メシヤ講座・特選集no.164(平成26年9月分)

 <御教え>
『文明の創造』宗教篇
唯物医学と宗教医学

(文創  昭和二十七年)

 本文は『文明の創造』299ページに記載されています。(『文明の創造』購入方法は「出版案内」を参照ください。

また、研鑚資料『文明の創造(三)』では33ページです。)なお、『唯物医学と宗教医学』は10月に拝読し学び合う御論文です。9月に学び合った『霊的病気 精神病と癲癇(てんかん)』に関する内容は各支部ホームページを併せて参照していただければ幸いです。

<解説>

『文明の創造』拝読により御神縁による因縁使命の大きさを再認識させていただく

メシヤ教代表 楳木和麿

神無月を前に奥深き因縁を痛感する

10月を迎える前に意義深いことが起きました。

私が4歳の際にネフローゼで医者から見放され母の伯母から浄霊をいただき命を継ぎ足されたことは、何時もお話していることです。その伯母は、世界救世(メシヤ)教時代の昭和29年に結核で苦しむ親戚を救うために福岡から大分県玖珠町に移り住み、この土地に初めて浄霊を広めた人です。そして、伯母の寄宿した家が布教施設となり、大勢の方々が御神縁をいただきました。勿論、私もその家でお守りを拝受しました。

実は、その伯母が亡くなった後、布教施設を提供していた一家は昭和46年前後の大騒動を期に当時の教団に見切りをつけモラロジー(道徳科学)に移ってしまったのです。そのため御直筆の御神体や信者さん方のお世話を母が引き継ぐ形になったのでした。それからは親戚付き合いはするものの信仰については語り合うことはありませんでした。

ところが、9月末、身内の葬儀に関わることと我が家の慰霊祭に関連して、本部を視察する話になり、十月度本部一日祭に母の従兄弟夫婦(母の伯母の甥夫婦)が参拝することになったのです。

祭典40分前に到着して、本部建物を隈無く視察して参拝に臨みました。そして、およそ40数年ぶりに御神前に額づき、祭典後は初めて玖珠の地に浄霊を広めた頃からのことを語り合いました。時間がアッという間に過ぎるので、頃合いを見て「浄霊力拝受お願い」の話をこちらから持ち出しました。「モラロジーも我が家が玖珠町では先駆者なので、会員の手前・・・」と話すので、「今は宗教宗派を超えて浄霊力が授かります。ただし、『明主様』と唱えるのではなく『メシヤ様』と唱えてお祈りください」とお話しして、浄霊力を拝受することと入会することの違いを説明しました。そのことを良く理解して「浄霊力拝受お願い」書に記入し、共に御神前に奉告申し上げました。

本部を後にする姿を“再び浄霊に取り組んでいただきたい”と念じつつ見送ると、母の従兄弟夫婦の口から「メシヤ教」という言葉がスーッと何の違和感なく再々出たことが私の脳裏に蘇りました。同時に、“メシヤ様御昇天後の教団の変貌が多くの方々の道を違(たが)えてしまった”という思いが突き上げてきました。そして“メシヤ様の御神格の御出世を畏み、『主神(ヱホバ)』様直接の御啓示という認識を深めさえしておれば、御教えの実践そのものが異なっていたに違いない”という思いが込み上げて来て仕方がありませんでした。

この出来事は、一昨年6月に『文明の創造』を上梓し、今年6月の『主神様とメシヤ様』上梓を皮切りに『天国の福音書』続篇として、『宗教改革』『医学革命』を進めるための御論文を順次まとめて形に表わしているからこそ、許された事象のように受け取れました。それは、モラロジーHPの説明文を読めば尚更感ずることでした。紹介文には次のように記述されています。

【廣池千九郎は、長い年月をかけて、生命の進化にも通じる、道徳の本質を発見しました。それは、私たちの社会や文化を構成する、精神的な基本要素でした。私たちは、道徳の本質を通して、人や自然とつながっているのです。

千九郎は、その力を最上の状態で活用する理論と方法を、人類の師と呼ばれる聖人の事跡に求め、体系化しました。そして、そこで見いだした質の高い道徳性を「最高道徳」と名づけました。

