メシヤ講座・特選集no.30(平成15年7月分)

<体験記>

奇蹟的に子宝を許される

松原市  田中美栄

私は、以前、メシヤ教と教祖を同じくする某宗教に入っておりましたが、方向性に限界を感じ退会しました。それからは、一人で考え納得の行くあり方でがんばっておりました。 その後の平成9年頃から、たびたび腹痛が起こるようになりました。痛みが強くなる一方なので診察を受けたところ、‘盲腸’と診断されました。痛みに耐えかねて、手術を受けることにしました。 ところが、手術後に医者は‘盲腸ではなくて、卵巣が腫れ上がっていたので切ったよ’と言うのです。なんと盲腸ではなくて、卵巣が赤ちゃんの頭くらいに腫れていたそうなのです。右側の卵巣だったので盲腸と判断したらしく、しかも私の了解を取らずに切除したのです。 突然のことでパニックになりました。‘子供を産めなくなったらどうしよう・・・’と思いました。そして数ヵ月後、左の卵巣が腫れ、9センチにも大きくなってしまいました。私は、その後結婚しましたが、‘子供を授かるのか?’と不安で不安で仕方ありませんでした。

メシヤ講座に触れ、メ-ルを送る

そんな時にインタ-ネットでメシヤ講座に目が止まりました。読んでみると、現代の出来事について分かりやすく解説されていてとても為になり、興味が湧きました。自己の勉強も限界がありましたので、メシヤ教のホ-ムペ-ジを見つけて感謝致しました。 そして小冊子を送付していただけるようにメ-ルを送りました。5日後にメ-ルのお返事が届きまして、メシヤ教の成り立ちと取り組み内容、とりわけメシヤ講座の開催方法と趣旨について説明が加えられていました。その中に『個々人の問題解決』と『時代に活き活きと生きる方法』とありましたので、幾つかの質問を沿えてメ-ルを送りました。

「・・・(前略)・・・御神体の前でお祈りさせていただきたいのですが、そちらで御下付していただけるのでしょうか?周りに浄霊を取り次いでいただける人もいないので、自己浄霊しかできない自分ですが、少しずつ御用を許していただけるようにがんばります。 それと、一つ教えていただきたいのですが、私は卵巣が一つしかなく、その一つも9センチに腫れ手術しなきゃならないと医者から言われ、でもずっと検査だけで見てくださいという私の要望に応えてくれて、毎月検査だけなのですが、腫れたり少し小さくなったりの繰り返しなのですが、痛みがないのでありがたい浄化をいただいているのですが、1年たってもこの状態なので、浄化はまだ済んでないということでしょうか?やはり全治するには何年もかかるのでしょうか? それから私は結婚しまして、子供を授かるか不安です。執着はいけないと思ってとるようにとるようにしなきゃと毎日思っています。ただ、子供を授かるというのはどういう意味があるんだろうと思いまして、今の私は身体が健康じゃないのかなと思っていますが、もしご指摘がございましたら教えてください。・・・(後略)・・・」

お返事は次の内容でした。

『御神体については、じっくりとお話し合いをして趣旨をご理解いただかねばならないと思います。私は、月に一度車で松原市を通過致しておりますので、よろしかったらご連絡ください。 次に卵巣のことですが、ご結婚されているのですね。ご主人は浄霊に対するご理解はおありですか?もしあるのでしたら、ご主人に浄霊の仕方をお教え致しましょう。もしないのでしたら、やはりご神体をいただいて、その前でいただくとよいでしょう。子宝については、許され事です。・・・(後略)・・・』

