メシヤ講座・特選集no.67(平成18年8月分)

<御教えより>
医学試稿

(1939年文創のまま)

第二篇  病気

病気とは何ぞや

此(この)事は、数千年来、人類が此(この)悩みを解決せんとして如何に努力したであらふ事は、余りにも明白な事である。そうして我国に於ても千余年前、漢方医術が渡来し、次いで明治少し以前、西洋医学が渡来し、今日に至ってゐる事も周知の事実である。そうして、政府も国民も協力しつつ、此(この)西洋医学によって病気を治癒せしめ、之によって体位の向上を計らんとしつつ、日夜懸命の努力を計りつつある現状は、洵(まこと)に敬服すべき事と思ふのである。そして、その結果や奈何(いかん)。あらゆる病気は日に月に増加し、特に青少年の結核、虚弱児童の累進的増加の事実は、何を物語ってゐるのであらうか?。それは兎(と)に角として当局は、此(この)現実をみて、愈よ増々西洋医学の理論と方法によって解決せんと躍起となってゐる状態は、日々の新聞雑誌等によって誰人も知りつつある事実である。人或は曰はん、当局の施設は、漸くその緒に就いたのみにて、今後に於て、漸次的に良策を挙げるのである。然乍ら、私は断言する。西洋医学による理論と方法を以て解決せんとすればする程、結果は逆となり、倍々悪い結果を来す事は火を睹(み)るより瞭(あきら)かである。何となれば、近年、急激の国民体位低下はその原因が、何処にあるか―といふ事が明かでなければ駄目である。一切は原因によって結果が生ずるのであるから、その原因を極め得ずして、末梢的結果のみ捉へても何の効がないのみか、此(この)事に関する限り、逆効果を来すのは致方ないのである。私は、此(この)大問題に就て、長年月努力研究の結果、驚嘆すべき一大事実を発見したのである。

*     *     *     *     *

「景仰」を如何ように拝読するか(7)

メシヤ教  楳木和麿

はじめに

私達は御神業に精進させていただく上で、より有効的にお働きを許され、好結果を得たいと願っております。取り分け、布教(救済活動)においては尚一層のことです。

そして、その集合体である教団で上に立つものは、創意工夫を重ね、率先してその実践に努めてまいりました。

『恩は着せるべきものでない』の項

≪本文≫

私は昭和十六年四月一日、当時の資格を拝受して、いよいよ布教に専業することになりました。その時、「どのような心構えでやらせていただいたら、よろしいのでございましょうか」とお伺い申し上げました。

明主様(メシヤ様)は、『寝食(しんしょく)を忘れて人を助けることです。しかし、恩は着るべきものであって、着せるべきものではない。いつも私と共同作業であるということを忘れないことです。その心構えでやればよいのです』とご教示下さいました。

それ以来、このお言葉が私の布教信条となっております。(布教師

≪解説≫

この一文が、「はじめに」で記述した願いに対する答えの一つとされております。

この内容から『布教三訓』が生れたことは周知の通りです。当然ながら、『布教三訓』を実践した人は発展を許されました。しかも、どのように発展したとしても救済活動の現場を忘れなければ、この三訓がその人の中に生き続けました。

換言すれば、どのような高位の時所位を許されたとしても、この『布教三訓』を忘れた人は救済宗団の中で役割を果たすことはできません。果たせないばかりか、不祥事を起こす原因を作ることにもなります。

もとより、『布教三訓』を実践せねば、岡田茂吉教祖を戴く布教師とは言えず、教団人とも言えないことを肚に入れておかねばなりません。短文とは言え、味わい深い三訓を一つひとつ噛み締めてまいりたいと思います。

寝食を忘れて人を助ける

メシヤ様は、まず『寝食を忘れて人を助けることです』と、言い切っておられます。只ひたすらに人救いへ取り組むように求められているのです。

一途に取り組めば、寝ることも食べることも忘れる位になる、ということですね。また、誠のある人もそのように取り組むもので、愛の大きく深い人も、負けん気の強い人も自ずとそういう姿勢になる、ということですね。

恩は着るべし着せるべからず

次に『恩は着るべきものであって、着せるべきものではない』と、仰っております。これは、人を救うことに役立てば役立つほど、自分に戒めてゆかねばならない内容です。指導的な立場に立つようになれば、尚更のことであります。

メシヤ様は『急に先生と言われるようになると・・・・・』で知られる『下座の行』という御教えで、人間の陥りやすい弱点をご指摘されております。

この項では『威張りたがる、偉く見せたがる、物識りぶりたがる、自慢したがるというように、たがる事は反って逆効果を来たすものである。少しばかり人から何とか言われるようになると、ブリたがるのは人間の弱点であって・・・・・』と述べられています。

