メシヤ講座・特選集no.78(平成19年7月分)

<御教え>
文明の創造
(文創 昭和二十七年・未定稿のまま)
総篇

救ひ主と贖罪主

私は之迄悪に就(つい)ての根本理論として、悪が必要であった事、悪によって今日の如き文化の進歩発展を見た事をかいて来たが、茲(ここ)で今一つの重要な事をかかねばならない。それは有史以来今日迄幾多の宗教が生れ、其(その)説く処は例外なく善を勧め、悪を極力排斥したのであった。勿論之は悪其(その)ものを除くのが宗教の建前であるから勿論当然であるが、それに就(つい)て私はよく斯ういふ質問を受けたものである。“一体神や仏は愛と慈悲の権化であり乍(なが)ら悪人を作ってをいて罪を犯させ、それを罰するといふのは大いに矛盾してゐるではないか。それならいっそ最初から悪など造ってをかなければ、罰を当てる必要もないから、それこそ真の神の愛ではないか”といふのである。成程此(この)質問は尤も千万で一言もないが、実をいふと私にしても同様の考へ方であるから、其(その)都度私は斯う答へる。“成程それには違ひないが、元々私が悪を作ったのではないから、私には説明は出来ない。つまり神様が何か訳があって悪を作られたのであるから、何れ神様はそれに就(つい)ての、根本的理由をお示しになるに違いないから、それ迄待つより仕方がない”と曰ったものである。

処が愈々其(その)時が来たので神は其(その)事を詳しく啓示されたので、私は喜びに堪へないのである。そうして右(上記)と同様の疑問を有ってゐる人も多数あるであらうから、之を読んだなら、暗夜に燈火を得た如く豁然(かつぜん)と目を開くのは勿論であらう。では何故今迄の宗教開祖の悉くが悪を非難したかといふと、曩(さき)にも詳しくかいた如く、或期間悪が必要であったから其(その)深い意味を主神は知らさなかったのである。従って仮令(たとえ)正神と雖も知り得る由はなかったので、正神は何処迄も正義のみによって天国世界を作らんとするに反し、邪神は何処迄も目的の為手段を撰ばず式で、悪によって野望を遂げんとしたのである。

処が愈々悪の期限が来たので、主神の直接的力の発揮となった事で、茲(ここ)に私といふ人間を選び、善と悪との根本義を開示されたのである。それといふのは今迄の各宗開祖は力が足りなかった。其(その)最もいい例としては彼のキリストである。キリスト自身は贖罪主といったが、救ひ主とは曰はなかった。贖罪主とは読んで字の如く、罪の贖ひ主である。つまり万人の罪を一身に引受け、主神に謝罪をし、赦しを乞ふ役目である。早くいえば万人の代理者であり、赦される側の神で、赦す方の神ではなかった。其(その)為罪の代償として十字架に懸ったのである。

此(この)理は仏教に就(つい)てもいえる。彼の釈尊が最初は仏教によって、極楽世界を造るべく数多くの経文を説き、専心教へを垂れたのであるが、どうも予期の如く進展しなかった処へ仏典にもある通り“吾七十二歳にして見真実を得た”と曰はれた通り、此(この)時自己の因縁と使命を本当に知ったのである。そこで之迄の誤りを覚り、極楽世界出現は遥かに先の未来である事が分ったので、之迄説いた処の教説には誤謬の点少なからずあり、之から説くものこそ真実でありと告白し、説いたのが彼の法滅尽経であり、彌勒出現成就経であり、法華経二十八品であったのである。一言にしていえば釈尊は仏滅即ち仏法は必ず滅するといふ事を知り、其(その)後に至って現世的極楽世界である彌勒の世が来ると曰はれたのは有名な話である。只茲(ここ)で時期に就(つい)て注意したい事は、釈尊は五十六億七千万年後ミロクの世が来ると曰はれた。併しよく考えてみると、いくら釈尊でも其(その)様な途轍もない先の事を予言する筈(はず)はない。第一そんな先の事を予言したとて、何の意味もないではないか。何故ならばそんな遠い時代、地球も人類もどうなってゐるか、到底想像もつかないからである。之は神示によれば五六七の数字を現はす為で、此(この)数字こそ深い意味が秘めてあった。即ち五は日(火)、六は月(水)、七は地(土)であり、之が正しい順序であって、今日迄は六七五の不正な順序であった。之は後に詳しくかく事として、兎に角キリスト、釈尊の二大聖者と雖も、真理は説けなかったのである。何よりも経文やバイブルにしても明確を欠き、何人と雖も到底真理の把握は不可能であったにみて明かである。勿論時期の関係上止むを得なかったのである。

