<御教え>
宗教は一つもない
(1936年5月文創のまま)
三、過現未の透観
仏教に於ては、よく過去、現在、未来を云々するが、どうも寔(まこと)に不徹底である。昔から三世通観などと謂ふけれども、過去と未来に向って明確に実相を説示したものはないのである。過去と雖も、唯単に漠然たる仮定説的で、現代人を満足せしむる価値はないといってもいい。真に三界の深奥を明かにし得るものは無いのである。そうして、如何なる宗教と雖も、善悪の根本すら徹底説破したものは絶対無いのみにみても明かである。それはなぜであるかと言へば、既存宗教の殆んどは、其(その)開祖が第二流以下の神仏である関係上、主神の最奥の経綸が解る筈がないのであるから、止むを得なかったと言ふべきである。
未来に到っては、勿論具体的に徹底説示したものはなかった。只漫然と簡単に予言はされてゐる。それが仏教の彌勒の世、基督教の天国来、天理教の甘露台の代、其(その)他である。要するにそれ丈であって、それ以上の説明はなし得なかった事は致し方なかったであらふ。
此(この)様に、過現未の真諦を開示した宗教は未だ無かったので、之が無くては人間をして絶対安心立命を得させる事は不可能である。
(以下次回掲載)
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<神界通信>
本年6月15日の「地上天国祭」を期して、『昼の時代』を司る神様に全て交代されることに相成る旨をご教授されました。『夜昼転換』とは司る神様が交代される由とのこと。昭和6年6月15日鋸山でお迎え申し上げた「天照皇大御神」様を日枝神社へご鎮座申し上げ、それまでの留守居の神様と交代なされたことに照らして慮(おもんばか)ると、‘なるほど’と拝察申し上げることができます。
昭和29年6月15日に「メシヤ降誕仮祝典」を執り行われたにもかかわらず、教祖ご自身は短期間しか『メシヤ』という御名を名乗られませんでした。『夜の時代』の神々の執念が幾重にも取り巻いていたためと拝察できます。それ故に、毎年の「地上天国祭」を『メシヤ降誕本祝典』と受け止めて、積み重ねてまいりましたが、昨年『明主様からメシヤ様の尊称へ変更するように』との啓示をけ、御経綸の進捗を感得させていただきました。そしてこの度、司る神様が交代なされたので、その意志を以って取り組むならば、必ず事成せるということであります。
また、『霊的に世界の中心は箱根の神山である』との御教えがありますが、『そのことを強く認識するように』とのご教授があり、「地上天国祭」祭行を前に赴かせていただきました。
三千年以上前は箱根より東を「ホツマクニ」と呼び、誠に秀でた国として讃称されていたことも判明しております。「夜の時代」到来時点での東西の基点は琵琶湖となりましたが、それ以前の基点は箱根であったのです。そして、加えて芦ノ湖が大変重要な意味を占めているようです。今後、そうした意味を少しずつ明かになされてゆくとのことです。
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「地上天国祭」挨拶
メシヤ教 楳木和麿
神様の祝福をいただく中での御祭り
地上天国祭おめでとうございます。本日は、関東、東海、関西、四国からお集まりいただき、「地上天国祭」を執り行わせていただくことが許されて、心から感謝申し上げます。また、本日は北海道、九州でもそれぞれ執り行っていただいております。「地上天国祭」の意義をしっかり学んだ上で、真心からなる祭典を執り行わせていただくことができましたことを素晴らしく感じております。
さて、昭和6年6月15日に夜昼転換が行われまして、今年は丸74年になります。本日より「昼の時代」の神様が司るように相成りました(「神界通信」参照)。「夜の時代」の神々の執念が今日まで残っており、御経綸を進め難かったご様子ですが、やっと司ることがおできになるということですので、誠におめでたいことであります。
何事も形で示されますように、昨日から大変素晴らしい形で神様の祝福をいただいております。先ほどの榎並さんからのご報告もその一つです。『今後誠を込めて取り組ませていただいたことには、明らかなるお導きと幾重にもあつい御守護を必ずいただける』ということを教えていただいたものと拝察致します。
「地上天国祭」の由来
