メシヤ講座・特選集no.115(平成22年8月分)

<メシヤ様対談記・24>

メシヤ様が教団内外の人々との間で執り行われた対談内容は、私達の御神業推進の方向を再確認させていただけるものです。数多くの対談記中から、「世界救世(メシヤ)教」開教後になされた内容を順次掲載いたします。

明主様(メシヤ様)と御対談(一)

アジヤシーン東京特派員 ディック・中村氏
ラジオ東京アナウンサー 真 山 照 政氏

(栄光二百六十六号 昭和29年7月21日)

去る四月十五日、日本における英字雑誌「アジヤシーン」より、御著書『アメリカを救う』及び、御論文『原爆恐るるに足らず』につき、読者の依頼により調査の意向を持って、東京特派員ディック・中村氏が、又ラジオ東京より、アナウンサー真山照政氏、プロジューサー井上章和氏が、共に来訪されました。

この日の御引見は、碧雲荘応接間にて行われることとなり、一同御待ち申し上げる内に、午後二時明主様(メシヤ様)の御出ましを仰いだのであります。明主様(メシヤ様)には殊の外御機嫌麗わしく拝され、約二時間にわたり御歓談遊ばされたのであります。

以下、その時の御対談の模様を御伝え致します。

尚、アジヤシーン五月号に「熱海の生き神様」として掲載され、一部は四月二十日ラジオ東京「ラジオスケッチ」の時間に放送されましたことを付記致します。

中村氏 教祖が御書きになられた『アメリカを救う』という本につきまして、アメリカの方の読者から、内容状況を知らせてくれという事でありまして、私の方で教祖にお会いして話を伺いたいので参りました。ラジオ東京の方も、私の方と一緒に仕事をしておりますので・・・・・。

明主様(メシヤ様) 承知しました。しかしラジオの方は、私の言う事はあまりに変っているので、向かないかもしれませんよ。

井上氏 しかし私の方は「ラジオスケッチ」ということで致しますので、“色々な面から色々の事を紹介してゆく”というのでやっております。それで、結局一般の人に分らなければ分らないままに、一つの事をぶっつけてゆくというわけです。ですから我々としては批判ということは抜きにしておりますから。

明主様(メシヤ様) それがほんとうです。

井上氏 ですから、くどいような事をお聞きすると思いますが・・・・・。

 中村氏 私の方も無礼講で聞かしていただきます。

 明主様(メシヤ様) それがよいです。私の方も、むしろその方が話しよいです。

 中村氏 私は単なる新興宗教だからという事で来たのではないのです。ただ単なる新興宗教であるなら、幹部の方に会って、それ丈で作り上げてしまいます。併(しか)し私等は単なる新興宗教ではないと思ったので、これは本元に会わなければ分らないと思ったわけなのです。

明主様(メシヤ様) そうです。大体宗教では本当に救われないです。若(も)し宗教で救われるのなら、もう世界中が、キリスト教か仏教で救われて天国の世になっていなければならないです。処が、今もって病気、貧乏、戦争が絶えないということは、それでは救われないという事になります。併(しか)し、無かったらもっとひどい世の中になり、どんな野蛮なことになるか分らないです。ですから、あれだけのものがあったためにどんなに功績があるかということは言えますが、これ以上のことはないです。そこで私の方で超宗教的力を持ってやるというわけです。

活動の源泉力は何か

真山氏 昨日か一昨日まで自動車で京都の方に行かれたそうですが、お疲れにはなりませんでしたか。

明主様(メシヤ様) 車は往きだけですが、私はあまり疲れてはいません。

真山氏 その源泉力と言いますか、源は何処から来るのでしょうか。

明主様(メシヤ様) 自然生活です。私の方の養生法というのは一寸違います。

真山氏 例えば、どういうことでしょうか。

明主様(メシヤ様) 体は無理をする丈良いとしているのです。だから、私はできるだけ無理をしてます。そうすると自然に鍛えられます。

真山氏 私等は無理をすると寿命を縮めると言っておりますが。

明主様(メシヤ様) それは現代医学の説です。しかし本当は、人間は体を酷使するほどよいのです。スポーツマンは随分無理をしますが、人間は無理をする方が反って健康になります。ですから私はその主義で、何処までもその方針でやってます。そうして眠る事を少なくしてます。ですから睡眠不足を奨励してます。食べ物も、食べたい物を食べたいだけ食べるという主義です。ですからヴィタミンとかカロリーということは必要ないのです。

