メシヤ講座・特選集no.84(平成20年1月分)

<御教え>
世界救世(メシヤ)教早わかり
(昭和25年11月20日)
本教の誕生

 

抑々(そもそも)、本教誕生の理由は、何であるかというと、先づ人類が数千年以前から孜々(しし)として作り上げた処の、近代文化を検討してみる時、外形的には如何にも進歩発達し、絢爛たる容装は実に幻惑されるばかりである。之を観る現代人が如何に絶讃し謳歌して来たかはいう迄もない。処が、飜(ひるがえ)って其(そ)の内容をみる時之は又余りにも意外である。凡そ外形とは全く反対である事に気付くであろう。反対とは勿論精神方面であって、些かの進歩も見られない。寧(むし)ろ古代人の方が勝っているとさへ思えるのである。今人間の心を善悪の計量器で測るとすれば遺憾乍(いかんなが)ら善より悪の方が多いであろう。

此(この)事が、人類社会に如何に悪影響を与えているかは、蓋(けだ)し予想以上のものがあろう。見よ人類の最大苦である戦争も、病気、貧困、犯罪、天災等の忌わしい事も、少しも減らない処か、反って増加の傾向さへ見らるるにみて明かである。此(この)様に科学文化の進歩に伴わない精神文化のあり方は、不思議といってよかろう。而(しか)もそれらの事実に対し、疑問を抱かない処か、益々物質文化に酔い拍車を掛けているのである。世界各国の宗教家も、学者も、政治家も多くの知識人は、それに目醒めないのはどうした訳か、中にはそういう人達も少しはあるであろうが、如何せん其(その)根本が判らない為、止む事を得ないとし、寧(むし)ろ人類本然の姿であると、諦めて了っているようである。

そうして、人類欲求の中心は、何と言っても幸福であり、幸福を得んが為に如何に智能を傾け、凡ゆる手段を尽して来たかは勿論である。それがユートピアの夢となり、理想世界の念願となったのは言う迄もない。その意味から、初め人類は宗教に依存したのである。処が宗教のみによっての可能性が危ぶまれて来た結果、之を他に求めようとした。それが彼の中世期以後支那を初め、ヨーロッパ方面に於て興って来た、教育、道徳、哲学等である。支那に於ては孔子、孟子、朱子等の碩学や、西洋に於ては、ソクラテスの如き教育家、カント、ヘーゲル等の哲学者等の輩出あり、人類はそれらに期待をかけたのは勿論である。処が西洋に於ては十七世紀頃より唯物科学が抬頭しはじめ、凡ゆる面に亘って漸次改革が行われた。就中(なかんづく)、機械文明の発展は、俄然産業革命を起こし、世界は挙げて科学に魅惑されて了った。茲(ここ)に於て人類は、今迄のような宗教や道徳の如き迂遠(うえん)な道を辿るより、眼に見え手で摑める実證的科学文化こそ無上のものとし、人類の幸福を増進し、理想世界を作るには之に若(し)くものはないと思ったのも、無理はないのである。

而(しか)も、事実を見れば文化の優秀なる国程富み栄へ、戦備は具わり、国民生活は恵まれ、世界から尊敬され、国威は四隣を圧する勢となるので、之を見た各国家は、競ってそれに倣(なら)おうとした。それが為科学文化の興隆発達は目に見えて顕著となり、今日に到ったのである。処が人類は余りに科学文化に心酔し過信した結果、遂に精神界の方は虚脱状態となり、道義は地に墜ち、人間は只眼に見える物のみを追求し、いつしか科学の奴隷となって了ったのである。本来科学を支配すべき人間は、科学に支配されるようになったのは今日見る通りである。其(その)ような訳で現在の如く世界的禍乱(からん)の一歩手前の状勢にまで追ひつめられて了ったのである。全く人類の前途や危しというべきである。

以上にみても、人類最初の念願であった幸福も、理想世界もいつしか忘れられ、遂に抜きも差しもならぬというのが現状であってみれば、文化が発達すればする程幸福は益々遠ざかるという皮肉極まる結果になり、恰度ブランコと同様、一方が上れば一方が下るという訳である。之を一層解り易く言えば最初精神文化を以て、天国を作ろうとしたが、実現しそうもないので、今度は科学文化こそ、天国を作り得るものと思ひ込み、全力を傾けて進んで来たのである。処が前述の如く天国処か反って地獄よりも恐しい人類破滅という段階に迄来て了った。それが彼の原子爆弾の発見である。之程の危うい時代となってもまだ目が醒めず相変らず唯物科学崇拝である。一言にして之を言えば、唯心文化で失敗し、唯物文化で又失敗して、まだ懲りないという悲惨事であるとすれば一体どうすればよいかという事こそ、全人類の切実な課題でなくてはならない。それは今迄の過誤を認識して再出発する事である。即ち精神に偏らず物質にも偏らない両々一致した中正的新しい文化形態であり、それによってのみ天国は実現するのである。