「地上天国祭」の起源については、先月お話しております。それに加えて、「地上天国祭」という名称の由来をお話致します。昭和28年に「地上天国の雛形」である箱根神仙郷が完成し、その完成をお祝いする祭典が執り行われました。以来、毎年6月15日に「地上天国祭」を執り行わせていただくようになりました。
「地上天国の雛形」の第一号が箱根に完成したということは、大きな意味があります。御教えには『箱根の「神山」が霊的には世界の中心である』とされております。しかし、「神山」は火山ですので、神仙郷を通してお祈りするということで、「地上天国の雛形」づくりがなされたのです。
そして、このことは御神体の意味するところと共通しております。そのことから、こうして御神体をご奉斎させていただき、毎月月次祭をさせていただいている所が、小さい「雛形」と言えるのです。つまり、現在「地上天国の雛形」は、御神体のご奉斎と共に拡がりを見ていることになります。
「地上天国祭」を期して現界へ移写される神威とは
メシヤ様は『立春祭を期して神様の揮われる神威は弥増す』と御教え下さっております。そして、その弥増す神威は地上天国祭から現界に移写される、とされております。この神様の揮われる神威というものが現界に移写されると、どういうことになるかと言いますと、三つの点でお話できると思われます。
1.浄化力の強化となって
まず、浄化力が強くなる、ということですね。神の本質である御光が絶対的なものとなり、「昼の時代」到来を促進させる火素が増量して、浄化力が強まって行きます。この祭典に際して、前もって浄化をいただかれた方もいらっしゃいますが、この方々は「神様から期待されている」と受け止めていただくといいですね。
浄化というものは、私達の霊に堆積する曇りや肉体に溜まった汚れが御光、火素によって洗われることです。大変有り難い、神様の大愛なのです。これは身体的なものに限らず、家庭や職場などで揉め事が起きることもあります。「どうしてこんなことが起きるのだろうか」と思うかもしれませんが、「夜の時代」の曇りの清算であり、地上天国建設のためには不可欠なのです。当然ながら、浄化力の強化に伴って、曇りや汚れに応じて生じやすくなります。神様の大愛が明らかなる形となるということですね。
2.浄霊力の強化となって
そして、私達が授かっています浄霊力も強まります。浄化作用が神様の大愛の現われ、と先ほど申しましたが、更に積極的な形が浄霊です。浄化は受動的な面がありますが、浄霊は能動的です。自らの意志により取り次ぎ、またいただくものです。
昼の時代の到来に伴って、天国天人に相応しい身魂へと浄まらせていただくための、積極的手段です。しかもこれまでお話してきたように、「火の洗霊」ですから、取り次げば取り次ぐほど強化され、勢いを増し、何者の影響も受けずに浄まりを許されてまいります。「なるほど強くなるのか」と感心するだけではなく、数多く実践していただきたいですね。
3.智慧の一層の発露となって
それから「地上天国」建設を推進して行く時に必要なことは、真の智慧ですね。生涯を通して懸命に勉強しても、脳の1/20位しか使わずに終ってしまうとよく言われます。ましてや、ボ-ッとしていたら、もっと使わないかもしれません。しかし肉体的には、日常的に電磁波や電波を浴びてていますし、オゾン層の破壊で多くの太陽光線も届いています。そして何より月が一年に4cmずつ地球から離れていて、引力は軽減しています。そうしたことから、脳自身は、進化する刺激をますます受けていることになります。
宇宙飛行士として宇宙へ行かれた人の中では‘神様のような存在に出会った’というコメントを残した人もいます。また、‘何かに導かれるように作業が巧くいった’とコメントする人もいました。その存在をサムシンググレ-トというような呼び方をする人もいます。
脳が無重力になった時に、バッと圧力が消えて、見えないものが見えたりする、ということは容易に想像できます。かつて、ドイツで右脳シルヴィウス裂部に電極を当てて幽体離脱実験を行ったことがあります。その記録がありますので、尚更なことです。
榎並さんも、祭典用のテ-ブル掛レ-スを編んでいる時に、茶色の点が次の編み目を指すように見えて、大変捗(はかど)ったそうです。まるで導いてくれるように茶色の点が浮かんで見えたのです。榎並さんの場合、「‘錯覚かもしれない’と思い、他のものを編んでみたが、その時は見えませんでした」と検証付です。これは、神様の世界から導かれたという貴重な体験なのです。