 真山氏 皆さんも大変顔色が良いですね。

 明主様(メシヤ様) そうです。これが本当の健康法です。それを知らないために、間違ったり、弱ったりするのです。特に甚だしいのがアメリカですから、そこで私はアメリカの人に分らせようと思って『アメリカを救う』を書いたのです。

真山氏 それを発見する動機と言いますか、どういう処から。

 明主様(メシヤ様) 一番最初は自分で肺病を救った時です。その時私は医者の言うとおりにして、滋養、栄養をウンと摂っていたのです。それをやろうと思って色々考えた末、その頃絵をやっていたので、漢法(方)の本を見て、色んな草根木皮の、何が何の薬になるとかあるので、こういう物が薬になるとすると、やはり必要に違いない。そうすると自分は今まで野菜をいけないとして動物的の物ばかり食べていたが・・・・・これで試してみようと思ってやった処がばかに良くて、三ヵ月ばかりですっかり健康になったのです。それで西洋医学に疑問を抱き始めたのです。

 真山氏 それが自然に逆らうなという動機というわけですね。

 明主様(メシヤ様) そうです。そうして、大本教に入って、神という事と、霊という事を知ったのです。霊というのは、物質以外に、見えないけれども立派に実在しているものであって、それが凡(あら)ゆるものの原因だということを知ったのです。

それで、病気も霊に原因があるので、つまり、霊が曇ると血が濁るのです。血が濁ったのが毒素になってそうしてその排除作用が病気だということが分ったので、その根本である霊の曇りを取ると病気も治るのです。その霊の曇りを取る方法を研究したというよりか、神から教えられたのです。

 真山氏 それが我々には一寸分らないのですが。

 明主様(メシヤ様) そうでしょう。ですから私が言いたい事・・・・・ではなくて、本当の事を言うと、一寸と見当がつかない位変ってます。例えばあなた方が、何処か、盲腸なら盲腸が痛いという場合に、こうやって(御手を翳される)いる内に段々痛みが無くなって来て、それで治ってしまうのです。だから私の方では、盲腸炎などでも大抵(たいてい)二十分か三十分で全治してしまいます。毒が原因ですから、それを溶かしてしまえば、それが下痢になって出て、それで治ってしまうのです。

 真山氏 それは科学的根拠はないのですか。

 明主様(メシヤ様) これは高級な科学です。ですから今の科学は程度の低い科学なのです。例えば徽菌にしても、今は徽菌だけを殺そうとしているのです。それは確かに徽菌が病原にはなってます。併(しか)しその徽菌は何処から来たかという事です。今日伝染という事になってますが、A にはBから、B にはCから・・・・・と、うつって来たとしても、結局その元は何処から来たかということになります。その一人だけが急にわいたわけではないのですから、それを極めないで、徽菌という結果だけに大騒ぎをやって、それを殺そうとしているのです。ですから因の、生まれて来る子供を生まれて来ないようにしなければならないので、そこに気がついたのです。そこで、その因の因というのは霊の曇りです。その曇りが、体の熱や色々な条件によって、だんだん濃厚になって来て固まるのです。凡(すべ)て、濃厚になると固まるということは物質の原則です。そこで或(あ)る程度固まって来ると、そこに一種のヴァクテリアが自然発生するのです。このヴァクテリアというのは植物性無機質ですが、それがだんだん進んでゆくと、無機質から有機質に育つのです。それが徽菌の子供です。ですから徽菌を殺すというのは結果であって、曇りを取るというのが根本的です。ですから肺病なら肺病をやれば治ってしまいますが、それは病気の根原を治すことができるからです。

 真山氏 我々の考えですと、手術とか、痛い目をして、高い金を使って、治れば結構だが、治らなくても・・・・・。

 明主様(メシヤ様) いや、治らないのです。それは全然科学ではないからです。何故なら、今言うとおり根本の霊の曇りを取るというのが科学的なやり方です。

 真山氏 そうすると、非常に簡単な療法であるわけですね。

 明主様(メシヤ様) そうです。理屈に合っているのです。ですから私等は赤痢なども少しも恐れないです。むしろ赤痢になろうとしているのです。あんな結構なものはないです。

