メシヤ講座・特選集no.77(平成19年6月分)

<御教え>
文明の創造
(文創 昭和二十七年・未定稿のまま)
総篇

健康と寿命

私は之から医学を全面的に批判解剖してみるが、其(その)前に健康と寿命に就(つい)てもかかねばならないが、現代医学が真の医術であるとすれば、病人は年々減ってゆかなければならない筈(はず)であり、それと共に寿命も漸次延びてゆかなければならない道理であるばかりか、そうなる迄に数百年で充分であるのは勿論、現在最も難題とされてゐる結核も伝染病も全滅するし、病気の苦しみなどは昔の夢物語になって了ふであらう。処が事実は全然其(その)反対ではないか。としたら真の医学ではない事は余りにも明かである。

そうして次の人間の寿命であるが、之も造物主が人間を造った時は、寿命もハッキリ決めた事である。尤も之に就(つい)ても私は神様から示されてゐるが、最低百二十歳から、最高は六百歳は可能といふ事である。従って人間が間違った事さへしなければ、百二十歳は普通であるから、そうなったとしたら実に希望多い人生ではないか。而(しか)も只長命だけではなく一生の間潑剌(はつらつ)たる健康で、病気の不安などは消滅するのであるから、全く此(この)世の天国である。では右(上記)の如き間違った点は何かといふと之こそ驚くべし医学の為である。といったら何人も愕然とするであらうが、此(この)百二十歳説に就(つい)て、最も分り易い譬えでかいてみるが、先づ人間の寿命を春夏秋冬の四季に分けてみるのである。すると春は一、二、三月の三月として、一月の元旦が誕生日となり、一月は幼児から児童までで、二月が少年期で、梅の咲く頃が青年期であって、今や桜が咲かんとする頃が青年期で、それが済んで愈々一人前となり、社会へ乗出す。之が花咲く頃であらう。次で四月桜の真盛りとなって、人々の浮き浮きする頃が、四十歳頃の活動の最盛期であらう。よく四十二の厄年といふのは花に嵐の譬え通り、花が散るのである。次で五、六、七月は新緑から青葉の繁る夏の季節で、木の実はたわわに枝に実るが、それを過ぎて気候も下り坂になって、愈々稔りの秋となり、之から収穫が始まる。人間もそれと同じやうに、此(この)頃は長い苦労が実を結び、仕事も一段落となり、社会的信用も出来ると共に、子や孫なども増へ、人生最後の楽しい時期となる。そうして種々の経験や信用もあり、それを生かして世の為人の為出来るだけ徳を施すことになるのである。それが十年として九十歳になるから、それ以後は冬の季節となるから、静かに風月などを楽しみ、余生を送ればいいのである。然し人によっては活動を好み、死ぬ迄働くのも之亦(また)結構である。

以上によってみても、四季と寿齢とはよく合ってゐる。此(この)見方が最も百二十歳説の裏付けとして好適であらう。此(この)理によって医療がなくなるとすれば、右(上記)の如く百二十歳迄生きるのは、何等不思議はないのである。処が単に医療といっても種々の方法があるが、二十世紀以前迄は殆んど薬剤が主となってゐたので、長い間に薬剤で沢山の病気を作って来たのである。何しろ薬で病気を作り、薬で治そうとするのだから、病気の増へるのも当然であると共に、寿齢の低下も同様である。此(この)何よりの証左として、医学が進歩するとすれば病気の種類が少なくなりそうなものだが、反対に増へるのは、薬の種類が増へるのと正比例してゐるのである。今一つ人々の気の付かない重要事がある。それは医学で病気が治るものなら、医師も其(その)家族の健康も、一般人より優良でなければならない筈であるのに、事実は寧ろ一般人より低下してゐる。何よりも種々の博士中医学博士が一番短命だそうだし、又医師の家族の弱い事と、結核の多い事も世間周知の通りである。そうして現在の死亡の原因は突発事故を除いて悉くは病気である。而(しか)も病死の場合の苦しみは大変なもので、之は今更言う必要もないが、よく余り苦しいので、一思ひに殺して呉れなどの悲鳴の話をよく聞くが、では此(この)様な苦しみは何が為かといふと、全く寿命が来ない内死ぬからで、中途から無理に枝を折るやうなものであるからで、恰度木の葉が枯れて落ち、青草が枯れて萎れる。稲が稔って穫入れるのが自然であるのに青い内に葉をむしり、青い草を引き抜き、稲の稔らないのに刈込むと同様で、不自然極まるからである。といふやうにどうしても自然死でなくてはならない。然し近代人は弱くなってゐるから、自然死といっても九十歳から百歳位が止まりであらう。