また、『信仰団体などに、教義を宣伝する先生に、どうも下座の行が足りないように見える事が屡々(しばしば)ある。』とも憂慮されております。

この御教えを併せて拝読させていただくと、私達のあるべき姿勢がより明確になると思われます。人格を磨く上でも欠かせないことですからね。

メシヤ様との共同作業

三つ目には『私と共同作業ということを忘れないことです』と、仰っております。何と心が軽くなるお言葉でしょうか。勇気を与えてくださるお言葉でしょうか。

お世話に懸命に取り組めば取り組むほど人様の人生により立ち入ってゆかねばなりませんので、時として不安感が胸中を過(よ)ぎる場合があります。躊躇する場面もありますが、このお言葉を胸に抱いて進めば安心感が拡がります。

また、一方、私達がどのように鮮やかな奇蹟を許されようとも、それはメシヤ様からいただいたものです。メシヤ様の為せる業です。メシヤ様と繋がりがあればこそ、現わすことができる御守護なのです。救いの御力と救いの方法をメシヤ様から伝授いただいていることに、ただただ感謝させていただきたいですね。

『共同作業』ということを具体的に実践させていただくと、次のようになります。

<ご案内> 人様を支部へご案内する場合、「メシヤ様の御前にご案内する」という想念です。

<訪問>  人様を訪問する場合は「メシヤ様のお供をさせていただく」という想念です。

<お世話> お世話に取り組む場合は「メシヤ様の愛に包まれていただく」という想念です。

このように考えさせていただきますと、それぞれの取り組みは如何にあるべきかが更に具体化してまいります。「御前にご案内するとなると・・・」「お供をさせていただくとなると・・・」「愛に包まれていただくとは・・・」というように考察してみてください。

るナ三訓

私達の御神業へ向う心のあり方が、より具体的になったのではないでしょうか。更に付け加えるならば、先達の方々が御神業に臨む上で、大切にしていたものに『るナ三訓』があります。

・ いばるナ
・ 怒るナ
・ 早まるナ

の三つです。簡潔明瞭な内容です。日々御神業に臨ませていただく際に取り入れていただきたい、と願います。この三訓は人様の問題解決に取り組む場合、絶えず心掛けておかなくてはなりません。また、課題を設定して取り組む人へ寄り添って歩んで差し上げる場合も、‘必要不可欠’です。

両『三訓』を反復しつつ、常に意識を新たにしてお世話に当たらせていただけば、人生の美しさや不思議さに感動します。そして、人生は価値あるものであると、心の奥深く刻ませていただけます。

最近、特に奇蹟が顕著となり、また、正しい願い事ならば実現するスピ-ドが飛躍的にアップしていますので、「時期」の到来を思い知らされます。また、祭典時にいただく御光の強さが弥増している旨の報告が異口同音に届けられております。

それだけに、私達の姿勢をメシヤ様の御心に適うあり方に一層近づけねばならない、と思わされます。心に留め置きください。

以上のことを極めてゆくと、御神業は『遊行観音』の振る舞いの如くである、ということが肚に落ち、肩の力が抜けてゆくのです。そして、御神業は楽しくて仕方ないものとなります。

 

Q&A

メシヤ様が執り行なわれたご神事とご事情

Q. メシヤ講座・特選集(7月分)は、非常に高度と言いますか、次元の高さを痛切に感じさせられました。特に、メシヤ様の『之を深く認識する事によって初めて大神業に参加され得る資格者となるのである』というお言葉(五六七大祭)はズシリと来ました。それにしましても、昭和25年の開教時に暗雲が覆っていたということに驚かされました。メシヤ様に様々な‘制約’が課せられたことなど、想像もできませんでした。

A. これも大変な深刻さを有しておりますが、世界救世教の資料中に井上達江女史(井上茂登吉先生の奥様)の手記があります。それによれば、昭和28年7月にメシヤ様が突然井上家を訪れ次のように仰られた、とあります。

『あんたも三千年前神様にお仕えしていた因縁のある一人だから話すが、今私はどうしてもやらなければならないことがある。邸は人の出入りがあり、途中邪魔が入って出来ないのだが、これは将来教団の発展と人類救済に大きな訳がある(実はもっと詳しいお話がありましたが・・)。その神事に井上の家を使いたい』

メシヤ様はこのようにお話になり、その夏、度々お出ましになられたそうです。そして、メシヤ様とご夫君、側近者(伊弉册尊の型・現界の罪を背負う)だけでご神事が執り行なわれた、とされております。

ご神事の最終日にメシヤ様は『これで間に合った、人類が救われることになるんだ。あんたは子供と一緒に大変な御用をしたんだ。ありがとう』と仰ってくださった、とあります。