 真山氏 その、手を翳される場合には触れるのですか。

 明主様(メシヤ様) いや、幾ら離れていてもよいのです。この光というのは非常に強いのです。これは原爆よりも強いのです。

 真山氏 そういたしますと、放射能というのは今盛んに問題になってますが、害にはならないわけでございますか。

 明主様(メシヤ様) いや、害はあります。死ぬ者は死にますが、放っておけば助かる者は治るのです。

 真山氏 それは教祖がなさらなければならないので、他の人では駄目というので、

 明主様(メシヤ様) いや、自然にしておけば治ります。人間の体には、そうやって治す力があるのです。例えてみれば、ヴィタミンが多いとか少ないとか、色んなことを言ってますが、医学の方では食べ物ばかりに栄養があるように思って、栄養を作る臓器を無視しているのです。ですから私の方では、食べ物はなんでもよいのです。それは、菜ッ葉ばかりでもオカユばかりでもよいのです。こういう話があります。荻生徂徠が豆腐屋に下宿していて、二年間オカラばかり食べて研究したということですが、こういう事などは今の栄養学者には理屈はつかないでしょう。腹の中の機能が作るということを医学は知らないのです。

世の中に薬はあるか

真山氏 併(しか)し、薬などは体質に合うとか合わないとか言いますが・・・・・。

明主様(メシヤ様) 大体薬という物は世の中には一つもないのです。薬と称している物はみんな毒なのです。というのは、私は病気というものは浄化作用と言ってます。それは体の中にあってはならない物を排除する作用です。排除するための痛みとか熱で、熱というのは溶かす作用です。その苦痛を病気と称するのです。ですから、病気というのは体の一つの掃除の作用で結構なものなのです。だから私は病気に感謝しなければいけないと言ってます。

 真山氏 病気になれというわけですね。偶には・・・・・。

明主様(メシヤ様) たまにはではない。大いになった方がよいのです。ですから、風邪をなる丈引けと言うのです。ですから、私の方の信者はおかげでやっと風邪を引きましたと言うのです。それで風邪を引きさえすれば結核などは起こりゃしないです。風邪を引かないように止めるから結核になるのです。そうでしょう。風邪というのは毒の掃除ですから、掃除の起った場合に、むしろ余計掃除をした方が余計毒は取れます。掃除ができます。今はその掃除を止めて固めるのです。ですから医者は治るということは言わないので、固めると言います。

 中村氏 今話がありましたが、原爆の放射能を受けた人は・・・・・。

 明主様(メシヤ様) 原爆は、何もしなくても放っておけば治ります。

 真山氏 治りますか。

 明主様(メシヤ様) 治ります。医学の方で色んなことをやる、それによって死ぬのです。ですから医学というのは有害無益な存在です。

 真山氏 そうすると、救世(メシヤ)教は医学排斥論というわけですね。

明主様(メシヤ様) ではなく、もっと強い絶対廃止論です。医学が無くなったら、人間はどの位幸福になるか分らないです。

 中村氏 内臓疾患はそうとしまして、外科疾患の場合は如何でしょうか。

明主様(メシヤ様) と言っても、因はその人に霊的曇りがあるからです。又外傷した処で直ぐに治ります。それは私の方で発行している新聞を読めば分ります。これを説明するにはなかなか骨なのです。というのは、あなた方が普通の頭ならよいですが、科学迷信、医学迷信に固まっているからです。

真山氏 いや・・・・・ しかし・・・・・。

明主様(メシヤ様) それなら、私が言う説を直ぐ受入れられますか。そうはゆかないでしょう。併(しか)し受入れても疑問が起って、不思議で変におもえてしようがないでしょう。

私は人を救う“人”を作る

真山氏 こうやれば(手を翳す)よいという事は、どういうところから御分りになられたのでしょうか。神の御告げとか、インスピレーションとかでございますか。

明主様(メシヤ様) 勿論そうです。神様が一種の霊気をくれて、此処から出すというように漠然と考えていたのですが、その内にはっきりして来たのです。というのは、神様が色んな事によって教えてくれたのです。それで今は、こういう事を言うと誤解されるのですが、私は神様だか人間だか分らないです。奇蹟=不思議な事ばかりが毎日あります。

真山氏 そういたしますと、不断は別にどうという事はなく、病人に対坐した時に一種霊妙なものが体に漲ぎるというものでしょうか。それとも不断のままで。

 明主様(メシヤ様) 最初は何か、そういうふうでした。処が数年前からお腹に光の玉があるということが分ったのです。これは見る人もあります。それで、こうやる場合に、これ(光の玉)から手を通じて出るのです。それは私がやる場合ですが、弟子がやる場合もこうやりますが、やはり此処(掌)から光が出るのを見る人は沢山あります。

