立春祭並びに世界救世(メシヤ)教開教記念大祭(平成29年2月)

メシヤ様御書

体験報告

「霊性の向上を願う浄霊で念願のイボが取れる」
大阪支部八尾集会所  G.E

 

「岡田茂吉全集の拝読を許されて」
岡山支部  原田 舞

 

「資格『教導師第三位』を許されて」
鎌倉支部 菅谷 敬

 

御歌

「節分祭」

救世の 神業日に日に 進みゆき やがて世界に どよめき渉らむ
(昭和28年12月23日)

未だ目に 見えねど弥勒の 聖代は 已に成りけり 霊の世の奥
(同上)

我有てる 玉の光は 日に月に 輝き増すなり 心せよみな
(同上)

黒幕を サツと落とせば 我光 その眩ゆさに 眼くらまん
(同上)

長き世を 隠ろひませし 日の神は はや東に 現れましにける
(昭和29年2月3日)

 

「立春祭」

雪霜の 厳しき冬を 堪へ忍び 春立つ今日を 祝ふ御祭
(昭和29年2月4日)

霊体の 一致の力ぞ 大神の 秘めたる一輪の 御魂なるらん
(同上)

全地球 十字に結ぶ 時こそは 人類悉と 眼醒まさむ
(同上)

東方の 光は日に日に 昇りゆき やがて世界を 照らし包まむ
(同上)

長き世の 憧れの夢 漸くに 実とならん 時ぞ来にける
(同上)

山よりも 高く海よりも 尚深し 神の恵みの 限り知らねば
(同上)

宗教も 教育科学も 持てあます 人々救ふ メシヤの御教え
(昭和29年2月10日)

 

立春祭楳木代表挨拶

三千年来の罪穢れ

皆様、立春祭おめでとうございます。昨日は皆様方とともに心から節分祭の祭典を執り行わせて頂きました。

節分祭に先立ち、司会者から三千年来の罪穢れの一端に触れていただきました。三千年来の罪穢れとは、まず、伊都能売神皇様の皇位を狙って素戔嗚尊が武力を以て押し寄せて来ました。素戔嗚尊が押し寄せて来た時に、日本人の生命を危ぶまれた伊都能売神皇様は御自ら退位されて急遽インドの方へ下られて行きました。しかし、日本人はそこに残ってしまったわけですので、「大和民族に罪穢れがない。」ということは言えないわけでありまして・・・。大和民族は大和民族としてトップを見限ったわけでありますので、しかも、その武力に屈したわけでありますので、伊都能売神皇様と共に大勢でついていくことはしなかったわけで、“大和民族であろうとも、その大きな罪はあろう”ということを最近しみじみと感じております。

素戔嗚尊と共に中国から萩へ一緒に上陸した瓊瓊杵尊は、宮崎の高千穂に潜んで素戔嗚尊の癖というもの、治世のやり方というものを見抜いていた為に“いつか失敗する”ということをズーッと待っておりました。その待つこと三世代でありますので、その三世代失敗するのをズーッと待ち続けていたわけであります。そして、世が乱れたところに乗じて一挙に東征に出ました。東征に出る時に、日本人に米の美味しさを教えながらそういうことを重ねて日本を治めたわけであります。

この二つのことを、メシヤ様が我々に御教えとして御垂示下さっておられる内容は一体何かと言いますと、武力に屈して、それまで徳によって治めていた、その主神様からお許し頂ける治世を捨ててしまったということであります。それからまた、素戔嗚尊の治世が乱れるのをズーッと待ち続けて愈々“失敗したな”と思った時に一挙に打って出るという、そういうものが我々の心の営みの中に残っているわけであります。ですから、自分達が子供の頃から友達と喧嘩をしたりいろんなことをやりあったりする中で、その時に自分はどういう対応をしたか、また学生時代はどうだったのか。社会人になってからどうだったのか。家庭を持ったらどうだったのか。その時々にその対応の仕方は色濃く自分の魂に染み付いているわけであります。そうしたことを、節分祭を迎えるにあたっては色々と考えることが出来たわけですけれども、まだまだ不十分であろうかと昨日節分祭に臨みながら感じさせていただきました。

しかしながら、神界からは『このように大勢の者達が節分祭、立春祭に集って、そして、まずは神に詫びてくれた。その中身はまだまだ浅いものではあるが、これだけの者達が集まって詫びてくれたことは、非常に良いスタートを切ることが出来たのではないか。』というふうに御垂示を賜りました。

まあ、人として至らぬことが多いわけなのですけれども・・・、(言葉が詰まる)神様の方が、三千年来の罪穢れを御詫びさせていただいたことを受け止めて下さいましたので、“これをスタートにすれば良いのではないか”と思いました。

 