モラロジーとは、この「最高道徳」の存在と内容を、科学的に説明した学問です。この質の高い道徳性は、本当の意味で人を解放する道を示しています。千九郎が目指したのは、伸びやかで生命力に満ちた、新しい科学なのです。】

こうした文言を目にすると、メシヤ教の信者さん方に毎朝拝読していただいている御教えに

『神とは、言い換えれば完全なる人間という事である。故に人間は、努力次第で神にもなり得るのである。そうして、本当の宗教の行(や)り方は、一歩一歩完全人間、即(すなわ)ち世に言う人格完成に近づかんとする努力の生活であらねばならない。

然(しか)らば、完全人間とは如何なる意味であろうかと言うと、真理即ち神意を骨とし、人間生活を肉と見るのである。即ち如何なる不正にも誘惑にも動かざる確固たる精神を内に蔵し、常に天空海闊的心境に在って、日常の言動は融通無碍、時所位に応じて何者にも拘泥する事なく、千変万化身を処すべきである。又、規律を尊び、怠惰を嫌い、万人を愛し、人に接しては春秋の気候の快適の如く、何事にも極端に走らず、人に好感を与える事を之(これ)努め、親切謙譲を旨とし、他人の幸福を念願し、人事を尽くして、神意に任せる態(てい)の信念を以って進むべきである。

人事百般完全は望むべくもないが、一歩一歩その理想に近づく努力こそ、人として最高最貴のものであり、斯(かく)の如き人間こそ生甲斐ある真の幸福者と言うべきである。

勿論、信仰の妙諦(みょうてい)も是(ここ)に在るので、此(こ)の様な人間の集団こそ地上天国でなくて何であろう。』

と御示しいただいています。この御教えの実践を、後継の指導者がメシヤ様御昇天後に努めて行くことを唱道していたならば・・・と強く思わされます。これは自戒の念を込めて記述することですが、手を翳(かざ)しさえすれば奇蹟が許され続けると自分を特別扱いするようになり、御教えを学び真理が解き明かされて人の知らないことを知るようになると人を見下すようになり、やがて慢心峠を越して自分が何れかの神仏の生まれ変わりのように勘違いを起こすようになってしまいます。

唯物思想は創意工夫を重ねて努力するのに反して、鮮やかな奇蹟が逆に怠惰を生むことになってしまうのです。それはやがて『教・論・律』を確立する方向ではなく、自分勝手な解釈により社会迎合へと傾いて参ります。

メシヤ教はそれを防ぐために、メシヤ様を神習って参拝の折には先達者のみが祝詞奏上を執り行い、御神名の奉誦を皆で執り行うようにしているのです。絶えず神様に真向かう緊張感を維持するためにです。その姿勢作りも兼ねて現在『祈りの栞』も改訂して上梓する作業を進めています。また、メシヤ様の御精神を現代に求める弛まぬ取り組みを進めているのです。

今までにない教え方をしてくださっているメシヤ様

さて、現在の支部の中では出雲支部が最も多くの布教経験者で構成されています。つまりは教会時代の布教師や支部長の家族、専従経験者が寄り集まっています。取り分け、支部責任者は約20年前に痛風を患い、その当時の上司より病院に行くように言われ、“こんな御教えを無視するような組織には所属したくない”という思いから、幹部職員であったにも拘わらず退職していたのでした。

そういうことから、出雲支部メシヤ講座では次のようなことを強調しました。


今月の御論文は非常に長文でありましたけれども、タイトルが『精神病と癲癇』という事でこのように書かれております。

私達にとって大切な事は人間の想念界・・・、生まれた時に、神様の分霊として「本守護神」が肉体に宿りますけれども、それを守護して正善に導こうと先祖の中で修業を経て資格を得た方が「正守護神」として絶えず守護して下さる。

その一方、人間の生命力を維持する為には、「副守護神」というものが動物霊で憑いて来るので、この三位一体で、人間の想念が絶えず動いているということであります。そういう意味では人間としての存在は何かということを、メシヤ様が細かく御示し下さっている部分であろうかと思います。

そして、もう一つは、この我々を絶えず守護している正守護神に力を付けさせなければ、より大きい邪神などに負けてしまうので、正守護神に力を付けさせることが、一方では信仰の意義なんだということであります。どの様な方でも信仰を持って行かないと、正守護神に力を付けて守護してくれることができない、ということがあるので・・・。