処が茲(ここ)に主神は深奥なる真理を愈々開示される事となった。此(この)著に説く処明快にして些かの疑点なく、何人も容易に真理を?み得るのである。そうして今迄強大なる悪の力が一切を九分九厘迄掌握し、後一厘といふ間際に来て、意外にも茲(ここ)に一厘の力が現はれ、邪神の謀略を一挙に覆へすのである。つまり悪主善従であった世界が、善主悪従となるのである。そうして之を具体的にいえば斯うである。即ち九分九厘の悪とは現代医学であって、之も曩(さき)にかいた通り必要悪であるから、今迄はそれでよかったのである。然し其(その)結果として人間の最大貴重な生命を完全に握って了った。若し医学が誤ってゐるとすれば、生命の危険は言語に絶するといってもいいであらう。之程世界人類から固く信じられてゐる医学を是正するのであるから、容易な業ではない事は言う迄もない。

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「世界救世(メシヤ)教」
復興事業推進について

メシヤ教 代表  楳木和麿

宗教の原則的な考え方

七月は新たな支部の開所を許されると共に、メシヤ講座の会場も各地に新設されました。多くの方々へお会いする機会に恵まれました。また、様々な感性をお持ちの方々ともお会いしました。

多くの方々と面接する中で痛感したことは、“それぞれ真摯な姿勢でこれ程までにメシヤ様を求めているにもかかわらず、答えを得ていない人が何と多いことか”ということです。また、真面目で純粋で、求道心が旺盛なるが故に組織から疎外されている方も大勢いらっしゃいます。

これは、その組織の上部構成員が「宗教の原則」とも言うべき考え方を理解していないところから生じていることです。例えば、宗教施設の建設を考える場合“神様の居場所は、神様御自らお決めになる”ということが大原則としてあります。その考え方に沿って物事を進めなければなりません。

支部などを開所しようとした時に、以前から用意されていたとしか思えないような場面に必ず遭遇します。それが“神様御自らお決めになる”ということに基づいて起きる事象です。人間側が強く願って誠を持って準備に取り掛かった時に、以前から神様が用意されていたことを感得させられるのです。

また、費用については“必要な時に必要な分だけ入ってくる”ということが大原則なのです。そのことを信じて取り組むことが、指導者としての信仰なのです。どのように意義を並べようとも、根底に宗教の原則を心得ていなければ言葉に力が宿りませんし、新たな問題を発生させることになります。

そこで、「世界救世(メシヤ)教」復興事業を推進するに当たって、どうしても理解しておいていただきたいことがありますので、特別に述べておきます。

御講話『私の信仰の経路』

大原則というものを考える時に、何時も私の脳裏に浮ぶものは『私の信仰の経路』というメシヤ様の御講話内容です。拝読されている方も多いと思いますが、「大日本観音会」発会直後の昭和10年1月11日に御講話されたものです。

その中で『宗教は霊肉を完全にする。それ丈(だけ)やればいい。』と述べられ、具体策として『宗教改革と医学の革命で、大体此(この)二つで世の中はよくなる』と述べられています。「宗教の大原則」としてメシヤ様が明確に示された内容です。

私達がメシヤ様から授かる浄霊力は、『宗教改革』と『医学革命』を推し進めるためにあり、個々人が幸せとなり、まさに『世の中をよくする』ための御力なのです。

私が『メシヤ様の御名を唱えれば、宗教宗派を超えて浄霊力が授かる』というご啓示をいただいてより、他宗信徒も含めて数限りない方々へ浄霊力を授けてまいりましたが、ここで大きな示唆を与えてくれる体験記が寄せられましたので、ご紹介します。

菅谷敬さんの報告「浄霊力の強化について」

今年の一月に「浄霊」と「『祈りの栞』に寄せて」の冊子が到着して数日後の朝、突然腎臓が痛み出しました。

昨年も同様の浄化をいただきましたが、その時は高熱を出して一週間寝込みました。

今回は、妻に腎臓を浄霊してもらいつつ、自分も「おひかり(神慈秀明会より拝受)」を外して自己浄霊をさせていただきました。すると、40分位で痛みが軽くなり、その後すっかり良くしていただきました。