この体験はお一人のみのものではなく、本日ただ今心を同じくして祭典に臨んだ全ての人に共通して、体得を許される学びなのです。このように学びを許された私達が、本日を期して日常生活で更に心掛けて参りたいことを確認させていただきます。
本日から更に人格を磨き、体験を積み、学習を重ねる
まず人格を磨く、ということに一層取り組んでいただきたいと思います。これは、度々触れてきたように、病気のところを救われて「浄霊によって救われた。有り難い」と言って、また無理をする。そうしたことではもったいないということです。救われたならば、以後注意深く生活をして行くように、自分を治めて行かねばならないのです。浄めていただきつつ新たに罪穢れを発生させない生活を送ることが肝心なのです。
それから日常的に口にする言葉ですね。ご自分の発する言葉が、その場を明るくしたり、暗くしたりすることが判り、日々言葉を練って行くことを心掛けることが大切です。
また、巷間‘人の不幸は蜜の味’などと言われますが、自分は何時までもそんな状態ではいけない訳です。自分がちょっと動いただけでその場が明るくなったり、物事がうまく運んだりするように心掛ければ、どれほど気持ちよいことでしょう。気配り、心配り、勘働きに努めながら、日常の心・言・行を高めて行く、その積み重ねが人格を磨くことに繋がります。
それから浄霊力が強まる訳ですので、とにかく浄霊を機会あるごとに取り次がせていただいて、未だ神様の御光に包まれたことの無い人に御光を届けていただきたいのです。そういう体験を数多く重ねて行く、ということが大切です。この体験を積むということが二つ目に来ます。
三つ目には、智慧をいただくためには私達は学習を重ねて行かねばなりません。学んで行く姿勢は、メシヤ様を見習うとよいです。それが追体験を通して向上を図るということですね。
メシヤ様は、ご在世中到る所へラジオを置き、ニュ-スの時間になると必ず耳を傾けられておりました。散歩の時も側近奉仕者がラジオを携帯し、ニュ-スの時間になるとスイッチを入れられました。
また新聞は、朝見出しにチェックを入れられ、夜他のお仕事をされながら側近奉仕者に読み上げさせておられたようです。私達も経済的に許される限り多くの全国紙を読んで行きたいですね。そして、それプラスいろんな書籍を読むということを心掛けていただきたいものです。あるいは、ネット上の情報量たるやすさまじいものがありますから、その気があり、精査する注意力があれば幾らでも学んで行くことができます。
視野狭窄状態からの脱却
学びを積み重ねるということを考えますと、私達は幸いなことに御教えというものに出会えました。真理に出会えております。しかし、世の中には、ド-ッと濁流のように押し寄せている波があります。そのために、現代人は視野狭窄状態に陥りがちです。その波の一番手とも言うべきものは、履き違えた民主主義であります。そして、経済至上主義、マスメディアです。
民主主義の履き違いの流れは、明治時代から始まり、昭和20年代から加速度的になっております。しかし、この民主主義というものを日本から無くした方が良いということではありません。真の民主主義とは何かということを問うということなのです。もう一度見つめ直す努力をしておかねばならない、ということです。
今月メシヤ講座の場で度々採り上げたバチカンの法王選出です。この度ラッツィンガ-枢機卿が新法王に選出されてベネディクト16世を名乗りました。煙のことばかりが話題になりましたが、選出における決り事が重要なのです。民主主義の原点の一つになるのです。そのことをよく認識しておかねばなりません。
新法王は、第二バチカン公会議(1962~65年開催)を以って行動したヨハネ・パウロ二世の流れを引き継ぐと言われていますが、ベネディクト16世を名乗りました。新法王がベネディクト16世を名乗ったことについては、「スピリチュアリティ-(霊性)」を今の教会は追求すべきだと考え、対話による‘広がり’も重要だが、信仰の‘深まり’を強調したと考えられるようです。
(※参考資料:「履き違えた民主主義」)
選出には、そうした背景もうかがえるということをこの機会に認識しておいていただきたいと思います。そうすれば、その応用篇である政治がより成熟してまいります。おおよそ利権など絡まなくなりますし、若い人達も意識を以って参政して行くと思われます。