以上によってみる時、現在は恰度旧文化と新文化の交代期ともいうべく、吾等が常に曰う処の、世界的大転換時代である。有史以来斯くの如き、人類にとっての大異変があったであろうか。実に空前の大問題である。然(しか)し乍(なが)ら旧文化に取って代るべき新文化とは果して如何なるものであろうか。勿論此(この)事は到底今日の人間では片鱗だも摑めない事はいう迄もないが、それでは一体如何なるものであるか、何人がその新文化創造の掌に当るであろうかという事である。茲(ここ)で初めて信ずると信ぜざるに拘わらず、神というものの実在を肯定するより外にない事になる。

従って、之から神に就ての説明をしてみるが、単に神と言っても、実は上中下の階級があり、千差万別の役目がある。神道には八百万あるというが、全く其(その)通りで、今日迄神といえば、キリスト教的一神教と、神道的多神教のどちらかであった。併し両方共偏った見方で、実は独一真神が分霊して多神となるのであるから、一神にして多神であるというのが本当である。之は私が永年の神霊界研究によって得たる結論であって、此(この)考え方も今日迄あるにはあったがそれ以上は説け得ないようであった。そうして今日迄最高神として崇められて来た神と雖も、実は二流以下の神であって、最高神は遥か雲の彼方に座し、只人類は遠くから礼拝していたに過ぎなかったのである。では最高神とは何ぞやというと、主神に外ならないのである。エホバ、ロゴス、ジュース、天帝、無極、再臨のキリスト、メシヤ等の御名によって、各民族各国家の人民が称え来った神である。主神の御目的は真善美完き理想世界を造るにあるので、それには凡べての条件が具備しなければならないので、神は其(その)時を待たれ給うたのである。其(その)時とは即ち現在であってみれば、人類は此事を先づ認識しなければならないと共に、自己自身の精神革命こそ喫緊時である。(以下次号)

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「メシヤ様御降臨祭」特集

<体験報告・1・追伸>

神奈川県 中村吉郎

メシヤ様御降臨祭にて報告させていただきましてより、自然食品販売現場にて一段と良き出来事が続いておりますので、追加報告させていただきます。

その中の一つ。あるクリニックに通院する患者さん方がクリニックの紹介で次々と来店するようになったのです。不思議に思っておりましたら、そのクリニックの院長がレストランに来店くださり挨拶をしてくださったのです。

その院長は、薬を使わずに食生活の改善によって治療に当たる姿勢をお持ちです。今日まで有機農法産の野菜を取り扱う店舗はあるのですが、ご承知のように有機JAS認定を受ける基準が曖昧です。代表例が前回報告いたしましたリンゴです。そのために満足を得ることが出来なかったご様子でした。

近くにまったくの無農薬、無肥料野菜を取り扱う店が出来て大変有難い、という旨の格別なるお礼でした。私は大きな転換期を迎えていることを感じました。

“50年以上前に説かれた御教えが今という時代に求められている”と強く感じさせていただきました。そして価値観を共有できる方々が急増していることを強く感じました。かかる時代に御教えを実践できる仕事に就かせてさせていただいていることに感謝申し上げ、報告とさせていただきます。

<体験報告・2・追伸>

神奈川県 三浦智子

先日お話させていただいた叔父について、追加報告させていただきます。

叔父は10年前に大腸がんの手術をし、大腸をほとんど切除してしまいました。その後順調に回復していく中で医者にこう言われたそうです。「中村さん(叔父)を見ていると医学の限界を感じる。医者は本当に無力だと思う。実は私はあの時もう無理だと思っていたんだ」。その言葉を聞き、叔父は“この医者は正直で信用できる人だ”と思ったそうです。

メシヤ教にご縁をいただき、叔父に初めて浄霊をさせていただいたのは去年の夏前でした。胃が痛んで3日間苦しんでいるというので、主人が背中を中心に10分ほどさせていただいたら、その場で痛みがなくなりました。「今までの浄霊で一番効いた」と感想を述べたほどです。神慈秀明会の時から浄霊させていただいていましたが、一度も感じたことも楽になったこともなかったそうなのです。

「手術から10年経っているので、念のために」と医者に勧められ、今年の1月7、8日に検査のために入院をしました。検査の前日にも主人が浄霊をさせていただくと、「本当に体が楽になった」と言っていました。

そして、検査の結果に、またも医者が驚きました。「小腸を切断面に対して垂直に切れ目を入れて拡げ大腸と無理やりに縫合しているので、必ず縫い目や傷口の跡が残るものだが、それらがまったく認められず、とても綺麗だ」と告げたそうです。