以上説いた如く、神は人間に百二十歳以上の寿命を与へ、病気の苦しみなどはなく、無病息災で活動するやうに作ってあるのを、愚かなる人間はそれを間違へ、反って病苦と短命を作ったのであるから、其(その)無智なる、哀れと言っても云い足りない位である。

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 「地上天国祭」お話

メシヤ教 代表  楳木和麿

「御教え通りの御神業とは何か」を求めて繋がる

地上天国祭おめでとうございます。

私は、この意義ある祭典に先立ちまして、メシヤ様へご奉告のため神山へご参拝に上がりました。また、本日は、昭和6年6月15日に千葉県鋸山で天照皇大御神様をお迎えし日枝神社へご鎮座申し上げたという由来に基づきまして、代表者に日枝神社へご参拝していただいています。

そしてここへ全国の代表の方々にお集まりいただいております。また、北海道、九州それぞれの地区で地上天国祭を執り行っていただいております。

今年は特に、一段とメシヤ様から我々の進めようとしている御神業を急(せ)かされている、と思わされる出来事が度重なりました。そこで改めて地上天国祭を期してどのように御神業を進めさせていただくのか、ということを考えた時に、原点として戻っておかなければならないことは、メシヤ様が昭和6年6月15日に鋸山へ登られて天照皇大御神様をお迎えされましたが、それに至る経緯の緒言は昭和元年の啓示にあるということです。

『昭和元年のある日、爽快感に包まれて口を衝(つ)いて出た言葉は「紙と筆を用意せよ」ということであった』とご説明いただいています。皆さんご承知の通りです。宇宙が創造され地球が創造され、人類が生まれて今日に至る経過、そして未来図を主神様からご啓示されました。

その内容は余りにも壮大で、深遠なものでありましたので、慎重であられたメシヤ様は一つひとつ検証せざるを得なかった訳です。その検証作業に5年余を懸けられております。そして昭和6年の春に、啓示内容に確信を持たれると共に、御自らが救世主の任を担わなければ『何時までたっても夜昼転換は執り行なわれない』という思いに至り、ご決心を固められます。

決心されたからこそ、鋸山へ向かうようにご啓示を受けられたのです。ということは、メシヤ様がご決心をされて鋸山へ登られたからこそ、夜昼転換がなされたのです。一人の男性、岡田茂吉という御方の決心があったからこそ夜昼転換があったのです。それを受けて、私達も決心をしてメシヤ様とご神縁をいただいたのです。今月のメシヤ講座で、各地で確認させていただいた通りです。

しかしながら、皆様はメシヤ教にご縁をいただく前に色々なことを経験されながら、「本来の、御教え通りの御神業とは何か」ということを求めるに至って、こうしてメシヤ教に繋がってきた訳であります。

メシヤ様の御力の恩恵に浴し御守護の生活

振り返って、メシヤ教を立教するに当たり、平成11年に『「お光がなくとも、宗教宗派を超えて浄霊力を授けてゆくべきである』という思いから、メシヤ様へお祈りを捧げていた時に、『もう既に「御守り(おひかり)」というものがなくても浄霊力を授けるように言い渡してある』ということを知らされて、それではその御教えに沿って実践を積み上げてゆこう、と決心して上梓したのが『浄霊』という冊子です。

今日まで『メシヤ様へ想念が繋がれば如何なる人にも浄霊力が授かる』という道を開いてまいりました。非常に成果をいただいた訳ですが、平成16年には「明主様」のご尊称を「メシヤ様」に変更するようにご啓示をいただきました。それまでも、メシヤ様というご神格の自覚が不可欠であるという認識はあったのですが、日常の御神業の折や祭典時には「明主様」とお呼び申し上げてお取り次ぎしておりました。