昭和28年7月と言えば、聖地・箱根神仙郷が完成した直後です。そのような時節に、井上家(しかも借家だったそうです)で執り行わなければならなかった訳ですから、余程のご事情があったと拝察されます。

メシヤ様の浄霊力伝授様式

Q. 信じられないようなことですが、深刻なご事情がおありになったのですね。

A. 更に深く考えさせられることは、「おひかり」に関することです。「信仰読本」(1)の29ぺ-ジに「おひかり」を掛けなくとも浄霊力を授かる旨の記述を致しました。その項で、健富和協会の会報五号から次のような内容を引用させていただいております。

「昭和二十九年四月十九日、明主様(メシヤ様)は浄化のため、お文字をお書きいただけなくなりました。その後役員会で当時理事長であった木原義彦先生は、お文字を印刷して、ご神前でお願いし、御守(おひかり)として下付しようと発言され了承されました。しばらくしてから明主様(メシヤ様)から『御守(おひかり)はどうしているか』とのお言葉があり、側近の阿部執事が「木原さんがこのように申しましたので、このようにさせていただいております」というふうに申し上げたところ、『ああ、それで良かった。それでいいんだ。本当は御守(おひかり)はなくてもいいんだけどな。入会者の氏名、年齢、職業を私に報告するだけでよい』とのお言葉があったのです。」

「信仰読本」では、ご昇天後について述べられた『(御光を)霊界から出しますから同じ事です。反ってよく出ます。体があると邪魔になりますから』というお言葉を併記させていただき、「この内容は私達に大きな安心感を与えると共に、さらなる求道心を掻(か)き立たせるものです」と記述いたしました。全くその通りなのです。

しかし、反面一つの大きな疑問点が内在していることも事実です。ご浄化中であろうとも、役員会で決定する前に、何故メシヤ様へ直接お伺いしなかったのだろうか、ということです。

メシヤ様は『本当は御守(おひかり)はなくてもいいんだけどな』と仰っていますので、事前にお伺いすれば、昭和29年の時点で、浄霊力伝授の様式変更がなされたと思われます。時期を遅らせてしまった観を否めません。

しかも、この時点での対処の間違いが、繰り返された教団紛争で必ず「おひかり」が楯に取られ、宗教性のない低次元の問題が重ねられる原因となっているのです。そして今も、世界救世教いづのめ教団では低レベルの紛争が続けられております。

世界布教を前提とされたメシヤ様のお言葉

Q. もう一つ驚愕させられたのは『生き神様的個人の力でもむづかしい』というお言葉でした。

A. このお言葉は将来を見越して仰られているようで、先見性に唸りたくなるような内容ですね。

将来とは現代のことです。今、宗教宗派を超えて浄霊力を伝授することを許されておりますが、世界には偶像崇拝を嫌う人々が多くいらっしゃいます。そのため、どうしても『生神様的』な色合いが強いと世界布教が成立しない面があります。

世界の万人が待ち望んでいる「救世主の証」の一つが浄霊力であることは申すまでもありません。しかし、偶像崇拝的な色合いを少しでも感じると、それだけで拒絶感が発生し、肝腎の救済力を授かることができなくなる人も出てまいります。それでは元も子もなくなります。

また、学術的な世界観や宇宙観を極めて行き「宇宙意思」や「絶対的な法則」を認識するようになり、それらを基に自分を律して生きる信念体系を築いた人へ伝授する場合も同じです。適切なあり方が求められるのです。

それ故に、前回引用させていただいた『五六七大祭』のお言葉は重要な意味を有することになるのです。『生神様的個人の力でもむづかし』という表現は、「世界救世(メシヤ)教」という『世界』を冠した時点での、将来への答えだったのです。当然ながら、御神名についても深慮の御心が拝察されます。御神名も御神体も世界布教を前提として存在するのです。

メシヤ様は、全てを見越しておられたのですね。万国万民を救われる大愛がそこにはあり、小さい形には囚われないところが何とも素晴しいところです。

この根本を深く認識した上で御神業に臨ませていただける私達はこの上なく幸せです。誇りを一層持つことができます。何せ高弟と言われた方々が到達でき得なかったところへ、ス-ッと立つことができたのですからね。

ス-ッと立てると、今までの参拝や浄霊と異質な体感があると思います。その体感は、ご在世中に人々が体感したものと同質なものです。これはとても素晴しいことです。

(註) 二回に亘って資格者向けの内容になりました。「神界通信」でもご紹介いたしましたように、今、歴史的な一大転換期の渦中にありますので、あえて「メシヤ講座・特選集」で採り上げました。