傷口が綺麗で、まったく跡がわからないほどだったそうなのです。どこも問題なくすぐに退院して来ました。

浄霊の力、浄化の有り難さを再認識させていただきました。ありがとうございました。

祭典での挨拶(下)

メシヤ教 代表  楳木和麿

 

地上天国建設のスピードアップ化

先程、神慈秀明会や天聖真美会の信者さんは大変純粋であると申しましたが、それでは世界救世教の信者さんは純粋ではないのか、というとそういうことでもない訳でして、かつて公称80万人と言われた中でも、少なくとも3割の方々は純粋にメシヤ様を求めて進んでおられました。そして、自分自身を高めて精神革命に取り組んでゆこう、という姿勢を持っておられます。

その方々が本来のあり方を身に付けることができ得るならば、地上天国建設というものはスピードアップできるのではないかと思われます。

平成二十年は、そうしたことを心に置いて更にメシヤ様の絶対力と御教えをより多くの人に間配りたい、と願っております。

また、関係者のご尽力で「メシヤ講座・特選集」をはじめ浄霊に関する書籍の出版を計画しております。準備が整い次第上梓させていただきますので、一般書店で安価な値段でお求めいただけるのではないかと思われます。

そのようなこともあり、平成二十年はより一層体制づくりができるようになりまして、御神業推進の充実を図る準備が整いました。

口述筆記について

そこで、もう一度私達の信仰生活というものを見つめて、考えておいていただきたいことがあります。先程、地上天国を建設するためには庶民が賢くならねばならず、賢者となるために御教えがあるというお話をしましたが、その御教えは、メシヤ様の口述筆記によって原文が出来ました。

その口述筆記を担当する側近奉仕者を務めた先達がいらっしゃいまして、私は若い時に聞き取り調査のようなことを随分といたしました。

メシヤ様は、いったいどのような形で御教えを口述筆記されたのか、そして、どのようにして原稿をまとめられたのか、ということを調査したのです。

共通していることは、お手洗いであろうがどこであろうがメシヤ様は担当者を大きな声で呼ぶ訳です。担当の側近奉仕者は呼ばれたならば、どのような場所であろうともすぐに紙と筆を持参しなければなりません。しかも、急いで駆け付けねばならなかったそうです。メシヤ様のお側へ伺うと、ご論文の題名などが伝えられるので、それを書き留めます。

メシヤ様とは次元が違いますが、私達でもトイレで頭に閃く時があります。ある種の発想や解答が閃くのです。ですから、トイレへメモ帳を持って行かない人は損をする、ということになります。そして今は、昔と違って腰掛けて書けるので、非常に便利なのです。私もポケットに手帳を入れておいて、しゃがみ込んだまま書いた時代もありました。

次に、その題名に基づいて深夜ご口述される訳です。口述筆記の場合、毎回午前2時になりましたらご論文が完結せず中途であっても『これで終わり』と仰ってパッと終えられたそうですが、次の時は、前回の最終の文章の2~3行を読み上げますと『よしっ』という一言と共に“テープレコーダーのようにスーッとお言葉が淀みなく出てこられた”ということでした。

そのお姿を拝すると、お手洗いで閃くのは人間的です。しかし、いざ口述筆記の際にテープレコーダーの再生のようにお言葉がスーッと出てくるのは、いかにも神様というご存在を強く認識させられます。そういうことに思いを寄せてまいりますと、私達はメシヤ様というご存在をどのように捉えさせていただくか、ということが明確になります。

それが判っていないと、御教え拝読が字面に囚われるあり方になってしまいます。また、景仰などでもメシヤ様のお言葉の解釈に勘違いを起こしてしまいます。

メシヤ様の御姿

私達人間というものの思考を考えてみますと、頭脳がものを考えるのか、魂が頭脳を使用して思考を形成しているのか、と問い掛ければ自ずと答えは出てまいります。『霊主体従の法則』という御教えをいただいていますから、魂が頭脳を使って思考を展開しているということになります。

そうしますと、メシヤ様も神の座から教祖の頭脳を使って御教えを説かれているように拝察することが出来ます。

同時にお手洗いで気持ちよく排泄が終了した時に、頭の中にスッと快感分泌物が出て、新しいタイトルが閃く。これは『霊体一致の法則』に基づいて拝察することが出来ます。御肉体をお持ちである人間的な部分が強調されて私達に伝わってくる場面です。

このことが判っていませんと、メシヤ様の五十有余年前までに口述筆記された内容に対する解釈ができなくなります。そして、追体験を目指す上での姿勢が陳腐なものになってしまいます。 若い方々は、そうした面のものの見方を今日の佳き日にお持ちいただきたい、と願います。

