メシヤ講座・特選集no.103(平成21年8月分)

<メシヤ様対談記・12>

メシヤ様が教団内外の人々との間で執り行われた対談内容は、私達の御神業推進の方向を再確認させていただけるものです。数多くの対談記中から、「世界救世(メシヤ)教」開教後になされた内容を順次掲載いたします。

美術館三階の日本間に於ける

明主様(メシヤ様)とダヴィット女史
ジャーナリスト会見記



(地上天国四十一号 昭和27年10月25日)

既報栄光第一七三号に所載されまして皆様御存知のマドレーヌ・ダヴィット女史はフランス、パリー・セルニスキー博物館の副館長をつとめ、東洋美術の権威者であり、更に日本美術研究の為来朝、去る八月二十二日外務省田付タツ子女史、報知新聞社取締役社長竹内四郎氏、同編輯局長森村正平氏、読売新聞社社会部渡辺昌司氏等と共に、箱根美術館を参観、非常な感銘をうけ、更に美術館三階の日本間に於て明主様(メシヤ様)御引見、忽(たちま)ちにして座談の花が咲いた。其(その)間一時間半に及んだ其(その)時の模様を速記によっておしらせ申し上げます。(後半部)

メシヤ教と美術館

新聞人 「教主は随分御精しい様で――」

明主様(メシヤ様) 「私は若い時分から好きで、随分研究してます」

新聞人 「教主が御覧になると、之は贋物か何うかという事は御分りになりますので――」

明主様(メシヤ様) 「直ぐ分ります」

新聞人 「摑まされた事は――」

明主様(メシヤ様) 「最初はありますが、併し直ぐわかります」

新聞人 「メシヤ教と美術館の方との関連は何ういう事になりますので――」

明主様(メシヤ様) 「表面的には全然ないけれども、之丈の物を造ったのは、やはり信者が皆金を献金しているのです。併しメシヤ教というのは全然関係ないのです。斯(こ)ういう美術館というのは、国家としても非常に必要なのです。ですから之に対して、文化財保護委員会も非常に喜んでます。斯(こ)ういうものが国家には何うしても必要だと言ってます」

新聞人 「非常に良い場所に来まして喫驚しました」

明主様(メシヤ様) 「そうです。場所も良いです。それに外人は箱根には必ず来ますから、そうすれば此処は嫌でも見ます。それが一番です。処が今迄は個人では中々見られなかった。ですから一般的なものが、何うしても必要なのです」

新聞人 「メシヤ教は美を非常に尊ぶという事は――」

明主様(メシヤ様) 「それは真善美ですから、美というものは必要なのです。私の方では宗教と芸術というものは切っても切れないものだと言っているのです。つまり宗教というのは人間の心を良くするのです。つまり思想的に向上させるのです。それには美の働きをさせる、高める。それから耳からも目からもやる。処が今日目から入るものは向上するより低くする方が多いです。色んな――ストリップとかも結構ですが、その間に、高める良いものをというのが非常に考えられる。読売の谷川徹三さんの記事は非常に宣伝になった様です」

新聞人 「展覧会があった時は批評家に来て貰って一度見て貰い、新聞に書くと共に美術雑誌に書く様にしたら宜敷いでしょう」

明主様(メシヤ様) 「芸術新潮に出てます」

新聞人 「やっぱり専門の芸術雑誌に美術館丈を取上げる様にする。例えば箱根美術館の特輯号を出す様にしましたら宜敷いと思いますが」

明主様(メシヤ様) 「段々そうしましょう。然し今外国人に大騒ぎをやられると、日本人も大騒ぎをやるのです。映画の羅生門と同じです。私も最初は大したものと思わなかったが、それを聞いて見直してみたら成程良いです。美術館の美術品もそれと同じことでしょう。

(此時釈迦八双四幅対の掛物を見せられる)