また、そうしたことを知った上でカトリック系の信者さんへも浄霊を取り次がせていただくと良いですね。色々な宗教宗派の方にでも、そうしたことの思いや話を元に接していくと良いですね。
脅威に晒されている地球環境
それから、本日名古屋から大勢見えてくれておりますが、今、「愛・地球博」が行われております。そのお蔭で、日本全国で各種シンポジュ-ムが開催されております。その中でも有意義なのは、ノ-ベル賞受賞者による基調講演です。これは非常に参考になりますので、機会があれば参加されると良いと思います。参加することは無理でも、その事後の新聞記事などには目を通しておいていただきたいと思います。
今一番の課題というものは、「京都議定書」が発効し二酸化炭素排出量を2008年から5年間で90年比5%以上削減することになったことです。この問題に関する論文(’70)で’95年にノ-ベル化学賞を受賞したパウル・クルッツェン氏は「必要な削減量は60%」と述べております。
太陽光発電や風力発電、燃料電池の使用が必要とされています。これから家などを建築される方は「脱石油」戦略に参加する意気込みで、臨んでいただきたいですね。
我々人類は当初、アフリカの山脈を越えて二本足歩行をするようになったとされております。そして、手を使用するようになり、言語を習得し、‘より便利な’‘より豊かな’ということを目指してきました。二本足で歩くようになって、今日のような文明を築いてきたことから、文明が進んできたことを「進歩」と言います。歩いたからできたからで、言葉は巧くできています。
進歩したのですが、この100年の間に地球上の人口は10倍になり、エネルギ-消費はなんと16倍の伸びを示した、と言われます。これは同時に地球環境を脅威に晒していることでもあります。また、1年に九州と四国を合わせた広さの面積が砂漠化しているそうです。耕地もそれに伴い減少するので、食料不足が深刻化し耕地争奪戦も引き起こされています。それが原因で、ルワンダで3か月間に100万人が殺されるという悲惨な出来事が起きました。まだ記憶に新しいことですね。
このように環境問題は様々な深刻な問題を誘発させております。何世代か先はとんでもない状況を生むことは想像に難からないですね。それで、「愛・地球博」では各種提案をしています。これは以前もお話ししてありますように、『宗教と科学の一致』への足掛かりとでも言うべき催しです。色々入ってくる情報を見ておいていただくと良いと思います。
危機的な「価値観の変化」
次に挙げられる経済至上主義ですが、今日、「成功者」の尺度は大方巨万の富を築いたかどうか、ということになっているのではないでしょうか。先ほどの自然農法のお茶についてですが、30年余り農薬や化学肥料を使用せずお茶を生産し続けた先達の方から信用され、その尊い農地を借り受けることができて、こうして皆さんへ自然農法のお茶を提供できます。その、信用されて農地を借りることができた、それ自体が「成功者」ということではないですか。
それに対して、製品ができてガッポリとお金が入らないと、成功したと見られない傾向にあります。30年間も営んできた農地を受け継ぐことができた、これこそが本来「大成功」なんです。しかし、大方の人は稼ぎにしか関心が行かない。これが一番の問題です。価値観というものが違ってきています。
それの判り易い例が、先ごろ「ホリエモン騒動」なる表現が使用され、世間の耳目を集めた内容です。あの一連の動きを見つめると、日本の抱えている深刻な問題がわかるのではないか、と思います。
(※参考資料:「経済至上主義」)
私達の学生時代から価値観の変化が急激に起り、やがて学生運動がピタリと止まりました。‘幻想に過ぎない’と感じたのですね。そしてバブルもある種の幻想であったのですね、弾けてしまいました。人間にとって何が一番大事なのか、などということが判らなくなって行きました。
そのことに更に拍車を掛けているのがマスメディアです。取り分けテレビの報道は話題性一辺倒です。一例を挙げれば、日中問題です。結局何が伝えられているかと言いますと。互いの国民がどのような好悪な感情を持っているかを大々的に報道し、政治の動向が互いの「好き」「嫌い」関係によって決められるような「幼稚化」現象を巻き起こしています。私達は、こうした「幼稚化」に引きずり込まれようとしております。警戒しておかなくてはなりません。