平成三十年に向け御神業に邁進を

それで皆様方と去年の六月からズーッと取り組んで来ました「覚りの歩み」でありますけども、「昭和が霊であれば平成は体である」というふうにお話してきました。

この平成が、平成三十年があるのかということが天皇陛下の生前退位の御意思表明から心配しておりましたが、平成三十年はあるということがわかりましたので一安心したところです。しかしながら、私達の取り組み如何では・・・。先日も今上天皇はワクチンの影響で微熱を発しられて皇室の行事を御欠席されたということがありました。ですから私達の心が少しでも緩むとひょっとすると平成三十年は存在しないことになるかもしれませんので、昨日の祭典と本日の立春祭でより一層心を引き締めていただいて御神業に邁進していただきたい、ということを切にお願いしておきたいと思います。

その上で御垂示頂きました内容と言いますのは『平成は体であるけども、さらに体の霊的なものである。』と教えていただきました。そして『次の御代が本当の体になっていくのだ。』と。『これは天皇の名前にキチッと記されているのだ。』と。今上天皇は「明仁」という御名であります。『明仁とは日と月と書くので火と水しかないので土がない。』と。そこで皇太子は「徳仁(なるひと)」という御名でありますので、『成る人なのだ』と。『「成る」というのは「七」であるので、「土」であるのだ。』と。だから『真に体になっていくのだ。』と。ですから

『この御代に人間側がしっかりしていかなければ、地上天国建設を実現させることができない可能性があるのだ。』

ということですので、今日をまた新たなスタートとして、平成二十九年の間精一杯、我々の霊性を高めさせていただいて神性を蘇らせながら、本来の魂の光を取り戻すという取り組みを進めさせていただきたいと思います。

 

真の「下意上達」

そういう取り組みをする上において本日の三人の方々の発表は、正に涙なくして聞くことの出来ない内容でありました。

後藤さんは疣(イボ)のことを中心に話してくださったのですけれども、私は一言「とれる。」と言っただけでありまして、後は本人がズーッと御教えに照らして“どのような取り組みをして行ったらよいか”ということを必死に考えてズーッと浄霊に取り組まれました。

これこそが先月から話しております「下意上達」のあり方であるわけであります。これまでの教団というのは「上意下達」で上からの言うことを受けて「このように動きなさい。」ということばかりできましたけども、「下意上達」は、教団護持委員会発足当時は「下意上達」ということの一つに“専従者が理事会に対して意見を言うことができる、そういう組織を作ろう”ということで、まだまだ浅い「下意上達」の姿勢でありました。ですから最終的には労働組合を作ろうか、というところまで現在の主之光教団は行ったわけなのですけれども「そこまで行くと宗教では無くなってしまう。」ということで取り止めたわけです。下の意見を上に伝えるということだけで「下意上達」を捉えておりました。

しかし、それからズーッと教団改革に率先して取り組んで行く中で「下意上達」というのはそういうような浅いものではなくて、メシヤ様の教えを全ての信者が共有して、二番目に発表してくれた原田さんのように全てを読み切った上で“自分はどうあるべきか”ということが心の底から湧いてくる中で御神業に臨む、という、これが真の「下意上達」であろうというふうに思わせていただくに至りました。

そういう意味で、昨年の二月から原田さんが課題を持って、大体旧国立一期校の大学を出た人は仕事をしつつも六ヶ月くらいで全集を読み終えるのですけれども“果たしてそれくらいでできるかなあ”と私も見ていたのです。最初はやはり中々スピードアップしてこなかったのですが、後半集中していただいて、有難いことに浄霊をいただくのと同じように、御教えをいただくと『活字の浄霊』をいただくので、頭の毒素がドンドン溶けて浄化を許されて、その許される状態を見て“真に拝読をしているなあ”とわかる内容でありました。

 

資格付与

それから御神業を進めさせていただく上において、本日二人の方に資格付与を行いました。

最初に付与した早乙女恵子さんは、私が平成11年にメシヤ教を立ち上げた時に支えてくれた数少ない一人でありますけれども、立ち上がろうとした時には母親と・・・、私の姉にあたりますので、二人で私の家に訪ねて来てくれて世界救世(きゅうせい)教を退職するということについては随分心配をしてくれたのですが、その時に今の岡田茂吉全集の著述篇の元になっているMOA研究所が作った論文集(未定稿を含む五冊の論文集なのですが)と詩歌集というのがその当時作られたのがありましたので、「この論文集があれば何も心配することはないので安心して欲しい。」と伝えた記憶が今でも頭の中に鮮明に蘇ってきます。それと同時に早乙女さんの夫である義理の兄が「これからはインターネットの時代なので布教する上においてはホームページを開設した方が良いのではないか。」と助言をしてくれました。そして、私が原稿を書いて、今庶務係をしてくれている姪が打ち込んで、その頃私はパソコンが全く触れない状態でしたので、「を(WO)」の打ち方も知りませんでした。全くそっちは教団の中でも拒否して「文字というのは手書きでないといけない。」という古い考え方を持っていたために、姪っ子に打ってもらって義理の兄にレイアウトや割付をしてもらってアップしておりました。最初の月はアクセス数が57しかなくて、一か月に57人しか見ていないようでは・・・、私もチェックしているのでカウントを外してその数になっていましたので・・・、(笑)まあ、大して人が見ていない状態からスタートしたわけです。

