられます。
正しい神様に対して行った、かつての暴挙は、我々に無関係のはるか昔の方々の罪なのではなく、我々の魂にも染み付いています。メシヤ教にご縁のある方々は、この時代にも生きていた古い魂の方が多いのですから、いずれかの形で関係があったということです。
例えば、平等と民主主義を盾に、多数決原理をかざして、正しいが自分にとって都合の悪い意見や人を、数を頼んで無意識に押し込めて来なかったでしょうか。それはまさしくかつて天若彦が尊様に対してやったことです。
また、多勢に無勢であることから、理非も正さず、大勢の赴くところに加担していなかったでしょうか、またそれを見て見ぬフリをし、正しい声を上げる勇気もなく、我良しの無関心の態度で、自らを安全な立場に置き、結果としてその悪を助長していなかったでしょうか。
この罪は間違いなく我々の中に、魂の悪癖として染み付いているのです。それはとどのつまり、夜の世界という、火(日)の力、光がない為に起きることなのです。
(2)夜の世界の御経綸
〇夜の世界とは
国常立尊様が御引退され、夜になった世界は、月読尊様や素戔嗚尊様という、月の系統の神様が主宰されましたが、太陽の光がなく、月の光のみの御働きしかできませんでした。
ですから、夜の世界では、突き進む事を好み、国と国が突きあうばかりですので、戦争が絶えず、争いに対する自己防衛の為、人間の知恵は磨かれ、物質文明は発展を見たものの、人間社会は、地獄の様相を現出することになったのでした。
〇観音様による救い
夜の世界の人々を救うために、国常立尊様は、善一方の方針を改められ、「神でさえ我でしくじりたのであるから我ほど怖いものはないぞよ。」と、自らの非はなかったにも関わらず、あの暴挙への復讐でも、恨み言でもなく、全てを自らの責めに帰し、霊界において裁きの御働きをされる一方、現界においては、善悪問わずに救いの御働きをされる、観世音菩薩として、仏法を説かれました。
その後、3000年を経て、大本教教祖に憑られ、「艮の金神、返報返しを致すぞよ。喜ばして返報返しを致すぞよ。」と、自らを押し込め、命を奪い、3000年間、自らを虐げて来た者を、仇敵とするどころか、真っ先に救わねばならない相手と見定め、自らを虐げた者とその因縁に繋がる者を御神業に参画させ、3000年の罪を帳消しになさる御働きを始められたのです。
当初大本教信者であったメシヤ様は、その背景を深く読み取られ、大本教を御止めになってから、直ちに大日本観音会を御創りになられて、善も悪も救っていく観音行を始められました。
観音様と言いますのは、天照皇大御神様が、世界統治のために、別の神様である、国常立尊様と伊都能売大御神様になられ、その伊都能売大御神様が、夜の世界において、救いの御働きをなさるために化仏された神様です。神様の御名では、仏界という夜の世界では御働きが出来ませんので、観音様は菩薩の位にまで身分を落として御救いをなされたのです。これも夜の時代の光が少ない時代にあっては、やむを得ないことでありました。
そして、その御働きの範囲の拡充に伴って、「火と水」「日と月」の御働きの光明如来様になられましたが、「土」の御働きがなく、化仏の御位でしたので、絶対力の発揮にまでは至りませんでした。
3.夜の世界から昼の世界へ(現在の御経綸)
(1)世界救世(メシヤ)教の誕生
メシヤ様は、昭和25年2月4日、立春を期して、夜の世界から昼の世界へと転ずる転換期に際し、神々の御位を取戻す経綸を行われ、世界を救う機関として、世界救世(メシヤ)教を開教し、化仏されておられた観音様が、御本体である神の御働きをなさる先鞭を付けられました。
『日』の神様による、昼の世界の宗教が、ここに誕生したのです。
ところが、昭和25年5月、人間のわずかな不注意や、思い違い、法に無知だったことが原因で、メシヤ様御自身が囚われの身となる御法難が起こります。メシヤ様は、無実であるにも関わらず、その弟子たちは官憲威力を恐れ、自己保身を図り、誰も自らの教祖と仰ぐ方を、牢から救い出そうとする者がいませんでした。3000年前の型写しがここでも起こってしまったわけです。
しかし、牢に押し込められたことが、日本の中心に位置する拘置所内において、神人合一がなされるという、一厘の身魂が宿る神事に繋がって行くのですから、主神様は間違いなく、悪も御使いになられて、御経綸を行っておられたわけです。
その後、メシヤ様は御法難の時の後遺症が原因で、昭和29年4月に、御浄化に入られますが、同じ年の6月15日に、メシヤ降誕仮祝典を挙行し、『日』の神様をお迎えするも、その光の増量による厳しい浄化に耐えかねた人間は、メシヤ様の御尊称を明主様に取り下げ、再びメシヤ様を押し込めてしまいます。
この最大の原因は、メシヤ様という御神格が認識出来なかったこと、すなわちメシヤ降誕仮祝典前、6月5日の碧雲荘における『メシヤ降誕宣言』が、庭の粗筵(あらむしろ)に資格者を並ばせるという、裁きの庭を型どったものであることの意味が、誰一人として理解できず、一言のお詫びを発する者もいなかったとうことで、お分かり頂けると思います。
そして、昭和30年2月10日、メシヤ様が御昇天されてしまった後は、その使命である、神々の御位を取戻す御経綸の遂行も、時を待たざるを得ないこととなってしまったのです。
(2)メシヤ教の誕生とその意義