私は、‘卵巣が悪くても、神様からのお許しがあれば子供はできる’と受け止めました。そして、楳木先生にお会いする気持ちになりました。

御神体御奉斎を決意した時、妊娠・・・

初めて先生にお会いして色々とお話を聞いていただきました。そして御神体御奉斎を申し込むことになりました。 そうしましたら、しばらく経った頃、なんと妊娠しました。初めは‘ウソだ’と思い、何度も病院で確認に行きました。すごくすごく嬉しかったです。妊娠3ヶ月頃から悪阻(つわり)がひどくなったり、出血したり、流産の危機もありましたが、その都度ご指導をいただきながら乗り越えることができました。 私が関係する霊能者や他の教団関係者と違い、現代の問題を教えに照らして的確に解説いただけることが、本当にありがたかったです。 そして今年3月26日、3730gの元気な男の子を出産致しました。医者からは子宝の可能性は薄いと言われていたので、まさか母になれる日が来るとは思わずあきらめていましたが、今母になれた現実にただただ言葉では言い表せない感謝でいっぱいです。 ありがとうございました。

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<解説―体験記からの学び>

「永遠の栄へ」に向かっての問題解決

メシヤ教代表 楳木和麿

人々の抱える問題の根っこ

今月は、体験記から学んでまいりたいと思います。 私は、以前帰属していた世界救世教の教育機関を卒業して、初めての配属部署が教団機関紙の編集部でした。その5年間というものは貴重なものでした。組織の頂点から末端に至るまで隈なく眼にすることができ、おおよその立場の人の言動に直に触れることができたのです。 いわゆる教団の表と裏を目の当たりにしました。そしてやがて、それらを基盤にして教団の裏面史に触れることとなるのですが、その内容は別の機会に譲るとしまして、‘絶え間ない教えの研鑚’と‘時代の研究’を疎かにしてはいけないと痛感致しました。 また、日本社会が突き押されるように進んでいく現象から、人々は絶えず影響を受けているということも思い知らされました。世相の影響がもたらす人々の気分です。中でもテレビの影響が断然大きくなりました。コラムニストの天野祐吉さんの言葉を借りれば、「‘窓’であったはずのテレビが、実はその本来の働きを発揮できぬまま、いつのまにか‘壁’になってしまった。」ということです。 この‘窓’の働きの影響は日本に何をもたらしたかと言いますと、遠くの出来事を現在進行形で見ることができるようになりましたが、日本人はテレビ的にものを見てテレビ的にものを考える人間に変質したようです。‘テレビ的人間’とは、ク-ルな人間、サメた人間ということになるだろう、と氏は指摘しています。

権威の崩壊、安全神話の崩壊、etc.

その結果もたらしたものについて、私はまず‘権威の崩壊’を挙げたい。‘偉い人’のはずだった総理大臣を‘普通の人’にしてしまいました。代議士然り、警察官然り、教職員然り、です。また家庭では父権も喪失されてきました。 次に挙げたいのは‘安全神話の崩壊’です。「酒鬼薔薇」を称した神戸の連続殺人少年は今も少年たちのアンチヒ-ロ-だと言われています。少年の精神鑑定によれば、彼の問題は行動障害と性的サディズムだとされています。「殺人が性的興奮を惹起(じゃっき)し、それが射精の代理行為となるのが快楽殺人だが、神戸の事件はその少年版だ」と東邦大学の高橋紳吾助教授は述べています。 今回の長崎の少年も神戸の少年のケ-スと似た経緯を辿っている、と言われています。何故こうした問題が起きるのか、如何に再発を防ぐか、という点をより報じるべきにもかかわらず、あまり時間は割かれません。興味本位な周辺情報が繰り返され、少年法改正といった対症療法論議が先行します。これが‘壁’の一つであり、視野狭窄を引き起こすのです。 こうした問題の背景には、日本人が置き去りにしてきたことがあると思われます。元総理の中曽根康弘さんは、「(敗戦後)日本の中にマルキシズム、英国の功利主義、アメリカのプラグマティズム、フランスの個人主義といった異質な価値が奔流のように入ってきて荒れ狂った。」と述べています。 そうした風潮に浮き草のように流されてしまい、‘日本の持っていた固有価値のいい部分を守りつつ新しい価値体系を形成する’という取り組みが弱かったようです。また文学も、前回指摘したように本質的なことを取り扱ってきませんでした。 社会の諸問題、個々人の抱える問題が何故起きてくるのかということを考えれば、以上のようなことが遠因となっていることが多いと思われます。なぜなら、私達は日常的にそれらのことから影響を受けているからです。大きく受ける人もいれば、さほど受けない人もいます。その度合いは違いましても、問題を起こしやすい方向へ押しやられているのです。 そこで私が問題解決において欠かせないと考えていることは、それぞれのもつ身体性、家庭性、社会性の観察です。観察を重ねれば、いつの間にか自分中心の心をつくり、自分中心のあり方を当然として、家族の繋がりを弱くし、両性の境界を弱くしていることが浮かび上がってきます。 それが、時代苦が形をもって表れる、人々の抱える問題の根っこなのです。救いの手を差し伸べ、浄霊を中心にして神様の光を当てていかねばならないところです。問題解決の鍵です。