(※参考資料―「マスメディア」)
知識を持とうとしてチャンネルを何時も動かしている人は、大丈夫ですが、一つのチャンネルだけでウンウンと肯(うなず)いていると、危険なのです。また、ボ-ッとしてテレビなどを見ていては大変危険です。仮に情報を収集する、ということであるならば、数秒おきにチャンネルを移動させてチェックして見て行かねばなりません。
大まかに言うと民主主義を見直さなくてはならない、それから経済至上主義に流されているので本来の価値というものが見えにくい状況になっています。それから、マスメディアによって私達は常に「幼稚化」されている、という警戒心をもっておかなくてはならないということです。
まとめ―『宗教と科学の一致』へシフト
そうした現状なので、本日は、最初にお話したように、「地上天国祭」を期して人格を磨く、ことに取り組んでいただきたい。磨き方というのは、日常の心・言・行というものが大切で、自分が心・言・行を出す時に、必ず良い方向へ動くように、明るい方向へ動くように心掛けていくんだ、ということですね。
そして二つ目の浄霊というものは、幾度かに分けてお話して来ましたように、ステップアップさせながら浄霊実践を積み重ねて、メシヤ様が願われているような浄霊実践に自分達を近づけながら、回数を重ねていくということです。
人格を磨いて、体験を積み重ね、そして尚且つ、主神様によって時代は進んでいる訳ですから、時代の動きをしっかり見るために学習を積み重ねる、ということを心にしっかりと留めていただきたいと思います。そして新たな御神業へのスタ-トをしていただければ大変有り難いと思います。
時代は進んでおりまして、チップを視神経に接合して視力回復を図る医療技術が発表されております。また、脳腫瘍の治療にガンマナイフ(コンピュ-タ制御下ロボット照射治療システム)が有効である、という情報もあります。それから、癌治療に免疫療法が使えそうだ、ということも言われております。
これまで、‘癌は本来自分の細胞なので、免疫療法には限界がある’と指摘されていましたが、癌にも特有の抗原があるということが分かってきた、というのです。免疫といえば、私達の「免疫系防御」としての抗体は遺伝子の組み換えで一億通り用意されているそうです。人体として本来の機能を発揮すればですよ。ものすごいことです。
しかし、現代人というのは毎日ストレスを抱えております。環境ホルモン、食品添加物や残留農薬、直接投与する薬毒等々によって汚染も進んでおります。本来の機能を発揮でき辛い状態になっております。最近では免疫学者の中で‘笑いや感謝を持つと免疫力アップに繋がる’と説く人も出ています。更には‘正しい生き甲斐を持つ方が良い’とも言われております。
このように、精神が免疫に影響しているという判断がされるようになっておりますから、メシヤ教が取り組んでいることそのものが、免疫力をアップさせている、と言えます。私達が日常的にさせていただいているご浄霊、あるいは感謝のご参拝やご奉仕、そのこと自体がアップに繋がっているのです。
科学が進歩すればするほど、様々な分野で新たなものが解明されればされるほど、私達のさせていただいていることは、その解明された分だけ意義が広がっているということになります。「宗教と科学の一致」へシフトしているところです。その意義の広がっていることに対して、誠を込めて取り組ませていただけば、大御神様は大御光を存分に注いでくださいます。
絶対的な自信や誇りを持って御神業へ臨んでいただけば、今まで以上に素晴らしい体験と学びを許されると確信しております。お取り組みの上に御守護をお祈り申し上げまして、挨拶とさせていただきます。(要旨)
<参考資料>
視野狭窄状態からの脱却
この度ラッツィンガ-枢機卿が新法王に選出されてベネディクト16世を名乗りました。この選出に先立ち、営まれたヨハネ・パウロ二世の葬儀には200万人もの民衆のほか、宗教宗派を超えて世界の要人が参列しました。それほどに「カリスマ的指導者」と謳われた理由の一つには、第二バチカン公会議(1962~65年開催)の流れを以って行動したことが評価されています。