 真山氏 それはどんなものでございましょうか。

 明主様(メシヤ様) 白、黄、黄金、とあります。それが多く子供が見るのです。

 中村氏 純真な者がというわけですね。

 明主様(メシヤ様) そうです。つまり、無心と言うか、潜在意識がないから、反って信じられます。それは十二になる子ですが、まだ続いています。

真山氏 それでは、こうやるのは我々では駄目なわけですね。

 明主様(メシヤ様) 誰でもよいのです。それでなければ信者はできません。

 真山氏 それでは皆さんそういう域に達して居られるわけですね。

明主様(メシヤ様) 域ではないので御守をかければそうなるのです。だから、あんまり話がうますぎるのです。

 真山氏 そうですね。私等には一寸信じられません。そうしますと、今沢山の金をかけて、全国民が心配しています東大病院に入院しております原爆患者ですが、このお話をお聞きになってでございますが、お出かけになって、自分で一つ手がけてごらんになりたいという御考えは・・・・・。

 明主様(メシヤ様) 私はもっと重要な事があるから、個人的に救うという、そういう事は勿体ないです。それよりか私は今、これから何万人を救う人間を作るのです。

 真山氏 併(しか)し、何人かの人達が非常に困っているのでございますが、そういう御考えは、

 明主様(メシヤ様) 持ってます。助けてやりたいとはおもいます。併(しか)し、そうかといって、事情が許さなければ仕方がないです。つまり私は、そういった人を救う「人」を作る仕事です。

 

≪解説≫
神界の秘儀を知った上での行動

メシヤ教代表 楳木和麿

対談記から拝するメシヤ様の関心事と御姿勢

先月までの対談記は芸術に関することが続き、『地上天国は芸術の世界』であることから、改めて地上天国建設の指針と併せて天国天人を目指す在り方をお示しいただきました。当然のことながら、拝読するごとに関連する新たな知識を次々と習得することもできました。

取り分け、前回印象的であったのが、末尾で谷川徹三氏との間で交わされた次のような会話です。

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 谷川氏 私は今日は風邪を引いたかして、汽車の中でも憂鬱だったのですが、美術品を見ていると疲れません。

明主様(メシヤ様) 私も、いろいろ用事はありますが、こういう時間だけは特別です。

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このように受け答えをされて、メシヤ様は美術に対する飽くなき探求心を滲ませておられました。

さて、今回からの対談では冒頭で次のような遣り取りがなされています。

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井上氏 ですから、くどいような事をお聞きすると思いますが・・・・・。

 中村氏 私の方も無礼講で聞かしていただきます。

 明主様(メシヤ様) それがよいです。私の方も、むしろその方が話しよいです。

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こうして開始された御対談では、メシヤ様がどんな質問にもお答えしようという、意気込みとも受け取れる御姿勢が前面に出ており、緊張感を感じさせていただきながら拝読させていただけます。

病気治しのみではなく幸福を得る方法としての浄霊

本文では、『医学革命』を志されるに至った経緯を掻(か)い摘んでご説明されて、

『人間の体には、そうやって治す力があるのです。例えてみれば、ヴィタミンが多いとか少ないとか、色んなことを言ってますが、医学の方では食べ物ばかりに栄養があるように思って、栄養を作る臓器を無視しているのです。』

と述べられています。

この御説明を私達はどのように受け止め、論立てを展開するかということが大切です。薬毒論をいただいている私達は、薬理学の考え方に対して、人体の本来有している能力を根底に置いて考え方を正すように促す対応をしなければなりません。

また、一方で薬理学に対しては、謂わば人体の化学反応を裏付けする学問として結果的に機能するというように位置付けることもできます。そのため、薬毒論を手にしていることを理由にして薬理学を学ばない姿勢でいると、逆に御教えの本質的意味を理解できない状態になります。綜合的な論法で組み立ててゆかなければなりません。

そうかと言って、薬と浄霊を併用してしまうと、何をやっているか判らない状態にもなります。このことについては、ブログ「岩戸開き」に記述してくれている事例が参考になります。一節を引用します。

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さて、今年のテーマであります「病気は感謝すべきもの」について、書かせていただきます。