「子宮ガンが消えた」を寄せた早乙女さんの場合

早乙女さんの夫は日本屈指の大手企業の幹部社員であることもあり、幅広く高い見識を有しています。その人の心が子宮ガンに対してもっとも大きな影響力を持っているので、最先端の医療状況とその医療に身を委ねる折の心構えを説いたのです。 浄霊の絶対性を信じていても手術を受ける際の留意点を話した理由は、‘人は、誰でも自分を一番愛している。人は自分を認めてもらうこと、自分を受容してもらうことで感情が満たされいく’という大原則に立ったからです。 家族の心が一つになれば、奇蹟は一瞬です。大変な御守護です。 しかも、その後のメシヤ教発足に対して家族全員で尽力し、積徳の奉仕に励みました。この「メシヤ教」ホ-ムペ-ジにしても、立ち上げの大半を担ったのは早乙女家です。何しろ、私は立教するまでパソコンを触ったこともなかったのですから。

網膜色素変成、リストラ、相次ぐ苦難から脱却」の國立さんの場合

問題の渦中にある人は、とかくその問題で身も心もいっぱいになってしまい、前に出ることも、また引くこともできなくなります。そして、左手と右手とどちらが大事かというように、決めることが本来できないことを決めてしまおうとして悩み、即効的な解決を図ろうとしてしまいます。そうした場合、安易なアドバイスに乗ってしまうことも生じ、かえって拗(こじ)れてしまうこともあります。 ですから、心の拠り所を明確にすると共に、専門の業者を絡めて新築に至る手順をしっかり踏んでもらったのです。贈与側の会社との折衝、贈与を受けた場合の税法上の問題、新築資金の捻出等々、一つひとつ片付けなければなりません。 そして、取り組む時に人間の弱さが出るものです。國立さん自身「‘まだはっきりとしていないのに、こんなに具体化しても仕方ないのでは…’と、戸惑う場面もありましたが、ご指示通りに取り組んでゆきました。」と赤裸々に述べています。正直で真面目な人ほど、そうした心境になります。ともすると、取り組みに対して根気がなくなったりもします。 そこで力を下さるのが神様ですし信仰なのです。力をいただくために、定期的に通っていただいたのです。参拝というものは、「お百度参り」式ではなくて「御力をいただく」あり方が大切です。また神様への縋り方は、「困った時の神頼み」式ではなく「人事を尽くして神様にお任せする」あり方が大切です。 國立さんは、信仰者の鑑のように指示通り素直に取り組みました。今日、浜松の地で毎月尊い祭典を執り行うことができるのは、國立家が御守護いただいたからこそであり、感謝しております。