『メシヤ様の存在を認識することで浄霊力を授かる』という体験をした瞬間でした。

その後、2月10日以降に完全に「おひかり」を外しました。それから上半身、特に胸が熱くなりました。一日中熱いのです。ビックリしました。

翌月の3月に「メシヤ講座」に初めて参加させていただき、楳木先生にお会いしました。長男の難聴が気懸かりでしたので、相談させていただきました。浄霊の急所をすぐに教えていただき、浄霊力の拝受を申し込ませていただきました。長男の耳は見る見る良くしていただきました(「難聴に御守護」)。

妻も日々浄化をいただき、背中から膿を出させていただきました。そして、日々家族で相互浄霊と御教え拝読に取り組ませていただきました。

4月には妻も「メシヤ講座」に参加させていただき、5月には家族全員でメシヤ教に入会させていただきました。

それからというもの、妻から浄霊を受けると以前より強くなっているように感じました。温熱を感じたり、体がすごく楽になるのです。以前は余りそういうことはありませんでした。

メシヤ教にご縁をお許しいただき、本来の信仰のあり方を教えていただき、日々取り組ませていただく中で、心からメシヤ様を認識させていただくことで“より太く繋がらせていただいた”と思わせていただきました。

7月に我が家で「御神体ご奉斎式」をお許しいただきました。当日を迎えるまでに沢山のお浄めをいただきました。ご奉斎2日前には、妻が腰痛と貧血で突然倒れ意識を失ってしまいました。すぐに浄霊をさせていただくと意識が戻り、楳木先生にその場で連絡させていただきました。

報告後に浄霊力が更に強くなっていることを感じました。妻の顔色があっという間に戻り、下痢の浄化をいただき快方に向かったのです。無事に「ご奉斎式」を迎えることができたのです。

御神体ご奉斎後は、浄霊をさせていただいても受けても温かくなります。長男の浄霊力も強くなっているようです。

この半年間、沢山の御守護と体験を通してハッキリと分らせていただいたことがあります。初めて「おひかり」なしの浄霊をお許しいただいた時、そして浄霊力拝受をいただいた後、入会後、御神体ご奉斎後、と段階を経て確実に浄霊力が強化されていることです。

また、同時進行のように新たな浄霊対象者をお許しいただき、学びを重ねさせていただいています。更に、報告指導をさせていただくごとに身辺に御守護の輪が拡がっています。感謝でいっぱいです。

これからも日々積み上げさせていただき、沢山の人に浄霊の偉大なる御力をお伝えしていきたいと存じます。ありがとうございました。

想念の確立

浄霊力の強化が、菅谷さんご自身の節目と連動して進んできた内容の報告です。一つひとつの段階を経て想念の確立がなされ、浄霊力強化を誘った、と受け取らせていただける報告です。

これは「浄霊力伝授」の申し込みをせねば強化されない、ということや「入会」しなければ強化されない、という狭義で捉えるために紹介したものではありません。菅谷さんの想念の段階により形が整い、ステップアップの推移が解り易いために、紹介したのです。

明確にしていただきたいことは、メシヤ様のご神格の認識です。このことが極めて重要で、「おひかり」なしの浄霊に取り組む際も浄霊力強化を願う際も、このことが最重要課題なのです。宗教宗派を超えて浄霊力を伝授できるということにおいて、私がご啓示いただいた中で外してはならない唯一無二の要件なのです。

そして、メシヤ様との霊線を太くする営みとして、菅谷さんの体験は好事例だったのです。しかも、菅谷さんのステップアップに沿って、ご家族共々浄霊力の強化を許され、大きな恩恵に浴すことができているのです。

本来の信仰のあり方

また、ご本人が「本来の信仰のあり方を教えていただき・・・」と記述しておられますが、これは私が青年布教師時代に先達(教会長や支部長)の子息に聞き取り調査した内容とも重なります。

調査の結果、異口同音に述べたことは「初めて信仰に入ったことを実感したのは、家から急に家財道具が消えてゆき仏壇が届いた時だ」と、いうものでした。信仰ということについては、御神体がご奉斎された時ではないのですね。これは非常に重要なことなのです。

先程の御講話の中でも『当然のことをする人間を造る』というお言葉が随所に出てまいります。先祖供養などは人任せにせず、自分が誠を込めて執り行なうものなのです。救いの言霊である善言讃詞もいただいている訳ですから。そういう点では「祖霊祭祀」事業を展開している教団は、ともすると信徒が歩む道を踏み外しかねない状況を育んでいるのです。

菅谷さんは、まず仏壇を整理することを同時に取り組んだのです。また、菅谷さんは神慈秀明会時代に布教師(海外)の経験をお持ちなので、位牌への祖霊の遷霊の仕方などを身に付けていただきたいために、見本を示しながら教授することを兼ねて私が祭式を執り行ないました。