しかし、それでは本来のご神格には達しない、ということで『平成16年の2月4日から「メシヤ様」と尊称を改めてゆくように』とご啓示をいただきましたので、その徹底を図ってきました。そして「メシヤ様」と尊称するようになってからというもの、一段と大きな変化を見てきたのであります。中でも浄霊力は、皆様方により強く伝授することができるようになりました。驚くばかりの出来事で、しかも大変有り難いことです。

しかも、皆様方もその恩恵に浴し、大きな御守護をいただいてまいりました。

本日新しい顔ぶれの方々もおいでになっています。最近顕著な御守護をいただかれた3人の方にここで報告していただきたい、と思います。ご本人には「ここで報告してくれ」とは告げてありません。告げると、原稿を書き、添削を・・・ということになり、ありのままのお話になり辛いところがあります。

それで、せっかく大きな御守護をいただいておりますので、ここで報告していただきたいと思います。まず、神奈川県藤沢市の菅谷敬さん、ご長男にいただいた御守護を報告してください。

菅谷敬さんの報告「難聴に御守護」(談)

藤沢から参りました菅谷敬と申します。

私は以前「神慈秀明会」に所属しておりました。息子は小学2年生なのですが、小さい時から言葉が遅くて、人の言ってることが余りハッキリと通じなくて判らないところもあったのですね。

それで小学校に入学して「耳鼻科で検査をしてくるように」と言われました。そして検査を受けたところ、鼓膜がまったく震動してなかったのです。それでも言葉はある程度は理解できていました。

今年の1月に初めて楳木先生にメールをさせていただいて、3月に川崎支部の月次祭に参拝させていただき、メシヤ講座にも参加させていただきました。そして私も息子も浄霊力を拝受させていただきまして、息子が自己浄霊に取り組み、私も取り次いできました。

楳木先生から急所を教えていただきまして、ご浄霊をさせていただきましたが、1ヶ月もしない内にドンドン耳が良くなってきまして、本人にすると「急に音が大きくなってきた」と言うのですね。こちらは「うう~ん?」と思っていまして、1ヶ月半位して学校でまた検査があったのです。

今回は大丈夫だったのですね。多少はボワ~ンとすることもあるらしいのですが、ドンドン見る見るうちに良くなってまいりました。

それで、1年生の時に神慈秀明会の方で相談した時には、特に何も言われなかったのです。浄霊の仕方も違うものですから・・・。しかし今回、本当に僅かの間にこれだけの御守護をいただきまして、本当に感謝させていただいています。

息子も非常に喜んでいます。それで、途中でですね、先月まだ耳が完全に良くなる前に息子の夢の中にメシヤ様が出てこられたそうです。そして、メシヤ様が『浄霊をいただいているんだろう』と仰ってくださったそうなのです。実は、その頃息子本人は“耳が本当に良くなるかな”と心配していたそうなんです。そしたらこんな小さな者に対してもお出ましいただき、有り難いなあ、と思わせていただいています。

これから、藤沢で一人でも多くの人に救いの手を差し伸べさせていただくことに、お使いいただけたらと願っております。本日は、それなりに決心を持って参拝させていただきました。これからも宜しくお願いいたします。(拍手)

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小学生の低学年の人にまでメシヤ様が夢に出てこられて手を差し伸べてくださる。本当に有り難いことですね。これから、どのような方にでもメシヤ様のことを認識していただければ、このような救いに与(あずか)る訳です。鮮やかな奇蹟を許されてゆきますので、そういうことを示唆する貴重な体験だと思います。

それから、大阪府箕面市の高井成恵さん。お父さんと娘さんにいただいた御守護を皆さんへ報告してください。

高井成恵さんの報告「癌、骨折に御守護」(談)

高井成恵と申します。よろしくお願いいたします。私は天聖真美会に12年間信仰させていただき、教団にも上がらせていただいたこともあります。中に入れば入るほど疑問が湧いてきまして、昨年夏に教団を下りました。