ダ嬢 「大変面白いです」

明主様(メシヤ様) 「そうでしょう。つまり仏画から大和絵になる処です。之が鎌倉時代の初期です。ですから藤原時代の感じが良く出てます」

ダ嬢 「そうですね。作者は同じですか」

明主様(メシヤ様) 「そうです」

ダ嬢 「同じ時代ですね」

明主様(メシヤ様) 「そうです」

田付女史 「箱根美術館は、早い事外国の方に有名になるかも知れません。ユネスコの方で手を附けますと、日本人の方がそういうのがあったそうだと飛込んで来なければならない様になるのではないでしょうか」

明主様(メシヤ様) 「やっぱり舶来崇拝も中々抜けないでしょう」

新聞人 「此処の設計は教主ですか」

阿部執事 「二日位でおやりになられました。それでケースの大きさ等も、何を何処に並べるかということから、何は幾らの寸法、という具合で――」

ダ嬢 「実に良く出来てます。素晴しいです」

新聞人 「此処に来て、見せて戴いて寝ころがって居たら――」

田付女史 「新聞社の編輯室や役所とは大分違いますね」

明主様(メシヤ様) 「偶には涼みに来たら良いです。兎に角此処の位置が箱根では一番です。箱根では強羅です。他では四方見下しという事が出来ないです。強羅はそういった風景ですが、秋になると海が見えます。三浦半島から――。それで強羅の真中が丁度此処です。日本では箱根が、日本の公園としては一番ですが、此処が箱根中で一番ですから、此処は日本中で一番だろうという事になります。つまり箱根の重要地帯を利用したのです。私は先から美術館を造るとしたら環境の良い処をと思って居ました。環境とのマッチが中々です」

私の弟子はキリストの奇蹟をあらわす

田付女史 「十年程会わなかった男ですが、今度会員となって御面会を戴き、御浄霊を戴いて帰った処、何んだあんなつまらない事をと思って居たそうです。その男にはイボが三つありましたのですが、翌る日に髯をそろうとしましたらイボが無くなっていたそうです。で、奥さんにオレのイボを何処にやったと言ったそうですが、オレは不思議という事は考えないのだが、何んにも苦労しないでイボが無くなったという事は何ういう訳だ。そんな馬鹿な事があるかと私に怒るのです。ですから、最近お伺いするから、イボが何処かに行くものか伺って来てあげると言ったのです」

木原先生 「今の世の中の人の議論的考え方を代表している様で御座います」

明主様(メシヤ様) 「今それ以上の事があります。今度「栄光」(一七一号)に出しますが、十分間息が止って死んで、それが生返ったのです。それを今度出します」

新聞人 「病気で死んだのですか」

明主様(メシヤ様) 「病気で死んだのです。医学でだと、大々的に出しますが、我々の方での事は鼻クソ程です」

新聞人 「教主がやりましたのですか」

明主様(メシヤ様) 「私でなく弟子がやったのです。私の弟子はキリストの奇蹟位の事は毎日やってます。それを知ったら大変ですよ」

新聞人 「ウーム」

明主様(メシヤ様) 「脈が十分間止ったのですからね」

新聞人 「そういう事が毎日の様にあったら大変ですよ」

明主様(メシヤ様) 「そうですよ。それを考えれば美術館なんか何でもないです。今私は“文明の創造”という本を書いてますが、之は世界中の大学や色々の方面に配ります」

新聞人 「一冊にしてですか」

明主様(メシヤ様) 「そうです」

新聞人 「相当長いものですか」

明主様(メシヤ様) 「そうですね、何頁位になりますか。二、三百頁でしょう。それを書いて、今迄の文明は仮の文明だ、本当の文明ではない。本当の文明は斯ういうものだという事を書きます。色々ありますが、今度出版するのも大変と言えば大変ですが、“結核信仰療法”というのですが、之も出たら問題になります。というのは、結核は医者が作っているという説なのですから――。それから結核は伝染しないという事をすっかり立證的に書いてます。之は相当なセンセーションを起すと思います。そして新聞広告もする積りです」