そのことで、菅谷家の懸案であった問題(問題解決を半ば投げ出していたこと)に光明が差してきたのです。これは立ち会った私も驚かされる事柄だっただけに、菅谷さん一家の喜び様は筆舌に尽くし難いほどのものでした。

そして、その喜びを拡げるように、私が見本を示しつつ教授した祖霊の遷霊式をお世話信徒家庭でも実践しつつあります。

過去の教団(メシヤ様を教祖と仰ぐ)の取り組みを批判するだけではなく、一つひとつ整えて差し上げねばならないと考えております。今後資格者へ仏壇設置方法や「遷霊詞」奏上方法を教授して、多くの方々が信仰生活の本来のあり方を歩むことができるように、努めたいと考えております。

8月度は、お盆の月でもありますので全国で確認してまいります。すでに教授して取り組んでいる方々もいますが、「遷霊詞」を配布しつつより充実を目指してまいります。

「浄霊法講座」

話が前後しますが、浄霊に対する想念の確立を目指す願いで「メシヤ講座」参加者を対象に「浄霊法講座」復刻版を頒布します。

これは、その「はしがき」にも記述しましたが、研讃資料です。

メシヤ様の御名を唱えて授かる浄霊力は、すでに急所を論じなくとも良いほどに強化されています。

しかし、浄霊の原理や神律、思想を探求し体得する過程においては、急所を知ることも大切なことです。また、日常生活で私達を取り巻く化学物質の影響を受けて生じる身体の異変に対して考察する原点としても重要な意味を持ちます。更には、成長過程で染み付いた精神の癖を変容させ修正を加える場合にも拠り所となります。

そのようなことから「浄霊法講座(一)~(十)」を合本にして作成(限定部数)することにしたものです。幅広く活用していただきたいと考えております。

「問題解決の手法」

今後、御教えに則った「問題解決の手法」も研讃資料として提供してゆきます。

宗教の使命は、人間の抱える問題を解決することにあります。問題解決を図る場合、人為的な方策のみに走ることなくメシヤ様にお繋がりいただく具体的なあり方が必要です。

そして、そのためには問題解決の担い手である私達自らが、メシヤ様に合わせ、御教えに合わせ、相手の目の高さに合わせて取り組むことが根本です。

また、問題解決の方向を定めた後、相手が最初の一歩を踏み出す糸口を与えるために、あるいは生活上の細かな具体的アドバイスを提供するために、取り組まねばならないことが山程あります。しかも、気になる場合には間を置かず腰軽く動き、細かく手を打ってゆかねばなりません。

率先垂範して行動する自らの姿を通して感化を与え、相手の生き様、あるいは人生観がメシヤ様の指し示すところへ変容するまでお世話に徹することが大切です。

研讃資料は、先達がメシヤ様から御教えいただいた内容を基に、メシヤ様に祈りつつ工夫を重ねてきた跡を整理して、現代に合わせてまとめてまいります。

復興事業の必要性

ここで冒頭述べたようなことが何故起きているのかを検証しつつ、取り組みの方向を明確にしておきたい、と思います。

メシヤ様は、「世界救世(メシヤ)教」の前身である「大日本観音会」を昭和十年元旦にご立教されました。その折のご真情を『私の信仰の経路』として御講話になられた訳です。立教後、昼夜を問わずに御神業に没頭されましたが、ご苦労の連続でもありました。

目の醒めるような鮮やかな奇蹟が相次ぎ、破竹の勢いで教線が伸びましたが、昭和二十年代初期までのご苦労は主として外圧によるものでした。

当時あらゆる分野に亘り問題解決策を提示され、それが核心に迫るものであり先進性に富むものであるが故に、理解できる人も少なく社会の誤解を招くこともありました。

例えば、病気が治る結果“医療や薬事が不用になるのでは”と関係者に不安を募らせることもありました。また、自然農法の普及により“農薬や化学肥料が不要になるのでは”などと関係者に脅威を与えて、結果的に形を変えた世の中傷に見舞われました。

そのような時期は、教団内もメシヤ様を中心に一致団結して御神業を進めておりました。ところが、信教の自由が保障され、いよいよ新しく態勢を整えて御神業を進めようとされた時に、思いもよらぬ事件が起きてしまったのです。『ご法難』です。