「現代を批判するだけでなく、現代人と共に歩む教会の本質と使命を探求し、現代社会の苦悩と人類の希望を洞察した」また「世界に広がる教会の地域性と多様性を認め、ラテン語ではなく各国の国語を重視するなど、固有の文化を前向きに評価した」(小柳義夫東大教授・4/25付読売新聞)とするものです。
平たく言えば、「一つは原点回帰。2000年間で身についたカトリック教会の垢を落とし、イエス・キリストと聖書に戻ること」「もう一つは現代世界との対話。すべての人に尊厳があることを認め、他宗教や無宗教の人々にも価値を認めた」(阿部仲麻呂カトリック神父・4/29付読売新聞)ということです。
そして、新法王がベネディクト16世を名乗ったことについて、犬塚道子氏(作家・5/18付読売新聞)は「ベネディクト15世は宣教師が世界に一方的に出て行くことより、『その土地の人によるその土地の教会』を考える人だった」と語り、その柔軟性を継ぐ意志があると見ています。
一方、平林冬樹神父(5/18付読売新聞)は「西方修道院制度の生みの親である聖ベネディクトゥス(480年頃~547年頃)が大切にした『スピリチュアリティ-(霊性)』を今の教会は追求すべきだと考えたのでしょう」と語り、対話による‘広がり’も重要だが、信仰の‘深まり’を強調したと考えられる、とのことです。また「‘第一級の神学者’であり、その思想は‘正当なものを深めていこう’とする立場です」とも語っています。
キリスト教文化圏が、今後どのように動いてゆくか想像できると思います。それはともかく、日本では制度面だけの導入ではなく‘精神’をもっと学んで行かねばなりません。そして、本来の民主主義というものを求めていかなければなりません。
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「ホリエモン」を生み出した土壌について、佐伯啓思教授(京大大学院・4/27付読売新聞)は次のように述べております。
「今から思えば70年代の前半は大きな社会の転換を準備する時期であった。60年代の学生を引き付けた思想やイデオロギ-の退潮、理想を掲げた社会変革の終焉、議論や運動を通じた他人とのコミュニケ-ションの崩壊、変わって出現したのは、80年代のテレビゲ-ム、アニメ文化、ポストモダン的な価値の相対化、虚飾に満ちたバブル的金銭文化であった。そして、その背景のもとに90年代のインタ-ネット文化が展開する。」
「‘金だけが全て’‘新しい教科書など作っても社会は何も変わらない’と言ったりする。ここには、80年代以降の日本を深く覆うシニシズム(冷笑主義)が漂っている。思想による社会変革や行動の倫理性や道徳性といった面倒なものは、すべて御免被るというシニシズムと、そのゆえの身軽さがある。そして実は、このシニシズムと身軽さは、また、‘楽しくなければテレビではない’とばかりに‘軽チャ-’ブ-ムをリ-ドしてきたフジテレビの身上でもあった。」
作り出したものが逆に攻撃されるという、喜劇のように映った理由はそうしたことが背景にあったのですね。
「行動の基準を与える思想や倫理が退潮すれば、後に残る評価基準は消費者のためだとか、視聴率だとか、売り上げだとかという次元のみとなる。社会の風潮が‘軽チャ-’へと流れれば、テレビは‘エンタメ’路線によって視聴率を稼ぐことができる。‘エンタメ’は、消費者のためという名目で商売になり金銭と結びつく。」
「ホリエモン」は思想や倫理を見失った時代のヒ-ロ-とも言え、このような形でしかヒ-ロ-を持ち得ないということこそ、現代という時代の「精神の貧困」を示す以外の何物でもない、と指摘しております。肯(うなず)けることですね。 ≪本文へ戻る≫
少し関連致しますが、中国の「反日デモ」を通しては考えてみたいと思います。佐々木毅前東大学長(5/22付読売新聞)は、3つの点について指摘しています。
1、「中国社会が急速な近代化、産業化の猛烈な圧力にさらされており、その巨大な社会的なストレスがどのような政治的、社会的帰結を招くかは世界注視の的である。」
「今度の反日デモをめぐる諸問題は、中国が自らの政治的遺産を踏えた政治的近代化のあり方を真剣に検討すべき時期が来たことを示している。」
2、「インタ-ネットを介した政治的意思の疎通においてはしばしば過激な議論や言辞、『現実』から乖離した議論が流通しやすい傾向があり、人間同士が向かい合って議論することを通して醸成される『現実』との接点が貧困になる可能性を含んでいる。」