『大日本観音会』から『世界救世(メシヤ)教』へ、そして我々『メシヤ教』と、夜の世界から昼の世界に戻す御経綸が受継がれ、世界救世(メシヤ)教を本来の姿に復興し、人類を救済する為に開教したのが本教で、今我々は、メシヤ様御在世当時にやりそこなった事を着実に完遂し、穴を埋めて、スタートラインに立つことを求められています。
大神力とは三位一体の力であり、どんなことでも成し遂げられる絶対力なのですが、夜の世界では、御働きが限定されますので、どうしても、太陽の光である、天照皇大御神様を、人間の手でお迎えし、現界に御出まし頂かなければなりませんでした。
そして、私達は、平成29年6月15日に、天照皇大御神様(『日』の神様)、10月26日には、伊都能売大御神様(観音様の御本体であり『日月』の神様)、12月23日には、日月地大御神様(『日月地』三位一体の神様)を、現界にお迎えさせて頂きました。
日月地大御神様は三位一体の完全な御働きの神様です。夜の世界が、昼の世界に転換するということは、宇宙の原則に則り、逆になっていた日月地三段階の順序が正され、完全な形になるということで、地上天国の事ですから、ここから地上天国の建設が始まって行くわけです。
「観世音菩薩、光明如来、メシヤ(救世主)、彌勒神等も、同一の御神霊」であり、根本は変わりません。時期に応じて御神霊の活動範囲が拡充するので、御名も変化するのです。
そして、開教の辞にもありますが、「観世音菩薩は、善悪無差別的の救済であったが、愈々地上天国が目前に迫り来った今日、茲に善悪を立て別け、善を育て、悪を滅しなければならない事になった。所謂悪のトドメである。従而救いの力も決定的でなくてはならない。その力こそメシヤの振るわせらるる大神力である。」と、なるわけです。
4.節分祭(2月3日)と立春祭(2月4日)に向けて
さて我々は、あとひと月も経たずに平成30年2月3日の節分祭を迎えます。心無いものがメシヤ様を押し込めたことにより、光がない状態であったこの63年ですが、昼の世界の光を取り戻すことが先延ばしにされていた反面、それは同時に最後の審判の初日である、昭和29年2月3日、かつて予定されていた裁きの始まりの日が先延ばしにされていたということも意味する訳で、我々は、63年の執行猶予を与えられていたということができます。
この63年、何を思い、何をしてきたでしょうか。
かつて国常立尊様を押し込めた時と同じような言動を、もしもいつかどこかで行っていたとするなら、この日に何をなすべきでしょうか。
それは全て、3000年前のあの事件に始まっているのです。メシヤ様に御神縁を頂いている我々がなすべきは、個人個人のお詫びもさることながら、同じ罪を未だに犯し続けている人類の代表者として、国常立尊様に真向い、真摯に3000年にわたるその罪をお詫びすることを措(お)いて外にはありません。
また、3000年にわたる御経綸とその真相を教えられている以上、そのお詫びができるのも、また、我々を措いて外にはいないのです。裁きは悪人にとっては怖いことでしょうが、善人にとっては嬉しい事です。悪に善が虐げられる、正直者が馬鹿を見る、一生懸命にやっているのに理不尽な結果に終わるということは、この日を境に覆(くつがえ)って行くからです。夜の時代に生きてきた以上、前世も含めて罪を犯さなかった人というのは稀でしょう。それも御経綸の一環であった訳ですから。
問題はそれを自覚し、気付き、素直に受け止め、取繕わず、その罪を心からお詫び申し上げ、正しい神様に真向かうことが、今できるかどうかだけだ、ということです。
一方、立春祭は、『開教の辞』が公にされた日でもあります。我々がなすべきは、内容は同じながらも、昭和の世界救世(メシヤ)教『開教の辞』を、平成の世界救世(メシヤ)教『復興の辞』として心に刻み、この日をもって、その復興初日、地上天国建設の初日と為すことです。
壮大な御経綸の御用に携わらせて頂いていることには、ピンと来なくても、『最後の審判』の後に来る、地上天国の住人になれる人とは『日と月』の御教えに書かれている内容そのものではないでしょうか。腰を低く、謙譲の心で、引く事を心に銘じて活動すれば、円満晴朗、円転滑脱となり、人が引き寄せられて来ます。争いの起きようはずがありません。これは、『神格をいただく道』にも通じます。
昼の世界に相応しい真理を明かされている我々の手で、昼の世界を再び建設する初日とするのが立春祭と言えましょう。
5.まとめ
神界よりの御垂示により、3月3日のメシヤ降誕本祝典は、箱根祭典における御神名は、「主之大御神様」、熱海祭典における御神名は『大彌勒大御神』様である旨、御知らせ頂いております。
本来こういったことは、我々自身が研鑽の上、お決め申すべき筋合いのものであり、奉唱すべき相手にその奉唱名を教えてもらうなど、あってはならない事なのですが、時期切迫の折から、我々の遅々たる向上の歩みを看て取られ、過分の御配意を頂いていると申し上げざるを得ず、誠に慚愧(ざんき)に堪えません。
12月23日の御降臨祭に付きましても、首脳部の資格返上という犠牲を伴いつつ、辛くも執り行わせて戴き、なんとかメシヤ様へのお詫びと日月地大御神様の御出ましを頂いた我々であり、何とも身から出た錆としか言いようがないのですが、それほどに染みついた夜の時代の癖を取らせて頂き、晴れて深奥の神様の尊き御神名を奉唱させて頂くことが許されるよう、更に学びと実践と霊籍の向上に努め、来る3月3日のメシヤ降誕本祝典を、お迎えさせて頂けるよう、不断の精進を図って参りたいと思います。
[研鑽資料no.18 学びの資料 2018(平成30)年1月6日]