新聞人 「生命の実相という事を谷口氏が書いてますが、何う御考えですか」

明主様(メシヤ様) 「私は問題にしていません。新しい説は一つもありません。古い聖書や仏教の意見や何かを綜合して書いているのです。併しあれでも只、唯物的思想に対して唯心的思想を吹込む丈の事は出来てますから、之は結構です。そういった意味で非常に賛成もしてます。ですからそういった、つまり霊的文化に対する一つの入門の手引という様な形式があるわけです。私が言う“文明の創造”というのは、宗教とかそういうものに対する大学の講義というか、そういったものです」

新聞人 「そういうのが一つになって運動を起こそうというのがあるのではないでしょうか」

明主様(メシヤ様) 「ありません」

新聞人 「此(この)間代議士の花村四郎氏に連れられて立正佼成会の会長に会い話を聞きましたが、病気は心にあるわだかまりを吐出して了えば良くなるという話をしてました」

明主様(メシヤ様) 「大体あそこはそう言うのです。私の説くのはあんまり桁が外れ過ぎるのです。一寸話がしにくい位なものです。だからメシヤ教の説というと、あんまり桁外れなので反って誤解を受ける事がある位です」

木原先生 「新宗連で集まりましても話が出来ませんので、黙って聞いて居るより仕方がありません。話しますと相手の痛手になりますから」

明主様(メシヤ様) 「そうです。だからウンと割引して話さなければならない。大袈裟に言うとか言いますが、あべこべです。余程加減しているのです」

田付女史 「カルティユさん〈此人は一カ月程前明主様(メシヤ様)と御面会された有力な仏人です〉から手紙が参りまして、忘れられない御方で、そうして心の中に非常に残って居られると宜敷く申し上げて下さいとの事でした」

(註)まだお話はつきないが余り長くなるから以下略す。

 

≪解説≫
本来の「特選集」の形になる

メシヤ教代表 楳木和麿

各地のホームページやブログで互いに触発

8月には「医学革命」ブログ「岩戸開き」が開設されました。これで、さらに内容豊かな情報を発信できるようになりました。すでに各地での学び合い内容がそれぞれのホームページやブログで公開されていますので、その中から特に普遍化してゆきたいことを取り上げてまいります。皆さんが努力を重ねてくださっているお蔭で、このページも一層「特選集」らしくなってゆきます。

また、相互の発信事項から互いに触発されて、内容の濃い気付きをいただいている方々が増加しています。勘働きも冴えて、考察に必要な御教えと出会える頻度も増しているようです。そうした中で、メシヤ講座から更に学びを深めた内容や他の地区で発信された内容の感想など、数々のメールが寄せられております。

今回は三重支部の濵口博幸さんから送信されたメールを紹介して、解説を加えながら皆さんと共に学んでまいりたいと考えます。(便宜上、メールに対してこちらで数字を貼りつけて掲載し、それに対して順次触れてゆきます。)

≪**内がメール部分≫

***********8月16日***********

気になる御教えがありました。

 ――国常立尊と天照皇大神の押し込められ給うたことの相違は……(お伺い)

『天照皇大神のことは割に近い。近いと言ってもいまからだいぶ昔だが、ところが国常立尊のはそれよりずっと前で別個のことです。国常立尊は天若彦命らにより艮に押し込められたが、天照皇大神は素盞嗚尊に攻められ御身が危くなって逃げられ、信州水上山へお逃げになり、その地でおかくれになった。そして御髪の毛を切って御神体としてほうぼうへお祀りしたんです。日枝神社なんかはそれです。  ( 御光話 S23年5月18日 御光話録・補)』

○日枝神社には天照皇大神様の御髪の毛が御神体としてお祀りされていたのですね。

 『宗教になることだって私がしようと考えてしたんではない。進駐軍の中佐の牧師がある程度この道を了解して、これが将来発展すると必ず医者と衝突して禁止される、それには宗教になってなければ……というわけで宗教になったんです。まったくなってよかったんです。これで全国の医師会との間に起っていたいろいろな問題もなくなってしまったんです。(御光話 S23年5月18日 御光話録・補)』