 

メシヤ講座のはじまり

そして、“型どおりのホームページでは、皆さん方にメシヤ様の御教えの素晴らしさを伝えることができない”ということから、メシヤ講座をアップするというようになりました。このメシヤ講座の名称は『観音講座』から現代に・・・、観音様からメシヤ様に御出世遊ばされたわけですので、メシヤ様の教えを取り次ぐ講座ということからメシヤ講座という名前をつけてスタートしたわけです。

メシヤ講座を人差し指で押しながら結構時間をかけてアップするようになって、それからは少しずつ問い合わせをいただけるようになりました。そういうことを資格付与というところから急に思い出しました。

私の姉ではあるのですが、資格の規準には達したのですが、まだ不十分なところがありますので、義理の兄はある商社の管理職ですので、社会的なものの見方とか・・・、菅谷さんと一緒で、まあ菅谷さんも自営業をズーッと積み上げてきて鍛えられていますので、菅谷さんは今日発表しなかったのですけども、世界救世教いづのめ教団の専従者に「メシヤ教というのを知っていますか。」というように聞いた時に、「ベンツで日本中を回っている、あの人だけは絶対に会わない方が良い。」と言われたので(爆笑)、それで菅谷さんは「会わない方が良いという人には会う方が良い。」と結論を出したそうです。そういう男の世界で感ずることが出来るものを義理の兄も持っておりますので、私が世界救世(きゅうせい)教を辞める時に、「辞めさせるということは余程の大物だろう、だからその大物を支えていこう。」というふうに話し合ってくれたということを聞いて、“こういう見方の出来る人間が周囲に居て支えてくれれば、私も御神業を進めることができるなあ”と思って力強く感じたところであります。(そうしたことから義兄が姉の教育係に着くという条件で資格付与の運びとなりました。)

 

力強く進められる御神業

それから、菅谷さんのところは新しく家を購入することが出来まして大変有難いことです。新しい支部に向かって、今、改装工事を着々と進めていただいて、信者さん方にも「御神前とそれから信者さんが使う場所だけは支部建設献金を捧げてもらいたい。」というふうにお願いして御協力をいただいているところであります。着々と新しい神館が今、出来つつあります。

この支部建設献金ということでは、岡山支部で参拝者が非常に急増しておりますので、トイレを増設しなければ信者さんが間に合わないようになっています。この点についても岡山の人達に支部建設献金を今度の支部月次祭の時にお願いしようか、と思います。今日は21人来られておりますので、21人の人達に先に建設献金をお願いさせていただきたいと思います。

また、東京国分寺支部が発会して翌日には「さいたま集会所」が発会いたしました。そして、今は松原出張所も田中さんのご実家の古い家を「御神業に使って良い。」という有難い申し出をいただいたので、昨夜も図面を見せていただいたのですが、十畳くらいの御神前が出来ますので、今は六畳の部屋に御神床を一間造って実質は五畳くらいのところで進めておりますけれども、その家を改装して使用するようになると、今の御神前の倍くらいにはなります。まずはその段階を迎えて、さらに発展していけば、またそれを建て替えるということも・・・、(笑)出来るのではないかなと思います。「宗教施設に使って良い。」とご主人のご実家が言って下さったわけですので“非常にありがたいことだなあ”と思っているところであります。

これからの御神業というのはそういうふうに“力強く進められていくだろう”という、そういうものを見させていただいているところであります。

 

『観音講座』を現代に学ぶ

そうした中で私達の肝心の霊性を高めるということが大事でありますので、霊性を高めるためにはメシヤ様が初めて主神様の御経綸ということを御説きになられた『観音講座』を私達がもう一度現代に合うようにマスターしていかないといけません。今、岡山支部長に大体編集してもらって、そして言霊(ことたま)とかに対しては観音講座の文面を読んだだけでは難しいところがありますので、それを補足できるような御教えを付け加えてもらいました。そして、理解が深まるようなそういうものを付け加えてもらうと同時に、札幌支部の澤枝さんに当時の時代背景と大日本帝国憲法に抵触するような発言をメシヤ様は控えられておられました部分を、「その当時の憲法と社会情勢にあわせてメシヤ様はこのように文面を控えられたのではないか。」という部分を、それをまた補足するような形で今、「観音講座を現代に学ぶ」という形で印刷所と一緒にレイアウトの形とかをズーッと積み上げているところであります。積み上げている中で、私の御垂示いただいた内容とか、それからこの学びの受け止め方とかが必要になってきますので、それで今日は、その「はしがき」を皆さん方に紹介して私の挨拶にしたいと思います。