本来メシヤ様(岡田茂吉教祖)との御神縁をお許しいただき、薬毒と浄化作用を教わり、救いの道を邁進するのが信徒であると考えます。

しかし、メシヤ様(岡田茂吉教祖)を信仰する教団の一部に、薬毒と浄化作用を教えていない現状があるように感じます。

私が、以前所属した「東方之光教団(MOA)」で、ある信徒が家での作業中に意識を失い、倒れたことがありました。その信徒は妻と長男が、2時間程度、御浄霊を取り次ぎ、御守護いただかれたとのことです。そのことを、専従者に報告したところ、「なぜ、医者を呼ばなかったのか」と、叱責・指導(?)されたとのことです。

また、「いづのめ教団」の知人に伺ったことですが、「浄霊の御守護報告についても、医療、または代替医療とのタイアップがないものについては、とりあげられない」、「センターに行き、御浄化をいただいたと話すと、先生、世話人から、医者行け、医者行けと言われる」とのことです。

以上のことからも、メシヤ様(岡田茂吉教祖)との御神縁をいただきながら、信仰の醍醐味を味わえない信徒をつくっている現状です。

当ブログといたしましても、メシヤ様(岡田茂吉教祖)の『浄化作用は恩恵である』という御教えを、微力ながら訴えてまいります。

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折りしも、8月24日付で日本学術会議(会長=金沢一郎・東京大学名誉教授)は「代替医療(ホメオパシー)には科学的な裏付けがなく、過信するのは危険だ。」として、医療関係者に警告する談話を発表し、大きな波紋を呼びました。

これはどういうことかと言いますと、「様々な代替医療が、現代医学を補完する形で医療に使われている」という立場であるために、「科学的裏付けがない」という論立てをしてしまうのです。もっとも、代替医療そのものも考え方が異なる立場の方々が存在して、問題の火種を抱えている面もあります。

結局は根底に置く考え方が異なるために、浄霊との併用は論理的にも無理があるということなのです。それなのに、引用のように軸足をずらしてしまうのです。その背景には「社会性」という文言が幅を利かせていますが、判り切ったことながら軸足をどこに置くかということが重要なのです。

8月には、浄霊の仕方を改めて学ぼうとする他教団の方々と話し合い、驚いたことがあります。特に重篤でないにもかかわらず、いきなり急所を浄霊するという手法に固執しているということを知ったのです。ご承知のようにMOA会員の方からのお話です。お聞きして、腰が抜けるような思いがしました。

しかも浄霊時間が非常に長い。最近のメシヤ教の信者さんからの御守護報告では、10分から15分でいただく奇蹟が多くあります。それと比較すると、どうしてそうなっているのかが非常に疑問です。どうも「病気が治る」ということよりも「病気を治す」ということに意識が偏っているように思われます。それが「施術」という言葉に象徴されているのでしょうか。

どうも偏っているのです。急所の浄霊も必要であるが、魂が浄まる浄霊がなければ、浄霊が幸福に繋がってゆきません。

薬毒論を薬理学を理解しないで前面に打ち出せば対立的になってしまいます。しかし、浄霊と薬を併用するようなことでは、これでは本末転倒になってしまいます。そして、気付いていただきたいのは「善言讃詞」で『壽(よわい)は永く無醫薬(むいやく)に』と唱えている信仰なのです。

しかも、今回の対談記で

『その因の因というのは霊の曇りです。その曇りが、体の熱や色々な条件によって、だんだん濃厚になって来て固まるのです。凡(すべ)て、濃厚になると固まるということは物質の原則です。そこで或(あ)る程度固まって来ると、そこに一種のヴァクテリアが自然発生するのです。このヴァクテリアというのは植物性無機質ですが、それがだんだん進んでゆくと、無機質から有機質に育つのです。それが徽菌の子供です。ですから徽菌を殺すというのは結果であって、曇りを取るというのが根本的です。』

『大体薬という物は世の中には一つもないのです。薬と称している物はみんな毒なのです。というのは、私は病気というものは浄化作用と言ってます。それは体の中にあってはならない物を排除する作用です。排除するための痛みとか熱で、熱というのは溶かす作用です。その苦痛を病気と称するのです。ですから、病気というのは体の一つの掃除の作用で結構なものなのです。だから私は病気に感謝しなければいけないと言ってます。』

とメシヤ様は御答えになっていますので、重く受け止めていただきたいものです。こうした御言葉に基づく概念の構築が欠如しているために、現場サイドに混乱を招いているのです。

概念の構築には、最新の医療から御教えを裏付ける内容も出てきていることも事実ですので、人類の叡智を活用する姿勢も必要です。それは、「メシヤ講座・三重(平成22年8月分)」で掲載している内容をはじめとする新たな着想です。一部引用してみましょう。