今迄はですね、霊の曇りを取るということと、それから血液が薬毒の為に汚れてくるので、それを浄めたり綺麗にして幸福になって行くということを学んできましたけども、ここで我々が危難に遭おうとする時には、正守護神がそれを察知して、そういうものから免れるように導いてくれるということを、御記述下さっておりますので『幸福になる為には信仰が不可欠である』ということの大いなる意義付けを、メシヤ様は、ここでして下さっていると思います。

(中略)

それからもう一つですね、ここに具体面としては精神病がどうして起きるかということにおいては、『前頭部の貧霊によって起きる』その原因は何かというと、この『両延髄と淋巴腺の所の固結が血液の送流を少なくしてしまう為に起きる』というふうに今日は御解説して下さっております。

ですから精神病の人を浄霊する時には、まずそこの浄霊が必要なんですけども、あるところでもうすぐ20歳になる女の子が知的障害児として生まれて来て、そして精神病も患っている為に・・・○○之光教団に入会しているんですけども、「参拝中に前に急に飛び出て行ったりとかですね、時には服を脱いでしまったり、という事が起きるのでどうしたら良いでしょうか」というふうに相談を受けたので“今迄どんな事をやって来たのか”を聞いたところですね、ここの今日御示しいただいた御教えの所を浄霊していないのです。どういう指導をしたのかなと思うんですけども・・・精神安定剤とそれから睡眠薬を飲んでいるので、「睡眠薬」というのは直ぐ止めてしまうと依存がついていて眠れなくなるので少しずつ減らして行って欲しい、と。

それから「精神安定剤」は、もう直ぐ止めてくれ、というふうに頼んだら実行してくれて・・・。

そして、この延髄と頸筋の所をよく浄霊をするようになったら、段々落ち着いてきて、2年おきに精神年齢を計っているらしいんですけども、今迄は、3歳半から成長していないので、そういう人達が就職する施設(会社など)がありますよね、これは「3歳半の壁」というのがあって、3歳半迄は採用して貰えない。

しかし、これが4歳になると採用してくれる、という事で・・・。

最近眠れるようになって、落ち着いたので、調べて貰ったら精神年齢が4歳迄いったらしい。

これで愈々社会人として出て行けると思ったら、医者が「精神病」というのを付けているので、それは受け入れられません、と言われたので、ガッカリして・・・。

それで、よくよく聞いてみると元々は「知的障害」だけだったらしいんで、そしたら○○之光教団に相談したら、「○院」に掛かりなさいと言われ「○院」に掛かったら、その医者が色々問診したりしている内に“この子は、眠れないという事と、少し気分の高下があるので”と、「安定剤」を飲ませ始めた所「精神病」になってしまった。

だから“救いを求めて来たにも拘らず○院が病人を作ってしまっている訳・・・薬によって”それでお世話をしている人が、折角良くなって精神年齢も上がったのに、社会人として世に出て行くことが未だできない状態を○院が作ってしまったと、憤っている。(以下割愛します。詳細は当支部のみにします。)

ですから、私もあまりボヤボヤしておられないなぁ、と思いました。

こんなことをですね・・・、メシヤ様は、この様に人を救う方法を説いて下さっているのに拘わらず、その逆の方向に行っている所を、何とか立て直していかないといけないなぁというふうに、強くその人の世話を通して思わせて頂きました。(詳細は後述)

それでメシヤ様が『どんな人間でも今は軽い精神病にかかっている』ということですから、教団人こそ狙われている訳ですので、絶えず首、肩の凝りを取ってですね、そして自分の本霊が、言わば九割位まで想念界をずーっと何時も維持しているような取り組みをして行かないと、副守護神がですね三、四迄ずーっと広がって来ると、考え方が暗い考え方になって行く、あるいは悪の想いの方が広がって来るというふうに説かれておりますので、正に精神病状態に皆追い込まれつつあるという事・・・。

実はメシヤ様は、最後の審判の時には、いわゆる『血液病と精神病という事が蔓延して来る』と仰っておりますので、血液病というと血液の病気だけではなくて、血液が汚れる為に全身に汚れた血を送って、取り分け曇りの多い所にを発生させて行きますので、も血液病と関連していると思いますがそういうものに現代人は覆われていっています。取り分け教団人がですねでお亡くなりになる人と、おかしな考え方を打ち出して行く人達が増えて行っておりますので、今回の『精神病と癲癇』というのは、非常にそういう意味ではですね、重要な「御教え」であろうかと思います。

