平成二十九年十二月二十三日「メシヤ様御降臨祭」意義と想念のあり方
〇本祭典に至るまでの経緯
抑々、本教教祖メシヤ様の御生誕日十二月二十三日の祭典は、かつて昭和の昔、大日本観音会として産声を上げた本教が、仮発会式を挙行した昭和九年に始まり、冬至のこの日を境に、日に日に昼が長くなる日の出の日、神代には元旦であった日、また、天津日嗣を継ぐ今上陛下のご生誕の日でもあるこの日を、岡田茂吉教祖の御威徳を偲び奉り、一年の新たな出発をお誓いする日として参りました。
こうした中、昭和二十九年十二月二十三日、御在世中最後の御降臨祭が、熱海救世(メシヤ)会館において、千手観音様の御軸前に御着座のメシヤ様に対し、「五六七大御神」とお唱えする形で執り行われ、その直後の昭和三十年新年祭においても、木原理事長を通じ、これからは楽に御神業をさせて頂ける「五六七の世」である旨ご挨拶があったところ、その翌月には、突然メシヤ様が御昇天遊ばされる事態に立ち至ったのでありました。
既にこの半年前の六月十五日には「メシヤ降誕仮祝典」が執り行われており、メシヤ様は世に出られておられたのですが、その後、僅か二カ月余りで御尊称を「明主様」にお取り下げ願うという、暴挙がなされた直後でありましたから、この時、実は「五六七の世」とは言っても、「六六六」の世に戻ってしまっており、光が押し込められた状態となっていたのです。
岡田茂吉という一人の人間から、神命の下、次々に御出世遊ばされ、救世主にまで行き着いた、その御神格を認識し得ず、仮祝典において「天照皇大御神」様の御神名をお唱えしつつ、せっかくお迎えした火(日)の神の恩恵である光の爆発的増量と、これに伴う厳しくもありがたい浄化を、恩恵と捉えられず、その恩恵の手を振り払って、逆に光を押し込めてしまった人間側の罪がそこにはあります。
本来火(日)の神である「天照皇大御神」様の光なくしては、夜の時代の「仏」や「龍神」は、昼の時代の「神」に戻れない訳ですから、これを人間側が押し込め奉るということは、その後仕組まれていた神々の御戻り(お出まし)も、地上天国建設の進展も全く望めず、この時点で、メシヤ教信者と雖も、救われるのは一割、二割はもう難しいという中、何とかそれを救おうと、最後の御浄化をお引き受けになり、人類救済の核心を保持せんとされていたメシヤ様は、御昇天されて時を待つより外はない状態となった訳です。
「みろくおおみかみ」と唱えながらも、御神体のお文字は各教団バラバラ、当の教団も、分裂に分裂を重ねた歴史、押し込めた側の先達の方々の凄惨な末路に、このことがよく表れています。
しかしながら、本日に至るまでのこの六十三年間、主神様は「絶妙な六」のバランスの下、物質文明の極度の発展を御経綸下さりつつ、覚醒した人間により、再びやり直しをする時を待たれたのでした。
〇本祭典挙行の意義について
さて、私共メシヤ教は、神界からのありがたき御輔導と御垂示の下、「天照皇大御神」様、火(日)の力を、本年六月にお迎えし直し、「伊都能売大御神」様、火と水(日と月)の力を、十月定山渓に於てお迎えし、今まさに、火水土(日月地)の三位一体力をお迎え申し上げるという、三千年ぶりに、世を昼の時代にお戻し申し上げる最後の段階に差し掛かっております。
それは肉体(土)を持たれたメシヤ様が、現世にお生まれになった本日、昭和を平成に置き換える二十九年十二月二十三日を措いて、他になし得る時はない訳でありますが、これは、霊的には「五六七」の世に、すなわちメシヤ様御昇天直前の世に、お戻しするということでもあり、体的には日月地の三位一体力を、現界へお迎え申し上げるということでもありますが、それは昭和に於て、我々人間が、メシヤ様に対し犯した大罪をお詫び申し上げ、神意を体した人間となる(日月地の「地」となる)ことを措いて、なし得るはずもないのです。
メシヤ様の御神格を認識できぬまま、火(日)の神様を押し込め、メシヤ様のお命を縮め、御昇天の已む無きに至らしめ、未だにこの最大の罪を自覚することなく、ただお縋り申し上げ、身勝手な御守護を御願いするのみで、恬として恥じることのない、人間の大罪をお詫び申し上げる日も、もう本日しかないのであります。
〇本祭典挙行に伴う想念のあり方について
以上を踏まえ、我々は、昭和最後の御降臨祭をやり直し、この大罪を心底よりお詫び申し上げ、御昇天直前の「五六七の世」を取り戻すことを、心からお許し願いたいと思います。これなくしては、いかなる誓いも空虚なものとなり、昨年捧げられた代表先生の御誓詞も、その死も、空しいものとなってしまうからです。
これらの想いを込め、ここ箱根においては「主之大御神」様に対し奉り、この世にメシヤ様を御降し下された御経綸への感謝と、我々人間の大罪をお詫び申し上げ、熱海にてはメシヤ様に対し奉り、「日月地大御神」様と奉唱させて頂きつつ、その本願たる人類の救済と、その唯一の手段たる世界救世(メシヤ)教の復興とに、その千手の手の一つとならせていただくことをここに、堅くお誓い申し上げるものであります。
[研鑽資料no.17「メシヤ様御降臨祭」意義と想念のあり方2017(平成29)年12月23日]