「その意味で当事者たちが考えている以上に自己閉塞的になりやすく、『現実』からの遊離を促進し、政治の疑似体験にいたずらに自己満足を見い出す可能性が高い。従って、目に見える世界での政治的意思の表出余地を広げていくことによってこうしたインタ-ネット世界での政治的エネルギ-の蓄積を抑制し、『現実』にそくした実物教育に誘導していく方策が望まれることになる。」
3、「最後に注意を喚起しておきたいのは、東アジア地域における政治的体験のストックの乏しさと政治の『幼稚化』の問題である。植民地化された歴史をバネにした国造りという目標がほぼ達成された中でこれまでの政治権力の基盤が動揺し、それに代わる政治的体験のストックがないという状況は安易なナショナリズムに格好の舞台を提供している。しかもこうしたナショナリズムが互いに連鎖反応を起こしている。」
「メディアは互いの国民がどのような好悪な感情を持っているかを大々的に報道し、政治の動向が互いの『好き』『嫌い』関係によって決められるような『幼稚化』現象が一部に浮上しつつある。」
「東アジアにおいて唯一独特な歴史的経験を持つ日本政府に独自な役割があるとすれば、まずは自ら『幼稚化』現象に陥らないこと、その上で世界の世論を背景にこの地域の政治的、社会的近代化の旗印を掲げ続けることであろう。」 ≪本文へ戻る≫
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<メール交換・パート2>
※参考になる点が多いので、ご本人の了解を得て掲載します。1、2、3回目
質問メール・1 「お問い合わせ」
Q. メシヤ教様
愛知県名古屋市の牧野と申します。
私は浄霊にご縁をいただいてから11年目になります。メシヤ教についてお伺いしたいことがあり、メ-ルをさせて頂きます。
メシヤ教様は、明主様御在世当時のお言葉、御論文に基づいた運営をされておられますか?
すべての団体は善悪の区別無く、宇宙自然の理をおつくりになられた主神様が運営をされておられることと思います。どの組織も良いも悪いも私達凡人の目では判断がつくものではないと感じます。
ただ、人間的に、近視的にみると、御教え通りの運営がなされていないために、わかれも含めた世界救世教系の人達の中には、人間と、薬と、病気の関係を明確に伝え、一定の浄霊体験の上、希望の者は主神様に結びつけることを希望しておるに関わらず、所属の組織にはとても案内できない、というジレンマに陥っております。
自分に都合良く神様を見せているせいで、自分で勝手にジレンマに陥っている人もおれば、御神書とは違うことを雰囲気的に半強制してくる組織の人間に疑問を持ちながら腐らず、なんとかお役に立ちたい、そんな美しい心で長い期間苦しんでいるものもおります。迷い、悩み、離れたものも数多くおります。
こういう人は確たるものがないから、ちょっとしたことで離れてしまう。こんなことを言われる方もおられ、ある面その通りだと思いますが、ある面、明主様に申し訳ないことをしているのでは?と思います。
導いてくださった方はもっとも大切な感謝の対象ではあるが神様そのものではない。明主様の御教えとは違うことを言われた場合、いずれに従うのか悩み苦しむもの少なくありません。
先生が言われることは神様が言われているのと同じ、というように信者に半強制させ、その結果、信仰の本質を知る前に離れさせてしまうのは、神様の御心にかなわないのではないかと思うのです。
御神書にある信仰地獄に該当する方に縁があった際、また、新たに神縁を結ばせて頂く際、明主様の御教えを忠実に行っておられるところを探しております。
そこさえしっかり守っており、暮らしのすみずみまで御教えが自然な状態で息づくように、明主様の願われる自立した信仰にそれぞれが向かっておれば、小乗的でなく、自由であり、明朗快活、健康で本当に幸せを感じさせてもらえる暮らしを許されると思うのです。
その天国的な状態を見て、周囲の人は惹かれ来るのが本当だと思っています。
「天国の礎(全6巻)」「景仰」「東方の光」その他、一般で入手可能な御教えは手元にもありますが、一時のみ出版された「岡田茂吉全集」は残念ながらありません。探しているところです。
メシヤ教様はどんな御教えを元にされておられるのでしょうか?月次祭、大祭、会費、献金、その他の行事はどのようにされておられますか?