ちょうどその頃に父が体調を崩しまして診察を受けたところ、「99%大腸癌です」と宣告されました。私は父と共に神様に必死にお願いしました。そして今後の治療の方針等を立てるために再検査したところ、ポリープに変わっていたのです。

良かったなあ、という思いはあるものの、父は具合悪そうにしており不安は拭いきれませんでした。

そんな折にメシヤ教にご縁をいただき、浄霊力を授けていただきました。そして、父の具合に応じて浄霊の急所を教えていただきました。それ以後、父は教えられたとおりに自己浄霊に取り組み、私も取り次がせていただきました。

そうしましたら、一ヶ月二ヶ月経つと見る見る元気になってきたのです。浄霊力の強さが断然違うこと、急所を教えてくださることは本当に有り難いことです。今、父は84歳なのですが、非常に元気になり、活き活きとしています。有り難く思います。

また、娘にはメシヤ教に入会させていただいたことを伝えた時に、「おひかり」様をしなくてもいいんだよ、というと喜びましたね。(爆笑)

娘はバレーをしていまして、以前にも薬指を骨折したことがあります。そして先月もまたやってしまったのです。「痛みが同じだから骨折している」と顔を歪めながら学校から帰宅しました。私はすぐさまメシヤ様へお願いして浄霊を取り次ぎました。

30分位取り次いでいると、不思議にも“もう治った”と思えてくるのです。しかし診断書も要るので、翌朝病院へ行きました。医者も「骨折していますね」と言いつつレントゲンを撮影するのですね。私は“治ってるのにな~”と何故か思わされるのです。そうしましたら、結果は「折れてませんよ」でした。

娘も「浄霊をしてもらったからね」と言うのです。この日から浄霊を求めるようになりました。

やはり思いますことは、浄霊力が全然違うということです。そして浄霊の急所を教えていただけるということで、本当に喜びと感謝です。

前に教団人であっても、救いということでは本当に素人ですので、救えない自分が非常に怖かったのですね。目の前の人を本当に私は救えるのだろうか、という恐怖というか申し訳なさでいっぱいでした。

それが、楳木先生に出会えて具体的に教えていただいて、本当に感謝でいっぱいです。ありがとうございました。(拍手)

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今月お父さんとお会いした時には、ものすごく元気になっておられてビックリするほどでした。メシヤ様の御力ですね。本当に良かったと思います。

それでは広島市の茶谷恵三子さん。Yさんの蓄膿の話をお願いいたします。

茶谷恵三子さんの報告「段違いの強い浄霊力」(談)

広島の茶谷恵三子です。メシヤ教に入会させていただいてから、日々御光をいただく中、浄霊力が強いのに驚かされています。

東方之光教団の方でYさんという方に、初めて浄霊をさせていただいた時のことです。Yさんは長年蓄膿を患っています。浄霊をし始めましたら、全身が痒くなったらしく全身を掻き始めたのです。そうしている内に、今度は鼻汁と痰をドンドン出し始められ、余りにも苦しそうなので、“もう、止めようかな”と思うほどでした。

一生懸命祈りながら20分ご浄霊をさせていただき、「これで終わります」と言いますと、「こんな短い時間で、こんなに鼻汁や痰が出たのは初めてです」というのです。Yさんは信仰三世ですが、「今まで30分や1時間いただいても、こんなに出ない」と言われました。

お顔もスッキリされ、浄霊の凄さにビックリされました。それから週に2~3回通ってこられるようになりました。そして、鼻がスッキリしてきたご様子です。その喜びを表すように、「メシヤ様の御手」のお写真を申し込まれました。

そしてさらに、メシヤ教の浄霊力を伝授していただきたい、という話になり、色々話をする内に「先ず家族の中で自分だけでもメシヤ教に入会したい」という決心をされました。

今、古い資料やビデオテープなどを広島支部で皆さんへ見せてくださって素晴らしい勉強会となっております。色々な知識(神仙郷や瑞雲郷のことなど)をお持ちなので、取り分け殆んど知らない旧天聖真美会の人には重宝な存在になっています。