そして、口述筆記が午前2時になりましたらご論文の中途でありましてもピタッと終了します。『これで終わり』のお一言で終了します。その終わった時に、側近奉仕者には筆記用具のみを持たせて下らせます。お部屋の後片付けは、メシヤ様ご自身でなされたのです。

冬ですと、火鉢をご使用になりこうやって御手を温めながらご口述されていたようです。その火鉢の火の始末はメシヤ様ご自身でなさっていたそうです。テーブルの上の佇まいも整えられて、ご就寝されていたのです。『後は頼んだ』というように衣冠束帯状態を想起し勝ちですが、そうではありません。奥様にも頼まず、ご自身で後始末をされていたのです。

ここが神の座としていらっしゃると同時に“人間としてやるべきことは自分でやる”ことを貫き通された御姿で、この上なく魅力的なところです。人間の身として生涯努力されていたメシヤ様の御姿を一つひとつ耳にするごとに、“素晴らしい御方だ”という思いが沸々と沸いてきます。

この部分がまた判っていませんと、崇高なご存在の方を信仰している自分だからこそ“生涯努力を積み重ねなければならない”という思いに到らず、実践も出来ないのです。

また、原稿を何度も推敲された御事蹟には言葉に言い表せない程の有り難さがあります。

『どのように書いたら皆が理解しやすいのか』と、原稿に朱を入れられ、何度も何度も添削をされています。その作業を偲ぶ原稿用紙が今も資料として残っていますが、それを拝すると自ずと頭が下ります。

また、ここが大本教のお筆先と異なるところでもあります。お筆先は、難解な部分が多いのですが、御教えは誰もが理解できるのです。メシヤ様ご自身による推敲が重ねられているからなのです。そのように判りやすいのですが、判りやすくて反って有り難味を感じない人がいるくらいです。

そうしたところが、尊敬しても尊敬しても足りない位の御方だいうことです。

メシヤ様のご生涯に一歩でも近づかせていただく生活

ですから、今日の12月23日にメシヤ様が御肉体を持って神界から降臨してくださり、神として私達に救いの力と方法を授けてくださいましたが、実は人間として肉体を持って降りられた、ということが重要です。

人間の肉体を持って来られたからには、“人間としてやるべきことは全てキチンとやる”という姿勢をご昇天のその時まで貫かれました。

私が若い時分に、話題になったことは“主神様というご存在はものすごく冷たい部分もある”ということでした。それはどういうことかと言いますと、メシヤ様は人を救う力と言葉を持たれるために人として過酷な苦労を背負わされてお生まれになっております。

まず非常に病弱であられました。『婦人病以外はすべて患った』というお言葉の通りです。それから、ある程度の年齢に達するまで貧困の中で生活されています。そして事業で成功して家庭を持たれても、最初の家庭は奥様やお子様の死によって崩壊しております。

そして、次の奥様からお生まれになった男児は様々なハンディを背負わされています。女児は健康に恵まれていたご様子ですが、男児はそうではありませんでした。当時は男系重視でしたので、これは人間として大変辛いことです。

しかも事業で破格の成功を収められるも、新聞事業立ち上げ準備のために株投機に手を出したことが原因で莫大な借金を背負われます。

しかし、それらのことを含めて過酷な人生を通して、人を救ってゆく全ての準備をさせられたのです。そのご存在こそが主神様だということです。

ところがメシヤ様の余人と異なるところは、どのような境遇であろうとも、一旦ご自分がその使命を自覚したら、それをやり遂げてゆく、しかもどんなに大きくなっても(当時は信徒数30万人)、ご自身の身の周りのことはご自身で始末をされながら生活を送られました。そうしたご生涯を送られたご存在の方のお生まれになった日だということを心にお留めください。

本日は幾つも心にお留めいただきたいことを申し上げましたが、私達も一歩でも、そうしたところへ近づいてゆけるように人生を歩ませていただこう、という新たな決意を持つ日であるというように捉えていただければ、大変有り難いと思います。

自分の人生を膨らませる

ですから、本日から共にメモ用紙とボールペンくらいは持ってトイレへ行くようにしていただいて(笑い)、その時に日頃拝読している御教えの中から、あるいは新聞、テレビ、ラジオ、そしてインターネット等々で得た情報の中から輝くような発想が浮かんでまいりますので、それを書き留めて、日記などに貯めてゆきますと、自分の人生が膨らんでまいります。

すると自らの信念体系が更に洗練されてまいります。

メシヤ様へ一歩でも近づいてゆく、そうした生活を営むことが出来るならば、幸せなことであります。重ね重ね申しますが、本日を新たな出発点として進んでいただければ大変有り難いと思います。

そのことを願って私の挨拶とさせていただきます。本日はおめでとうございました。

<参考資料>
「ビズ・スタイル」2008no.0
「バットマン物語 松井秀喜の真実」田中章義著・講談社