それから、この御教えに関連してですね『狂ってない精神病患者』というふうに御指摘している個所が、他の「天国の礎」などには書かれておりますね。

挨拶をする時にメシヤ様に挨拶をしているのだけれども、少しずれて挨拶をするのは、もうそれは全部『軽い精神病だ』というふうに御指摘なられておりますので、私達の日常生活も、自分が多少狂ってないかということを何時もチェックする時には、そうした自分の向き方が正しい方向に向いているかとか、こういう所では御三宝の位置とかですね、そうしたものが正中にキチッとお供えされているかとか、それから仏壇に御膳をあげたりする時に、真中にキチンとあがっているかどうかという様なことで、自分自身の動物霊の支配力というのが判って来ますので、そういうのを何時も私達はチェックしながら生活をして行った方が正しい御神業を進めて行くことができるかと思います。

しかし、メシヤ様はこの『善悪を決定付けてはいけない』というふうにかかれておりまして、動物霊が仮に我々の想念界の中でゼロになってしまったら、これは食べる事もしなくなりますので、死につながって来ます。

その時に仙人の様にですね霞を食べれるようになっておれば、もう動物霊がゼロになってもこれは生きていけますけども、霞を食べる修行というのは相当な年月が掛かりますので、今すぐできる訳ではないので、動物霊の支配力をゼロにすると命が無くなって、それから子孫も出来なくなって来るという訳ですので、メシヤ様は決定付けてはいけないと、勝負を決定付けてはいけないというふうに、この様にお説き下さっております。

こういうことをですね、教えて下さっている教祖というのは、他にいらっしゃいませんので、私達は何と素晴らしい教祖に出会えて、そしてこうして信仰をさせていただくということは、本当に幸せなことだな、というふうに思わせていただけます。本日の箇所を拝読させていただくと、今迄拝読をずーっと重ねてきたその上に、更に喜びが湧いてくるような、そういう箇所であろうかと思います。最初にそうしたことを確認させていただいて何時もの様に御守護報告やら質疑応答に入りたいと思います。よろしくお願いします。


メシヤ様は最高最貴の御存在となられた際に『これからは想念が・・・』と御垂示されています。この御言葉は9月に学んだ『精神病と癲癇』と併せて受け止めなければ、とんでもない取り違いをしてしまいます。そういう意味から今回引用しました。

各会場で取り上げた事例の詳細報告

また、出雲支部をはじめとして全国のメシヤ講座で取り上げた事例について「5月に浄霊力伝授いただいたAさんについて奉告申し上げます。」ということで、経過報告をしていただいています。

それを今回客観的にまとめていただくように依頼したところ、以下のようにまとめていただきました。完全な形で御守護いただいた暁には実名を以って報告していただきます。


二ヶ月弱で10数年間越えられなかった壁を破る

二十歳。信仰三世。先天性の知的障害(自閉症)として生まれ、幼少の頃より浄霊を受ける。○院の前身である○院、クリニックの頃から母親と一緒に熱心に通って浄霊を受けていました。

今年、5月に母親が浄霊力伝授を申し込む。

娘さんは幼少の頃から2年毎に知的障害者を対象にした知能検査を受けています。

最近の知能検査は今年の7月で、浄霊力伝授の申し込みから2ヶ月弱経過していました。この時の結果は4歳半と判定されました。知的障害者が作業所に通って仕事に就ける基準が知能レベル4歳以上とされています。

彼女は今日までの10数年間、熱心に施術を受けていたにも関わらずどんなに頑張ってもこの知能検査で3歳半の判定から結果が伸びず、どうしても作業所に入所する基準をクリアできませんでした。浄霊力伝授から僅か2ヶ月弱で10数年間超えられなかった3歳半の壁を破り、1歳の知能を伸ばす事が出来たのは大きな御守護と母親始めご家族やご親戚からも大変感謝されています。