とつぜんのメ-ルの上、ご質問ばかりで大変に恐縮なのですが、お返事を頂けましたら、幸甚です。心よりお待ちいたしております。
<2005.2.12・PM2:34>
メ-ル・2 「浄霊に関する本を送ってください」
Q. 愛知県名古屋市の牧野と申します。
メシヤ講座はほとんど読ませて頂きました。
浄霊に関する本を希望します。14日以降、最も早く振込できる時に入金させて頂きます。
先ほど、別メ-ルでご質問も送らせて頂いております。お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします。<2005.2.12・PM5:39>
メ-ル・3 「振込をさせて頂きました。」
Q. メシヤ教様
愛知県名古屋市の牧野と申します。
先日メ-ルで浄霊に関する本を希望しました。本日お昼過ぎに振込をさせて頂きましたので、どうぞご確認ください。
送って頂きたい住所(略)。楽しみにしております。よろしくお願い致します。<2005.2.16・AM12:52>
返信メ-ル 「Re.お問い合わせ」
A. 牧野様
返信が大変遅くなり、申し訳ありません。明日発送させていただきます。
私、11日から本日まで出張しておりまして、「お問い合わせ」にもお返事できなくて、重ねて申し訳なく存じます。
さて、メ-ルを読ませていただき胸打つところがあり、取り急ぎお返事させていただきます。御在世当時のお言葉、御論文に基づいた運営をされているか、というお問い合わせですが、メシヤ教はそのことを目標にしております。
また、元にしている御教えについて、のお問い合わせですが、全ご論文、全問答形式お言葉に基づいております。メ-ルをいただいた時節が不思議なご縁のように思えてなりません。世俗的な表現で申し訳ございませんが、10日の「教祖祭」を期して著作権が消滅致しました。今後、誰がご論文、お言葉を使用したとしても裁判沙汰になることはありません。元々、御教えは万人のために存在するのですが、離脱教団と世界救世教との間で争われましたから、そうしたことを避けて通れる時期を迎えたことは慶賀すべきことです。「岡田茂吉全集」のCD-Rはあります。
月次祭は、本部、大阪、豊橋、浜松、川崎では私が直接出向いております。今回の出張もそのためのものです。また、個人の申し込みに対しても、都合がつく場合出向いて「メシヤ講座」「面談」を重ねております。ほとんどの場合、出張の帰りに立ち寄るように致しております。大祭は、立春祭(2/4)、地上天国祭(6/15)、メシヤ降臨祭(12/23)のみに限定致しております。
会費はありません。「御玉串料」、「感謝献金」、「奉納金(御神体、お写真、御教え等)」を随時受け付ける形です。
最後になりましたが、1954年のご浄化、そして、1955年のご昇天における、ご神格の確定がなされないままに「昇天祭」と「二代教主推戴式」を執り行ったことが残念なことでした。ここから、ご指摘のような事態を繰り返すことになり、心ある方々の心中を悩ますこととなってしまったのです。それを改めてゆくように、「メシヤ教」という呼称を冠して取り組みを重ねております。
メシヤ教
楳木和麿<2005.2.20・PM4:41>