○宗教でなかった頃の方が医師と問題があったことが窺われます。そうすると MOAの療院というのはこの教えに逆行しているように思えます。

 ――現在会員の会費の一部をもって積立金として積立て、将来会員のための福祉、例えば旅館のごとき宿泊設備、教会、農場、学校、治療所等々の建設を考えておりますが、大きな分会にはいろいろ福祉がありますが、私どもの分会はまだ小さく、従ってまだ見るべきものなく、会員に淋しい暗い気持ちを抱かせております。この点につきまして大先生のお導きをお願いいたしとう存じます。

『そういう問題は管長がやるべきです。渋井さんと相談してみなさい。経営はすべて本部管長がやることになっている。分会長もいるんだからみんなで相談してやったらよい。』

――先日も管長に会ってお話ししたところ、管長とは名ばかりで実際は五六七会の会長であるからそのほうのことをしていると言われてました。

『いままでは私がやってきた、で、その習慣が残っている。宗教の形を整えたうえは管長が全部やるべきです。が、そこまでまだ行ってないのです。もうしばらく自然の動きに任せておけば定まることは定まる。神様がやってられるんだから。私はこうすればよいと自分で考えても神様のお考えと違うことは始終ある。(御光話 S23年5月18日 御光話録・補)』

○渋井管長は五六七会の会長の仕事を重視しておられた様子です。なかなか世界救世(メシヤ)教になっても一つにまとまってはいなかったのですね。

***********8月18日***********

 ブログ「日月地」の内容について、

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みろく大御神は、この「應身彌勒(おうしんみろく)と化(か)し」の部分があるからみろく大御神なのだけれども、その「みろく」は、善言讃詞の「彌勒」と、それぞれの教団が使っている「みろく」とでは漢字が違います。
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同じ善言讃詞の中でも、『五六七御代を生み賜ふ』は彌勒でなく五六七を使用してますので、明らかに彌勒と五六七を使い分けておられるということですね。

「應身彌勒(おうしんみろく)と化(か)し」の「化し」も化けるですので気になります。

世尊観世音菩薩此土に天降らせ給ひ・・・観音様は天から下られた
光明如來と現じ         ・・・光明如來となって現れる
救世主とならせ         ・・・メシヤと成られる。

と比べて「應身彌勒と化し」は違和感があります。この彌勒は仏の彌勒で観音様は仏に化けている。とは受け取れないでしょうか?と疑問をもったところ、すぐに回答の御教えが見つかりました。ここでは「ミロク神」とカタカナになっています。

『化身で一番重要なことは、仏は全部神の化身であって、夜の世界の間は仏の世であるから神々は全部仏に化身された。天照皇大神が大日如来、月読尊が阿弥陀如来、稚姫君尊が釈迦如来というようにである。従って、仏滅ということは仏がみな元の神格に還り給うことである。善言讃詞に「観世音菩薩此土に天降らせ給ひ 光明加来と現じ 応身弥勒と化し」とあるが、観音は伊都能売の神であり、ミロク神の化身である。従って、いずれは観音という御名もなくなる時が来る。霊界ではすでにほとんどなくなっている。(地上天国4号 昭和24年5月25日発行)』

また、『世界救世教の誕生に就て 開教の辞』でも「弥勒神」の字を使っておられます。

『祝詞にもあるごとく観世音菩薩、光明如来、メシヤ(救世主)、弥勒神等も、御名は異なれど同一の御神霊である以上根本は変るのではない、いわば時期に応じて御神霊の活動範囲が拡充するのであるから、御神体も御守りもある時期まではそのままで差支えない。(救世48号 昭和25年2月4日発行)』

 ブログで

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メシヤ様は、「主神様」の御経綸を説かれて、そして、「主神様」からの御力だからこそ、絶対力を発揮するという事を、御教えの中で幾度も説かれている訳です。そこで、私達が最も大きい御祈りからすると、その御本体である「主神様」にお祈りを捧げることが不可欠であります。「主之大御神」様という御神名が最もふさわしいという境地に至った次第です。
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とありましたが、メシヤ様=主之大御神様との想いを持ち御教えを拝読させて頂くと、次から次へと御教えが見つかり驚いています。