以上、これで話が終れば、言い方が悪いですが・・・よくありそうな御守護報告で、めでたしめでたしなのですが、事態はそう簡単に片付けられる問題では無かったのです。寧ろ、ここからが本題です。

では、その理由について述べていきたいと思います。

知能レベルが上がって作業所に通う基準をクリアしたにも関わらず、現在でも彼女は作業所に入所する事が出来ません。その原因は精神病を患っている為です。

彼女が何故、精神病を発症したのか、私がこの親子のお世話をさせていただき始めた頃私自身、メシヤ教に出会う前)に母親に聞き取りをしてもきっかけになったであろう事については話されましたが、その出来事が果たして精神病を発症する真の原因かどうか、聞き取りから、その出来事そのものが精神病だったので、その出来事が真の原因では無いというところまでは辿り着いたのですが、どうしてもその先がわかりませんでした。当時はまだメシヤ講座の存在を知らなかったので、原因がはっきりしないまま、問題解決の手掛かりがわからず、御教えに求めながらも手探り状態でした。そして、はっきりした原因がわからないまま時間だけが流れていきました。何故、真の原因が見えてこないのか?、当時を振り返って日々悶々としながら明主様メシヤ様)に疑問を投げかけ続けていましたがこれといった理由が見つからずに悩んでいました。

その後、色々な事がありメシヤ教に辿り着いたのですが、それについては略します。

問題発生の原点を探る

母親が浄霊力伝授申し込み以降、楳木先生のご指導を受けて娘さんの浄霊に取り組み、母親からの詳細な経過報告を受ける中で、メシヤ講座に基づいてもう一度、問題発生の原点に返って○院に通っていた当時の様子、○院での施術の取り組みや、受けた指導、専従者とのやり取り等、母親に聞き取りを重ねるうちに、娘さん個人の問題を超えて、現在の○院が起こしている問題の闇の部分が徐々に浮き彫りになって来たのです。

母親が楳木先生の面談を受けて浄霊の急所について先生から「首の後ろ」を浄霊するように指導をいただきました。 面談をされた時の母親の表情が忘れられないのですが、「眉間ではないのですか? 今迄ずっと眉間をするように指導されてきたのですが…」と質問したのです。

楳木先生から「眉間ではありません。」とはっきり言われた時に「えっ?そうなんですか?」と、答が予想外だったのか、彼女の驚いた表情が印象に残っていました。そしてその驚いた表情の意味が、その後しばらくしてから長い年月解明出来なかった謎の答えへと導かれて行く手がかりになりました。

○○之光会員の方にとって謎である、「何故、○院に通っても改善しないのか?改善しないどころか次から次へと新たな病気や家庭の問題等を発生させてしまって、最悪の場合命まで落とす方が続出する理由は何か?」現在まで、不思議に思っていた事の疑問の根幹がこの問題を通して見え始めて来たのです。

私は○院の施術が効かない理由は単に光の弱さが原因と思っていました。

ところが、理由はそんな簡単に片付けられるものでは無かったのです。

結論から言うと大きな理由は二つありました。一つめは、Aさんが浄霊の急所を間違えていた事です。と言うか、正確に言うと専従者が急所を間違えていた?(専従者が急所を間違えるなんて事は普通に考えてあり得ません。それも10数年に渡って急所を間違えていたなどとは考えにくいと思われます。しかし、これは作り話ではなく現実に間違えていたのです。

10数年に渡って症状に改善が現れず、それどころか悪化していたと言うのに、娘さんはずっと眉間の浄霊を受け続け急所の外れた浄霊の為にAさん親子は苦しみ続け、苦しめば苦しむ程「それだけの曇りを持っているから、苦しむのは仕方ない。このように苦しむ事で曇りを取って貰っているのだから寧ろ有難い、感謝しなければならない。Aさんは感謝が足りない。」「献金が足りないからこのような浄化をしている。もっと献金しなければいけませんね。」等これ以外にもここにはそのまま書けないほど酷い言葉で専従者やメンバーから責め続けられというか、実際のところいじめられたという方が適切な表現かもしれません。)ました。