「鎮痛剤、精神安定剤ともさよなら!自堕落だった自分がウソのように…」の松井さんの場合

現在日本の教育で欠けている点を挙げるとすれば、「精神」を十分教えきれていないということがあるでしょう。例えば、高学年への進級、進学に伴い、法律についての認識を深める教育を行う場合、「法の精神」を繰り返し説明しない傾向にあります。「民主主義の精神」についても同様です。それが最も大切なことであるに関わらず、反復されていません。 ですから、松井さんの場合はその部分を説明してあげたので、良く理解を深めた訳です。聞くところによると、小学生時代などは非常に成績優秀で、高校生位から学業に興味を感じなくなり、遊びに走り始めたそうです。これは、人生を考え始めた時に手応えのある答えを誰も与えてくれなかった人の典型的な例です。 冒頭に説明致しました「時代苦」の一つの表れです。物事の表層に心を奪われて、人生の味わいを知らされていない訳です。人生には奥の深いところがあります。その深いところを認識し始めると、人生の意味、生きる意義というものが解ってきます。 また、素晴らしい人に出会うと人生に意義を見出すのです。人との善き出会いは、親の徳によって導かれます。その意味では、勉強会(メシヤ講座)を通して素晴らしい先輩に出会えたということは、親の徳があったということになります。 ただ、私としては、世相から松井さんの心が汚染されることを防ぐために、「『メシヤ講座・特選集』を毎日読みなさい」と指示したのです。

今月掲載の田中さんの場合

繰り返しましたメ-ルの交換から、田中さんは非常に教えを求めてこられた人だと感じました。ですから「教・論・律」について説明を重ねました。また、御神体については先月の私の話の中で触れた『御文字』について詳しくお話致しました。 そして御神体御奉斎の決心をされ、夫の了解を得ると同時に‘妊娠’されていたのです。私は、「許され事」とお伝えしたのですが、このように瞬時に、しかも鮮やかに結果を許され、大変感動致しました。人生の上では、様々な段階の許され事がありますが、田中さんの状況下では‘最高’のことでしょう。 田中さんは、教えの通り‘小さい文字を読んでも良いとされる産後の肥立ち’を明けてから原稿を書き始めました。体験記を「ただただ言葉では言い表せない感謝でいっぱいです。」と結んでいましたが、その言葉通り感謝献金を添えて、体験記を寄せました。

御守護の連なり

それにしましても、田中さんはインタ-ネットを通じてメシヤ教にご縁をいただき、大変な奇蹟をいただきました。そのホ-ムペ-ジは早乙女家の尽力によって立ち上げることができました。早乙女家の御守護から数年を経て田中家の御守護に連なりました。 また、國立家で毎月祭典を重ねていたお蔭で、松井さんの参加する勉強会(メシヤ講座)が新たなご家庭で行えるようになりました。関わった人々の真心によって、御守護が連なっていったのです。 ご縁の輪がこうして拡大していきますと、益々大勢の方々が幸せになります。全国で執り行なわれている祭典やメシヤ講座は新たな幸せを生む‘場’なのです。意義ある取り組みです。(この御神業の善き連鎖については次回に述べます。)

真の問題解決のために

最後に、問題解決に取り組む上で心得ておいていただきたいことがあります。どのような問題でもメシヤの教えに出会えたところから解決に向かっているということです。 また、御守護を祈願するということは‘問題解決の方策を明確にしつつ行動をする’ということです。 そして御守護とは、神様の御光に包まれるということで、必ずしも人間の思い通りに行くということばかりとは限りません。行動に対していただいた結果はその人にとって最も必要な形で許されます。『そのことを通して、学びを深めなさい』という神様の大愛の表れなのです。 ですから身の回りに起こってくる一つひとつに一喜一憂するのではなく、神様の大愛、御心、お計らいを感得していくことが大切です。人は、悩みを人に相談し、解答を得て取り組み、結果を得て学び、さらに取り組む、という繰り返しで向上が許されていくものだからです。 そうしたことを感得しながら、精一杯の努力を積み重ねることが大切です。問題の表層に心を奪われることなく、神様の御守護を信じて、ひたすらに学びを重ね努力を重ねる、つまり自分自身を磨くことに努めていくことが大切です。それが真の問題解決ということになり、『永遠の栄え』をお許しいただくということになります。 これまでご紹介した4名の方々は、問題解決の第一段階を終え、それぞれ次の段階に歩を進めております。『永遠の栄え』のために、さらに自分自身を磨く取り組みを重ねていただきたいと願っています。そうすれば、次の体験記を書きたくなります。これは非常に楽しみなことです。