また、5月にはご縁があってメシヤ様ご直筆のご書体を広島支部にお授けくださいました。何にも増して有り難く、感謝申し上げますと共に、一日も早くメシヤ様信仰の一体化が許されますように邁進してまいります。ありがとうございました。(拍手)

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茶谷さんは広島の責任者になっていただいています。そして昼間は、姉の福下さんのお店も手伝っています。ですから、昼間に浄霊をいただきに来る方はそのお店に来る訳です。

お店は四階建てビルの一階ですので、御神体は奉斎していません。「メシヤ様の御手」のお写真を事務室に掲げてあります。その前で浄霊をしてあげるのです。

そうした場所で、東方之光教団の大きな施設へ行った時よりもはるかに強い御光を感じられるのですから、有り難いことです。30年間重苦しかった鼻がだいぶ抜けるようになったそうで、喜んでおられます。今後も根気よく取り組んでいただきたいと思います。

どんな場所でも、メシヤ様へ繋がって真剣に浄霊を取り次ぎさせていただけばこんなに変化があるのです。3人の方に共通しているのはメシヤ様へ直(じか)に太く繋がって浄霊を取り次がせていただけば、素晴らしい奇蹟をいただけるということです。そのことを良く判らせていただけるご報告であったと思います。

御神業推進が急がれる

こうしたことを求めている方は、全国、あるいは全世界に大勢いらっしゃいます。しかし、その所属教団ないしその組織の中の理論に縛られてメシヤ様に太く繋がることが出来ない状態におられる方々が大変大勢いらっしゃる訳です。本日を新しい出発点として、メシヤ様へ直(じか)に繋がってゆけば、これほど素晴らしい奇蹟を日常的にいただける、ということをお伝えしてゆかねばならないと思わされます。

それを証し立てるように、現在全国各地から数々の問い合わせが来ております。対応しかねる状態にある、と言っても過言ではありません。(既に新たな支部づくりに着手している場所もありますが、個々の事例は途中経過が多いために割愛します。)

問い合わせてくる皆さんの共通する思いは、“本来、明主様(メシヤ様)信仰は、こんなものではないだろう。もっと素晴らしいものだろう”というものです。そして皆さん、“メシヤ様を真に求めて、御教え通りに信仰をさせていただきたい”と願っておられます。しかも、そのことを通して“大勢の方々をお救いさせていただきたい”とも願っております。

云わば、魂が本来のあり方を求めて繋がってきているのです。

しかし組織がそれを阻害しています。花開かせ、稔りを得るように導かねばならない役割を放棄しています。そうした現状を目の当たりにして、益々メシヤ教の御神業を進めさせていただかねばならない、と思わされております。

中には浄霊力が弱かった時代に逆行するような方針を立てている教団も存在します。「メシヤ様」の御名を唱えれば、浄霊力が強化される時代に入っているにもかかわらずです。時代錯誤的です。しかもその資格を取るために費用が掛る、という馬鹿げた仕組みをつくろうとしています。

信者さん方は純粋にメシヤ様を求めているのですが、組織がその取り組みを阻んでおります。随所に見ることができます。

それで、今月のこれまでのメシヤ講座では、地上天国祭の意義を再確認していただきながら新たな資料提供のお話をさせていただいた訳です。実体験を積んでいただき、更に救いの力と言葉を身に付けていただきたい、と願っております。

浄霊の思想を生活に反映

何故、浄霊力の強化に努めるか、と言いますと―。浄霊が人間生活の一番根幹になることになるからです。手をかざす行為のみならず、浄霊の思想、原理に基づく考え方というものが重要になるのです。

ご承知のように、浄霊というのは霊を浄めるという字の如く、魂、霊の曇りを解消してゆくのですね。それが幸福になる道ですし、神様からいただいている特性を発揮させていただく道なのですね。この浄めるという行為は、全ての生活の中に当てはめてゆかねばならないことなのです。