Aさんも徐々に追い詰められて、孤立してしまって、他に解決の手立ても無く、「献金して、娘と家族が楽になるなら…」との思いから、ご主人に内緒で献金していました。

しかし、この後も娘さんは一向に改善に向かいませんでした。というか、急所が外れているのですから当然のことながら改善するはずはありません。

長年に渡る専従者とメンバーの急所の外れた浄霊の為に、しなくてもよい浄化を繰り返し、苦しんでいる娘さんを目の当たりにしてさえ、誰一人、浄霊の急所が間違っている事に気付かず、専従者は曇りが多過ぎて浄霊では治らないと諦めや言い訳して、酷い浄化を起こすと、「社会性」という言葉で責任逃れをして、医者の診察を受けさせ、さらにその医者はといえば、何かあれば薬物に依存するしかできない、御教えも浄化作用も理解していない質の悪い三流医者であった為に安易に薬を飲ませてしまいました。薬を飲まなければ娘さんは自閉症だけで精神病を患うことはなかったのです。 何故ならば精神病の原因は薬であるという事は御教えからもはっきりしています。

この時、医者よりも御教えを学んでいるはずの専従者が何とか出来なかったのでしょうか?と言いたいところですが、実際の○院の現場では、専従者は医者の顔色を窺って、ペコペコしている上、医者も調子に乗ってやりたい放題しているのが現実です。

薬毒から精神病を患い、その為に生活習慣が乱れ、娘さんは養護学校を卒業して、デイサービスに通い始めて僅か1年で10kg以上も体重が増えてしまって、自閉症→精神病、に続いて三つ目の浄化である生活習慣病が目の前に襲いかかってきたまさにその時、母親が浄霊力伝授の申し込みをしました。

曲解による“社会性”

もし、メシヤ教に出会わなければ、娘さんは○院の言われるままに薬を飲ませられ続けて娘さんの身体が破壊されていっただけでなくこの事によって家族が傷付き、邪神の計画通りにAさんの家は崩壊していたでしょう。

仮に百歩譲って○○Aが主張している医者にかかることが社会性であるという事を容認したとします。

問題発生時点で直ぐに専従者が御教え通りの浄霊をしたならば娘さんはその後次々と問題を抱えこまなかったのです。(こういうことが浄霊で問題を起こさない社会性ではないかと思いますが、何よりも常識を重んじる○○之光教団幹部の脳みそであれば、その事に気付かないはずはないと思います。気付かないのではなく、気付いても気付かないふりをしているとしか思えません。では、何故気付かないふりをしているのか?それについてこの場で触れると本題から脱線してしまいますのでこのことはメシヤ様のお許しがあれば別の機会に書きたいと思います。

問題を発生させただけでなく問題を解決不可能なまでに複雑化した原因は、専従者が急所の外れた施術を指導していた事です。○院の施術が効かない原因は単に霊力の弱さではなく、御教えを浅読みしている為に浄化の状況が分からず専従者が勘違いから急所の外れた施術をしている事なのでした。

では、何故急所を外してしまうのか?

しかし、この問題を更に深く掘り下げていくと単に御教えの浅読みだけが原因ではないことがわかってきました。Aさんは楳木先生から「首の後ろ」を浄霊するように指導をいただいた時に、彼女は「今まで首の後ろは浄霊した事はありません。」と伝えました。この時、楳木先生はどのように思われたかわかりませんが、後日聞くとAさんは実際に首の後ろを浄霊してみて、娘さんがどんどん変化していくのに驚いたそうです。そして、今までの施術は一体なんだったのか?と複雑な気持ちと共に日が経つにつれて段々と腹が立ってきたと言っていました。

そして、たとえ浅読みであっても御教えを拝読しているのですから、誰か1人くらいは急所を外している事に気付いてもおかしくないはずですが、現実には誰も気付かなかったのは何故なのか?

それが、○院の施術で改善しない二つ目の理由になるのですが、この二つ目の理由というのは一つ目の理由である急所を間違えていた事と関連しています。その二つ目の理由は何かというと、級と2級の「○○式浄化療法のテキスト」です。

このテキストで学んだ経験から言えるのですが、とにかく探査を繰り返し練習させ、施術で固結を取ることに重きを置いています。

急所が見えなくなるように仕向けられていた?