『それから今世の中では天照大御神が一番尊い神様としてありますが、天照大御神がこの間出られて私のことを「主神様」と言ってましたが、「主神様がいよいよお出になってお慶び申し上げたい」と言って「これからせいぜい御守護をお願いしたい」ということを言われてましたが、これは本当のことです。これは神代史にある通り、天照大御神は伊邪諾、伊邪冊尊から生まれたとなってます。ですからつまり天照大御神は私の子になるわけです。(御教え集16号 昭和27年12月15日)』

この御教えですと、天照大御神様がメシヤ様を主神様と言っておられるのですから現身をお持ちの時はメシヤ様(メシヤ大御神様)であられ、御昇天なされて主之大御神様とお一つになられたのかもしれないと思いました。

さらに、メシヤ様という御尊称は生きておられる時の御尊称だと次の御教えで思わせていただけます。

――キリストも釈迦もメシヤも観音も人の姿の神にぞありける
との御歌を拝しますが、神様が人間のお姿にお生まれになる場合、神様はそのお方の本守護神になられるのでしょうか。それともそのお方にお懸りになって宿られるのでしょうか。

『これは本守護神になってるんですよ。だから「生き神」ですね。そう思えばいい。神様が懸る場合もありますが、こういうのは永続性がなくて、必要なことがすむとお帰りになってしまうんです。だから本当に神様がお生まれになったのとはわけが違うんです。(御光話 昭和24年5月13日) 』

そして、決定的なのは

『メシヤというのは人間の名前です。神様は、主の神――エホバですね。』

という次の御教えです。

――そういたしますと、明主様を中心とする信仰は、救世観音を中心として崇めるということで解釈してよろしいのでございましょうか」

『いや、しかし観音という名前だと、まだ化身だから本当の力は出ないんです。神様が経綸するんだからね。今度の救世観音というのは、聖徳太子が救世観音になっているんです。今度はいよいよ時期が来て活動を始める。活動を始めるには、やはり自分が仏を作られたので、今度は仏を元の神様にしたり、こちらの――メシヤ教のために働かせたり、そういうことをやります。メシヤというのは人間の名前です。神様は、主の神――エホバですね。(御講話 昭和27年5月1日 御垂示録9号) 』

『メシヤという神は国常立尊という審判の神様で、これは永久的のものでない。ある時を限られたお働きで、長い。

一厘の種はメシヤとは違う。神様のやられること、計画は非常に深く絶対判らぬ。経綸は最高の神たる国常立尊様でも判らぬとおおせられる。経綸の主体は大弥勒の神で、この神が経綸の中心である。キリストや釈迦もぜんぜん判らぬ。必要だけのことしか判らぬ。神秘である。最高の神でも判らぬ。お筆先に「神界の事は判らないと思う人は判ったのである」と。(御講話 未発表 昭和25年8月1日 速記録) 』

「メシヤという神」との表現ですが、永久的ではないと書かれています。経綸の主体は大弥勒の神 ?・・・ この「弥勒」も「五六七」ではありませんが、もしや善言讃詞の「彌勒」は大弥勒の神様のこと?神秘ですね。想いが尽きません。

***********8月19日***********

  「神智之光」に次の記載がありました。

『それで光明如来と現じ、応身弥勒と化し ――とあるが、応身弥勒は未だ仏で、本当の意味ではない。それから、日月地大御神様となる。そして火水土三位一体の力を発揮せらるるのが、ミロクのお働きである。』

――応身弥勒とか法身弥勒、報身弥勒の場合の弥勒の意味を御教えを御願い申し上げます。

『この場合、弥勒は如来で、仏様で特別に尊い御方という意味である。三尊の弥陀はこれで、要するに、敬語と思えばいい。(S23.11.21)』

この御教えから致しますと、善言讃詞の「應身彌勒と化し」は、「人間の姿に化けて人々を救済する」という意味にも受け取れます。

御教えの解釈は難しいですね。身魂相応にいろいろな解釈が出来てしまうのでしょう。

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≪解説≫

①について―夜昼転換の周期

最初の御教えは、統治権の移行が夜昼転換の周期となり、それが神話に盛り込まれたことを垂示されたものです。主神様の御経綸の現れとして起きていることと教えられたからこそ、理解できる思いに至ります。しかし、現実的にはこのように長い時間軸の歴史観を正確には理解することはできません。