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●検査をしない問診重視の総合医療について

 (質問者)
 問診のみで90%の的確な診断をする。無断な検査をせず問診のみで振り分ける各科を決めており検査より的確な診断を可能にしている、千葉大学医学部附属病院・総合診療部の教授を務める生坂政臣先生のお話をTBSのTV番組「夢の扉」でやっていました。また、生坂先生の著書に感銘を受け企画された「総合診療」をテーマにしたドラマ「GM~踊れドクター」がTBSで放送されています。総合診療では、患者の症状を詳しく聞き出し、その情報から、病名や原因を特定するのが仕事です。生坂医師は「問診は、切れ味の鋭い武器」である。と言います。問診だけで、90パーセント以上の確率で患者の病気を言い当てることができると言うのです。生坂医師は「患者への負担を少なくする総合診療を確立」されることに尽力しておられます。

 参考ページ 生坂政臣氏(千葉大学医学部教授総合診療部)に聞く一般外来診療の「極意」

 話の一例では、痛みを抑える薬は脳の誤作動を引き起こし、脳が混乱する。「痛みを訴えればこの薬をもらえる」と脳が判断してしまうのだそうです。これは御教えではどういうことになるのでしょうか。

 (先生)
メシヤ様は何が恐ろしいかとおしゃっておられるかいうと、一つには「薬への依存」です。だから今の話では脳が依存するわけでしょう。これをメシヤ様は薬毒の中で早くから恐ろしいと警告していた。例えば消化薬を飲むと、余計に消化能力が弱くなってくる。そうすると体自体が消化薬に依存してしまう。薬がないと消化できなくなってしまうのです。単純にはそういうことの依存と言う事です。で、最近の研究では脳が欲しがると。鎮痛剤は一種の麻薬だからね。覚醒剤と一緒だから。本来人間と言うのは一つの目標を立ててその目標を達成した時にドーパミンがガーッと分泌してきて満足するのです。ですが、人間というのは楽して儲けたいという気持ちが強いので、達成感が無くてもそういうドーパミンがフワ―ッと出てくるように欲しがるのと同じ構造ですよ、脳は。だからその先生は良い所を組み立ててくれたなあと思います。
「踊れドクター」は症例から導きだしていってますから面白いですね。でもね東山君は薬毒論を説かないからね。治療法を導きだして最後は生体肝移植(せいたいかんいしょく)とかさせてしまうからね。これは困ったものです。(笑い)

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最新情報は、受動的な態度ではなく、能動的な態度で収集して、御教えの裏付け的論立てに取り組みたいと思います。御経綸の一つには、『神の言葉』に人智が辿り着いてゆくという面もあるのですから。

御経綸とメシヤ様の御決意、御神格的御出世

もう少し掘り下げて考えてみますと、メシヤ様の御神格について理解、認識が浅いということになります。

8月の質問では『みくらたな』の神様についての質問が続いてありましたが、「メシヤ講座・浜松」で掲載している内容が判り易いと思いますので、引用します。

その中で「昭和25615日にメシヤ様の腹中に《みくらたなの神様》が宿られたとのことですが、615日ということに意味がありますか?」という質問に対して

「意味があるでしょ。火素が増量するときだから。メシヤ様が御決心されることで『夜昼転換』がなされました。その際、決心されたのはメシヤ様だけれど、主神様から615日に鋸山に登りなさいと指示されています。615日は主神様がお決めになったことだから、そのときにしか起きてこない。これは人間ではどうこうすることもできない。決心まではメシヤ様だけれど登るように指示されたのは615日。主神様がお決めになった日取りであるという事です。だから私も《みくらたなの神様》のことを報告するのは615日まで黙っていたのです。615日にしか発表できないのです。そのことが肚に入った人から変化が起きています。だから発表してから宗教宗派を越えて、すでに浄霊ができている人もメシヤ教を通して浄霊力を授けていただこうと、「浄霊力拝授お願い」を申し込みする訳です。そうするとそのことから浄霊力がかわってきているのです。他教団にいても肚に入ってきた人から変化が周辺にどんどん起きてきています。」

と答えています。

何故このような話を持ち出したかと申しますと、御経綸とメシヤ様の御決意と『夜昼転換』の御教えを繋いで理解していない面が多いからです。ひどい解釈ですと、鋸山で初めて御啓示をいただいたように受け止めている方もいらっしゃいます。それではメシヤ様の御決意と御努力と御神格的御出世というものが繋がってゆかず、自らの位置に降ろして考えることもできません。