そうしますと、こうして家というものがありますが、住空間で大切なことは清掃ということです。浄霊に縋る人ほど清掃に取り組まねばならない、ということなのです。

それから衣食住というものを考えますと、今「住」について触れましたが、次に「衣」というものでは分相応なものを着ていただければよいのですが、やはり清潔感が大切になります。そのことに心掛けてゆくことが、浄霊をする者の心掛ける点なのです。生活態度なのですね。

メシヤ様は最高のお召し物を身に付けておられた、ということですが、非常に大切にされていました。袖がほつれると縫ってお召しになり、ほつれてもほつれても縫っておられたという逸話が景仰に出ております。もうこれ以上できないという位に使用されるほど、物を粗末にされなかったそうです。しかし、品質は厳選されていました。

そういう姿勢が私達の目指すところです。バーゲンセールへ走るということのないように(笑い)。まあそれも子育ての年代などはそういう時もありますが、ある年代からはジックリとものを見て吟味して、自分に相応しいものを身に付けてゆく必要があると思います。日々メシヤ様のご姿勢を求めてまいりたいところです。

装飾品などもありますが、“何故そうした装飾品があるのか”という原点を鑑みていただきたいのですね。豪華なものを身に付けたいということは願いとしてありますが、元々装飾品とは何か、ということをお考えいただきたいのです。

消費者は賢く

さらに、「食」ということになりますと、今朝方初めての方からメールをいただいたのですが、東方之光教団の自然農法に限界を感じて“本来の自然農法を実施したい”という願いから公務員を退職され就農した30代の方でした。感動しました。この方が捉えているように、自然農法という名の下に進めている各教団の取り組みにも誤魔化しが多々あります(具体例は省略)。

かえってメシヤ様教団以外のところで純粋に自然農法を実施している方が増えているように感ずる昨今ですが、教団内でも組織に振り回されずに本来のあり方を求めて歩み始めている方が急増していることは力強いことです。

もちろんメシヤ教の関係者は本来の姿を求めて実践されている方ばかりです。本来の自然農法実施の輪を更に拡大せねばなりません。

しかし、農業という形ですと、実践するかどうかということで論じられる訳ですが、先日三好基晴医師からいただいた資料によりますと、いよいよ魚にもワクチンを接種する時代になったということです。これは、養殖には成長ホルモンや抗生物質などが使用されている、ということが周知されて問題視されてきました。その批判を避けるためのようです。悪いイメージを払拭したいようですが、これは本末転倒ですね。

こうしたことから、消費者が賢くならねばならない現実があります。吟味する知識や情報を持たねば、とんでもないものを口にされてしまうという現実です。

今、大学生の麻疹(はしか)が問題になっています。ワクチンが一回ではダメではないか、という論議まで出ています。一定年齢に達したらもう一度予防接種をしなければ、という話が飛び交っています。昔はどうでしたか。近所で麻疹(はしか)に罹った子供が出ると、自分の子供を連れて行って移してもらったものです。そして早めに麻疹(はしか)による毒素排泄を終えさせていたのです。

御教えでは移るのではなく、誘発ですね。水疱瘡でも同じでした。現代の子供は生まれてすぐに毒素を排泄させる力が弱いように感じますね。かさぶたが出来るお子さんも減少しているように感じます。親が止めているのでしょうが、見かけなくなりました。

私の今日までの経験では、“あの毒素が多く出たほど、その子供の性格は良くなる”ということです。もちろん出す必要のない子供もいます。親から毒素を引き継いでいない人もいるからです。しかし無表情とかキレルということと、幼児期の毒素排泄作用の有無は無関係ではないと思われます。食の変質と合わせて注視しなければならないことです。

食の問題だけではありません。今、年金の問題が喧(かまびす)しいですね。官僚の典型的な発言が話題を集めています。“メガバンク以上の金が集まってくるが、すぐには必要ないから事業を展開しよう”という発想の下に不必要な施設を乱立させてしまいました。天下り先にもしました。しかし採算の合わない事業の展開となってしまいました。周知の通りです。官僚に誠がない典型です。