しかし、稽歴、ユダヤ暦、皇紀、仏歴、西暦など現代に残されている記録と照らし合わせて拝読する姿勢を持つと、解らせていただけるところも存在するものです。稽歴やユダヤ暦は皇紀の二倍余りですし、稽歴は西暦のほぼ三倍になります。そうした時間軸を御教えに照らすと興味深いものとなります。

メシヤ様の卓越された時代考査の御論文を拝読していると、ともすると一般論を軽視する誘惑に襲われますが、実は、メシヤ様はそうしたものに御眼を通されるなど御研究を重ねられ御批判されているのです。御啓示から御立教までの期間がそうした作業に要したものと拝察できます。

御教えを拝読すると、理解できたようになるものです。また、解って見ると簡単なもののようにも思えてくるのですが、それまで誰も説き明かさなかったことなのです。しかも、メシヤ様は御啓示を受けられても鵜呑みにされず、全て検証されたのです。実証できたものを私達に手渡してくださっているのです。

それに続く私達は、メシヤ様のご姿勢を神習って、学びを深め体系化を図らねばならないのです。その一つのヒントが、地上天国祭を前に濵口博幸さんが発見した「神風串呂」なのです。8月は各地でこの話題が出ました。

御経綸の深さというものを人間には全てを掌握できるものではありません。懸命に進んできた後を振り返ってみると“なるほど、そういう御意図なのか”ということを拝することができます。⑤の御教えにある『神様のやられること、計画は非常に深く絶対判らぬ。』というお言葉の通りです。それにしましても、日枝神社の「天照皇大神様の御髪の毛」には感慨深いものがあります。

②について―メシヤ様の御神格の認識

②は、民間療法的活動から宗教活動にお移しになられた背景と実行後の安堵感を述べられております。背景というものを見つめると、御神慮を痛感させられるものです。

一方、「そうすると MOAの療院というのはこの教えに逆行しているように思えます。」と指摘するように、時代性を求めているという文言とは裏腹に進んでいるようで逆行していることもあります。

先日、MOA会員で熱心な「東方之光」教団の信者さんの御好意で【「教綱と憲章」の解説 MOAと「東方之光」の誕生】という資料に目を通しました。時の推移により許された御守護は信者及び関係者の御努力が滲み出ている内容でした。しかし、御経綸の型としての捉え方は“主観的”“独善的”の誹りを免れ得ないものでした。

「昭和30年2月10日ご昇天という衝撃的な事態に遭遇した教団は、ご昇天の混乱から立ち直るために、時の教団執行部によって既成宗教化の政策が採られた。その第一歩は最高最貴の神霊と合一された人類の救世主・明主様をエンジェルと位置付け、一宗の教祖に止めたことであった。そして一般の宗教観で受け入れ理解できる範疇のみ教えを中心にして昭和32年8月20日に『天国の礎(第一篇)』が刊行され、それ以外のみ教えは全てお蔵入りとされた。・・・」

という認識は共有すべきものではありますが、昭和58年からの教団紛争については「経綸上の浄化」と表現し真実を包み隠しています。耳触りの良い表現を用いることにより真実が語られていない、この一点において尊い内容が台無しになっています。“ウソの上塗り”の印象を深めさせることとなり、非常に残念でした。

真実が包み隠されていることに起因してか、メシヤ様の御神格に対する認識ではさらに残念な結果となっています。昨年「春の芸術祭」初日で間違えて奉告された「立春祭 ご面会奉告」の内容が全てを物語っています。

「立春祭 ご面会奉告」には、「それは、明主様のご神格を、み教えとご事蹟に基づきメシヤとして明確にさせていただき、各被包括法人が同じ文言で機関決定することが決まり、東方之光としては臨時の理事会にて議決させていただいたことでございます。」と、宣り現わされていたのです。