勿論、そのような教えられ方をしてきた面があることも事実ですが、求道心を以て御教え拝読に取り組めば、“点”ではなく“線”として理解を深めることができるのではないかと思います。クドクドと申しますが、浄霊の原点には『夜昼転換』が存在し、その『夜昼転換』の背景には主神様の御啓示とメシヤ様の御決意があるということをしっかり把握しておかなければ、人の文言で信仰姿勢が揺らぐ恐れがあります。

そうしたことがあるだけに「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」へ二回に亘って書き込みを次のようにしたのです。

書き込み(一) 仕組の存在の厳然さ

御神名を明らかにさせていただくことにより、メシヤ様の御神格に対する認識が更に明確になり、想念の高まりと深まりを得ました。その認識の変化と呼応するように私自身をはじめ各地で変化が起きています。

私自身については、47年前の薬毒を溶解していただいた内容を各地の「メシヤ講座」で報告しました。詳細は「メシヤ講座・三重(平成22年8月分)」で逸早く掲載していただいています。

信徒の皆様の上に起きている様々な変化の代表例は、「枚方支部」仮発会式で参拝者がいただいた御守護です。こちらは「メシヤ講座・大阪(松原勉強会) ※松原出張所)」で掲載していただいています。

また、「枚方支部」仮発会式では、『御神霊が天下る場所というのは、神様御自らお決めになる』ということを改めて強く思わされました。このことは三重支部」発会の折(参照 「メシヤ講座・三重支部 平成20年4月度」)に報告されていること併せて受け止めると、より理解しやすい内容ですが、やはり神様のお仕組は絶対的なものであることを痛切に思い知らされます。

というのは、枚方市で支部発会が決まる前には八尾市に九割方決まって改装の準備も進められていたのですが、ある事情で支部として使用出来なくなりました。そのため他を当たっていたところ枚方市に良い物件があり、幸いにも改装の必要もなく直ぐに決まったのです。ところが、枚方市という土地を考えてみると昨年候補に挙がった場所でもあったのです。その時点では一旦流れたのですが、今回支部仮発会に到り、『神様が御神業をお進めになる場所として決められていた』ということを強く認識させられたのです。神様がお決めになったことは変更できないのである、と支部仮発会式をさせていただく中でしみじみと思わされました。

この話は、広島支部でもあったことです。広島支部が発会する前年に、広島市に候補が上がったのです。その時もある事態の影響で流れてしまいました。しかし、他の人の決断により支部発会が広島の地で許されました。御神霊が天下る地は神様の方でお決めになり、人間の方では願いとして思わされるのです。また、神様から御指名があるのですが、決心した者に任が降るのです。メシヤ様の追体験を目指すことで、より判らせていただきます。私達はその一連のお運びを恐(かしこ)んで拝さねばなりません。

そして、重複しますが、それは人間の決心と共に進展いたします。神様の御意図に沿って因縁使命を自覚しつつ御神業にお使いいただける自分づくりに努めたいものです。

書き込み(二) 覇権主義という既成概念で捉えると勘違いを起こす

メシヤ様御在世当時に『みくらたな』の神様という御神名は側近に明かされた由ですが、どの程度の人にまで知ることが許されたのかは定かではありません。また、知ることができた人が「天上の王権の象徴(シンボル)としての御頸珠(みくびたま)」と同義でもあるという内容に基づいて神界の秘儀をどのように捉えるに到ったのか、というところが大きな関心事です。

一方「メシヤ講座(7~8月開催)」では、 「御神名のことを知っている」という反応もあった旨お伝えしました。それ故に「知った人間はどうあるべきか」ということを考えさせられました。前回書き込みのような変化が続いているからです。

以前「三重支部」の方から資料を提供してくれた中に

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このご神名については、古事記に次のように出ています。

「あは子生み生みて、生みの終(はて)に三はしらの貴き子得たり」とのらして、すなわちその御頸珠(みくびたま)の緒も、ゆらに取りゆらかして、天照大御神賜ひて詔らししく、「なが命は高天の原を知らせ」と事依さして賜ひき。かれ、この御頸珠(みくびたま)の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。

伊邪那岐命は、天上の王権の象徴(シンボル)としての御頸珠を天照大御神に授ける。稲妻の表象でもあった。その珠の名を「みくらたなの神」とよぶ。天照大御神には高天の原の領有支配者になると同時に穀霊としての性格が付与されることになった。
(古事記 新潮日本古典集成 新潮社 より引用)