ここでも本末転倒のことが議論されています。「そもそも」論というものがありません。年金財政の問題と手法の問題を明確にして、責任と対策を早急に立てなければならないところなのです。高位の成績で最高学府を終えた者ということになっていますが、愚かな発想をしてしまいます。公僕意識がないばかりか、責任感が欠如しています。

メシヤ様がご指摘されている通りです。信仰をみんなに持たせる、という意義はそうした愚かな考え方をしないような人間を造るということで信仰というものを提供しているのです。

ですから浄霊というものを中心にして衣食住を考えた時に、我々の生活というものは良い方向へ転換してゆく方向へ全てを繋いでゆかないと、我々が御神業を担ってゆく時に実りを中々いただけない訳です。そうした意味で、本日の祭典を契機として更に意識を転換していただきたいと願います。

御神業の三本柱への考え方

そこでもう一度御神業の柱というものを考えてみますと、浄霊というものがあり、自然農法というものがあって、自然農法を考えてゆく時に先程の住環境の清掃だということを申しましたけれども、同時に私達の日常生活は化学物質だらけです。

大体25年経っていない家屋は化学物質に汚染されている、と言われています。判り易いものがクロスに使用される接着剤です。乗用車なども新車は随分と化学物質が残存しています。有毒物質軽減を評価されるメーカーもあるようですが、フロントガラスなどは接着剤のみで留められている訳ですから、如何に強力なものが使用されているかが判ります。

絶えず換気を心掛けねば危険だと心得ておくべきです。その他日常の生活用品全てにわたって化学物質が使われています。界面活性剤が使われていますと、皮膚の中へドンドン浸透します。恐ろしい訳です。それらのために、男性の場合は精子の減少、女性の場合は第一子の流産率の増加という深刻な事態を招いているのです。

人間の生命力、種の保存能力が非常に弱体化されているのですが、その最大原因が化学物質であるのです。そうしたことに対する啓蒙活動を懸命に取り組まねばなりません。

そして、御神業の三本柱に芸術というものがあります。この芸術生活ということも浄霊が中心になる訳ですね。卑近な例を引いて考えれば、女性の場合幾ら化粧を施そうとも、中身である心が大事であるということです。また、一皮向けば血膿だらけ、薬毒だらけ、とご指摘いただいております。それでは本来の艶は出てこないのです。

それからもう一つは、今中国からドンドン汚染物質が飛来してきていますが、同時に狂犬病の問題が昨今取り上げられています。オリンピック開催が迫るにつれて、あらゆる問題が世界の耳目を集めつつあります。

そこで、本日は興味深い書籍を紹介しておきます。「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」(中西輝政著・PHP新書)です。著者をご存知の方も多いと思います。平易な表現で整理されて書かれています。その中にこんな下りがあります。

[トインビーやシュペングラーらの「日本文明独自論」のヒントになったのは、幕末から明治にかけて来日した欧米人―貿易商や外交官、お雇い外国人―の日本見聞録でした。彼らが異口同音に口にしたのは「日本は他のアジアとは違う」ということでした。]

来日した欧米人は、当初日本を中国と似たような文化を持つ島国と見なして来日するのですが、日本と中国が余りに違うのに仰天することになった、というものです。「ヨーロッパ人でもないのに、こんなに商いの約束を守る民族は、スエズ運河以東では見たことがない」という感嘆です。本文には興味深く続きます。そして次のように結び付けています。

[すなわち、「十戒」という神の命令によって行動を律する西洋文明と違って、日本では、「きれい」あるいは「汚い」という美的感覚に基づいて、自らの行動を律している]

これは、非常に参考となるのではないでしょうか。

芸術生活を考えるヒント

先月各地でお話した内容の一例ですが、日本人というものは「美」というものを文化の中心に置いてきました。ですから悪いことをした人間を「あいつは汚い奴だ」という表現で、非難します。「悪いことをする」と言わないで、「汚いことをする」と言います。金の使い方でも「金に汚い」などと言います。

ものの基準が美しいか美しくないかで、判断するのです。約束を守らないということを「美しくない」と捉えるのです。そうすると、芸術生活と言うけれども「美」というものの考え方を一般的な芸術品ということだけで受け止めてしまうと、我々の目指す方向を狭くしてしまいます。