メシヤ様は『開教の辞』において、『右両会(日本観音教団並びに日本五六七教会)を打って一丸としたる構想の下に、本年(昭和25年)二月四日立春を期して、表題の如き宗教法人世界救世(メシヤ)教の創立出現となったのである』と述べられていますが、実はこの時水面下で両会の間で権力抗争があったのです。

一方が一方の経理上の問題を当局に流したと言われています。そのことのために、メシヤ様が直接逮捕され取り調べを受ける事態に至ったのです。開教からわずか3か月後のことです。

それまでは外圧によるご苦労であったものが、足元である内部抗争に起因するご苦労が始まったのです。

御神業推進を阻むもの

私は、高弟と言われる方々の間で何故そのような忌まわしいことが繰り広げられたのか、長年疑問でした。しかし中島一斎先生の身内の方から諸事情を伺う中で、開教の5日前にご他界されていたことを改めて知らされました。このことが大きな原因であったことが今更ながらに思い知らされました。

大先達の訃報がその系列に暗い影を落としたのです。人間の弱さと見るべきでしょうが、布教三訓にある『メシヤ様との共同作業』という御神業の大原則に何故立ち返らなかったのか、と思えてなりません。

メシヤ様は、『開教の辞』において『私は、これまで顧問の名の下に、いはば蔭にあって経綸を行っていたが、漸(ようや)く基礎的工作も出来上がったので、茲(ここ)に表面的活動に移る事となった訳である。端的に言えば、いよいよ本舞台に登場する事となったのである。従而(したがって)各般に渉って漸次組織形態は固より、活動の形式も新しく生れるのは勿論である。』と並々ならぬ御意欲を示されていますが、実現しない結果に終わっています。

しかも、その取り調べの際に、メシヤ様は度重なる脳貧血に襲われ幾度も意識不明に陥られております。メシヤ様は『頭脳の拷問であった』と述懐されていますが、その脳貧血の後遺症とも思われる症状により寿命を縮められております。ご法難からわずか4年余でご昇天されたのです。

大変遺憾なことは、ご昇天後「世界救世(メシヤ)教」の呼称を変えてしまったことです。その背景には教団執行部が大本教に相談した経緯があるようです。それは祭事様式からも見ることができます。メシヤ様は『極アッサリするように』と祭事についてご教示されていますが、二代教主推戴式では大本教式に戻しております。

またその後、祖霊祭祀事業にも手を拡げています。これはメシヤ様のご精神を無視した取り組みと言わざるを得ません。何故なら、第二次世界大戦後、日本では雨後の筍のように先祖供養教団が創立されましたが、メシヤ様は『仏のことは仏に任せろ』と仰り、生きている人々の救いと神意の伝達に終始されたからです。

メシヤ様のご精神から大きくずれていった訳です。『私の信仰の経路』では、大本教に対するご指摘から「宗教の原則」を述べられたのですから、大本教寄りになった時点から「宗教の原則」を踏まえなくなってしまったとも言えます。

一方、大本教色を深めると共に、教えの取り次ぎ方を微妙に変化させてしまいました。

宗教学者の岸本英夫氏の説によれば、「宗教とは、人間生活の究極的な意味を明らかにし、人間の問題の究極的な解決にかかわりをもつと、人々によって信じられている営みを中心とした文化現象である」とあります。この究極的な解決という点が薄れていったのです。

高学歴の者が宗教的体験を積み重ねずして指導的立場に立つようになったために、マルチプルアウト的表現を用いて導こうとしてしまったのです。これでは「宗教改革」「医学革命」が進むはずがありません。

また、運営面に重点を置くあまり、バランスシートに沿って“割り当て”的に成果を求めるようになりました。バランスシートを用いる手法は、考え方としては必要ではありますが、それに囚われ過ぎると宗教性が薄れてしまいます。無駄をなくすことはメシヤ様も心掛けられましたが、冒頭述べましたように“必要な時に必要な分だけ入ってくる”ということが宗教の原則なのです。

一度歩がズレますと、先へ行く程ズレ幅が大きくなり、当人は宗教のつもりでも、宗教性を失ってまいります。

復興事業推進の上で心すべきこと

このように見つめてまいりますと、第一に、『メシヤ様のご神格の認識を確実なものにする』ことがなくてはなりません。次に『宗教の原則を心得る』ことが重要です。そして、特に指導的立場の者こそ『率先垂範する姿勢』がなくてはなりません。

これから、更に志を同じくする人々と手を取り合って「世界救世(メシヤ)教」復興事業を推進する上で心しておかねばならないことですので、特記しておきます。

<資格者資料>

(次回に四講を掲載。)

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