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という部分がありました。

この内容をメシヤ様御在世当時の先達はどのように捉えたかということです。仮に、覇権主義的によってこれを捉えたならば、その勘違いによって教団紛争を起こす火種になるでしょう。 『徳によって治める』『絶対平和主義』ということが脳裏に浮かんだならば、御法難という不祥事を起こした信仰姿勢を挙(こぞ)ってメシヤ様にお詫び申し上げたことでしょう。

浄霊の奇蹟を目の当たりにすればメシヤ様の御神格は明確であるに関わらず、教団紛争が繰り返され現在まで真の和合が実現しないでいる事象を見つめると、前者の捉え方をしているとしか思えません。そうすると、やはり 「知った」「知っている」ではどうにもならないところがあります。知った上で、いや知ったということはそのこと自体「使命に基づいて知らされたのだ」と受け止めなければならず、どのような行動をするのかが重要なのです。意味を求め行動に移さねば、地上天国建設を設計図通りに進捗させることになりません。

順に思考を重ねてゆくと「勿体ない」と思うばかりです。メシヤ様の御神格は60年も前に明確に明かされており、素直にその認識に立ちさえすれば絶大なる御力をいただくことができるからです。

幸福への扉は、自らの認識と行動によって一段と開かれるのです。

神界の秘儀を知った上での因縁使命の自覚

最後に、この度大阪の枚方市に「枚方支部」が仮発会いたしました。支部責任者の木原俊和さんがブログ「メシヤ講座・大阪(松原勉強会)※松原出張所」へ仮発会式の御礼と決意を書き込んでいただいていますので、ご紹介します。

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私は昨年12月より、「メシヤ講座・大阪(松原勉強会)」に参加させていただき、今年6月に入会のお許しをいただきました。

松原にて代表先生には時間ギリギリまでご面談くださり、私の若気の至りにも嫌な顔一つされないどころか、一つ一つ真摯にお答えくださり、如何なる人にも誠を以て解決に向かうお姿は神様のお姿そのものを彷彿させられたことを強く覚えております。それは今なお感受し続けております。

加えて松原勉強会の会場提供者の田中さんには、大変心を砕いてくださいました。屹度日々お祈りくださったものと思われます。

皆さんの笑顔と親切に富み、実に気さくに普通にお話させていただける雰囲気が有り難かったです。

こうして代表先生はもとより田中さん、そうして皆さんが温かく見守ってくださった中で、徐々に無理なく心から育ち始め、今月12日に枚方支部仮発会式を挙行していただけるまでになりました。

仮発会に至る経緯は実に一言では申し上げられない内容量であり、それは人間世間的には冷酷とも言える事態であり神様からすれば掃除と新たな任を与えてくださったのであり、私自身かつて経験のない事態と神秘を眼前としたことは、正に重大なるメシヤ教の使命を知ると共に己の岩戸開きをさせられたという一言に終着するのであります。

今となっては、心の底から、「幸福だ、如何なる難も全身全霊尽くすに値する、命を預け目指す完全の世界がある、ただただ有り難い。私に務まるか、甚だ未熟ゆえ不安はあるが、毎日楽しい、嬉しい、有り難い、というのが湧いてきております。焦らずシッカリ立派を目指し一つ一つ修正するトロイような私でありながらも、神様は不思議と何から何までお進めくださり、余りにも私が頼りないのか、全く小言も言われず寛大なのは代表先生と同じだな、と苦笑しつつ感激している次第であります。

誠に有り難うございました。主神様すなわちメシヤ様の御恵みと御導きに深く深く頭を下げるばかりであります。

また代表先生にはメシヤ様の直接代理をいただきお導きくださったということが、知恵無き私ではありますが感得させていただけたことも大きな喜びでありました。改めて感謝申し上げます。

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本文中に出てくる「仮発会に至る経緯は実に一言では申し上げられない内容量であり、それは人間世間的には冷酷とも言える事態であり神様からすれば掃除と新たな任を与えてくださったのであり、私自身かつて経験のない事態と神秘を眼前としたことは、正に重大なるメシヤ教の使命を知ると共に己の岩戸開きをさせられたという一言に終着するのであります。」は、A4サイズで160ページに亘る量でまとめられていますが、関係者のプライバシーに関わることも多分に含まれていますので、公開できる範囲にまとめられた折りに改めてご紹介いたします。

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