その奉告詞が手違いにより、結果的に再度奉告されることになったということは、これこそが御神意と受け止めねばならないのではないでしょうか。

御神格の確定がなされたと言いながら「メシヤ様」とお呼び申し上げることにはなっておりません。この上なく尊い第一歩を踏み出せずにいるのです。また、御神名も「明主之御神」のままです。『言霊は同じ』という御言葉を理由にし、しかも最高最貴の御神霊に対しては『大御神』とせねばならないことを御教えによって心得ているはずにもかかわらず、素直に『メシヤ大御神』様とさせていただいていないのです。

『メシヤ様』と唱えることで、絶大なる救済力を賜ることを実証してきた私達からすれば、“もったいない”の一語に尽きるのです。信徒の皆さんがせっかく賜る筈の恩恵を先送りにしているのです。光が強くなったとされる時代から、有に50年が過ぎているのです。毒素溶解のシステムに伴う大まかな急所は認識すべきではありますが、浄霊力が強化されていることから御守護は速やかになっていることを認識すべきなのです。

そうした観点から見つめるからこそ、濵口博幸さんの感懐のように“時代に逆行している”と指摘せざるを得ないのです。

しかし、この資料【「教綱と憲章」の解説 MOAと「東方之光」の誕生】を繰り返し研鑽した人ならば、「メシヤ論の研鑽結果、如何に今日まで御神格を低きに置いた信仰であったかを痛感する」ことに辿り着くと思われます。そして、「メシヤ様」と素直な気持ちでお唱えできるようになり、絶大なる救済力をいただけるものと確信いたします。

基より、そのことが「世界救世(メシヤ)教復興事業」の要めでもあります。『可能な限り全人類を救う』というメシヤ様のご悲願が達成されない限り、組織的な事が整ったとしても意味を成さないからです。

また、既にそうしたことに気付き始めた方々が、教団の枠を超えて増えていることを8月に確認することができました。これはとても喜ばしいことであり、時期の到来を強く認識させられるものでした。

③について―組織の変遷と御神業の進展

「日本浄化療法普及会」の時代を経て昭和22年8月30日に宗教法人「日本観音教団」設立の運びとなり、この時メシヤ様は顧問となられ、主管に渋井総斎氏が推挙されたと記録にあります。②の御教えに出たニコルスという人物の尽力で設立が順調に進んだとされています。また、この時の地方組織は八分会だったようです。

その後、同23年10月30日に宗教法人「日本五六七教会」が設立されています。そして、ご承知のように宗教法人「世界救世(メシヤ)教」は、同25年2月4日に開教されています。わずか数年の間に立て続けに組織が変遷し、同時に目を瞠(みは)る御神業進展がなされたのです。

渋井総斎氏についてメシヤ様が触れられている内容が幾つかありますが、東山荘を求められた際のお話が私の心に残っています。というのは、治療時代から宗教活動へ移行する時期に、メシヤ様に対して金銭面で大いに献身したということからです。

メシヤ様が昭和19年に箱根の神山荘を求められた時は、当時の信奉者(病気の治った100~200人)が購入資金を出し合ったそうです。そして、熱海の東山荘を求められた際は、神山荘購入の二、三ヵ月後ということもあって大変御苦労されたそうで、次のようにお述べになっています。

『それ(東山荘購入)はとても駄目だから諦める他しょうがない、と言っているうちに、渋井さんに話したところ、一つできるだけやってみましょうと、それで三十万円くらいお金を持ってきたんです。とにかく、じゃ買う方針でやってみようとやっているうちに、だんだん集ってきて、それからそうとう足りなかったが、また渋井さんが足りない分を持ってきて、どうやら七十万の金ができて買えたんです。(御教え集11号・昭和27年6月25日)』

ひたすらメシヤ様の御神業推進にお尽くしする、という姿勢を髣髴とさせるものです。それ故に、メシヤ様の御神業を直向(ひたむ)きに支える姿勢を崩さず、立場を越えることがなかったからではないかと推察できます。それが、③に取り上げられた問答の背景にあると思われます。