 

≪「観音講座を現代に学ぶ」はしがき≫

観音講座と私が出会ったのは昭和57年のことでした。その時の驚きは今も鮮明に覚えています。まず、第一講座の表題『主神の御目的と天地経綸の真相』に釘付けになりました。それは、『世界救世(メシヤ)教 教義』を暗記した学生時代から胸に秘していた疑問が氷解するかも知れないと期待を持ったからです。教義に御神名が明らかにされているにも拘わらず、参拝時の御神名が異なる理由は何か、というものです。そして、次の冒頭文章には心躍らされるものがありました。

『是(こ)れから説く事は世界の大秘密である。それを愈々(いよいよ)暴露するのであります。今迄は夜の世界であった。それ故諸々(もろもろ)の穢(きたな)い事が匿(かく)れて居(お)ったのであるが、観音様が此の世に現れた為に霊的に日が出た事になり、愈々秘していたことが目に見えて来た。』

幼少時に浄霊をいただくことで九死に一生を得た感謝はありながらも、信仰を続けても親戚関係をはじめとして私を取り巻く環境は悲壮なものでした。庄屋の家系として祖父は村の名士と崇められて晩年を迎えましたが脳膜炎を患い他界し、前後して財産を巡るお家騒動が起こり“人間世界はどうしてこれ程までに病貧争に塗(まみ)れているのか”という悶々とした思いを拭いきれなかったのです。その原因も明らかとなり、暗夜に灯火を得ることが出来るかも知れないという高揚感が加わりました。更に何より

『主神が何の為に宗教を造られたかと言うと、宗教は彌勒出現迄の世界人類をして、或程度以上の堕落をなさざらしめんが為の必要的限定的の経綸であって、主神は一方悪の活動を許容され、物質文化を開き、一方其の悪に因る弊害を甚しくせざらんが為に諸々の人傑を出し、宗教なるものを弘通せしめ、善悪を巧妙に織られたのである。故に今日迄の経綸は善悪、明暗、美醜、相交りつゝ流転活動し、進歩し発達し来たのである。』

という一文を目にした際には、御昇天後の教団は神観、宗教観、世界観を整理しないままに進めてきたので混乱を繰り返してきたのであろう、と思い知らされました。そして、拝読翌年に惹起した教団紛争の真因を理解するに到ったのです。しかも「教団護持委員会」支持推進の原動力ともなったのでした。

この著を著わす時期に『神が示したことを人間が理解を深めなかったために真の意味での御神業進展が出来なかった。』との御垂示を賜り、長年の疑問に対するお答えと現代的使命を自覚するに到ったのです。メシヤ様は昭和10年に神観を明らかにされましたが、当時の人々の神性が蘇っていなかったために主神様直系の結びの働きを担う観音様、光明如来様、弥勒大御神様を認識するに留まっていたのです。観音講座本文を学びつつ御垂示に沿って人間としての理解を深めたい所存です。

なお、観音講座口述は、昭和10年7月から9月にかけて行われていますが、口述筆記録は数種類確認されており、筆録者により。内容に若干の相違があります。筆記能力はもとより、神性の蘇りの度合いによって生じたことに起因されることが推測されます。また、メシヤ様御自身、帝国憲法下において天皇制に係る自由な御記述が不可能であったが為、若しくは相当の配慮を必要としたが為、意図的に表現を変えざるを得なかった箇所、又は十全な記述となっておらず補足説明を要する箇所もあります。これらについては、参考にさせていただける御教えを原田穣岡山支部長(篇纂委員)が引用し囲み表記しました。下段には時代背景に対する判釈を澤枝洋一氏(札幌支部)が注記を行ないました。それぞれ「引用、注記の不備不適切があるとすればその文責はすべて引用者、注記者にあることをお断り申し上げます。」という姿勢で事に当たっていただきました。≪はしがきはここまで≫

 

まだ、これは完成させてはおりませんけれども、このような形で『観音講座』の学びを深めさせていただくための製本作りに、今、着手したところであります。こうして主神様の御経綸ということを私達はより一層深く受け止めることが出来るようにお互いならせていただければ、これに勝ることはありません。

どうか立春祭をまた新たな出発点として、共々に御神業に邁進していただけることをお願い申し上げて、私の挨拶とさせていただきたいと思います。本日は有難うございました。

 

[本部祭典 立春祭 2017(平成29)年2月4日]

この投稿へのお問合せ

[print_link]