もちろん、霊の曇りを解消し、魂の覚醒が目標であると口先では言ってはいますが、実際のところは固結の探査と施術に振り回されて、急所が見えなくなっているように思います。特に2級のテキストはそれが顕著です。その上、このテキストは教団側に都合よく抜粋された御教えを解説の間に挟み、浄化作用を解りやすく説明しているかのように実に巧妙に解説していて、これを学べば何だか御教えも浄化作用も習得出来たような気になってしまい、見事に敵の作った落とし穴に落ちてしまいます。普通の落とし穴ならば、落ちた瞬間に痛みが伴い、気付くのですが、この落とし穴は落ちた当人が落ちた事に気付かないように巧く作られた落とし穴です。恥ずかしい話ですが、今にして思えば、熱や固結を取ることに必死になっていて、テキストを作成した側の策略にまんまと引っかかってしまっていた自分が恥ずかしくなります。それこそ、落とし穴ではなくとも、穴があったら入りたい心境です。

○院で療法士のボランティアをする事が経綸の最先端にいて、明主様(メシヤ様)にお使いいただいているなどと勘違いしていた自分が情けないの一言に尽きます。

この勘違いによってどれだけ多くの人に間違った施術をしてきた事か…。

そして、メシヤ様のご神意から外れていた自分の行いによってどれだけの罪を重ねてしまった事か…。

話は戻りますが、一番の被害者はAさんの家族です。

浄化で苦しむAさん親子に対して専従者は急所を外した浄霊をしていたことに気付かず、曇りが多過ぎて浄霊だけでは解決出来ないと言い訳し、社会性という名の教団と我が身の保身の為だけに医者の診察を受けさせ、薬を飲まされ、その薬毒から精神疾患を患ってしまいました。薬を飲まされなければ精神病は起きなかったのです。これは御教えからも明確です。

薬を飲ませて、病気になるきっかけを作っているのは医者である以前に急所の外れた浄霊をしている専従者だったのです。では、そのような専従者を教育したのは誰か?→社会性を大切にする○○之光教団幹部→そしてその○○之光教団幹部とは?→教団紛争の時に社会を騒がせた当事者→そして、教団紛争の原因は何か?→昭和25年のご法難から始まっていた。というところにたどり着きます。

とすると、現在の問題は昭和25年から始まっていることを認識して考えなければならない、という結論に導かれていきます。

Aさん親子の現在の様子ですが、精神病の方は睡眠障害があと一息で改善が許されそうなところまで来ています。睡眠薬も半月以上は服用していません。生活面は毎晩21時だった夕食が30分早くなりました。なんとかあと1時間早くできるように努力しています。

睡眠障害を克服できたら就業が許されそうなので、毎日欠かさず浄霊に取り組まれています。私は1週間から10日に1度Aさんに会い、浄霊と聞き取りをしています。娘さんへの浄霊は全てAさんがしていて私は1度もしていません。

薬毒の恐ろしさについては知的障害者であっても生活習慣がきちんとしていたならば仕事に就く事が出来て立派に社会の一員として生活している人たちがいるのに、知能レベルが作業所に通う基準をクリアしているにもかかわらず、薬毒による)精神病のために仕事が出来ないという事実を通して薬毒が経済的損失を社会に与えているという側面を発見する事が出来ました。

一日も早く娘さんの精神病改善と就業が許されますようにお世話させていただきたいと思います。そして、メシヤ様から与えられたAさん親子の問題解決を通して、多くを学ばせていただきましたことに感謝しています。


この文章は有りの儘(まま)をまとめていただいたものです。

これを単に教団批判と受け止めるほど単純なものではありません。恐ろしい現実に直面していることを認識して、共に『宗教改革』『医学革命』に立ち上がらねば、苦しみ続ける人が減少しないことをご理解いただきたいために、敢えて掲載したのです。

メシヤ様は『文明の創造』を教団内部向けではなく、外部向けに御記述されています。そのため初めての方々でも理解しやすいように文章を練られて、噛み砕いた表現で御説明なさっています。それはそのまま私達の救済の文言として口にしていくものです。しっかりと反芻して我が物として参りたいと願っております。

そして、私達は御啓示の主である主神様という御存在に対する認識を深めるために『主神様とメシヤ様』を上梓しました。9月末付けで、ある県立図書館から寄贈(信者さんによる)の御礼が本部へ届きました。御論文の内容に触れていただければ、これからの時代を善導する内容であることをご理解いただけることと確信しています。

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