このお話が出た昭和27年は、このように宗教活動に移行される時期の御苦労と信奉者の赤誠に触れられる一方、次のような事柄も述べられています。

『・・・それから昨年の事件について、一つ言いたいことは、どうして起こったかという事は、これは教団を乗っ取ろうとする陰謀の一団があった。陰謀の一団というと大げさだが、陰謀者があった。これがなかなか知恵があって、おまけに私は疥癬で、なんにもできなかった。それで任せきりであったために、その隙に乗じて教団乗っ取り策を講じて、それには私と渋井さんをまず追い出すということが一番の狙いであった。それで、当局を巧妙な手段で動かしたという事は、悪智恵という・・・・・凄いものがある。とうとう当局を動かして、その当局は、メシヤ教になった当時で、メシヤ教というのは大変怪しからんものだ。これを調べたら、何かあるに違いない。それにとうとう乗ってしまって、それでこいつを大袈裟にやってみようと、ああいった大袈裟にやったのです。』(御教え集12号・昭和27年7月25日)

このお話は背筋が寒くなるものです。絶大なる救いの力をお出しになる御存在を教団から追い出すということなのですから、想像を絶するものがあります。しかも、その陰謀に一部の弟子も乗ぜられてしまった訳ですから、メシヤ様の御心中は如何ばかりであったか、と思わされます。

この憂慮するお気持ちを持たれていたことは、次のお話でも拝察できます。

『・・・明主様はこうおっしゃったが、あれはこういう意味なんだ。こういう意味というのを自分で作ってしまうのです。それで間違うことがよくある。それでまた私の言った通りをやるということは、自分が値打ちがなかったり頭が悪かったりするように思うのです。ですから私の言った通りにやる人が少ないのです。私はいつも言うのですが、私が思う通り言った通りにする人は英雄と言うのです。・・・(御教え集12号・昭和27年8月6日)』

『私の言った通りにやる人が少ないのです。』というお言葉に深刻さがあります。現身の神様を目の当たりにしても、絶対の救済力を許されても、そうしたことが在り得るのです。

「世界救世(メシヤ)教」開教後の問題点を痛感させられるものであり、復興事業に深い示唆を与えていただける内容となりました。

④について―疑問に対して回答の御教えに辿り着く

ここでも、『神様のやられること、計画は非常に深く絶対判らぬ。』ということを思い知らされます。

仏滅の意味の一つに化仏された神々が元のお姿にお戻りになる旨の御教えがあります。ですから、化仏された神様が元の神格にお戻りになられるので『化す』という表現をお使いになられていると、解釈できます。

ここでは既に、疑問に対する回答の御教えに辿り着いていますが、⑥でも答えの一つが提示されていますので、併せてジックリと拝読していただけることを願っています。

⑤について―「『祈りの栞』に寄せて」の基になった御教え

⑤の御教えは、「『祈りの栞』に寄せて」の「四、主宰神」「五、教祖」に記述した内容の基になった御教えです。

自らの信仰姿勢を顧みるためにも、ジックリと拝読していただければ幸甚です。

⑥について―信仰の根幹とする資料の作成

⑥に示された内容を全般の御教えと併せて考える時、現在製作中のDVD「全御論文、全問答形式御教え、全詩歌集」が完成する暁には信仰の根幹とすべき内容の資料を作成せねばという思いになりました。

DVDには検索できる機能を付けてありますので、研鑚させていただくには申し分のないものとなります。しかし、個々人で整理するには大変な作業が必要ですし、PCをお持ちでない方もいらっしゃいます。そこで、同時に検索を掛けた上での取りまとめを事前に行い資料づくりを行なうようにいたしました。

まず「主神様とメシヤ様」と題した資料を作成すべく、担当者に着手していただきました。希望者を募り、印刷・製本の実費で配布する予定です。作業が順調に進めば、12月23日に発刊の予定です。以前刊行した「浄霊法講座」と同様の在り方で進めたいと計画しています。

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