メシヤ様は「真」「善」「美」と仰った、その「美」というものを、実は生活がキチンと執り行なわれている姿を説いているのです。人と人との約束がキチンと守られている。挨拶をするとか、時間を守るということを重要視されていたのです。そういうことからメシヤ様は、時間を守らない人のことを『信仰の落第生』という表現でお話されていますが、実は我々の芸術生活というものは、芸術品というものを見て人格を高めるということで話をしてきましたが、実は日本人自体が本来「美」というものをどのように捉えていたかということが一番根っ子にあるということを自覚しておかねばなりません。

そういうことを私達は、浄霊と自然農法と芸術という御神業の三本柱を考えてゆく時に、自分達の目の向けどころを活動的なこと、形ばかりに向けるのではなく、本来メシヤ様は何をお示しくださったのだろうか、ということに心を置いて考えていただけると大変有り難いと思います。

そうしなければ、世の中で起きていることに対する問題解決というところに中々繋がってゆきません。例えば、先程お話した麻疹(はしか)のこと、それから学校で起きている問題。今学校の教師の方々で心身症を患っている方々が非常に増えているそうです。そして職場放棄せざるを得ない教師の方々が急増しているようです。

その原因は、世の中全体が、素人の意見がプロに優先されるという風潮の影響です。(具体例は割愛しますが、)日本を覆っています。そのために私達の周辺で様々な問題が発生しています。それ故に日々御教えを拝読し、長く拝読する必要はありません。一日30分でよいのです。そして本来の人間生活とは一体何か、ということを求めて、メシヤ様が教えてくださっている人間生活とは何か、ということを自分の課題として持って生活していただきたいのです。

そうしなければ世の中の流れにダ~と流されてしまい、自分を見失ってしまいます。

「布教三訓」と「るナ三訓」

本日は冒頭に、一人の男性の決心によって夜昼転換が行われた、という話をしました。それは、我々一人ひとりの決心によって自分の家庭をはじめ、自分の在住する地域の夜昼転換が推進されるのだ、ということに繋がってまいります。

そのような訳で、夜昼転換の推進を担っていただきたいのですけれども、本日は各地区で中心になっている方々なので、そういうことに取り組もうとすればするほど、一番根っ子に、メシヤ様が御神業を担っていただく人のために心にしっかり持っておいていただきたいと説いたものがありますので、再確認しておきます。

先達がメシヤ様からご教授いただいたものをまとめたものに、「布教三訓」と「るナ三訓」があります。教団を取り巻く中で問題が生じているのは、両三訓を忘れたことによります。「布教三訓」は、「メシヤ様と共同作業をさせていただく」というのが第一点です。第二点については「恩は着るべし着せるべからず」です。それから三つ目には「寝食を忘れてやりなさい」ということがあります。

次に、具体的な三訓としての「るナ三訓」では、先ず浄霊は普通の霊能者とは桁違いに奇蹟をいただきますが、それ故に私達が陥り易いのは偉そうな姿勢を持ってしまうということです。ですから、「るナ三訓」の初めは「威張るナ」ということです。威張るような人はメシヤ様はお使いにならないということです。

それから「怒るナ」が次に来ます。言ったことをやらないと頭に来ることもあります。“何やってるんだ!”となりがちです。それ故に戒めておられるのです。

そして、「早まるナ」です。これは、浄霊をさせていただく上で、再浄化や平均浄化というものがあります。それを認識した上で、早まった判断をしないということを心得ていなくてはなりません。私達が真剣に御神業を担わせていただこうと思えば思うほど、「るナ三訓」を守り抜くという気持ちを固めて置いていただきたいのです。

本日は決心というものと、メシヤ様から三訓というものをいただいている、ということを肚に入れてここを出発していただきたいと願います。本日は地元の方々がおにぎりを用意していただいておりますので、祭典後それを胃袋に入れて、私の話は肚に入れて(笑い)ご出発していただきたいと思います。

最後になりますが、本日付で「祈りの栞に寄せて」の改訂版を出しましたので、活用していただきたくお願いして挨拶といたします。(要旨)